複雑・ファジー小説

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【完結】魂込めのフィレル
日時: 2020/08/04 11:29
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)

——その少年の描く絵には、奇跡が宿る。
 彼の描いた絵は皆実体化し、生物を描けば動きだす。
 天才的な力、絵心師えしんしを持つ彼の名を、フィレル・イグニシィンと言った——。

 けれど彼はある日、自身の無邪気な性格ゆえに、取り返しのつかない過ちを犯す。
 自業自得から始まった長い旅。その長旅の結末とは——?

  ◇

 まとめ読み用! >>1-76

【目次】
 前日譚 戦神の宴 >>1-5

【第一部 旅立ちのイグニシィン】>>6-48
 一章 イグニシィンの問題児 >>6-11
 二章 悲しみの風は台地に吹く >>12-16
 間章 その名は霧の…… >>17
 三章 収穫者は愉悦に狂う >>18-24
 間章 動乱のイグニシィン >>25-28
 四章 死者皇ライヴの負の王国 >>29-40
 間章 英雄の墓場 >>41-43
 五章 最悪の記憶の遊戯者 >>44-48

【第二部 心の欠片をめぐる旅】 >>49-65
 六章 災厄の島と伝説の…… >>49-58
 七章 希望の花は、もう一度 >>59-65

【第三部 封神の旅のその果てに】 >>66-76
 八章 運命神の遊戯盤 >>66-67
 九章 文明破壊の無垢なる鉄槌 >>68-70
 十章 戦呼ぶ騒乱の鷲 >>71-73

 最終章 握った絵筆に魂を込めて >>74-76

  ◇

 2020/7/24 完結致しました。
 ここまで読んで下さった方、そして応援して下さった全ての方に感謝を。
 フィレルの物語は、この話だけでは終わりません。
 いつか書く続編で、またお会いしましょう……。

Re: 魂込めのフィレル ( No.32 )
日時: 2019/07/26 11:18
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


 ウァルファル魔道学院は、エルクェーテの町の三分の一程度を占める広大な学校だった。町の他の建物も、ほとんどはこの魔道学校の為にあるようなものらしい。この町は魔道学校が主体であり、それ以外の施設はただのおまけにしか過ぎないらしい。
 シュウェンはフィレルらを図書室らしき、本棚が並んでいる部屋に案内した。
 扉をくぐれば、一気に変わる風景。所狭しと並んだ書架に、書架の海の向こうに見える螺旋階段。螺旋階段を上っていくと二階にたどり着くらしく、その二階にも書架の海があるのが垣間見える。
 書架は入口の辺りにあるものは整然と並んでいたが、一階の奥の方は雑然と並んでいるようで、その様はまるで迷路のようである。
「ここが僕らの図書館ね。二階と奥の方の書架の海は通称『本の迷路』で、決められた手順で進まないと確実に迷うし、一番奥にはやばい守り神がいるからそっちには行かない方がいいよ」
 そう、シュウェンは説明してくれた。
 イルキスは興味深そうに書架を眺める。その瞳が好奇心に輝いた。
「あ、もしかしてあれって一部では禁書指定された『アルヴェラリの魔道書』じゃないのかい? って、あれは傀儡使の魔法について書かれた貴重な書物? で、あれは……まさか」
「そう、『アンダ・クィム』だよ。よく知ってるね。読書は好きなのかな?」
 ああ、とイルキスは頷いた。
「僕の住んでいた町では図書館に入れなくなった本ばっかりだよ。本の迷路の奥には一体どんな素晴らしい書物が眠っているのか気になるところだけれど……」
「ああ、気持ちはわかるけれどそれはだめ。実はフレイリアさんが大怪我した理由って、本の迷路と密接な関係があるわけだし。……本当に、ね。あの守り神はやばいんだよ。天才であるフレイリアさんさえ、助けが来なかったら死んでたんだから……っと、喋り過ぎたかな。詳しいことは僕の口からは語れないけれど、図書館の奥には行っちゃ駄目だよ。生半可な気持ちで行ったら大怪我するから」
「……わかった」
 心なしか、イルキスは少し残念そうな表情である。
 シュウェンはにっこりと微笑んだ。
「読書好きなら、後で僕とお話しない? 僕ね、ここにあるものの中で、本の迷路以外の本はほとんど全て読み尽したんだ。一緒にお話ししたらきっときっと楽しいと思う」
「喜んで」
 イルキスも穏やかな微笑みを見せた。
 さて、とシュウェンは一同を振り返る。
「図書館の案内はいったんここまで。後は……えーと、僕たちの食堂に行こう。そろそろフレイリアさんも着いている頃合いだと思うし、丁度良いんじゃないかなぁ」
 行くよ、と彼は歩き出す。
 イルキスはしばらく書架を名残惜しそうに見ていたが、やがてゆっくりと一番後をついていった。

