複雑・ファジー小説
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- ハートのJは挫けない
- 日時: 2022/05/11 05:32
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)
波坂といいます。閲覧ありがとうございます。今回は能力バトル系を書いていきます。色々と至らない部分もあろうかと思いますが、そこはどうぞ生暖かい目線で見守って頂けたらなと。
一気読み用【>>1-100】
目次>>73
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略称はハジケナイです。
- Re: ハートのJは挫けない ( No.56 )
- 日時: 2018/07/03 16:46
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
数々のナイフ。およそ数は20。一斉にムカワ目掛けて走り出していく。
初めて、ムカワの口元が焦燥を見せた。
「……ぐッ!」
左手で刀を振り、次々とナイフを殺していく。粒子と消える大量のナイフ達。だが、幾ら彼女とは言えそこまで高速で刀を振れるものか。ましてや片手だけで。
水に濡れた彼女の手から、刀の柄がすり抜けた。
「しまっ──」
残りの数本のナイフが、ムカワに突き立つ。刻まれた文字は『止まれ』。その言葉通り彼女は一歩も動かなくなった。
のも一瞬だけの事であった。整備されていない錆び付いた年代物のオンボロ機械のように、彼女の腕がギリギリと音でも立てそうなくらい歪に動き、再び彼女の手元に出現した刀で、一つのナイフを殺した。
「結構……効くじゃねぇか……ネズミィ!」
「な、なんて意志の力だ! 僕のハートの力を精神力だけでねじ伏せるなんて!」
このままでは全てのナイフが殺されて、彼女は鎖から解かれた狂犬のようにこちらに突撃してくるに違いない。
「もっとナイフを飛ばす!」
殺されるならナイフを作ればいい。消される度に追加すればいい。それに気がついた僕は名案だと手元にナイフを作ろうとした。
だが、何度作ろうとしても、その場には何も現れない。
「な……なんで……?」
何故か知らないがナイフが作り出せない。
もしかして、これが限界というものだろうか。僕は今までナイフをせいぜい数本生成する程度だった。だから自分の限界は知らなかった。つまり、僕が一度に作り出せるナイフの数は20。そして、リセットされる時間を僕は知らない。
「しまった!」
だが後悔しても遅い。着々と、ムカワがナイフを処理し、遂に刀が最後の1本に触れた。バラバラに砕け夜に消えるナイフ。
「ハッ、これで終いだァッ!」
一瞬にして距離が詰められ、刀が横に薙がれる。その軌道上には、僕の体。
刀が、通り抜けた。
「良くやったわ。チビ」
僕の目の前を。
「後は任せなさい」
後ろから、心音さんが僕の服を引っ張ったのだ。そのまま受け止められる僕。彼女は僕をゆっくりと座らせると、ムカワと相対する。その小さな背中が、とても大きく逞しく見えた。
「また音か? もうテメーのハートは見切った」
「これだから早とちり女は嫌いなのよ」
やれやれとため息を、わざわざジェスチャーまで加えて行う彼女。明らかに煽っている。
「まあ、ホントはアンタみたいなアバズレに使うのは嫌なんだけど……とっておきを見せてあげるわ」
彼女がそう言って、自分の胸に片手を当てた。瞬間、そこが緑の光を放つ。前のように束状の光ではなく、放射状に広がる一瞬のものだった。
「今度は目眩しかよ! 効かねぇなぁ!」
「どこまでも哀れだわ。アンタ」
「避けて下さい! 心音さん!」
刀を投げたムカワ。それが心音さんに向かって空を駆けるが、彼女は一歩も引かないし、避けようともしない。
代わりに、彼女は指をパチンと鳴らして一言、こう言った。
「来るのよ。テディ」
次の瞬間、彼女の目の前に、地面から何かがせり出てきた。それは地面と同じような色をしていて、まるで……人の腕のようだった。しかしそのサイズは以上で、今出ている腕だけでも縦は心音さんと同じくらい大きい。横は二倍以上ある。
地面から突き出たそれに刀が突き刺さる。心音さんは守られたが、案の定手はバラバラとなりその場に崩れ去った。その一つが僕の目の前に転がる。拾ってみると、感触に覚えがあった。
「つ、土だ! さっきの巨大な手は土で出来ていたんだ!」
だがそれでは訳が分からない。彼女のハートは《心を聴く力》のはず。音の増幅や音を心に響かせるならまだ関連性を見いだせるが、土人形とは流石におかしすぎる。
「土細工……?」
「アンタは勘違いしてるようだから、教えて上げる」
彼女がそういった瞬間、僕の手の土が勝手に動き、心音さんの目の前に戻っていく。そして周囲から集められた土が形を成していく。
「私のハートは《心を聴く力》。他人の心の声を聴き、具現化することで他人に音を聞かせるようになる。音の増幅とか命令はその一部」
「……オイ、これはちげぇだろ。具現化とか、そういうレベルの変化じゃねぇ。完全に別のモンだ」
そして、土が形成を終えた。
そこには、全長5mもある、歪な人形の土人形が出来ていた。歴史で習った土偶や埴輪のようなものを思い出してしまう。そして、それらと一つ確かに違いが分かる点は、
「そうよ。だって、私は自分のハートが一つなんて一言も言ってないわ」
それが、動くという事だ。
「テディ、潰しなさい」
テディというのはあの土人形の名前だろうか。何れにせよ、心音さんがムカワを指差しながら命令する。するとその大きな手が、ムカワに掴みかからんと迫る。
「図体がデケェだけだろうがァ!」
だがムカワはお構い無しにその手を刀でぶった斬った。正面から切り裂かれた手が、一瞬で崩壊。
「ええ、だからこんな事も出来るのよ」
が、全身が崩壊する前に、土人形から手から肘に掛けてが分離された。そこだけがバラバラになり、全身は無傷だ。
そして土塊達が切り離された腕の部分に集まり、再び再生。数秒後には新しい腕が作られていた。
「殺されるなら直せばいいのよ」
「……ハハハ」
