社会問題小説・評論板
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- 大好きで大嫌い
- 日時: 2023/05/10 23:57
- 名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)
- プロフ: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12904
平和に生きているつもりでも、過去は変わらない。
あの夜の恐怖と不快感は、簡単に思い出すことができる。
少しずつ僕の身を蝕んでいった障害も、今では手をつけられないほどに膨らんでいる。
こいつがそんなことしない。
あいつもその気は無い。
そんなこと思ったって無駄。
何も変わらない。
きっと変えられない。
記憶なんか無くならない。
無くなったらそれは僕じゃない。
でも、こんな記憶を抱えてまともに生きていけるはずがない。
どうしたらいいのか、自分にも分からない。
ただ僕にできるのは、誰にも触れられないようにするだけ。
なるべく相手の印象に残らないように、地味に生きるだけ。
大好きな人も、大切な人も、傷付けないように関係を消滅させていく。
傷付けないように、記憶に残さないように。
僕なんかいない方がましだ。
僕に優しくしてくれる人の期待に応えられないなんて。
いない方がましだよ。
さっさと消えろよ、とっくに穢れた命だ。
得意だろ、人の記憶に残らないことなんて。
大得意だろ、いつもそうやって生きてんだろ。
誰かのせいで、縮こまって生きてんだろ。
- Re: 大好きで大嫌い ( No.63 )
- 日時: 2021/04/11 11:39
- 名前: たなか (ID: Z3U646dh)
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ベタついた、甘くて丸いそれをかじる。
ガリガリと音をたててりんご飴が割れた。
「あめぇ」
大和がそう呟く。
「つまんねぇ駄洒落やめろよ、寒いぞ」
「なっ、駄洒落じゃねぇし」
少し恥ずかしそうに大和が否定した。
顔が赤く見えるのは、空を閉じ込めるように屋台にかけられた提灯のせいだろうか。
……にしても甘い。
こんなに甘いものだったっけな。
何年も前に食べたりんご飴の味を思い出そうとするけど、上手くいくはずがない。
「大和りんご飴好き?」
「いや、普通」
「じゃあなんで買ったんだよ」
「……なんか夏っぽいから」
夏っぽい、なんて言葉を大和が使うとは思わなかった。
「……夏」
呟くと、大和が怪訝そうな顔で「おう」と言う。
夏休みがあけてしばらくしたら、雫月と初めて会った日が過ぎる。
1年もいなかったんだ、雫月は。
それなのに俺の脳に深い跡を残した。
1年にも満たない期間であいつの人生も大きく変わった。
幸せなのだろうか。
今、幸せに過ごしているのだろうか。
きっと幸せなんかじゃないだろう。
幸せとは程遠くたってあいつは笑って過ごすから、幸せに見えてしまう。
能天気に見えてしまう。
そんなことないのに。
夏が来る度に、夏が終わる度に、俺は雫月を思い出すのかもしれない。
雫月は思い出の中にいる人になるのかもしれない。
声も顔も、いつか忘れるのかもしれない。
最後には俺の気持ちだけが残って行く先もなく彷徨うのかもしれない。
……嫌だ。
いつか話したいとは思うけど、どうにも怖くてできない。
なんで何も言わないでいなくなったのか。
今はどこにいるのか。
どんな風に過ごしてるのか。
この先はどうするのか。
生きているのか、そうじゃないのか。
知りたいけど、知りたくない。
触れたいけど、触れたくない。
無責任だな、と頭の中で呟いた。
花火があがる。
赤い花は煙を残してすぐに散った。
遠くで見る分にはとても綺麗だ。
遠くで見るから綺麗なんだろう。
触れたいなどとは思えない。
「……まだ、雫月の事好き?」
大和が不意に問いかけてくる。
当たり前だろ、と返すと、大和は笑った。
「だな、当たり前だよな……俺もだよ、多分ずっと」
不自然に言葉が切れる。
ずっと。
好きなまま。
- Re: 大好きで大嫌い ( No.64 )
- 日時: 2021/05/19 18:40
- 名前: たなか (ID: qMtgmwWz)
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長くて蒸し暑い夏休みが終わった。
結局雫月に電話をかけることはできず、俺の記憶の中でにこにこと笑っている。
ねぇ山崎くん山崎くん、と声がする。
きらきらした大きな目が見える。
空気を切り裂くような呼吸音が聞こえる。
ぽたぽたと床に落ちる涙が見える。
どんな記憶を切り取っても、雫月にはどこか影があった。
雫月自身が発する柔らかな光を抉って、やっと見えるような。
俺も、その影を作ってしまったのかもしれない。
雫月の好きな人を傷付けて、それでも平気な顔でまとわりついて。
鬱陶しいと思われているかもしれない。
それならそれでいい。
それでいい。
久しぶりの学校に入ると、なんだか不思議な何かを感じた。
何かが違う。
おかしい。
靴を履いて廊下に上がって、その正体に気付いた。
いつものような声がしないのだ。
女子の甲高い声も、男子の奇声も。
聞こえない。
でも教室には人がいた。
廊下にもいた。
みんなひそひそと何かを話し、重い雰囲気が漂っている。
自分の教室に入ってもそれは同じだった。
「おはよう……お前、聞いた?」
入口付近にいた同級生が小さな声で話しかけてくる。
「いや、多分聞いてないけど……」
俺も声を潜めて返した。
同級生が、躊躇いがちに口を開く。
「2年の女子が、その……死んだんだって、近所のマンションから落ちて」
一瞬、周りの音が消えたような気がした。
死んだ。
その無遠慮な響きは、聞こえなくなってからも脳内で浮かび続ける。
死んだ。
マンションから落ちて。
……自殺?
