複雑・ファジー小説
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- 【完結】魂込めのフィレル
- 日時: 2020/08/04 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
——その少年の描く絵には、奇跡が宿る。
彼の描いた絵は皆実体化し、生物を描けば動きだす。
天才的な力、絵心師を持つ彼の名を、フィレル・イグニシィンと言った——。
けれど彼はある日、自身の無邪気な性格ゆえに、取り返しのつかない過ちを犯す。
自業自得から始まった長い旅。その長旅の結末とは——?
◇
まとめ読み用! >>1-76
【目次】
前日譚 戦神の宴 >>1-5
【第一部 旅立ちのイグニシィン】>>6-48
一章 イグニシィンの問題児 >>6-11
二章 悲しみの風は台地に吹く >>12-16
間章 その名は霧の…… >>17
三章 収穫者は愉悦に狂う >>18-24
間章 動乱のイグニシィン >>25-28
四章 死者皇ライヴの負の王国 >>29-40
間章 英雄の墓場 >>41-43
五章 最悪の記憶の遊戯者 >>44-48
【第二部 心の欠片をめぐる旅】 >>49-65
六章 災厄の島と伝説の…… >>49-58
七章 希望の花は、もう一度 >>59-65
【第三部 封神の旅のその果てに】 >>66-76
八章 運命神の遊戯盤 >>66-67
九章 文明破壊の無垢なる鉄槌 >>68-70
十章 戦呼ぶ騒乱の鷲 >>71-73
最終章 握った絵筆に魂を込めて >>74-76
◇
2020/7/24 完結致しました。
ここまで読んで下さった方、そして応援して下さった全ての方に感謝を。
フィレルの物語は、この話だけでは終わりません。
いつか書く続編で、またお会いしましょう……。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.63 )
- 日時: 2019/10/29 12:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
辿ってきた道を戻り、円環の丘に到着する。中央の石碑を取り囲むように並ぶ、六つの石碑群。ロアが石碑に書かれた文字を読み取り、「エルステッドの墓はこれだ」と指し示す。その足元に——
「あった! 手帳みたいなやつ! これだよ、これじゃなぁい?」
フィレルがぴょんぴょん跳ねて興奮を示す。彼の差した地面には確かに、何かの本の青い表紙が見えた。フィレルはそれに近づいていき、せっせと地面を掘り返す。そしてそれは姿を現した。
読めない文字で書かれた表紙。しかしロアはその文字を読み取る。
「姫失いし騎士の記録——エルステッド・カルーディス。すごいな、フィレル。これはきっと本物だぜ」
その青い表紙の手記は、書かれてから千年以上の年月を経たのにまだ新しく、ざっと開いたページの文字は、まだ簡単に読み取れそうだ。ロアはフィレルの手から手記を奪い、高速でページをめくりながらもざっと内容に目を通していく。その黒いまなこが忙しなく動いた。ロアしか読めない昔の文字。イルキスも読めないことはないが彼はたどたどしくしか読めないからロアが読む。何故ロアがこの文字を読めるのか、その理由はいまだにわからないけれど。
やがて。
読み終わったのか、ロアは手記を閉じて大きな息をついた。
「……晩年のエルステッドはもう、英雄ではなくなったな」
それが彼の発した第一の感想だった。
「だが、フィラ・フィアを起こすキーとなるような言葉が見つかった。フィラ・フィアはシルークが好きだったが、エルステッドは純粋にフィラ・フィアを愛していた。ゆえに、だからこそ、出た言葉だ」
言って、ロアはフィレルに開いたページを見せ、そこに走り書きされたような一文を指し示した。そこに書かれていたのは——
「『さようなら、フィラちゃん。大好きだったよ』」
口に出して、フィレルは驚いた。今の言葉は誰のものだろう? ロアとは違い、フィレルにはこの文字なんて読めないはずなのに。フィレルの中には確かにその時代に生きたレ・ラウィの血が流れているけれど、血の繋がりがあると言うだけで、それで当時書かれていた文字を読み取れるなんて有り得ない。
しかし起こるべくして奇跡は起こる。
何か、硝子質の何かが割れるような甲高い音がした。
そして、
「う……ん」
ロアの背で、ずっと眠っていたフィラ・フィアが動き出す。
フィレルは歓喜の声を上げた。その時ちらりと手記を見たけれど、もうその文字を読むことはできなかった。
「やったやったぁ、フィラ・フィアが目覚めたぁっ!」
「……長い、悪夢を見ていたの。長い、長い、終わりのない、悪夢」
ぼんやりと、焦点の合わない眼をこすりながらもフィラ・フィアは呟いた。
ロアは背負っていた彼女をそっと、大地に横たえた。フィラ・フィアの瞳が心配げに自分を見る仲間たちの視線に気付き、少しずつ焦点を結んでいく。
その瞳がふっと蝶王の上に留まった。彼女はぼんやりと呟いた。
「シルーク……?」
「シルークはもういない」
「そう、そうよね……知ってた……わかってた、わ……」
