複雑・ファジー小説
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- 【完結】魂込めのフィレル
- 日時: 2020/08/04 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
——その少年の描く絵には、奇跡が宿る。
彼の描いた絵は皆実体化し、生物を描けば動きだす。
天才的な力、絵心師を持つ彼の名を、フィレル・イグニシィンと言った——。
けれど彼はある日、自身の無邪気な性格ゆえに、取り返しのつかない過ちを犯す。
自業自得から始まった長い旅。その長旅の結末とは——?
◇
まとめ読み用! >>1-76
【目次】
前日譚 戦神の宴 >>1-5
【第一部 旅立ちのイグニシィン】>>6-48
一章 イグニシィンの問題児 >>6-11
二章 悲しみの風は台地に吹く >>12-16
間章 その名は霧の…… >>17
三章 収穫者は愉悦に狂う >>18-24
間章 動乱のイグニシィン >>25-28
四章 死者皇ライヴの負の王国 >>29-40
間章 英雄の墓場 >>41-43
五章 最悪の記憶の遊戯者 >>44-48
【第二部 心の欠片をめぐる旅】 >>49-65
六章 災厄の島と伝説の…… >>49-58
七章 希望の花は、もう一度 >>59-65
【第三部 封神の旅のその果てに】 >>66-76
八章 運命神の遊戯盤 >>66-67
九章 文明破壊の無垢なる鉄槌 >>68-70
十章 戦呼ぶ騒乱の鷲 >>71-73
最終章 握った絵筆に魂を込めて >>74-76
◇
2020/7/24 完結致しました。
ここまで読んで下さった方、そして応援して下さった全ての方に感謝を。
フィレルの物語は、この話だけでは終わりません。
いつか書く続編で、またお会いしましょう……。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.52 )
- 日時: 2019/09/10 09:37
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
ロアたちの待つ宿に戻ると、そこには既に疲れた顔のイルキスがいて、ロアと何やら話しているところだった。二人はやってきたフィレルを見ると話をやめ、フィレルの方を向いた。
「気は済んだか?」
ロアが問うと、フィレルはうんと頷いた。
「ええとね、海で働く人に会ったの。おいしいご飯ご馳走してもらったの。海の絵描く時間はなかったけれど楽しかった!」
「……そうか」
フィレルとの付き合いの長いロアは、何となく何があったのか悟ったようだった。
「で、こっちの話なんだけど」
疲れた顔でイルキスは微笑んだ。
「船は買えた。流石に同じ賭場で荒稼ぎばっかりやってると、目を付けられて危険な目に遭いかねないから様々に移動しながら資金を集めた。でもさ、みんなぼくがイカサマしてるってすぐに思っちゃうから大変だったよ、ふぅ……。海の男たちはいい人だけれど、怒らせると怖いからねぇ」
船は港に置いてきたと彼は言う。
「で? 急がなくちゃならないんだろ。すぐに出発するかい? ところでフィレルかロア、船を操った経験は?」
二人とも首を振る。そうかいとイルキスは溜め息をついた。
「じゃあぼくが船を操るしかないようだね……。ぼくなら経験、あるから……」
と、不意にイルキスの身体がぐらりと傾く。ロアが手を伸ばし、咄嗟に支えた。
ロアの黒の瞳が、心配そうにイルキスの顔を覗き込む。
「そう言えばお前、昔は病弱だったみたいだな? それに徹夜したんだし疲れが溜まっているだろう。そんな体調で海になんか出られるか。今日の出発は取りやめて明日にしたらどうだ」
ううんとイルキスは首を振る。
「大丈夫……さ。今日しかないんだよ、チャンスは。明日には潮の流れが変わって、災厄の島へ行くのが非常に難しくなってしまう。潮の流れを見てきたけれど、今日しかないみたいなんだ」
