複雑・ファジー小説

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ハートのJは挫けない
日時: 2022/05/11 05:32
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)

波坂といいます。閲覧ありがとうございます。今回は能力バトル系を書いていきます。色々と至らない部分もあろうかと思いますが、そこはどうぞ生暖かい目線で見守って頂けたらなと。

 一気読み用【>>1-100

 目次>>73

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 略称はハジケナイです。

Re: ハートのJは挫けない ( No.76 )
日時: 2018/08/13 22:05
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: zbxAunUZ)

 僕の意識が、真っ黒に塗り潰されていく。視界から色が消え失せつつある中で、僕は最後に言う。

「……正義君、君のハートは解かない方がいい」
「へぇ、まだ意識があるんですね。針音先輩。で、どうしたんです? 僕のハートの虜になりましたか?」

 表情筋だけでも動かして、精一杯の強がる笑みを作る。少しでも、彼の悔しがる声が聞きたかった。

「君のハートが解けた時、僕は君を後悔させる。僕達に手を出したことをね」
「へー。針音先輩が? いやいや無理でしょ」

 僕を鼻で笑う彼に、言ってやる。

「……なら試しに解いてみなよ。きっと、君にごめんなさいって言わせて上げるからさ……!」

 僕の最後の負け惜しみを。




 気が付けば、僕はいつの間にか教室から別の場所へと移動していた。確か、正義君から頼みがあると連れ出されたのだったか。

「針音先輩? 大丈夫ですか?」

 僕の前には、一人の男子生徒。確か……一条正義君、だっただろうか。
 周囲を見回すと、屋上へと続く階段だと言うことが分かる。薄暗くて、壁の角やらが良く見えない。

「ああ、ぼーっとしてた」
「そうですか……ビックリしましたよ」
「ごめん」

 イマイチ状況が整理できていない。気がついた時にはここにいたのだ。恐らくボーッとしていたのだろう。

「それで、頼みって何?」

 僕がそう聞くと、彼はキョトンとした表情を浮かべた。え、僕何かまずいことでも言ったのだろうか。
 彼は気まずそうに僕から目をそらしつつ、頬をかきながら僕に言った。非常に言いづらそうに。

「ええと……用事はもう終わったんですけど……覚えてません?」

 そう言われて、こちらが驚いてしまう。僕の記憶には、彼から頼み事をされた記憶はない。だが、何故か意識を失っていて僕の記憶は抜け落ちている。彼の発言を信用するしか無かった。

「そ、そうだったね」
「はは、意外と針音先輩って抜けてるところあるんですね」
「実はね……そんなに意外でも無いと思うけど。じゃ、僕はこれで」

 僕はそのまま彼から離れて、階段を駆け下りる。記憶が抜け落ちるなんていう、不思議というか怖い現象に遭ったのもあり、できるだけ薄暗いところに留まっておきたかったのだ。
 それに、何か嫌な予感がした。あそこに居てはいけない。居たらダメになる。そんな感覚がしたのだ。
 正義君と何をしたのかは分からないが、彼は特に悪い事とかしないタイプの人だろう。害がないなら、気にしないでもいいか。
 なら、さっきの感覚はなんだろうか。あの変な感じ。

 ──こんな風に考え込んでいたものだから、正義君が最後、ポツリと何かを言ったのに、気が付く事が出来なかった。

「……ちゃんと記憶が抜け落ちたみたいで、安心しましたよ」

 彼は、なんと言っていたのだろう。今となっては、それを知る術は無い。





 約束の場所へ向かった俺を待っていたのは、ベンチに足を組んで座る一条だった。彼はこちらに気が付くと、ニヤリと笑みを浮かべる。

「随分、ゆっくりしてたんですね」

 彼は公園に設置された、柱の頂点にある時計を見上げながら俺に言った。丁度時計は午後五時を示している。

「悪いな」
「まあいいですよ。ふふ、時間はたっぷりありますからね」

 彼はベンチの右端に寄ってスペースを作る。俺に座れと言いたいのだろう。だがそれを無視して、俺は柱に背を預ける。彼の纏う雰囲気からか、あまり近付きたいとは思わない。
 そんな彼はこちらを見た後、笑いつつも再び座る位置を戻す。そして口を開いた。

「端的に言うとですね」

 彼は座ったまま、こちらに右手を伸ばして言う。ニヤリと笑った目線が、こちらの体に纏わり付くような感触を覚えた。

「僕の、お仲間になりませんか」
「断る」

 反射的に、そう答えていた。

「やれやれ、話の詳細も聞かないうちに即答とか、僕も嫌われたものですね」

 彼はやれやれと言わんばかりに両手を中途半端に上げ、わざとらしい大きな溜め息をつく。

「話はそれだけか」
「少しは余裕って奴を持ちましょうよ。どうです? 続きはあの辺りを右に曲がって真っ直ぐ行った所にある喫茶店で」
「いい加減にしろ!」

 彼の回りくどい言い方に、思わず口調が強くなる。だが彼は俺の起こる様子をみて、一層そのふざけた笑いを深める。

「単刀直入に言え。お前は何がしたい」
「……対話を積極的に楽しもうとした僕がバカでしたね」

 彼は不満そうに立ち上がり、俺に相対をする。水が流れる音だけが響き、それが20秒程続いた後、彼は言葉を繋ぎ始める。

「僕は貴方に協力して欲しいんですよ」
「…………目的は」
正義せいぎの為、ですかね」

 その言葉を聞いて、余りに彼のイメージに沿わないものだから、笑ってしまう。

「お前が正義? 笑わせんなよ」

 俺が、そう言った。
 瞬間、彼がフラリと立ち上がる。
 そしてこちらを向いた。
 それはもう、ゆっくりと。

「は?」

 その目は──生きてはいなかった。
 正気も生気も、そのレンズには映されていなかった。そこにあるのは、深い黒。どこまでも続くような、黒い黒。
 口を開けた彼が、一歩、また一歩と俺に近づく。足音が一つ一つ近付いてくる。それは分かっている。当然理解している。
 だが、動けない。
 彼の目が、視線が、その瞳が、俺をこの場に縛り付ける。動くなと、訴えてくる。そして俺は、それに釘付けにされていた。

