複雑・ファジー小説

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ハートのJは挫けない
日時: 2022/05/11 05:32
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)

波坂といいます。閲覧ありがとうございます。今回は能力バトル系を書いていきます。色々と至らない部分もあろうかと思いますが、そこはどうぞ生暖かい目線で見守って頂けたらなと。

 一気読み用【>>1-100

 目次>>73

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 略称はハジケナイです。

Re: ハートのJは挫けない ( No.61 )
日時: 2018/07/08 11:07
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 瞬間、彼女の澄んだ目が、一瞬にしてその透明感を失った。

「……嫌、違う、違う」

 彼女は頭を抱え、誰へ向けてでもなく、下へ拒絶の言葉を吐き続ける。

「違う、違う、違う! 違う違う違う違う違う! 私は、私はムカワなんかじゃない! 違う! 違うの!」

 動揺しているのかと思ったが、どうやら少し違うらしい。この狂い方は、どこか浮辺君を思い出させる。
 まさかと思って、彼女の瞳を見ていると、僕の予想が的中し、その色が徐々に赤く染まっていく。

「嫌、嫌、止めて、来ないで。違うの。私は、私は人殺しなんかじゃない! 止めて、止めてよ! 嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁッ! 私は、私は──」

 カクン、と呆気なく彼女の首が俯いた。

「まさか……」

 脳内で、予想が組み上がっていく。

 そしてそれは、僕の期待を裏切り、予想は裏切らなかった。

 そして次の瞬間、彼女から独特の粘着質のある威圧感が放たれた。嫌な汗が、全身から吹き出るのを感じた。
 異様に身体中が蒸し暑い。なんだこれ。どうしてこんなに汗をかいているんだ。落ち着け僕。

「…………ふふ」
「……ッ!」

 声は乾梨さんのそれと全く同一だ。だが、確かに分かる。声音が、耳にへばりついた奴の声が、その微かな音と共鳴したのだ。

「……ふふふ、はははははは!」

 おかしくておかしくて堪らない。そう言わんばかりに、笑い飛ばし、頭に付けていたカチューシャを無理矢理毟りとった。これまで揃えられていた髪たちが、バラバラと宙で何回か旋回する。

「……さっきの貴方の回答……」

 急に変わったテンション。そして聞き覚えのあるアクセント。
 間違いない。

「80点、と言ったところですわぁ」

 彼女はそのまま、狂気を内包したにこやかな笑みのまま、こう続けた。

「ネズミさん?」

 やはり、間違いない。
 彼女は、乾梨透子は、ハート持ちだったのだ。しかも、ムカワという最悪のハート持ち。

「……80点、ってどういう事かな」

 少しでも長く生きるため、雑談で意識を逸らす。彼女もこちらの意図が分かっていて、敢えて便乗するかのように返答する。まるでそれすらも楽しんでいるかのように。

「ふふ、折角だから教えて差し上げますわ。満点は付けてあげられないとはいえ、貴方は初めて私の正体を暴いたんですもの」

 彼女は脚を組みながらそう言う。その動作一つ一つは艶やかさと色気のようなものがあり、先程までの乾梨さんの様子とは全く毛色の違うものだ。

わたくしの名前は、乾梨透子ではありませんの。それはわたしの名前であって、わたくしの名前ではありませんの」
「……何が言いたい」
「乾梨透子という人格と、わたくしは別人格、という事ですわ」

 つまり、二重人格という事か。なるほど、それなら普段の日常生活でボロが出ない訳だ。普段は弱気な乾梨透子という皮を被り、ここぞという時だけ人格を切り替えムカワになる。これが彼女の見つからない原因の一つでもあるのだろう。

「じゃあ、君は一体誰なの?」
わたくしわたしの心から生まれた別人格」

 彼女はメガネを外して、その赤い裸眼を妖しく赤く光らせる。

「無川刀子(むかわ/とうこ)と申しますわ。虚無に川に刀に子供。ふふ、これで私の名前を知る人は貴方と私、そして一人のネズミだけですわ」

 どこか芝居がかった動作でスカートの端をちょこんと持ち上げて挨拶をする彼女。
 その可愛らしさの裏側には、隠しきれないほど鋭い刀が見え隠れしていた。

「……ネズミって、八取さんの事か」
「分かりませんわぁ。だって、人の違いなんて声と背丈と性別だけですもの」

 そう言えば、乾梨さんは目が悪くてメガネが無ければ人の顔の判別すらつかないと言っていた。ムカワ──無川は、乾梨さんと同じ体だ。同じように、彼女も裸眼では視界が不安定なのだろう。

