ダーク・ファンタジー小説

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【完結】2006年8月16日
日時: 2018/09/07 04:09
名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)

>>3-37 >>40-55 >>58-72

2015冬大会 管理人賞
2018夏大会 金賞

感想などもお待ちしてます
Twitter:@STsousaku

Re: 2006年8月16日 ( No.68 )
日時: 2018/08/23 22:59
名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)

「……じゃあ、そろそろ」
「もう時間か。ありがとう、岡山で元気でやってね」
「高校頑張って!」
「また十年後会おうぜ!」
 僕は、ありがとうございました、と言い、ゆっくりと彼らに背を向けた。前に見えるのは改札だけだった。東京発博多行の切符を持つ手に自然に力が入る。前に歩くと同時に、来るときより重いキャリーバッグを引く。
「私たちのこと忘れないでね」
 水音さんのその小さな声を僕は聞き逃さなかった。辺りには色んな音が騒々しく響いているが、その声だけが不思議と耳の近くで聞こえたような気がした。
 僕は振り返ってはいけないと思い、前を向いたまま手を挙げるようにして応える。
 忘れるものか、と強く思った。ここまで強く何かを考え、感じ、自分の行動が誰かの人生をここまで左右する出来事を僕は知らない。だから、きっと何年、何十年経っても、記憶には色濃く残っているに違いないと確信する。僕の人生にとっても、彼らの人生にとってもこれは大きな出来事で、同時に何か、今はよく分からないが別の何かへのターニングポイントにきっとなっている。
 改札を抜けた後、僕はそれでも歩くペースを変えない。彼らはまだ後ろで見ていることだろう。僕はやがて角を曲がり、彼らからは見えなくなった。それでも彼らはなお目が逸らせず、きっとまだ見ていることだろう。僕が去った、何もない自動改札を。


 岡山駅に着いた頃には、既に二時を廻っていた。
 僕は東口の長い階段を降り、桃太郎像の横を通り先に進む。岡山は昼過ぎでも涼しく、そういえば東京はもっと暑かったな、と笑う。
 差し掛かった信号を待つ。向こう側にはビッグカメラなど大型店舗が幾つかあるが、ほとんど誰もいない。ずっと座っていただけとはいえ、三時間以上も同じ態勢だったのでそういえば体がそれなりに痛い。
 青信号に変わってもほとんど誰もいない横断歩道をゆっくりと歩く。同じ時間でも渋谷ならこの百倍以上は人がいたと考えると少し面白いが、それはあっちが異常なだけだとすぐに気づく。
「……そっかー、岡山に帰ってきたんだなー」
 と、ぼけーっと独り言を言うと周りの数人に見られる。少し恥ずかしいが、渋谷ならこのぐらいの声量でも誰にも聞こえなかったはずだと考えると、やっぱりあっちは異常だと再確認させられる。

「あ、香征」
「あ」見ると、母さんが立っていた。
「そろそろ来る頃かなって思って、車から出てたら、予想通りだった」
 そう満足げに笑う彼女の横を抜け、僕は無言のまま車に乗り込む。なんだか行動を読まれた気がして少し悔しい。
 遅れて乗り始めた母さんが運転を始めると、僕は「はあ」と自然にため息をつく。その思いのほか深いため息に自分でびっくりする。
 動き始めた車は、歩いているときの何倍ものスピードで景色を映していく。自分が滅多に見ない路面電車が通っている。この辺は少し前に早紀と通ったっきりだと、ふと思い返す。カップルの多さに少し照れくさくなりながら歩いたあのときの自分が、まだそこにいるようだった。
「あ」
「ん?」
 同時にもう一つ思い出したので、ふと声が出てしまう。そういえば、早紀からのLINEをずっと既読無視していたのを忘れている。そろそろ返さないと流石に怒られるだろうから、なんて返そうかとりあえず考えてみる。
 そう思いつつスマホをいじっていると、車酔いが急に来る。忘れてた、と思った頃にはもう……。
「あんた、車の中でそんなんいじってたら酔うわよ」
 もう手遅れだった。僕は既に気持ち悪すぎて下を向くが、そういえば下を向いているとさらに悪化するので次の瞬間無理やり斜め上を向いていた。そして車に乗り込むとき、トランクに入れるのが面倒で座席に置いたキャリーバッグが、車の揺れで横に倒れる。狙い澄ましたかのように僕の足の上に倒れてきたので、「痛って!」と僕は声を出していた。
「何やってんの」と母さんは笑うが、自分からすると笑い事ではない。気を紛らわす為に窓の外を見ると数秒前と風景がほとんど変わっていてびっくりする。この道はもう知らない。