「僕はふざけてなんかいない」

 彼が胸倉を掴み、俺の顔を引き寄せる。そして、その深い黒を、俺の目に見せ付けるように合わせてくる。
 彼の目の底には、何も無い。一つの色で、満たされている。

「僕は今まで正義の味方を目指してきた」

 彼の力が、強くなる。
 その源は、俺への怒り。

「それに偽りなんて、何一つない」

 彼の瞳を見つめていると、本当に自分の中が侵食される気がした。何か、何か見てはいけないものを見てしまった気がした。
 だから、彼を思いっ切り突き飛ばした。体格差的に、当然彼は俺から離れる。だが、力がそこまで入っておらず、彼を地面に倒すには至らなかった。

「なんだテメェ! 急にこんなことしやがって!」
「……ククク……まあ良いですよ……」

 唐突に、彼は両手を大きく広げ、天を仰いで、これ以上ないくらい、清々しい笑顔を浮かべた。
 ネジが一つや二つくらい、吹き飛んでいそうなほどに、痛快な笑顔を。

「僕はあなたを打ち倒す! あなたを打ち倒し、あの化物を連れて『あの人』の元へ行く! 例え、貴方と化物を殺してでも!」

 狂っている。
 直感的に、そう感じた。
 コイツは他の奴らとは違う。自分や他人に酔ってるとか、その次元じゃない。もはやこれは、信仰に近いものだ。彼は、『あの人』とやらに、異常なまでの盲信をしている。

「おい」

 だが、そんなことはどうでもよかった。

「化物って、誰だよ」

 俺にとっては、そんなことよりも、もっと重要な事があるからだ。
 彼が姿勢を戻して、首だけを異様に傾けて疑問符を述べた。

「はい?」
「化物が誰かって聞いてんだよ!」

 返答によっては、俺はコイツを殴らなくてはならない。

「やだなぁ、貴方が一番良く分かっているでしょう? でも貴方は目を背けている」

 目の前のコイツは、俺の方に顔を寄せ、舌を伸ばしてニタニタとした笑みを浮かべる。
 そして、耳元でこう囁いた。

「彼女が」

 俺にとって、最悪の言葉を。

「無川刀子が、化物だって」

 瞬間、視界が一瞬だけ紅く染まった。

『友─梨─が化物だとな』

 そのセリフが、思い出したくもない過去と、重なる。

「無川刀子は、人間の皮を被った──」

 また、視界が紅く染まる。

『友──花は、人間の皮を被った──』

 止めろ。
 その先を言うな。

『「怪物だ」』

 聞きたくもない一言に、頭の中が振り切れた。
 思い出したくもない一言に、過去の記憶が擦り切れた。
 目の前の奴と、あの男が、重なって見える。

「殺すぞ」

 その言葉が、余りに自然と、口から出た。

 正義が、俺を見る。
 俺は、正義を見る。
 彼の瞳には、俺の瞳が映り込んでいた。

 俺の瞳と、彼の瞳は、驚く程に、似通っていた。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.77 )
日時: 2018/09/21 17:04
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 俺と正義が目を合わせる中、向かい合う彼は、ふっと軽く笑って雰囲気を弛めた。

「お互い、取り乱しちゃいましたね」
「…………」
「やだなぁ、そんなに睨まないで下さいよ」

 何となくで張り詰めた雰囲気は、俺の中で消化不良のままとなった。だが正義はそんな事には構いもせずに、その口からペラペラと相変わらず掴み所のない言葉を吐く。

「ところで先輩。僕、一つだけ謝らなくちゃいけない事があって」

 彼は俺に申し訳なさそうな半笑いを浮かべて頭を掻く。だがそれは本気で反省しているのではなく、むしろわざとらしく取り繕ってこちらを煽っているとも取れるものだった。

「朝、言ったじゃないですか。一人で待ってるって。でも、不安だったので一人付いてきて貰いました」

 そういえば朝、彼は一人で待っていると言っていた気がする。
 不安だった、というのは俺が彼に襲い掛かる想定でもあったのだろうか。何れにせよ、俺にその気は全く無かった訳だが。

「はっ、最初っからそのつもりだったんだろ。で、何処だよ。お前の伏兵ってやつ」

 俺の言葉に、彼はその口の端を吊り上げた。
 瞬間、嫌な予感が、俺の背後を通り過ぎた。

「いやいや、伏兵だなんてそんな大層なものじゃないですよ。それに──」

 彼は右手をパチンと鳴らす。すると、彼の服の裾から赤い光のような、糸のようなそれが溢れ出した。咄嗟に身構えるが、それは俺の方に来る気配はなく、正義の右手首に巻き付き始める。
 数秒後には、彼の右手には腕輪が作られていた。六角形のその赤い腕輪は、まるでボルトを固定する器具であるナットのような形状だった。
 彼は少しだけ嬉しさ──というより、愉悦を含んだ声でこう言った。