  ◇

 食堂にたどり着くと、そこには既に何人かの生徒たちがいた。
 フィレルは、フレイリアはどこかと辺りを見回したが、まだ着いていないらしく姿が見当たらない。
 先に食堂にいた何人かの生徒たちはフィレルたちを見て、様々にざわめきあっていた。先程の戦いを、町の外壁から見ていた者もいるのだろう。
 その中のある生徒が、シュウェンに声を掛けてきた。
「よーぅ、シュウ。何だ、お客様の案内か?」
 つんつん突っ立った赤い髪、挑発的な赤い瞳。学校の制服を着崩した、どこかおちゃらけた雰囲気の漂う少年は、シュウェンにその赤い瞳を向けた。
 うん、とシュウェンは頷いた。
「そうだよ。フレイリアさんから頼まれたんだ。この人たちの詳しい紹介はフレイリアさんが到着した後になると思うけれど……。そうだ」
 シュウェンは赤髪の少年を突っついた。
「せっかくだからさ、君。お客様に自己紹介くらいしたら?」
「ん、そうだな」
 赤髪の少年は頷き、自分の胸に手を当てた。
「オレ様は! ウァルファル魔道学院所属、規律を守らない風紀委員ことエルクェーテに吹く赤き風!
 イシディア・アルゥテスとはオレ様のことだ!」
「ディア、規律を守らない風紀委員とか自慢にならないからね!? いつも困ってるのは僕らだからね!?」
 シュウェンの呆れたような突っ込みなんてどこ吹く風。
 イシディアと名乗った少年は、ちょうど近くにいたフィレルに手を差し出して、フィレルの手を握って豪快にぶんぶん振った。
「そんなわけで、よろしくだぜお客人!
 ……って、お前、っそいのな。ちゃんとメシ食ってるか?」
「わぁ、わぁ、ちょっと待って落ち着いてよ!?
 僕は芸術家だしたくさん食べなくても大丈夫なのそれにいつもたくさん食べてるし!?」
 びっくりした様子のフィレルを見、イシディアは豪快に笑った。
 そこへ。
「報告は済ませたわ。シュウェンはいるかしら……って、あら?」
 遅れて到着したフレイリアがその様子を見、何があったのかを悟って笑った。

  ◇

Re: 魂込めのフィレル ( No.33 )
日時: 2019/07/28 11:02
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


「皆さん、紹介するわ。私たちを助け、死者の軍勢を退ける一助となった者たちよ。左から、フィレル、ロア、フィラ・フィア、イルキスね。聞いて驚きなさい。このフィラ・フィアは、伝説のフィラ・フィアなのよ? こっちの絵心師フィレルが誤って禁忌を犯して彼女を呼び出してしまい、呼び出された彼女は昔やり残した使命を果たすために旅をしているんだって」
 到着したフレイリアは皆を集め、静かにさせてから部屋の一番奥でそう、皆に説明した。
「そして明日、彼らはあのライヴを封じに行くの。もちろん、私もついていくわ。そして折角のお客様なのだから、しっかりおもてなししないとねってことで学院に呼んだの。今夜は客人をもてなす晩餐会よ。
 さて……伝えたいことは大体これだけ、かしら。質問などあればお気軽にどうぞ? 質疑応答が終わったら食事になるわ」
 すると、すっと手を挙げる者がいた。あのシュウェンである。
 彼は言う。
「リーダー、僕も同行させて下さい! えっと……僕の癒しの力、役に立てればいいなって……」
 へぇ、とフレイリアは翡翠の右目に面白がるような光を宿らせた。
「言っておくけれど、対峙するのは神様、そう簡単な相手じゃないわ。私だって死ぬ可能性は考慮しているの。その覚悟は——あるわね?」
「ええ、あります!」
「ならよろしい。一緒にいらっしゃい」
 フレイリアが頷くと、シュウェンは心から嬉しそうな顔をした。
 すると「オレ様も」とイシディアが手を挙げた。
「シュウだけじゃ心配で見てられねぇよ! いやー、リーダーがいるのはわかるけど、シュウを一人にゃできねぇわ。そんなわけでオレ様も行く! 異存があるとは言わせねぇぜ?」
「……あんたは私が止めたって強引についていくでしょうね。わかったわ、いらっしゃい」
 他にはもういない? と彼女が問うと、残った一同は頷いた。
 フレイリアはオーケイ、と呟くと、ぱんぱんと手を叩いた。
「では食事にしましょう。客人たちも好きに食べるといいわ」
 こうして晩餐会が始まった。