 彼女は、本来であれば見せることも無いであろう、煌めくような笑顔でこう言った。

「そして、わたくしの名前を教えたからには、貴方は生かして帰しませんわぁ」

 彼女が虚空で手を握るような動作をする。すると、その場に刀が現れた。

「う、動くなッ!」
「遅いですわよ」

 僕がナイフを飛ばすが、それは無川の刀によってバラバラに消された。そうこうしていると、首に手が伸ばされた。

「ッ!」
「ふふ、このままじっくり、ゆっくり絞め落として差し上げますわ」
「な、……なんだっ、て」

 そんなことされてたまるか。僕は右手にハートの力でナイフを生成。『放せ』と刻まれたナイフを突き立てようと、その手を振るった。

「大人しく、していて下さいねぇ?」

 直後、鳩尾に膝がめり込むのを感じた。口から変な声が漏れると共に、ナイフが手から溢れ落ちた。

「がはッ!」
「ネズミさんは、しっかりと殺して差し上げますわぁ。ふふ、ふふふ、ははは! 愉快ですわ! ああ、なんて素敵なんでしょう!」
「い、息がッ……!」

 ダメだ。ハートの力が使えるほど、意識がハッキリとしていない。手先の感覚が、無くなってきた。彼女の首の絞め方が上手いのか、意識が消えるか消えないかのスレスレをさ迷っている。ただただ苦しく、無念だ。

「ふふ、貴方の行動は無駄だった。だって心理に辿り着いた貴方は殺されてしまうんですもの。そして残るハート持ちはあの高身長のメスネズミと気に入らない大ネズミだけですわ」
「…………ッ!」
「おおっと、それどころではありませんのね。では少しだけ息を吸わせてあげますわ」

 瞬間、刀の柄で頬が殴られた。そのまま音楽教室の机が集まっている部分に放りだされ、それらに激突しつつも床に這いつくばる。
 足りなくなっていた酸素を肺の中に詰め込む。今はそれで必死だった。
 まさか、彼女が後ろから攻撃してきているなんて知らずに。

「ほら! 抵抗して下さいな! ネズミさん!」

 彼女の足裏が、僕の鳩尾に叩き付けるように下ろされた。直後、凄まじい激痛が脳内を駆け巡った。

「っがはぁッ!」
「どんな気分ですか! 何も出来ず! 床を這って! 無様に! 虫けらのように! 踏み付けられる! 気分は!」

 言葉を区切る度に、彼女が足を持ち上げ、僕の鳩尾を踏み付ける。それが何回も何回も続き、呼吸すら出来ない。僕が絶叫を上げると、彼女はその足を止めた。

「簡単には殺しませんわよ。存分に、痛ぶって差し上げますわ!」

 ああ、なんて嬉しそうな表情なんだろうか。
 でも、ちょっとだけ、何か違和感があった。
 彼女の笑顔の裏に、殺意の裏に。
 何か、何が覗いた気がした。

「ほら! 立ち上がって下さいまし!」

 胸倉を掴まれ、無理やり持ち上げられる。そして、再び体が投げられた。今度は硬く大きなものに体を打ち付けた。多分、ピアノだろう。再び、体が悲鳴を上げた。

「……ぐっ……はぁ、はぁ……」

 だが何とか立ち上がり、無川に相対する。彼女は再び手に刀を握り、愉悦に満ちた表情を浮かべている。

「ふふ、思えば本当に貴方は役立たずですわ。周囲から最も情報を与えられているにも関わらず、今の今まで気が付かなかった無能さ。誰よりも臆病な癖に、誰よりも偽善を行うその態度」

