複雑・ファジー小説
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- 【完結】魂込めのフィレル
- 日時: 2020/08/04 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
——その少年の描く絵には、奇跡が宿る。
彼の描いた絵は皆実体化し、生物を描けば動きだす。
天才的な力、絵心師を持つ彼の名を、フィレル・イグニシィンと言った——。
けれど彼はある日、自身の無邪気な性格ゆえに、取り返しのつかない過ちを犯す。
自業自得から始まった長い旅。その長旅の結末とは——?
◇
まとめ読み用! >>1-76
【目次】
前日譚 戦神の宴 >>1-5
【第一部 旅立ちのイグニシィン】>>6-48
一章 イグニシィンの問題児 >>6-11
二章 悲しみの風は台地に吹く >>12-16
間章 その名は霧の…… >>17
三章 収穫者は愉悦に狂う >>18-24
間章 動乱のイグニシィン >>25-28
四章 死者皇ライヴの負の王国 >>29-40
間章 英雄の墓場 >>41-43
五章 最悪の記憶の遊戯者 >>44-48
【第二部 心の欠片をめぐる旅】 >>49-65
六章 災厄の島と伝説の…… >>49-58
七章 希望の花は、もう一度 >>59-65
【第三部 封神の旅のその果てに】 >>66-76
八章 運命神の遊戯盤 >>66-67
九章 文明破壊の無垢なる鉄槌 >>68-70
十章 戦呼ぶ騒乱の鷲 >>71-73
最終章 握った絵筆に魂を込めて >>74-76
◇
2020/7/24 完結致しました。
ここまで読んで下さった方、そして応援して下さった全ての方に感謝を。
フィレルの物語は、この話だけでは終わりません。
いつか書く続編で、またお会いしましょう……。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.12 )
- 日時: 2019/05/09 11:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第二章 哀しみの風は大地に吹く】
なし崩し的に旅は始まる。皆ファレルのことを気にしてはいたが、無事を祈って先へと進む。彼らの旅は封神の旅だ、相手するのは神様だ。一筋縄ではいかない相手、それはわかっていたけれど。
フィラ・フィアには使命があるし、フィレルとロアには責任がある。だから引き下がるわけにはいかないのだ。
「最初は何処へ行き、どの神を封じるんだ?」
ロアがフィラ・フィアに問うた。そうねとフィラ・フィアは答える。
「ええと、地図とかないかしら? 昔と今で名前の変わった町ばかりだとしても、大陸の形はそう簡単に変わらない。それで、その地図で今私たちが何処にいるのか示して欲しいの。そうしたら、大陸の形から大体の場所はわかるし、向かう場所を決める指標にするは丁度良くなるわ」
フィラ・フィアに頷いてロアは懐を探る。が、最初からその日に外出すると決めたわけではないので、外出する際にはいつも持っていっている地図を置いてきたことに気が付いた。そんなロアを見てフィレルは言う。
「ええとねぇ、僕、覚えてるから」
描くよ? 言って、背負った巨大なリュックから紙を取り出し画板の上に貼りつけて、リュックに仕舞ってある携帯筆記具でささっと図を描き始める。歪んだ正方形みたいな大陸、その中心からやや南西に行った辺りに丸をつけ、「イグニシィン」と書く。その後に頭をひねって考え考え。数分後には、大まかな町の名前と地形を描き足した一枚の地図が出来上がった。最後に「シエランディア周辺図」とタイトルを書いて完成、「どうぞ」と笑って差し出した。
フィラ・フィアは一連の作業を驚いたように見つめ、「ありがとう」と地図を受け取る。
彼女はしばらくじっと地図を見詰めていたが、やがて。
「決めたわ」
頷き、フィレルたちの方を向く。
「わたしたちの新しい旅で最初に封じるのは風神リノヴェルカ。大切な存在を失い、悲しみのあまりに力を暴走させ、周辺の風を狂わせて海を魔の海域にした女神。人間に愛されず、人間不信を抱えた女神。彼女の哀しみはわたしたちが終わらせる」
勘違いしてほしくないんだけれど、と彼女の強い瞳はフィレルを見た。