「あなた、知りたがっていたでしょう。私のこの傷跡について」
 様々な料理を食べながら、フレイリアは静かに言った。
 慌てるフィレルに「気にしなくていいわ」と返す。
「私の過ちでこうなった。それにまぁ、私、話すことそこまで苦痛じゃないもの」
 そして彼女は語り出す。昔に犯した過ちと、ほろ苦い思い出を——。

  ◆

 ある貴族の家、アニルハイト家に一人の少女が生まれた。フレイリアと名付けられた少女は幼い頃から天才的な風の魔法を自在に操ることができ、彼女はその力によって誰からも一目置かれていた。
 そして今や国の体をなしていない大陸国家シエランディア、そこに唯一ある、実力者たちの魔道学校、ウァルファル魔道学院に首席で入学、彼女の才能は溢れんばかりだったが、しかし彼女は傲慢で、他人を見下すように育ってしまった。彼女が誰よりも強いから、誰も彼女を止めることができなかったためだ。
 そしてある日彼女は自分を試すために、禁書を読んで更なる力を得る、なんて建前を使って本の迷路に挑戦、封じられた第一の扉を破り、第二の扉の守護者を倒すところまで行き彼女は有頂天になっていた。しかし第三の扉、最後の扉の守護者はこれまでの守護者とは格が違った。そこにいたのは竜だった。とうの昔に滅びたとされる伝説の一族、竜族《ドラグーン》だったのだ。
 フレイリアは果敢に挑むも竜の鱗に魔法を弾かれ、辛うじて竜の左目を傷つけることに成功しはしたが反撃に遭って左半身を炎に焼かれ、右半身を大きく抉られた。そして彼女が自分の愚かさを知り、死を悟った時、
 「そこをどけ!」彼女を突き飛ばして青い影が立ちはだかったのだ。

「……その人。ユヴィオールは私の次に成績が良かったし実力も私の次にあった人だった。故郷では天才と呼ばれた彼も、ウァルファルでは常に私の次っていう立場、つまりトップにはなれない人で、私に嫌な気持ちを抱いていたって不思議ではなかったの。それなのに」

 彼は自身の全ての魔力を消費し、魔力の限界を超えた力を使ってまでして竜の火焔の息からフレイリアを守った。しかし彼はその直後に倒れて昏睡したが、騒ぎを聞きつけてやってきた先生たちによって二人は救出された。
 フレイリアが目覚めてから一週間くらい後にユヴィオールは目覚めた。彼は限界を超えた力を使った為に全ての魔力を失っていた。先生たちは彼に「ここにいてもいいよ」と言ったが、「魔力を失った魔導士が、魔道学校で何を学ぶというんだ」とその申し出を拒否、傷の影響で動けないフレイリアに、「お前を恨んだり憎んだりはしていない」と言い残し学校を去った。その時初めてフレイリアは、彼に恋をしていたのだと気がついたが全ては後の祭りだった。
 それから一カ月後。後遺症は残ったが授業に出られるほどには傷の回復したフレイリアは授業に出て、クラスメートにこれまでの態度を謝る。するとクラスメートは笑って彼女を許し、ようやく彼女に居場所ができた。
 そして主席へと舞い戻ったフレイリアは今、風紀委員長兼生徒会長として学校をまとめている……。

