複雑・ファジー小説
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- 君は地雷。【短編集】
- 日時: 2020/07/09 22:50
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
短編集をきちんと最後まで書ききったことがありません。計画性がない脳内クレイジーガールです。
好きな時に好きなお話を書きます。そんな感じです。よろしくお願いします。
目次みたいなもの
ひとつめ >>006
ふたつめ >>010
みっつめ >>014
よっつめ >>028
いつつめ >>032
むっつめ >>037
ななつめ >>042
やっつめ >>051
ここのつめ >>055
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.53 )
- 日時: 2020/06/23 21:46
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
【 奪われた幸せ 】
君があたしの幸せを全部、奪って逃げちゃうから悪いんだ。
*
そろそろ断るのも面倒になったころじゃないか、と見合い写真とにらめっこするあたしを見て君は鼻で笑う。私は鬱陶しいと撥ね退けるけど、君はカラカラと笑うだけ。反省の色を見せることはない。
「もう、十六だろ。そろそろだって分かっていたくせに」
「まだ、十六だもの」
君は溜息をつきながら、私の向かい側の席に腰を下ろした。
湯気の立った紅茶にミルクを注いでスプーンでかき混ぜる。少し熱そうだったが、あたしはそっとカップに口をつけた。
「結婚なんてまだ早いですよ、お嬢様とでも俺に言ってほしいのか」
「うるさい。黙って」
「ははっ。生まれた時からもうこういう未来になるって決まってたんだから、腹は括っとくべきだったな」
「うるさい」
横から口を挟まされて、あたしはイライラしながら君に相槌をうつ。
君の余裕な表情を見てるとむかつくから、あたしはそっぽを向いた。
「っていうか、あたしは、まだ結婚なんかしたくないもの」
深く息を吐きだす。毎日積み重ねられるこの見合い相手の写真たちがあたしは憂鬱で仕方なかった。君は面白そうに茶化すけれど、あたしにとってはこんなの重荷でしかない。
いつかは。そんなのはわかっている。だけど、一度くらい恋に溺れてみたかった。相手のことしか考えられなくなるくらいに、酔ってみたかった。
君ならきっとまた鼻で笑うのだろうけど。
「決まってたことだ。仕方ない」
「そうだけど」
「わかりきってたことだろう」
君は同じことばかり言う。周りの大人たちと同じようなことばかり。
耳にたこができるくらいに聞いた。あなたは跡取りなのだから。いい婿をとって綺麗な飾りになりなさい、と。あたしには恋をしてる暇はないそうだ。
「……きっと、あたしは、あたしのことを愛してくれない誰かのものになって、一生綺麗な飾りとして生活するんだよ。いい奥様ね、ってきっとみんなあたしを褒めてくれる。ちゃんと社交辞令で、ね」
君はつまらなそうにあたしの話を聞いて欠伸をする。
あたしがむっと口を尖らすと、今度は大きな声を出してのびを始めた。
「あーあ。お嬢様はご機嫌斜めなんでちゅね」
欠伸交じりにあたしのことを馬鹿にする台詞を吐いたかと思うと立ち上がって、君はあたしの頭を軽く撫でた。
「世の中ほんと理不尽だよな。ごめんな」
君が最後にぼそっと言った台詞に、あたしは胸の奥の熱く今にも吐き出してしまいそうな気持をぐっと飲みこんだ。瞬間、涙がでそうになって、勢いよく両手の掌で頬をパシンと軽く叩く。
最低、
君に言えないことがある。
君にだけは絶対に言えないことがある。
君はごめんとか、そんな簡単に言うけれど、あたしは自分の気持ちを簡単に言えないよ。
君が奪っていった幸せを、あたしは本当は恨んでいる。君が今も幸せそうに暮らしていることが、本当の本当は許せない。だけど、あたしはそれを死んでも口には出さないよ。あたしは優しいから。