「『荒ぶる神々』は何も、悪神ばかりしかいないってわけじゃないの。リノヴェルカみたいに悲劇を背負って、荒ぶる神々にならざるを得なかった神様もいるのよ。だからわたしたちのこの旅はね、彼女のような神々を救済することにもなるの」
遠い昔、リノヴェルカは人間に裏切られて最愛の兄を失ったそうよ、と呟く。
「その怒りによって偶然神を殺して亜神になり、別の神を殺して風神になったって。
でもそんな悲劇、この世界にはどこにだって転がっているものなのだわ」
その呟きを、複雑な表情でフィレルは聞いていた。
フィレルの地図を見、過去の記憶と照らし合わせ、次行く町の名は「ツウェル」というところだと確認、南東の方角に向かって旅立つ。他の人たちはなにも違和感を覚えてはいなかったようだが、フィレルは南東に嫌な感覚を覚え、目的地に向かうにつれて、それがだんだん強くなっていくのを感じていた。
風神リノヴェルカは風を狂わせた。狂った風は、わかる人には確かにわかるのだ。
歩いていく道の途中、フィレルはそっと、いつも身に付けているエプロンの、ポケットに在る絵筆を握りしめた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.13 )
- 日時: 2019/05/11 22:40
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「風神リノヴェルカの神殿、ね」
町にたどり着き、正確な場所を、近くにいた青年に訊ねた。
青みがかった銀の長髪を頭の高いところで括り、瞳は青。魔導士めいた印象だが、それにしては軽装の彼はその目に諧謔の光を浮かべた。
「聞きたいのだけれど、どうして君たちはそんな場所を目指すんだい。そこに行ったって何もない。彼女は狂ったままなんだよ」
喋る彼を、いきなり吹きつけてきた突風が直撃した。華奢な方の体格である青年は、たまらず風に吹き飛ばされる……かと思いきや、何か不思議の力が働いて、うまい具合に風を逃がした。青年は「反射的に力使っちゃったじゃないかまったくもうこの風は」などとぼやく。
この世界「アンダルシア」には様々な魔導士がいる。絵を実体化させる絵使、絵心師を始めとし、織物の模様に魔法を込める織師、描いた紋章に魔力を込めて罠を張る印象使、人形に関した魔法を行う人形使、死者と対話し、死者を使役する死霊術師、即席で武器や防具を生みだし、用済みになったら乳白色の霧に変える魔素使……などなど、その種類の多さは多岐にわたる。
フィレルはこれまで書籍で様々な魔導士の話を読んできたけれど、今目の前にいる青年が行ったみたいな謎の魔法は知らなかった。青年はフィレルの視線に気付き、ああ、と苦笑いした。
「ご存知ないかな? というか知っていても、ぼくの指運師はわかりにくい魔法だからねぇ」
そうだなぁ、と考えて、彼はロアに目を留めた。
「そうだ、そこの武人みたいなきみ。飛び道具とか持ってないかい? 持ってたらぼくに投げつけてみて。そうしたら指運師が何たるか、わかりやすい説明になるから」
言って彼は、ロアから少し距離を取る。ロアは訝しげな顔をして、懐から一本の投げナイフを取り出した。確認するように問う。
「本当にいいんだな? 言っておくが、この距離からならば外さんぞ」
いいのさ、と青年は笑う。
「いやぁ、実演するとなると怖いねぇ。ま、ぼくもぼくの力に自信があるから、絶対安全だってわかってるからこんなことできるんだけどもさぁ」
頷き、悪く思うなよ、とロアはナイフを青年に向かって投げつける。青年は何もしない、ただその場に立っているだけである。ナイフが無抵抗の青年にぶち当たる——
そう思われた、瞬間。
突如、先程の勢いを超える風が青年に吹き付けて青年は転倒、しかしそのお陰でナイフの射線から外れ、青年は転倒したさいに軽く手を擦りむいたほかは一切の怪我がない。
服の埃を払いナイフを拾い、青年は拾ったナイフをロアに返す。
「要はこういうことね」
「どういうこと!?」
納得できない顔のフィレルに、青年は穏やかに笑って説明する。
「ぼくは昔、運命の双子神ファーテ&フォルトゥーンの内、ファーテと契約したのさ。そして契約の際、ファーテは僕に力をくれた。それが指運師——つまりは、運を操る力さ」
さっきのを例にしてみようか、と彼は言う。
