複雑・ファジー小説

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ハートのJは挫けない
日時: 2022/05/11 05:32
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)

波坂といいます。閲覧ありがとうございます。今回は能力バトル系を書いていきます。色々と至らない部分もあろうかと思いますが、そこはどうぞ生暖かい目線で見守って頂けたらなと。

 一気読み用【>>1-100

 目次>>73

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 略称はハジケナイです。

Re: ハートのJは挫けない ( No.21 )
日時: 2018/05/05 13:42
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 笑みを耐えさない隣さん。それは純粋な笑顔だった。何処か外れただけの、笑い方だ。

「……どうしますか? 今この人達は私のハートによって操られています……諦めてしまっては?」

 僕らは二方を壁、二方を人、左右が壁で前後か人といった形で囲まれている。僕らと相対する彼女の背後には、20人ほどの男子生徒が控えている。彼らはまるで死んでいるかの如く、ピタリと停止している。

「テメェのハートは人を操れるのか……?」
「はい。この鎖で捉えた人間なら、誰であろうと」

 隣さんがすぐ後ろの男子生徒の鎖を持って言う。あの鎖、壁やら床やらをすり抜けていた辺り、八取さんの鎌と同じで物理的な効力は無く、ハートの持ち主以外には触れないものなのだろう。

「さぁ貫太君。言って下さい。私が好きだと。そしたらもう、酷い事はしませんから」

 隣さんが、僕らを迎えるように両手を広げて言った。

「さぁ、選んで下さい! 往生際悪く抵抗して道端に捨てられたボロ雑巾みたいに半殺しになって、私を好きだと言うか! 子犬みたいに従順に、私を好きだと言うか!」
「くっ……」

 恐らく、半殺しというのは僕だけではないのだろう。ハートを持つ共也君が居るとしても、この人数は絶望的すぎる。何より、彼が操られているだけの男子生徒達を殴れるとは思えない。
 ならば、もう、諦めて言ってしまった方がいいのかもしれない。単純な話だ。3人犠牲になるか、1人犠牲になるかのどちらか。当然、後者が良いのは目に見えている。

「隣さん、僕は」

 

「キミが大嫌いだ! ……と彼は言っているのデス」

 僕の声を遮るように、観幸が大声を張り上げた。
 隣さんの微笑みが、少しだけ、崩れる。

「……貴方には黙って貰いたいのですが」
「ハッ! 黙れと言われて黙る人間がいると思っているのデスか! 人間は自我を持ち、理不尽な圧力に対して反発する力を持つのデス! そしてオマエのような独裁者かぶれのガキ大将は! 反発によって崩れ去るのデス! そんなヤツを、貫太クンが好意を抱くと思うのデスか!? このアホウが!」

 冷たい声音を弾き飛ばすかのごとく、更に声を張り上げた観幸。隣さんの微笑みが、また一つ、整いを失う。

「……今、なんと?」
「何度でも言ってやるのデス! オマエのようなサルの大将──おっとこれはサルに対して失礼なのデス。サル未満のお山の大将には分からないかもデスが! オマエのような人間に、一生貫太君が振り返るハズ無いと言っているのデス!」

 空のパイプを隣さんにビシッと向ける。僕は、それに声も出なかった。
 彼は、一体どうして、この状況でも尚、抗う事が出来るのだろか。

「……そのチビを倒しなさい! 今すぐに!」

 とうとう隣さんの微笑みが崩れた。恐ろしい形相の彼女が、観幸に向かって指を指した。
 直後、凄まじい音が階段を駆け抜ける。地震か、いや違う。多くの生徒が、一糸乱れぬ行動で、こちらに向かって走り始めたのだ。

「今デス! 共也クン!」
「ピカイチだぜ! 観幸! テメェのどこから湧いてくるのか分からねぇその度胸!」

 瞬間、共也君が観幸の肩を掴む。すると、彼らが一歩移動したかと思えば、隣さんの背後に回っていた。共也君のハートで瞬間移動したのだろう。

「貫太ァ! 俺達はコイツらを引き付ける! 今はとにかく愛泥から逃げろ!」

 多くの生徒が、尻餅を付く僕を完全に無視して、一直線に共也君と観幸、正確には観幸に向かって走り出していく。ドタドタと凄まじい振動が過ぎ去った所で、この場には隣さんの僕だけが残った。

「あのクソチビ……!」

 怒ってあちらを見ている隣さん。その隙に、僕はなんとか砕けた腰で立ち上がり、近くにあった消火器を手に取る。

「う、うわぁぁぁぁ! ごめんなさぁぁぁぁぁい!」

 ホースを隣さんに向け、火災講習会で習った動きを思い出しながらキャップを捻り、消火剤を噴射した。
 瞬間、凄い勢いで白が飛び出る。意識外から吹き掛けられた彼女はかなり焦るだろうと、見えない彼女の様子を考えつつ、それが無くなるのを確認すると、僕はそれを置いて逃げる。階段に差し掛かった辺りで、下から物凄い音が聞こえてきた。恐らく、下ではあの2人と大人数が追い掛けっこをしているのだろう。

「上に逃げるしかないじゃないかぁ! どうしろって言うんだよー!」

 ヤケクソに叫びながらも階段を登る。それはもう、校則なんて無視して、ひたすら全力でだ。下から響いてくる音があまりに怖く、上へ上へと目指してしまう。
 そして、僕が完全に上に登り着ると、屋上に辿り着いた。

「……しまった……」

 そう、完全なる行き止まり。無我夢中になり過ぎて、僕は自ら袋の中に入り込んでしまったようだ。

「ど、どうしよう……」

 取り敢えずドアを背中で押す。もし隣さんが来たとしても、入って来れないように。
 僕が奥歯をガタガタ鳴らしていると、唐突にケータイに振動がした。慌てて取り出すと、携帯電話が入っている。パカパカするタイプのやつだ。取り出すと、共也君から着信が入っている。