君の代わりに、あたしは他の誰かに嘘の愛でも囁かれよう。他の誰かに利用されよう。
全部君が悪いんだ。君が奪って言った、あたしのささやかな幸せを。
後悔しろ。君が犯した罪を。君が奪ったあたしの幸せを。
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.54 )
- 日時: 2020/06/26 23:59
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
【 ケロイド 】
本当は、魔法使いになりたかった。
どんな理不尽なことも魔法があれば、ほら。
許されたいだけ。そう、君は私に許されたかっただけ。
*
明日はきっといい天気になるはずだよ、と君が窓を見ながら言う。
外は嵐だった。テレビをつけても台風情報ばかりで、テレビの下枠には避難情報が流れていた。
私は君の後ろで「そう」と相槌を打つ。それからカバンに荷物を突っ込むと、お先にと先に部屋を出た。その日の、君の顔を覚えている。それも鮮明に。忘れたくても忘れられない。君の悲しそうな笑顔。
またね、君はそう呟くとまた窓の外を眺めていた。迎えの車を待たせていたから、私はその時の君の顔にひっかかりはしたけれど、何も言わずにそのまま帰った。
次の日、やっぱり君の言った通りいい天気だった。
嵐が過ぎ去ったあとの晴天は、清々しいほどの群青。雲一つないその青に私は少しだけ気分がよくなって、いつもは憂鬱な「そこ」に行く足取りが、少しだけ軽くなった。
君が死んだ、ということを聞かされたのは、それから一週間後のことだった。君が来なくなったあの日から、何度か連絡を入れたけれど君はずっと無視をした。そりゃ当然だ、この世界にもう君はいないのだから。
「そこ」に毎日通おうが、もう君はいないのに。私はそれを知らされた今でも、君を探しに足を向けてしまう。
君が死んだ、ということは君の保護者だたという人から教えてもらった。何度も何度も繰り返し送ってきたメッセージに、一週間後返信があった。「彼は死んだ。もう連絡は寄越さないでくれ」短いメッセージが、私の気持ちを海の奥深くに沈めた。
「魔法使いになりたいんだ」
君が死ぬ前に、笑ってそう言った。明るい笑顔だった。私はどうして、と聞くのも面倒で「そう」と短く相槌で返した。君はもっと深く追求してほしいのか、不満げな顔をしたけれど、結局笑って「君はそういう奴だよね」と足をぶらつかせた。
「魔法使いになったらさ、やりたいことがあって」
「そう」
「まずは理不尽なこの世界とはおさらばするんだ」
「そう」
「そしたら君を必ず救ってあげるから」
そうやって君は絶対に無理なことでも簡単に口にするから。本当は怖かった。君が言う「夢」は私にとっは「嘘」だから。叶わない夢を見るのはやめてほしかった。
君はよく笑う奴だった。笑えない状況の癖にいっつも笑ってて正直怖かった。
「だからさ、死なないでね」
君が魔法で私を救ってくれると言ったあの日、私は君のその言葉をほんの少しだけ信じてしまった。叶わない夢で、理想で、無理なこともわかっていたのに、君のそんなどうしようもない言葉に縋ってしまったんだ。
だから君が先に行っちゃったとき、私は少しだけむかついた。君が助けてくれるなんてちょっとでも信じた私が馬鹿だったんじゃないかって。皮膚の火傷がどんどん広がって、まるで君の呪いみたいだよ。
「だからさ、死なないでね」君の言葉は吐き気がするほど甘ったるい。
***
忘れたいことがたくさんある。おっちょこちょいな君が私につけた傷のこと。
白の天使、と私が呼ばれていたとき、君がつい油をぶちまけて、そして偶然私にかかった。熱の籠った二百度の油が私の皮膚を傷つけて、永遠の傷痕に変化するまで時間はそんなにかからなかった。
君が泣きながら何度も謝る光景を私は忘れない。毎日毎日私の家の通い続けて、何度も何度も家の前で土下座をして謝る。酷い光景だった。私は正直こんなのどうでもよかったけれど、母は許さなかった。白の天使は死んだ。みんなが可愛いと持て囃した白いもち肌のキッズモデルはすぐに芸能界から見放された。だって汚い傷がついちゃったんだもの、仕方ない。