「イルキス……」
大丈夫だからと彼は無理して笑う。
「まぁ……落ち付ける場所に着いたら代わりに、たっぷり休ませてもらうけれどね」
じゃあ行こうかと彼は言う。
ロアは頷き、眠ったままのフィラ・フィアを背負った。心壊れた彼女の身体は、異様なほどに軽かった。
「お前が希望の綱なんだから……さっさと目覚めろよ」
ロアの言葉なんて無論、届かない。
その後ろを、うつむいてフィレルがついていった。
◇
港に出る。イルキスはフィレルらをある桟橋に案内した。そこには一隻の船が停泊していた。
マストは二本。そこに掛けられた白い帆は今は畳まれている。船首付近には舵輪《だりん》があり、それを回すことで船の行き先を定めるらしい。大きさは十メルくらいか。そこそこの広さがあり、甲板の奥からは船室にも行けるらしかった。それなりに本格的な、立派な船である。船首には目のマークがついていた。
「これはなぁに?」
フィレルが問うと、「お守りさ」とイルキスは答えた。
「この地方の風習だよ。悪しきものに目をつけられないように、見張るためのお守りさ」
言って、イルキスは船に乗り込み、舵輪の前に置いてある台に地図のようなものを広げた。その後に続いて進んで行き、揺れる大地に目を白黒させながらも、フィレルは地図らしきものを指差して訊ねた。
「これって?」
「海図だよ。航海には必要なものさ。……ぼくはここではない港町に生まれ育ってね。ぼくもまた領主の息子だったんだけど、そこで船を操る術を学んだのさ。ぼくがいて良かったね?」
海図を広げると、今度は船尾の方へ行き何やらいじり始める。真っ黒な鉄の何かが現れた。「錨《いかり》か」ロアが問うと、「よくご存知で」と微笑んだ。
「これがないと船が停泊できないからね……。災厄の島まではしばらくかかりそうだ。だから食糧や水も買い込んで、本格的な航海の開始だよ。船の上はよく揺れる。気持ち悪くなってもどこにも逃げる場所なんてないから我慢だね」
先程まで疲れた様子を見せていたイルキスだったが、今はわくわくと楽しそうである。久々に船に触ることが出来て浮かれているのだろうか。
やがて。イルキスは様々な場所を一通りチェックしたあと、満足げに頷いた。
「これで良し……と。じゃあ今からぼくが船長だ。ロアが……出来るかわからないけれど頼りにしているから航海士ね。ああ、護衛も頼むよ。で、フィレルは雑用係」
「僕の扱い、ただの雑用!?」
「とりあえず、そういうことでね。まぁフィレルの力があればもっと様々なことができるだろうけれど、丁度良い役職が思い浮かばなかったものでね。ああ、料理もぼくがやる。船の上だから陸上と同じようにはやれないのさ」
頬を膨らませたフィレルをさらりと流し、てきぱきとまとめていく。
イルキスは手でひさしを作り、空を見上げた。太陽はまだ中天にある。夜になるまでどこまで進めるか。夜になったら流石のイルキスも休もうと思っていたし、その間に、船員としての様々な心得を皆に教えようと思っていた。
初心者を二人連れての船旅。希望の子は眠ったままで目を覚まさない。
しかしイルキスの胸は高鳴っていた。かつて、海で大切な人を失ったというのに。
「……でもやっぱり、海への憧れは捨てられないんだな」
自分の気持ちに気が付き、まるで少年のような、冒険への強い憧れに気が付き、イルキスは苦く笑った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.53 )
- 日時: 2019/09/12 14:37
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「さぁ、出発だ」
イルキスはフィレルらに指示を出しつつ、錨を引きあげ畳んでいた帆を張った。真っ白な帆が風を受けて大きく膨らんだ。フィラ・フィアは船室に置いてきた。そして。
「わぁっ、動いた!」