蝶王の言葉に、フィラ・フィアは頷いた。
やがて、彼女は言う。
「ごめんなさい……起こして」
ロアが頷き、横たわったままの彼女の脇に手を入れ首を支え、その身体を起こしてやる。ありがとうと彼女は言った。錫杖の場所を探す様に目が動くと、ずっと錫杖を預かっていたイルキスがそれを彼女の手に握らせる。フィラ・フィアは頷き、錫杖を持ったままうーんと大きく伸びをした。錫杖についた鈴がしゃん、と鳴り、彼女の意識を正常にさせる。
そして、彼女は錫杖を支えに自分の力で立ち上がる。焦点のしっかり結ばれた瞳で、しっかりとした声で、言う。
「ただいま」
その声を、その言葉を。どれほど聞きたかっただろうか。
「皆には迷惑掛けたわね……。夢うつつの世界の中でも、そちらのことはぼんやりとわかっていたの。わたしは弱かったわ、ええ、本当に弱かった。でももう違うの、今度こそわたしは負けないわ!」
眠りから醒めて、悪夢から醒めて。希望の姫はより強くなる。
しゃん。強く打ちつけられた錫杖から、彼女の決意の音が鳴る。
「待たせたわね、みんな。わたしはもう大丈夫、大丈夫、だから……!」
彼女はぐるり、自分の信頼する仲間たちを見渡した。
「さぁ、行くわよ、もう一度! 最悪の記憶の遊戯者の神殿へ。今度こそ絶対に、負けないんだからっ!」
その時、英雄の墓場の石碑ひとつひとつに、不思議な輝きが宿った。その輝きの向こうに、ぼんやりとした人影が見える。フィラ・フィアはそれらを見、あっと驚いたような声を漏らした。
フィレルだって、イグニシィン城に飾られている絵で見たことのあるそれは、封神の七雄の亡霊のようにも見えた。かつて彼女と共に旅をして、そして散っていった英雄たちの。
「ユーリオ……ユレイオ……ヴィンセント……レ・ラウィ……エルステッド……シルーク……!」
ひとりひとりの名を呟き、彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「何……何よ。わたしが心配で現れてきちゃったってわけ? 心配性ねぇみんな……」
彼女はごしごしと目をこすった。
「でももう大丈夫だから。みんなは安心して眠ってなさいよ……わたしはもう、立ちあがれるんだから……」
言って、彼女は亡霊たちに背を向けた。フィレルの視界の端、イルキスがフィレルにしかわからないようにウィンクしたのが見えた。あれはイルキスがフィラ・フィアを元気づけるために作りだした幻影らしい。彼女には内緒でね、とイルキスが口の形だけで言った。
行くわよ、とフィラ・フィアが言い、そのままずんずん進みだす。イルキスは幻影を消したけれど。
何故だろう、それでも気配らしきものが、残っているのは。
もしかしたら、遠い昔に死んだ英雄たちの霊が、今も尚この地に、英雄の墓場に、留まっていたのではないだろうか。そうフィレルは考え、不思議な気持ちになった。そうやって佇んでいるフィレルに、置いていくわよとフィラ・フィアの声。ずっと持っていたエルステッドの手記を元あった場所に戻し、待ってよぅとフィレルは慌てて追いかける。
希望の子、再び立つ。
封神の旅は、終わらない。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.64 )
- 日時: 2019/10/31 14:39
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
フィラ・フィアの心を取り戻し、再び最悪の記憶の遊戯者の神殿へ向かう。トレアーの港町へ戻り、イルキスの案内に従って、地下牢獄の先の先へと。イルキスしかわからない、迷路のような道を進む。しかしそこを歩く一行の顔は初めてそこを歩いていった時よりも、ずっとずっと晴れやかだった。特にフィラ・フィアは、憑きものが落ちたような顔をしていた。
そして扉の前に立つ。前回はこの扉を開けた時、フラックの不意打ちを食らいフィレルの最悪の記憶が呼び起こされたのだ。覚悟して扉を開けなければ、前回と同じ轍《てつ》を踏む。
「でも、大丈夫だから。今度も僕が先に行くよ!」
言って、フィレルがドアノブに手を掛け、開けた瞬間。
——鴉の鳴き声が、した。
そして予想していた悪夢の波動は、誰にも届くことがなかった。
軋んだような声、悔しそうな声が響き渡る。
「闇神ヴァイルハイネン! また人間に味方しおったか!」
「それが俺の性だからな」
不敵に笑い、鴉は人間の姿になる。
闇よりも黒い髪、血のように赤い瞳、褐色の肌。赤いマフラーをし、濃い灰色を基調とした地の上に赤い模様が交差する意匠の服を身に纏い、漆黒のマントを上に羽織る。
人間ではないと一瞬でわかる、圧倒的な存在感。
「闇神ヴァイルハイネン、今ここに復活す。時間はあった、その間に傷を癒すことはできた。そしてフラックの精神攻撃は俺には効かぬ」
行けよ、と彼は背後にいる仲間たちを見た。
「この下衆野郎の精神攻撃は全て俺が食い止めよう……。物理攻撃はそこの剣士が防げるな? ならば封神の姫はそのまま奴を封じろ。大丈夫だ、この俺が人間の味方をしている限り、人間側に敗北はあり得ない」
「貴……様ァッ!」
じゃらん、じゃらん、と鎖を鳴らし、骸骨が怒りをあらわにする。かつてその鎖の音は、人間にトラウマを思い出させる狂気の音だった。しかし今、その音を聞いても。心の内にトラウマは蘇らない。