「きっと、貴方の方が『彼』の事を知っているでしょう」

 コツン、と。足音がした。
 それは噴水の向こう側にいたようだった。今まで水の音で聞こえなかったようだが、それを回り込んで十分に接近した今、ようやく靴の音がしたのだろう。
 振り返ると、それの顔が見えた。
 見覚えのある、その顔が。

「お前……」
「………………」

 俺が呼び掛けても、彼は一切反応しようとしない。ピクリとも動かず、何も感じていないのではないかと疑ってしまう。

「……なんでお前が、ここに居るんだよ」

 よりによって、あいつの伏兵として。


「なんで、貫太が居るんだよ」


 表情筋の死んだ針音貫太が、静かにそこに佇んでいた。
 俺のすぐ横で、本性が覗いたかのように、正義は黒く笑った。
 瞬間、俺は正義の胸ぐらを掴んで持ち上げていた。彼の体は軽かった。

「正義テメェ! 貫太に何しやがった!」
「ぐぅ……酷いなぁ、急にこんな事するなんて……」
「さっさと答えやがれ!」

 俺の苛立ちとは真逆に向かうように、彼はヘラヘラとした笑みを崩さない。むしろ、俺の反応を楽しんでいるとも解釈できる。

「……忘れてるんですか?」

 彼は目を細めて笑った。

「僕はハート持ちだ。ただの無害な一般モブキャラ男子生徒じゃあないんですよ」

 そして彼は目を開け、それを見せた。
 紅く輝くその右目を。
 俺は油断していたのだろう。きっと、コイツが自らアクションを起こす事は無いだろうと、勝手に思い込んでいたのだ。だが結果がこれ。危機感の無い自分に苛立ちを覚えるが、今はそれ以上に正義に対して憤りを感じていた。

「ふざけんじゃねぇ……!」
「おっと、手を離してもらえます?」
「このまま殴ってやってもいいんだぞ……?」
「はぁー、じゃあ仕方ないですね」

 彼がそう言った瞬間、背後から何かが突き立つような感覚がした。咄嗟に首を回して後方を確認すると、俺の背中にはナイフが突き刺さっていた。
 貫太が投げた、ハートの力で作られたナイフが。

「ッ……!」

 いつの間にか、正義を掴む手の力が緩んでいた。彼は俺の右手を払うと、そのまま驚いて動けない俺を通り過ぎて、こちらに右手を向ける貫太の隣へと向かう。

「……何してんだよ……貫太……」
「…………」

 貫太は何も喋らない。
 いや、そこに貫太はきっと居ない。そこには心が無かった。彼から滲み出る雰囲気がいつものものとは違い、まるで人間性の欠片もない者が持つ冷徹なものと化していた。

「正義、まさかテメェ……」

 俺の頭の中で、まさかと思い浮かぶものが一つあった。
 それは、愛泥のハートだ。彼女のハートは人の心理を操り、動くように働きかけるというものだった。彼のハートも、似たようなものなのだろうか。あの右手に付いた赤い腕輪には、何か意味があるのだろうか。

「ま、多分大方予想は付くでしょうね」

 俺が思考を巡らせる中、彼は解答を提示した。

「僕のハートは、人を操る力である、とだけ言っておきましょう。現在、愛泥隣と針音貫太は既に手中に収めました。後は……」

 彼は左手に、先ほどの赤い腕輪と同じような材質の何かを、今度は左手に作り出した。それは、ネジのような形状をしており、先端は鋭利に尖っている。

「貴方と、無川先輩だけなんですよ」

 そして、彼はそのネジの先端をこちらに向けて、言う。

「大人しくして下さい。友松先輩。僕にベッタベタな脅迫のセリフを言わせる前に、ね」
「……クソ野郎が……」
「フッ、中々いい顔してますよ。今。僕を殴りたくて仕方ないって顔です」
「その通りだからよォ。その顔面差し出してくれねぇか」
「お断り、です」

 彼はそう言い切った後に、俺のすぐ前まで距離を詰めた。
 ここで拳を動かせば、今ここでコイツの顔面を凹ませることが出来る。完膚なきまでに叩きのめすことも可能だ。
 だが、万が一、俺が気絶させる前に、貫太に何かをされたら。
 それは、ばあちゃんの言うことに反する。
 俺には、できない行為だった。

「では、失礼しますね」

 彼は俺に、一歩踏み込む。
 俺はただ、その得体の知れない赤いネジを見ることしか出来ない。
 そして、先端部分が俺の腹部にめり込んだ。
 痛みこそは無いものの、それをされた瞬間に、俺の視界が、だが徐々に遠のいていくのを感じる。

「……後は、無川刀子だけですか……」

 このままでは、多分俺は意識を失うだろう。その後、どうなるかも分からない。もしかしたら、貫太のように、コイツの言いなりになるかもしれない。
 だが──それは、失策だろう。

「……俺を使って、無川を懐柔しようってか?」

 俺の言葉に、彼はその笑みを少しだけ崩した。

「だとしたら、失敗だぜ。その策とやらはよ」
「……負け惜しみですか」
「いやちげぇ。本当の事だ」

 こいつは何もわかっていないのだ。

「お前は知らねぇんだよ。無川が、俺なんか気にしてねぇって事をな。アイツは割り切って俺を殺すだろうよ」

 無川は、一度や二度なら躊躇いなく仮死状態にするだろう。それが例え、知人であろうともだ。
 つまり、俺という知り合いで責め立てようとしたコイツの策は、失敗という事だ。皮肉混じりの笑みで、力の限り笑ってやる。ざまみろと伝わるように。