  ◆

「まぁ、そんな話になるわ。だから私のこの傷は、私の愚かさの証ってわけ」
 そう、フレイリアは締めくくった。
 予想よりもはるかに波乱の多い話にフィレルは目を白黒させた。
「何て言うか……大変な人生を歩んできたんだね」
「ここまで波乱のある人生を、一生かかったって歩めないやつもいるのにな……壮絶な物語だ」
 そう、ロアも感想を漏らした。
 それでね、とフレイリアは続ける。
「エルクェーテは死者皇ライヴの勢力圏だから、卒業するまでお前がこの学校を、この町を守れって、そうユヴィオールは言い残した。だから私は頑張ってるの。私の愚かさに気付かせてくれたユヴィオールがいたからね」
 だからこそ、と彼女は言った。
「明日の封印、絶対に成功させるわよ」

  ◇

Re: 魂込めのフィレル ( No.34 )
日時: 2019/07/30 10:01
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


 やがて晩餐会が終わり、生徒たちはそれぞれに散っていった。
 フレイリアはフィレルたちをある場所に案内した。
 無駄に広い学校には寮もついている。寮は二人で一部屋らしく、フレイリアやシュウェンにもそれぞれルームメイトがいるようだ。
 フィレル達は寮の空き部屋に案内され、フィラ・フィアだけが女子寮へ、残りの男子たち三人は男子寮へ行くことになり、その入口で二つに分かれた。
「私だって暇じゃないけれど、明日は大切な日だし、早めに寝るわ。あなたたちも夜更かししないでね。明日は朝七時に食堂集合よ、遅れないでね」
 そう言って、フレイリアはフィラ・フィアと共に女子寮へと消えていった。
「僕とロアは一緒だねっ!」
 フィレルがはしゃぐと、そうだな、とロアは頷いた。
「悪いがイルキスは……」
「ああ、わかっているさ。一人部屋もないことはないらしいし、僕はこれまでずっと一人旅だったからねぇ。大丈夫、気にしなくていいよ」
 申し訳なさそうにしたロアに、イルキスは明るく笑い掛けた。
 日はもう暮れて、時刻は遅い。もう寝る時間だ。
「じゃ、また明日」
「またね」
 指定された部屋の前、それぞれに挨拶を交わして別れた。
「さぁって、僕はもう寝ちゃうよ、お休みぃっ!」
 部屋の中身をよく見るまでもなく、二段ベッドを見つけたフィレルはその下の段に飛び込んでさっさと寝てしまった。ロアはそんなフィレルに呆れた目を向けながらもそっと布団を掛けてやり、二段ベッドの上の段におさまった。
 寮の二人部屋はそこそこ広く、ざっと十畳くらいはあるだろうか。ロアの座る二段ベッドの上の方からは窓から月が見えた。それをぼんやり眺めていた、ロアの元へ。
 謎の霧が、忍び寄った。
「……ッ、何だ?」
 眠るフィレルを起こさぬよう、そう、鋭くロアは問うた。
 霧、謎の霧、白い霧。それから思い出すのはいつかの霧の男。ロアの記憶を一方的に暴き、思い出してはならない何かを思い出させようとした存在。
 今、ロアの目の前に揺蕩《たゆた》う月の光を反射してきらめいているそれは、あの霧の男と同じ匂いがした。
「君に思い出を返しに来たんだよ」
 その霧は、そんな言葉を紡ぎだした。
 次の瞬間、ロアの目の前に、白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた謎の男が現れた。男は宙に浮いていた。その男の姿を目にした途端、ロアの頭に激痛が走る。
「ぐ……ぅ……ッ!」
 フィレルを起こさぬように極力声を抑えながらもロアは呻きを漏らした。頭の奥を抉るような激しい痛みが彼を襲う。
「貴様……何の、用だ……!」