フラックの前に立ちふさがる闇神の背が、とても大きく見えた。
行けよ、と彼は不敵な笑みを浮かべ、背後を振り返る。
「俺だってまだ完調じゃないんだ、いつまで持つかわからんぞ?」
「はい、行きます!」
頷き、フィラ・フィアはステップを踏む。舞の魔法が発動し、足元には輝く魔法陣、彼女の周囲には虹色の鎖が生まれ、少しずつ実体を得ていく。それを防がんとフラックの鎖が暴力となって飛ぶ。ロアの剣が鎖に巻かれ、持っていかれそうになるが。
「僕のこと忘れてなぁい? 燃えちゃえ!」
フィレルの描いた炎が実体化し、それどころではない状況を作りだす。フラックは炎を避けるために、鎖による拘束をやめざるを得なかった。ありがとなとロアが礼を言うと、当然でしょとフィレルは笑う。
その片隅で蝶王が、小さく呪文を唱えていた。魔性の声ではなく、通常の声で。その隣でイルキスが幻影を紡ぎだし、ふたり顔を見合せにやりと笑う。
次の瞬間。
「さぁ、行け!」
イルキスの掛け声と共に現れた、雲霞《うんか》の如き蝶の群れ。蝶王の蝶は猛毒だ、下手に触れれば骨さえ腐る。フラックの焦ったような声。フラックは鎖で撃ち落とそうとするが、何分数が多すぎて、対処しきれるはずもなく。
そして蝶が触れた場所の骨が、毒々しい赤紫色に染まった。フラックは痛みに悲鳴を上げる。
「ぐぅ……ッ! 蝶王……めェ!」
そうやってひるんだ隙に、虹色の鎖は完成する。しゃんしゃんしゃんと、錫杖の清浄な音が空気を凛としたものに変えていく。
思いを込めて、願いを込めて、フィラ・フィアはその言葉を口にする。
「封じられよ! 最悪の記憶の遊戯者、フラック……ッ!」
虹色の鎖が回転し、骸骨の身体に巻きついた。フラックは抵抗するような仕草を見せたがそれも意味なく。
強い光が満ち溢れ——気が付いたら、そこにはもう、骨の骸骨の姿はなかった。
深い闇を湛えた黒曜石が、ただその場に在るだけで。
「——最悪の記憶の遊戯者フラック、封印完了」
勝利宣言のようにフィラ・フィアは言った。
「長かったわ……。でも、ようやく勝てた。みんなのお陰よ? ありがとう」
じゃあ、俺は帰るぜと闇神は言った。
「人間への過剰干渉は神々に罰せられかねない。俺が手伝ってやれるのはここまでだ。残る神々は、お前たちで何とかできるだろう。俺は信じる、人間の可能性を」
時に、ロア——と、彼はつとその目を細め、ロアを見た。
「忠告しておこう。霧の神セインリエスには関わるな。何度もお前たちの旅を邪魔してきた、自殺志願のあの神様だ。関わると碌なことにならない。幸せな生活を維持したいなら、あいつの言葉に耳を貸すな」
あいつは嘘を言わないけれど、と彼は言う。
「だが、残酷な真実というのもあるものなんだ。ロア、いくら気になっても、お前は自分の過去を知ろうとしちゃいけないぜ。真実を知ったら最後、お前は二度と戻れなくなる」
不吉な言葉を残し、じゃあなと彼は赤眼の鴉に姿を変えて、飛び去った。その姿が途中でかき消すようにいなくなる。
最悪の記憶の遊戯者には勝ったけれど、消えないもやもやが残る結果となった。
ロアの過去とは一体どんなものなのだろう? 闇神は全て知っているようだけれど……。
フィレルはそっとロアを見た。ロアは複雑な表情で黙り込んでいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.65 )
- 日時: 2020/06/25 00:00
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
◇
「残る神々は、戦呼ぶ争乱の鷲ゼウデラでしょ、生死の境を暴く闇アークロアでしょ、運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ、無邪気なる天空の破壊神シェルファークでしょ……っと。あと四体! あと少しで封神の旅は終わるわ!」
トレアーの町にて。次の目標を確認するために、フィラ・フィアは数を数えていた。
長かった封神の旅も折り返し地点を過ぎた。あと少しなのだ、あと少しでこの旅も終わるのだ。
そう思うと不思議な気がした。フィレルの過ちから始まった長い旅が、もうすぐ終わる。
終わったら、みんなでまた笑い合えるだろうか? 結末はまだわからないけれど……。
地図と睨めっこしていたフィラ・フィアは、うん、決まったと声を上げた。
「次に目指すのはここ、オルヴァーンの町よ。そこに運命を弄ぶ者フォルトゥーンが、いるの」
彼女は地図の一点を指し示した。そこはトレアーよりも東にある、海沿いの町だった。
「フォルトゥーンは神殿にやってきた人に『ゲーム』と称した拒否権なしの遊びを仕掛け、『ゲーム』に勝った人の願いは何でも叶え、負けた人の一族を本人もろとも『ペナルティ』と称して皆殺しにしてきた。。かつて彼は神殿の来訪者にだけ『ゲーム』を仕掛けていたけれど、それだけでは飽き足らず、いつの間にか、まったく関係のない他者にも同じことをするようになった。そして彼のお陰で世界の均衡は乱れに乱れ、智神兼秩序の女神であるアルアーネが奔走したけれど放埒は止まず、双子の姉である運命神ファーテの言葉も聞かず、と」