「俺も今日の朝初めて聞いて、その、びっくりした。名前は知ってるけど、多分話したことない。えっと、吹奏楽部だって。知ってる? あの、山下凪紗って言うんだけど」
「いや……知らない」
頭が回らないのか、いつもよりもたどたどしく話す同級生が告げた名前は、本当に知らないものだった。
「そっか……今日の朝、集会あるって」
「わかった」
ありがとう、とこの空気の中では言い難くて、それだけ返して席に着く。
隣の席の吹奏楽部の女子は、ぼーっとした顔で俯いていた。
「ねぇ山崎」
話しかけられ、横をむく。
空気に溶けて消えそうな声だった。
「自殺だと思う? 凪紗」
なんと返せばいいのか分からず、どうなんだろう、としか言えなかった。
「ねぇ、自殺だったらどうしよう……そしたら、私……」
震えた声でそれだけ言って、顔を手で覆う。
何か心当たりがあるのだろうか。
あってもなくても、冷静な声でそれを問うのは躊躇われた。
教室全体が重苦しい空気に包まれている。
たとえ知らなくたって、身近な誰かが死ぬのは苦しいものなのだと初めて知った。
自殺でも、事故でも、病気でも、嫌いな人でも、好きな人でも、知らない人でも、いなくなるのは辛い。
今更それに気付いたことが恥ずかしく、一足先にその苦しみを味わった雫月を恐ろしく思った。
中学生なんていう複雑な時期に目の前で母親が死に、父親に置いていかれ、預かられた先で大きな傷を負い、またその先でも大好きな人が居なくなり。
雫月は何度死ねばいいんだろう。
これから何度死ぬのだろう。
無責任だよ、と声がする。
自分の声だった。
鋭い影に切り裂かれて死んでいく雫月を見るだけなんて。
雫月の荷物を見たくないから助けないなんて。
無責任だよ。
無責任だな。
どこまでも。
- Re: 大好きで大嫌い ( No.65 )
- 日時: 2021/07/15 16:51
- 名前: たなか (ID: eVCTiC43)
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いつも通りに一日をすごして、今日も布団の中で何時間も寝付けないままでいようと覚悟を決めた頃だった。
ふと、枕元のスマホが小さくバイブ音を鳴らす。
明るくなった画面を見ると、「山崎くん」とあった。
出ようか出まいか迷ってしまう。
少し気まずいかもしれない。
上手く話せないかもしれない。
でもこんな遅い時間にかけてきたってことは、僕の都合を考えてくれたってことなんだろう。
……あと10秒。
あと10秒待って、もし切れたらもう寝よう。
……1……2……3……4……5……6……7……8……9……。
10。
液晶画面は、まだ「山崎くん」と表示し続けている。
強ばる指でスマホをとって、画面に触れた。
「あ、もしもし」
機械を通した山崎くんの声がする。
「もしもし……久しぶり、だね。どうしたの?」
不自然にならないように気を付けながら返した。
上手くいっているだろうか。
「いや、なんか急に誰かと話したくなってさ。こんな時間に起きてる人誰だろうなって考えたら、最初に思い浮かんだのが雫月」
「なんだ、僕じゃなくても良かったんだ」
「そう言うなよ。つまんねぇ奴に電話かけねぇって」
「そうだね……」
予想していたとおり、前みたいな会話はできなかった。
まぁそうだよね。
急にいなくなったもんね。
「……今、なにしてんの?」
何気ないような声がする。
でも少し緊張したような、上擦った声。
あぁ、下手だなぁ、なんて思いながら口を開いた。
「今は近所の料理屋さんで働いてる。学校からは離れてるよ」
「そっか……なんで、」
ぶつり、と声が切れる。
電話は続いている。
思わず飛び出してしまったようなその一言と後に続く沈黙を無視して、僕は付け足した。
「割とお給料が良いんだよね。しばらくお世話になるつもり」
「どこの料理屋? 行ってみたい」
「えー、恥ずかしいからやだ」
少し意地悪そうな声でそう言うと、スマホの向こうで、山崎くんが笑った気配がする。
なんだよそれ、と返された。
さっきよりも幾分か柔らかくなった声色に、ほっと息をつく。
「しばらくって、いつまで?」
「大学に合格するまでかな」
「え、大学行くの? すげぇじゃん」
「でしょ。仕事以外はずっと勉強してる」
「大学出てなんかするの?」
「……高校で数学教えたくてさ」
そこまで続いていた会話が、そこで一瞬途切れた。
