社会問題小説・評論板

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大好きで大嫌い
日時: 2023/05/10 23:57
名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)
プロフ: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12904

平和に生きているつもりでも、過去は変わらない。


あの夜の恐怖と不快感は、簡単に思い出すことができる。


少しずつ僕の身を蝕んでいった障害も、今では手をつけられないほどに膨らんでいる。




こいつがそんなことしない。




あいつもその気は無い。




そんなこと思ったって無駄。


何も変わらない。


きっと変えられない。


記憶なんか無くならない。


無くなったらそれは僕じゃない。


でも、こんな記憶を抱えてまともに生きていけるはずがない。


どうしたらいいのか、自分にも分からない。


ただ僕にできるのは、誰にも触れられないようにするだけ。


なるべく相手の印象に残らないように、地味に生きるだけ。


大好きな人も、大切な人も、傷付けないように関係を消滅させていく。


傷付けないように、記憶に残さないように。


僕なんかいない方がましだ。


僕に優しくしてくれる人の期待に応えられないなんて。


いない方がましだよ。


さっさと消えろよ、とっくに穢れた命だ。


得意だろ、人の記憶に残らないことなんて。


大得意だろ、いつもそうやって生きてんだろ。







誰かのせいで、縮こまって生きてんだろ。

Re: 大好きで大嫌い ( No.53 )
日時: 2020/11/04 23:45
名前: たなか (ID: .HkLA/wn)



*




バイトから帰り、玄関で靴を脱いだ。

カーテンを閉めていない窓から入る車や信号機の光が、部屋を薄暗く照らしている。

周りの音から少しだけ隔離されたこの空間は、色々なことを思い出すきっかけだった。

今日も、思い出した。



全く接点のなかった男教師に無理矢理触れられたこと。



山崎くんと目が合ったこと。



頭が割れそうなくらい痛くて、肺が裂けそうなほど苦しかったこと。



他人の唇の感触。



妙に熱い、重い手。



気持ちが悪い。

バイトでいつも以上に動き回って忘れようとしても家に帰れば全部思い出してしまう。

結局忘れられるのは一時的な話だった。

誰かに話せるならまだ良いのかもしれないけど、話すのも嫌になるだろう。

話したとして、相手がどう反応するか分からないのも怖い。

作り置きしていた夕飯を食べ、シャワーを浴びる。

どうしたって目に入る自分の体に嫌気がさした。

まだ残る刺し傷も、背中や太ももの痣も、他人に侵食され尽くした皮膚も、全部大嫌いだ。

裂けちゃえばいいのに、と思いながら軽く引っ掻く。

かなり痛かったけど赤く痕が付くだけで、すぐに消えてしまった。

ほんの少しガッカリしながら、タオルで体を拭いた。



いつもより早く家に着いたのに、色々なことをしていたら結局夜の1時になってしまった。

部屋の電気を消して、溶けるようにベッドに倒れ込んだ。

真っ暗になった部屋でも白く見える天井に目を向ける。

明日からの学校は少し行きにくいかもしれないけど、タイミングが良かった。

もう終わるんだ。

山崎くんも大和も悲しむだろうか。

……そうだったらいいな。

Re: 大好きで大嫌い ( No.54 )
日時: 2020/12/04 23:53
名前: たなか (ID: dRBRhykh)

*





少しずつ夏休みが近付いてきた。

でも、校内にいても聞こえてくるような蝉の声ですら、今の僕の耳には届かない。

そのくらいの緊張に浸っている僕は、体育館の入口をくぐった。

中には、バスケ部の顧問の中谷先生だけがいる。

入口に背を向けてバスケットゴールと向かい合っている先生に近付いた。

そっと先生の手から放たれたバスケットボールが、リングを通ってゴールネットを揺らす。

小さく拍手をすると、先生は驚いたように振り向いた。

「大島? どうしたんだよ、折角の昼休みに」

いつものような笑顔で話しかけてくれる先生に、僕も笑顔で返す。

「少し、挨拶を」

「挨拶」なんていうどこか他人行儀な単語に、先生は悲しそうな顔をした。

分かりきっているはずなのに。

先生もバスケットゴールも目に入らないようにして、僕は口を開いた。

「……中谷先生が部活の顧問で良かったです。僕が今できる最大限のバスケを、僕にやらせてくれた。パスを出すだけでも、シュートフォームのお手本を見せるだけでも、コートにモップをかけるだけでも、部員の荷物を整理するだけでも、僕にとっては全部バスケでした。
『いい練習相手になる優秀な選手がマネージャーになってくれて助かった』って言ってくれるのが、お世辞でもなんでも無く嬉しかったんです」