危険な神様よ、とフィラ・フィアは言う。
「正攻法は通じない。『ゲーム』に勝ちさえすればいいけれど、負けたら問答無用で全てが終わる。一族諸共ってことは、フィレル、負けたらあなたの大好きな兄さんも殺されるわ。相手の盤面の上で、確実に勝利をつかまなければならない……。そもそも何が来るのか予想すらできないけれど、覚悟を決めてやるしかないわね」
◇
トレアーの港町に別れを告げ、次の町へ、オルヴァーンへ。
舗装された灰色の道を歩く道すがら、彼らの前を不意に白い影が遮った。
「やあやあ久し振り……。ヴァイルハイネンが余計なこと言ってくれたみたいだけれど、私は気にしない。また気紛れに現れるだけさ」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、どこか儚げな印象を与える男。
フィレルはその名を呟いた。
「霧の神様……セインリエス!」
これまで散々、ロアの過去を強引に暴き、ロアの心をかき乱した存在。出会った当初はフィレルは相手を「敵か味方かわからない」と思っていたが、今は違う。彼のせいでフィレルの大切な親友が、幼馴染が傷つけられたのだから、セインリエスは敵である。
きっと鋭い視線で自分を睨むフィレルに、嫌われたものだねぇとセインリエスは眉を上げる。
「私はこれからしばらく現れる予定はない。そうだね……次に現れるとするならば、私を殺してもらう時かな? だから挨拶しに来たんだ。そして、ひとつ、お土産を」
言ってセインリエスは蜜色の瞳でロアを見た。途端、ロアががくりと膝をつく。まただ、また何か、セインリエスはロアに対してやったのだ。覗きこんだロアの瞳の奥には、これまで見たことのなかったような、深い深い虚無が宿っていた。
「お前ッ! ロアに何をしたんだよッ!」
叫ぶフィレルに、返してやったのさと飄々とセインリエスは言う。
「残る二つのパーツの一つ、底知れぬ喪失感を。最後のパーツは最後に返そう。そうでないと面白くないからね」
底知れぬ喪失感。そう言えばロアには、ノアという大切な人がいたらしい。その人を無残な方法で殺されたらしい。そしてノアを殺したのは神々らしい、だからロアは神々を憎んでいる、とまではフィレルも何となく予想出来ている。今、セインリエスが返したのは、その時ロアが抱いていた感情だ。大切な人をこれ以上ないほど無残な方法で殺された時の——。
ちらり、振り返ったロアは震えていた。いつも強かったはずのロアが、いつも最前線でフィレルを皆を守っていてくれたはずのロアが、こんなにも弱々しく。それくらいひどい出来事だったのだ。そんなことが、誰も知らない過去にあったのだ。
大丈夫だよとフィレルは囁き、弱い力で精いっぱい幼馴染を抱き締めた。ロアの冷えた体温が伝わってくる。ロアの顔は蒼白だった。
大丈夫だよとフィレルは繰り返した。
「過去になんか囚われないで。僕がいるよ、兄さんがいるよ、フィラ・フィアがいるよ、イルキスがいるよ」
『そして我もだ』
「魔性の声」で蝶王が言った。彼の声は魔法となってロアの耳に届く。
『旅人を惑わす霧に目を向けるな、霧の彼方から聞こえる誰とも知らぬ声に耳を傾けるな。霧の向こうにそなたの大切な人はいない。霧に目を向けるのをやめ、今自分の近くにいる仲間たちを意識しろ。そなたは霧の世界の住人ではない。現実に戻って来い——ロア』
蝶王の声に、言葉に、ロアの震えは止まる。でも瞳の奥に宿る恐怖は消えなくて。そんな幼馴染を失いたくなくて、フィレルは強く強く、しがみ付くようにロアを抱き締めた。
感心はせぬな霧の主、と蝶王が厳しい声を投げる。
「最悪の記憶の遊戯者フラックでもあるまいし、他者の封じられた記憶を暴くことに何の意味がある? 自殺志願ならば兄神にでも殺してもらったらどうだ。風の神ガンダリーゼなら、兄弟を害したお前を許しておくま……」
「——ふざけるなただの虫風情がッ! お前に何がわかるッ!」
蝶王の言葉の何かに激怒し、セインリエスは水滴を集めた刃をその場で作りだし、蝶王に向けて振るった。だが、させないとばかりに何かが防ぐ。金属音、そしてきらめく剣の金属質な輝き。
「……お前なんかに、傷つけさせやしない」
一切の感情を感じさせない極低音の声で、ロアが言葉を発した。彼が咄嗟に剣を抜き、蝶王を守ったのだ。
心配掛けて悪かったなと、同じ声で彼はフィレルに言う。
「今まではわからなかった。過去を知りたい気持ちと知ってはならないという理性がオレの中でせめぎ合っていた。オレの中ではこの霧の神が敵か味方かいまだ判別がつかなかったが——仲間を傷つけようとしたのならば話は簡単、お前は敵だ」
言って、その刃をセインリエスに向ける。
いつもの態度を取り戻したセインリエスが、薄ら笑いを浮かべる。
「そうか、君はそうだったね。下手に記憶を返すより、そうした方が怒るんだ。ようやくわかったよ」
「……さっさと失せろ、そして二度と現れるな」
「生憎と、最後の言葉には従えないねぇ」
笑い声を残しながら、セインリエスの身体は霧となって空気に溶けていった。
それを見届け、ロアは剣を仕舞ってふうっと大きく息をつく。大丈夫、と駆け寄ったフィレルに、不器用な笑みを返してみせる。