「さっきのは、あの風が吹かなければぼくは確実に怪我していた。でも絶妙なタイミングで風が吹いた、そうだろう? この町はリノヴェルカの影響か、突風が頻繁に吹くんだ。でもあのタイミングで突風が僕に吹くのなんて、それこそ偶然の産物だよね」
でも指運師は、その偶然を必然にするのさ、と説明。
「ただし、例えば大戦の際に、一陣営だけを継続的に勝たせることはできない。ぼくの扱える力はある程度範囲が決まっていて、その中から逃れることはできない。でも使えば自分の身くらいは守れるし、カジノでぼろ儲けすることもできる。お陰で路銀に困ったことはない」
カジノでぼろ儲け、の言葉に、正義感の強いフィラ・フィアは顔をしかめた。
「……あなたの力はわかったけれど、カジノはないわ、流石にないわ。それってただの力の悪用じゃない! そんなことが許されると」
「人間とは自分本位な生き物だよお嬢さん。許されるって、誰が許すというんだい? きみかい? ならばぼくは一向に構わない。偶然すれ違っただけの人間に、許されなくたって痛くも痒くもないね」
明るく温厚に見えた青年だったが、その言葉は冷たく、ナイフのような鋭さを秘めていた。
フィラ・フィアは呆気にとられたような顔をして、黙り込んでしまった。
指運師の青年は、話を戻すけれど、と確認する。
「ぼくは最初に訊ねたよ、きみたちが風神リノヴェルカの神殿を目指す理由について。あっちは本当に何もないし、世界に関わる偉大なる風神さまならリノヴェルカじゃなくってガンダリーゼがいるだろう。彼女は所詮成り上がりの神様だって、この世界の住人ならばわかっていて当然の知識だよね? ならば何故?」
信じてもらえないだろうけれど、とフィラ・フィアは難しい顔をする。
「わたしは、フィラ・フィアよ」
その答えを聞いて、青年は面白がるように笑った。
「ははっ、フィラ・フィアだって? きみが? あの、三千年前の英雄だって? 馬鹿言わないでくれるかい? 彼女はもうとうの昔に死んだんだって、志半ばで死んだんだって、シエランディアの人ならば誰だって知っていることだろう?」
「わたしはフィラ・フィアよ。志半ばで倒れた、から、まだ封じていない神々を封じるのよ。だからリノヴェルカの神殿の場所を訪ねたの」
フィラ・フィアは強い瞳で相手を睨んだ。しかし当然のごとく、信用されていないらしい。
フィレルは困ったような顔をしていたが、しばらくして、名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。
「ねぇねぇお兄さん。絵心師って知ってる?」
フィレルの問いに、青年は頷く。
「絵心師? ああ、あれね。知ってるけれど、いきなりどうしたんだい」
「僕がその絵心師なんだけれど、王女さまを実体化しちゃったの」
「きみは禁忌を破ったのかい?」
「うん、そう。僕の好奇心で破っちゃったの。でね、責任取れって、封神の旅についていくことになっちゃったの」
「……へぇ」
青年の顔は穏やかだったが、その瞳は笑っていなかった。
「下手な芝居もいい加減にしなよ」
青年の周囲、冷たい風が吹く。変わった雰囲気に怯えたフィレル。守るようにしてロアが彼の前に立つ。
はぁ、と青年は溜め息をついた。
「風神リノヴェルカ、天鳥の女神、風に愛されし者。彼女は確かに荒ぶる神々であり、彼女のせいでこの町ではまともに洗濯物すら干せない状況だ。そして飛んできたものにぶち当たり、毎年のように死者が出る。竜巻なんかも頻繁に起こる。どれもこれも彼女のせいだ。でもね」
青の瞳が、真剣な輝きを帯びた。
「それでも、彼女はこの町の象徴なんだ。封じる? そんなこと、騙りの封神旅団なんかにさせられると思う? ああ、ぼくは余所者だ、確かにこの町の外部から来た人間だ。でもね、ぼくは女神さまの過去の話を、偶然にも深く知ってしまったのだし……。知ってしまったからには、偽者の封神旅団に、彼女を害させるわけにはいかなくなってねぇ。
女神さまはここから少し東におわす。きみたちはそこへ行くんだろう。でもぼくは通さないよ。どうしても通るというのならば……」
彼はどこからか何かを取り出した。それは青みがかった木で作られた、魔導士の使うような杖だった。青年はそれをフィレルらに向ける。
「ぼくを倒してから行けよ」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.14 )