ムカワの突如として始まる笑いに、心音さんが不快感を表しにした表情で睨み付ける。が、それでもムカワは笑いを止めない。
「ハハハハハ! 最高だ! 切っても切っても殺されねぇ! こんな奴を求めてたんだよ!」
瞬間、ムカワが土人形に飛び込んで行く。
「……狂ってる」
心音さんがそう呟き、土人形に腕を振るわせた。それをムカワが切り落とし、心音さんを狙おうと接近する。
が、心音さんがその場で跳躍。すると土人形が頭を下げ、その上に乗る心音さん。これでムカワは土人形を倒さない限り心音さんに手を出せない。
ムカワが構わないと土人形の足を切り裂く。もう片方を切り裂こうとしして、先程切り落とした腕が再生し、ムカワを殴り付けて吹き飛ばした。
流石にあの質量だけあって力もかなりあるらしい。ムカワは高速で壁に激突。普通なら気を失うレベルかもしれない。だが彼女は立ち上がり殺そうとするのを止めない。
「もう止めろ! こんなこと、誰も幸せにならないじゃないか! どうして、どうして君は人殺しなんてするんだ!」
何回もしたはずの質問。だけど僕はこれをせずにはいられない。殺人の快楽だけがこんな精神力を生み出すとは、到底思えなかったこらだ。
だが彼女は、予想通りに僕の期待を裏切る。いや、予想していたのだから、ある意味は期待通りなのだろうか。
「アハッ! んなもん快楽の為に決まってんだろうがァ! テメーも一度始めた娯楽は中々やめらんねぇよなぁ? オレの場合はたまたま娯楽が殺しだった! それだけなんだよネズミ共がァ!」
「……コイツ……救いようが無いわ……ッ!」
再び、彼女の体に土人形の拳がめり込む。吹き飛ばされ、木に背中を打ち付ける彼女。軌道が逸れて地面を転がり、道端に身を投げ出す。しかし、彼女は諦めを知らない。
それから何度も何度も彼女は吹き飛ばされる。満身創痍を通り越したはずの体で、幾度も立ち上がり続ける。
「もっとオレを追い込め! もっとオレを傷付けろ! その分、テメーを殺した時の快楽は増して行くんだからよォ! 嗚呼、堪んねェ! 想像するだけでゾクゾクが止まらねぇじゃねぇかァ! アハハハハハハハハハハハハハハハ!」
叫び声が響く。どこまでも歪で錆びた壊れかけの声が。
耳を塞ぎたくなる。だが耳を塞ぐことが出来ない。腕が、恐怖で動かないのだ。やられているのは向こうなのに、僕は彼女が恐ろしくて堪らなかった。
「……終わらせてあげる。それが、アンタへのせめてもの手向けよ」
心音さんの小さな呟きと共に、土人形の手が、ムカワに振り下ろされた。
そして、ムカワに大量の土塊が降り注ぐ。
「え?」
「ぐッ! こ……こんな……時に……ッ!」
それは腕を成していない。攻撃力の無い土塊が、ムカワの上から降り注いだだけ。見れば、土人形の腕が消失していた。
「……ッ!」
心音さんが、頭を抑えた。瞬間的に、土人形が分解され土塊と化していく。数秒後、土の山の上に彼女が頭を抑えて倒れていた。表情は苦悶を浮かべている。
「心音さん! しっかりして下さい!」
呼び掛けても彼女からの応答はない。その代わり、息が荒くなり顔色がどんどん悪くなっていく。
「な、何が起こって──」
その時、先程心音さんが頭を抱えていたのを思い出した。あの時も彼女は軽くだが苦しんでいた。確か『ハートを使い過ぎた』と言っていた気がする。
もしかして、彼女のハートの限界が来てしまったのかもしれない。
迂闊だった。
どうして僕は、彼女がまだ生きている事を考慮しなかったのか。
僕の背中が、蹴り飛ばされた。土の山の上を転がる。顔を上げると、そこに居た。
「ハハハハハ! やっとだァ! やっと殺せる! 滾るじゃねぇかァ! こんなにワクワクするのは初めてだァ!」
心音さんの頭が踏み付けられる。ボロボロのローブを被った彼女の口元は、かつて無いほど猟奇的な笑みを浮かべていた。
「止めろ!」
僕の耳の隣を、刀が過ぎ去る。
「邪魔したら殺す」
その冷たく鋭い言葉の刀は、僕の縛り付けるには十分すぎた。
「あばよ! メスネズミィ!」
刀を上に上げたムカワ。それを振り下ろせば、心音さんは殺される。
僕を救ってくれた人が殺されようとしている。だが、僕は悔しくも何も出来ない。行っても殺されるだけ。ハートも使えない。この場でずっと、自分が殺されるのを待ち続ける。これ以上ないほど、心が痛かった。
「……チビ、逃げ……」
うわ言のように呟く彼女。朦朧とする意識の中で、まだ彼女は僕を守ることを考えているのか。なんて人だ。そして僕はなんて情けないんだ。
「兄さん……から……頼まれた……んだ……か……ら……青海……ごめん……私……もう……」
言葉の一つ一つを言うことすら、今の彼女には難しい。当然ハートの力も使えないだろう。
「あの世で達者でなァ!」
ムカワの最後の一撃に、に待ったをかける人間は、誰一人としていなかった。
次話>>57 前話>>55
- Re: ハートのJは挫けない ( No.57 )
- 日時: 2018/07/03 22:45
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
きっと、自分という存在は呪いなのだろう。
どうしてもコレが止められない。内側から溢れ出る衝動が抑えられない。自分という存在はそのために存在していると言っても過言では無いが、正体がバレるようなことはあってはならない。その為、今回のような綱渡りはするべきでないだろう。
今この瞬間も、刀を振り下ろせば、このツインテールのメスネズミは殺せる。近くでガタガタ怯えているアリンコだって簡単に殺せる。自分はこの事実に堪らなく興奮していた。今まで散々抵抗してきた女を、足蹴にして殺そうとしていることに。
さぁ後は刀を振り下ろすだけだ。それで全ては終わりオレの心は満たされる。そうすれば暫く出張ることは無いだろう。そもそも数日連続でこっちに来ることになったのは、あの嘘吐きネズミとチビネズミのせいでしかない。特にあのチビネズミ、オレの右手をルーペで殴って来たのだ。お陰でこちらは右手の甲を切った上に腫れている。
だがまあそれでも、無事にこのメスネズミを殺せばオレの仕事は終わる。役目は果たされる。再びこの心の奥のマグマが活性化するまでは、のんびりと眠っていられる。
