複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- アビスの流れ星
- 日時: 2013/05/22 20:35
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: 76WtbC5A)
- 参照: http://ameblo.jp/gureryu/
名前変えました。「緑川遺(ミドリカワユイ)」といいます。
これからもよろしくお願いします。
ちゃんと丁寧に最後まで完結させたいなと思います。
(登場人物)>>3
序章「記憶喪失の少女の追憶」
>>1
第一章「生きるという責任の在り処」
>>2 >>6 >>9 >>12 >>14 >>15 >>16 >>17
行間
>>22 >>25
第二章「生きる理由」
>>29 >>32 >>33 >>34 >>35 >>38 >>39 >>40
行間二
>>41
第三章「人は自分を騙し通すことは出来るか?」
>>44 >>47 >>48 >>49 >>51 >>52 >>53 >>56 >>57
最終章「シューティングスター・オブ・アビス」
>>58 >>59 >>60 >>61 >>63 >>64 >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>70 >>71(New!!)
行間三
>>72
登場人物 2
>>73(New!!)
- Re: アビスの流れ星 ( No.49 )
- 日時: 2013/01/19 20:47
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)
3
羨み。妬み。嫉み。僻み。偏見。虚言。差別。孤立。エトセトラ。エトセトラ。エトセトラ。
五年前に事故で家族と両脚と左腕、左目を失って、身体の半分を化け物に挿げ替えて、自在に動かせるようになるまで血反吐を吐いて這い蹲って立ち上がってからというもの、俺は思いつく限りの人間の暗黒面を一身に受けてきた。
生き延びる、ただそれだけを念頭に戦い続けてきた結果は、自分以外の、いわゆる普通のスペックの隊員達の死。それから、自分への責任転嫁。
だからだろうか。人間と言うものが灰色の石ころに見える分、特にレイダーに対しても何ら憎しみを感じることもなかった。或いは、最初っから殺意剥き出しで襲い掛かってくる彼らのほうが素直なのかもしれない。こっちも、問答無用で殺していいから助かる。
アイカワは唯一、心の壁と言い換えてもいい隔てをあっさりぶち壊して、俺に歩み寄ってきた人間だった。彼に対する信頼からなのか、彼の部下達も、俺の孤立を気にも留める様子は無かった。
彼らの死までも自分のせいにされても困るから、相変わらず任務は一人でこなしていたが。
そして、それはある日のことだった。
任務を終えて、包帯を巻き直してから周りを見渡してみたところ、何かの気配を覚えた。五年も戦い続けていると、そういうものは直感で悟れるようになる。
無論確証はないからと、包帯を巻いたままだった。ビルとビルの間を、極力足音を立てないように気配の方向へと行くと、人間の死体の山。
先ず、居住区でもないはずのそこでそれだけの数の人間が死んでいることにも驚いたが、視線は何より、満月を背にしてその頂点に佇む影に釘付けになる。
新種だろうか、人のような狼のような、腕から刃の生えた白銀のレイダーの姿があった。
その頃、既にコードネーム持ちを一体……ナーガというレイダーを倒した経験のあった頃だった。そして、その白銀のレイダーは、ナーガと並ぶ雰囲気を纏っているように思った。
端的に言えば、強い、それも相当に、と直感した。
当然のごとく、臨戦態勢をとる。
討伐する自信はあった。
しかし、その後に起こった事態は想像もつかなかった。
砂塵が巻き起こって、レイダーを取り巻くように風の渦。突風。視界が狭まって、それでも視界から奴を捉え逃がさないようにと薄目を開けている。
小さな疾風の嵐は、辺りに浸透して。
風が鳴り止んだ頃、死体の山の上に立っていたのは、レイダーではなく一人の少女だった。
灰色の髪で、水色の瞳の。
少女は黒いパーカーと黒いショートパンツを着用しているという風貌。黒いブーツを穿いていた。
彼女はしばらくの間、呆然と空を眺めていた。
こちらにも気付かず、ただ呆然と。視線の先にはアビス。まるでその奥に潜む何かをじっと見つめるように。表情には、恐ろしいまでに何も映し出されていなかった。
「……おい」