Re: 2006年8月16日 ( No.69 )
日時: 2018/08/26 04:55
名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)

「そういえば、ご飯は?」
「あー、朝から何も食べてないんだよね。東京駅でお土産買いすぎて昼飯食う分なくなった」
「アホじゃん」と一蹴されるが、自分でもその通りだと思ったので言い返せない。

「じゃあ学校説明会の帰りどこか寄ろうか」
「ああ……うん」
 学校説明会。その一単語で全てを思い出してしまう。
 僕はなんとも言えない感情のまま、視力が許す限りのずっと遠くの景色を見ていた。この、早紀のLINEの件といい、急に現実に戻された感じがとても切なく感じられた。さっきまで僕は確かに直線距離550キロ離れた場所にいて、未知の人と未知の体験をしていたはずだが、新幹線三時間ちょっとでここまで現実世界に戻されたとあっては、少し悲しい。
 えんさん達は今何をしているのだろう、とふと思う。僕と別れたら彼らもすぐ解散すると言っていたので、きっともうバラバラなのだろう。そしてもう二度と会うことはないのだと分かってしまう。さっきの東京駅での別れは、文字通り最後のお別れだったに違いない。
 僕は少し寝ていようと思った。それはホテルでふと深夜に目覚めた後、そこから全く眠れないまま朝を迎えたからではない。ただ少しだけ、なんとなく、眠っていたかったのだ。
 目を閉じてみる。僕には、彼らの一挙手一投足が、まるで今この場にいるかのようにありありと思い出される。体中の細胞全てが彼らを忘れたくないと強く願っているのがいつまでも感じられ、その事実だけで僕は大丈夫だと、今だけはそう思えた。


「どう?」
 母さんのほうからこちらに話しかけてくる。僕は体育館外のベンチに座っていて、学校説明会や制服類の採寸をついに終えてぐったりしていた。
「どうもこうもないって……。疲れたよ。無駄に」
 無駄に、の一言に彼女も笑いが漏れる。「確かに。二時間ぐらいかかったもんね」
 そんなに経ってたのか、と僕もポケットのスマホを取り出し、時間を確認する。LINEもTwitterも、誰からもメッセージは来ていない。
「意外と新しい校舎だね」
 母さんに言われ、確かに、とふと辺りを見回す。高校というものが未知すぎて、これが他と比べて綺麗な方なのか汚い方なのかよく分からないが、とりあえず想像よりはマシだった。
「ここに三年間通うんだよ」
 体育館からは採寸を終えた生徒達がぞろぞろと出始めてきて、僕らの横を抜け帰路に着こうとしている。
「なんかそんなこと言われてもピンとこないわ」
 言った後、違いないや、と自己肯定してみる。いくら考えても無駄な気さえしてくる。
「なんかお茶か何か買ってくるわ。さっき自販機あったから」
 そう言って母さんはどこかに歩いていく。そういえば高校には普通に自販機が置かれているのか、となんとなく感動する。