「だから言ったじゃないか。僕を殺してくれないかって、ね」
 何でもないことのように霧の男は、霧の神セインリエスは笑う。
「一気に返したら君が壊れるからねぇ。面倒だから少しずつだ。ほら、何か思い出しただろう?」
 ロアの頭の奥で激痛がする。それは隠された記憶を強引に晒されてあげる痛みの声だ、苦しみの声だ。
 そして痛みの中でロアがつかみ取ったのは——
「……憎し、み?」
 それは神々に対する激しい憎悪だった。ロアは己の感情に戸惑う。確かに神々は地上を荒らしてはいるが、その魔の手がイグニシィン領に迫ったことはない。ロアもフィレルもファレルも、フィレルが誤ってフィラ・フィアを取り出すまでは神々とは無縁の存在だったのだ。だからこの記憶は、ロアがファレルに拾われる前の記憶だ。完全に失われた十年間。
「神々は……オレに、何をした?」
「さぁねぇ。自分で見つければ? ああ、少なくとも私は君の憎悪に関係していない。それだけは確かだ」
 もやもやするだろう、と霧の男セインリエスは笑った。
「健気にフィレル君が頑張ったって無駄。君は記憶を取り戻すことを完全には拒否できない。だって、自分のことなのに自分でわかっていないことなんだもの、知りたいと思うのは当然さ」
 その結果がどうであろうとも——と、霧の男は低く囁く。
 と、二段ベッドの下のフィレルがロアの名を呼んだ。どうやら寝言らしいが、その声を聞いた霧の男の姿が薄れ始める。
「ふふふ、私はそろそろ帰るとするよ。次はいつ来ようかな? ああ、全ての神々を封じる前には君の記憶を完璧なものにしてあげよう、約束するさ」
 その時は私を殺してね、と、蜜色の瞳に切実な光が宿った。
 そして彼は姿を消した。霧のように、忽然と。
「待て!」
 ロアは霧を掴もうとしたが、霧は彼の手をすり抜けて散ってしまった。勢い余ったロアはバランスを崩し、二段ベッドの上から落下する。激しい音と息の詰まるような衝撃。
「ロアぁ、どーしたのさぁ?」
 その音にぼんやりと目を覚ましたフィレルが身を起こし、目をこすりながらも、無様に部屋の床に転がるロアを見て眠たげな声を投げた。ロアは何度か深呼吸して痛みと衝撃を身体の外に逃がすと、努めて冷静な声で
「……悪い夢を見たんだ。大丈夫だ、気にするな」
 と言葉を投げ、何でもないことのように立ちあがって梯子を登り、二段ベッドの上へと戻った。
 そっか、と眠たげなフィレルが答える。
「でも……ロア、いなくならないでねぇ」
 お休み、良い夢を、と声がして、そのすぐ後に穏やかな寝息が聞こえてきた。
「……いなくならないで、か」
 ロアは小さく呟いた。
 頭痛はいつしか止まっていた。どうやら記憶が返されるのと連動して激しい頭痛がするらしい。
「オレの記憶がすべて戻ってきた時、オレはフィレルの願う通りにいられるのか……?」
 窓辺から差し込む月明かりだけを頼りに己の手を見た。それは紛れもないロアの手だったけれど、一瞬だけ、その手に懐かしい感触が蘇ってきた。そう、自分はかつて、この手で誰かを抱き締めていたのだ。その名は、ノア。ノアがロアにとってどのような関係にあった人物なのかは記憶が抜けているが、とても大切な存在だったことはわかる。ノアと過ごした明るく穏やかな記憶は先日、霧の男に返された。
 しかし今、ノアはロアの近くにはいないようだ。戦乱によってロアは記憶を失い戦災孤児となったが、もしもノアと戦乱の中で別れてしまったのならば、そしてまだノアが生きているのならば。
 ノアを探せば、記憶が戻るかもしれない。こんな霧の男になんか頼らずとも。
 そう、ロアは思った。
「……さて、寝るか」
 呟き布団を引っ被る。
 明日の朝は、早い。