- 日時: 2020/08/04 02:21
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 6Bgu9cRk)
「はぁ……ったく。どうしてこんな展開になるのかねぇ」
ロアは呆れたように溜息をついた。
仕方ないよとフィレルは言う。
「だって普通は信じないよ、そんなコートームケーな話。でもこうなるのは予想外」
「荒唐無稽な。あえて難しい言葉を使おうとしなくても良い。……で? 一対一か、それとも全員で行っていいのか?」
ロアの質問に、青年は頷いた。
「別に全員で来たって僕は構わないさ。ぼくの力も指運師だけじゃないし」
言って彼は何の予備動作もなく叫んだ。
「来たれ風よ、リノヴェルカの加護、ここにありッ!」
瞬間、突風がロアに吹きつけて彼を吹き飛ばそうとしたが、彼は咄嗟に剣を抜き地に突き立ててそれに耐える。それを戦いの始まりの合図と見てとったフィレルは真剣な顔をして、背負ったリュックから紙を取り出し、身につけたエプロンのポケットから、お気に入りの絵筆と愛用しているパレットを出した。戦闘準備だ。
「……えーと、わたしは後方支援?」
戸惑うようにフィラ・フィアは言い、恐る恐る舞い始める。舞うたびに彼女の錫杖が、彼女の身につけた鈴が、しゃんしゃんと清らかな音を鳴らす。
風がおさまった。反撃だとばかりにロアは地に突き立てた剣を抜き、だん、と大地を蹴って疾走、どこか儚くも見える指運師にその刃を振りかぶる。指運師の青年は儚く笑っていた。ロアの刃が青年に到達し、青年は全身から血液を噴き上げながらも大地にくずおれた、が。
「……おかしい。確かに斬ったはずなのに、感触がないし剣に血脂もついていないだと?」
「ロア、罠だよっ! させるかぁ! 僕の絵よ、お願いだよーっ!」
動きを止めたロアの背後から迫ったのは氷で作られた槍。反応が遅れたロアを貫かんとそれは迫るが、その直後、フィレルの絵が実体化した。
「作品番号……何番だっけ? 何でもいいや、使い捨て!」
実体化したそれはごうごうと燃え上がる炎。炎の壁に突っ込んだ氷の槍は瞬く間に融けて、脅威ではなくなる。余った炎がロアの背を焼き、「味方まで攻撃するなこの馬鹿!」とロアが叫んだ。「緊急事態、仕方ないじゃん!」とフィレルが返す。
フィラ・フィアが目を細めた。彼女の見ているそばから、青年の身体は消えていく。
「最初の風はただの威嚇で、本命は幻影魔法ってわけ。中々やる魔導士じゃない。で? 本体は何処? 姿を見せなさいよ——」
その言葉が言い終わるか言い終わらないかの内に、彼女は突風に吹き飛ばされて、地面に身体を強くぶつけた。
「……ッ! この町はリノヴェルカの町。そして相手も恐らく風使い? それで突風が吹いてきても、リノヴェルカの風か相手の風か、全然わからないじゃない。それが狙いなの?」
彼女の呟きに、風に乗って言葉が運ばれてきた。
——どうしたんだい? ぼく程度倒せないんじゃ、神様なんて封じられないんじゃないの?
「……ッ、馬鹿にしないでッ!」
言うけれど。
彼女の舞は、支援あってこその舞だ。支援が何もなければ彼女は、ただ無防備な姿をさらすだけ。
そんな中、フィレルはまた紙に何かを描いている。そんな彼を狙わんと風が少年を襲うが、ロアが前に立ってそれを防いだ。ゆらり、現れる影に投げナイフを投げても、それは影を貫通するだけ。どう見てもそれは幻影だったが、本隊が何処にいるのかは皆目わからないままで。
苛立ったようにロアは叫んだ。
「フィレル、何か策はあるのかッ!?」
ロアの問いに、うん、とフィレルは頷いた。
紙の上を動く絵筆は何かを描きだしている。それは……
「炎、だと? お前、さっきから炎ばっかりだな?」
「読めてるよ、相手の魔法。だから今はそれを破ることに集中するだけなんだよーっ」
その声はいつにない真剣な調子を帯びていた。
フィレルを狙わんと現れる氷の槍も突風も、ロアの剣がすべて防いでいく。相手の魔法が読めないフィラ・フィアは悔しげに唇を噛んで俯くだけだ。けれど時折大地に突く錫杖が、その清浄なる鈴の音が、余計な雑念を振り払う。
やがて。
「でーきたっ! 作品番号……確か223番? 幻影破りの火炎! あのねぇ、水で幻影を作ってもさぁ、要は蒸発させてしまえば破れるってことだよねぇ?」