「あっ、すいません……」
「はい?」
 ふと振り返ると、とある女子が僕の座るベンチに腰掛けていた。見たことのない学校の制服を着ていて、大方僕と同じ目的でここに来た人だろう、と察する。
「ああ、大丈夫ですよ……」とできるだけ笑顔を作って対応してみる。慣れないことなのできっと引きつった顔だったに違いない。三人ほど座れる広さのベンチなので二人の間にはちょうど一人分空くが、きっと誰も座ってこないだろう。
 僕はなんとなく緊張してしまい、スマホを適当にいじってみる。フォロー数が少ないTwitterのタイムラインは止まっていた。
「なんか疲れましたね」
 再度振り返ってみる。その言葉が僕に向けられたものだと気づくと、慌てて返答してみる。「そうですね」
「どこの中学ですか?」
 ふと気になったことを訊いてみると、彼女の胸についている、緑色のチェック柄のリボンが揺れる。
「誠心中学校です。女子校なので、共学は小学校以来でなんか緊張しちゃいます」
 はは、と彼女は笑うが、そんなことを目の前で言われたら男の自分はもっと緊張してしまう。
「ってことは同じ中学の人とかいない感じですか? 僕は加原中学っていう普通の共学校なんですけど
「そう、知り合いが一人もいないっぽくて……。だから友達作るの大変そうだなって思ってたんですけど、最初に優しそうな人に出会えてよかったです」
 同じクラスになれるといいですね、とおしとやかに笑う彼女に、少し戸惑った。
「あ、ええっと、僕なんかとでよかったら」
 なんだその返答、と自分で突っ込んでみる。
「あ、じゃあそろそろ私帰りますね。親が呼んでるので」
「じゃあまた学校で会えたら」
「え、会えないんですか。違うクラスだったとしても普通に通ってればどこかで会えるでしょ」
 去り際、彼女は笑い、僕のおかしい発言に突っ込んでくる。そして今まで敬語だったのがやんわりとした口調になる。また学校で、と彼女は少し照れくさそうに手を振るので、僕も手を振ってみる。
 彼女が去ったベンチで、僕は一人、単純な喜びを噛みしめていた。誰かと少し仲良くなれた気がしたのは、普通に嬉しく、きっと価値のあることだと思えた。それで言うと、早紀やえんさん達との関係は、終わりかけのものを必死に繋ぎ止めている感じでどこか悲しく、切なかった。でも彼女との関係はこれからがスタートで、この高校という未知の場所を過ごしていく上できっと意味のあるものなので、自然と前向きになれる自分がいた。

「お待たせ。ごめんちょっと自販機の前並んでてさ……、香征?」
 ああ分かる。きっと僕は今まで寂しかったのだ。色々な関係を終わらせようとすることばかりで、新しく始まる関係がないことが悲しかったが、それがやっとこれから始まりそうで、きっと今だけは嬉しいのだろう。

Re: 2006年8月16日 ( No.70 )
日時: 2018/08/26 05:33
名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)

「一緒に帰らない?」
「ん?」
 そのとき僕は帰りの用意をしていた。ついさっき七時限目の授業が終わったばかりで、授業の復習をしながら、ふう、と一息ついていた頃だった。
 僕に声をかけたのは、学校説明会の日、ベンチで少し話したあの女子だった。クラスは違うが、この学校は毎週水曜日は部活が休みなので、そのときだけ毎週放課後に話しかけてくる。
「ああ……、ちょっと待って。っていうか早いな君ら」
 目の前にすぐいるその女子の後ろに、男女二人が既に準備を終えた様子で待ち構えている。そのいかにも帰る気満々といった三人を笑いながら、やっと用意を終えた僕は席を立つ。
「七時間の授業ってマジ慣れないよなー、未だに」
 教室にはまだまだ僕たちの他に何十人もいて、多くの話し声で賑わう中、そのほとんどが帰ろうという素振りすら見せない。高校生活のスタート当初、教室を暗く取り巻いていたあの重苦しい空気は今では見る影もない。
 正直、中学のときとさして変わらない。確かに授業は多少難易度が上がっていて、油断していると置いて行かれそうな気はするが、……あの女の子が、あのとき僕に勉強する習慣をつけてくれたおかげで、なんとか今日まで付いてこられている、といったところだ。

「ええ? でも私は中学のとき七時間目まであったよ」
「え、マジ? 香征は?」
「俺はなかったよ。多分この中だと私立中だった菜々子だけだろ」
 菜々子、と呼び捨てにし出したのは最近のことだった。そのときはあまりにも自然に呼べたので少し嬉しかったし、彼女の反応も満更でもない様子だったので、そこからずっと続けている。
 校庭からは、七時限目が体育だった生徒達が南校舎へとなだれ込んでいた。僕らはそれを間一髪で躱し、校門へと向かう。
「あ、そっか。女子中かあ、憧れちゃうなー。どこもかしこも女子のいい匂いしそう」裕哉が、ぐへへ、と笑いながら頭の後ろで手を組む。
「それを彼女の前で言うか」と、もう一人の女子、由美が怒る。裕哉とは付き合っていて、入学式の日に付き合い始めたヤバいカップルとして、既に学年内ではそこそこ有名である。