 夜。ウァルファル魔道学院の寮で、イルキスはひとり月を眺める。
 その青の瞳には、小さな不安が揺れていた。
「ぼくは今この旅を楽しんでいるけれど、今度こそ僕の『悪運』に、誰も巻き込まずにいられるかな……?」
 ぎゅっと固く目を閉じた。閉じられた瞼の裏に浮かぶのは、嵐の海と揺れる船。そして耳の奥に蘇る、イルキスの名を呼ぶ悲痛な叫び。
 イルキスは自分を守って死にかけた大切な人を守るため、自分の人生を運命の女神に売り払った。代わりに得たのがこの指運師の力だが、彼にはその代償として、常に『悪運』が付きまとうようになってしまった。そしてその『悪運』は他者をも巻き込むのだ。それを知っていたからイルキスは、彼の『悪運』で偶然出会った少女を失ったからイルキスは、それ以来極力他者に関わらず、自分の大切な人の元にも帰らないようにしていたのだが。
「……どうして、助けてしまったのかな」
 風のように気紛れなイルキスだけれど、自分を縛る枷はあって。
 自分と関わった他人は、彼の『悪運』に巻き込まれる可能性も高いのに。
 それなのに今、もうすぐで死者皇ライヴを封じられる現場で伝説のフィラ・フィアの仲間として彼女の隣に立てることに、心躍らせる自分がいた。誰かを巻き込むのは嫌だけれど、それでも誰かの傍にいたいという二律背反。
「まぁ、考えていても仕方ないか。ぼくはみんなと一緒に行くんだ、『悪運』なんかに負けてやるものか」
 決意を新たに布団にもぐる。
 しかしその夜彼が夢に見たのは、あの少女を失った日の悪夢だった。


「明日は死者皇ライヴを封じる日……。わたし、しっかりやり遂げるんだから」
 寮の一人部屋で、誰にともなくフィラ・フィアは呟いた。
「エルステッド……シルーク……ヴィンセント……レ・ラウィ……ユーリオにユレイオ! 見てるかしら? わたし、やり残した仕事を完遂させに行くのよ。みんなはもういないけれど、新しい頼れる仲間たちと一緒に!」
 あれからもう三千年。見知った世界は遥か彼方に消え失せてしまったけれど。
 いくら会いたい、と願っても、彼らはもうとうに骨となり朽ち果てているけれど。
 彼らと過ごした思い出は、今も彼女の胸の中。忘れられない重い思い出として、残り続けている。
「今度こそ成功させるわ、今度こそ誰も死なせないわ」
 それは彼女の強い決意。
 失うのはもうこりごりなのだ。悲しみに心はすり減っても、失う痛みに慣れることはない。
「わたし、頑張るから……。見てて、そして応援していて」
 願った時、彼女の視界の端に純白の蝶の群れが映ったのは、彼女の想いの見せた幻影なのだろうか——。

  ◇

Re: 魂込めのフィレル ( No.35 )
日時: 2019/08/01 12:37
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


 ロアに叩き起こされて、フィレルは食堂に向かう。
 食堂にはもう全員がついていた。が、イルキスだけが少し疲れているような眼をしていた。
 それに気が付いて、
「イルキス、大丈夫ぅ?」
 フィレルが問えば。
 イルキスは苦笑いを返した。
「……嫌な夢を見たんだ、それだけさ」
 そしてそのまま黙り込んでしまった。
 一瞬暗くなった雰囲気。それを打破せんとフレイリアが声をあげる。
「暗い話はおいておくわよ! 死者皇ライヴの封印だけれど——みんな、準備はいいかしら?」