声をかける。返事と反応は無い。
「おい」
声量を上げてもう一度。だが、返事と反応は無い。
「おいっ!」
「うぇえ!?」
無視していたわけではなく、本当に聞こえていなかったようだ。というか呆然としていたようだ。いきなり声をかけられて驚いた、という風に、少女は少し飛びのきながらようやっと俺の方を向いた。
「……え、えぇと……ドチラサマデスカ?」
「それはこっちの台詞だ。何者だ、お前」
「え、あ、わ、私?」
私は……といいかけて、少女は口をつぐむ。
「……誰でしょう?」
「フザけてんのか?」
「わっ、ちょ、まっ。ちがっ、違います!」
構えた銃口の先を彼女から逸らさないまま、次の言動を待つ。
「……その、分からないというか」
嘘を言っている目じゃない。というか初対面だが、はっきり言って嘘をつけるような人種……いや、レイダーに見えないというか。
化け物たる彼女は、しかし動揺して怯えた目つきで俺の様子を伺っている。
しかし、そのとき、俺はもう、引き金を引けるような気がしなかった。
こいつは、俺と同じ化け物で、俺と同じ人間だ。
元よりレイダーに嫌悪感を感じなかった所為なのか、殺す気は失せていた。
服の胸元に埋め込まれているマイクに向かって、言う。
「……こちらスギサキ。少女を一名保護した」
端的に言えば興味を持った。目の前で、人間に化けて見せたレイダーに。
以上が、俺が彼女をライブラに匿った経緯である。
それから程なくして、俺はオーストラリアに派遣され、更にその半年後にアイカワが死んだと報告を受けて日本へとんぼ返りする。
まさか、突き詰めればそれがフミヤと、彼女を連れ込んだ俺の所為になるとは思わなかったが。
何しろ、フミヤが屋上で、ようやく居場所が出来たと言ってくれたあの日。俺も同じ事を思ったのだから。
死んでも、口に出して言ってやりはしないけど。
俺と同じのフミヤ、簡単にくたばるとは思えないシドウ。
ようやく信頼できる奴らに巡り会えただなんて。
- Re: アビスの流れ星 ( No.50 )
- 日時: 2013/01/20 20:38
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)
黒田奏です。
熱を出しました。あと非常にだるいです。
インフルエンザの可能性も疑われるので、しばらく更新はお休みするかもしれません。
とりあえず、今日はお休みです。
ごめんなさい。
だから人混みは嫌いなんです。
- Re: アビスの流れ星 ( No.51 )
- 日時: 2013/01/23 20:50
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)
4
アレはじゃれ合いだったのだと、再認識する。
「……チッ!」
左右右下左突突右左上右下突右右突右下十字。
目も眩む二刀はかつて赴いた北方のブリザードを想起させる。いっそこれがブリザードならマシだったろう。自然に殺意は存在しない。しかし目の前の男は間違いなく俺に殺意を向けて手数を繰り出す。
廊下を押し切られてゆく。上下左右の逃げ場は無いに等しい。フィールドが悪い。
益してや相手はシドウ。剣術だけであれば向こうのほうが上手など知っている。
ならば弾丸で撃ちきれば良いと思えど、引き金すらも引かせないと言わんばかり。
右右下左突右下左上下突突左左右下上。
しかし一刀流だけで受けていればいずれ刃吹雪に呑み込まれるのは道理で当然。見ろ頬に赤い一筋がまたひとつ。二の腕にまたひとつ。
首に入ろうとした一閃を受ける。読まれていた。
無意識の呻き声が出た。全身を後ろへ引っ張られる感覚がしてから気付く。腹部を思い切り蹴り飛ばされた。バウンド。一転。二転三転。受身を取って両肘と両脚で廊下について。
「……やはり手加減は慣れん。難しいな」
今ので加減してたってか、ふざけんじゃねー。言ってやりたいが、一言分の体力も勿体無く思える。
シドウは右手のサーベルをきりきりと回して、ひゅんとひとつ風を切る。それから両の腕からぶらさげて、軍靴を鳴らしてこちらへ。
余裕綽々め。
しかし充分に距離を取れた。思いがけず大チャンス到来。ざっとアイツが大股で踏み込んで十歩分。それだけあれば、引き金を引く前に銃身ごと貫くなんて芸当は出来ない、させない。
手首を回す。コツは知っている。わざわざ前倣えする必要なんてない。そのまま軽い気持ちで引き金を引く。
機動力を奪えば勝ちは同然。狙うは脚。
当然シドウは反応する。お得意の投擲も間に合わなかろう。
駆け出して弾丸を避けながらそいつは迫る。
