複雑・ファジー小説

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君は地雷。【短編集】
日時: 2020/07/09 22:50
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)

 短編集をきちんと最後まで書ききったことがありません。計画性がない脳内クレイジーガールです。
 好きな時に好きなお話を書きます。そんな感じです。よろしくお願いします。


 


 目次みたいなもの

 ひとつめ >>006
 ふたつめ >>010
 みっつめ >>014
 よっつめ >>028
 いつつめ >>032
 むっつめ >>037
 ななつめ >>042
 やっつめ >>051
 ここのつめ >>055

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.58 )
日時: 2020/07/23 22:38
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)

【 ハッピーエンドに殺されたい3 】




 キスされた。頭が沸騰して心臓がバクバクして、思考が停止しそうになったのにサイン会の列は進み続ける。先ほどの少女のように「ファンです。いつも応援してます」と明るい声で話しかけてくる彼らに小春はただ必死に笑ってみせた。長ったらしい列がなくなるまでには二時間もの時間を要した。
 ようやく終了したころには最初のあのキスのことも忘れかけていたのか、疲れて大きなため息を一つ。ぐっと伸びをしていると、マネージャーの筒井が後ろから声をかけてきた。

「小春さん、お疲れ様です。今日のお仕事はこれで終わりなのですが、家まで送りましょうか」
「え、ああ、うん。お願いしてもいいですか?」
「かしこまりました」

 筒井の車に乗り込んで、小春は少し眠った。久々に見た夢は、あまりいい夢ではなかった。




「ねぇ、小春ちゃんってさ、あれでしょ、ライバルになると思って××ちゃん階段から突き落としたんでしょ」
「小春ちゃんって、可愛い顔して酷いこと言うよね。陰口言ってる噂しか聞かないよ」
「ごめんね、小春ちゃん。今回の役はちょっと小春ちゃんとは合わないっていうか……」
「君はもう必要ないんだよ。君がいなくても子役は次々に出てくるから」
「ばいばい、小春ちゃん。もうあんたはこの世界には要らへんの」







 最悪の目覚めだった。筒井が小春の身体を揺らしても起きなかったからと言って、マンションまでおぶっていったという事実を聞かされたとき、小春の顔は一瞬で青ざめた。悪夢でうなされていたことよりも筒井に迷惑をかけたということの方が最悪だった。

「ご、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。お疲れのようでしたし、これくらい」
「で、でも」
「小春さんは気を遣い過ぎですよ。もっと僕を頼ってください」

 そんなの無理だ。自分を救ってくれた人間に、これ以上迷惑をかけられない。自分が出来ることは、有名になって人気になって筒井を喜ばせることだけ。それで十分だった。
 「僕ともう一度、頑張りませんか」と声をかけてきた筒井の手をとったのは絶対に間違いじゃなかった。笑顔を素敵だと言ってくれた筒井のためなら、本音を隠して偽りのキャラを演じきって頑張れると思った。それが成功して今自分はテレビに映っている。
 これは恋ではなかった。それでも筒井のために頑張りたかった。


 「ごめん、筒井」


 ふいに思い出したあの少女の笑顔。ああいう顔で笑いたかった。筒井が好きと言ってくれた笑顔はきっと今の小春の作り笑顔ではなく、本当に嬉しかった時の笑顔のはず。あの子みたいな表情が自分にはできないことに胸が少し痛んだ。
 ドアが閉まる音がしてすぐに鍵が外側からかけられた。筒井が出ていった後のこの部屋はとても静かだった。しんとした空気に耐えられずテレビをつけるけれど、バラエティのにぎやかな雑音が空気を震わせるだけ。ポッケをいじっていると、一枚の紙が出てきた。あの時の女の子がいれた携帯電話が書かれたメモ。ぐちゃぐちゃに丸めてごみ箱に捨てようとしたけれど、少しだけ彼女のことが気になった。小春は丸まったそのメモをそっと開いて番号を携帯電話でダイヤルした。ぷるると数回なった後、はい、と女の子の声が携帯越しに響いた。透き通るような綺麗なその声に、小春は焦って電話を切ってしまう。芸能人がただのファンに無言電話したなんてばれたら絶対に恥だ。一生の恥。
 小春は小さな唸り声をあげながら携帯を充電器にさしこみ、布団をがばっとかぶった。電気をリモコンで消して、真っ赤な顔を隠すように暗闇の眠りに落ちていった。