『おう! 屋上まで逃げたか貫太!』
「な、なんで知ってるのさ!」
『観幸が貫太ならビビって屋上まで逃げちまうと予想済みだ!』
「観幸ーッ!」

 向こうから自慢げな声が聞こえてきたのは、気のせいだということにしておこう。

「そ、そんなことよりどうしよう……」
『焦るんじゃねぇ! 俺達も何とかしてコイツらを撒いてスグに駆け付ける! 絶対に隣に捕ま』
『共也クン! 前! 前!』
『なんだよ観ゆ嘘だろオイッ!』

 唐突に観幸の声が遮ってきたと思えば、電話が終わりツーツーと音が鳴る。思わず、最悪の絵面が浮かぶ。
 その時、背後ドアノブが回る音がした。背中に、氷でも詰め込まれたような錯覚がした。





 幾ら押しても開かない。向こうから彼が押しているのだろうか。どうして、彼はそこまで私を拒むのだろうか。私は、愛泥隣はこんなにも彼を、針音貫太を求めているというのに。

「貫太君、そこにいるんですか?」

 向こうからは、悲鳴が聞こえてくるだけで、返事らしきものが帰ってこない。どうして、どうして彼は私に応えてくれないのだろうか。
 服や髪には彼が撒き散らした消火剤が着いているが、少し払えば問題無い程度だ。しかし、彼にそれをされたという事実が、明確な拒絶が、私の心を蝕む。こんなにも、こんなにも確かな拒絶が痛いなんて、全く知らなかった。

「開けて下さい」

 だが緩む気配は無い。彼は小柄だが一応男子だ。しかもここぞとばかりの気迫を見せている。できれば、それは今、見せて欲しくはなかった。

「私の事が嫌いですか?」

 もう、答えなど分かりきっている。彼の態度を見れば、そんな事は百も承知だ。だからそこ、彼には言わせなければならない。

「私の事、好きですか?」

 私が好きであると。



 少しだけ、昔の事になる。時間にして、一年間。
 私は、恐らくだが虐めを受けていたのだろう。最も、今となって振り返れば、の話であり、当初は何も感じていなかった。
 当時、私は誰にも気付かれない影のような存在だった。誰にも関心を向けられず、教師からの受けはそこそこ良いが、クラスメイト達には存在を認識されるかも怪しいレベル。向けられるのは、せいぜいサンドバック程度の考えだけ。
 そこまで悲惨なやり方ではない。勉強関連には手出してこなかったし、せいぜい靴に何か仕込んだり、椅子や机に簡単に消せる素材で落書きをされる程度。もっと酷いものもあった気もするが、正直思い出したくない。
 そんなある日の事だ。私の当時学生カバンに付けていた、キーホルダーを女子が目の前で取った。

「これいいね。貰っていい? ありがとー」

 私の返答なんて聞かずに持って行ってしまった彼女。そして、そのままそれは帰って来なかった。
 私が彼女に放課後尋ねると、なんでも昼休み前にゴミ箱に捨てたとか。狙ってやったのだろうが、昼休みの後は掃除だ。ゴミ箱の中にはゴミの集積場に持っていかれる。幸い、その日はゴミの処理される日では無かった。
 あの熊のキーホルダーは、私の中学校での唯一の友人がくれた、私の中では最も大切なものだった。そして、私はゴミの集積場へと向かう。大量にゴミ袋が積まれていた。鍵は、空いている。

「……どれだろう」

 一応、一年生はどの辺と大体の目安は決まっているため、目星は付くが、それでも数はあまりに多かった。それでも探そうとして、袋を順に探していく。
 勿論、私にはあまりに過酷な重労働だった。2袋目にして、既に息が上がる程だ。それでも私が続けようとした、その時だった。

「あれ、君、何してるの?」

 彼が現れたのは。

「あっ……えっと……」

 しまった。と思った。1人でゴミを漁る地味な生徒。どう考えても、男子生徒には格好のネタでしか無い。

「……その……探し物が……」

 明日から、なんと言われるんだろうか。想像しただけで鳥肌が立つのがわかった。思わず、涙まで出そうになっていた。

「探し物? 一緒に探そうか?」

 彼が、そう言う迄は。

「……え?」
「いや、探し物ならさ、1人じゃ時間かかるし、2人でやった方がいいと思うんだけど……? 迷惑だったかな」
「……いいんですか?」

 私は、不思議で不思議で堪らなかった。何故、知りもしない彼が、こんな勉強しか取り柄が無いような私を、助けてくれるのか。

「うん。何を探してるの? こう……形とかも言ってくれると嬉しいかな」
「……く、熊の……キーホルダー……サイズはこの位で……」
「分かった。見付かったら言うね」

 そう言って、彼は山から2つ程のゴミ袋を取って、中身を漁り始める。見続けているのも失礼かと思って、私は探すのに集中する事にした。
 それから数時間が経っただろうか。

「これの事?」

 彼が見せてきたのは、汚れたキーホルダーだった。そして、私の大切なものでもある。

「……あっ……は、はい! あっ……あ……ありがとう……ございます……」
「うん、見つかって良かったよ」

 彼はそう言って、自慢する様子も何もなく、当然の事をしたまでと言わんばかりに、片付けを始める。

「あの……」
「えっと……どうかしたかな」

 今考えると、当時の私からすれば、よく聞いたな、と思える事だ。

「どうして……助けてくれたんですか……?」

 あんな所で、惨めにゴミを漁っていた私を、馬鹿にせずに話を聞いて、数時間経っても手伝い続けてくれた。私には何の長所も無く、私とは何の接点も無く、彼には何の意味も無い。なのに、どうして、彼は。

