複雑・ファジー小説
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- ハートのJは挫けない
- 日時: 2022/05/11 05:32
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)
波坂といいます。閲覧ありがとうございます。今回は能力バトル系を書いていきます。色々と至らない部分もあろうかと思いますが、そこはどうぞ生暖かい目線で見守って頂けたらなと。
一気読み用【>>1-100】
目次>>73
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略称はハジケナイです。
- 愛泥隣【恋する乙女】 ( No.41 )
- 日時: 2018/06/07 03:40
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
今日、彼と話した。
その内容は、とてもシンプルで普遍的。何気ない日常の中の、登校中のワンシーン。きっと彼は記憶に留めてすらいないだろうし、他の人だってそんなことは全く気にせず、記憶から消していることだろう。
でも私は、今日の事を忘れないだろう。世界の人間達が忘れるなら、私だけが覚えてやろう。世界は知らないのだ。私と彼が話したという、何気ない幸福があったことを。それを可哀想だと憐れんでやる。そんなことで、少しだけ優越感を抱く私。
勇気を振り絞って、メールアドレスを渡してみた。どうなるか不安で不安で仕方無かったが、彼は私の期待通りに受け取ってくれた。そんな彼の優しさを再確認しつつも、今日来たメールを見返す。件名は無題で内容は『夜分遅くにごめん。これであってるかな?』だけ。それでも、私はそれを返信するのにさえ、軽く20分はかかった。それほどまでに、彼とのやり取りとは私にとって重要なものなのだ。
彼に対して申し訳ないという負い目が無い訳では無い。しかし私とて、どうして自分が悪かったのかわからないし、どうして自分が彼から嫌われているのかも分からない。
彼が怒るなんて、嫌うなんて、きっと私は悪い事をしたのだろう。だけど私はそれが悪いとは思わない。ただ、彼が悪いと言うから、私は無意味に力を使うのを止めた。実力行使をするのも止めることにした。
それと同時に、私はどうして悪かったのだろう? と考えることも少なくない。しかしまあ、私が考えたところで分かるわけもないのだ。分かる扱いされないまま、私は育ってきたのから。本当は何も分からないくせに。今から教えてくれる人は、もう誰もいないだろう。そんな私にとって、彼の価値観は私が基準と定めるものとなった。彼と同じ視点、というのは中々出来ないが、日々の会話の中で少しでも彼の見ている世界に近付けていきたいと思う。
彼から嫌われている、という事実は、確かに私にとっては衝撃的なものがあった。彼の言葉に、私の心がどれほど折られたかは、正直、軽いトラウマレベルである。
しかし、私はその事実に対し、今ではどちらかと言うと言い表せない満足感のようなものを感じていた。
何故なら、温和な彼が嫌うのは、きっと世界で私1人だけなのだから。彼に嫌われるのは、私1人だけ。私は彼の、特別な1人なのだと考えると、少しだけ表情筋が緩むのを感じる。いけないいけないとこれ以上無いほど幸せそうな顔をする鏡の向こうを睨もうとするが、未だにその表情は緩みっぱなしのままだ。
嫌われるのを喜ぶなんて自分でもどうかしているとは思うが、それを押し潰すほどの歓喜や優越感が込み上げてくるのだから、仕方ない事だろう。嫌われるというのは、相手から意識される事でもある。一番悲しいのは、意識されない事だ。そして、相手に思われるのは嬉しい事だろう。実際に、私は今こうやって、嬉しがっているのだ。
手に握っていたキーホルダーをもう1度見る。古びてしまって、少し色も悪くなっているが、それでも醜いレベルではない。
中学時代の数少ない友人から貰った宝物であり、彼と初めて出会う切っ掛けともなったこれ。今ではお守りとして、毎日持ち歩いている。これがあるだけで、なんだか1日が幸せになる気分がする。これも、彼のお陰だろうか。なんて考えると、一層胸が苦しくなるのは、きっと気のせいだろう。
などと考えていると、ふと、カレンダーが目に入った。まだ前の月のものから変えていないことに気が付き、更新しようとそちらに向かう。ビリビリと破いていると、ふと、ある日付が目に入った。
そう、私が、《心を縛る力》というハートの力を手に入れた日の事だ。思い返せば、今でも信じられない様な事ばかりではある。だがまあ、この力があったお陰で、今の状況がある。それを考えると、あの人にも少しは感謝するべきだろう。そう、あの人は確か──
唐突に、着信音が響いた。
ハッとして携帯電話を手に取ってみると、そこにあった名前に、思わず二、三回ほど見直した。
そこには、あった。
私の想い焦がれる、彼の名前が。
今すぐ出てしまえば、声が裏返ってしまう。咄嗟にそう判断して、二、三回ほど深呼吸をした。自分の鼓動を抑えようと必死になりながらも、私は携帯電話のボタンを押した。