「……そうですか。ありがとうございます」

 だが彼は最後までその様子を崩さなかった。意地でもあるのだろう。最後まで弱った姿なんか見せないという、彼なりの。

「テメェは無川に勝てやしねぇんだよ」
「不可能、ですか」
「ああ、そうだ」

 俺の返しに、彼はきっと悔しがるなり、残念がるなり、そんな反応を見せるだろうと、俺は思っていた。だが、彼が返してきたのは、その真逆。

「そうですか。それは……」

 彼の口から、予想外の言葉が飛び出した。

「とても、燃えてきますね」

 何を言っているのか、分からなかった。

「な、何言ってんだ?」

 俺の問いに、彼はこう答える。
 まるで、無垢な少年のような、彼のイメージとは真逆の笑顔で。

「だって、主人公ヒーローって、不可能を可能に変えるものでしょう?」

 俺は、正義の最後の言葉の意味を、十分に理解しないまま、意識を真っ暗な底へと落としてしまった。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.78 )
日時: 2018/09/21 17:04
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 あれから約20時間が過ぎた頃。俺は屋上に居た。
 すぐ隣には、あの正義がジュースを飲みながら隣の校舎を見下ろしている。他でもない、一条正義本人が。

「おい」
「どうしました?」
「どうしたじゃねぇよ」

 昨日、俺は確かにコイツのハートの力で意識を奪われた筈なのだ。貫太のあの様子を見る限り、恐らく釘を打ち込んだ他人の精神に干渉する力だろう。

「なんで俺の記憶を奪わなかった」

 俺の質問に、正義はストローから口を離して答える。

「さぁ?」
「答えろよ」
「特に理由なんて無いですし、僕には話す理由も無いです」

 素っ気なくそう言った正義に、思わず声を荒らげてしまう。

「……ああそうかよ!」

 クソが。今すぐにでもコイツを殴ってこんな茶番を終わりにしたいが、今の俺にはそれが出来ない。
 何故なら、封じられているからだ。昨日の出来事を正義以外に話す事。正義の事を他人に伝える事。そして、正義を攻撃する事。俺は今、奴のハートによって奴に不利な行動はできないようになっている。

「……別に僕は貴方と敵対したい訳じゃないんですよ」
「昨日は散々だったがな」
「ほら、雨降って地固まるとかなんとか」
「雨じゃなくて火災だったろ」
「それに、奪わない方が面白いんですよ」
「……?」

 その含みのある発言と共に、奴は再びストローに口を付けて視線を戻した。
 きっと、その顔は愉悦を浮かべていたのだろう。
 その心は、俺には分からない。

「……何、考えてんだよ」
「そういうのは言わないお約束ですよ。先輩」
「お前が何を企んでるのか知らねぇが、何もせずに黙っている程俺はお利口ちゃんじゃねぇぜ」
「へー。じゃあなんかしてみて下さいよ」

 瞬間、一歩踏み込んで奴の顔面に拳を叩き込もうと腕を振るう。

「バカですか?」

 だが拳は当たる直前で意志に逆らい、進行方向を変えて空を切った。正義は微動だにしていない。

「だから言ったじゃないですか。当たらないし当てられないって。今のちょっとイラッとしたんで、これ捨てといて下さい」

 正義が紙パックを投げ捨てると、俺の体は勝手に動き出した。屈んだのも、紙パックを拾ったのも、俺の意思ではない。操られているのだ。

「それじゃ、僕はこれで」

 背を向けたまま俺に言い残し、彼は屋上から立ち去った。紙パックでも投げつけてやろうかと思ったが、それは俺の手から離れそうにもなかった。無意識に動いてしまう右手によって。

「……分からねぇ」

 どうしても、分からない。
 こんなに完璧に俺を操れるなら、奴は何故俺に身投げなりなんなりさせて排除しない? 百歩譲って無川と乾梨を攻略する為に人質なりに使うとしても、俺に意思を残す必要なんてなかった筈だ。

 今まで味わったことの無い、気味の悪い感覚に悪寒が走り、俺はさっさとその場を離れてごみ捨て場に向かった。


 今まで昼休みだった為、掃除を挟んで五限目。当然、授業なんか集中できたものでは無い。だが安らかに眠ることも出来ず、苛立ちが積もるばかりだ。
 シャーペンを握り、取り敢えず板書だけしておく事にした。後から振り返るかどうか分からないが、しないよりマシだろう。
 黒板を写す中、教師の後ろが見えなくなった。良くあることだが、この教師は一度黒板に書き終えたら、その後は中々動かないのだ。その為、その場所を写し取るには授業後しか無い。
 結局、授業中に教師は動くことなく、終わってから俺は前に移動し、教卓にノートを置いて不明だった場所を写そうとして、ふと気が付く。
 文章の中に紛れた、『正義』の文字。
 気が付けば、俺は既にその文字を書き写し終えていた。

 それを見て、電撃が走った。

(文字に書くことは出来る。つまり、話せる)