 彼女が言葉のナイフで、僕の心を切り刻んでくる。何も反論できない。僕は無能で、臆病で、偽善者だ。それはどうしようもない事実だからだ。

「心底、吐き気がしますわ」

 気が付けば、彼女が僕に刀を振るおうとしていた。多分、数秒後には僕の体は斬られているだろう。

「─────ごめん」

 最後に漏れた言葉は、謝罪だった。
 どこまでも負け犬な僕には、相応しい最後の言葉だった。

「ごめんな、観幸」

 そして、その刀が、一閃。

 直後、彼女の刀が空振った。
 そう、体を捉えずに、ギリギリで当たらなかったのだ。彼女がズラしたのではない。誰かが、僕の体を後ろに引っ張ったのだ。
 体に、何が巻きついているような感覚を覚えた。それを、視界をずらして確認する。

「……これは、どういう事だ? ネズミ」
「これは……鎖……?」

 鎖だった。僕の命を救った鋼鉄の命綱の出元を、目線で追う。
 すると、その先には彼女が居た。

「一つ、良い事を教えてあげましょう」

 ジャラジャラと背中から生えた鎖達が音を鳴らす。それらは一斉に飛び出し、無川の手足にグルグルと巻き付いていく。
 鎖の持ち主の彼女は、僕を鎖で引き寄せて、僕の首に腕を巻き付けてこう言った。
 心底愛おしそうな声で。

「私は今、貴女にとても怒っています」

 心底、憤ろしい声で。

「貫太君の事を、理不尽にバカにして、傷付けるなんて」

 彼女は、言う。

「私に殺されたいって、言ってるんですよね?」

 《心を縛る力》を持つハート持ちの彼女こと、愛泥隣さんは、異様な程に鋭い言葉を吐き出した。


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Re: ハートのJは挫けない ( No.62 )
日時: 2018/07/09 18:11
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: 69bzu.rx)

 きっとこの世で一番不要な人間なんだ。
 そう思い始めたのは、引き取られてからの事だろうか。私の苗字が、──から乾梨に変わった、丁度あの頃。
 今の両親は本当に良い人達だ。血の繋がりの無い私を、本当に大切に思ってくれている。

 だが、それでも時折思い出すのだ。昔の自分の両親のことを。血の繋がった、両親のことを。

 ああ、思えばどうしてあんな結末になってしまったのだろうか。あの時──が、私が、あんな事をしなければ、結末は変わっていただろうか?
 ──が、父親を斬り殺さなければ、運命は変わっていたのだろうか?

 勿論、そんな問いに、答えなんて返って来る筈が無かった。





「り、隣さん」

 気が付けば、名前を呼んでいた。突如として現れた彼女に、困惑を隠せない。どうして彼女がここに居るのか。

「貫太君が女子生徒と2人っきりなんて……とっても心配でしたから」

 そう言えば、彼女はあの時図書室にいた。盗み聞きをすることは決して不可能ではないだろう。

「……さて貴女、覚悟は出来ていますか?」

 その問いに、無川はニヤリとした笑みで答える。

「出来てるも何も、覚悟する必要などありませんわぁ」

 彼女が右手に持っていた刀を、右腕を縛る鎖に軽く当てた。すると一瞬にして鎖達がバラバラに分解され、彼女の四肢に纒わり付くそれらも次々と同じ道を辿っていく。

「だって! 貴女も私の餌でしか無いのですもの! アハハハハッ!」

 彼女が刀を構え、隣さんの元へと突撃を仕掛ける。槍のように突き出された刀が、隣さんへと向かう。

「気を付けて隣さん! 彼女の刀の刃は触れたものを何でも殺してしまうんだ!」
「あら、それなら大丈夫ですね」

 彼女は背中から天井に鎖を伸ばした。それは電灯に巻き付いた後に、無川に向かって伸び、彼女の刀を持つ手首を絡め取った。

「っ!?」

 無川の顔に、動揺が走った。まさか手首というピンポイントで縛られるとは思わなかったのか。隣さんがその鎖を引っ張ると、滑車のように無川の腕が上に持ち上げられた。刀はまだ握っているが、当然の如く減速。