そう考えながら、思いのままにこのメスネズミの首に刀を振り下ろした。
瞬間、オレの刀が何かに包まれるかのような感覚がした。良く見れば、透明の何かが纏わりついている。よく見ると、水だった。
「水だァ!?」
その瞬間、確かにオレは動揺した。だからこそ、水に手首が絞め付けられ、思わず刀を落としてしまった。拾おうにも、上手く手を動かすことが出来ない。
「邪魔だァ!」
ハートの力で刀を直接水のある場所に出現させる。すると水がバシャッと弾けた。拘束から開放された手で刀を掴むが、視界に驚きの光景が広がる。
オレとネズミ共を分断するかのように、水しぶきが地面から噴射された。視界が潰されるが水柱をハートで殺し、一瞬で払う。
「……居ねぇ」
その頃には、既にネズミ共の姿は無く、代わりに地面に大穴が開いていた。そして水が凄い勢いで流れていく音もする。さしずめ誰かが水で穴の中に流し込み、連れ去ったのだろう。
「待ちやがれ!」
そう言って穴を覗き込んだ瞬間だった。
中から再び、大量の水がせり上がってくるのが見えたのは。反射的に刀を自分の前に構えていた。直後、水圧がオレを襲う。刀で何とか水を殺した為にダメージは無かったものの、防いでなければ吹き飛ばされていただろう。その水が無くなった頃には、既に穴の中からの音は消えていた。
「…………」
つまり、獲物を逃した。
「クソがァッ!」
地面に刀を投げ付けると、それは綺麗に地面に突き刺さった。
「またかよ……まだかよ……!」
最近、オレはこの胸の疼きを抑えることが出来ない。暫くの間、オレは殺しの快楽を得ていない。何奴も此奴も、殺す時にオレを苛立たせる野郎共だった。
「はぁ、はぁ、……クソ、もう時間がねぇ」
刀に映る自分の赤い瞳を見て、光が弱々しくなっている事に気が付く。もう持たないだろう。だがこの様子では、それこそ明日にでも意識が戻ってくるだろう。
「クソ……全身がズタボロだ……こりゃひでぇ」
当たり前といえば当たり前だ。あんなデカブツから10発程度も食らったのだから、むしろ立っている自分がおかしいのだろう。だが、この体では間違いなく、明日は普段通りにはいかないのは明白だ。
「……明日の事は、私に任せるしかねぇ」
私は土の山から降りてその場を離れる。暫く離れたところで、周囲を確認。誰もいないと分かった上で、刀を取り出す。
そして、その刀で、自分の心臓を突き刺した。
○
僕が目を覚ました時、視界を埋め尽くしたのは白い天井だった。
あれ、どうしてここにいるんだろう。記憶を手繰るようにして掘り返していく。
僕の記憶は、地面から水飛沫が上がったところで途切れている。そこから先は、上手く思い出せない。
「気が付いたみてぇだな、貫太」
聞き覚えのある声に、そちらを向く。
「大した傷はねぇらしい。立てるか?」
共也君の姿を見て、先程のことを思い出す。正確にはどのくらい時間が経過しているのかは分からないが、あの時、共也君から離れてしまった時のことを。今思えば、共也君は僕が襲われないように来てくれていたのかもしれない。
「……ごめん」
「……あー、なんか叱る気失せるなぁ……」
困ったような表情を浮かべる彼。しまった。少し待てばよかったとまた後悔を重ねる。
「ま、なんつーかよ。次からは気ぃ付けろよ」
共也君がそう言ったところで、丁度扉が開いた。その時、この部屋の構造を見て、八取さんが眠っていたあの施設だと言うことに気が付く。
「……」
現れたのは見也さんだ。思わず、顔を背けてしまう。あの真っ直ぐな鋭い瞳で見詰められると、今度こそ自分が追い詰められそうで。
「兄さん。どうしたんだよ」
「……付いてきてくれ。貫太君、君もだ」
それから見也さんに誘導されるがままに、部屋を移動した。彼がある部屋をノックし扉を開ける。そこは僕がいた部屋と同じ構造のものだった。当然、ベッドには誰かが寝ているだろう。
「青海、心音はどうだ」
「現在もまだ……」
「……そうか…………」
会話を聞いて、まさかと思う。思わず、2人の間を潜って部屋の中に入っていた。
「心音……さん……」
そこには心音さんがいた。髪は下ろされ、服は違うものの、間違いなく彼女だった。そして、目を瞑ったままでいる。
「心音は今も目を覚ましていない」
「まさか……ムカワのハートで……」
「いや違う。心音の心は今も生きている。単にオーバーヒートを起こしただけだ」
聞き慣れない単語に、疑問符を浮かべる僕。それを察知したのか見也さんが言葉を繋ぐ。
「心音のハートの特徴を知っているか?」
「えっと……一つじゃない、事ですか?」
彼女の言葉を思い出しながら述べる。確か、彼女は言っていた。誰も私のハートが一つとは言っていないと。ならば、彼女は複数のハートを有しているのだろうか。
「そうだ。心音は諸事情により、二つのハートを所持している。一つは《心を聴く力》。もう一つは《心を結ぶ力》だ」
そこで一度言葉を切り、心音さんの元へと移動した見也さん。
「先程、心音の記憶を直接俺のハートで視た。まさか、テディを持ち出しても捕まらないとはな」
その固有名詞は、あの土人形の事だろうか。確かに、あんなものを引っ張り出しても勝てなかったムカワのハートは強力過ぎる。
「正確には、心音が《心を結ぶ力》の方のハートで一つ一つの物質の連結を作り、それによって何度でも再構築を可能とした寄せ集めの人形の事だ。サイズは自由に操作可能。そして心音はその人形を、《心を聴く力》によって動かす。最大サイズとなると構築に1分程度は要するだろう。その力は絶大だ。ムカワすら簡単に捻り潰せるだろうな」
「で、でも、彼女は現にこうして」
「君は彼女が本気であのゴーレムを動かしているように思えたか?」
記憶を辿っていくと、彼女が自ら土人形で攻撃した記憶は無い。全て、飛びかかってきたムカワを迎撃していただけだ。
「……自ら動いてない……なんで……」
「テディはその力が強すぎる故に、周囲を気遣う事が出来ない。さしずめ、近くにいた君を害さないための配慮だったんだろう」
その言葉に、力が抜けていく感覚がした。
僕はあの場でも足でまといだったのか? そして心音さんは、そんな足でまといを切り捨てることを考えなかったのか?