やがて痣の広がった汚い私は母にも見捨てられてひとりぼっちになった。そんなときに君は私に秘密基地をプレゼントしてくれた。「お母さんに嫌なこと言われたときは、ここで二人でおしゃべりしよう。嫌なことなんか全部忘れさせてあげるから」当時の君はヒーローだった。
全部君のせいだった。
だけど、救ってくれたのも全部君だった。
君の中にある罪悪感のことを私は何も考えていなかった。
君に何ひとつ優しい言葉をかけてあげられなかったことを後悔している。
私が「もういいよ」ってあのときのことを許してあげてたら、きっと君は死ななかったのに。
そんなこと、私はもうすっかり忘れていたのに。
ごめんね、と書き残されたらしい。
君の遺書が保護者のメッセージで画像として送られてきたとき、私はショックで何度もトイレで吐いたよ。胃の中にもう水が一切なくなるくらいに、嘔吐して私は涙でぐしゃぐしゃになりながら、携帯を投げ捨てた。
「魔法使いになりたい」
もう一度、やり直したい。君をこの理不尽な世界に連れ戻したい。
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.55 )
- 日時: 2020/07/05 22:22
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
2020年 5月②
>>039 「 もうひとりの彼女 」
>>040 「 もうひとりの彼女2 」
>>041 「 もうひとりの彼女3 」
>>044 「 もうひとりの彼女4 」
>>045 「 もうひとりの彼女5 」
>>046 「 もうひとりの彼女6 」
>>047 「 もうひとりの彼女7 」
>>048 「 もうひとりの彼女8 」
>>049 「 もうひとりの彼女9 」
(死なないで、と私たちはきっと彼女に言えない)
※ 少し長い、続き物のお話です
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.56 )
- 日時: 2020/07/09 22:42
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19558
【 ハッピーエンドに殺されたい 】
土曜日の夕方5時から、平均視聴率は約7%。始まってまだ半年しか経っていないにもかかわらず女子小学生を中心に大人まで巻き込んで社会現象となった「キャンディ・ガール」は、今日から3クール目に突入し、オープニング映像がまた一新された。ジャンルとしてはドラマに分類されるが、アニメーションやCGの演出も多く使われ、一つの分野には留まらず人気を博していた。
主人公である「いちごみるく」こと花宮いちごを演じるのは、元天才子役として話題を集めていた佐藤小春という女子高生。一時期消えていたのが嘘かのように返り咲き、天使のようなその風貌に世間の明るい声援が沸き起こった。
「そうですね、こうやって私がまた演技が出来るのも、応援してくださる方々やオーディションで私を見つけてくださった監督のお陰です。感謝してもしきれません」
来年の夏に映画が決まったのは、つい先日のことだった。朝のニュースのエンタメコーナーで有名私立の制服を着た佐藤小春がにこやかに微笑む。インタビューマイクを持った30近くの女子アナが彼女が子役だった話を始めると同時に仕組まれたように彼女の昔の映像が放出されていく。あどけない笑顔の少女の写真から今のインタビュー映像に変わり「全然変わってませんね」とアナウンサーから言われ「そうですか」と小春は昔の写真を見て小さく笑った。
*
インタビューが終わり、メイクばっちりの女子アナが「ありがとうございました」と言いながら握手を求めてきた。小春はまた小さく笑って「こちらこそ」と彼女の手のひらを軽く握った。
ああ、疲れた。なんだこのおばさんは、いちいち笑顔が鬱陶しい。化粧濃いんだよ、私のエンジェルスマイルよりお前の化け物みたいな顔に注目が集まんだろ。ふざけんな。
小春が心の中で唱えながら「お疲れ様です」とスタジオを出ると、すぐ傍に彼女のマネージャーが立っていた。