思わずフィレルは歓声を上げる。いいだろう、とイルキスは船首に堂々と立ち、笑った。
彼の、背中に流した青みがかった銀の長髪が、海風を受けて霧のヴェールのようにきらめいた。
揺れる大地にはまだ慣れない。フィレルは欄干の手すりを掴んで倒れないようにしていた。身体能力が高くバランス感覚も良いロアはすぐに慣れたようで、揺れる地面を気にしなくなるのもすぐだった。彼は欄干からそっと身を乗り出して海を見詰め、空を見上げた。空と海。同じ青でも色は違う。今まで内陸の地で育ってきた彼らにとっては、何もかもが新鮮に映るだろう。
不意に船ががくんと揺れた。思わずつんのめりそうになったフィレルをロアが支える。
イルキスはつと目を細めた。その目は海の中の何かを読んでいる。
「潮が変わったね、待ち望んでいた潮だ。これから一気に沖に出るよ。陸地とはしばらくはお別れさ?」
言葉と同時、船がどこかに引っ張られるような感触。陸地がみるみるうちに遠くなっていく。
イルキスは海図を見つつ舵を取った。ぐるぐると舵輪が回される。海の上は見事に何もなかったけれど、それでもイルキスの目にはしっかりとした何かが見えているようで。
少しずつ日は暮れていき、吹いていた風も収まる。凪《なぎ》のひとときが訪れ、風はやがて完全に止んだ。真白な帆が垂れ下がる。その中で。
「ご覧、フィレル。海から見る夕焼けは格別だろう?」
言って、イルキスはある方角を指し示した。藍色に染まっていく海の中、溶けていくような鮮やかな橙色。それは近くの空を海を同じ色に染めて、たとえようもないほど幻想的で美しかった。自然、フィレルの手がスケッチブックに伸び、フィレルは憑かれたように絵を描き始めた。描きたかった海の光景。その夕景ともなれば、彼の中に眠る絵師の心が動くのも当然なのだ。
夕焼けの時間はあまりに短い。やがて日は完全に沈み残照すらも消え失せ星の光が射すのみとなったが、それでもフィレルは絵を描き続けていた。まるで先程の光景を忘れまいと、心に刻みつけるかの様に。その表情は鬼気迫っていて、いつもの無邪気でお茶らけた態度はすっかりなりを潜めていた。
やがて。
「終—わったぁ!」
叫び、フィレルは大きく伸びをする。
携帯している水筒で筆とパレットを洗い、絵を描くための道具を仕舞っていく。垣間見えたその絵はとても美しく、イルキスもロアもフィレルの才能の片鱗を思い知ったのだった。絵心師だとかイグニシィンだとかはどうでもいい。やはり彼は彼の本職は、絵描きなのだ。
イルキスはしばらく呆然と立っていたが、やがて船尾に行って、金属の塊を操作し始めた。それはなぁにと問うフィレルに、錨《いかり》だよとイルキスは返す。
「今日の船旅はここでおしまい。休んでいる間に船が遠くに流されないように重石を置くのさ。これはそのための道具でね」
それにしても疲れたねぇと彼は大きく伸びをして、船室方面に歩いていく。
「ふあぁ……。海の上の夜は長いよ。何かあったらぼくを呼んでくれればいいけれど、きみたちもさっさと眠ってしまうことをお勧めするね。ぼくは徹夜だったから……本当に、疲れた」
言って彼はそのまま船室に消えてしまった。
フィレルはロアと顔を見合わせると互いに頷きあって、船室へ消えた。
海の上の夜は静かに過ぎていく……。
◇
それからしばらくは、船の上での生活が続いた。フィレルもロアも船に乗るのが初めてにしては船酔いに悩まされることもなく、旅は快調に進んでいった。イルキスも久しぶりの海に本当に嬉しそうだった。
しかし最初は目新しかった景色も、何日も旅を続けていればその単調さに飽きが来る。旅も三日目になった頃だろうか、フィレルは退屈だと文句を言いだした。旅の食料も決まったものしかなく、それがお坊ちゃまとして育ってきたフィレルには我慢ならなかったのだろう。これまでフィレルは優しい兄ファレルの庇護のもと、不自由な思いなどしたことが無かったのだ。
「そんなこと言われてもねぇ……」