「……うーん……そうだなぁ」

 腕組みをして、頭を捻る彼。そして、答え辛そうに、言った。

「君を助けた理由は……無いんだ」

「理由が……無い?」
「強いて言うなら……困っていたから……かな?」

 照れ臭そうに微笑む彼。
 この時、この瞬間なんだと思う。
 私が、彼に取り憑かれたのは。





 この鉄の向こう側には、彼がいるというのに、求めても、求めても、求めても、彼は応じてくれない。あの日から、彼に恥じない自分になろうと、彼が振り返ってくれる自分になろうと、そう誓って、この力を手に入れて、遂に彼に接触したのに。
 どうして、彼は私の方を向いてくれないんだろう。
 下から、足音がする。そちらを見ると、私のハートで操られた男子生徒が、ゾロゾロと歩いてきた。恐らく、あの観幸とかいうのを拘束して私の元へ返ってきたのだ。多分、共也と呼ばれていたのも、抵抗したなら同様に拘束されている事だろう。
 丁度いい。彼らにドアを押すのを手伝ってもらう。自分で幾らか押していたのが嘘のように、扉がじわじわと開き、遂には一気に開いた。

「うわぁっ!」

 彼がうつ伏せで倒れていた。寝返りを打つように、こちらを振り返った彼の表情が、絶望に染まる。
 彼は知らないだろう。
 私が、その表情に、どれだけ心を痛めているか。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.22 )
日時: 2018/05/06 10:13
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「うわぁっ!」

 僕の抑える力が負けて、ドアから弾き飛ばされた。屋上にうつ伏せになって這い蹲っていたら、ドアが開く音がした。慌てて寝返りするように振り返ると、そこには居た。
 口がカタカタと恐怖で震えているのが分かった。自然に後ずさりしてしまう程、恐ろしくて恐ろしくて堪らなかった。

「やっと開けてくれましたね……貫太君……」

 少しだけ悲しそうに目を伏せる彼女。どうして、彼女がそんな顔をするんだ。僕だって悲しい。その原因を作っているのか彼女なのに、どうして彼女は被害者みたいな表情を浮かべるんだ。

「貫太君……もう、言わなくても分かりますよね……?」

 僕に、好きと言えと、言うのか。
 僕は怖かった。恐ろしかった。その言葉を吐いた瞬間、自分という存在そのものが剥げていきそうな、そんな気がして、言葉を紡ぐ事も出来なかった。

「うわぁぁぁぁ!」

 気が付けば、僕は走り出していた。当然、ここは屋上だ。逃げられる場所なんてない──いや、ある。
 そこに、大空があるじゃないか。こんな辛い思いをする位なら、大空に逃げ出してしまった方がいいんじゃないか。なんて考えに取り憑かれて、そのままフェンスまで走った。
 後ろから、僕を追いかける音がした。だが、もう関係無い。このまま逃げ切れれば、僕の勝ちなのだから。そう思って、錆びたフェンスに手を掛け、そのまま自分の身を投げようとした時だ。

「……ひっ……!」

 フェンスから見えた景色、いつもは立っているはずの場所が、あんなにも遠くに見えた。ここから落ちる、そう考えると、足を止めるには十分すぎるほどの恐怖の風圧が襲ってきた。自分の中の血が一瞬にして冷却され、頭が段々と冷えていく。

「貫太君に自殺なんて、できないでしょう?」

 彼女の声音は笑っていた。まるで、僕を嘲笑うかのように、お前は所詮無力な人間だと、そう言いたげだった。

「そんな……そんなぁ……」

 事実、そうなのだから、僕は何も言い返せない。
 生まれてから、喧嘩なんてした事は無い。人を守った経験も救った経験も無い。見也さんのような逞しさと強さは無い。共也君のような信念も優しさも無い。観幸のような知性も度胸も無い。僕は何も持ってない。ただただ臆病なだけの、小さな力すらない、弱者だ。

「ほら、言って下さいよ。どうせ貴方に、出来ることなんて無いんですから」

 そうだ。
 僕には何も出来ない。
 この状況をひっくり返す事も、目の前の彼女に最後の抵抗をすることも、自分を投げ出して逃げることも、出来ないんじゃない。しないんだ。僕はまた、そうやって、何度だって、何度だって、逃げて、逃げて、逃げて。
 もう、結果なんて分かり切っていた。

「あのお友達さんも捕まえられたみたいですよ……ふふ……あのチビなお友達の方は結構酷くやられたみたいですねぇ……」
「……観幸が?」
「私は彼を倒すように命令しました。あのチビなお友達は何らかの形で拘束されていると思いますよ……ふふっ、あの人も私が操ってこの学校から追い出してあげます……」

 もしも、

「観幸を……追い出す?」

 もしも、この時、この瞬間、たった今。

「はい、だって要らないでしょう? 私が彼の代わりになってあげます。大丈夫です。あんなのの代わりくらい簡単です」

 僕が、惨めに這い蹲って、子犬みたいに綺麗なまま、従順に、言いなりになったとして。
 もしも、僕の友達が、大親友が、居なくなったとしたら。
 僕は、自分を許せるのだろうか。

「許さない」
「え?」

 いや

「僕は絶対に許さない」

 僕自身も、隣さんも、僕は絶対に許さないだろう。

「……っ!」

 隣さんが、眉を顰める。どうした、僕がちょっとでも反抗したから、また怒るのか。

「おかしいんじゃないのか」

 そうだ。こんなのおかしい。余りにおかしすぎる。

「僕は何もやってない。悪い事なんて一つもやってない。なのに、なのに、理不尽に蹴られたり殴られたりして、友達を……傷付けられて……!」

 そうだ。間違っている。

「違うんじゃないのか! 何も悪くないこの僕が! 神様ごめんなさいなんて神頼みするのは間違っているんじゃないのか! 神頼みするべきなのは! 全ての原因の君なんじゃないのか! 答えてみろ愛泥隣!」