 フィラ・フィアの言葉に頷く一同。
 じゃあ行くわよとフィラ・フィアは言った。

  ◇

 死者皇ライヴの神殿にたどり着く。それは白っぽい石で出来た、明るい雰囲気の神殿だった。ところどころに植物や動物を模した装飾があるその神殿は、死者皇のイメージにそぐわない。ただ、ところどころに朽ちた骨や動物の死骸があったが、それも生命力あふれる装飾の前では、生物の一形態にしか見えず、死の雰囲気は感じられない。
 フィレルは首をかしげる。
「死者の王様って聞いたからさぁ、もっと暗くって怖いイメージがあったんだけど、この神殿は明るい雰囲気なんだね」
 そうよ、とフィラ・フィアは頷いた。
「ライヴは最初から死者皇だったわけじゃないもの。彼は元は生命の神様だったのよ。だからこんな装飾が」
 と、不意に声が聞こえた。それは感情を感じさせない声だったが、どこか少年のもののようにも聞こえた。
『——ようこそ僕の王国へ。他国へ侵略を試みる王を討ちにきたの? でも簡単にはさせないよ。そして王に無断で国境侵犯をし、王の命を狙おうとするのならば王の忠実なる部下たちがそれを許すはずがない』
 その声と同時、そこらに落ちていた骨や動物の死骸が突如、生命を得たかのように動き出す。
 少年の声が——死者皇ライヴの声が、どこからともなく聞こえてくる。
『王を討ちたければ、王宮の最奥部を目指せ。そこで王は待っているが——まず、王の部下を無事に倒し切れるかな。さて、王国の民よ、侵犯者を追い払え、殺しても構わない!』
 動きだした死者たちが、フィラ・フィアたちの方を向いた。融けかかった眼窩に、虚ろな骨の奥の空間に、白く濁った眼の奥に、赤い光が灯る。
「来る——!」
 フレイリアは杖を構えた。他の皆もそれぞれに武器を取る。
 神殿のこのエリアは一本道だ。どうやらこの死者たちを倒さないと先に進めないらしい。数はざっと四、五体程度。小手調べとして送り出した先鋭のようなものらしい。
「行くぞッ!」
 ロアが剣を抜き放ち、高速で骸骨の首をぶった切る。骸骨の頭と首が見事に分離された。骨を断つなんてことしたらロアの方も剣も無事では済まないはずだが、何故か彼は涼しそうな顔。彼は余裕の表情で宣言する。
「一体目」
 そんなロアの雄姿に鼓舞されて、イシディアが炎の魔法を放つ。イシディアが掲げたトネリコの杖の先、強大な魔力の炎が灯る。イシディアは口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「風紀破りの風紀委員イシディア様参上! 死者だかなんだか知らねぇが、いい加減堪忍袋の緒が切れたぜぇ! さっさと燃えて成仏しなッ!」
 イシディアが杖を死者たちに向けると、杖の先にともった炎が空高く舞い、急速で落下して着弾、派手な大爆発を引き起こした。爆風で死者たちの身体がはじけ飛ぶ。巻き込まれそうになったロアは持ち前の瞬発力で間一髪、、何とか爆風から身をかわしたが、味方まで巻き込むつもりかと文句を言った。
 イシディアは頭を掻いた。
「悪い悪い、調子に乗っちゃったかもなぁオレ様? いやいやそんなに怒るなって。オレ様のお陰でさっきの雑魚は一掃よ? ホントに小手調べだったみてーだな、さっさと先に進もうぜ?」
 爆炎が晴れた先、動いている死者は一体たりとも存在してはいなかった。
 その強さに呆然としているフィレルの肩を、イシディアが気さくに叩く。
「オレ様、強いだろ芸術家の坊っちゃん? だからよ、先の露払いはぜぇーんぶオレ様に任せてくれよなっ!」
 イシディアの切り開いた道を一行は進む。

  ◇

Re: 魂込めのフィレル ( No.36 )
日時: 2019/08/03 10:50
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