イルキスは困ったように頭を掻いた。
「そうだ、きみは絵心師だろう。その絵の魔法で単調な日々を変えてみたらどうかな? ぼくはこれを単調だとは思わないけどね……。海にいると、落ち付くんだ。海には嫌な思い出だってるのにさ……結局ぼくは海が好きなんだねぇ」
イルキスはそう、苦笑いした。
イルキスの提案に頷いて、フィレルはいつも持ち歩いているスケッチブックに早速絵を描き出した。
しばらくして見えてきたその全貌は。
「……料理、か?」
「うん! 僕、おいしいご飯をたくさん食べたいなぁって!」
フィレルの言葉にロアはそうかと頷いた。
彼らしいと思ったのだ。
その日の夕飯は、フィレルが実体化させた食べ物になった。
が、ロアは知っている。そんな魔法の産物でしかない料理など、本当はお腹をいっぱいにはさせてくれないのだと。満腹感、満足感は得られるかもしれないが所詮は魔法素の塊である。
それでもフィレルは大喜びだった。
そうしてその日は過ぎていった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.54 )
- 日時: 2019/09/16 21:48
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
船旅を始めて、七日が過ぎただろうか。
海図を確認しながら時折魔法の風を送って船を操っていたイルキスが、「そろそろかな」と言った。
ふっと見上げた海の向こう。単調な風景の彼方、かすかに見えた黒い影。
「あれが……?」
「そう、災厄の島だ。海図には載ってるんだけど、実際にお目にかかるのは初めてだねぇ」
ようやくだねと疲れた顔でイルキスは笑う。
彼がちらり振り返った船室には、いまだ目覚めぬ封神の姫が眠っているはずだ。
「この島で彼女の目覚めへのヒントが見つかるといいんだけど……」
ロアの話によると、そこに蝶王がいるという。
蝶王との話いかんでは、状況は様々に変化するだろう。
「見えてきたっ! ……ってこの島、何だか怖い空気があるね?」
フィレルが近づいてくる島を前に感想を述べる。
そうだなとロアが頷いた。
「昔、この島には善良なる竜族が住んでいた。が、彼は人間に裏切られた悲しみでこの島に閉じこもり、以来、島に太陽が昇ったことはないという、そんな伝説がある。今、その竜族は深い眠りについているらしいが、再び目覚めた際に人間を目撃するようなことがあれば、この島の災厄はシエランディア本土にも波及するだろう、とな……。島に大きな火山があるんだが、その竜族は火山の火口の中で眠っているらしい。だから人間は迂闊に火口に近寄ってはならないんだって、な。
この島は今では、世界のどこにも居場所を見つけられなくなった人々の行き着く終着地だ。そこにいる人間のほとんどはこの島に来た際に船を壊し、もう二度と帰れないようにしているらしい。碌な人間などいないから関わるなよ」
ロアの説明にフィレルはへぇーと頷く。イルキスが探るような眼を向けたが、ロアは「記憶はなく知識だけが頭の中に残っている」と返した。
この長い封神の旅の中、ロアの知識量は彼と同年代の少年のそれに比べればはるかに多いものだということがわかってきた。それが何に起因するものなのかはわからないが……。
そして、着く。
濁った波寄せる波打ち際に、白い帆の船が寄ってきた。イルキスは錨を放り投げようとしたが少し考えて道筋を変更、波打ち際ではなく岩場付近に接岸し、板を渡してフィレルらを促した。
どうしてそんな手間が掛かるようなことをしたのかとフィレルが問うと、ロアの話さとイルキスは答えた。
「碌な人間がいない、船を壊した。それらの話を聞いた限りでは……簡単に船に触れるようなところに船を置くのはご法度だろう。何をされるかわかったものじゃないからね。そんなわけでぼくはここに残ることにするよ。ぼくだって伝説の蝶王に会いたかったし災厄の島の内部にも立ち入ってみたかったけれど……それで帰れなくなったらぼくたち、死ぬまで永遠にこの島に取り残されることになるからね。そんな未来、ごめんだろ?」