息を吸って、震えそうな、途切れそうな声を絞り出す。

「1年間ありがとうございました」

頭を下げる。

言いたいことはまだ沢山あったけど、口には出なかった。

言葉にならなかった。

そっと頭を上げて先生の顔を見ると、バスケットゴールが目に入る。

悲しそうに笑いながら、先生は僕にバスケットボールを差し出した。

「……最後に、シュート決めてけよ」

ダンクでも3Pでもいいから、と先生が付け足す。

バスケットボールを受け取り、センターサークルの真ん中に立った。

ドリブルもしないで、ボールを構える。

バスケットゴールの向こう側にある窓から入った光が、僕の目を刺した。

その光の中に放り込むようにしてボールを投げる。

リングに当たることもなく、ボールはネットを通った。

すぱん、という小さな音だけが体育館に響く。

ほっと息をついた。

音を立てて床に落ちるボールを見ながら、先生は小さな声で僕に問いかけた。




「……バスケ、好きだったか?」




まだ光を見上げながら、僕も小さな声で返す。






「えぇ、大好きでした。嫌いになる程」

Re: 大好きで大嫌い ( No.55 )
日時: 2020/11/13 23:52
名前: たなか (ID: .HkLA/wn)

ひゅっと、自分の息が鳴る音がした。

あまりの衝撃に隣の山崎を見ると、俺と同じように表情を硬くしていた。

何も、知らないのか。

「悪い。本当はもっと早くに伝えたかったんだが、大島の希望で……本当に申し訳ない」

眉根を寄せて、俺たちの前に立つ担任が頭を下げた。

やめてくださいよ、と掠れた声で山崎が呟く。

雫月の希望……。

話が終わり、山崎とふたりで夜道を歩き出してからも、軽薄そうな色の蛍光灯に照らされた闇の中で聞こえた話は、まだ俺の鼓膜を震わせていた。




「大島は昨日、退学した」




退学、という言葉が全く似合わない。

勉強ができて、運動ができて、愛想が良くて、問題なんて絶対に起こさない。

そんな雫月が退学したといえば、きっと経済面の問題からだろう。

それは分かるけど、どうして伝えてくれなかったんだ。

俺じゃなくたって、山崎に言えばよかったのに。



昨日「またね」って言ってくれただろ。



笑いかけてくれただろ。



それがほんの少しの希望だと思っていた俺は、今になってその言葉の重さに気が付き、ハッとする。

いつも雫月の本心に気付くのは、少し遅れてからだった。

気付いてくれないか、と雫月が軽く隠した本心に、願望に、今更気付くなんて。

馬鹿だな。

そっと、隣を歩く山崎を見る。

青白い月に照らされた横顔の輪郭が、綺麗だった。

俺の視線に気付いたのか、山崎もこっちに目を向ける。

視線が交差した。

「やっぱ俺雫月のこういうとこ嫌い」

ぼそりと山崎が呟く。

「……俺もだよ」

目を逸らして返した。

互いの声が震えていることに気付き、どことなく気まずくなる。

雫月はやっぱり、変だ。

やたらと他人を気にする。

他人の事ばかり考えて、自分の傷を綺麗に隠す。

治すことは出来ないくせに。

Re: 大好きで大嫌い ( No.56 )
日時: 2021/02/22 20:16
名前: たなか (ID: EFzw/I/i)

*





夢だと分かっている。

分かっているのに目は覚めなかった。

その夢の中での僕は、過去のものだった。

色々な記憶が一気に脳内再生されているような、中身のない夢。

体育館倉庫で同級生に殴られヘラヘラしている僕は、ソファに座って、自分の体を弄るおじさんの手を見ている僕になった。

かと思えばお父さんと手を繋ぐ幼い僕にもなり、お母さんにピアノを教えてもらう僕にもなり、泣きながら勉強をする僕にもなり、賑やかな教室で大和と話す僕にもなる。

幸せな思い出ばかりだとは言えない。

きっと、幸せなことはすぐに忘れてしまう。

それでも自分が幸せだとは思えなくて、そのせいか夢からはなかなか抜け出せなかった。

バスケのシュートを決める僕、お父さんに怒られる僕、おじさんと初めて会った時の僕、ソファの上でごめんなさいと連呼する僕、少し暗い部屋で俯く僕、先生の冷たい手を握る僕。