「はい、愛泥です」
彼がどんな用事で掛けてきたのかは、想像すら出来ない。
しかし、彼が掛けてきたという事実は、例えこれが間違い電話であったとしても、私にはこれ以上の無い幸福だった。
愛泥隣【恋する乙女】
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.42 )
- 日時: 2018/07/01 06:51
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
午前5時。僕のいつもの起床時刻。ゆっくりと目を覚まして、目覚まし時計のスイッチを切る。
いつもなら勉強机に向かうところだが、今日は少しだけ予定があった。土曜日なので二度寝をしても構わないはずなのだが、この予定はどうしても外せない。
下に降りてテレビの電源を付けると、いつもとは違った番組が映し出される。時間帯が違う事を再確認しつつも、パンをトースターにセット。適当な私服に着替えつつも時間を潰す。その後焼けたパンを食べて荷物を取りに自室へ向かう。と、言っても持っていくものは財布と携帯電話くらいしかない。一応ハンカチもポケットに入れておく。顔を洗い歯を磨き、まだ寝ているであろう両親を起こさないよう、小声で行ってきますと家を出た。
自転車に乗ってもいいが、待ち合わせ場所は滝水公園だ。そう考えると別に徒歩でもいいかという気分になったので、自分の足で歩く事に決めた。朝にしては早すぎるためか、道はいつもより活気がないようにも思える。
滝水公園の入り口から、複雑な道を歩いて噴水のある広場に出る。少しだけ共也君との出会いを思い出しつつも、周囲を見渡す。すると、噴水の向こう側に誰かがいるのが見えた。シルエットからして、恐らくだが立っている。
共也君かと思いぐるりと回ってみると、僕の予想は裏切られた。僕が少しだけ詰まったような驚きの声を上げると、あちらは案の定僕の存在に気が付く。そして、彼女はパッとその美麗な雰囲気を纏う表情に、微笑みを付けた。
「おはようございます。貫太君」
僕の顔は、少しだけ苦笑いを浮かべているかもしれない。
「お、おはよう……隣さん……」
愛泥隣。僕と同じ学校に通う同学年の女の子で……まあ、端的に言えばデートしたり戦ったり一緒に屋上から身を投げた仲だ。と、自分で言っておきながら関係性のあまりの奇妙さに自分でも疑問符を浮かべたくなる。
「きょ、今日は早いね……!」
話しかけようとして、言葉の頭が裏返ったことを若干恥じらいつつ、最後まで言葉を放つ。彼女は頬に片手を当てて嬉しそうな表情のままにこやかな表情で言う。
「だって……貫太君が誘ってくれたんですよ? もう一時間前から居ます」
「一時間前!? ずっとここで立ってたの!?」
「はい。それがどうか……?」
「い、いや。け、結構早起きなんだなーって……はは、ははは……」
苦笑いで誤魔化そうとする。絶対に僕の為とかそういう訳では無いだろう。
「今日だけ特別に、です。いつもは六時起きですよ」
「……そ、そっかー……」
これは彼女が真面目なだけだと思いたいが、『貫太君が』というワンフレーズが全ての邪魔をする。おのれ僕の名前め。お前のせいで僕は未だに隣さんからの感情が尽きていないことを再確認してしまったじゃないか。
「……しかし、共也君はまだかぁ……」
分かっていたことだが、共也君は待ち合わせをすると大体時間一分前位に来ることが多い。彼曰く「兄さんは時間ぴったりに来るからそれはワリィかと思ってよ」だそうだ。単純に見也さんはかなり真面目なだけだと思う。多分。
「おや、もう来ていまシタか」
「結構早い時間だと……思ったんだけどね」
片方の声の特徴的なイントネーションから、僕の頭の中で特定の人物が導き出される。振り返ると、予想通りの人物が居た。そしてその隣には、少し意外な人物。
「観幸に浮辺君、おはよう」
「おはよう」
僕の挨拶に最初に返した彼。名は浮辺縁。僕と同じ学校で同学年で、演劇部に所属している。彼も諸事情により、刺し合ったり言い合ったりした仲だ。明らかに前者が不穏すぎる。
「おはようなのデス。貫太クン。そして……愛泥サン」
「……おはようございます」
遅れて返したのは、僕のクラスメイトの深探観幸。自称探偵で昔からの友人だ。身長は僕よりも低く、多分女装してもそんなにバレなさそうな見た目をしている。本人はそこそこ気にしているらしいが。
そして隣さんにも挨拶をする彼。隣さんは表情こそ変わっていないものの、眉や口元が少しだけ動いている辺り、何かの感情を抑えているらしい。そう言えば彼女と観幸は色々あって、犬猿の仲なのを、今ようやく思い出した。
観幸は観幸でそこにいたから仕方なく挨拶した、といった感じであり、隣さんは隣さんで話し掛けてくるなよオーラ全開である。
2人の雰囲気に疑問符を浮かべている浮辺君。まあ彼は何も知らないから仕方ないだろう。
「なんで2人は一緒に?」
話題を変えるために適当な疑問を持ち出す。彼らは特に仲の良い印象は無かったが……。