「何より……心音にはリミットがある」
「リミット?」
「俺達ハート持ちは、基本的に一つしかハートを持たない。何故なら、人間の魂の容量と処理速度が一つで限界だからだ。一つのモーターを動かすか、二つのモーターを動かすかでは、後者の負担が大きい事は明白だろう」
「つまり、心音さんは二つハートを持っているから、ハートを使い過ぎると」
「オーバーヒートを起こして倒れる。という事だ。心音にとっては、テディを出す事は、最強の一手であると共に諸刃の剣でもある」
気が付けば、膝を付いていた。
「お、おい貫太。だ、大丈夫かよ」
どうしてなんだろうか。
八取さんの鎌から僕を庇った見也さんも、僕を守るために諸刃の剣を使った心音さんも、僕を庇って両腕を切り飛ばされた共也君も、何故そんなに易々と、他人の為に自分を投げ捨てる事が出来るのだろうか。
どうしても、僕との人間としての格の違いを思い知らされる気がした。きっと3人は人に格など無いと否定するだろうか、僕は確かに、3人より人間的に劣っていることを自覚した。
「針音君、少し、いいでしょうか」
僕に声をかけたのは、青海さんだった。
「どうか一つ、この青海の頼みを聞いて欲しいのでございます」
彼は、爽やかすぎる表情で、まるで裏に見え隠れする本心を抑え込むかのような表情で、言った。
「一発、殴らせて下さい」
「──え?」
「この青海、一生の不覚でした。この施設の水周りが詰まったとか、そのような細事に気を取られ、心音様が一人で外出していたのを見逃してしまいました。ええ、それはこの私めが悪いことにございます。しかしながら、貴方が迂闊な行動を取らなければ、心音様にこのような事は起こらなかったのでございます。決して貴方の行いが悪いとは申しません。ただ、友松心音に仕える身としてではなく、青海静個人として、貴方が許せそうにないのです。これでは、若しかしたら貴方の寝首をかき、殺してしまうかもしれないのでございます」
そう言っている最中にも、彼の手がガタガタと震えているのが分かった。それは恐怖ではない。怒りだ。彼の奥底で、どこへ向けていいか分からない怒りが燃えている。そして彼はそれを、僕へと向けた。
彼の言うことは道理だ。反論のやりようがない。寧ろ、僕も一発殴って貰った方が、スッキリするだろう。そう考えて、頷いた。
「──では、失礼します」
瞬間、青海さんの白い手袋に包まれたしなやかな腕が、僕に伸びてきた。これを受ける事への恐怖が強かったが、僕はこれを受け止めるしかない。
そして、拳が振り抜かれる。
僕は──無傷だった。
代わりに、僕の目の前に、拳を受けた人がいる。
「……これはどういう事でございましょうか。見也様」
僕の代わりに、滑り込んできた見也さんが、その拳を顔面で受けたのだ。唐突な出来事に、驚きが隠せない。
「……コイツらがもしもの時は、頼む」
ボソッとそう言った見也さんが、跪いていた姿勢から立ち上がる。
「俺が、心音がこの街に来た時に言った言葉だ。アイツがここまで本気で貫太君を守ろうとしたのも、俺のせいだ」
「だから、貴方が代わりに受けたと仰るのですか?」
「……そうだ。まだ足りないなら、俺が受けよう。今は関係を気にしないでいい。目の前にいるのは、喋るサンドバッグと思え」
「……そのような事、私めには恐れ多いことにございます。貴方に免じて、今はこの拳を収めましょう」
「助かる」
口から僅かに流れる血を拭きながら、見也さんは出ていく。気まずい雰囲気の中で、僕はただただ、モヤモヤとした心情だけで埋め尽くされていた。
次話>>58 前話>>56
- Re: ハートのJは挫けない ( No.58 )
- 日時: 2018/07/05 18:19
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
僕って、なんなんだ。
名前は針音貫太。普通の高校二年生。成績も中の中の上といった所で、特徴というものも、あまりない。強いて言うなら身長が小柄で154cmしか無い事。そんな事は知っている。僕が言いたいのはこのようなものでは無い。自分という存在の根底が分からない。
僕が普通と言うなら、この力はなんだ。隠された力なんて急に言われたって、僕には分からない。何となく使ってきたこの力のことを、僕は殆ど知らない。
なぁ、神様。どうしてこの僕に、わざわざこの僕に、こんな力を与えたのさ? 僕の身近には、あんなにも特別な力に憧れた奴がいたじゃあないか。なのに、なんで彼じゃなくて僕なんだよ。なぁ、おい。
「おい、貫太?」
その声に、ハッとしてグルグルと無駄に回転していた思考がシャットアウトされた。意識が現実に引き戻されると、僕は横長い青いシーツの上に座っていて、共也君はその隣からこちらに呼びかけていた。
「あ……共也君……」
「呼び掛けても反応がねぇからよ。ったく、何考えてんだよ」
「……ごめん」
「なぁ、どうしたんだよ、お前」
「……え?」
共也君が真剣な目で問うので、思わず不意をつかれた。僕に変な所でもあったのだろうか。
「今日、すげぇ変だ。いつもより動きとか表情が硬ぇし、なんかあったのかよ……って、あるにはあったけどよ。どうにも……なんつーか……それだけじゃねぇ気がすんだ」
「…………」
彼に打ち明けたら、少しは楽になるんだろうか。
「実は、さ」
今日、見也さんに言われたことを、そのまま伝えた。そして、僕の答えも伝えた。思い出すだけで心が締め付けられる気がした。締め付けられる度に、心音さんの言葉も思い出す。勿論彼女のその後の事もだ。
「兄さんが、ねぇ」
「……僕には、理由なんて無いんだよ。みんなみたいに、強い意志なんてこれっぽっちも無いんだ」
無いものは仕方無い。なんて割り切れたら、どれほど楽だろうか。
「俺はよ、貫太。そんな事はねぇと思うぜ」
「……え?」
「俺は忘れちゃいねぇさ。お前が初めてハートを出した時、お前が本気で怒った時、そしてお前が歯ぁ食い縛って立ち上がった時。皆、お前のココの強さが起こしたモンじゃねぇのか?」
ドン、と心臓の辺りを叩いた彼。
「……そんなの、下らない一時の感情に身を任せただけだよ」
「ハッ、まあ言っちまえばそうだな。だけど、それでも良いじゃねぇか」
「……それでも?」
「俺の知ってる針音貫太はよ、普段は頼りなくて、自信なさげで、弱気で、チキンな奴だ」
唐突な罵倒に、少しだけ驚きを隠せない。そして、その後の彼の発言にも、もっと驚かされることになる。
「だけど、ここぞって時には、とんでもねぇ爆発力を見せる男だ。やれ友達だ、やれ友人だって、そんな事で必死になれる。ピカイチな奴だよ」
そして、僕の肩に手を置いて、彼は一言だけ置いて行った。
「お前はお前のままでいい。いつもみてぇに、お前が言うくっだらねぇ感情を、真正面から叩き付けて、クソ野郎をぶっ飛ばせば良いんだよ」