そこにあったのは一枚の、燃え盛る炎の絵。
フィレルは獰猛な笑みを浮かべた。天使のようだった少年の印象が一変する。
「舐めてもらっちゃあ困るんだ。僕はただの暢気な次男坊ってだけじゃないの。年相応の実力もあるんだよぅ?」
フィレルは炎の絵に右手を押し当てた。その手が強く輝いて——。
「……よく、読めたね。水の幻影じゃなくって、光の幻影もあるのにさ」
燃え盛る火炎は辺りの水蒸気を一気に蒸発させ、近くの木の陰に隠れて立っていた指運師の青年の姿をぼんやりと浮かび上がらせた。直後、その首にロアが剣を押し当てる。青年の負けである。
「あーあ……負けちゃった」
青年が両手を挙げると、ロアは剣を下ろして鞘に仕舞った。
フィレルはにっこりと笑った。
「ロアを炎で守った時さ、偶然見えちゃったの、あなたの服のはじっこが。炎で敗れる幻影は水でできていないとおかしい。だから改めて炎を描いてみたってわけなんだよ。あなたの幻影が光で出来ているってわかったなら、今度は夜に戦いを挑んだかも?」
冷静に分析するフィレルは、これまでの能天気振りからは想像もできないような態度である。
それでも根っこの明るさは変わらないから。
フィレルは紙と絵筆とパレットを仕舞うと、腰に両手を当ててふんぞり返った。
「えっへん! 僕ってすごいんだからねーっ!」
いつもはフィレルに怒ってばっかりのロアも、流石に今回は怒るわけにもいかず。
「……よくやった」
珍しく、手放しの称賛を彼に向けた。
フィラ・フィアは溜め息をついた。
「水の幻影……。そう、そうだったの。ああ、水女神を以前に封じたけれど、彼女も似たような技を使ってた! 思い出すのは遅すぎるけれどもね……」
で、とフィレルは青年に向き直る。
「これで通してくれるの? 僕らは偽者じゃないんだよ?」
ああ、と青年は頷いた。
「いいよ、いいさ、好きに通れば。あなたたちは確かに強い。それに水女神アスフェリーナのことを語るお嬢さんを見ても、嘘ついているとは思えないし、ね。
リノヴェルカはここから少し東に行った、木々のねじ曲がった森の奥だよ。そこに神殿がある。かつてはそこの木々もみんな真っ直ぐだったらしいんだけれど、彼女の風が木々を捻じ曲げてしまったって話」
青年の言葉にフィレルは頷き、思い出したように水筒を取り出して筆とパレットを洗い始める。
ありがとうとフィラ・フィアは笑った。
「これで旅の続きができるわ。
折角の縁だから問いたいのだけれど、あなたの名前はなあに?」
「イルキスさ。指運師イルキス・ウィルクリースト。ちょっと東の方にある町ロルヴァの出で、魔導士の息子」
まぁ、今後も何か縁があったらよろしくね、と彼は微笑んだ。
構えていた杖を、懐に仕舞う。
「お前は今後、どうするんだ?」
フィレルに背中の火傷を診てもらいながらも、そう、ロアは言葉を投げた。
「ぼくかい?」とイルキスは首をかしげ、少し考えた後、答えた。
「そうだなぁ。この町は好きだけれど、ぼくは本当はただの風来坊だし。折角の良い機会だ、ここを離れてまた各地を放浪することにするよ。縁があったらまた会えるかもしれないね」
その青の瞳に諧謔の光を浮かべ、イルキスはさよならをするかのように右手を挙げた。
フィラ・フィアらも頷き、イルキスに背を向ける。
「またね、イルキス。最初はびっくりしたけれど、あなたに会えて楽しかったわ」
「それはお互い様さ。お陰で面白いものを見せてもらった」
互いに声を投げ合って、それぞれに別れた。
◆
その後。
不意にした物音に、イルキスははっとして振り返る。
「——イルキス・ウィルクリーストだな?」
声と同時に、放たれたのは矢。
「……ッ、いきなり何!?」
驚いたイルキスはとっさに指運師の力を発動、奇跡を願い、避けられることを願った、が。
「ぐ……ッ!」
イルキスの脇腹に矢が突き刺さる。
奇跡なんて、起きなかった。所詮は運だ、たまには外れることもある。
呻き、くずおれる彼の耳に、男の声が聞こえた。
「無力化に成功。これで邪魔は消えた。
悪いな指運師、お前の考えは読めているぞ。訳あって阻止させてもらった。毒は塗ってあるが麻痺毒だし、死ぬほどではない」
声と同時、立ち去る足音。
イルキスは顔を歪め、何とか現状を打破しようと必死で這いずった。が、回りの早い毒らしくて、その動きは鈍くなっていく。もう立ち上がる気力などない。