 俺はすぐさま、脳裏に閃いた考えを行動に移した。




 ヒーロー、などというものは、特別な人間しか成れない。
 そんな事は知っていた。だから、そうなろうと頑張ったつもりだった。
 でもダメだった。何回も挑戦して、失敗して。でも逸材は悠々と飛び越えていく。僕が躓いた場所も、転んだ箇所も、飛び越えられないハードルも。涼しい顔で去っていくのだ。
 悔しさをバネにしようとした。失敗から何か学ぼうとした。自分を変えようと、必死になった。でも、その間にも逸材は進む。僕がまだ知りもしない場所へ。
 そしていつしか、諦めた。
 僕が止まった時、皆はきっとこう思った。いや、間違いなく思っていた。
 「ようやく夢から醒めたか」なんて。
 内蔵を引きずり出したくなるくらい、腹の中がムカムカした。掻き毟っても収まりようのない、内側で暴れる感情で、どうかなってしまいそうだった。いっそ、この体ごと無くなってしまえと、本気で思う程に。

「あら」

 そんな時だった。
 彼女が、僕を見つけたのは。

「どうしたの? 貴方はそんな素敵な心を持っているのに、何をしているのかしら?」

 僕が戻れなくなる寸前で、彼女はその手を僕に伸ばしてくれた。

「私? 私の名前は──」

 その時、僕は決めた。

「──よ。貴方の名前を教えて頂戴」

 この手を離したりなんてしないと。

「一条正義……」

 僕はもう、他のものなんて要らない。

「一条の正義せいぎ、良い名前ね」

 彼女が名前を呼んでくれさえすれば。

「正義君、私と一緒に──」

 彼女と共に、僕らの『正義』が守れたら。

「なにも、要らないんだよ」





「乾梨ぃー!」

 教室の内に向かって呼ぶと、案外近くにいた乾梨が一瞬だけ肩を上下させた後、こちらを向いた。その目は不安に近い何かを映し出している。

「ひゃっ!? ……と、友松さん……?」
「ワリィ、声が大きかったか?」
「あ、いえ、急に呼ばれたのでビックリしただけです……」

 手招きで教室の外に呼び、俺は軽く事情を説明した。

「スマン、急ぎの用があるんだ。屋上、来てくれないか?」
「でも……お仕事は……」
「仕事じゃねぇ。個人的な話だ」
『ふふふ、少しは落ち着いて下さる?』

 唐突に無川が乾梨から飛び出てくる。口調が以前のエセお嬢様になっていた。無論、姿は中学生のまんまである。ハッキリ言って、似合わない。

「無川、その口調と姿の組み合わせ、違和感の権化だぞ」
『あぁ!? 言葉遣い汚ぇとか言ってたのテメェだろうが!』
「そういうとこだぞ」

 いつもの無川に戻ったところで、2人に説明をする。

「悪いな無川。まあそんな事はとにかく」
『そんな事ってなんだ、コラ』
「ここじゃ話し辛いんだよ」

 最初は何を言っているんだと言わんばかりの様子の2人だったが、どうやら俺の真剣さが伝わったらしい。2人は分かった、とだけ答え、俺についてきてくれた。

 屋上に出てから、誰かに盗み聞きされないように扉から離れる。床の真ん中辺りに来たところで、俺は二人の方を見た。

「話ってのは……俺、今訳あってそれが出来ねぇんだよ」
『はぁ?』

 無川の気の抜けた声が出るのは予想の範疇だ。俺はポケットから折り畳んだルーズリーフを取り出す。
 ここには正義に関する一件の事が書かれている。アイツの詰めが甘かったのか、俺は奴に関することを言うことは出来ないが、書くことは出来たのだ。

「訳の分からんこと言って悪い。だがこれを読んでくれ。多分、全部分かる」
「えっと……それ、手渡してくれないと読めないんですけど……」

 無川が宙に浮けるものだから、乾梨も高低差は関係無いと思い込んでしまっていた。慌てて、それを乾梨に差し出す。



 突如として、腹の中から変な感触がした。慌てて左手で抑えると、そこが丁度、正義から釘を打ち込まれた場所だということに気が付く。

 無意識の内に、俺は右手の中のルーズリーフをグシャグシャに丸めていた。
 2人は驚きを隠せていない。そして、乾梨が目を見開いてこちらを見る中、俺は気が付けば、その細い首に両手を伸ばしていた。困惑しつつ解こうとするが、離れない。手が開かない。乾梨の首の感触だけが伝わってくる。

「まさか……!」

 俺は、見た。
 屋上の入り口に背を預けて、奴が立っているのを。
 彼の左手首には、赤い六角の腕輪があった。

「ありがとうございます。友松先輩」

 彼はとびきりの爽やかな笑顔でこう言った。

「僕の筋書き通りに泳いでくれて」

 手の平で、乾梨が弱っていくのを、確かに感じた。


次話>>79   前話>>77

Re: ハートのJは挫けない ( No.79 )
日時: 2018/09/29 12:08
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「僕の筋書き通りに泳いでくれて」

 正義の声が、嫌な程耳に響いた。
 それとは対象的に、手の中の乾梨の首から発せられる声は聞こえない程になっている。だが、外したくても外せない。自分の意識から離れたそれが、勝手に彼女を絞め上げる。

「貴方がこの結論に辿り着くのは予想通り。そしてどんな行動に出るかも、ね」

 満足気な声音のまま、彼は言葉を続ける。

「僕が危惧していたのは無川刀子の観察力だ。彼女は何故かは分からないけど簡単に人の嘘を見抜く。そして嘘が嫌いだ。仮に僕が貴方に無川刀子を目立たない場所に連れ出すように命令しても、僕の操作ではどうしても実際の貴方とは少し離れてしまう」