僕が言う「数学を教えたい」は、山崎くんにとって異質なものなんだろう。
泣きながら算数の勉強をしていた僕が、数学だけは満点を取れない僕が。
数学を教えたいと。
「数学かぁ……なんか、意外」
「山崎くんは? 夢ある?」
あまり掘り下げられても重くなるだろうと思い、質問を返した。
山崎くんの夢。
知っているようで、全く知らない。
「俺? 給料がいい所に行ければいいかなって思ってる」
「えぇ、山崎くんらしいね」
思わず本音が出てしまう。
笑う山崎くんに釣られて僕も笑った。
「まぁ良い大学出ようとは思ってるよ。希望はM大」
「あー、いい仕事貰えそう。」
「だよな。模試ではまだC判定だから手っ取り早くBかA取らないとやばいかも」
「でもあんまりいい大学だとA判定とるの難しそうだよね。僕もどっかしらで模試受けた方がいいのかな……」
「受かるかどうか不安なら模試は受けた方がいいんじゃない? 自分がどのくらいの位置にいるのかはっきりするから」
「やっぱりそうだよね。分かってるけどなかなか時間なくてさ」
さっきよりもだいぶ和やかになった空気に、僕はすっかり以前のペースを取り戻していた。
多分、こんな感じで話してたよね。
敬語を使わなくてもいい相手と話すのは久しぶりだということに今更気付く。
お客さん相手や仕事の先輩相手だとどうしても肩の力が入ってしまう。
高校辞めたくなかったな、なんて、もうどうしようも無いのに。
時計の長い針が3時を告げた頃、山崎くんの声がしなくなった。
声が眠そうだったから、もう寝てしまったのだろう。
僕はまだ寝付けそうにない。
しばらく電話は切らないままでいたけど、やっぱり山崎くんの声はしない。
「おやすみ」
返事が返ってこないスマホにそう呟いて、電話を切った。
山崎くんは明日も学校に行く。
雑踏の中で笑って、冗談を言って、ため息をついて、舌打ちをして。
そんな日々に妬みを感じてしまう前に、そっと目を瞑った。
羨ましいだなんて、まさか。
上手く行けば数年後待っている明るい未来に無理矢理心を躍らせながら、ほんの少し後悔が滲む掌に爪をくい込ませる。
これでいい。
いつか幸せになれるなら、今が不幸せでもいい。
幸せに、なれるかな。
- Re: 大好きで大嫌い ( No.66 )
- 日時: 2021/10/10 22:38
- 名前: たなか (ID: EeSEccKG)
*
日曜日。
仕事が休みだから行く場所もなく、いつもより少し遅く起きて机に向かう。
たまには数学や理科以外の教科で息抜きをしよう。
そう思って英語の問題集を広げた。
数字なんかよりアルファベットの方が目に心地いい。
久しぶりに見るアルファベットの羅列と比較的理解しやすい問題に、安堵の息を落とした。
淡々と問題を解き進める。
母親が帰国子女で、僕にもよく教えてくれたから英語は得意だ。
彼女がいなくなると同時に燃やしてしまった遺品の中には、洋書が何冊かあった。
今更それが恋しくなる。
燃やさなければ、なんて今思っても、燃やした本は戻らない。
問題集を2、3ページ進めた頃、インターホンが鳴った。
誰だろう。
宅配便は頼んでいないはずだ。
ドアスコープを覗くと、見覚えのない中年の男女が立っている。
男の人の方は少し苛立った様子で、女の人の方はどこか不安気な様子で。
そっと鍵を開け、ドアノブを回す。
直後、僕がドアを押す間もなく勝手に開いた。
ほんの一瞬の戸惑いの後、さっきドアスコープから見た男の人が勢いよく部屋に入ってくる。
「お前か、大島雫月は」
ギラついた目で睨まれ、やっと恐怖を感じた。
「そう、ですけど……あの、どなたで―――」
「凪紗を返せ」
胸倉を掴まれる。
なんだ、どういう状況だ。
何も読めない。
凪紗って誰だ。
この男の人は誰だ。
この女の人は誰だ。
「あの、すみません、お二人のお名前だけ伺っても……?」
男の人の腕をなんとか離し、そう聞く。
まだ息の荒い男の人は、僕を睨んだまま口を開いた。
「俺は山下祐介、こっちが山下巴!!」
「……大島さんの同級生の、山下凪紗の親です」
男の人……山下さんのお父さんとは対照的に落ち着いた様子の女の人……山下さんのお母さんがそう返す。
同級生の山下凪紗……聞いた事も無い。
「……え、っと、その山下さん? と僕にどんな関係が―――」
「死んだんです、凪紗は」
湖のような静かな声に、思わず息を吸う。
死んだ?