 僕は、針音貫太は、ここで彼女を、愛泥隣を正さなければならない。
 僕の為に、友人の為に。

「答えられないのか! 答えられ無いわけが無いよな! こんな無力でチビなドブネズミの僕にだって分かることを! お山の大将が分からないのか!」

 心の熱のまま、言葉を叫び散らす。

「僕は! この針音貫太は! 絶対に君を許さない! 共也君や他の男子生徒を虐げた君を! 観幸を追い出すなんて言った君を! 僕はもう許さないからな!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 私のことが好きだと言って下さいよぉッ! どうして! どうして私の事を! そんなに拒絶するんですか! 私は! 私はこんなに貴方が好きなのに!」

 僕の胸の熱が、外れた感覚がした。

「何回だって言ってやる! 愛泥隣! 僕は君の事が大嫌いだ!」

 瞬間、何か銀色に光るものが、僕から飛んでいくのが分かった。それは、隣さんの胸にちょうど突き立つ。

「な、なんですかこれはッ!」

 抜こうとしても、それは、そのナイフは隣さんの手をすり抜ける。隣さんの鎖が本人にしか障れないのと、同じ事なのだろう。

「止めて! 止めてよ! 何これ……! 私の、私の心に入って来るな! 違う! 私は貫太君の事が好きなんだ! 嫌いじゃない! 嫌いじゃないのに! なんで嫌いって感情が流れ込んでくるの! 止めてよ! これ以上、これ以上私に貫太君を嫌わせないでよ!」

 隣さんが頭を抱えて喚き散らす。
 彼女の胸に、正確には心に突き立ったナイフ。アレは、人の心に僕の心を流し込む力だ。

「貫太君……! 貴方、ハート持ちなの……!」
「今の今まで使えなかったけどね! そのナイフは刃に刻まれた感情を流し込む! その刃には『大嫌い』の三文字が刻まれているのさ!」
「止めなさい……! 今すぐ止めて! お願いだから! もう、嫌ぁぁぁぁぁ! 嫌いになりたくないのに! 貴方の事が好きなのに! どうして! どうしてよぉぉぉぉッ!」

 両手で耳を塞いで、何かを遮断しようとする彼女。きっと、彼女には聞こえているんだろう。僕の大嫌いという声が、何度も何度も繰り返しで。
 彼女の背中から、鎖が大気に透けるようにして解けていくのが分かった。そちらに回す気力が無くなったのだろう。何個か地面に伸びていたのも消えたので、きっと2人も助けられたはずだ。
 そして、隣さんが、パタリと糸が切れたかのように、その場に跪いて、首をカクンと前に倒した。そこから、1ミリも動かない。
 まさか、精神がやられて気絶したとかだろうか。正直予想外だったが、取り敢えずナイフを差しっぱなしにして置くのは少しだけいたたまれないので、引き抜こうと歩み寄る。
 愛泥隣さん、本当に、本当に恐ろしい人だった。こんなにしつこく求められるのは初めてだったが、如何せんアプローチの仕方が不味すぎた。

「これに懲りてくれたらなぁ……」

 そう言って、ナイフを手に取り一気に引き抜く。物理的作用は無いので、すんなりと抜けた。
 すんなり、という言葉が、少しだけ引っかかった。

 背中に、ヒヤリとした冷たい感覚が這う。

 これだけの執念を持った人間が、果たしてこんなにすんなりと、終わるものだろうか。
 そして、その心配は杞憂では無かった。
 瞬間、隣さんの背中から鎖が飛び出た。僕がしまったと思った時にはもう遅い。鎖は僕らを囲むようにして背後に回り込み、フェンスに巻き付いた後に僕の腹部に巻き付いた。
 そして、後ろからかなり強い力で引っ張られた。背中からフェンスに激突すると、激痛と共に結構イヤな音が響く。
 食い込む鎖が、僕を締め上げる。思わず、悲鳴を上げてしまう。

「ぐッ! な、なんてパワーだ……!」

 物理的作用の無い筈の鎖が、僕を万力のような力で締め上げる。その時、共也君が以前言っていたセリフを思い出した。

「……ハートの具現化……! まさか……土壇場で開花したのか……! ぐぁぁぁッ! 痛いッ!」

 到底、僕の力では引き剥がせそうにないパワーだ。そして、その鎖を操る者が、ゆっくりと、立ち上がる。
 彼女の表情は、今までに無いくらい、爽やかだった。

「ふふふ、感謝します。貫太君。貴方のおかげで……」

 いや、爽やかではない。
 何方かと言えば、濁った、と言った方が正しいだろうか。

「大ッ嫌いな貴方を! 私の手で殺す事が出来ますから! ははは!」

 嗤う彼女に、僕はただ、鎖がこれ以上食い込まないように、力の限り抵抗するしか、為す術が無かった。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.23 )
日時: 2018/05/11 13:07
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 腹部とフェンスを結び付ける鎖の力が、一層強くなった。ギリギリと鎖が擦れる度にフェンスが悲鳴を上げる。そして、僕はどんどん締め上げられていく。