「僕が滝水公園の位置が分からないって言ったら……深探君が案内してくれるって」
「ああ、なるほどね」
観幸の方を見ると自慢げな顔で今日もパイプを蒸すような仕草をしている。名付けてエアパイプ。彼のエアパイプは大体ドヤ顔の代わりに使われることがよくある。お前そんなにドヤ顔する事じゃないだろと言ってやりたい。
「うぃーす。揃いも揃ってんなぁお前ら」
そんな所に急に遠くから投げられた軽い口調の声。僕は反射的に彼の名前を呼んでいた。
「共也君」
「おう貫太。ワリィな頼み事しちまって」
頼み事、というのは今日の事だ。彼は僕に隣さんを誘うように頼んできた。まあ共也君も隣さんに好かれてはいないだろうし、僕がやるのは仕方の無い事なのだろう。そうやって自分を無理矢理納得させておく。
「兄さんはまだ……か。まあもうすぐ来るだろ」
公園の時計で時間を確認する共也君。まあ彼が来たということは、もうすぐ見也さんが来るということでもあるだろう。
「おお、そういや浮辺と愛泥にききてぇことがあったんだ」
「……貴方が私に?」
「え? 僕?」
2人が何故という視線を共也君に向ける。彼は何気ない口調でこう問うた。
「お前らのハートってよ……もしかして他人から与えられたものだったりしねぇか?」
少しだけ、2人の表情が変わったのを、確かに僕は確認した。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.43 )
- 日時: 2018/06/10 15:09
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
先に口を開いたのは、浮辺君だった。
「確かに、そうだよ」
そう言った時、共也君の顔が強ばったのを感じた。
「……出来れば誰とか何処とか何時とか色々聞いておきてぇが……先に愛泥、お前の答えも聞きたい」
「……私も、渡されました」
隣さんが少しだけ嫌そうに口を開く。やはり共也君の事がそこまで好きではないのかもしれない。
「そうか。……ところで愛泥、お前、何か変な事とか無かったか?」
「渡された日に、少し悪い夢を見た気がする程度ですけど……次の日にはスッキリしていましたし……」
「……どんな?」
「悪い夢は赤い怪物に襲われる夢で、その後潰す夢を見てスッキリしました」
「……そうか」
今の会話を聞いている限り、隣さんは自分で精神寄生体を捻り潰してしまっちらしい。流石の精神力と言わざるを得ない。
「急にこんなことを聞いたのには訳があって」
「すまない。少し手間取った」
遠くから共也君の声に重なるようにして掛けられた、低い声。共也君は咄嗟に振り返って彼のことを呼ぶ。
「兄さんおせぇよ」
「すまない。少々、時間が合わなくてな」
そう言う彼の背後に、誰かの人影が見えた。誰だろうか。少なくとも、この場にはもう全員揃っていると思うが、他に誰かいるのかと頭の中で思考を巡らせる。
「……君達がハート持ちか。確か、浮辺縁君に愛泥隣さん。初めまして、だな。俺の名前は友松見也という。そこの共也の兄だ。紛らわしいから下の名前で呼んでくれ」
簡潔な自己紹介にそれぞれの反応を示す2人。見也さんは休むこと無く、今度は後ろにいた人の紹介を始める。
後ろから出てきたのは、スラリとした男性だった。男性にしては髪が長く、後ろで一本で結われたそれが、風で少しなびいている。
堅苦しいスーツのような服装で着込んだこの男性は、腰を折りつつも口を開いた。
「皆様方初めまして。青海静(あおみ/しずか)と申します」
青海と名乗ったその男性は、堅苦しく着込んでいるようにもみえるが、それが自然であることに気付かされる。普段からあのような格好をしているということは、もしかして執事のようなものだったりするのだろうか。
「そしてこちらが私めがお仕え致しております、心音様にございます」
大仰な言葉ですっと自分の横を指す彼。
その隣には、小さな女の子が居た。お嬢様チックな雰囲気を纏っている。目付きは少しキツそうだが、見也さんに比べればどうということは無い。身長は僕や観幸よりも低い。……小学生程度の小柄な少女だ。
「初めまして。私は心音。友松心音。そこにいる見也の妹で、そっちの共也の姉よ」
……何かの聞き間違いだろうか。
彼女は今、共也君の姉と名乗った。いやおかしいだろう。明らかに小学生並みだ。145あるかどうかも怪しいレベルだ。
ここで、ふと見也さんに出会った時のことを思い出した。
『妹はかなりのチビだ』
確か、彼はこのような事を言っていた気がする。彼の発言と一致するが……いや流石に小さ過ぎるだろう。僕や観幸より小さいんだぞ。
「そこのチビ、さっきからチビチビうるさいわよ!」
僕の方に指をさしてきて、一瞬ギクリとした。あと君の方がチビじゃないか。
「な、何も言ってないのに……」
「さっきからガンガン聞こえてるわよ! これでもヒールを履けば150に届くんだからね!」
それ、ヒールが無ければ届かないという意味合いで良いのだろうか。
「違うっての!」
先程までの雰囲気は何処に行ったのか、怒りを顕にする彼女。
というか、僕、何も言ってないよな?