 中庭では、二週間後に控えている生徒会選挙の立候補者が次々と演説を行っていた。あまりの熱い演説に思わず耳を傾けたくなるが、先を行く彼らに置いていかれそうになるので仕方なくついていく。
「あ、じゃあ、俺ら自転車だから」
 そのカップル二人は迷うことなく自転車置き場に入っていく。「え、昨日は電車だった……、あ、そうか」
「雨の日は電車なんだよ。電車賃と称して親からお金貰って、自転車で学校に行くことによってお金を浮かす俺の作戦も、雨の日が増えてきたから最近使えないんだよな……」
「その"俺の作戦"、すぐバレないか?」
「いや、今のところ上手いこといってる。このまま三年間バレなきゃいいんだけど」
 なんだこのアホな会話……、と思わず返す言葉を失いかけるが、向こうから自転車を押して歩いてくる由美が代わりに言ってくれる。「はあ……、なんでこんなアホと付き合ってるんだろ、私」
「好きだからじゃない?」
 由美は予想だにしていなかったのか、裕哉のその言葉に顔を赤らめた直後すぐに自転車を走らせ去ってしまった。裕哉は「あ……じゃあまた明日! あいつ逃げなくてもいいじゃんよ」とすぐに追いかける。
 何と微笑ましい光景なのだろうかと、僕はしばらく無言のまま歩く。すぐ横を歩く菜々子も黙りこくったまま、校門を過ぎる。

「なんか、高校に入ってから、皆異性との壁を感じさせないよね……」
 困ったように言う彼女に僕も同調する。実際自分も同じことを思っていたばかりだった。
「まああの二人が異常なのはあるけど、なんか皆男女でくっつくこと増えてきたよね。実際俺のクラスからも何組かカップル出てきたし」
「ええー、早すぎるよー」彼女は両手を頬に押し当てる。少しオーバーな反応だが、正直可愛い。
 ……で、ここで少し会話が途切れる。話すネタに尽きたわけではない。そんな話をしている僕たちだって立派な異性同士なので、周囲から見ればカップルに見えなくもないと当然のことを気づかされ、少しだけ恥ずかしくなってしまったのだった。
 赤信号を待つ。きっと彼女も同じことを思っているらしく、分かりやすく押し黙ったまま動かない。スクールバッグを持つ手に力が入っているのがバレバレである。
「ま、まあ、私たちはそういう感じじゃないよね。普通の友達っていうか」
 それは男として少し傷つくが、彼女はすぐに訂正する。「あっ、異性として見れないとかじゃないよ! なんというか、私がそういうのまだ無理というか」

Re: 2006年8月16日 ( No.71 )
日時: 2018/08/28 04:06
名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)

 大げさなくらい身振り手振りを使うので、少し面白い。
 学校から駅までは近い。信号が変わり歩き出すとすぐに駅が見えてくる。
「まあ……、解るよ。俺にも正直まだ分からないから、男も女も全員同じ友達としか見れないよね。実際その辺のカップルも、周りに流されて、焦って付き合ってるだけの人も多いだろうし」
 まあ、由美と裕哉は別だろうけど、と付け加える。
「というか、そういうのって恥ずかしいとかは勿論あるんだけどさ、……自分でもよく分からない気持ちのまま適当に付き合って、その人に迷惑かけたくないな、私は」
 なんていい子なのだろう、と僕は素直に驚いていた。
 高校に入って数ヶ月経ち、いくつかカップルが生まれたが、きっとその人達はほとんど自分のことしか考えていない。それは僕だってそうなるだろう。そのカップルの中に誰かと付き合ったのが初めてという人は多いが、そんな不安や緊張や恥ずかしさでいっぱいいっぱいのときに、他の人のことなんかを考えている余裕などないに決まっている。
 だから、そんなときに相手のことをまず考えようとするこの女の子はなんて優しいのだろうと思う。
「……凄い。大人みたい」
「んん? 自分で自分の心の整理が付いてないのに、大人……?」
 言われてみれば確かに変だな、と気づくが、それでもとにかく彼女は大人なのである。