幸せなんかじゃない。

幸せなんかじゃない。

お父さんの手の暖かさもピアノの鍵盤の硬さも覚えてる。

おじさんの手の熱さもソファの柔らかさも覚えてる。

幸せな思い出は沢山あるはずなのに、不幸だなんて思ってしまうのはなんでなんだろう。

なんでなんだろう。

辛い思い出が風化しないのはなんでなんだろう。

なんでなんだろう。

ぷつり、と夢が途切れ、天井が目に入った。

夢から抜け出せたという謎の達成感と、結局大して変わらないという虚無感に襲われる。

たまにはいい夢見せてよ。

自分の皮肉な人生に苦笑すると、視界が歪んだ。

急に溢れるそれを止めることも無く、枕に顔をうずめる。


家が特別裕福だったこと。


親が特別優しかったこと。


お母さんが目の前で死んだこと。


急に知らない人と暮らすようになったこと。


全身を愛撫され、罵倒されたこと。


同姓を好きになったこと。


保護者であるはずのおじさんが、手を差し伸べてくれなかったこと。


バスケをまた好きになったこと。


頑張って入った高校を数ヶ月で辞めたこと。


初めて握った先生の手が冷たかったこと。





大和に出会ったこと。




幸せだなんて思えない。

何かの因果だとしか思えない。

もっと幸せになれると思ってた。

もっと綺麗に生きられると思ってた。

小さい頃は。

でも違ったんだ。

そんなはず無かった。

小さい頃の幸せが、今の不幸を創っていた。

もし生まれ変わりなんてものがあるなら、ほんの少しだけ幸せな人間になりたい。

大きな幸せなんて貰えなくて、その代わり大きな不幸もなくて。

真っ平らな人生がいい。

その人生の中で大和に会えたら、もっと上手に好きになれたのに。

Re: 大好きで大嫌い ( No.57 )
日時: 2020/12/13 15:51
名前: たなか (ID: dRBRhykh)

雫月がいなくなって数日が経った。

放課後、漫画を買いにコンビニに寄った帰り、何気なく雫月のアパートのインターフォンを鳴らす。

ほぼ衝動的なものだった。

よくよく考えたらこの時間に雫月がいる確信は持てない。

気まずいまま別れたから、出てきたとしても上手く話せないだろうし。

でも俺はどこか期待していた。

今まで通りに出迎えてくれることを。

「あれ、久しぶりだね」と笑いかけてくれることを。

インターフォンが鳴らないことに気付きドアをノックしようとした時、隣の部屋から気の良さそうなおばさんが出てきた。

「あら、こんばんはぁ」

「こんばんは」

「もしかして雫月くんのお友達?」

「はい、そうです」

おばさんの派手な柄のワンピースと黒いトートバッグをぼんやりと見ながら返事をする。

なんで中年かそれ以上の女の人って花柄の服着てるんだろう。

そう考えながら。

「雫月くんつい最近引っ越したのよぉ」

頭の中で、花が一気に枯れる。

視線をおばさんの顔に向けた。

「え……引っ越したんすか」

「そうなのよ、ご存知無い?」

「そんなに仲がいいって訳でも無いので」

嘘をついてすぐ、あながち嘘でもないと心の中で呟く。

勝手に離れる程度の仲だ。

連絡も報告もしないで、退学してしまうような仲だ。

どうだっていいのかもな。

ありがとうございます、と礼を言って階段を降りた。

駐輪場の端に置いた自転車にまたがる。

ちょっとした孤独感に覆われ、白い天井を仰いだ。

絶妙なバランスを保っているへのへのもへじの落書き。

ここに初めて来た時見つけたものだ。

雫月と2人で大笑いして、それからも見る度に笑った。

今もそうだ。

知らず知らずのうちに口角は上がっている。

あぁ、お前も置いていかれたんだな、と。


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