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.59 )
日時: 2020/07/29 23:40
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)

【 ハッピーエンドに殺されたい4 】

 目覚ましの音が部屋中に響き渡り、小春の耳に届いたが、彼女の手のひらは目覚まし時計を薙ぎ払っていた。地面に落っこちた時計は逆に壊れたように鳴り続け、大きな奇声を上げながら彼女は目覚ましを拾いに起き上がった。
 マジ腹立つ。どうしてうまくいかないのよ。こんなうるさい玩具に私の生活の邪魔をされたくな、
 イライラして時計の時間を確認すると、衝撃的な時刻を示していた。真っ青な表情を手で覆いながら身震いしていると、チャイムが鳴った。間違いない、マネージャーが来た。
 今日の予定を思い出し、もう部屋を出なくてはいけないと焦ってクローゼットを開ける。筒井が誕生日プレゼントでくれた可愛い花柄のワンピースを勢いよく頭からかぶり、カバンの中に化粧ポーチを突っ込んだ。髪を軽く解かしてお気に入りの靴を履いて扉を開ける。前に立っていた筒井に「お待たせ」とはにかんで笑って、準備完了だ。
 すぐに車に乗り込み、スタジオに向かう。その中で化粧をしながら、筒井から今日の予定の変更を聞いていた。

「で、今日の十六時からはドラマの撮影が入っています。台本は覚えていますか」
「え、ああ、うん、覚えてる、大丈夫……」
「……珍しいですね、小春さん、朝寝坊ですか?」
「え、ああ。いや、気になってた本を読んでたらいつの間にか時間忘れちゃって。お恥ずかしい」

 筒井に図星をつかれ、ごまかしながら小春は化粧を続ける。渋滞にはまったのか、車が止まり、筒井がこちらを確認したころには化粧は出来上がり、みんなが可愛いともてはやす「小春ちゃん」が完成していた。

「あと十分くらいで到着です。準備は、大丈夫そうですね」
「あ。大丈夫です」

 カバンの中に台本が入ってないことに気づいたのは、その時だった。まぁ、仕方ないと思いと腹をくくり筒井には何も言わなかったので、あとで小春は筒井にめちゃくちゃ怒られた。





 ドラマの収録は午後九時を過ぎても続いた。終わったのは、もう十時近かっただろうか。街灯に照らされても暗く感じる外に出て、小春は大きなため息をついた。筒井が急用で自分から離れていったのは今日が初めてだった。「やっぱり残ります」という彼を送り出したのは、引き留める女々しい自分が嫌いだったから。ここからタクシーを使って帰ればいいということはわかっていたけれど、それをせずに駅まで歩きだしたのは、単なる気まぐれ。

「小春ちゃん?」

 もちろん自分が芸能人であるという認識は忘れていなかった。だけど、マスクも眼鏡もしていたし、ただの売り出し初めのアイドルもどきに気づく物好きなんていないと思った。
 その声は女の子の声だった。小春が顔を伏せた時にはもう遅く、近づいてきたその人影に身を丸めるだけで精いっぱいだった。

「小春ちゃん、だよね。ほらやっぱり」


 顔を覗かれて気づいた。暗闇でよくは見えなかったけれど、見覚えのある顔、しかも、最近見たことのある。気づいた瞬間小春は絶句した。そして勢いよく仰け反り声にならない悲鳴を上げながら後ろにしりもちをついた。

「あんた……」
「あ、覚えてくれてた? 芹香だよ。てか、なんでこんなとこに小春ちゃんがいるの、危なくない?」

 前にあったときのポニーテール姿ではなく、髪はおろし少し大人っぽくなっているあの時の少女。名前をしっかり憶えていた。水島芹香。ファーストキスをいとも簡単に奪った女だった。
 うまく言葉が出ずに口をパクパクしていると芹香はこちらをじいっと見つめた後、小春の手を取り走り出した。