「お疲れ様です、小春さん。今日もいい笑顔でした」
「そうですか、マネージャーさんにそう言ってもらえるなら安心ですね」
「はい、では次のお仕事なのですが——」
「あー、写真集のサイン会でしたよね。ファンの皆さんに会えるのとても楽しみにしてたんです、私」
マネージャーの筒井が後方座席のドアを開け、小春が中に入る。すぐに彼も運転席に座りエンジンをかけた。車が進みだし、外のつまらない景色がゆっくり動いていく。今日の天気は晴れでも雨でもなく、かといって曇りというわけでもない、微妙な天気だった。こんな日にわざわざアイドルまがいの女優に会いたいか。否、私なら絶対に家から出たくない。
ファンに会うなんて冗談じゃない。応援してると言ってもテレビを見てるだけではないか。自分がここまで這い上がってきたのは自分の実力と自分の努力の成果であり、ファンのお陰でもましてや小春をキャスティングした大人たちのお陰でもない。すべては自分の実力である。
こんな感じで、中身が最悪なことが原因で子役人生が終わったために、小春は絶対に自分の感情を口にはしない。品行方正な優等生ちゃんで通さないと世間は自分を愛してくれないことに気づいたのだ。猫をかぶり、外面を良くしていればみんなから可愛がられる。茶の間から消えた8年間で彼女が学んだことはそれだった。
「小春さん、着きました。会場はこのビルの7階です。では参りましょう」
ドアが開き、小春は車から降り会場に向かった。勿論サングラスとマスクを忘れずに。有名人気取りかよ、と最初は思ったが自分の存在に気づいたミーハーな奴らの反応が鬱陶しかったために、これだけは常備することに決めたのだ。
従業員用のエレベーターを使い、控室に案内される。その間、筒井は何も喋らず、次に口に開いた時も予定の確認をしてきただけだった。干渉してこないマネージャーの存在は彼女にとっては楽で、むしろこれが女だったらと常に思っていた。マネージャーが異性であるとメディアがあることないこと吹聴し、叩かれるときがある。その時に自分がしっかり彼のことを守ってあげられる自信がまだなかった。
「あと5分です。小春さん、移動しましょう」
「そうですね」
会場に移動すると、それは驚くほどの長蛇の列ができていた。8割方が男性で、ああやっぱり、と小春は思った。今日もこいつらは「可愛い小春ちゃん」を見に来ているんだ。じゃあ、その理想をぶち壊さないように精進しましょうね、と心の中で声をかけ小春は人差し指を使って口角をあげた。
「それでは、順番にお進みください」
会場に来る前に何度かサインの練習をさせてもらったが、アイドルでもない自分がどうしてこんなことをしているか違和感しかなかった。マネージャーである筒井と一緒に作った「佐藤小春」のサインを求め、列がゆっくり動いていく。最初に小春の前に来たのはセーラー服を着た女子高生だった。長い黒髪ストレートを揺らしながら、抱き締めていた写真集を小春の前に出す。
「好きです」
それは少しトーンの高い、透き通った声だった。
ファンとしてだろう、その「好き」の一言に、小春は当然のように「ありがとうございます」と答え、ペンを走らせる。けれど、セーラー服の少女は躊躇もなく小春に近づき、ふいに顔を近づけた。
「あなたのことが好きです」
触れ合った唇に気づいたのはきっと自分と彼女だけだろう。小春は硬直し、思わずマジックのキャップを下に落としてしまった。それに気づいた筒井が拾って机に戻し、また後ろに下がった。
「…………は?」
「だから、あたし小春ちゃんのことが好きなんです。ラブ的な意味で」
動揺してなのか、言葉が上手く出てこなかった。しかし、サインだけはしっかり書き終わり、それに気づいた係りの人が「次の人—」と声をあげた。
「これ、あたしの携帯番号。連絡してね、小春ちゃん」
衣装のポケットに吸い込まれた小さな紙切れ。満足げに出口に向かっていくセーラー服の少女。動揺したのか小春の動機はなかなか静まらず、ファーストキスだったのに、とまるで処女みたいなことを思った自分に少しだけ腹が立った。
代り映えのしない映像のような世界が、少しずつ動き出したのかもしれない。