うん、と神妙な顔でフィレルは頷いた。
じゃあフィラ・フィアを頼むよとイルキスはロアを振り返った。
「彼女を背負っていけば、もしかして蝶王の方から見つけてくれるかもしれないしねぇ」
後はよろしくと彼は言い、フィレルが、フィラ・フィアを背負ったロアが板を渡り終えて岩場に着いたのを確認すると、板を片づけた。
「ぼくは岸からやや離れた場所にいる。でもこの近辺にいることは間違いないから、見当たらなかったら声を上げるなりなんなりして欲しい。それでも返事がない時はどうにもならない事態が起こったと考えてくれて構わない。そうなった時は悪いけれど、最低でも三日くらいは待っていてほしい。その間に何とかするから」
気をつけてね、と声を掛け、イルキスの船は遠ざかっていった。
災厄の島の上のはいつも暗い雲が掛かっており、太陽なんてのぞきやしない。暗く異様な空気のこの島に怖さを覚えてフィレルはロアにしがみついた。普段のロアならばそんなフィレルの頭を小突いて「しっかりしろ」と声を掛けるくらいはするのだが生憎と今は両手がふさがっている。だからロアはフィレルに声を掛けるだけは掛け、不安定な岩場の上を、特にぐらぐら揺れることもなく安定した足取りで進んでいった。
岩場が終わると浜辺に出る。先程の浜辺だ。打ち寄せる波までもが灰色がかっていて、この島に明るい色彩のものなど何ひとつないのだということを思わせる。そんな中で、フィレルの元気な茶色の髪と鮮やかな緑の瞳は、異様なほど際立って見えた。白いエプロンに飛び散った絵の具の痕すらも、この島の中では場違いな明るさを放っていた。
空気は寒かった。凍えるようだ。それは当然ともいえるだろう。この島には太陽が昇らないのだから。この島の天気は曇りか雨か荒天かしかないのだから。
そうやって歩いていたら。
いつしか周囲にぽつり、ぽつり。虚ろな人影が現れるようになってくる。
「関わるな」
ロアは言った。
「世界を捨てた人たちだ。オレたちみたいに目的を持って、確固とした未来への意思を持ってこの島を訪れたわけではない。元いた場所でも簡単に死ぬことはできないからこそここに来たんだ。そんな人たちと絶対に関わろうとはするなよ。何かあったらオレが守るからそうなったらお前はフィラ・フィアを背負って逃げろ」
ここはこれまでみたいにはいかない場所だからなと補足した。
フィレルはロアの陰に隠れ怯えながらも、通りすがる人々を隠れ見る。皆その顔に感情は無く虚ろで、悲壮さや悲しみやその他暗い感情だけが瞳の奥に渦巻いている。彼らは生きてこそいるが、もう死んだようなものなのだ。死んでもいいと思ってこの島に来た人たちなのだ。
彼らは鮮やか過ぎるフィレルたちを見て時に驚きを示しこそはしたが、ロアの発する張りつめた空気に何かを感じ取り、近づいてきたり余計な辛みをしてきたりする者はいなかった。今ロアは自分と周囲の仲間を守るために、周囲に殺気のような空気を振りまいていた。これまでそんなロアなんて見たことのなかったフィレルは怯え、ロアの黒いマントの端を縋るように握りしめた。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.55 )
- 日時: 2019/09/21 00:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
そうやって歩いていたら。
ふっと周囲の空気が変わった。
これまではただ異様で恐ろしい空気だけだったものが、一気に冷たい死の気配を帯びた。
冷たいだけだった外気が、一気に零下まで下がり空気が凍り付く。
その向こうに“それ”はいた。
真白な蝶、純白の蝶。おびただしい数群れ飛んで。
死そのものを周囲に振り撒くそれはさながら死神の化身。
その蝶の群れの中央に“それ”はいた、“彼”はいた。