イルキスはフィレルらと別れた後、こっそり後をつけていって、彼らの援助をしようと思ったのだ。その矢先にこれである。どうやらフィレルらを邪魔したい勢力があるらしい。
イルキスは咳き込んだ。それはどんどん激しくなっていき、呼吸困難になって彼の喉が喘鳴を立てた。彼は昔病弱だった。今こそそれは治ったが、時折再発することがある。
苦しい息、少なくなる酸素に頭が朦朧とする。それに毒の効果も合わさって、イルキスの意識は闇と消えた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.15 )
- 日時: 2019/05/15 17:32
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
その森の木々は確かにねじ曲がっていた。真っ直ぐに立っている木など一本もなく、皆、あらぬ方向を向いていた。
そしてその中を時折吹きすさぶ突風。ツウェルの町にいた時よりも、強く強く荒々しく。
その風鳴りの音は、どこか悲痛な叫びを思わせた。
森の中に漂う空気は当然ながら湿ってはいたが、そこからは涙のにおいさえするような気がした。
「風神リノヴェルカは悲しみの女神。人間に裏切られ、最愛の存在を殺された」
歌うようにフィラ・フィアが言う。
「この森は彼女の森。ああ、リノヴェルカが泣いているわ」
悲痛な叫びを挙げて、涸れない涙を流して。
突風が吹き、吹き飛ばされそうになる。それでも足を踏ん張って、何とか耐える。
「あの町の人たちは、三千年間もずっと、この哀しみの風を浴びてきたのかな。リノヴェルカはそれよりもずっと長い間、悲しみを抱えてきたのかな」
呟くフィレルに、ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「だから、早く封じなくちゃ」
その森に動物はいない。あるのはただ、ねじ曲がった木々のみだ。
ねじ曲がり、複雑に絡み合った木々。その枝を剣を持ったロアが切り飛ばしながらも先行し、後にフィレルとフィラ・フィアが続く。
一行は森を進んでいく。哀しみの神を癒すため、そして終わらぬ風を止めるために。
◇
森を抜けた先、いきなり登場した白い神殿。
そこに至って、吹きつける風はますます強くなった。
「この先に、リノヴェルカがいるんだね」
確かめるように呟いて、行こう、とフィレルは前に進んだ。
神殿は白亜で出来ているようで、何もかもが白かった。
三千年以上前に作られた神殿は、成程、イルキスの言う通り、祀られているリノヴェルカが町の人々から愛されているというだけあって、所々朽ちてはいるものの、あちこち修繕したあとがあった。
白亜というのは石灰岩だ。雨というのは弱酸性、三千年もの間雨に打たれていれば、かなりが溶けてしまっていてもおかしくはない。それなのに綺麗な方なのは、やはり人々の信仰が、愛があったからだろうか。崩れ落ちた外部の装飾にも直された痕がある。あの町の人々は、あの森を越えてわざわざこの神殿を修理しに来たのだろうか。
一歩、進む。カツン、と硬質な音がした。石の地面を歩く音。
「風神リノヴェルカ、封神のフィラ・フィアのことを、他の神々から聞いていないかしら?」
歩きつつも、フィラ・フィアは宙に声を投げる。
神殿は随分な広さがあった。正面の門をくぐったら長い廊下があり、廊下の脇にはいくつもの扉があり、廊下の突き当たりに、周囲の扉とは違って立派な作りの扉があった。そこが恐らく祭祀の間、この神殿の心臓部だ。
その扉を目指しながらもフィラ・フィアは声を投げるが、神殿は沈黙したままで一切の返事がない。
「リノヴェルカ。悪いけれど、封じさせてもらうわよ。今のあなたは確かにもう、『荒ぶる神々』と呼ばれるほど暴虐の限りを尽くしてはいないのかも知れない。でも、わたしにはやり残した使命があるから」
その言葉に、
神殿の廊下が震え、風が吹いた。
風と共に聞こえたのは、声。
——(どうして生きているんだ?)
それは少女の、声。寄る辺を失った、頼りのない子供の声。
それでも、いくら傷付いても、誇りだけは失わないままの、痛ましささえ感じられる声。
——(私は知っているぞ。封神のフィラ・フィアはとうの昔に死んだと。それが何故、生きているんだ?)