「く、苦しい……た、助け……て」
「ふふふ、最高の気分です。こんなに、こんなに嫌いな人をいたぶるのが楽しいなんて知らなかった!」

 彼女の背中から、3本の鎖が発射される。それは、僕ではなく、鎖が外れた時に倒れた男子生徒達へと向かっていった。まさか、また操る気だろうか。

「させない……! ぐっ……!」

 僕が胸に手を当て、握るような動作をする。すると、3本のナイフが現れた。それをとにかく鎖を狙って投げる。
 不自然な程に起動を歪めつつも、それらはピッタリと鎖を弾いた。男子生徒に行き着く前に、着地点を見失った鎖達が、戸惑うように隣さんの方へと戻って行く。

「アレは実体のない鎖だったのか……?」

 具現化していない僕のナイフで弾く事が出来た。つまり、アレは具現化していない状態の鎖という事だ。彼女のハートは、具現化したものでは他人を操れないのだろうか。

「邪魔なんですよ! 鬱陶しい!」

 またもや、背中から鎖が発射される。今度は物理的効力があったのか、ナイフを投げてもすり抜けてしまい、防ぐ事は出来なかった。そしてフェンスに巻き付いた後に、2本の鎖が僕の両腕を絡め取り、フェンスに括り付けるようにして巻き付いた。いくら力を入れても、腕はびくとも動かない。

「小さな虫ケラの癖に!」

 鎖の力が強くなり、また一層、腹部が締め付けられる。そして、フェンスの悲鳴が大きくなる。

「や……め……て……! ダメだ……! このままじゃ……! 君も……!」
「今更何を言ってるんですか!? さっき貴方は私がいくら懇願しても頼みを聞き入れなかった! だから私も聞き入れません! ほら! 死になさいよ!」

 違う、そういう事が言いたいんじゃない。
 手を何回か握ると、そこにナイフが現れた。

「させない!」

 が、僕のナイフを握る手を、鎖が叩いた。当然それは僕の手から弾かれ、フェンスをすり抜けてはるか下の校庭へと落ちて行く。
 僕がそれに気を取られていると、鎖が手の平にグルグルと巻き付き始めた。恐らく、手の開閉をさせないようにする気なのだろう。しばらくすると、僕の手には毛糸玉のように鎖が巻き付いていた。

「……はぁ、はぁ……追い詰めましたよ……もう逃がしません……」

 追い詰められてしまった。確かに、その通りである。

「もう一度だけ聞きます……私の事、好きですか?」

 彼女の苦しそうな顔で吐かれたその問い。
 それを聞いた僕は

「……ははは」

 笑っていた。
 彼女が眉を顰めるが、僕はついつい笑ってしまう。仕方ない事だろう。
 僕がずっと悩んでいた事が、ようやく分かったのだから。少しくらい笑うのは許して欲しい。

「そっか。君は僕に是が非でもそれを言わせなきゃいけないんだね」

 僕がそう言うと、彼女の表情が強ばった。

「君のハート、《心を縛る力》はとても強い。だって人を無限に、幾らでも操れるなんて、余りに強すぎる。でもずっと疑問だったんだ」

 一呼吸おいて、続ける。

「どうして君は、僕らを操らないんだろうって」
「……ッ!」

 明らかに、顔に動揺が走ったのが見て取れた。
 だっておかしいだろう。人の事を操れるのに、僕の事を最初から操らないなんて。

「だからこう思った」

 僕は、友人の推理を披露する顔を思い出しつつも、それの真似をしながら言った。

「君のハートの範囲は……君に好意を伝えた人間なんじゃないか……ってね。好きだ、とか。そういう言葉さ」
「な……なんでそれが……!」
「だって君の周りには男子しかいないじゃないか! 女子生徒がいたっておかしくないじゃないか! なのに男子だけ。そして君がしきりに僕に言わせたがること。それらから考えて! 君のハートは好意を伝えてきた人間を操る力だ!」

 だから、僕は絶対に言ってやらない。言ってはならない。

「僕は言わないからな! 君が望む言葉なんて言ってやらないからな!」
「黙りなさい!」

 発射された鎖が、僕の首に巻き付く。ギリギリと音を立てていくそれが、どんどん僕の首を圧迫する。それにつられる様にして、体を締める鎖の力も強くなる。

「い、息ができ…………な……」
「さっきの言葉は慈悲だったんですよ! 私の最後のね! でも貴方はそれを蹴った! ……死になさい! 私の大嫌いな針音貫太!」

 そうか、彼女にとっての慈悲は、この程度のものだったのか。なんて軽く納得しつつも、僕は最後の力を振り絞って、愉快そうに笑ってやる。

「悪い事は……言わない……僕を放して……死んじゃう……」

 締め付けられた喉から、絞り出すように、枯れきった声を紡ぎ出す。その意図が、彼女に伝わらない事は分かっている。

「ハッ! 命乞いなんて情けない! 潔く死ね!」

 更に鎖の力が強くなる。当然、僕の気道は完全に潰され、遂には息が出来なくなる。
 そして、折れた。
 激しい音を立てて。
 僕の、背後のフェンスが、鎖の力に負けて、崩れた。
 僕は思い切り床を蹴って、フェンスに向かって跳ぶ。すると、フェンスは痛々しい金属音を出した後、呆気ない音を立てて、一部が空中へと投げ出された。
 そして、それに縛り付けられるように拘束されていた僕も、同じように空中に投げ出される。

「だから、言ったじゃないか」

 そしてその鎖は彼女から放たれたものだ。僕が落ちる瞬間、彼女も引きずられてその身を宙へと放り出す。

「僕を放して、君が死んじゃう、ってさ」

 目を見開く彼女の顔が、やけに色濃く景色に映った。まさに、しまったと言わんばかりの表情だった。
 そして、僕らは重力に従って落下を始める。

「間に合え……」

 僕が首に巻き付く鎖を手繰り寄せ、隣さんを引き寄せる。驚いた表情を浮かべる彼女を、思い切り腕で掴み、その体を自分の体と密着させる。
 彼女が反射的に僕を振り解こうとするが、その前に彼女の胸にハートで作ったナイフを突き立てる。刃に刻まれた文字は『死にたくない』の六文字。
 瞬間、彼女がハッとした表情を浮かべるのも束の間、背中から鎖を出し、屋上の千切れていないフェンスに巻き付けた。僕らの体が、ぶら下がるようにし静止する。
 ふう、なんて僕が一息付いていると、唐突に、自分の首に生暖かい何かが触れた。
 そして、それが僕の首を圧迫する。
 