「今です、貫太君」
「わ、分かった!」

 『動くな』と刻まれたナイフを生成し、投げ付ける。無川は持ち上げられた右手に気を取られ、こちらのナイフを防ぐ事をしなかった。
 僕のナイフは真っ直ぐに彼女の体を貫いた。
 いつもなら、彼女は動きたくないという漢書に囚われ、活動が困難になるだろう。

「──ハッ」

 だが、彼女が浮かべたのはネジの飛んだ笑いだった。
 嫌な予感が僕の頭に駆け巡った数秒後、彼女が何の苦もなく刀を器用に回転させ、鎖を破壊。そのまま僕のナイフも刀で消し去る。

「な、なんでだ! なんでそんな簡単に動けるんだ! 僕のハートは確かに君の心臓を刺したはずだ!」

 動揺に駆られるままに言葉を紡ぐ。裏返りそうになるのを必死に抑えるが、情けない声である事に変わりは無かった。
 不気味に笑う彼女は、答える。

「私は何にもしてませんわぁ。貴方のハートの力が弱過ぎるだけ。いえ……前より弱くなっていますわぁ。意志が篭ってませんわよ。貴方のハート」

 意志の強さ。それがハートの力の強さに直結する。つまり、僕の意志が、弱いという事だ。

「こんな意志で私に挑もうなんて……十年早いですわよ!」

 彼女の刀が、再び迫る。
 ああ、避けなきゃ。この速さならまだ避けられる。脳内を回転させているところに、こんなセリフが飛び込んでくる。

「テメー、足でまといだな」

 無川の冷えた言葉が、僕の心に突き刺さる。
 そしてそこから、あの言葉がフラッシュバックする。

『意志の無い人間が、あの殺人鬼に抵抗できるとは思えない。ハッキリ言おう。意志のない君が居ても、邪魔なだけだ』

 それは、僕の体を硬直させるには、十分過ぎる言葉だった。そして、刀が目前に迫る。

「危ない!」

 何かが、腰に巻き付いた。そして、後ろに引っ張られる感覚。そのまま減速するどころか加速し、無川の姿がどんどん遠くなっていく。

「あ──」

 スライド式の窓が開く音がした。そして、開かれた窓を通り抜け、そのまま外へと躍り出る。窓には鎖が這っており、これが窓を開けたんだなと理解した。
 それと同時に、自分が外に放り出され、これから落下する事もまた、容易に想像出来た。ここは三階。下手すれば地面までは15m程ある。落ちて無事では居られまい。

 だが、それでも、

「逃げて! 貫太君!」

 窓枠の向こうに居る彼女へ、手を伸ばさずには居られなかった。
 僕を外へと放り出した張本人の名を、呼ばずには居られなかった。

「……り……ん……さん?」

 そして、視界が一気に動き始める。
 どちらにせよ、大怪我はするだろう。だが、殺されるよりはマシと判断したのかもしれない。
 どうして、僕を外に放り出したのか。彼女が一人だけでも無川に勝てるなら、こんな事をする必要は無い。僕の心が殺された後に、アイツを倒せばいいのだから。
 だがそうしなかった。つまり、彼女は分かっているのだ。自分一人では、僕とでは、無川を倒す事は出来ないと。

「そん、な」

 また、失ってしまう。
 だが無情にも、僕には地面が迫っていた。
 そして、激突。
 思ったよりも柔らかい感触ののち、体が少しだけ浮く。それを何回か繰り返した後、僕は完全に停止した。
 体には、何一つ傷を負わずに。流石に違和感を覚え、目を開けて周囲を見回す。
 僕は蜘蛛の巣のように鎖が張り巡らされた場所に横たわっていた。それはまるでトランポリンのように、僕を何回かバウンドさせ、衝撃を軽減したのだ。そして、こんな鎖が生み出せるのは、一人しか居ない。

「隣、さん」

 彼女の名前を呼んだ瞬間、編み込まれた鎖が消滅。そのまま地べたに落下。背中を思いっ切り打ち付けるが、三階から直接ダイブするよりはかなりマシだろう。

「僕を気遣う余裕なんて、無かったのに」

 口の中に入った土を吐き出しながら、フラリと立ち上がる。音楽教室は防音設備に優れている為か、一切の音は流れてこない。つまり、彼女が今どうなっているかも、分からない。
 もしかしたら、今の鎖の消滅で、心が殺されたのかもしれない。