「ああ、大丈夫さ。余計な記憶なんかに、負けてたまるか。オレはロアだ、イグニシィンのロアなんだよ。それ以外の記憶なんて要らない。過去がどうだろうが知ったことか」
助けてくれてありがとな、とフィレルと蝶王に礼を言い、彼は呆然と立ちすくむフィラ・フィアを見た。
「で? 行くんだろ、オルヴァーンへ」
ええ、と頷き、フィラ・フィアは歩き出す。
微妙な空気の中、旅は進む。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.66 )
- 日時: 2020/06/27 12:50
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
オルヴァーンの町へたどり着く。運命の遊戯者フォルトゥーンは町の人にはそれなりに崇められているようで、立派な神殿があるらしい。
フォルトゥーンについて人に聞くと、あまり悪くはない評判が流れる。
「フォルトゥーンの『ゲーム』に勝ったら病気の娘を治してくれた」
「フォルトゥーンに祈ったら、人生を賭けた大一番で最高の勝利を収めた」
そんな話ばっかりで。フォルトゥーンによって人生を狂わされた人はいないのだろうか、とフィレルは思い、そっかと考える。
今、町にいるのはフォルトゥーンの『ゲーム』に勝った人だけだ。負けた人間は一族郎党殺される。フォルトゥーンによって願いを叶えられた人は嫌な思いを味わわない。そうやって彼は恨まれることなく、しかし確実に着実に人々の運命を狂わせて来たのだ。
「フォルトゥーン様の神殿に行きたい? ならば町を出て東に少し進むと神殿があるよ。みんなフォルトゥーン様に感謝しちゃって。立派な立派な神殿になっているからすぐにわかるよ」
町の人はそう言った。
その案内に従い、町を出て東に進むと、遠目からでもわかる豪華な神殿。
打ち捨てられた神殿や地下牢獄のような神殿、慎ましやかに整備はされている神殿などをこれまで見てきたが、こうまで絢爛豪華な神殿はこれまで見たことがない。
神殿の柱は大理石。あちらこちらに本物の金で作られたような装飾が見られ天井は高く、ステンドグラスもあるし柱には精緻な装飾が施されている。
「みんなは知らないのね……この神の悪意に。荒ぶる神々認定を受けたのに、それもとうの昔のことだから皆忘れてしまったのかしら?」
ぽつり、フィラ・フィアが呟いた。
そして無言で奥へ進む。やがて一気に開けた場所。
高い高い天井には、精巧で美しいステンドグラス。正面にある祭壇には、金銀宝石、美しい装飾品や調度品。その奥にある黄金の玉座に、一人の少年が座っていた。身に纏う衣装も実に豪華で、どこか気だるげに玉座のひじ掛けに肘をつき、足を組んでいる。美しい輝きを放つ黄金の髪、海の宝石の如き瞳、端正なかんばせに口元には悪戯っぽい笑みを浮かべた美少年。その頭には王冠を被る。
王と言えばいつぞやの死者皇ライヴを思い出すが、ライヴは夜の王のような暗い印象の王様だった。対する相手はどこまでも明るい輝きに包まれて、ライヴとは正反対の位置にいる王様のようにも見えた。
玉座に座る人物は来訪者を見、姿勢を変えずに声だけを投げた。
「やあやあようこそ、よく来たね? 僕こそ運命神フォルトゥーン。君たちは僕を封じに来たんだろう?
あっはっは、僕も遊びが過ぎたからねぇ、そろそろ年貢の納め時かなぁ?」
くっくっくと彼は笑い、すっと立ち上がる。
次の瞬間、彼の姿が消えた。え、と驚いた刹那、彼はイルキスの目と鼻の先に立ち、悪戯っぽく笑った。
「ふふっ、君のことはよく知ってるよ、姉上に愛されし幻影使いさん。ねえねえ君に提案があるんだけどさ?」
その口元に、蠱惑的な笑みが浮かぶ。
「——皆を、裏切らない?」
「……お断りするよ」
いきなり出された裏切りの提案を、イルキスはばっさり切り捨てる。
「裏切りによってぼくが得られる利益がわからない。いきなり何だい? ぼくに運命の女神がついているからって、あっさりと裏切らせられるなんて甘いよ。運命の女神ならばともかく、ぼくはきみに対して好意的な感情などないのだから」
そうだろうねぇと彼は笑う。なら、これならどうだろうと彼は言う。
その青の瞳が、見た者を惹きつけずにはいられない悪魔の輝きを帯びた。
「——なら、僕が君の恋人を蘇らせる条件として、君の裏切りをつけたら?」
「……ッ」
イルキスの顔が、大きなダメージでも負ったかのように歪む。
そう言えばいつしかイルキスは言ってなかったか。力の代償による『不幸』で、初恋の人を失ったのだと。そして彼は海に生きる人間だったが、同時に海を恐れてもいた。海難事故でその人を失ったのかも知れない。そしてそのことがずっと、彼の中で心の傷になっているとするなら。
フィレルはイルキスを見た。揺れるイルキスの瞳。彼の中で様々な感情がせめぎ合っていた。ずっと昔、救えなかった命と。そして今の大切な仲間と。
やがて、彼は頷いた。ごめん、謝るようにフィレルに頭を下げて。まさか、とフィレルは思い、イルキスに縋るような眼を向けた。イルキスは重い口を開く。
「フォルトゥーン、ぼくは……」
「嘘を言うんじゃない」
と、その言葉を割る声がした。声を発したのはロアだった。しかしどこかがおかしい、何かがおかしい。そこにいたのは確かにロアだったが、同時にロアではない何者かがロアの身体を借りて喋っているようにも見えた。