「……そんな……!」
「殺すって言ったでしょう!」

 こんな状況で、2人で屋上から鎖で吊られている状況で、それでも尚、彼女が殺しにくるとは思わなかった。鬼気迫る表情の彼女は、ちょっとやそっとの出来事で、それを止めるようには思えなかった。
 先ほど絞められたこともあり、早々に意識が点滅する。いや、まだだ。まだ手は動く。足も動かせる。まだ、まだ何かできるはずだ。

「く……まだだ……!」

 諦めてたまるか。鎖で体が縛られているなんて関係ない。思い切り身を揺らすと、ガチャガチャと音を立てる鎖。そして、ブランコのように揺れる僕ら。

 ──唐突に、嫌な音が上から聞こえた。

 僕らが同時に上を向くと、鎖が絡めとっていたフェンスが、千切れ落ちてきた。僕らは再び重力に引きずり込まれるように落ちて行く。
 彼女が慌てて鎖を伸ばすが、もう僕らの速度は鎖を超えていた。当然、絡め取る事は出来ず、それは消滅する。

「間に合え……!」

 僕は、地面に、叫ぶ。

「間に合えぇぇぇぇぇ!」

 その声に、何かが呼応することを願って。


「ピカイチだぜ、貫太」

 そして、僕の待ち望んでいた声が、聞こえた。

「お前のハート、確かに受け取ったぜ!」

 胸にナイフが刺さった彼は、いつの間にか、落ちてくる僕らの真下にいた。そして、右手を僕らを受け止めるようにして掲げる。
 僕らがそれに当たる寸前で、自分自身の体が消えた。そして一気に視界が移り変わる。
 そこは丁度、学校の水泳の授業で使う設備、プールの上だった。彼のハート、《心を繋ぐ力》によって、落下地点とプールの上を繋げたのだ。
 僕らはそのまま、飛沫と共に激しい水の歓迎を受けた。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.24 )
日時: 2018/05/12 13:01
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 ぼやぼやと、景色が朧気に揺れる。
 私は何をしていたんだろう。
 私はただ、彼に振り返って貰えたくて、それで、それで。
 結局、嫌われてしまった。
 どうして、なんて、分からない。私には、分からない。私は本当は人との接し方なんて分からないし、人と話すのだって怖い。自分以外の人間が、怖くて怖くて堪らない。
 だから操りたかった。操って、私のものにして、私だけの言うことを聞いてくれる彼が欲しくて、私を嫌わない彼が欲しくて。私を……好きになってくれる彼が、欲しくて。

「結局、ダメだったな」

 頑張って、努力して、走って、疲れて、また頑張って、努力して、走って、繰り返して。
 本屋で読み慣れない雑誌を読んで、インターネットで聞き慣れない単語を検索して、洋服屋で気慣れない服を着て、美容室で見慣れない髪型に変えて。
 そして不思議な力まで手に入れて。
 それでも、私は彼を振り向かせられなかった。

「やっぱり私には……出来ないよ……」

 人生で一度だけ頑張ろうと思えた。人に関わろうと思えた。自分を見て欲しいと願った。全力で頑張った。足掻いてみた。最後の最後まで。
 でも、それでも。

「どうしたらいいの……?」

 私には、出来なかった。

「教えてよ……」

 ただただ、両手で潰すほど、キーホルダーを握りしめて。

「助けてよ……」

 彼女は、とても強い人だった。
 そんな彼女なら、どうしていたんだろう。

「ねぇ、私はどうすれば良かったの?」

 言葉が虚空に透けていく。

「私は、何がダメなの?」

 誰かに教えて欲しかった。

「分からないよ」

 私は何も分からない。

「分からないよ……」

 他人の心も、感情も、目の前にあるはずのものが分からない。
 自分の行動も、考えも、何が悪いのか分からない。
 自分か良いのか悪いのか。そんな単純な事も分からない。
 だって教えてくれなかった。
 みんな、私には教えてくれなかった。
 そんな事、分かるだろうって。

「分からないんだよ」

 知らないものは、分からない。
 分からないものは、分からない。

「誰か、私に教えてよ」







「──さん──起きてよ──」
「──落ち着──貫太─」

 意識が戻ると、途切れ途切れの音声が耳に飛び込んでくる。誰かが、2人で大きな声で話しているようだ。そして、途端に会話が止む。

「ん……」

 目を開けると、一面の空が広がっていた。そして、私の顔を覗き込んでいるのは……貫太君なんだろうか。しかし、それならばどうにも一つ、疑問が生じる。

「隣さん……良かった……!」

 なぜ彼は、涙を流しているのだろうか。嬉しさから来たものなのか、悲しさから来たものなのかは分からないが、私が嫌いな彼は、きっと私が起きたことを悔やんでいるのだろう。

「ったーく、ただ気絶してるだけって言ったろ?」
「で、でも……もしかしたら……」
「はぁー、お前ホント、良い奴だよな」

 2人が軽い様子で言葉を交わす中、1人置いて行かれる気分を味わう私。取り敢えず上体を起こしつつ、声をかけてみる。

「あの……」
「え? どうしたの?」
「……何が……起こったんです……か?」

 私は、何が起きているのかさっぱりわからない。鎖を屋上に引っ掛けたはいいものの、外れてしまい落下したところまでは覚えている。そして──何故か、プールサイドで倒れていた。