その避けるための、時間の隙間を逃がさない。
もう一挺銃を抜く。
撃つ。
撃つ。
撃つ。
シドウは避ける。そして俺が思い描いたとおりの俺の正面へ。
銃を二つとも上に放り上げる。両手に剣。シドウの一撃を受け止める。勢いも相まって重い攻撃を耐え抜いて押し切る。
珍しく吼えていた。
「ぬ……ッ!?」
押し切る。
ここに来て初めて真紅の流星は後ろへよろめいた。単純な力の差であれば身体の一部が化け物な俺のほうが強い。
反撃の手を緩めない。刹那刹那をここで決めるつもりで一歩。
銃に持ち替え。
剣に持ち替え。
銃に持ち替え。剣に持ち替え。斬る。撃つ。斬る。撃つ。斬って撃って斬って撃って斬って斬って撃って斬って撃って斬って斬って撃って撃って撃って斬って撃って撃って斬って斬って斬って撃って斬って斬って撃って斬って撃って撃って斬って撃って斬って斬って斬って撃って斬って斬って撃って撃って撃って撃って斬って斬って撃って斬って。
しかし真紅の流星とて伊達ではないらしい。
弾丸を弾いて切っ先で流して剣戟をいなして鎬で払って。
思考じゃ追いつかないくらいの攻防だと言っても何ら嘘は無い。
「上、等ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!」
上擦った金属音が流水のように響き続けて、弾ける火花と、サーベルの表面を滑る光は絶えず回る万華鏡の如し。
小さな小さな笛を鳴らして行き交う自らの浅い呼吸のひとつまでもが、自らの命を繋ぐ手綱を思わせるほどに力強く思える。
脚は、撒き散らした羽根よりも軽やかに、落雷よりも重く。
考えるより、想うより、ただ眼をしかと開いて鮮烈な光景の全て、たとえば砕け散る鏡の一片までも見逃さないように、時間と空間の概念すらも置き去りにして見据える。
ただこの両の掌が掴んだ凶器、俺の身を、俺の大切なものを守る道具が、俺の反射と直感と感覚と感性とに合わせて、霹靂と打ち砕くような雨と薙ぎ倒すような風の全部を内包した大嵐を巻き起こす、それが今ここにある世界の全てだと、頭の後ろ側の中の、脳の奥の、さらに奥、の奥で把握している。
自分の世界が自分の両腕の中で暴れていた。正面から見据える相手とぶつけ合う。
ひとつ閃光が煌いて輝くたび、流れる真紅の星の真っ赤な髪がたゆたった。嵐の流れに逆らわず、ただ流れる。
鋭い剣の印象を受ける瞳は、深く深く、どこまでも奥深く、そこからどこか遠い場所へ繋がっているかもと思わせるほど、深く紅く。
死闘。
しかし、未だ傷一つ付けることも能わず、とうとう、決定的な瞬間は訪れた。訪れてしまった。
「あ……?」
右脚と左腕を、サーベルが貫通した。
俺の背の廊下の壁ごと。
「う、げぇっ。っ」
それから鳩尾に、重い拳。
サーベルと、銃と、サーベルと、銃が落ちた音。
ああ、成る程。ダメだったか、と、やけに落ち着いた脳味噌が、ゆっくりと意識を手放していく。
「……にげ、ろ……。フミヤ……」
掠れる声で絞り出した言葉も、当の本人に聴こえるはずは無く。ただサーベルを二つ拾った軍靴の音と自分の視界だけが冷徹に遠ざかっていく。
- Re: アビスの流れ星 ( No.52 )
- 日時: 2013/01/26 14:24
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)
5
どうにも、今日は調子がおかしい。
相手がスギサキとはいえ、アレだけの手数を放って仕留めるまでにこれだけの時間がかかるのは。お互いに手の内を知った相手だから、そういうこともあるのだろうか。
などということを考えながら屋上までの階段をひとつひとつ踏んでゆく。このあたりは暖房設備が無い。よって、自分の口の端から洩れ出る息が白色を帯びて淡く溶けて消えていく。
昨日の晩は雪が降っていた。フミヤも、雪を見るのは初めてだとはしゃいで——いや、考えないようにしよう。
ともかく、今もまだ屋上に雪が降っている可能性はあるし、だとすれば足場は悪いかもしれない。この靴にはそういう為の対策も施されてはいるが、肝に銘じておくべきと判断した。逆に、そういう足場……金属製で平ら、雪で滑りやすくなった足場で戦い慣れていない相手、つまりフミヤならば、それを利用することも出来るやも、とも。
戦場に限らない。イメージトレーニングは、何かを効率的に進めるうえで大きな効果がある。それは自分の精神状態を安定させる意味合いも兼ねて。近頃は、私たちの装備に私たちの精神が関わっている可能性も示唆されているのだから、なおさらおざなりには出来ない。