フォルトゥーンはへぇと面白がるような笑みを向けた。
「僕が嘘つきだって? なら証拠を見せてみなよ」
「ああ」
ロアは答え、淡々と言葉を紡ぎだす。
「死者蘇生なんていくら神様であろうと不可能だ。お前が黄昏の主であるならば話は別だが、運命神といえどそのような権能は存在しない。この俺ですらできなかったんだ、この人間を超越した存在となった俺です、ら……」
言って、え、と彼は自分の口を押さえる。
彼は驚きの目でフィレルを見た。
「なぁ……今、オレは、何を?」
フィレルは確かに聞いていた。『この人間を超越した存在となった俺ですら』という言葉を。
ロアは頭を抱える。
「違う……違う! オレはロア、イグニシィンのロアだ! ならば何だ、さっきの発言は! この記憶は誰のものだッ!」
そんなロアを、フォルトゥーンはじっと見つめる。
「へェ、もしかして君は——」
「言わないで!」
言葉を遮ったのはフィラ・フィアだった。彼女は蒼白な顔をしてロアを見ていた。
「言わないでフォルトゥーン。言ったら全てが崩れる、壊れるわ。ああ、なんてこと! そうなのね、真実はそうなのね! ああ、ああ!」
彼女は大層錯乱した様子だった。今の言葉で、ロアの正体に気がついたのだろうか? フィレルは訝しがるが、怖くてその正体を聞く気にはなれなかった。
くっくっくとフォルトゥーンは笑う。
「いいねいいねぇ、面白いねぇ! この場にはすごい奴がいるぞ。ああ、僕は嘘つきだ、認めよう。そして先程の発言も取り消そう。僕には死者蘇生の権能なんてないのさ。僕が出来るのは生きている人間の運命を操ることだけなのさ。嘘をついて裏切らせようとしたけれど、まさか思いの寄らぬところから思いの寄らぬ言葉が出るなんてね!」
でもあっさり封じられるわけにはいかないから、と彼は言う。
「僕とゲームをしよう。君たちが勝ったら僕を封じていいよ。でも負けたら皆殺しだ。そうでないとつまらないよね? 命を賭けたゲームこそ、僕の求める至高のゲームさッ!」
話を聞きながら、フィレルはちらりとイルキスを見た。彼は苦笑いし、「ぼくとしたことが、愚かだった」とフィレルに謝った。
「……そうだ、よ。あの子が蘇るわけがないのに。とうの昔に魂は冥界に行って、もうどこかで生まれ変わってるかも知れないのに。過去の後悔を取り戻せると、言葉に踊らされ一抹の希望に縋って……」
そんな彼らの会話を尻目に、話は進んでいく。
ルール説明をしようとフォルトゥーンが言った。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.67 )
- 日時: 2020/06/28 12:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
「僕がこれから問題を三問出す。それら全てに正解したら君たちは僕に問題を出すチャンスを与えられる。君たちが僕の出した問題を間違えたり答えられなかったりした場合は君たちの敗北、ルールにのっとって一族郎党皆殺しだ。けれど君たちの出した問題に僕が答えられなかったり間違ったりした場合——」
彼はふっと目を細めた。それは何かを強く望んでいるがどうせ無理だろうととでも言うかのような、諦めのこもった目。
「君たちは僕を封じることができる。僕はルールに忠実だから、敗北した場合素直に封じられよう。これでどうかな? ああ、当然ながら拒否権はない。回答者は誰でもいいけれど一度答えたら回答がわかっても他の問題には答えられないし、相談するのも禁止だよ。制限時間は各問三分。それは僕も同じだけれどね」
要は、問題全てに正答して、相手が答えられないような問題を作ればいいのだ。
それしかこの神を封じる手段がないのならば、やるしかない。フィレルらは頷いた。
では始めようか、と笑った神の顔に、愉悦が浮かぶ。
「第一問。それは天に浮かぶ星の中にあり、それはあなたの心に宿る。それは時に草を木を森を包み込み大災害をもたらすけれど、同時に人間を助けることもできる。さあ、答えてもらおうか。それとは一体何なのだろう?」
フィレルはうーんと考える。大災害、というところから自然に関わるものかなと思ったが、大災害を引き起こせる魔法も確かに存在する。星の中にあり心に宿り大災害を引き起こし人間を助ける。一体何なのだろうとフィレルは頭を抱えたが、
「わかったわ」
凛とした声が空間を割る。
堂々と胸を張り、フィラ・フィアは答えた。
「正解は……炎ね。星……たとえば太陽は燃えているし、人の心の中にも炎は宿る。山火事などが起これば大災害になり得るし、炎は古来より人間だけが扱えるもの。炎ならば辻褄が合うわ。……どう?」
「お見事。正解だよ封神の娘」
フォルトゥーンは口元に笑みを浮かべる。
「君には簡単過ぎたかな? まぁ良いよ。
では第二問。歌みたいになっているからしっかり聞いてね」
言って、彼は淡々と問題文を口にする。
「農耕の女神が木を植えた
魔除けのナナカマドの木を植えた
アレヴの街道に沿って木を植えた
二十五メルごとに木を植えた
木を植えた後に彼女は帰り、魔除けの街道は出来上がる
彼女の植えた木の数何本」