彼の背中が、施設の廊下の向こう側に消えて行く。やはりその背中は、大きかった。
「……共也君、僕、頑張るよ」
正直、モヤモヤは、消えていない。悩みが完全に解消したとは言えない。
でも、それでも、僕は頑張ってみる事にした。この胸に秘めた、下らない感情を、あの殺人鬼に叩き付ける為に。
○
貫太と話した後、もう夜も遅いので帰宅しようかと考えていた頃、廊下で兄さんとすれ違った。
相変わらず鋭い目付きだ。クールとは言えばクールだが、姉さんの件もあってかかなり悪い方向に向かっている気がする。
「……目付き、どうにかした方がいいぜ」
「青海からも言われた。が、収まる気がしないんでな」
やはり、姉さんと過ごした時間の違いだろうか。確かに俺も、多少はムカついているが、兄さんのように表に滲み出る程ではない。いつもは無表情でクソ真面目で冷静沈着な兄さんがここまで表情に表すとは、内心はマグマの嵐だろう。
「何をしていたんだ?」
「友人の相談に乗ってたんだよ」
「……言葉足らずだったか。まさか、あんなに悩んでいるとはな」
「やっぱりかよ。アンタ、その癖直した方がいいぜ」
昔から、兄さんは発言に言葉足らずな事が多かった。恐らく今回も、一部端折ってしまったのだろう。かなり重要な場所を。
「ホントはなんかいうつもりだったんだろ? 最後に」
「……君は君なりの理由を見つけるんだ。それは君の強い味方になる。という事を、言ったつもりでいた」
「あーあー、いい台詞がぶち壊しだ」
「…………」
「……なんか喋りなよ。俺が悪かった」
「いや、お前とこんな風に喋れている事が少し嬉しくて、な」
僅かに口の端を上げてそう言う兄さん。彼のそういった顔を見たのは、片手で数える程しかない。つまり、本気で言っているのだろう。
「……そうだな」
一瞬、返答に詰まった。喉の奥に、少し苦いものが引っかかっている。
その間に、兄さんがこう言う。
「共也、お前が本当に俺や心音に心を開いていないことは知っている。だが、俺も心音も本気でお前の事を兄弟だと思って」
自分の思考が切り替わったのを感じた。穏和なものから、攻撃的なものへと。
気が付けば、兄さんの声を遮っていた。喉の苦いものを、相手に吐き捨てるように。
「それ以上言うんじゃねぇ」
その先を聞きたく無かった。昔の記憶に引き裂かれそうになるのが、恐ろしかった。
「……共也」
もう必要無いと分かっているのに、俺の口は止まってくれない。俺の理性に反した感情が、兄さんを拒絶する言葉を生み出していく。
「俺は忘れねぇよ。例えアンタ達が、忘れていようが、あの日、アンタ達に言われた言葉をな」
止めろ。俺はこんな事を言いたい訳じゃない。だが、この奥底からの本気の感情を理性で抑え切れるほど、俺は大人では無かった。
「……俺達は幼かった。親の言う事の重要さも、意味も、残酷さも、全く理解していなかった」
止めろ兄さん。俺はアンタの謝罪なんて聞きたくないんだ。それ以上、俺に言葉をかけないでくれ。言い訳がましく、言葉を繋がないでくれ。下手な同情なんて、しないでくれ。
「お前の気持ちを、理解してやれなかった」
その言葉で、自分の中の糸が切れた気がした。
「当たり前だろうが。テメェなんぞに理解されてたまるかよ」
「……ッ」
「テメェらが幼かったからなんだよ。それで幼い俺に付いた傷が癒えんのかよ。今更兄貴面してんじゃねぇ」
ダメだ。今コイツと向き合っていても、時間の無駄にしかならない。そうやって思考を切り、早歩きで兄さんを通り過ぎた。
「これ以上、俺に踏み込んでくれるなよ。次はねぇ」
そうやって、カツカツと床を鳴らしながら歩いていると頭が少しだけ冷えた。そして、思う。
自分は最低だと。
自己嫌悪に浸りかけていた自分に、唐突な、後ろから耳を刺す声。
「共也、俺は諦めない」
その一言しか言わない自分の兄に、再び苛立ちを覚えた。
──これだけ拒絶しているのに、まだ自分を拒絶しようとしないアイツに。
自分よりも遥かに広大な心を持ったアイツが、心底憎く羨ましかった。
次話>>59 前話>>57
- Re: ハートのJは挫けない ( No.59 )
- 日時: 2018/07/07 16:58
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
それから、何気ない日々が数日ほど過ぎて行った。僕らは未だにムカワを見つけられていない。とは言うものの、ムカワである可能性が一番高い、三年の剣道部の武川小町先輩が、ここ最近欠席しているからだ。
彼女のことを調べようにも、来てくれなければ進みようがない。早くムカワの力を解か無ければ、皆はいつ本当に殺されてしまうか分からないというのに。そんな焦りだけが溜まっていく日々だった。
「よう貫太」
「おはよ、共也君」
それでも、今日も今日とて何気ない月曜日の朝が僕らを出迎える。あんな事件達なんて無かったみたいに、ずっと変わらない日常の一部。
「おお、そういやこれ。兄さんから」
「見也さんから? なんだろ」
共也君から差し出されたのはビニール袋だった。受け取って中身を確認すると、見覚えのあるパイプがあった。そして、メモらしき2枚の紙も同封されている。
「あ、調べてくれたんだ……」
「てか、なんで観幸のパイプなんて持ってんだ?」
「図書室に行った時に乾梨さん……観幸と一緒にいた図書委員の子から貰ったんだ。彼の忘れ物だって」
メモを見ると、そこまで長い内容では無かった。しかし歩きながら読むのも危ないと思うので、開かない方が良いだろう。
「おはようございます、貫太君」
「うわぁっ! ……り、隣さんか……おはよう」
僕に唐突に声を掛けたのは隣さんだ。心臓に悪いからよして欲しい。いやまあ、僕がボーッと考え事をしながら歩いていたのも悪いんだけど。
暫く二人で(共也君は多分ハートで先に行った)歩いていると、赤信号に当たった。僕が黙って待っている間に、隣さんが口を開く。
「……貫太君、大丈夫ですか?」
「え?」
思わず、聞き返してしまった。
「なんだかとっても……思い詰めてるみたいです」
「……そんなに出てるかな、あはは……」
誤魔化し笑いもあまり上手く行かなかった。僕がそれほど思い詰めているのだろうか。それとも、隣さんに嘘を吐きたく無かったからだろうか。何れにせよ、悩みのようなものがあるのは事実でしかない。
「私には、話してくれないんですか?」
うん、と短く返事をしそうになって、気が付いた。
どうして僕は、隣さんには話したくないと考えているんだ?
彼女はハート持ちだし、ムカワの事についても知っている。浮辺君や観幸が行方不明になったことも知っている。なのに、どうして僕は隠そうとしていたんだ? 彼女のことを巻き込みたくない、なんて思っているんだ?