 倉敷駅に到着する。長い階段を上り、少し歩くとスタバやらなんやらが見えてくる。
「スタバ今度行ってみたいな」
「行ったことないの?」
「うん。私中学では地味な方だったから、そういうのって目立ってた子がいつも行くイメージだったし」
「そういえば俺もな……」
 俺もない、と言おうとしてすぐに気づく。渋谷駅のあの外国人で賑わっていた意味不明なスタバに一度だけ行ったことがあった。
「俺も行ったことないからさ、今度行こうよ」
 うん! と嬉しそうに返事をされるが、僕はおそらく微妙な面持ちのまま、斜め上の空を見上げている。

 二人並んで改札を抜ける。定期なのでスムーズに通れて少し得した気分になる。
「なんか、ICOCA通すときってチャージ残額見えるからちょっと恥ずかしくない?」
「俺菜々子の残額見えたぞ。一円って……」
「違うって! これはその……、色々使ってたらこうなったの!」
 恥ずかしそうに必死に弁解する彼女が少し面白かった。しかし何をどう使ったら一円だけ残せるのか疑問だったが、そこまで訊いてしまうのは流石にやめようと思った。

「じゃあ、ここで。また明日」
 バイバイ、と手を振ってくるので、こちらも手を振ってみる。なんだか初めて会った日に似ていて一人で笑ってしまう。
 既に後ろ姿の彼女に、もうこれで終わりなのか、と少し悲しくなる。誰かと一緒の帰り道はなんて軽やかなのだろうと改めて感じる。まあ、明日また会えるからいいか、と誰にも聞こえないほどの声量で呟いてみる。
 僕は山陽本線に乗って岡山駅に向かうが、彼女は伯備線という電車に乗るらしい。彼女は一体何駅目で降りるのだろう、家はどこなのだろう。それも明日まとめて訊いてみよう、と決意し、僕はイヤホンを付けた。

 出発ギリギリに乗った電車にはやはりそれなりに人がいて、クロスシートの座席はほとんど埋まっていた。
 仕方なく向こう側のドア部分にもたれ掛かる。地味に重いスクールバッグを床に置き、ふと窓の外を眺めてみる。
 そのとき、ドン、と何かが腕にぶつかる感触がした。
「久しぶり」
 すぐに振り返ると、その女子は僕に言った。その言葉が僕に対してのものだと気づくのに少し時間がかかる。僕の腕を押したスクールバッグと、その向こうに見えるにやけるような彼女の表情が印象的に映る。
 とりあえずイヤホンを片側だけ外す。誰だっけ? と訊こうとして遮られる。
「あれー、忘れた? 白崎だって」
 ああ、とすぐに思い出す。卒業式の日、LINEの連絡先を交換したり校庭で少し話したあの女子だった。
 そのときまでほとんど話したことがなかったとはいえ、一年間同じクラスだったのに失礼なことをしてしまった、と一瞬反省する。
 でも、僕に落ち度はそれほどないだろうとすぐに考え直す。何故ならあのとき黒かった髪の毛が茶髪になっていて、その他にも、ピアスとか、目の色とか、全てが作り物みたいに変化していたからだった。もう、ヤンキーというか、ギャルだ。
「ああ……、ごめん。今思い出したわ」
「まあ無理ないよね、LINEでもそんなに話してないし。……でさ、さっき話してた女の子彼女?」
 はあ!? とその瞬間図らずも大きな声を出してしまう。彼女に気づけなかった理由は絶対白崎自身にあると言いたいが、周囲からの視線が痛いのでとりあえず耐える。「違うよ。……ただの友達」
「本当かなー」と茶化すように言われる。なんとなくドキッとするが、付き合っていないのは本当なので堂々とするように心がけた。

Re: 2006年8月16日 ( No.72 )
日時: 2018/09/05 06:08
名前: をうさま ◆qEUaErayeY (ID: D28jR39t)