数学の問題らしい、とフィレルは気がついた。イグニシィン城で少しは勉強してきたために数学の問題が解けないわけではないフィレルだったが、どうやらこの問題、問題文に出てくる「アレヴの街道」の長さを知らないと解けないようになっているようだ。フォルトゥーンは三回読みあげてくれたが、何度聞いても街道の長さは出てこない。街道の長ささえわかれば簡単な問題なのにな、と難しい顔をしていると、蝶王と視線が合った。蝶王は任せろとでも言うように大きく頷き、フォルトゥーンの方を向く。「わかったぞ」と蝶王はフォルトゥーンに声を投げた。
「アレヴの街道の長さは七百メルだ。この問題は七百を木の数であるニ十五で割り、それに一を足すことで解ける植木算だ。七百を二十五で割れば答えは二十八、これに一を足して二十九が答え……と、言いたいところだが」
蝶王の顔に苦い笑みが浮かぶ。
「そなた、最初から騙すつもりでこの問題を出したのであろう。我は二十九ではなく、三十と答える。それがそなたの言う正解であろう? アレヴの街道を指定されたからな……引っかけ問題だと思うたわ」
「……正解。ああ、答えは三十さ」
「どういうこと!?」
わからず目を白黒させるフィレルに、「ナナカマドの期の一本にはヤドリギが生えていたんだよ」とフォルトゥーンは解説する。
「魔除けのナナカマドの木。けれどナナカマドはヤドリギが宿り得る木。アレヴの街道は美しい対称を描いているけれど、一つだけ対称じゃないところがあってね。そこが……」
「……ヤドリギの生えたナナカマドってわけ?」
むぅ、とフィレルは頬を膨らませた。
「ずるーい! 普通に何も知らないで解いてたら確実に間違ってた問題じゃん! そんなのフェアじゃないってばぁ!」
まあまあとフォルトゥーンは笑う。
「解けて、結果生き残れたんだからいいじゃないか。伝説の蝶王様に感謝だね?
さてさてこちらの出す最後の問題、第三問! 難易度の高い論理パズルだ! 三分以内にわからなかったら君たちの挑戦は終了、ここで朽ち果てる羽目になる!」
さぁ行くよ、と微笑みを浮かべ、運命神は問題を読み上げる。
「その神殿には神がいた 三体の偉大なる神がいた
真の神と偽りの神、そして気紛れなる風の神
真の神は真実しか語らず、偽りの神は嘘しかつかぬ。
風の神の答えは変幻自在、気紛れに嘘も真も答える
彼らは皆同じ顔、同じ声
彼ら、互いの正体こそわかれども、外部が判別すること難し
あなたの前に立ちはだかる神
神々は言う、「我らの正体を見破れ」と
あなたは三度質問できる
されどそれは「はい」か「いいえ」で答えられるもののみ
神の返答は「ルー」か「ロー」
どちらが「はい」か「いいえ」かは判らぬ
そんな彼らの正体を知るには、どのような質問をすべきであろうか?」
問題を聞いて早々に、フィレルは匙を投げてしまった。
キャンバスの端っこに大慌てでざっとした問題文を書いてみるけれど、まるで見当がつかなかった。ちらり、周辺の仲間を見てみるけれど、皆難しい顔で考え込んでいる。ただ一人イルキスだけが、目に強い光を宿らせて、ひたすら思考を巡らせているようだ。
制限時間はたったの三分。そんなので解ける問題ではない、そう、思っていたのに。
「残り時間は十秒だよ」
「わかった」
フォルトゥーンの声と同時、イルキスがきっと相手を見据える。
「いやぁ、難しい問題だったけれど……ぼくみたいな嘘つきに、嘘つき問題が解けないわけがないのさ」
言って、回答を口にする。
「そこに一、二、三の三人の神様がいるってことにして、最初に一の神様にこう尋ねる。『二は風の神ですかと聞いたら、あなたはルーと答えますか』と。答えが『ルー』なら三が、『ロー』なら二が風の神ではない神様さ」
二回目の質問は、と彼は続ける。
「一回目の質問に対する答えを受けつつ、風の神ではない神様にこう尋ねる。『もし、あなたは偽りの神ですか、と聞かれたらあなたはルーと答えますか』と。答えが『ルー』ならその神様は偽りの神、『ロー』なら真実の神さ」
たった三分で、イルキスは難しい問題の答えへと到達した。
フィレルは彼の口から発される答えを、驚いた顔で聞いていた。
イルキスは続ける。
「最後の質問。二回目の質問をしたのと同じ神様に対し、『もし、一は風の神ですか、と聞かれたらあなたはルーと答えますか』と質問する。答えが『ルー』なら一は風の神、『ロー』なら残った一人が風の神。これで全員の正体が明らかになる。……さて運命神フォルトゥーン。ぼくの答えに間違ったところは?」
「……ない。見事だね。流石姉上に愛されるだけのことはある。姉上は馬鹿を愛さない。そんなに優れた頭を持つならばそうなるのもむべなるかな、ってね」
ぱちぱちぱち、とフォルトゥーンは拍手をした。その顔には面白がるような笑み。
「過去に何度もこの問題は出してきたけれどさ、正解したのはほんの一握りしかいないんだよ。いいねいいね、面白い! じゃあさ、今度はそっち側が問題を出してみてよ! 僕が答えられないようなとびきり難しい奴を!」
その時、フィレルの脳裏に電撃のようにして何かが閃いた。
フィレルは知っていた、この神様の物語を。冬のある日、兄が読んでくれた童話集。その中にあった悲しい物語を——。
「質問はどんなものでもいいんだよねぇ?」