それが、佐藤小春、15歳の秋のこと。
*佐藤小春
*水島芹香
***
過去に書いたお話です。旧タイトル、CANDY GIRL。
- Re: 君は地雷。【短編集】 ( No.57 )
- 日時: 2020/07/12 23:26
- 名前: 脳内クレイジーガール ◆0RbUzIT0To (ID: rtUefBQN)
【 ハッピーエンドに殺されたい2 】
水島芹香にとってそれは運命だった。
友達の勧めで見だした「キャンディ・ガール」という子供向けの番組は、決して特別面白いわけでも特別つまらないわけでもなかった。ただ中心に映る女優の立ち振る舞いが美しく、凛としたその姿がとても格好良かった。
一度だけ彼女を、佐藤小春を一目見ようと、事務所の近くまで行ったことがある。運よく佐藤小春の姿を見ることができたが、ある意味「予想外」だった。
「うっせーな、黙れよ。お前の話なんか私が聞くわけねえだろ。うぜぇ」
聞こえてきたその声は、彼女の容姿からは想像もできないほど酷い口調。睨みつけるようなその鋭い眼光は目の前の彼への嫌悪だったのだろう。
「失せろ。ストーカー野郎」
吐き捨てられたその言葉に、前にいた男が震えながら立ち去っていく。けっと唾を吐き捨て佐藤小春は頭をかきながらゆっくりこっちに向かってきた。動かない足に精いっぱい力を入れて芹香はその場を離れた。ドキドキするその鼓動は紛れもなく「恋」だった。痺れるようなあの表情、そしてあの声であたしも罵られたい。走りながら純粋に思った。彼女のあの表情をもう一度見たい、と。
□
あああ、やっちゃった。やってしまった。だけど後悔はしていなかった。佐藤小春のサイン入りの写真集を抱きしめながら芹香は足早に出口に向かった。
これで彼女はあたしを意識してくれるかな。それとも只の変質者として気持ち悪いとあの時みたいに嫌悪感を抱くだろうか。それでもいい、彼女のあの荒んだ軽蔑の瞳を向けられるなら嫌われたってかまわない。
「あーあ、驚いたあの表情も可愛かったなぁ。連絡くるかなぁ」
タクシーに乗り込み、母親の彼氏の住所を言う。動き出したタクシーに揺られながら、写真集をぺらぺらと捲る。どの写真も「可愛い」佐藤小春の写真ばかりで正直飽き飽きするが、今日の目的はこれじゃなかったから問題はない。芹香はふふと思わず笑みがこぼれるのを手で隠した。運転手の厳つい顔がルームミラー越しに見えて何でかまた笑いそうになった。家に着くまでは一度も喋ることはなかった。
アパート前で車を降り、階段を上って母の彼氏の部屋のチャイムを連打する。ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン。五回目のチャイムを鳴らそうとした瞬間、ドアが勢いよく開いた。くしゃくしゃのシャツに高校時代の体操服のズボンを穿いた男は「うるさい」と静かな声で呟いて芹香を部屋の中に入れた。
「どしたの急に。お前がうち来るなんて珍しい。明日は雪か?」
「なわけないじゃん。健ちゃんの意地悪っ」
「ってか、ほんとにどうした?」
鬱陶しがっていることはすぐに分かった。奥の部屋の扉が閉まっていることから誰か女を連れ込んでいることはすぐに察することができた、が、帰るつもりは毛頭なかった。
「好きな人が出来たんだぁ、あたし」
「あ、っそう。そんで、なんで俺んち来たわけ?」
「————分かった、もう帰る。帰ればいいんでしょ、この浮気性!」
面倒くさくあしらわれるのにイラッとして芹香は頬をぷっくり膨らませながら開かずのドアを思いっきり蹴破った。裸の女がベッドですやすや寝息を立てていたのでスマホで何枚か写真をとってやった。おろおろする母の彼氏に芹香は「健ちゃんのばーか」と叫んで部屋を飛び出る。
母親のラインに一気にさっきとった写真を連投する。既読が点いた瞬間に「OK」という可愛いスタンプが来たから芹香は大きくガッツポーズをした。三年の交際は今日水の泡となった。さようなら、あたしの初恋、と心の中で呟きながら芹香は「健ちゃん」のアカウントをすぐにブロックした。
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