 だから、と彼は右腕を見せる。彼の手首には、赤い腕輪が輝いていた。どう考えても、通常の製品などではない、ハートの力で作られたものだ。

「わざと命令に隙を作った。貴方が自ら、無川刀子をここに誘い込むように、ね」

 奴の名前を呼ぼうとした。怒りを込めて、名前を叫んでやりたかった。
 だが、俺の口は動かない。俺の視界も、最早俺の支配下には無い。俺に出来るのは、自らの意思で動かせない体の内側から傍観する事。ただそれだけだ。

「一応僕もここで待ってましたけど……必要ないみたいですね。いやぁ」

 正義は一層、笑って言った。
 清々しさの欠けらも無い笑いは、不気味な程に楽しそうだった。

「『貴方の意志』で無川刀子を殺してくれるなんて」

 この言葉の意味を、俺はすぐに理解した。
 奴は、乾梨と無川に、俺自身の意志で乾梨を殺そうとしている。そう思い込ませようとしているのだ。

「ああ」

 否定したかった。

「そうだ」

 だが、俺の口から出たのは、真逆の言葉。
 その直後の事だ。凄まじい衝撃が、俺の腕を体ごと吹っ飛ばした。当然、手のひらに掴んでいた乾梨の首も放していた。

「何やってんだこの馬鹿がぁ!」

 勝手に動く視界は、いつの間にか幽霊状態ではなく、具現化した状態で屋上の床に立っている無川を映し出していた。今の蹴りは、無川が現れて放ったものだったのだろう。
 いつもなら、俺はきっとありがとうだのと感謝の言葉を述べていたのだろう。

 だが、俺の体は立ち上がり、華奢な体に拳を突き出していた。

「クソ! 正気に戻れ共也ァ!」

 無川の手に黒い刀が生成される。彼女はその刀で俺の拳を受けると一旦跳躍して後ろに下がり、咳込む乾梨に手を貸して立ち上がらせる。

「おい『オレ』、ハートは使えるか?」
「……い、一応……でも……上手く使えるか……」
「十分だ。防御に専念してろ」

 無川が俺の方を向いて刀を構える。一方、乾梨もその手に刀を作り出していた。黒ではなく、白い刀を。

「へぇ。分身なんて出来たんですね。無川先輩」

 いつの間にかかなり近付いていた正義が、無川に言う。彼は無川達を挟んで俺の向かい側にいる。彼女は正義の方を向き俺に背後を見せつつ、怪訝な顔を向けて言葉を返した。

「誰だテメェ」
「ああ、すみません。でもこの目を見たら分かるんじゃないですか?」

 彼は一度右目を伏せた。数秒後、再び開く。
 それの色が、黒から赤へと変化した。その色は、無川の赤い目と同じような色をしている。

「……テメェ、あのクソ女の手下か」
「クソ女って言い方、止めてもらえます? まあいいでしょう。確かに、『彼女』の手下です」
「何しに来やがった」
「落ち着いて下さいよ。全く、貴方も友松先輩も、結論を急ぎたがるんですから」
「まどろっこしいんだよクソ赤目!」
「……はぁ。分かりました。説明します。説明しますから、その呼び方、少しは改善して下さいね?」

 正義はため息をついた後、言った。

「僕は貴女を連れて来るように言われたんですよ。『彼女』からね」
「断る」

 目の前では訳が分からない会話が繰り広げられている。だが、少なくとも正義の言う『彼女』とは、浮辺達が言っていた銀髪の女性を指すのではないかと感じた。他者にハートの力を発現させる、という謎の人物の事だ。
 つまり、正義のバックにはその人物がいる。俺の知らない、誰かが。

「……一応言っておきますが、眠っていた貴女を呼び覚ましたのは『彼女』ですし、貴女達の手に握っているその刀を与えたのも『彼女』なんですよ?」
「あぁ!? だからなんだってんだ! オレ達はテメェらの玩具じゃねぇんだ! テメェらに好き勝手改造された挙句に利用されてやる筋合いなんざ何処にだってねぇんだよ!」

 無川の声音は、怒りに満ちていた。例えその表情が分からずとも、確かにその声音には正義への明確な敵意が表れていた。
 正義はその言葉をゆっくりと噛み締めるように、ゆっくりと息を吐き出し、静かに言った。

「勘違いしているようですが」



「貴女方に拒否権なんて無いんですよ?」

 瞬間、正義の手に赤い杭が生成され、彼は無川に向かって踏み込んだ。その間合いは5メートル程度。武器が長い無川が有利ではあるが、彼女は乾梨の事もあってその場から迂闊に動くことは出来ないようだった。
 そして俺の体もまた、勝手に無川の方へと走り出していた。不味い。無川は前に意識が向かっていて、背後から迫る俺の存在に気がついてはいない。
 直後、正義が突き出した赤い杭が無川の刀と衝突して派手な音を撒き散らした。正義の右手が大きく後ろに弾き飛ばされるが、彼は笑っている。