「早紀と最近話してないでしょ? 早紀が嘆いてたよー」
「……あ、うん。今度話しかけてみる」
 面倒なことを、と少し苛立つ。そんなことまで友達に言うのか、早紀は。
「まあそんなことはいいや。早紀って雄輔とヨリ戻してからも岩崎のこと気にしてるから、ちょっと特別な仲なんだろうね」
 早紀が雄輔と。なるほど。
 ……ちょうどいい、と思った。中学のときの知り合いとほとんど関わりを切って、その間そこそこ充実した高校生活を送って、こうして早紀のことを友達から聞いている今ぐらいが、ちょうどいい。
「まあお幸せにってLINEでも送っとくわ」
 いつの間にか走り出していた電車は既に北長瀬駅を通過していて、もうすぐ岡山駅に到着する。その間、なんとなく二人共無言のまま、それでも僕はイヤホンを片耳外したまま、気まずい時間を過ごす。
 ……もう、他人なのか、と思った。中学の頃は、同じ学年・クラスというだけで仲間とか友達というイメージがなんとなくあったが、卒業して、別の高校の制服を着ている今、僕らの間を繋ぎ止めるものは、何もないのか。
 もはやそれは、会話のないLINEの友達なんていう不確実なものでは成り立たないことをお互いがはっきりと気づいていた。そしてそうなった以上、話すネタを作るのにもそれなりの労力がかかり、会話そのものにもきっとどこか悲しさが見え隠れし、切なくなるだけなのだろう。

 電車が岡山駅に止まると、既にドアの前に立っていた僕はすぐに降りる。
 「じゃあ」と去っていく彼女の足は僕が振り返るより速かった。「ああ」と遅れて小さく返事をしたが、きっと彼女の耳には届いていないだろう。早歩きの彼女は颯爽と次々人を抜いていく。僕と彼女との物理的な距離が、そのまま心の距離に直結していくような気さえした。ついに彼女の姿が見えなくなっても、僕の体には追う勇気すら残っていない。
 片耳外したままのイヤホンに気づくと、すぐに付ける。今流れている曲の名前が思い出せない。
 僕はそうして、しばらく何も考えられないまま、いつもの乗り換え地点へと歩く。プラットホームに着くとちょうど電車がやってくる。乗客が全員降りていき、誰もいなくなった座席に各々が座っていく。ドアから近いところに座る人が多いのでわざと遠い所の座席まで来ると、半径五メートルぐらいに自分しかいなくなる。久しぶりに座るので少し足を伸ばしてみる。

 田舎風景を映していく車窓を見ながら、ため息をつく。外の蝉の鳴き声が車内にいるのに聞こえてきて、もう夏だ、と今更思う。8月16日。あの日もすぐ近くに感じられて、実際あと一ヶ月ちょっとだ。
 そして、2006年8月16日とは一体何だったのだろう、とふと思う。
 あの掲示板は一体僕に何を伝えようとしていたのだろう。僕は何を思い、何のために彼らに会いにはるばる東京まで行ったのだろう。莉乃さんの死とは一体何だったのだろう。あのとき僕を取り巻いていた得体の知れない不安感は一体何だったのだろう。
 いくらでも疑問は浮かんできて、それらのほとんどは今でも答えが見えないが、あのときはきっと、何より強い衝動が僕を突き動かしていたということだけははっきりと分かった。
 僕は高校に入学してから、あの掲示板のことなどすっかり忘れていた。意図的に気にしないようにした、というより、全てが終わったことにより、ついにあの夏の呪縛から逃れることができた、と言ったほうがきっと正しい。

 僕はおもむろにスマホを取り出す。Safariを開くと、iPhoneのバグなのかイヤホンで聴く音楽が一瞬だけずれる。
 僕は全ての始まりであるあの掲示板へと直行していた。ブックマークからすぐに飛ぶ。

 “Not Found”

 そう来たか、と笑う。
 すぐにちょっぴり悲しくなる。ある意味2006年8月16日の最終更新より衝撃的かもしれない。
 気づけば泣き出していた。しだいに涙が止まらなくなり、意味不明なまま頬を伝う涙が何滴も膝に落ちる。あのときは確かに何かが僕を突き動かしていたが、数ヶ月経った今、僕を同じように突き動かすものが何一つないという現実に気づかされ、そしてそれがとても悲しいことのように思えてならなかった。
 もう一度画面を見る。その短い英文はこのWebサイトがどうなっているのかを単純かつ端的に表している。
 僕はこの数ヶ月間何を求めて生きてきたのだろうと思った。そして、こうして守りに入った今、その探していたものは見つかったのか、それすらよく分からなかった。いや、見つかっていないかもしれない。いずれにしろそれももう終わったのだ。夏の呪縛も、あの頃の強い衝動も、全て。
 静まりかえる車内には外の蝉の声が大きく響き、僕の近くにはきっと誰もいない。未だ嗚咽が漏れる中、ありがとう、ありがとう、と僕はいつまでも心の中で叫んでいた。


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