「ちょ、な、なにすんのよ!」
「なにって、あれでしょ、家帰るんでしょう。じゃあ駅かなって思ったんだけど、あれ、もしかしてタクシーとかで帰る?」
「いや、電車で帰ろうと思ったけど……」
「じゃあ、こんなとこで話してるよりとりま駅行こ。こんなとこでいたら変質者でるよ。危ない」
「……う、うん」

 芹香に手を引かれ走り出す。お気に入りの靴が皮膚に擦れていたかったけど、何も言えなかった。
 暗い夜道を二人で走る。なんだか逃避行みたいだと思った。ああ、ほんと馬鹿らしい。

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.60 )
日時: 2020/08/02 22:20
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)

【 ハッピーエンドに殺されたい5 】




 夜になると電池が消耗して動きが鈍くなるのだろうか。と、芹香は小春の手を引きながらそんなことを考えていた。蛍光灯のような白い街灯の通りを抜けると、LEDライトで明るくなった駅が見えた。とりあえず人気のないベンチに彼女を座らせたけれど、前に見たあの佐藤小春とは全く違った様子に少しだけ不安になった。

「ねぇ、小春ちゃん、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」

 ぼおっとしているのはすぐにわかった。声をかけても返事は譫言のようにつぶやくだけ。
 こんな調子で電車で家に帰るなんてできるのだろうか。不安を抱えながら、もう一度彼女に尋ねる。

「ねぇ、小春ちゃん。ほんとに電車で帰るの? タクシー拾ったほうがいいなら、つかまえるよ?」
「……大丈夫」

 何を言ってもこう返す、まるでロボットみたい。駅の近くだからか人通りが多い。会社終わりのサラリーマンや部活終わりの高校生、近くを通り過ぎていく人たちがこちらを見るたびにいつばれるか冷や冷やした。だけど、小春はばれるなんて一ミリも思っていないかのようにマスクを外した。

「息、苦しいや」
「ちょ、小春ちゃん、それはダメだって。ばれたら大騒ぎになるよ」
「マスク外したくらいでばれないわよ。あんた馬鹿じゃない?」
「え、ちょっ」

 やっぱタクシー拾って帰る、と小春がぼそりとつぶやいた瞬間、彼女はすぐにタクシーの近くに寄って行き、扉を開いた。

「あんたも一緒に帰る? 家まで送ってってあげる」

 彼女は何を考えているのだろう、と勘繰ってしまうその発言。だけど考えてもわからないことは考えないようにした。小春の手招きに芹香はタクシーに乗り込み、自分の住所を言おうとした。その瞬間、ズボンの後ろポケットに入れていたスマートフォンが振動した。すぐに見てみたけど、案の定母親からだった。「今日はおうちデートです。帰っちゃやーよ」メッセージは短く悪意は込められていない。ただ淡々とお前に帰る家はないと告げられた一言だった。

「えっと、あの、えっと」

 自分の住所をごくんと飲み込んで、運転手から少しだけ目をそらした。いかつい顔のタクシードライバーに何故かせかされているような感覚がした。小春がこちらをちらりと見て、ふうと小さなため息をついたあと「じゃあ、○○町の××マンションまでお願いします」と芹香を目の前にぺろっと自分の住所を吐いた。

「家に帰り辛いなら、一日くらいならうちに泊めてあげてもいいけど」
「……え」


 タクシーが動き始める。見慣れた景色が移り変わる様子にごくんと唾を飲み込んだ。隣ですうすうと寝息を立て始めた小春に驚きながら、芹香は母親に「了解」と短くメッセージを返していた。
 





「小春ちゃん、着いたよ」

 彼女の体をゆすって起こすと、彼女は「うるさい」と寝言をつぶやきながらゆっくり瞼を持ち上げた。芹香の顔を見るなりいろいろ思い出したらしく、はあと今度は大きなため息をついてカバンの中から財布を出して一万円札を運転手に渡した。
 小春があっさりと部屋にあげてくれたことには正直驚きすぎて声が出なかった。女子高生が一人で住んでいるには広すぎるその部屋は、ただただ白かった。真っ白だった。