後ろ姿だ。純白の衣装に身を包み、背に蝶の翼を生やした、身長三十セメルほどの、
「——蝶王」
『我の名を呼ぶは誰《た》そ』
フィレルの驚きの声に反応し、氷の刃の如き声が空を渡って突き刺さる。
“彼”はゆっくりと振り向いた。純白の髪が揺れる。心閉ざした純白の瞳が眠たげにフィレルらを見遣った。麗しいかんばせが正面を向く。
その、色をなくした唇が言葉を紡いだ。
『いかにも、我こそは蝶王、蝶の中の王。伝説の時代に生くる不思議の存在なり。我を呼ぶは何者そ。答えよ』
その声は相手に言い訳を許さぬ魔性の声。
フィレルの口がその魔力に囚われて勝手に開き、言葉を紡いでいた。
「絵心師、フィレル」
『フィレルとやら。我の名を呼んだ訳を答えよ』
「伝説の、フィラ・フィア。蘇って。でも、目覚めなくなっちゃって」
「——ほぅ?」
その声が面白がるような調子を帯び、フィレルは声の魔力から解放された。
蝶王はフィレルの隣に無言で立つロアを見た。彼の背負っているフィラ・フィアを見た。
「どうやら通常の客ではないようだな。そこにいるのは本当に封神の姫か? 彼女は確かに死んだのではなかったのか」
「僕が禁忌犯して、絵の中から取り出しちゃって」
「しかし何らかの原因で深い眠りについてしまったと、そう解釈して良いのか?」
フィレルは頷いた。
蝶王はロアを見て“声”を発した。
『そこにいる人間。お前はフィレルとやらの仲間か。我が問いに答えよ、そして名を答えよ』
フィレルはロアもまた声の魔法に囚われるかと思ったが。
ロアはフィレルのようにはならず、平然として答えた。
「最初の問いへの答えは、応。そしてオレの名はロア、そこのフィレルの幼馴染だ」
蝶王は平然と答えたロアを見て小さな眉を上げた。
『我の声を聞いてもそれに囚われぬ人間など初めて見たわ。そなた、人間ではないな?』
「生憎と記憶喪失だ、細かいことはわからないな」
本題に入っていいか、と彼が訊ねると、蝶王は面白がるような光を目の奥に浮かべて頷いた。
ロアはこれまでの経緯をざっと説明する。
「そこのフィレルが好奇心によって絵から伝説のフィラ・フィアを取り出した。フィレルは現代に蘇った彼女によって、新しい封神の旅の仲間にされた。オレもついていき途中で一人が新たな仲間になった。オレたちはフィラ・フィアのやり遺した封神の旅を完遂させるために長い長い旅をした」
ロアは背負っていたフィラ・フィアをそっと地面に横たえた。彼女は相変わらず深い眠りに落ちたままだ。彼女の心はいまだ、この場にはなかった。
ロアは話を続ける。
「最悪の記憶の遊戯者フラックとの戦いで、彼女は心に最悪の傷を受けて心を壊し、人形のようになってしまった。推測するに、蝶王、あんたの遠い日の相棒シルーク・フォルイェンの死の記憶を強引に蘇らせられたからだろう。彼女はシルークに淡い恋心のようなものを抱いていたようだな。
そしてリーダーたる彼女が動けなくなってしまった以上、こちらが動くしかない。オレは前に闇神ヴァイルハイネンがしてくれた話を思い出し、それを希望の綱にここまで辿り着いたわけだ」
フィラ・フィア、目覚めるかなぁとフィレルは心配げだ。
しかし蝶王はそれどころではなかった。
「シルーク……シルーク! ああ、その名を聞くのはいつぶりであろうか。そうだそうだ我の魔性の声も! あの子から奪ったものなのだそしてあの子は我に名をくれたのだ! 覚えている昨日のことのように覚えているぞ! あの子が死んだから我は心を閉ざし、この島に……ッ!」
呻くように叫び、呼吸を整えてから彼はふわり、眠るフィラ・フィアの上に舞い降りた。彼女の顔を間近で見詰め、しみじみと呟く。
「そなたたちの言葉は嘘ではないようだ。先程は怖がらせて悪かったな。彼女のことだって覚えているとも。あの子もな、明るく真っ直ぐな彼女を好ましく感じていたのだよ。このまま二人がずっと生きていたら、不器用な恋はやがて結ばれるかも知れなかったと思ったことが何度あったか……!