「貫太君?」
「ご、ごめん。実はさ」
それから一連の事について話した。内心では、今すぐこの話を止めたいという感情が、原因も分からないまま渦巻いている。
「……小町さんがその殺人鬼である可能性が高い……ですか」
「え、知ってるの?」
「小町さんも生徒会役員ですから……その繋がりで、一応」
それは知らなかった。彼女は生徒会に入っていたのか。
「じゃあ、小町さんがどうして休んだのか知ってる?」
「体調を崩したみたいです。藤倉先輩が荷物届けに行くとか言ってましたし」
藤倉先輩の名前を聞いて、少しだけ隣さんとの出来事を思い出した。改めて、今彼女と何気なく会話していることが不思議で堪らない。
「……所で貫太君、ムカワの利き手が分かりますか?」
「へ? 利き手?」
急な質問に、少しだけ驚いた。隣さんが続ける。
「小町先輩、利き手は左なんです。左の人って少ないイメージありますし、もしかしたらと」
理由に納得しつつも、記憶の中を掘り返していく。刀を持つ手は向かい合う僕らから見て右側にあった。つまり、
「左手……だった。確か、左で刀を持っていたよ」
確かに彼女は左手で刀を振るっていた。わざわざ理由も無く利き手ではない方で刀を持つ理由も無い。つまり彼女は左手ということだ。
「そうですか……」
隣さんが少しだけ悲しそうな顔をした。多分、彼女は武川先輩への疑いを晴らしたかったのだろう。それが逆に、より強固なものにしてしまうとは思わずに。
その後、気まずい雰囲気で歩く事になる。こんな時、気の利いたセリフの一つや二つでも思い浮かべばいいのに、僕は彼女に声を掛けてやることも出来ない。そのまま校門まで着いてしまった。当然クラスが違うので、靴箱で別れる。
「……じゃあね」
「……あっ……」
隣さんの元から離れて自分の靴箱へと向かい、そのまま早歩きで教室へと向かう。
隣さんといると、慣れない胸のざわつきが襲ってきて、自分が自分じゃなくなる感覚がした、少しでも早く、離れたかった。
「……貫太君が落とした紙、渡しそびれました……」
○
教室に着いて、課題を提出してから自分の席でメモを読んだ。内容はパイプの指紋についてだった。なんでも、観幸の指紋が無い代わりに一人の指紋があるらしい。多分乾梨さんが持ち帰った際に洗ったりしたのだろう。
メモ用紙に多少の違和感を覚えつつも、まあいいかと気にしない事にした僕。今は共也君と教室で話している。
先程武川先輩とムカワの利き手が同じだったことを伝えると、彼は少しだけ驚いたような表情を見せた。
「……やっぱり武川先輩なのかな」
「……利き手とは盲点だったな。だが……いよいよ確信が持ててきたな」
確かに、武川先輩はムカワである要素が余りに多過ぎた。名前に関しては無視するとしても、それ以外でも十分な共通点があった。
「恐らくだが……数日間休んだのは体の問題だろうな」
ムカワは心音さんとの争いでかなりダメージを負っていた。それなら数日間の欠席にも合点が行く。というか、都合が良すぎるほどに噛み合っている。時間帯に関してもそう。彼女は部活で遅くまで残り、被害者が襲われたのは夜。彼女は剣道部で、ムカワの使う武器は刀。
「今日、もし武川先輩が来てたら、部活終わりに先輩を尾行する。兄さんも呼んでおくぜ」
「分かった」
時間が無い。僕らは一刻も早く事件を解決する事だけを考えていた。
そして時間は流れ、昼休みの事。
「今日は乾梨さん当番かな……」
廊下を歩きながらそう呟いた。僕は今、図書室へ乾梨さんに会いに向かっている。
僕が観幸のパイプを持っているのもどうかと思ったのだ。一応彼女が拾ったのだし、彼女から渡した方がいいのではないかと思ったのだ。
──と、まあこれは実際は建前でしかない。本音は、観幸のあの姿を思い出してしまって、胸が絞め付けられるから、他の誰かに渡してしまいたかった。
図書室の扉が見えてきたところで、ちょうど向かい側に、偶然見覚えのある人物が居た。
「貫太君、図書室ですか?」
「うん。ちょっと用があって」
隣さんだった。片手に文庫本を持っている辺り、彼女も図書室に用事があったのだろう。
「あ、貫太君、朝にこれ、落としてましたよ」
「え? ……あ、そう言えば1枚しか無かった」
隣さんからメモのようなものを渡された。どうやら、朝僕が落とした、見也さんから送られてきたメモらしい。道理で違和感があった。受け取ってポケットに仕舞う。
ガラガラと音を立てて開く図書室のスライド式のドアを開けた。もし彼女がいないなら、全くの無駄骨だと考えながら、祈りつつもカウンターを覗く。
そこには、少しだけビクビクしながらも貸し出し作業をしている乾梨さんの姿があった。安堵の息を漏らしつつも、彼女の方へと向かう。
「あっ、そのっ、……は、針音さん……ど、どうしました……?」
「いや、これ、乾梨さんが持ってた方が良いかなって……」
僕がビニール袋を差し出すと、彼女は一瞬だけフリーズした。その後、十数秒かけて何のことかを理解した彼女が、慌てて立ち上がってそれを右手で受け取る。
「右手、もう治ったんだね」
「あっ……いえ……はい……もう何とも無い……です」
僕が話し掛けると答えるが、その後彼女は俯いてしまう。やはり人と話すのが得意では無いんだなぁと思いつつ、図書室を後にしようとした。
「ま、待って……下さい……」
彼女から、そう言われるまでは。
「え? どうしたの?」
「……じ、実は私……」
彼女は、深呼吸するかのように大きく肩を上下させ、胸に手を当てながら、心底苦しそうにこう言った。
「あ、貴方に……嘘を……い、言いました……」
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.60 )
- 日時: 2018/07/07 21:10
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
一瞬、何が言いたいのかよく分からなかった。嘘、とはどういう事で、どの発言が嘘だったのか。
「ホントは、ホントは嘘なんです、この傷も、このパイプの事も、あの日のことも、ホントは、ホントは嘘でしかなくて」
「お、落ち着こう? ね?」
まくし立てるように、息を荒くしながら喋る乾梨さんを諌める。急にテンションが変わったので、少し驚かされた。
椅子に座った彼女は呼吸を整えている。紅潮した顔が、息苦しさを表していた。
「今落ち着かないなら、放課後でもいいよ」
そう言いつつ、内心ではしまった、と感じていた。放課後の予定は、既にあるというのに。
「……じゃあ、部活が終わった後でも、良いですか?」
反射的に、頷いてしまった。本当は、今日の放課後は予定があったのに。共也君と武川先輩を尾行するという、重要な用事が。だが、彼女の様子を見ているとつい、断ることができなかった。
しかし、裏では安堵している僕もいた。見也さんとは、少しだけ顔を合わせ辛くもある。その点から言えば、彼女との約束は都合が良いものでもあった。
○
「ったくよー、流石は断れねぇ男だな?」
放課後、共也君に例のことを打ち明けると、このような言葉が彼のニヤニヤとした笑い付きで返ってきた。
「なっ……ぼ、僕だって断れない訳じゃないから!」
「じゃあ最近の断った事言ってみろよ。あ、愛泥の件はナシな」
「あるに決まってるじゃないか。えっと……………………」