 部屋の明かりがついて、雪のように白い部屋に小春の姿が映えた。こちらを振り返った彼女は、にこりとも笑いもせずにこちらを見て、一度瞬きをして、足に力が入らなくなったのか急にしゃがみこんでしまった。

「こ、小春ちゃん?」

 名前を呼んでも彼女が応えることはなかった。聞こえたのは小さな鳴き声。
 透明な雫が真っ白なカーペットに落ちて、にじんで、消えていく。泣いている彼女の姿を見て、芹香は何も言えないまま突っ立っていた。


Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.61 )
日時: 2020/08/07 17:56
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)

【 ハッピーエンドに殺されたい6 】



「どうして泣いてるの、小春ちゃん」

 普通に発しただろうその声に冷たさを感じたのは、彼女の表情がとても悲しそうだったから。一見、心配してるように見える表情も、ほんとは馬鹿にしているだろうに。
 自分が泣いていることに気づいたのは、彼女が傍にあったティッシュで涙を拭ってくれてからだった。ああ、どうして泣いているんだろう。涙があふれた理由に心当たりはあったが、うまく言葉にはできなかった。覗き込むように見る彼女の瞳に囚われてしまいそうだった。小春は化粧が崩れるのも気にせず、ごしごしと目の下のあたりを擦って涙を止めた。

「どうして、あんたは私のこと気にするわけ?」
「どういうこと?」
「私のことが好きなんて、全部嘘じゃん。あんたさっきので分かったでしょ、私は口が悪くてファンのこともただの道具としか思ってないクズなんだから」
「それ、言っちゃうんだね。……ううん、いいや、それでも。それでも、あたしは小春ちゃんのことが好きだよ」
「嘘だ」

 突然変異したのはいったい何があったのだろうか。芹香はじぃっと小春を見つめて考えてみたが、彼女はただ涙を我慢するのに精いっぱいでそれ以上はなかなか語ろうとはしなかった。
 唐突に、何か飲む? と聞いてきた小春に軽くうなづいて席に着いた。真っ白な部屋に、家具も必要なものくらいしかない寂しい部屋。まるで社畜でなかなか家に帰ってこない男の人が住んでそうな部屋だと芹香は思った。
 珈琲を淹れてきた小春は芹香の顔を見てすぐに不安そうな顔に変わる。

「ごめん、珈琲とか若い女の子はあんまり好まないかしら」
「え、ああ、大丈夫。ミルクと砂糖もらえたら。あるかな?」
「うん、ある」

 小春がすぐにキッチンの奥からスティックシュガーとクリープを持ってきた。芹香が甘くした珈琲を口に含んで美味しいと笑うものだから、小春もぎこちない笑みを浮かべて見せた。

「好きってそんなに簡単に言えるもの?」

 唐突な小春の質問に芹香は少しびっくりして、珈琲のカップを机の上に戻した。真面目なその言葉に、こちらも真面目に答えなければいけないと思い、形から入ろうとひとつ咳ばらいをしてみせた。

「あたしは好きな人には好きって伝えたいよ。小春ちゃんは言えないの?」
「……そんな簡単に言っていいものなのか、わかんない」
「そんなにあたしのこと好きなんだね。うれしい」
「……うん、そ——っは? な、なに言ってんのばかっ!」

 ぺしんと頬をはたかれた。真っ赤になった小春の表情はとても可愛く、今すぐにでも抱きしめて自分のものにしたいという衝動に駆られた。やらないけれど。
 小春の好きな人はいったいどんな人なんだろう。どんな素敵な人なのだろう、そう考えるたびに彼女がこんなにも悩んでそれでも好きという気持ちを押し殺せないくらい好きなその愛の大きさに胸が苦しくなった。
 
「そんなに好きなんだ」

 芹香が呟くように漏らした言葉に、小春がこくりと頷いた。

「どこにも行ってほしくないの。ずっと私のそばにいてほしい。私と一緒にいてほしい」
「……じゃあ、言ってみればいいじゃん。好きって」
「だって、言えないよ。もう、私のものじゃなくなるんだから」
「なにそれ、もうすぐ結婚するわけ?」
「違う。代わっちゃうの。他の子に担当替えだって」