問うと、ああ、とフォルトゥーンは頷いた。ならば、とフィレルは手を挙げる。
「今度は僕が質問するよっ! ねぇねぇフォルトゥーン様。神様でも人間でもいいからさ、何でもいいからさ、あなたの好きな存在を一人挙げてみてよ。恋じゃなくって、友情とかそういった『好き』でもいいよ。簡単でしょ?」
フィレルの質問を聞いて、皆顔を青くした。ロアは思わずといった風にフィレルの胸倉を掴みあげる。
「おいこの馬鹿! そんな簡単な質問投げて……。全滅したいのか!?」
えへへとフィレルは笑う。
「まぁ見ていて。絶対に、答えられない質問だから。僕、知っているんだもん」
ちらり、フォルトゥーンを見れば彼はその場で凍りついたように固まっていた。
その顔に悲しげな笑みが浮かぶ、その顔に何かを諦めたような笑みが浮かぶ。
「……制限時間を待つまでもない。答えられない質問だよ絵心師の少年。よく知っていたね。身構えていたけれど……まさか、そんな質問が来るなんて」
どういうこと、とフィラ・フィアが問うと、僕は秤だからとフォルトゥーンは答える。
「僕は運命の秤として生を受けた神だ。秤は絶対に平等でなくてはならない。そんな都合で、僕は秤を狂わせるような感情を、最初から付与されていない。それは憤怒と憎悪と——愛、さ」
愛、とフィラ・フィアが呟くと、愛だよとフォルトゥーンは頷く。
青の瞳に様々な感情が渦巻いた。
「僕は、さ。そうやって上の神様の都合で感情を制限されたのが悔しかった。だから、さ。運命の神様の権能を使って、何かを変えて均衡を崩し、それで奪われた感情を取り戻そうと思っていたわけ。それが僕の放埒の動機。……まぁ、元からゲームが好きだったのもあるけどさ。結局、何をやっても感情は戻って来はしなかった」
どこで知ったの、とフォルトゥーンはフィレルに問う。フィレルは昔兄さんが読み聞かせてくれた一冊の童話集からだよ、と答えた。
「イルキスとは違う人で、運命の女神に愛された人がいたの。その人の話なんだけど、途中であなたの話も出てきたんだ。その時僕はまだちっちゃかったけれど、よぅく覚えてるんだよ」
成程、とフォルトゥーンは頷いた。
そしてフィラ・フィアに向き直る。
「さて……僕の敗北だ封神の姫。宣言通り、僕は無抵抗だ、封じるといいよ。君が僕の地獄を終わらせてくれ。僕は、さ……得られないものを求め続けるのはもう嫌なんだよ。君が封じてくれればきっと、僕はこの際限のない虚無感から解放されるんだ……」
わかったわ、とフィラ・フィアは頷いた。
「じゃあ……悲しみの運命神フォルトゥーン。わたしがあなたに休息をあげる。安らかに……眠りなさい」
言って、彼女は舞を舞い始める。しゃん、しゃん、と澄み渡った錫杖の音、彼女のサンダルが意思の地面を打つ音。そう言えば封神の舞を彼女が舞う時はいつも戦闘中だった、だからこうしてしっかりと見るのは初めてだなと、居並ぶ者たちは彼女の舞に見入った。舞う彼女の足元、生まれる魔法陣と虹色の鎖。少しずつ実体を得ていく鎖はやがて完全に実体化し、彼女の手の動きに合わせて一直線、フォルトゥーンのもとへと向かった。そして……
「ありがとう……ね……」
最後の最高の笑顔を見せたフォルトゥーン。身体に巻きついた鎖、そして溢れたまばゆい光。
光が消えて視界が開けた時、そこには玉座に座ったフォルトゥーンの形をした、青金石《ラピスラズリ》があった。青の表面に時折星のような輝きを宿すその石は、フォルトゥーンらしいなとフィレルは思った。
さて、とフィラ・フィアは皆を振り返る。
「帰るわよ……オルヴァーンの町へ」
そうして彼らは神殿を発った。
黄金の玉座には、孤独な運命の神を封じた青金石が、悲しげな輝きを帯びていた。
◇
オルヴァーンの町で、残った神々を指折り数える。
「後は無邪気なる天空神シェルファークと、戦呼ぶ争乱の鷲ゼウデラと、生死の境を暴く闇アークロアの三体ね。もう半分以上封じたわ、あと少しよ!」
フィラ・フィアは嬉しそうに笑った。
「ところで、次はシェルファークでいいとして……封じる順番について提案があるの。いいかしら?」
何だろうとフィレルは思う。戦神ゼウデラはかつてフィラ・フィアが負けた相手、最後に回すべきだと考えていた。そこに何か変更でもあるのだろうか。
「本来の予定ならばゼウデラは最後よ。でも違う、わたしはそうしない。最後に封じるのは闇のアークロア。アークロアには神殿がない、彼には祈る人すら存在しない。そんな不確定な神様は最後に回さないと、いつまで経っても旅を終わらすことができないわ」
そして方針は定まったのだった。
シェルファークがいるのはオルヴァーンの北、ウィナフの町だ。話によるとシェルファークは、文明を破壊してはそこから人々が立ちあがる姿を見て愉悦を覚えるのだという。文明破壊の無垢なる鉄槌、という異名もある神様で、その攻撃力は恐るべきものだという。十分に用心する必要があるだろう。
次の目的地のことを考えながら、今日はこの町で休みましょうとのフィラ・フィアの提案を受け宿に泊まる。
この旅ももう少しで終わる。それは嬉しいことだけれど、どこか寂しくもフィレルは思っていた。
◇
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