ちょっと待て僕。何かあるだろ。確か、えーと、……何も無いな。僕。クラスメイトの頼みとか大体安請け合いしてるし、家族の頼みも特に断った覚えが無い。
「…………い」
「え? なんて?」
「……………無いんだよ」
苦渋の思いでそう言った。
それに対し、彼は少しだけ口から息を吹き出した。
「っはははははははは!」
そして直後に、まるで風船の空気が抜けるかのように、口から息を吐き出しながら笑い出した。
「嘘だろお前まさか自分で言っておいて無いとか! あっはははは! 笑っちまうぜ貫太ァ!」
「わ、笑わないでよ!」
笑い過ぎて空気不足になったのか、ヒーヒー言いながらお腹を抱えて笑い続ける彼に、こっちが恥ずかしくなってくる。そんな笑うことないじゃないか……。
「ははは、いやワリーワリー。最近おかしな事がなくてつい」
「ついって……」
「まあ分かったよ。武川先輩は俺と兄さんに任せとけ」
笑った際に生じた涙を目に溜めつつ、彼はこちらにオーケーのサインを出してきた。
不満は多少はあるものの、彼のおかげで多少はスッキリした気がした。
○
「……そろそろだな」
俺こと友松共也は、教室で遅くまで残っていた。何もクソ真面目に予習する為ではない。剣道部が終わるのを待っていたのだ。そして、予定では練習がそろそろ終わる頃。一度家に返って鞄を置いて来た俺は手ぶらで教室を出た。
「……貫太の奴、どうせ兄さんに会いたくなかったんだろうな」
兄さんが不器用過ぎて笑えてくる。あの人はいつも言葉足らずで他人を傷付ける事が多い。その後謝る誠実さを持ち合わせてはいるが、貫太のようにいつでも会える訳では無い人間にやらかしてしまった時のダメージは大きいだろう。
「……ま、あの人が何しようが知ったこっちゃねぇな」
後者の窓から武道場を見下ろすと、既に数人が帰宅を始めていた。そして、その中には見覚えのあるショートカットの凛とした雰囲気の生徒もいる。
「……居た」
速やかに階段を降りて靴箱へと向かう。そして武川先輩とすれ違わないように校門へと向かった。
「よう兄さん。もうすぐだぜ」
「……やっとか」
校門の近くの壁に背を預けていた兄さんは、俺の言葉で壁から離れた。そして、俺の隣まで来ると、少しだけ顔を顰める。
「貫太君はどうした?」
「女子と待ち合わせだってよ」
「……そうか」
誤解を招くような発言をしても、まあ多分バレるだろう。兄さんのハートから考えて。
「……ところで、ムカワらしき人物とは何処にいる?」
「もうすぐ出てくるはずだぜ……って、来た来た。あのショートカットの女子生徒だよ」
「……武川小町か。なるほどな。確かに、名前だけで言えば最も怪しいな」
「今日電話で伝えたろ? 武川先輩を疑ってる理由ってヤツ」
あれだけの根拠が揃っているのだ。殆ど間違い無いだろう。そう思いつつも、彼女を追って道を歩く俺達。向こうはこちらの事なんか一切気にしない様子でイヤホンを付けて歩いている。音楽でも聞いているのだろう。
「……そう言えば利き手に関してだが………ムカワはどちらが利き手だ?」
「何言ってんだ? 右手だろ」
俺が浮辺の連絡で駆け付けた時、アイツは確かに右手で俺に刀を投げてきた。左手で投げれる奴なんかそうそういないだろう。だが、俺の言葉に兄さんは難色を示す。
「……おかしいな。心音の心を視た時、奴は左で刀を振るっていたぞ」
「……見間違いだろ」
「聞き手の情報を知った後、もう1度確認した。共也、お前はその情報、誰から仕入れた?」
「貫太だ」
「ではどちらが確認したか?」
そう言われて、ハッとする。
「……確認してねぇ」
「……一つ、証拠が潰れたな」
自分の不注意がこんな所で出てくるとは思わなかった。歯噛みしつつも、武川先輩の尾行を続ける。
「まあ……俺が触れば、すぐに分かることだがな」
「アンタ犯罪者になりてぇのか」
「最適解と言え」
「女子高生の体まさぐるのが最適解とか世も末だな」
「…………最適解だ」
彼女の体に兄さんが触れば、兄さんは奴の記憶を読める。だがそれは兄さんの社会的地位の死亡に繋がりかねない。黙って尾行するのが最良だろう。
黙って尾行していると、ふと思い出したかのように、兄さんが呟く。
「……そう言えば……貫太君は俺の入れたメモを読んだのだろうか……」
「あ? 教室で読んでたぜ?」
「そうか。いやしかし驚きだった。まさか、ムカワが見逃す人間が居たとはな」
その発言に、耳を奪われた。
「どういう事だ?」
「……聞いていないのか?」
「ああ。サッパリだぜ」
「深探君のパイプ。アレには一人の指紋が付着していた。恐らくはその逃げた見逃された一人のものだ」
「待てよ。それは聞いたが指紋に何の関係があるんだ?」
指紋云々に関しては、貫太から聞かされていた。乾梨とかいう生徒のものだろうと。
「最後まで聞け、共也。そのパイプには、ほんの僅かな血の跡が検出された。血は拭き取られても、調べれば跡が出てくるからな」
「……血だと?」
「血液型は深探君のルーペに着いていたのと同じもの。つまり、ムカワの血という事だ。そして、貫太君はそれをある女子生徒から譲り受けたと言っていた。つまり、その女子生徒は見逃されたのだろうな。ムカワに」
「ちょっと待て。貫太はそんな事一言も言ってなかったぞ」
「……もしかして、1枚しか読んでないのか?」
貫太はそんな事を言っていなかった。
「読んでねぇみてぇだ」
「……なんだと」
「そんな話、聞いてねぇ」
場を沈黙が支配した。
まだ不透明なものがある。この事実だけで、確信は大きく揺らぐ。今まで感じてもいなかった心配が、胸の中で暴れ始めた。落ち着け。ここでムカワを捕まえればそれで終わるんだからな。
「……ところで共也、一つ提案がある」
焦燥に駆られていたところに、兄さんの言葉が飛び込んできた。そのまま小さな声で繋げる彼。
兄さんの提案を聞いて、なるほどと感じるのと同時に、とんでもない罪悪感を感じた。
「……大丈夫かそれ?」
「お前が上手くやればな」
「……ま、そうするのが手っ取り早いわな……」
正直言ってやりたくないが、背に腹は変えられない。取り敢えず、都合の良いロケーションになるまで待つ。
そのまま暫く歩いていると、曲がり角に当たった。そして武川先輩はそれを右に曲がる。塀でその姿が見えなくなった。
絶好のロケーションだ。ここでやるしかない。塀から顔を出すと、あと数メートルで武川先輩が俺のハートの射程外に出ようとしていた。
「今だ、共也」
「ああクソ、犯罪者かよ俺達」
そう言いつつも、俺はハートの力で俺の手の平の前と武川先輩の背中の空間を繋ぎ合わせた。
「うるさい、集中が途切れる」
そして、俺の手の平の前に、兄さんが手を突っ込む。それは俺の手の平には当たらず、そのまま突っ込んだ分が消え、代わりに武川先輩の背後に腕だけが出現した。そして、その腕が武川先輩の首を掴む。
「ひゃぁぁッ!」
黄色い叫び声が聞こえた。咄嗟に兄さんが手を接続空間から引っこ抜く。すると向こう側の手も消え去った。そして俺達は塀で武川先輩から見えないように隠れた。
「だ、誰よ!」
恐らく彼女は今、周囲を確認していることだろう。危ない。どうやらこちらの仕業とはバレなかったようだ。
「……兄さん、早いとここの場を離れようぜ」
「……同感だ」
正直、異能を使って女子高生の首を一瞬だけ掴むとかただの犯罪者だが、これも友人の為なのだと自分を誤魔化す。いや正直、罪悪感が大きすぎる。
「それで、読めたか?」
「……1週間程度だが、把握した」
兄さんは、ネクタイを締め直してから、言った。