「茶番はそこまでにしておけ。心音。高校生組が困惑している」
振り返ると、共也君を除く高校生達が困惑していた。いけないと思い、少し黙っておく事にした。
○
それからは、共也君と見也さんによって今の状況、《心を殺す力》というハートを持つムカワという人物について。そしてハートを作り出せる力を持つ存在がいることについてが説明された。今回はハート持ちがそれぞれ顔を把握して貰いたいという意思で集められたという。
『ハート持ちは、何故かは分からないが惹かれ合う時がある。君達にも、いつ新手のハート持ちが接触してくるから分からんからな。コネクションを作っておきたかった』
これは見也さんの発言だ。そして彼が全員に連絡先を渡したところで解散となったわけだが。
僕は今、病室のような場所にいた。
あの集まりの後、僕は見也さんに連れられて、今ここにいる。他には共也君と見也さん。更に心音さんがいる。青海さんは、外で待っているらしい。僕がここにいる理由は、ムカワを目撃した1人でもあるからだろう。
ここは正確には病室ではない。友松家の管理する施設の一つらしい。これは先程知った事だが、友松家は結構大きな財閥の分家の1つらしい。家業はあまり公にできるものでは無いらしいが。
この部屋は真っ白だったりベットがあったり謎の機器が点々と置いてあったりと、如何にも病院といった感じの部屋だ。そして、大きなベットには、1人の男性が横たわっている。それは僕らの知っている人物だ。
「八取さん……」
八取仁太郎。一月程前に連続誘拐事件を起こした張本人で、『ムカワ』によって心を殺された被害者。彼は今も一度たりとも目を開いていないらしい。
「……今、八取は体だけが生きている状態だ。正直、いつ死んでもおかしくない。妹さんに関しては、生きている事が奇跡と言えるほどだ。……解決を急がねばならない」
見也さんのその言葉に、空気が一層重苦しくなる。が、そんな空気を打ち消すかのように、高い声音が響いた。
「そのために私を連れてきたんでしょー? ほら、落ち込んでる暇あったら手を動かしましょう? で、私はその男の声を聞けばいいのね?」
心音さんは見也さんにそう尋ねる。見也さんが頷くと、彼女はこちらを向いて一言。
「今から暫く、何も考えないで。聞こえなくなるから」
彼女が何を言っているのかはよくわからないが、取り敢えず何も考えないように意識する。……が、人間そんな簡単に思考停止のできる生き物ではない。僕はどうやったら思考停止出来るのかを考え始めてしまった。
「ちょっとそこのチビ! 何も考えるなって言ってんでしょ!」
「ち、チビって……」
そっちの方がチビなのに。
「うるさい! ちょっと出てて!」
結局僕は病室のようなものから追い出されてしまう。うう……酷い。
僕がすぐ近くの椅子のようなものに座ると、すぐ横に誰かが立っている事に気が付いた。
「おや、針音君。どうされましたか?」
青海さんだ。彼は直立不動のまま、顔だけをこちらに向けて尋ねてくる。
「いえ……ちょっと、彼女の邪魔をしちゃうとかで、追い出されたんです」
「ああなるほど」
納得いったような彼の表情に、理由を尋ねると、彼は答えた。
「お嬢様のハート、《心を聴く力》にございます。お嬢様には、周囲の人間の考えが聞こえるのです」
その力を聞いて、少し納得しつつも、ふと思ったことを聞いてみる。
「心の声が? それは見也さんのとは違うんですか?」
「見也様のハートは視覚的に感情を読み取りますが、お嬢様の場合は聴覚的に感じ取るのです。見也様は文章で、お嬢様は音で感情を読むのです」
「……制御できないんですか?」
先ほどの僕の考えあまり大きくなかったはずだ。そう考えると、制御できているのか怪しい。
「いえ、普段は限界まで感情の読み取りを抑えていらっしゃいます。それでも強い考えは聞こえてきますが。……ですが、今回の案件ですと、心を殺された人間の声を聞き取るのです。当然、読み取りを限界まで拡張しなければなりません。しかしながら、それでは周囲の人間の考えも伝わってきてしまいます。ですので、お嬢様は針音君を追い出されたのでしょう」
「……なるほど」
彼女の事についてよく知っているんだな、と思いつつも、彼との会話を続ける。
「青海さんはどうしてここに?」
「お恥ずかしい限りの話でございますが、私、先程お嬢様に煩いから出ていてと言われまして、こうして外で廊下に立たされているのでございます」
「考え事でも?」
「と、言うよりは、私めは常日頃からお嬢様の事を考えております。それ故、少々恥ずかしいと日頃から申されておりますが、何分これが職業ですので止められず、お嬢様も妥協してくれたのでございますが、今回ばかりは流石に邪魔だったようで……おっと、扉が開きましたよ。もう入って宜しいのでは無いでしょうか」
「あ、本当ですね。ありがとうございます」
執事も大変なんだなぁと軽く考えつつも、会釈をしてから再び部屋に入る。
部屋の中では、見也さんと心音さんが何かを話していた。断片的な内容しか聞こえない。
「ダメね」
「……聞こえなかったか?」
「ノイズ程度よ。ほんとに虫の息って感じの音だわ」
「……なら、もう1つの方で頼む」
見也さんがそう言うと、彼女は再び八取さんの方へ向かい、その手を握った。