 進めば進むほど増えていく死者の群れ。倒しても倒してもキリがない。
 ロアは剣で骸骨の骨を叩き斬るが、首を切断されない限り、骸骨は他のどこを切られても動く。そりゃあ痛覚がないからねぇとイルキスは苦い顔。イルキス程度の風の刃では骸骨の骨を断つのは難しく、彼はもっぱら補助に回っていた。
「私も……これを切るのは、至難の業よ」
 額から軽く汗を流しながらもフレイリアが言った。彼女ほどの使い手となれば風の刃でも骨を断つことはできるが、それには随分な力を消耗する。
「ライヴ本人と戦う時まで力は温存しておきたいところ……。でもっ、来るならやるしかないわよね」
 そんな彼女に、「大丈夫です」とかかる声。
 シュウェンが掲げた杖の先をフレイリアに向けていた。杖の先端に緑の光が灯り、それがフレイリアを包み込んだ。すると彼女の乱れていた呼吸が通常に戻り、その顔も少し楽になった。シュウェンの持つ癒しの力である。
「助かるわ、シュウ!」
「当然ですよ」
 フレイリアの言葉に力強く返すシュウェン。
「僕は完全なる補助役です、攻撃役がいなければ一人では何もできない力しか持っていないんです。だから、だからこそ! 代わりに戦ってくれている前衛の為にも役に立たないとって思うんです」
「それは頼もしいわ」
 フレイリアはにっこりと微笑んだ。
 ロアは剣で相手をぶった切り、イシディアは炎魔法で死者たちを燃やす。イルキスは風魔法を巧みに操って味方の補助や敵の妨害を行い、フレイリアは風の刃で攻撃をする。フィラ・フィアは決戦の時まで力を温存するために、今回はあえて動いていない。守られてばっかりの自分が嫌だなどと彼女は言っているが背に腹は代えられない。
 そんな一方、フィレルは……。
「来るな来るな来るなぁーっ!」
 絵心師の力で絵から取り出した松明を振り回し、それで死者たちを撃退していた。死者は火に弱い、それがわかっているので彼なりに対応しているつもりだろう。少しくらいは役に立っている。
 そうやって少しずつ進んでいったら。
 空気の違う場所に出た。
 長い廊下はいつの間に終わったのだろうか。目の前に広がるのは大きな部屋。その部屋の中央には玉座のようなものがあり、その上には赤い布地で裏打ちされた、黒のマントを羽織った少年がいた。金の髪、金の瞳。しかしその黄金の瞳の奥には妖しく光る深紅の輝き。彼こそ、死者皇ライヴなのだろう。
『よく来たね。何だ、もう僕の民を倒したのか。そっちが強いのか僕の民が全然大したことがなかったのか……』
 どっちにしろ関係ないか、と彼は薄く笑う。
『僕は僕の王国を侵犯する存在を許さない。そして全ての民が死んだとしても王として抗い続けよう。侵犯者よ、見るが良い。——これが僕の王国だ』
 言って彼はその手を振った。するとどこからか現れたのは——
「ヴェイル!? それにリッカにエレン!」
「……死んだんじゃ、なかったの」
「生きてたのかよお前ら!?」
 フレイリアが悲鳴のような声を上げ、シュウェンが呆然と呟き、イシディアが驚き叫ぶ。
 身体を縄で縛られて動けなくされ、骸骨によって連行されてきた三人は、ウァルファル魔道学院の服を着ていた。一人は灰色の髪に青い瞳の、物憂げな少年。一人は茶色のふわふわのショートボブに鮮やかな緑の瞳の少女。一人は金のセミロングヘアに紫の瞳のおとなしそうな少女。
「……三人は、ライヴを討伐しに行ったんだ。でもずっと帰ってこなかったからてっきり死んだものかと……」
 シュウェンがそう、解説した。
 死んだはずの仲間たちが生かされて、今、決戦の場で改めて呼び出される。
 ライヴは何故三人を殺さなかったのか。
 フィレルの脳裏に、昔ロアから意地悪で聞かされた、恐ろしい物語が浮かんだ。
 そして気づく。何もわからない、知らない、頭がお花畑なフィレル。でもその頭の中には常にファレルからロアから聞かされた様々な物語があったから、物語を頼りに導きだした、導きだせた答え。
『懐かしの友と出会えて嬉しいだろう』
 感情のないライヴの声。
 これから起きることに気がついて、フィレルは最悪の未来を回避するためにスケッチブックに絵を描いていた。
「やめてえぇぇぇーっ!」
 描いたのは、たった一つ。
 相手の動きを止めるもの。
 相手の動きさえ止めれば、その危機は回避できる。
 生者も死者も火を厭う。生者は本能的に、死者だって火を近づければ燃えるから。それは生死に関わる神、死者皇ライヴだって同じこと。彼だって火を嫌うはず。
「止まれっ!」
 フィレルは絵を描いた紙を紙飛行機の形にして、死者皇ライヴに向けて放った。そこから生まれたのは幻影破りの火炎。いつしかイルキスの幻影を破った時のような、水を蒸発させる、力の炎。
 しかし。
『思考する暇なんてどこにもなかったのに』
 相手の方が、一瞬だけ早かったのだ。


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