「簡潔に説明するわ、リノヴェルカ」
歩きながらもフィラ・フィアは言う。
「絵心師が禁忌を破った、それだけよ」
——(そう、か)
声はそれきり沈黙してしまった。
続きは祭祀の間でということだろうか。
とりあえず歩を進めることにした。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.16 )
- 日時: 2019/05/17 07:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
繊細な装飾の施された、立派な作りの扉を開けて部屋に入る。一気に広がった視界。広大な部屋のその奥に、白亜の祭壇があった。
その、白亜の祭壇の、上に。
「……風神、リノヴェルカ」
白い女神が浮いていた。
腰まである白の長髪に、凛とした鋭さを湛える水晶の瞳。額には銀の輪をつけ、そこから青い涙型の宝石が垂れている。白の、長い貫頭衣を身に纏い、腰のところは茶のベルトで締めている。貫頭衣の襟元には太陽を模した日輪の模様があり、右手にはいくつも連なった金の輪をはめていた。その足は革のサンダルに包まれている。そしてその背には、鳥のような純白の翼。
彼女が風神リノヴェルカ、悲しみの女神であった。
「そうだ、私がリノヴェルカだ」
彼女は凛とした、しかしどこか寄る辺を失った子供のような声で言った。
「あなたたちは、私を封じに来たのか?」
ええそうよとフィラ・フィアは頷いた。
「ごめんなさい、わたしには使命があるの」
「……やはり、人間というのは身勝手だ。誰もかれもが自分のことばっかりで、他人のことなんて気にしやしない。ああ、神になれて良かったよ。亜神であることすらおぞましいのに、私の親の片方が、そんな穢れた人間だっただなんて……虫唾が走る」
その水晶の瞳には、人間に対する嫌悪と、静かな諦めだけがあった。
リノヴェルカは、言う。
「私は幸せに生きたかったんだ。イヴュージオと一緒に、二人で! ただ幸せに生きたかっただけなんだ! それを人間たちが壊した! 神は私を救ってくれたのに、人間たちは私たちを傷つけるばっかりでッ!」
悲鳴のような叫び。怒りと悲しみが放出される。
彼女の周囲で突風が吹き、一行を大きく吹き飛ばした。咄嗟にロアがフィレルとフィラ・フィアを正面に庇い、代わりに彼は神殿の柱に、したたかに全身をぶつけた。呻き声をあげるロアに、「大丈夫!?」とフィレルが駆け寄る。ロアは口の中を切ったのか、血を神殿の床に吐き捨てると「大丈夫だ」と答え、剣を構えて前を向く。
彼女は自分の発した言葉に何かを思い出したのか、狂ったように何かを叫んだ。同時、飛んできたのは風の刃。触れるものを切り裂く鎌鼬。それらをロアは剣で防ぐ。
「自分の記憶に狂っちゃうとか……そっちだって随分身勝手だねッ!」
ロアの背に守られながら、フィレルは背負ったキャンバスを取り出して絵を描く。描かれたのは大きな盾だ。それを取り出し、フィレルはしっかりと盾を構えて、庇うようにフィラ・フィアの前に立った。
それを見てロアは驚いたように声を投げる。
「お、おいフィレル!? お前にそんなもの扱え——」
「扱えるんだよーっ! 言っておくけれど、僕はロアの授業、実はしっかり聞いてたんだからッ!」
フィレルは笑う。その笑みは無邪気でこそあったが、その瞳の奥には、しっかりと芯の通った何かがあった。
その笑みを受け、「任せた」と頷いたロアは疾走、風神の動きを止めるため、握った刃を振りかぶる。
「……ふふっ、この空気、少し懐かしいわ。ロア、あなたはエルステッド、フィレルはレ・ラウィみたいに見える。ならばわたしも頑張らなくちゃ、ね!」
信頼すべき仲間がいるんだからッ! と叫び、フィラ・フィアは舞を舞い始める。彼女の周辺に虹色に輝く鎖の幻影が生まれ、それは彼女が舞うたびに数を増やし、少しずつ実体を得ていく。
リノヴェルカは、ただ叫ぶだけだった。彼女の周囲で狂ったように風が渦巻き、咆哮をあげ、津波のような勢いで押し寄せてはまた渦を巻き、幾百もの風の刃を送り込む。
「人間なんて嫌いだ、そんな存在消えてしまえッ! 人間さえいなければ、私は、私は——!」
「——人間がいなければ、あなたは生まれなかったよぅ?」
「…………ッ!」
そんなリノヴェルカに、フィレルは真実を突き付けた。
彼の構える大盾は今にも吹き飛ばされそうに揺れていたが、フィレルはかつてないほどの強い意志の力でそれを強引に押さえ込み、背後で舞うフィラ・フィアを守る。彼女の錫杖の音が彼に力を与えた。
フィレルは言葉で追撃する。
「あなたの父は神様、あなたの母は人間。あなたは人間と神のハーフでしょ? 人間がいなかったら、貴女はこの世に生まれなかったんだよぅ?」
「し、しかし……黙れ人間ッ!」
「あなたは生きていたくなかったのぉ?」
「…………ッ」
フィレルは、笑う。無邪気な、天使のような笑顔で。天真爛漫な表情で。