同級生が?
「……それで、凪紗の遺書にあなたの名前があって」
「僕の……?」
名前も知らない同級生が、遺書に僕の名前を?
状況が掴めない。
さっきより落ち着いた様子の山下さんのお父さんが、ゆっくりと口を開いた。
「お前が凪紗を殺したんだ」
お知らせ
作者のたなかです。
受験を控えているため、更新頻度が下がります。申し訳ございません。
- Re: 大好きで大嫌い ( No.67 )
- 日時: 2022/04/21 22:10
- 名前: たなか (ID: 5ROqhRB3)
*
廊下では声が響くから、と2人を部屋に通し、座らせる。
山下さんのお母さんが言うには、山下さんは僕の同級生で、吹奏楽部に所属していた女子生徒。
夏休みが終わる直前にマンションから飛び降りて自殺した。
「本当に面識ないんですか?」
山下さんのお母さんが、少し僕を疑うように聞く。
開きっぱなしの英語の問題集を閉じて、震えそうな声で返した。
「顔を合わせたことはあるかもしれませんが、名前と顔が一致する、という訳では無いです」
「本当に?」
低く、鋭い声が呟く。
その声は僕に対してでは無く、僕の奥にある何かに対して言っているような、不思議な重々しさがあった。
鳥肌がたつ。
「はい、本当です」
「嘘ならいくらでもつけるだろう。なんの関係もないあんたの名前が遺書にあるのはおかしいんじゃないか?」
山下さんのお父さんも、重い声でそう言った。
どんな文面で僕の名前が出されたのか。
山下さんの遺書の中では、僕はどんな人物なのか。
何も分からないけど、ひとつだけはっきりと言えることがある。
山下さんのお母さんの背後をちらりと見て、僕は口を開いた。
「……信じてくださらないならそれでいいです」
一瞬、空気が変わる。
ふたりが口を開きかけるのを制するように、僕は続けた。
「それでいいけど、僕だって今まで身近な人を亡くさず生きてきた訳じゃない。保身のために遺族の方々を苦しめるような嘘はつけませんよ」
もう一度、空気が変わる。
次は誰も口を開かず、沈黙が続いた。
少し開いた窓から風が吹き込んで、壁に貼られた付箋がかさかさと音を立てる。
僕がじっとふたりを見ているのに対して、ふたりの目線は英語の問題集に向かっていた。
「……そうだよね」
すっかり柔らかくなった声で、山下さんのお母さんが呟く。
独り言のように。
「そうだよね。そんな嘘、つくはずないよね」
少しずつ少しずつ、目が潤んでいく。
少しずつ少しずつ、声が震えていく。
「ごめんね凪紗。私にはもう何も分からないよ」
ごめんね、ごめんね。
涙を拭いながら、山下さんのお母さんは英語の問題集を指でなぞった。
山下さんのお父さんが、そんな彼女の肩をさする。
僕はそれを、どこか遠くから眺めていた。
父親と母親でありながら、同時に男性と女性、愛し合う者同士でもあることが見て取れるような光景。
異様だと思った。
これがなによりも健全な夫婦であるはずなのに、異様だと。
そっと目をそらす。
泣き続ける山下さんのお母さんの背後、仏壇に置いてある先生の写真を見た。
居心地が悪い。
僕の家なのに、僕の居場所がない。
そう思ってしまった。
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