「武川小町は、ムカワではない」
俺達にとって、ある種の絶望でもある言葉を。
○
放課後。音楽教室で待っていて欲しいと頼まれた僕はずっとそこで待っていた。ついでに課題しながら。因みに音楽教室は鍵がガバガバすぎてちょっと持ち上げるだけで簡単に入れるという何ともセキュリティの甘い教室のため、こういう待ち合わせに使われることが多いらしい。
「……もうすぐ部活終わるかなぁ」
なんて小さく呟いてみる。すると、噂をすればという奴か、扉が開いて光が射し込む。
「こんばんは。乾梨さん」
「こっ……こんばんわ……」
いつにも増してビクビクした彼女の様子に流石に違和感を覚えた。課題をしまいつつも、近くの椅子をとって彼女の方に動かす。
「それで、昼休みの事なんだけど……落ち着いた?」
「……はい」
「じゃあ、話してくれる?」
「……実はあのパイプ、図書室で拾ったものじゃないんです」
取り敢えず、今は黙って彼女の話を聞くことにした。質問ばかりしては、話が進まないと思ったからだ。
「ほ、ホントは、か、彼がもう遅いから私を送るって言って、途中まで道が一緒だったから2人で帰っていたんです。そ、そしたら、急に私の意識が朦朧として、なんだか凄く眠くなって、そしたら急に目が覚めて、気が付いたら深探君が倒れてて、幾ら揺さぶっても反応が無くて、それで、それで!」
「乾梨さん」
再び語調の速くなった彼女を、肩に手を乗せて落ち着かせる。幾らか落ち着いた彼女が、再び話を始める。
「その時私、もうなんにも分からなくなっちゃって、気が付いたら右手も切れたり腫れたりしてて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、何していいか分からなくて、もう気が変になりそうで、そのままわけも分からず走ってたら家に着いてて、それで、気が付いたら、これを握ってて……」
「……そっか」
彼女に少しだけ同情した。確かに、急にあんな事件に巻き込まれたら、誰だって錯乱するに決まってる。ましてや、出会って数日の僕に話したいとは思わないだろう。でも誰かに相談したい。だから僕に話した。とまあこんな感じだろうか。
彼女があの場所にいたのは、ムカワが逃げてから僕が観幸の元へ駆け付けるまでの間、という事になるだろう。
「ほんとは言わなきゃって思ってて、でも間違いなんじゃないかって、心のどこかで思ってて、でも深探君は来なくて、ああアレは夢じゃなかったんだって、自分は1人だけ逃げたんだって、最低だって、どん臭くて他人の迷惑以外になれない私なんて、消えちゃえばいいのにって、っ……うっ……」
彼女の言葉はどんどんくぐもっていく。そして目から1粒の涙が零れるのと同時に、水道の蛇口を捻ったように涙が溢れ出した。
「わ、な、泣かないで?」
しかし僕は咄嗟に対処することが出来ない。取り敢えず何とかしなければと思い、ポケットからティッシュを引きずり出して彼女に持たせる。右手でギュッとそれを握り締める彼女。
「これで涙、拭いて」
「……は、はい……っ」
その時、ポケットティッシュと共に、何かが引きずり出された。何を入れてたんだっけと確認すると、メモ用紙が入っていた。
そう言えば、隣さんが図書室の辺りで届けてくれたんだっけ。なんて思い出しながら、軽い気持ちでメモを読む。
そこには、パイプに付いた血痕について書かれていた。拭き取られてはいるが、微量の血が着いたと思われる跡が見付かったらしい。特に役立つ情報ではないな、と思った。最後まで読まずに、その場で手放す。
その後、再び彼女と相対する。最も、彼女は両手で必死に目を拭っている為に話は出来ないが。
その時、ふと右手が目に止まった。右手の甲に、何か赤い跡があった。まるで、切り傷のようなものの跡が。
頭の中の端っこが、チカチカとした。
そう言えば、観幸は確か僕に留守電をしていた。内容を確認しようと、パカパカする携帯電話を取り出す。そして履歴から遡り、再生。
『貫太クン……ムカワは……違うのデス……ムカワでは……』
久々に聞く友人の声に涙を堪えつつ、その内容をゆっくりと噛み砕いていく。
彼が無意味なメッセージを残すとは思えない。ムカワから妨害されることを考慮しない訳が無い。つまり、このメッセージから何か得られるものがあるはずだ。
これは最後が欠けているから意味不明なんだ。文脈から判断する現代文の問題と一緒で、空欄に適する語を入れなければならない。
「ムカワは、違う、ムカワでは……」
口で数回ほど復唱した時、ふと閃く。
ムカワは違う、ムカワではない。
彼はこう言いたかったのではないか?
ムカワではない。そしてムカワがムカワではない、は文的に不自然だ。どちらのムカワは『武川』という事になる。
つまり、武川先輩はムカワではない?
では誰だ?
その時、自分が捨てたメモが視界に入った。もう1度拾い上げて確認する。
最後の文を読んでいないのだ。何かあるかもしれない。そう思って、読み返す。
『またこの血はルーペに付着していたムカワの血液と同じ血液である』
同じ血液。
ルーペに付着していた血液は、それで殴ったにも関わらず微量だった。つまり、血はそこまで出ていない。派手に出ていたら、観幸の体はもう少し汚れていた筈だ。
つまり、余程の奇跡で血液がパイプに振りかからなかったとすると、ムカワは一度血のついた手でパイプを握ったということだ。
そして、着いた血液はムカワのものだけ。同じようにパイプを持ったものは居らず、1人だけという事になる。
頭の中で、着々と方程式が組み立っていく。これまでの事件達から得たピースが、ようやく正解の場所へと嵌り込んでいく。
まさか、いや待て。彼女は明らかに右利きだ。荷物を受け取る時も、先程のテッシュだって右手で受け取っていた。ムカワは左利きだ。そこは一致しない。
そこで再び、傷が視界に映る。
僕は右利きだが、右手を一度怪我した事がある。その時、僕は右手を使うのを避けた。そう、利き手であるにも関わらず、使用を避けた。つまり、人間は利き手であろうが負傷していれば代わりに反対の手を使うのだ。例え不便であろうとも、背に腹は変えられないからだ。
あの日、ムカワが僕の元に現れたあの日、彼女の右手は、痛々しい怪我をしていた。それこそ、使用を控えてもなんら不思議ではないほどの傷を。
そしてそれが、観幸のルーペによって傷付けられたものなら?
そこから出た血が、観幸の所有物達に着いたものなら?
時刻に関しても、なんら不都合は無い。浮辺君の事件の日、彼女は図書委員で学校に居た。観幸の事件の日、彼女は観幸と同じ時間に学校を出た。そして僕の日、彼女にはアリバイは何も無い。
僕が思考を巡らせている間に、彼女は目を擦るのを止めていた。メガネの奥に覗く泣き腫らした目元が、見ていていたたまれない。そして、これから僕が、こんな言葉を吐き付けなければならないなんて思うと、更に胸が苦しかった。
僕が彼女の肩に手を置いて、目を見つめる。どこまでも透き通った、茶色のかかった綺麗な目だった。キョトンとした様子で見つめてくる彼女。
でも、それでも、言わなきゃダメなんだ。僕は、僕は、皆を、知人を、友人を、親友を、救わなきゃならないんだ。
「乾梨さん」
さぁ、言うんだ。針音貫太。
「キミが、ムカワなのかい?」
僕史上、最悪最低の台詞を。
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