社会問題小説・評論板
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- 大好きで大嫌い
- 日時: 2023/05/10 23:57
- 名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)
- プロフ: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12904
平和に生きているつもりでも、過去は変わらない。
あの夜の恐怖と不快感は、簡単に思い出すことができる。
少しずつ僕の身を蝕んでいった障害も、今では手をつけられないほどに膨らんでいる。
こいつがそんなことしない。
あいつもその気は無い。
そんなこと思ったって無駄。
何も変わらない。
きっと変えられない。
記憶なんか無くならない。
無くなったらそれは僕じゃない。
でも、こんな記憶を抱えてまともに生きていけるはずがない。
どうしたらいいのか、自分にも分からない。
ただ僕にできるのは、誰にも触れられないようにするだけ。
なるべく相手の印象に残らないように、地味に生きるだけ。
大好きな人も、大切な人も、傷付けないように関係を消滅させていく。
傷付けないように、記憶に残さないように。
僕なんかいない方がましだ。
僕に優しくしてくれる人の期待に応えられないなんて。
いない方がましだよ。
さっさと消えろよ、とっくに穢れた命だ。
得意だろ、人の記憶に残らないことなんて。
大得意だろ、いつもそうやって生きてんだろ。
誰かのせいで、縮こまって生きてんだろ。
- 大好きで大嫌い ( No.1 )
- 日時: 2023/05/11 00:39
- 名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)
朝、家のドアを開けて外に出る。
夏休みが終わったからと言って全く涼しくはない、暑く重い空気に包まれた。
......うわ、めっちゃ晴れてる。
雲ひとつないって、こういうことなのか。
自転車で高校へ向かう。
ハンドルを握る手が滑りそうな程汗ばんできた頃、高校の駐輪場に着いた。
自転車を停めて教室に行く。
建物の中も、外と同じくらい暑い。
他の生徒もだるそうな顔で友達と話している。
夏は楽しいけど、暑いのは勘弁だ。
鞄の中身を机に移し、友達と話していると、先生が教室に入ってきた。
「はーい、ちょっと話あるから席ついてー」
パンパンと手を叩きながら先生が黒板の前に出てくる。
自分の席に戻りながら、みんな先生の背後を二度見した。
背の低い、小柄な男子生徒が先生の後ろを歩いていたのだ。
転校生か。
教室内が少し静かになったのを確認して、先生が口を開く。
「はい、今日からね、この1年6組に来ることになった奴がいるから、ちょっと自己紹介してもらいます」
先生と少し目を合わせたその男子生徒が、おずおずと口を開いた。
「え、と......隣の県の啓成高校から来ました、大島雫月です。よろしくお願いします」
かなり緊張した様子で大島雫月がぺこりと頭を下げる。
女子が「負けるわ」と小声で言いながら拍手を返す。
彼は確かにとても可愛らしい顔立ちをしていた。
「はい、じゃあ席は......あぁ、そこそこ、田島の隣な」
自分の名前を呼ばれ、少しビクッとする。
確かに、俺の隣の席が空いていた。
まさかこんな漫画みたいな感じで転校生が来るとは思わなかった。
大島雫月が隣の席に座る。
「俺、田島大和。よろしく」
「あ、うん......よろしく」
ふわっとした笑顔で大島雫月が答えた。
触れたら溶けてしまいそうな、儚げで何故か悲しさを感じる笑顔。
どこか胸に迫るものがあって、思わず息を飲んだ。
「あ、あのさ」
「うん?」
なにか話さないと落ち着かなそうな気がして、口を開く。
「名前、雫に月って書いて、『なつき』って読むんだな」
「あぁ、うん......なんか、読みにくいし女の子みたいだし、僕はあんまりこの漢字好きじゃないけどね」
少し呆れたような笑顔を浮かべる。
雫月......俺は綺麗な名前だと思うけど、まぁ女子っぽいといえばそうなのかもしれない。
「......俺は好きだけど」
小さくつぶやくと、雫月が少し目を大きくして俺を見た。
直後、少し恥ずかしそうな顔で笑う。
「ありがと」
ためらいなく吐き出された言葉に、俺も少し恥ずかしくなった。
おかしな会話だ。
1時間目は数学だった。
......問題の意味が全くもって分からない。
本当にこれは意味不明だ。
数字が象形文字に見えるくらい。
吐きそうな気持ちで隣を見ると、雫月は少し眠そうな顔でシャーペンを置いていた。
「え、何、できたの?」
小さな声で雫月に聞く。
「え? うん、できたよ......」
......なんでこんな眠そうなんだ。
この問題を眠そうな顔で解くか?
ふあぁぁ......とあくびした雫月を、呆然と見つめる。
......そういや、「啓成高校から来ました」とか言ってたよな。
啓成高校って......偏差値えげつないところじゃん。
70は軽く越しているような高校だったはず。
「......啓成高校ってこういう問題が普通なのか?」
「もうちょっと難しいやつがよく出るよ......でも僕数弱だから数学はぱっとしなかった」
へへっ、と苦笑いした雫月を信じられない気持ちで見る。
数弱って、どこがだよ。
まだみんなノートと教科書凝視してる中1人だけ眠そうにしてる奴が数弱?