そうだ、我こそが蝶王だ。何百回何千回と生まれ変わりを繰り返し、幾星霜の記憶を受け継いできた存在だ」
彼女の心を取り戻したいと言ったな、と確認し、ひとつ頷くと蝶王は眠るフィラ・フィアの耳元に寄ってきて、
“声”を発した。
それは、たったの一言。
『——いつまで寝ているの、フィラ・フィア』
遠い日の『彼』ならば、シルークならば発したであろう言葉を、魔力のこもった魔性の声に乗せて届ける。
彼女の愛した彼の、人間不信で不器用だった彼の——。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.56 )
- 日時: 2019/10/13 08:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
しかしその瞳は開かない。蝶王の声すらも、シルークの声すらも届かない。
一瞬だけ、確かにその瞼は震えたのに。それっきり、動かない。
「……駄目であったか」
落胆したような蝶王の声。
「済まぬ、我ならばできると思ったのだ。そなたらの話を聞く限り、彼女はあの子を直接の原因としてこのような事態になったと思ったがゆえにな。しかし原因は違うところにあるというのか? わからぬ……」
頼みの綱である蝶王でもこの事態を解決出来なかった。
フィラ・フィアは目覚めない。希望の子は目覚めない。
フィレルらが途方に暮れた、時。
不意にどこからか、カアと鴉の鳴き声がした。
それに反応し、まさかとロアは声のした方を見る。
島の闇を切り裂いて、闇よりも黒い鴉が飛んでくる。その瞳だけは血のように赤い、鴉が。
フィレルはロアから聞いた話を思い出し、思わずといった感じで口にしていた。
「赤眼の鴉って……もしか」
「しなくても闇神ヴァイルハイネンだ。人間たちはご機嫌麗しゅう」
フィレルの言葉を引き継いで、聞いたことのない声が答えた。
高速で迫って来た赤眼の鴉は宙で一回転すると、人間の姿になった。
闇よりも黒い髪、血のように赤い瞳、褐色の肌。赤いマフラーをし、濃い灰色を基調とした地の上に赤い模様が交差する意匠の服を身に纏い、漆黒のマントを上に羽織る。
人間ではないと一瞬でわかる、圧倒的な存在感。
彼はマフラーに隠れた口元に、不敵な笑みを浮かべた。
「こんにちはだな人間たち。前からずっと様子を見させていただいていたが詰んだみたいだからな、ヒントを与えに来たんだよ」
俺は人間が好きだからなと笑う。
「そして最悪の記憶の遊戯者には通常の人間は立ち向かえん。今回だけだが特別に手を貸してやろうとも思った。人間好きな闇神の気紛れだよ。まぁ、否と言われたって勝手についていくがな」
驚くフィレルらに闇神は言う。
「眠っている封神の姫を呼び起こすには、あと二つの『欠片』が必要だ。壊れ傷付いた彼女の心を復元するには、彼女と強い関わりを持つ人物のものを集めなければならない。シルークの『欠片』は蝶王だった。レ・ラウィの『欠片』はエメラルドのペンダントだ。そういった全てを集めなければ彼女は目覚めないようになっているという。……全く。面倒な鍵を掛けたものよあの骸骨めが」
蝶王の声は確実に届いているぞと彼は言う。
「だから絶望するな、前を見ろ。歴史を思い出し文献をあされ。彼女を七雄のゆかりの地に連れていけ。そうするごとに彼女に掛かった『鍵』が外れ、最後の『鍵』が外れた暁には彼女はようやく心を取り戻す。旅は長いが全てが終わったわけではない。……ほら、な。希望が見えてきただろう? ヒントをやる。七雄全てのものを集める必要はない。必要なのはシルークと、レ・ラウィと……エルステッドだ」
闇神の、言葉。
全て終わった、打つ手はないと思っていたけれど、そんなことはなくて。
よかった、とフィレルはその顔に微笑みを浮かべた。
「レ・ラウィのペンダントなら兄さんが持ってるから最後に行けばいいね!」
とにかく、用は済んだのだしこの島から出ようとフィレルは笑った。
◇
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