「後ろ、ガラ空きですよ?」

 その声に、無川が咄嗟に振り返るが、もう遅い。俺の拳は、既に避けられない程に近づいているのだから。

「共也ッ……!」

 彼女の悲痛な呼び声は、白い刀で遮られた。

「……さ、させません……」

 乾梨がぎこちない動きで俺の拳の前に立ち、刀で受け止めた。だが手に伝わった衝撃は彼女の腕を痺れさせるには十分過ぎた。白い刀が音を立てて乾梨の手からこぼれ落ちる。

「しっかりしやがれこの馬鹿野郎が!」

 その間に無川が乾梨の後ろから、俺に向かって刀を投擲した。俺の体は咄嗟に横に転がってそれを回避。再び2人と間合いが開く。その間に彼女らは2人で正義と俺から離れるように、階段の方とは逆向きへ走った。

「あの立ち位置はマズイ。挟み撃ちじゃ勝ち目がねぇ」

 無川はそう言い聞かせながら乾梨の手を取って走る。フェンスが近くなったところで彼女らは止まり、2人は再び手に刀を作り出す。

「友松先輩、無川先輩をお願いします」
「ああ」

 正義は俺を無川にぶつけ、自分と乾梨の一対一を望んでいるようだ。正直、そうなってしまえば乾梨に勝ち目はない。
 そう考えている間にも、俺の体は勝手に動き、無川と相対した。小柄ながらも相当な威圧感と剣呑な目線を飛ばす無川。この光景はまるで数週間前と同じだ。

「……どうしちまったんだよ、共也……」
「…………」

 表情とは裏腹に、震える声で尋ねる無川に、俺は文字通り何も言えないし、何もしてやれない。ただ、心の中で謝ることしか出来ない。

「オレは……オレはお前を斬りたくないのに、なんで」
「うるさい」

 俺の口から出た端的な否定文に、無川は目を見開いた。動揺をあらわにした無川の致命的な隙を、俺の体は見逃しはしない。ハートの力で一気に距離を詰め、少し屈み膝を曲げた足の靴底を彼女の腹部に合わせる。

「──あ」

 腑抜けた無川の声と同時に、俺の足は無川の鳩尾を踏み抜いた。数メートル程度吹っ飛ばされた華奢な体が、フェンスに激突してガシャンと軽い音を立てる。

「どうでもいいんだよ。お前の言葉は」

 俺の口を縫い合わせてしまいたいと思った。
 今の言葉達が、攻撃以上に無川を傷付けている気がして。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.80 )
日時: 2018/10/19 20:48
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「どうでもいいんだよ。お前の言葉は」

 無川はその言葉に、一体何を思ったのだろう。その心を推し量ることは、俺には出来ない。
 ただ自分の無力さを感じる事しか、俺にはできないのだ。

「……共也…………」

 彼女はフェンスを掴んで、膝を震わせながら立ち上がる。俺を呼ぶ声は、今までで一番小さく、弱いものだった。

「……なんで……」

 信じられない。その目は異常な程に不安に満ちていた。強さなんてものは、何処にも見当たらない。その表情が、声音が、様子が、俺に衝撃を走らせる。
 どこかで思っていた。無川は強いから、きっと何をされようが大丈夫だろうと。

 だが目の前の少女はどうだ。たかが一言。たかが一撃。それでもう、立つのがやっとという程に傷付いているではないか。
 俺の考えは間違いだった。無川は強いように思えて、心の底では弱かったのだ。それを言葉遣いや行動に出さないだけで、とても繊細な『人間』だった。
 思い返せばそうだ。彼女は言葉や行動で周囲を排斥してきた。鋭いトゲ付きの硬い殻を被っていた。でもその中にいたのは、何処にでもいる、弱虫な少女だ。そんな彼女には、たった数個の言葉が致命傷なのだ。
 何故俺はそんな彼女を理解してやれなかった? ずっと近くにいながら。
 もしそれに気が付いていたなら、もっと別の結末があったかもしれない。
 再び、俺の体が再び動き出す。一気に無川に肉薄し、拳を突き出す。彼女は危なっかしいステップで避けつつ、俺に刀を振るう。明らかに、向こうの動きは悪くなっていた。
 しかし、それには力はこもっていない。速度の遅いそれは俺の右手に簡単に弾き飛ばされる。武器が無くなったところで、無川の鳩尾に拳が突き刺さる。

「ガッ──!」
「お前は弱い。弱いのに強いフリをしている」

 更に俺の体は容赦なく無川に追撃を加える。腹部に膝を打ち込み、更に身体中を殴打していく。悲痛な無川の小さな呻き声が、俺の精神だけを蝕む。止めろ。今すぐ止めろ。なのに、俺の体は止まってくれない。

「その結果がこのザマだ。見ろよ。ハートの力さえ使えなければ、お前はただの雑魚だ」

 その言葉を口から発していた頃には、無川への攻撃は終わっていた。俺に胸倉を掴まれ持ち上げられた無川は、抵抗の意を失っているようにも思えた。形だけは手を外そうとしているものの、力が全く篭っていない。

「結局、お前はなんにも変わっちゃいないんだな」

 俺の身体は無川をフェンスに目掛けて叩き付ける。そのまま体を押さえ付け、無川と目を合わせる。彼女の目には、いつもの強気な光が消えていた。代わりに、その目を暗いものが満たしている。