さて。
ちょうど、屋上の直前に辿り着いたので、その重い扉を開いて、仕事へ。
「——シドウさん」
灰色の髪の少女の姿がそこにあった。タイツを穿いているとはいえ、ショートパンツで寒くないのかといつも疑問に思う。それから黒いパーカーだけで。
雪が視界に白く舞い散る中、彼女の色がやけに鮮明だった。
少女の姿の……レイダーは、酷く不安げな顔をして、柵を強く握り締めていた。
「あ、のっ、私、レイダーじゃありません!」
「自覚が無かっただけだ」
事実をそのまま告げる。その際の相手の表情の変化を敢えて思考に入れない。予想はついていた。本当にアビスという星がこいつを送り込んだとして、俺ならばその自覚を本人に与えない。相手を油断させるには効率的だからだ。
スギサキや私のように。
それからきっと、フミヤ自身にも予想はついたはずだ。
——本人にしばしば訪れる『ぼうっとしていた時間』、その時間に自分がアビスと交信していた。
そう考えれば、アイカワ大尉が死んだあの日のことさえも、簡単に説明できてしまうことが。
「自覚無しに災厄を振り撒くのではどうしようもあるまい」
息を吐いて、両手のサーベルをひとつ回して、両手を広げて構える。
「フミヤ。悪いが、これは任務だ」
相手の表情を敢えて見ない。あれはレイダーだ。倒すべき相手だ。殺さねば、こちらの誰かが殺されるやも知れぬ。現時点であれを確実に屠れるのは私だけだ。私がやらねばならないのだ。
これは仕事だ。
これは仕事だ。
俺が責任を取らねばならない。
踏み出した。
踏みにじった雪が舞っていた。
斬り付けようとしても、フミヤは必死になって逃げる。トレーニングの成果が出ていることを、喜んでいいのか、嘆いていいのか。
そういえばレイダーだからなのか、コイツのタフネスには半ば呆れるばかりだった。スギサキは燃費が悪いので、俺よりも体力のあるライブラ隊員など初めて見たかもしれん。よくもまあ、あれだけのトレーニングについてきていたものだ。半泣きになりながらも。面白い顔をしていたっけ。
サーベルを投げつける。ああ、狙いがブレていたな、今のは。外す感覚は極めて久しぶりだが、それでもなんとなく解った。
それにしてもおかしい。
フミヤを相手に、これだけ手間取るものだろうか。
というか、いまいち集中していないように感じるな。
握ったサーベルに現実味を感じない。
夢だとでも思いたいのだろうか。
しかし私の甘えに止めを刺すように、フミヤの右腕は化け物へと変化する。
——ああ、そうか。
装備の性能は、装備者の意思によっても影響を受けることがある、そんな仮説が頭の隅を掠めた。
それによって、いつもより調子の悪い理由に、ようやく納得が行った。
殺したいワケ無いだろ。
レイダーだったとしても、私にとって彼女は彼女だというのに。
居場所だというのに。
緩みかけた、サーベルを持つ手を、もう一度握り締める。
ダメだ。私がやらなければならん。
他の誰かにこいつが殺されたとなれば、私はそいつを殺しかねない!
——スギサキに一撃一撃を繰り出すたびに、——
感情を振り切れ、置き去りにしろ。私は鬼だ。人の皮を被った冷徹な鬼だ。目の前の化け物は殺さねばならない。目の前の者は化け物だ。化け物だ。言い聞かせろ。自分に言い聞かせろ。気を緩めるな。その瞬間きっと、この脆弱なココロに全てを持っていかれる!
——胸の奥が隙間無く締め付けられる気がした。——
狙いが微妙にブレる。今打ち込めば倒せ得るだろう相手の隙に本能が反応しない。なぜ俺の腕は言うことを聞かん。なぜ上手く動けない。なぜこうも全身が何かで縛り付けられたように重い。ああ、意思か。
——それを、更に更に強くしたような痛みを、今も感じた。——
きっと今の私は、泣きそうな顔をしている。
感情に呑まれる前に、この一息で終わらせようと、踏み込んで。
サーベルの切っ先は、ぴたりと、彼女の咽の直前で止まってしまった。
それからフミヤの右腕が、私を貫いて、
- Re: アビスの流れ星 ( No.53 )
- 日時: 2013/01/26 14:11
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)
自分の咳に、骨の髄から揺さぶられた感覚を味わった。何かと思えば俺は血を吐いていたのだった。
しばし呆然とするも、状況を飲み込むのは簡単だった。私はフミヤに刺されたのだ。
あまり痛みは感じない。ついでに寒さも。ただ、寄りかかってフミヤに触れた部分が、妙に温かく、心地よく感じる。