「俺のハート、《心を繋ぐ力》だ。詳細は省くがお前らが落ちてくる地点とプールの真上を繋げたんだよ」

 確かに、肌寒いと思えば制服はびしょ濡れで髪も濡れている。プールの中に落ちたのだと考えれば納得が行く。……最も、この男子生徒の不思議な力が、本当ならばの話だが。
 しかしまだ疑問は残る。

「……どうして私達の落ちてくる地点が分かったの……?」

 あの言い方だと、私達が落ちてくる場所が分かっていたようだが、そもそもどうやってそれを知ったのだろうか。
 男子生徒は私の方を向きつつ、右手で貫太君の方を示した。

「貫太が教えくれたのさ」
「知らせた、の方が正しいかも知れないけどね」

 貫太君は手元にナイフを出す。私に刺したものと殆ど同じ形状のナイフだ。

「僕のハート、《心を刺す力》は狙ったものに自動で飛んでいく性質がある。まあ、射程範囲は分からなかったから、賭けみたいなものだったけどね。さっきは共也君に無事にこのナイフが刺さったみたいだ」

 貫太君が刃の側面がこちらに見えるように見せてくる。そこには『助けて』と刻まれていた。恐らく、ナイフには刃に刻まれた文字以上の情報が入っているのだろう。何処何処に落ちてくる。とか。
 そして、それが貫太君によってもたらされたものなら、もっとおかしい。
 どうして、彼はそのナイフを私を止めるのに使わなかったのか?
 恐らく、彼が友人に向けて飛ばしたナイフは、彼が持っていたものを私が鎖で弾き飛ばしたものだろう。それ以外に彼がナイフを校舎へと落とした記憶は無い。
 そして、彼はそのナイフには自動で対象に飛んでいく性質があると言っていた。つまり、そのナイフを使えば、もし彼の力を活用すれば、私なんて簡単に止められたのではないか。

「んじや、愛泥も目覚めた事だし、俺は後始末に行くぜ」

 そう言って、知らない男子生徒は両手に屋上の千切れたフェンスを抱えながら何処かへと行ってしまう。どうやって直すつもりかは分からないが、彼のハートを使ってなんとかするつもりだろう。

「……じゃあ、僕も」
「待って!」

 貫太君が立ち去ろうとした時、思わず引き留めてしまう。
 貫太君は、一瞬だけ苦そうな顔をした後に、私の方を振り返らなかった。そして、背を向けて歩き出す。
 いや、彼が聞いてくれなくなって構わない。私はただ、彼に言いたいだけなのだから。

「どうして! どうして貴方はあのナイフを私に使わなかったの!? 貴方の力なら、簡単に私を倒せたでしょう!?」

 彼は、振り返らない。
 しかし、異常な程に、その拳を強く震わせている。

「貴方はまさか──自分が殺されそうになっている時に、私を助ける方法を考えていたんですか!?」

 それでも、彼は答えない。
 私は最後の質問を飛ばす。彼が居なくなってしまう前に。

「貴方は、貫太君はどうして私を助けたんですか!? 私は貴方を殺そうとしたのに!?」

 言い切ると、彼がその歩みを止めた。痛い程の静寂の後に、こちらを振り向く彼。彼は、少しだけ答えづらそうに、こう言った。

「君を助けた理由は……無いんだ」

 その言葉に、彼の姿が、一年前と重なった。
 私がぼーっとしていると、彼は振り返る時に、言い残した。どこか少しだけ、懐かしむような声音で、いつもの優しい表情で。

「あのキーホルダー。今も大切にしてるんだね」

 彼は、まさか、私の事を。

「ああ……」

 彼が遠くへ行く。もう声も届かないかもしれない。だが、それでも関係無い。

「彼は……変わっていなかった。……あの日の、私が好きになった貫太君と、変わっていなかった……」

 だから、思い切り体に力を入れて、全身から声を絞り出す。この心が、彼に届くように。
 ──いや、届かなくても構わない。
 ただ、彼には知っておいて欲しい。

「私……! 貴方の事が好き! 私はなんにも分からないけど……でも! それでもいい! だって、私は貴方の事が……好きだから!」

 もう何も分からなくたって構わない。

「絶対、振り向かせてみせるから!」

 ただ、私は彼が好きである。それは依然として変わらないし、むしろ前より想いは強くなった。だからハッキリと言える。

 愛泥隣は、針音貫太に恋していると。

 そしてこれ以外に、なにか必要な事実があるだろうか?




【バインドハート(終)】>>16-24

次話>>25   前話>>23

Re: ハートのJは挫けない ( No.25 )
日時: 2018/05/12 23:21
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 ──あれは、少し前の事だっただろうか。銀の髪を持つあの女性に出会ったのは。
 記憶そのものは朧気なものの、確かにそれは覚えている。声もよく思い出せないが、やけに自然な色の銀の髪は美しかった。

『ちょっと、いいかしら?』

 そう声を掛けられて、立ち止まった俺の胸に、彼女はその白い手袋に包まれた手をそっと当てた。思わず驚いた俺だが、直後の女性の発言にもっと驚いた。

『あら貴方、自分に自信が無いの?』

 その言葉が、心に突き刺さった。初対面の、出会って五分もしていないうちに、一度も言葉を交わしていないにも関わらず、自分のコンプレックスに等しいものを当てられたのだから。