すると、彼女の手から、唐突に何か閃光のようなものが飛び出した。それは数秒間ほどで束を作り、一つの方向を指す。そしてまた数秒程度で、それが消えた。
「今の方向、メモした?」
「ああ、大丈夫だ」
今のも心音さんの力だろうか。心を聴く力というのにはあまり結び付いていない気もするが、僕は深く考えない事にした。
「共也君、今の光って何?」
「ああ、多分だが……ムカワのいる方角だ」
「へ?」
「姉さんのハートの力だよ。一瞬だけ、だが、その人物が考えている人間の方向を知れる力。八取は最後にムカワの事を考えてこうなっちまった訳だから、多分そん時の意思の残りカス見てぇなモンが反応したんだろうな」
「じゃあムカワが見つかるの?」
「いや、そういうことでもねぇ。アレが指すのは普段ムカワのいる場所じゃなくて現在地だ。アイツが今どっかに旅行に行ってたりしたら、ちげぇところが指されてる。なにより、1本じゃ線上ということしか分からない。特定にゃ最低でも2本必要だな」
その言葉に少し落胆するが、まあ希望が見えただけマシだろう。そう思って、僕は光の方向を見た。
──僕らの学校の方だけど、気のせいだよな。
小さな、かなり小さな不安を抱えて。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.44 )
- 日時: 2018/06/10 16:59
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
照明が照らす、舞台の上。
そこにいるのは2人の男女。
そして僕は、それを下から眺めるだけ。
演技中、僕はただそれを見ているだけ。舞台の上に、僕の姿はもう無い。そこには別の男子生徒と、雪原先輩がいる。僕の居場所は、もう舞台の上ではなかった。
僕こと浮辺縁は、ハートの力を使わないようになってから、一気に部活内での評価は落ちた。なまじ以前は上手い演技をしていただけあって、今の演技が下手くそに見えるのは仕方ないだろう。
それでもいいのだ。大切なのは下手な自分を突き放す事ではない。そんな自分を受け入れ、育てていく事なのだから。僕は確かに、それを彼らから学んだのだから。
僕はあの後、午後3時から部活動の練習に来ていた。解散時刻は7時で、残すところあと30分といった所だ。丁度練習も終わり、後は片付けて、顧問の先生からの今日の反省を聞くだけ。
僕は少数派の男子部員ということもあり、片付けではしょっちゅう重いものを持たされたりする。実際のところ雪原先輩は僕よりも腕力が強いのだが、僕に仕事が集中するのはやはり男子というところが大きいだろう。
「大丈夫? 手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。先輩」
噂をすれば、といったところか、雪原先輩が隣にいて僕の荷物を持ち始める。大丈夫と言ったんだけど……。
「まーまー、2人で持った方が軽いでしょ」
その言葉には一理あるので、まあ特に文句は言わない事にした。機材を運び終えたところで、雪原先輩が話し始める。
「そう言えばね、この前久々に小学校の頃を思い出したの」
「小学校……?」
「そう。私達、小学校の低学年の時に1回すーごい喧嘩したの覚えてる? あの時は縁君も中々譲らなくてさー、でも私が泣いたらコロッと毒が抜かれたみたいに縁君がオロオロし始めてってちょっと待ってよ!?」
あまり思い出したくない頃の話だったので、できるだけ耳に入らないようにしながら、僕は片付けに戻った。
○
着替えを済ませて、僕が玄関から出た。時間は七時を少し過ぎた頃。周囲はもう、そこそこ暗い。学校指定の光を反射して光るタスキのようなものを付けておく。放課後というか、下校時のルール的なものだ。
校門の所に、誰かが同じように反射タスキを付けているのが見えた。近付いていくと、段々白い肌が鮮明に映し出されていく。
「お、やっときた。遅いよー」
「雪原先輩……」
「久しぶりに、一緒に帰りたいなって。誰もいないから、いいでしょ?」
「……分かりましたよ」
最近、妙に雪原先輩が絡んでくる気がする。前の1件で、以前のような息苦しさは感じないものの、僕はまだ彼女に負い目を感じていた。
「いやー、浮辺君下手になったねー!」
「それ、嬉しそうに言うことじゃないですよ……」
「ああごめん。そういう意味じゃないの。下手でも一生懸命やる姿、私は好きだよって意味」
本当に、雪原先輩は人の心が分かっていない。そんな事、普通は言うべきじゃないのに。ましてや僕は男だ。そんな発言ばかりしていると、雪原先輩は誰かを勘違いさせてしまいそうでたまらない。凄く心配である。
「……そうですか」
「んー? 元気ないね」
「いつもこうですよ、雪原先輩」
雪原先輩は突然、こちらにビシッと指を指した。
「なんで雪原先輩って呼ぶの!」
「ごめんなさい意味がわかりません」
あまりの唐突さに軽く混乱しつつも、状況説明を求める僕。彼女はこう言う。
「私は縁君って他の子がいない時には呼んでるのに、どうして縁君は昔みたいにユキねぇとかユキちゃんって呼んでくれないの!?」
「高校生でその呼び方はハードル高いんですって……」
「じゃあユキでいいよ?」