寝起きのような、どこか世界が遠く感じられるような漠然とした意識の中、サーベルを手から取り落としたような気がした。
音は入ってこなかった。
情けないざまだと思う。生きろと命令しておいて、殺そうとして、この有様で。
呼吸する。息を吸おうとすると、喉のおくが分厚い鋼鉄に阻まれたかのように詰まった。
それでも、これだけは言わなければいけない気がした。
「生き延びてくれ、フミヤ」
世界が傾いた。
それから私は崩れ落ちた。
6
未だ痛む腹を押さえながら辿り着いた屋上で見たのは、美しい銀世界と、鮮烈にそれを彩る黒い二人と、広がる赤。我が目を疑った。
簡潔に言えば、雪が降る屋上の中で、フミヤは化け物みたいになった右腕を血に染めたまま呆然と立っていて、シドウはその足元で血に沈んでぶっ倒れていた。
信じられない光景だが、予感はあった。さっき奴が俺と戦っているときから。そして、俺の義手義足を磔にして気絶させるだけ、なんて甘い手段をとった時点で。
見たくも無かったけど。
どちらの名前を呼ぶことすら出来ず、ただ絶句した。
ほんのちょっとこの場所に居たいと思っただけで、なぜ? どうして? なんでこうなる? 何か悪いことでもしたか俺たちは。
ココロの内で狂おしく叩きつけられるように暴れまわる叫びに、しかし回答を下してくれる誰かがこの場所に居るはずも無く。
視界に立っているフミヤは、空を見上げていた。
彼女の視線の先は一面の雲、おそらくその向こうにはアビス。
「フミヤ、……シドウ……」
自分でも驚くほど、おぼつかない足取りだった。足を引きずるように一歩を彼女と彼のほうへ踏み出す。
そのときだった。フミヤの口から酷く平坦で、全く感情のこもっていない声が聞こえたのは。
後にも先にも、フミヤのそんな声を聴いたのは、それが初めてだった。
「——もぉー……、いい、よー……」
次いで腹の底から響いたぞっとする悪寒。
空が裂けて、アビスがのた打ち回った。
別にアビスという星自体が激しく動き回ったわけではない。本当に空が断裂したわけでもない。
ただ、空一面を覆う雲が、曇りガラスを拭いたように払われた。
それから青空に浮かぶ、その漆黒の星の表面の闇が、無数の大蛇が腹を打ち付けて悶え苦しむように蠢いた。
地の果てから迫るような遠い轟音。足元からムカデが這いずって上ってくるような酷くいやな感覚。
五感を通して自分に伝わるありとあらゆるものが震えている。
アビスから真っ黒な何かが生えてあっという間に大きさを増すのが見えた。
カタチを視認できるようになったのは、かなり大きさを増してから。無数の腕であるらしいものが地上に向かって折り重なって生えてくる。腕は目の前の屋上の、フミヤたちより少し離れたところへ到達すると、更に折り重なって、泥の上から泥を被せていくように溜まって。
大きな真っ黒の水溜りが出来上がった。
闇の中に蠢くものがひとつ。うずくまった何かの姿。
うずくまった何かはもぞもぞと立ち上がる。湯船からあがったときに水が身体から落ちるように、闇もぼとぼと落ちていく。
それは人間の形をしていた。闇が落ちてゆくと同時に、そのヒトが驚くほど白い姿をしていると知った。
「……あぁぁぁぁぁ……、……うん」
ヒトの姿は小柄、フミヤと同じかそれより少し大きいくらい。顔立ちは端整で、男か女かは見た目で判別できない。
白いヒトは首を鳴らす。
ふわりとした髪も、肌までも、雪に溶け込めそうなほどに白かった。
しかしその瞳は、恐ろしさを覚えるまでに真っ黒で、黒く、深く、一切の光を吸い込んでいた。
「おぉ。すげぇー。これが雪かぁ。うん」
酷い猫背の白いヒトは、舞い散って降る雪のひとつを手にとって子供みたいな声をあげる。
「やっぱ地球、遠くから見たりフミヤ越しで見るより、自分で来て良かったぁ、うん」
ところどころイントネーションのおかしい話し方。
やがてそいつは、全てに呆気をとられている俺を見つける。
「ぬぬ? ぬ、ぬぬぬ? あー、スギサキじゃーん」
何で俺の名前を知っているのか、とか、疑問を抱く余裕も無かった。
「ちゃんと聞いてる? はな、し方これで間違ってないと思う、けどなーぁ? あーぁ、そっかー、僕はキミタチ知ってるけど、キミタチは僕知らないもんなー」
ぱちゃりと闇の水溜りを踏む音。小柄で細身の白い、端整な顔立ちの少年は俺に向き直って、腰の辺りで両手を広げて、その名を名乗った。
数十年前から俺達全人類が憎んで、恐れてきた名を。
「はじめまして。僕の名前は『アビス』」
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