 意味が分からない小春の言葉に芹香は首を傾げるが、彼女は無視して言葉を紡ぎ続けた。

「夜に突然言ったの、あいつ。「もう小春さんは僕がいなくても大丈夫です」って。ひどくない? それなのに家までは送りますって! 社長に呼ばれてるくせに、昇進するくせに、私のこともういらないくせに、私のこと捨てるくせに、もういらないってはっきり言えばいいじゃんっ。それでもいいんだ、わたしはっ、筒井のためなら何でもできるのに……」

 誰だ、筒井って……。
 芹香はわんわん泣きわめく小春を見ながら、無意識に冷たくなった珈琲に手が伸びていた。

Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.62 )
日時: 2020/08/18 22:14
名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: d6rzi/Ua)



【 ハッピーエンドに殺されたい7 】


「筒井はどうしようもない私のことを拾ってくれた恩人だったわ」
「ふーん、まぁ確かに小春ちゃんはどうしようもないクズだけど」
「……は、今なんて」

 小春が芹香をぎろりとにらみつける。そんなことはどうでもいいことのように、芹香は珈琲にまた口をつけた。もうすでに空になっているはずのマグカップに口をつけるのは、彼女の昔からの癖だった。

「だって、小春ちゃんは本当はすっごく口が悪くて性格が悪くて、あたしのことなんて信用一ミリもしてない」

 芹香の顔がずんっと近づいて、鼻と鼻が触れ合う距離になった。まっすぐにこちらを見つめる瞳は汚れなんて少しもない。純潔、無垢、そんなお綺麗な言葉がとっても似あう。
 信用してないでしょ、とまた芹香が言葉を連ねた。ピンク色の唇が小さく震えていたのはどうしてだろう。信用してない、という本音を彼女に伝えてもきっと彼女は悲しんだり傷ついたりしない。それでも言葉にはできなかった。

「どうしようもなく、いなくなってほしくない人っているじゃない。あなただっているでしょう」
「小春ちゃんのこと?」
「存外、あなた私のこと好きなのね。ほんと、ばか」
「うん、あたしも馬鹿だってわかってる。小春ちゃんなんか好きでも、あたしは幸せになれない」

 それは報われない恋だからなのか、小春の性格が悪いからなのか。
 同性に恋情を抱かれたのは初めてだった。小春にとって芹香は異端な存在であり、どうでもいい存在なはずなのに。それなのに、弱ってるということだけで、彼女を家に招くなんて。

「私もきっと、あなたと同じよ」
「なあに?」

 小春は自分に淹れた珈琲に口をつけるけど、もう冷たくなっていて美味しくはなかった。ほんの少しの苦みが口の中にじんわりと広がって、舌で上唇を軽く舐めた。

「私もきっと馬鹿」

 小春は芹香の手を取ってぐっと自分に引き寄せた。ふわっと小春の髪の柔らかな花の匂いが鼻孔をくすぐって、最初何が起こっているのかわからなかった。

「私はただ、誰かに必要とされたかっただけなんだ。きっと、筒井が私のことを要らないって思ったら、私はまた一人になっちゃう。それが怖いんだ」

 小春の弱音は、あの時の、初めて会った、他人を罵倒しているときの様子からは想像はできなかった。あんなに強気な小春ちゃんが、こんなにも弱い存在だなんて知らなかったよ。
 すすり泣く声が耳元で聞こえた。芹香はそんな小春を優しく抱きしめて「いいこいいこ」と頭を撫でてあげた。

「あたしはそんな弱くて脆くて、どうしようもない小春ちゃんが」

 その声は甘ったるくて、溶けてしまいそうだった。
 この感情が「恋」というならば、それはきっと間違いだ。違う。君に恋なんて私はしない。
 私は誰も好きにならない。みんなの理想の「小春ちゃん」になるんだ。

「好きだよ」

 芹香の微笑みに、うっかりときめいてしまった。という話は、絶対誰にも言わない、言わない。芹香には死んでも言わない。


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