その高校の基準どうなってんだ。
問題と向き合ってから10分ほど経った頃、タイマーが鳴った。
「はい、やめ......問題解けたやつ、手挙げてー」
手を挙げたのは1人......もちろん、雫月だ。
おおぉぉ、と教室がざわつく。
「おっ、さすが。じゃあちょっと説明してもらおうかな」
どこか恐る恐る、というふうに黒板の前に立った雫月が、チョークで答えを書く。
「あ、答え合ってます?」
雫月が問うと先生は頷いた。
......あれ、俺が無理矢理ひねり出した答えと全く違う.......。
......答え方すら違うじゃん。
チョークで図や式を書きながら、雫月が説明を始める。
字も酷く綺麗で、先生のものより見やすい。
何度も練習したのか、というほどすらすらと説明を進めた雫月は、説明が終わるとまた恐る恐る振り向いて俺たちに聞いた。
「あの......ごめんなさい、分かりましたか?」
もう一度図と式を見る。
......あぁ、そういう事か。
「分かった」
「理解」
「分かりやす」
みんな言葉は違えど、理解はできているようだった。
少し安心したように笑って、雫月が席に戻った。
「......俺数学教師辞めようかなぁ」
冗談っぽく笑いながら先生がつぶやく。
確かに、先生より雫月の説明の方が分かりやすそうだわ。
頭が良い奴は本当に恐ろしい。
- Re: 大好きで大嫌い ( No.2 )
- 日時: 2023/05/11 00:46
- 名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)
3時間目は体育だった。
まさかの100m走のタイム測定。
「お前らぁ、夏休み中に鈍足になってたら許さねぇからなぁ」
冗談っぽく大声で言う体育教師を横目で見る。
だるい。
だるすぎる。
走りたくない。
ほら、顧問見に来てる。
来るな、こっちを見るな。
そうは言っても、俺の走る番は必ずやってくるのだ。
とりあえず出席番号順に並んで、4人ずつで走っていく。
......4人ずつだと進行早いな。
いつの間にか、自分の番が目前に迫っていた。
スタートラインに着き、合図を待つ。
ゴール地点にいる体育教師が手を挙げた。
スタートラインのすぐ側に立っている雫月が、「位置について」と言う。
少し足を伸ばして、次の合図を待った。
「用意」
数秒後、雫月が笛を吹いた。
地面を蹴る。
とりあえず必死で脚を動かして、ゴールした。
「田島、14秒3」
......ほう。
悪くないじゃん。
多分。
スタートライン付近にもう一度戻り、授業が始まった時に配られた紙にタイムを記入する。
みんなが走っていくのをぼけーっと眺めていると、最後の4人になった。
......あれ、雫月走ったか?
あいつずっと体育教師にたのまれてスタート合図出してたんだよな。
走ってない気がするんだけど......。
4人が走り始めてから雫月に聞く。
「あれ、お前走った?」
「......あ、走ってない」
......やっぱり?
「どうしよ、1人で走るのかなぁ......」
雫月が入ってきたことにより、元々男子の人数が偶数だったのが奇数になった。
だからもう走ってない人は雫月以外に居ないだろう。
嫌そうな顔の雫月に目を向ける。
......仕方ない。
「まぁ、俺走ってやるよ」
「へ、ほんとに?」
雫月がぱっと笑う。
冗談だったとしても、それを打ち明けられないほど綺麗な笑顔だった。
とりあえず2人で走ることを体育教師に伝え、スタートラインに着く。
合図に合わせて地面を蹴った。
雫月の背中が見える。
......え、速くない?
どんどん離れていく。
ちょっと待って。
予想外。
遅いって思ってたわけじゃないけどちょっと速すぎないか?
結局、俺は雫月がゴールした数秒後に走りきった。
「大島、10秒7」
「え……えぇ!?」
グラウンドに俺の声が響き渡る。
久しぶりに出した大声に、自分でも驚いてしまった。
「ど、どしたの大和......」
恥ずかしさと驚きが入り交じった表情で雫月が聞いてくる。
100mをあの速さで走って息が切れていないのにも俺は驚いた。
「え、脚速くね?」
「あ......そう?」
呆然とした顔で雫月が聞いてくる。
いや、どう考えても速いだろ。
「......クラス1位は大島だな」
タイムを記入した名簿を見て、体育教師が呟いた。
「ほらな?」
なにが「あ......そう?」だよ。
クラス1位だぞクラス1位。
「え、ほんとだ......でも......」
少ししょんぼりした様子で雫月が俯く。
「中学の時より遅くなってる......」
事の一部始終を近くで聞いていたクラスメイトが静まり返る。
今まで雑談していたことが嘘のようだ。
......そりゃそうだ。
中学生で100m10秒台とか、速すぎんだろ。
同じ人間とは思えない。
綺麗な顔で綺麗な名前で、字も綺麗で頭良くて運動できて。
性格もめっちゃ良さそうだし。
できないことってあんのかな。
苦手なことってあんのかな。
......無さそうだなぁ。
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