そう言われて、思わず押し黙る。いや待て。確かにそれはまあ、高校生的には大丈夫かも知れないが……少しだけ、小っ恥ずかしい。まるで付き合ってるみたいじゃないか。
「……雪原先ぱ」
「ユキ」
名前を呼ぼうとすると、短い一言でぶった斬られた。
仕方なく、僕は呼ぼうとする。ええい、たかが二文字だ。いつもより短いじゃないか。ほら、僕、頑張れ。
「…………ユキ先輩」
僕の妥協に妥協を重ねた呼び方に、暫くユキ先輩は目を瞑って唸るような声を上げる。
「75点」
「つまり?」
「及第点」
「……良かった」
これで許してくれた事に感謝しつつも、どうして自分が感謝しているのかは分からなかった。
そんなこんなで暫くユキ先輩と雑談しながら歩いていると、自分の頭の上に冷たいものが当たる感覚がした。そして、それが連続し始め、周囲にパラパラと音がし始める。
「あ、雨だ」
「傘あります?」
「持ってないなぁ。……あちゃー」
仕方ないので、バッグから折り畳み式の傘を取り出す。正直かなり小さい。僕1人のならまだ収まる程度の大きさである。仕方ないので、ユキ先輩に見えないように、僕は一度折り畳み傘を背後に隠して、僕のハートである《心を偽る力》を使い、少しだけサイズを大きくした。このハート、重さは変えられないが密度や体積は変えることが出来る。僕はユキ先輩に近付いて、その傘を差した。
「ありがとね」
「いや、別に。持ってただけですし」
「素直じゃないなぁ、縁君は」
「……濡れますよ」
「じゃあ寄るね」
ユキ先輩が、肩を僕の体に付けた。……ほんと、天然でやっているから恐ろしい。誰にでもやっているだろうが、流石に勘違いしそうになるので止めて欲しいものだ。顔が赤くならないよう、必死になって注意を逸らす。が、チラリとユキ先輩を見てしまう。すると目が合い、先輩がニコリと笑うものだから、僕は更に目を逸らしてしまった。熱くて熱くて、見ていられない。
必死に意識を逸らしていても、まあ当然すぐ近くにいるのだから存在があることは分かるし、接している部分があるからついそちらに意識が向く。それに釣られないように意識を逸らすという無限ループを繰り返している僕。何をやっているんだと自分でも思う。
「ねぇ、縁君」
そうやって、またユキ先輩が声を掛けてきた時だ。
後ろから、パラパラという音が聞こえた。それは僕らを覆う傘から発せられるような音と似ているが、少し違う。丁度カーブミラーがあったので確認すると、どうやらレインコートを着た人が後ろを歩いているようだ。真っ黒のレインコート。一瞬、目視すら出来なかった。
「何ですか?」
特に気にせず、ユキ先輩に返した。頼むから僕の体に肩をくっつけながら歩くのを止めてもらいたい。
「……縁君ってさ」
少しだけボソボソという彼女の言葉が、雨に打ち消されてよく聞こえない。何を言おうとしているのか、顔を逸らしている今、彼女の表情を窺い知る事は出来なかった。
後ろのパラパラという音はまだ続いている。たまたま進行方向が同じなのだろうが、もしかして後ろから見てニヤついているとか、そういう人だろうか。なんと性格の悪い。などと勝手に被害妄想を繰り広げる僕に、ユキ先輩が言う。
「私のこと、嫌い?」
「……なんでですか」
そんなことあるはずない。そう言いたかった。だけど、僕にそんな度胸はなくて、理由を尋ねる事しか出来ない。
「だってさ……昔はあんなに親しく接してくれたのに……今はもう私にあんまり構ってくれないから……うんうん、分かってるの。私、結構面倒よね」
「……そんなこと」
あるはずない。と言いたかった。
しかし、僕は目を逸らした方向で見てしまったのだ。
それはカーブミラーだ。何の変哲もないただのカーブミラーだ。
──背後の黒いレインコートの人間がいるだけだ。
だがその姿勢は明らかに不自然だ。何かを、まるで何かを突き出そうとしているような姿勢なのに、その手には何も握られていない。
咄嗟に背後を振り返る。
その手には、長い何かが握られていた。
──ソレは、その長い刃物でユキ先輩を刺そうとしていた。
「……縁君?」
彼女のあどけない疑問の声。だがそれと同時に、長い刃物は突き出された。
「危ない!」
咄嗟に、傘でその人間を突き飛ばした。が、刃物はそれをすり抜ける。このままではいけないと判断して、ユキ先輩を抱き寄せた。ギリギリ間一髪、刃物は彼女に触れることなく持ち主に引きずられるかのように、背後に下がっていく。
「……ど、どうしたの? そ、そんな急に……」
ユキ先輩が何かを言っているが、そんなのを気にしては居られない。折りたたみ傘を畳みつつ、背後の倒れているレインコートの人物にを睨む。
「そこのあなた、先輩に何をしようとしたんだ」
「……ふふふ、貴方、コレが見えるのですねぇ」
丁寧な言葉遣いに、謎の怪奇を孕んだその声と共に、レインコートを被った人間が、右手を持ち上げる。そして……その手に握られた長い刃物──刀が姿を現す。
ユキ先輩の方をチラリと見ると、疑問符を浮かべているだけ。つまりアレは、ハートの力によるものなのだろう。
「……だからどうした」
「そんなに睨まないで下さいな……昂ってしまいます」
ねっとりとした口調でそう発した、女性らしき黒いレインコートの人物が立ち上がる。
「ふふふ、美味しく頂かせて貰いますわぁ……ネ、ズ、ミ、さん」