そんな表情をしながらも、ロアから教わった知識を総結集させてフィレルは相手にとどめを刺す。
「あなたは生まれたことでイヴュージオと出会えたんだ。最終的にイヴュージオは死んじゃったけれど……。
——あなたはイヴュージオと出会ったことすらも、育んだ幸せな日々すらも、なかった方が良かったと言うの?」
その言葉を聞いて。
ぱたり、と風が止んだ。肩透かしを食らったようなロアは攻撃を中止、風の女神を仰ぎ見る。
彼女はその瞳から、涙を零した。
「……言わない、さ」
湿気を含んだ風が、ゆるやかに吹く。
「言わない、私はそんなこと言わない。イヴュージオは、私の唯一無二の兄さんは、私を誰よりも愛し、守ってくれたんだ。私を裏切っても、最期の瞬間は私を守って——!」
落ちた涙は水たまりを作る。
「……少年よ、その通りだよ。私は確かに人間が憎い、憎いさ。イヴュージオを殺したのは人間なのだから仕方がないさ。でも、それで、も」
彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「——私は私が生まれたことに、一切の後悔などない。ああ、だから私は間違っていたのだ。人間たちに滅びよと願うなどと……!」
そしてその瞬間、
残酷にも、封神の鎖は完成した。
フィラ・フィアは、舞う。容赦なく、舞う。
相手がいくら改心したって、彼女は自分の使命を果たすことを何よりも優先させる。
フィラ・フィアは、叫んだ。
「封じられよ、悲しみの亜神リノヴェルカッ!」
「駄目だよフィラ・フィアッ!」
咄嗟にフィレルは彼女を止めようとしてしまったけれど、時既に遅く。
驚いた顔の風神に、実体化した虹色の鎖は何条も伸びて巻きついた。
そして鎖の巻きついた神は——
「……綺麗、だ」
強く輝き、気が付いた時には水晶の中に封じ込められていた。
フィラ・フィアはふうっと溜め息をつく。
「風神リノヴェルカ、封印完了。ありがとうフィレル。あなたのお陰で楽に出来たわ」
「フィラ・フィアぁっ!」
フィレルは抗議の声をあげた。
「せっかくさ、女神さまさ、荒ぶるのをやめようとしてたのにそれでも封じようとするんだぁ!?」
「当然じゃない。またいつ狂いだすかはわからないし、そうなったら見逃したことを後悔することになるわ。それだけはしたくないの。……ええ、もう、昔みたいなことは」
彼女は何かを思い出すような遠い目をした。
「ひとつ、語っていいかしら」
言って、彼女は勝手に喋り出す。
「昔々、心優しい水女神様がおりました。彼女は人間を愛し、人間の傍にいることを望み、人間との間に可愛らしい赤ん坊を設けました。けれどある時、赤ん坊は殺されてしまいました。殺したのは人間でした。彼女は人間に裏切られたのです。
その日から彼女は狂い、人間の村に大洪水を起こすようになりました」
語られたのは、
「時の王アノスは彼女に『荒ぶる神々』認定を下し、彼女らを封じるために七人の英雄たちが旅立ちました。彼女と対峙し、英雄たちは彼女の哀しみの過去を知りました」
古の昔、フィラ・フィアがその身をもって体験した物語。
「英雄の中でも穏健派であった封術師ユレイオは彼女を封じることを忍びなく思い、誠心誠意、思いを込めて、彼女を説得し、人間を襲わないように約束させました。水女神は約束すると強く頷きました」
けれど、とフィラ・フィアは目を伏せる。
「その次の日、再び洪水が村を襲いました。約束が違う、と憤慨したユレイオは水女神と直談判するため、単身、水女神の神殿に向かいました。仲間には『必ず帰ってくる』と約束しましたが……その約束が守られることは、ついぞありませんでした。わたしたちは一日待ちました。その次の日、ユレイオの双子の兄ユーリオは、弟が死体となって川で浮いているのを発見したのです」
三人称で話しているつもりだろうが、いつの間にか「わたしたちは」と話してしまっていることに、彼女は気付かない。
「そして、わかりました。わたしたちは神々の約束を信じてはならないと。あの後わたしたちはユレイオの復讐の為に水女神に挑み封じましたが、最初に彼女に慈悲を掛けなければユレイオは死ななかったのだと思うと、その心中は複雑でした。残されたユーリオは慟哭し、神々をひどく憎むようになりました。ユレイオはわたしたちの中で、最初の犠牲者でした」
これで話は終わりね、とフィラ・フィアは悲しげな笑みを見せる。
「要は、神様なんて信じちゃいけないの。確実に封じなければ、いつかわたしたち殺されるわ。神様に慈悲なんて掛けちゃいけないの。そうよ、ユレイオみたいな犠牲者を、これ以上増やさないためにも!」
彼女の語った物語は、重い。
そう、とフィレルはうつむいた。
「そっか、それなら仕方がないよね。でも……」
これでリノヴェルカを救ったことになったのかなぁ。
そんな呟きは、風の残骸に乗せられて遠くへ運ばれ、ついぞフィラ・フィアの耳に届くことはなかった。
◇
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