「……そんな」

 無川が何かを、絞り出すように呟いた。

「そんな、嘘、だろ。なぁ、共也」

 彼女の目の端から、水玉が湧き出た。それは次第に、ボロボロと彼女の頬を濡らす。

「嫌だ。共也、お前言ったじゃないか。信じろって。なのに、なんで」

 その目に、言葉に、彼女の様子に。俺は気が狂う程、自分の無力さを思い知った。俺は、俺はこんな少女一人すら満足に救えないのだ。

「俺が言ったことは、嘘だ」

 俺の体は、俺の思い通りに動かない。当然、俺が思った言葉を吐かない。

「違う! お前は、言ったじゃないか! あの時、オレを裏切らないって! そう言ったじゃないか!」

 無川の悲痛な破れた声が、彼女の喉から零れるように発せられる。涙混じりの声音は、既に彼女の心が折れている事を知らせていた。
 だが俺は、何も出来ない。
 その涙を拭ってやる事も、傍に立って支えてやることも。一つの言葉すら掛けてやれない。

「そうか。じゃあお前は、俺にも裏切られるんだな」

 無川の目が見開かれた。絶えず溢れ続ける涙は実体が無いのか、落ちても虚空に透けていく。気が付けば、無川が俺の手をすり抜けて床に落ちた。
 彼女の意思が折れ、具現化を保てなくなったのだろう。今の彼女を傷付ける術は、俺にはない。そう悟ったのか、俺の体は、無川から目を離し、もう一人を見詰める。

「……友松……さん……」
「次はお前だ。乾梨」

 彼女は、乾梨は間違いなく怯えていた。身体の震えや硬直具合から、如何に彼女が緊張していたかを察した。
 だがそれとは対照的に、彼女の目は死んではいなかった。無川よりも強気な目で、俺を睨み付ける。
 俺は意外だった。彼女が、そんな目をするなんて思っていなかったから。

「乾梨。俺はお前は話が分かると思っている。一緒に来い」
「……あ……」

 乾梨の手が、俺の手に掴まれた。彼女の震えが、直に伝わってくる。その細腕は、きっとなすがままにされていた事だろう。
 以前の、彼女なら。

 俺は勘違いしていた。無川だけではない。乾梨の事も。
 俺は乾梨を弱く、脆い人間だと思っていた。無川の後ろでいつも怯えている、そんな風な臆病な人間だと、そう思っていた。
 だから、

「……や、止めて下さい!」

 彼女が俺の手を払ったという事実に、俺は理解が追い付かなかった。
 その間、無川は正義に向かって言い放った。後ろ姿は、震えている。だが、彼女の背中は大きかった。

「……貴方に、言ったんですよ」
「なんの事です?」

 正義が若干不機嫌そうに返すと、乾梨はいつものような絞り出す声ではなく、堂々とした声音で言った。

「貴方が、友松さんにこんな酷いことをしているんだ。だから止めて下さい。じゃないと」

 彼女はその右手に、白い刀を作り出してそれを正義に向ける。

「私はもう、貴方の事が許せない」

 確信に満ちた台詞に動揺をあらわにした正義は、何を言っているんだとジェスチャー付きでこう返す。

「僕は何もやっていません。全て友松先輩の意思で」
「じゃあ……何故……貴方は動かないんですか」

 乾梨の上擦りつつある声音に、正義は苦しそうな顔をした。

「貴方は……動かなかったんじゃない。動けないんだ。人はラジコンを操りながら複雑な動きなんて出来ない。それと同じように、貴方は友松さんを動かしながら動くなんて出来なかったんです」
「……別に、僕がやる必要性を感じなかっただけですよ。それに、彼だって自分の言葉でちゃんと」
「……ふざけないで下さい!」

 静かな乾梨の怒りが、ハッキリと彼女の体から、声音から滲み出る。その姿を、俺は初めて見た。その形相を背後から見ることは出来ないが、きっと見たこともない顔をしているのだろう。

「友松さんは、貴方が思っているより何倍も優しいんだ。そんな彼が、表情変えずに人を、ましてや『私』を殴れる訳がないんですよ!」
「……裏切られたって、分からないんですか?」
「絶対に彼は裏切らない。だって、『私』がそう言ってたんです。『私』に嘘なんて……吐けるわけがない!」

 正義が、乾梨の頬を張った。彼は息を荒くしつつも、彼女の首元を掴んで睨み付ける。
 俺は意外だった。彼が、そんな取り乱した様子を見せるなんて、思いもしなかった。正義は常に落ち着いた様子で舐め回すように獲物を仕留める奴だと思っていた。
 だが目の前の彼はどうだ。痛い所を突かれて癇癪を起こした小さな子供のようではないか。

「イライラするんですよ……! 貴女みたいに、一途に人を信じている馬鹿を見ると……!」
「貴方みたいに、人形しか信じられない人よりは何倍もマシです……!」
「うるさい!」

 乾梨を突き飛ばして、彼はその手に赤い釘を作り出した。床に尻餅をついて立ち上がれない彼女に、正義が迫る。

「……まあいい。貴女さえ操れば、こちらが勝ったも同然だ……!」
「やっぱり、操作していたんですね」
「そんな事は関係無いんです。貴方はもう、終わりだ」

 そう言って、彼はその釘を振り下ろした。

「──ッ!」

 そして、乾いた音を立てて。

 彼の持っていた釘が砕け、彼の手は乾梨を空振った。

「…………あ?」

 飛んでくるようにして急接近し、その釘を粉砕した彼女は、正義の気の抜けた声に対し、全力で刀を振り抜いた。

「『オレ』に……手を出してんじゃねぇ! このクソ赤目野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その振りを、咄嗟に作り出した釘で受けた正義。だが姿勢の崩れた彼は、いとも簡単にフェンス際まで吹き飛ばされた。


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