『図星ね? 大丈夫。貴方は良い心を持っているわ』

 そして、女性がそう言ったかと思えば、次の瞬間、白い手袋に包まれた指達が、俺の胸に沈むように食い込んでいった。

 それからの記憶は、虫食い状態だ。





 早朝。
 いつもの滝水公園に向かっていた。いつもより30分も早い時刻だが、兄さんから呼び出されたので仕方が無い。例の件について話がある、と言っていたので、恐らく『ムカワ』という人物についての話だろう。
 『ムカワ』の事件から、もう二週間が経つ。因みに愛泥の件に関しては、あれ以来特に目立ったハートの力の使用が見られないため、特にこちらから行動は起こしていない。事件も俺が千切れたフェンスをハートの力で繋げたので事なきを得た。
 噴水の近くのベンチに腰掛け、足を組んで新聞を読む兄さんが見えた。するとあちらも気が付いたのか、それを畳んでスッと立ち上がる。

「来たか。共也」
「ああ。兄さん。……で? 事件はどうなってんだよ」
「結論から言う。全く進展無しだ」
「……何故呼び出した?」
「話は最後まで聞け」

 兄さんは一度間を置いて、少しだけ詰まりながら言った。普段の堂々とした冷静沈着な態度からは、少し離れている。……何となくだが、察しがついた。

「つまりだな……アイツの……心音ここねの力を借りようと……思う」

 予想していた事がピンポイントで的中してしまい、何となくだが同情に近いものを抱いてしまう。確かに、それなら兄さんの様子も少しは納得が行く。

「……アイツか……」
「……そうだ……」

 快晴の清々しい朝の公園に、重苦しい空気が流れる。俺が心配している事は兄さんと同じだか、多分ベクトルは別方向だろう。俺の場合は精神が抉れる方。兄さんの場合は精神が削れる方。似ているようだが、少し違う。

「まあ、アイツのハートを使えば……特定は捗るだろう……多分」
「それ、兄さんが頼まなきゃダメなやつじゃねぇの?」
「……一番の心配事を言うんじゃないぜ」

 ふう、とため息を零す兄さん。心底億劫そうな様子が、一転して締まった表情へと転換する。雰囲気が変わったのを感じて、頭を切り替えた。

「とにかく、だ。アイツが来るのはもう少し後の話だ。それから、幾つか話すことがある」
「他にどうかしたのか?」
「……以前、貫太君を襲っていた不審者を撃退したことがあってな。そいつはハート持ちだった」
「ああ、《心を殺す力》の持ち主だろ?」
「そいつだが……妙だとは思わないか?」

 妙、という言葉に、少しだけ考えてみる。しかし、俺はその意図がよく分からなかった。

「……アイツのハートは、自分の心すら壊していた。……おかしい。異常だ。ハートの力は、自らの心から発するもの。心が壊れたら、それと同時にハートも消え、効果も消える。つまり……自分の心を壊すなど不可能なはずだ」
「……確かに、言われてみればそうだな。しかし……だとするなら……」
「ああ、そうだ。奴のハートの力は自ら発したものでは無い。という事になる」

 兄さんは一呼吸置いて、言葉を続ける。

「……これは俺の推測に過ぎないが、ハート持ちを作る力を持つ何かがいる」

 兄さんの顔は、今までに無く深刻そうな顔だった。


 兄さんが去って、時間が過ぎて、貫太が来た。いつも通りに、二人で歩く。

「おう貫太。調子はどうだ?」
「元気だよ。……心配事はあるけど……」
「愛泥の事か? 心配すんなよ。いざとなったらまた三人で協力してとっちめてやれば良いんだよ」
「……そんな簡単に言わないでよ。こっちとしては色々と大変だったんだから……精神的に」

 やけに色濃く疲れた表情を見せる貫太。恐らく愛泥との出来事を思い出しているのだろう。……あんな事があった後なら、良い思い出も全部苦いだけだろうな。いや、苦いとは少し違うか。

「お、噂をすればなんとやらだぜ」

 俺達が信号を渡ると、すぐ前には噂の人物、愛泥隣が歩いていた。以前のような男子生徒の取り巻きはいない。……反省したのか? アイツが?

「なあ貫太。……貫太?」

 返事が無いので貫太の方を向くと、歩きながら愛泥を指さしてガタガタと震えていた。

「……どんだけトラウマなんだよ。豆鉄砲向けられたハトみてーな顔になってんぞ、貫太」
「だ、だだだだって……り、りり、りんさん……」
「落ち着けよ。愛泥も流石に傷付くぞ?」

 どれだけの事をすればこんなに恐れられるのかは分からないが、少なくとも愛泥から好かれた貫太には労いの言葉を掛ける他ない。

「……あ」
「信号が赤になったな」

 進行方向の信号が止まる。当然、前を歩いていた愛泥も信号で止まった。このまま行くと、鉢合わせすることになる。

「共也君、ここで信号が変わるのを待とう」
「よーし行こうぜ貫太!」
「待って! 共也君! 君はその行為がどれだけ残酷なものか理解していない!」

 ゴチャゴチャと何かを言っている貫太の背中を押して無理矢理歩かせ、信号に近づいた所で、突き飛ばすように押した。転びかけるがなんとか体制を立て直した貫太が、こちらを振り返ろうとして、すぐ横に立っていた愛泥と目が合った。
 直後、貫太がいつもからは考えられないくらいの形相でこちらを見て、いや睨み付けてくる。それに満面の笑みで返してやると、一層視線が険しさを増した。
 それでも、愛泥から声を掛けられると態度を180度入れ替えて反応する貫太。悪いが見ていてとても面白い。笑いを堪えているとまた叱られそうなので、俺はハートの力で一足先に行く事にした。

 その後、貫太がどうなったのかは知らないが、学校の教室に入ってくる貫太は、腑に落ちないといった様子の顔をしていた。
 ……ホント、何があったんだ?


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