その黒いレインコートの中に、一瞬だけ、炯々とした血色の眼光が姿を見せた。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.45 )
- 日時: 2018/06/10 20:22
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
ポケットから数枚の一円玉を取り出し、ハートの力でカッターナイフに変化させて投げ付ける。が、それらは全て刀によって弾き落とされた。いや、弾き落とされたというより、全て切断された。そして、地面にカッターナイフではなく一円玉の死骸が転がる。
その光景に少し違和感を覚えつつも、ユキ先輩を庇いつつ距離を置く。が、相手も黙っている訳ではない。
「生ぬるいですわねぇ!」
一気に跳躍して、距離を詰めてきた。突き出された刀を、咄嗟に折りたたみ傘を鉄の棒に変えて弾いた。
瞬間、弾いただけのはずなのに、鉄の棒が折りたたみ傘に戻り、折りたたみ傘がバラバラに分解される。
「なッ!?」
「うふふ、油断大敵ですよぉ!」
「クソッ!」
ならばと折りたたみ傘の布の部分だけを持ち、投げつけた。それをハートの力でできるだけ大きな布に変える。相手に纏わり付いたそれが時間を稼いでいるスキに、呆然としているユキ先輩に声を掛ける。
「ユキ先輩、逃げて下さい。お願いします。僕は先輩を守れない」
「ま、待ってよ! ねぇ縁君、何が起こってるの?」
「詳しく説明している暇は無いんです!」
ユキ先輩を離し、彼女に背を向ける。視界には、布が十字に切り裂かれ、中から黒いレインコートの女性が姿を表す。実物を切った辺り、あのハートは既に具現化していると見て間違いない。ユキ先輩の驚き具合が増したのも、刀が見えたせいだろう。
「アハハッ! 中々切りがいのあるハートですねぇ! ネズミさぁん!」
「僕の名前は浮辺縁だッ!」
「自己紹介ありがとうございますネズミさん。お礼に殺して差し上げましょう!」
「それはお断り願いたい!」
反射タスキを外し、僕は目の前の相手が持つ刀をイメージする。目の前にあるものは真似しやすい。僕はそれを、刀に変化させることに成功した。
僕のハートの変化範囲は、僕の想像力にかかっている。複雑な銃は作れないし、僕が想像できそうなのは、せいぜいカッターやハサミのような親しみのある刃物だけ。このように刀などは、目の前に実物が無ければ作り出せない。
僕の作り出した刀に、拍手のような動作をする彼女。だがレインコートのバサバサという音のせいか、それとも雨のせいか、全く音は聞こえない。
「面白いハートですこと! 嗚呼! 切りたくて溜まりませんわぁ! 昂りますわ! 昂りますわぁ!」
「少しは大人しくしてくれないかなぁ!」
その刀が、上から強く撃ち込まれる。なんとかそれを真似た刀で受けるが、かなりの強い衝撃が手首に伝わってきて、痺れたのを感じた。
が、敵の容赦は無い。更に今度は横からの一撃。無理やり刀を上から合わせると、また強い衝撃が伝わってきた。
「ぐっ……!」
「ほら! ほら! ほら!」
愉しむような声を上げて連撃を放つ彼女。どうやら僕は遊ばれているようだ。だが今は黙って耐えるしかない。手首が限界に達そうとしているが、歯を食いしばって無理矢理動かす。
「フフ、ではこれで」
そう言い、彼女か連撃を止める。
次の瞬間、僕の手の中にあった刀が消え、代わりに木っ端微塵となった反射タスキが姿を表す。思わず息を呑み込むと、目の前の相手のレインコートから、再び赤い眼光が覗く。
「……どうして、僕のハートが解けるのかな」
「知りませんわぁ!」
恐らく、彼女のハートは何らかの手段で僕のハートの力を解除している。そして、同時にものを壊す性質がある。先ほどの折りたたみ傘や一円玉。そして今の反射タスキなどを見れば、その程度の察しはついた。
「ハッ!」
再び切り付けられるかと思い、咄嗟に左手を巨大なカッターナイフの刃に変化させた。そしてそれで、刀を受ける。
「へぇ……自分の体も変えれるのですねぇ」
彼女がそう呟き、一際声に歓喜が孕んだその時だ。
不意に、僕の左手が、元に戻った。
そして、僕の意図に反して、ぶらりと重力に即してぶら下がる。
段々と制服が赤く染まっていく。僕はそれを見て、状況が理解出来ないままだった。
「あ……あ?」
左腕が、外れていた。そして、左腕は、どうやったのか分からないほど、大量のアザができている。手に関しては、もはや感覚が無い。
しまったと思った頃には、もう遅かった。
──視界が、白に焼かれた。
凄まじい激痛が、頭の中を駆け巡り、思考が停止しかける。声を出しているのか出していないのかも分からない。僕の体が跳ねているのか止まっているのかも分からない。ただただ、激痛のみが僕の体を支配する。
誰の声も聞こえない。近くで叫び声が聞こえた気がするが、それが誰のものかも分からない。
「──ッ! ァッ──ッ!」
不意に姿勢が崩れ、背中に強い衝撃を感じた。水で服がじわじわと濡れていく感覚もする。どうやら倒れてしまったようだ。先ほどの衝撃がアスファルトと激突したことによって発生したもので、水たまりに突っ込んだのだと理解した頃には、視界が徐々に戻ってくる。すると、レインコートの女性が、僕を見下ろしていた。
顔が見えた。女性だった。だが影が強くて未だにハッキリと見えない。その赤い両目だけがギラギラと輝いている。
「お立ちになって?」
彼女の靴が左腕に勢いよく乗せられ、再び、激痛が駆け巡る。
「ぎッ──!」
「早くしろよ」
冷たい底冷えするような口調でそういう彼女。踏み付けられた僕の左手から流れる電流に、体が上手く動かない。
嬲るように、僕の左腕が痛め付けられる。僕はその度に視界が点滅するが、目の前の彼女が気絶することを許さない。視界が消えそうな瞬間に、別の部位を痛め付けて目を覚まさせられる。
「チッ」
軽く舌打ちの声が聞こえた。すると、足で腹部が蹴られた。そのまま体が仰向けからうつ伏せに転がされる。もう、立つ気力すら、僕には無かった。
「ほーら、見てください、ネズミさん」
そう言われて、なんとか視界を地面から動かして前を向く。地面に這うような姿勢から眺める光景に、思わず目を見開いた。
「縁君! しっかりしてよ! ねぇ!」
涙を流す、ユキ先輩が居た。
彼女は僕を気遣っていた。
首に刀を当てられている状況にも関わらず、だ。ユキ先輩の背後には、レインコートの女性がいる。
「ユ……キ……先ぱ……」
僕が名前を呼ぼうとするが、もう声が出ない。ダメだ。叫び過ぎて、これがもう、出ない。
「これからぁ、この子を」
レインコートの女性が、ユキ先輩の髪を引っ張った。痛そうな声を上げる彼女。そして、ユキ先輩の鳩尾に、刀の柄が食い込む。
「げほっ!」
「ぶっ殺して差し上げまぁす! アハッ!」
艶のある声でそういう女性の声は、抑えきれない歓喜を孕んでいた。
「や……め……ろ……! ユ……キせ……に手を……!」
声が、上手く出ない。
「これだからネズミ狩りは止められませんわぁ! 嗚呼! 心臓が飛び出して行きそうなほど胸が高鳴りますわぁ! 昂りますわぁ!」
艶かしい声で叫び散らかす彼女を睨みつけるが、相手はむしろそれを見て楽しんでいた。僕は、玩具ということか。
立ち上がろうと力を入れるが、体は全く動いてくれない。
どうしてだよ。なんでだよ。目の前で、ユキ先輩が、殺されるんだぞ。ほら、動いてくれよ。動けよ。なんでだよ! なんで、なんで、なんで。
なんで、こんな時に限って、1ミリも動いてくれないんだよ。本当に、空虚な笑いも出てこない。
「ちく……しょう……!」
右手を力一杯に握って、地面に叩き付ける。でもそれすら力無くて、自分の無力さに打ちのめされる。
「僕は……! なんで……! なんで……!こんなに何にもないんだ……!」
僕は何にもない。それを受け入れた。だけど、それのせいで、僕はユキ先輩を守れない。悔しい。悔しい。悔しい。目の前の奴を殺してやりたい。ユキ先輩を泣かせたあいつを、ぶっ殺してやれる程の力が欲しい。そんな力や才能が、僕にあればいいのに。
でも、この手には、もう何も残っちゃいないんだ。手を開いても、握っても、何も掴めなければ、何も零れてもこないんだ。元々何にもなかったんだから、当たり前といえば当たり前。これが惨めな僕の末路だ。
「僕の馬鹿野郎……! なんで! なんで……なんでなんだよ……!」
いつの間にか、自分の声がしゃがれている事に気が付いた。目からは、涙が溢れていた。雨で気が付かなかったが、僕の顔は、きっと屈辱と惨めさでぐちゃぐちゃだ。
「泣かないで! 縁君!」
突如として、心の奥底に響いたその言葉が、僕の心を揺さぶった。
「…………ユ……キ……先……輩……!」
「貴方は確かに目立ったものは無いかもしれない! 尖ったものは無いかもしれない! でも!」
彼女は、必死だった。
自分よりも、僕の事で必死だった。
何故、彼女は、そこまで。
「それでも! 私は知っている! 誰よりも貴方を知っている! だから! だから自分を嫌いにならないで! 自分を否定しないで! 貴方は自分が思っているよりも、ずっとずっと凄いんだ!」
ユキ先輩は、どこまで、そうやって。
どうして、そんなに、何にもないこの僕を、見つけてくれるんだ。
そんな事を言われたら。
骨が軋む。肉が千切れる。全身が悲鳴を上げる。体が壊れそうになる。視界が弾ける。電流が駆け巡る。頭の中が爆発する。
だが、それでも、立つしかないじゃないか。
命を燃やせ。心を削れ。
膝をついた。変な音がした。構わない。腕を付いた。異常なほど痛い。問題ない。立ち上がろうとした。転倒した。また無様に水溜まりに突っ込む。関係無い。再度膝を付く。何度だって、僕はやってやる。
「立つんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
遂に、僕の足が、しっかりと、地面を捉えた。
膝が、壊れそうだ。
体が、砕けそうだ。
頭が、割れそうだ。
重力が苦しくて、自分の体が重くて、立っているだけで死にそうだ。
だけど、それでも、僕は立ち上がるんだ。
じゃなきゃ、僕は本当に何もなくなってしまう。
「……ユキ……を……放せ!」
僕は、何にもないこの僕に、たった一つだけ残された、何よりも大切なものを、今ここで、守らなくちゃならないんだ。
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