「……きょ共也君は……」

 自分ではどうにもならない。連絡しようと思い、ポケットを漁る。

「無い」

 制服の様々なポケットを漁り、探り、引っくり返す。だがそのどれにも、携帯電話は入っていない。

「音楽教室の荷物だ」

 そうだ。確か課題を入れる際に、話している途中に鳴っても困るなと、マナーモードにしてカバンに入れたのだ。まさか、こんな所で裏目に出るとは思わなかった。
 彼は今、武川小町を尾行している。
 行き先を知らない今、僕は彼を呼びに行く事も出来ない。

「ど、どうしよう……」

 ダメだ。違う。これじゃない。何回も脳内を間違いが飛び回り、思考をオーバーヒートさせていく。
 行動しよう。そうだ。立ち止まっていても意味が無い。共也君を探すんだ。きっと近くにいる。この周辺を探せば、見つかるかもしれない。見付からなくても、仕方ないんだ。でも、やらないよりは、マシなんだ。

 なんて考え、近くの壁をぶん殴った。

「ふざけんなよ僕!」

 自分の手から、嫌な音が聞こえた。だがそれでも、構わずに自らの手を壁に打ち付ける。

「お前は現実逃避がしたいだけだ! 責任から逃れたいだけだ! 無駄な行動をして、でも頑張ったんだって、自分を慰めたいだけじゃないか! 最低だ! 僕は最低なクズ野郎だ!」

 幾ら壁を殴っても、僕は強くなれないし、この事態は解決しない。どう転んでも、意味の無い行動。だが僕はただただ感情をぶつける何かが欲しかった。

「なんで! どうして! 僕には意志が無いんだ! 理由が無いんだ! 強さが無いんだ! なんで、なんで!」

 壁に向かって、頭突きをかます。当然痛め付けられるのは、僕の額。そのままズルズルと膝を付く僕。

「僕は、何にも出来ないんだよ」

 気が付けば、声が裏返っていた。
 鼻をすする、音がした。誰でもない、この僕から。

「何が出来るんだよ」

 視界がぼやけて、頬が濡れた。

「嫌だ。傷付くのは、もう嫌だ」

 このまま僕はこうしていたい。
 こんな風に、ずっと何もしないでここに居たい。逃げもしないし、抵抗もしないまま、殺されて消えてなくなりたい。

「理由なんて、無いんだよ」

 
 手から、何かが、零れ落ちた。


次話>>63   前話>>61

Re: ハートのJは挫けない ( No.63 )
日時: 2018/07/11 20:50
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「兄さん、貫太と連絡が付かねぇ」
「……思ったよりも、事態は深刻らしいな」

 三回目のコールも虚しく空振り、大人しく諦めて携帯電話をしまう。武川小町がムカワでないということは、他の場所にムカワがいるということ。そして、貫太と連絡が付かないということは、恐らくそういう事なのだろう。
 具体的に言えば、ムカワと貫太が相対している。最悪の事態も想定される。

「共也、目星はついているか?」
「全く。ただ、学校に戻った方がいいってのは分かる」
「……急ぐぞ」

 兄さんの声を聞いて、返事をしつつ彼の肩に手を乗せる。ハートの力で距離を省略しつつ、学校へと向かう俺達。

「……貫太、生きてろよ……!」





 僕な手から零れ落ちたもの。それは、1枚のメモ用紙だった。
 愛泥さんが昼休みに届けてくれたもの。これを落としていなければ、僕はもっと早く結論に達していたかもしれない。だがそれはもしもの話でしかなく、現実は現在進行形で最悪の方向へと向かっている。
 だが僕はこんな風に、額を壁に擦り付けて、涙を流し鼻をすすり、自分の無力を嘆くしかできない。

「もう嫌だ。どうして、どうして僕がこんなに傷付かなくちゃならないんだ。おかしいじゃないか」

 行動するのは、辛い。
 刃向かうことは、苦しい。
 何もしないのは、何も無い。
 マイナスかゼロかで問われたら、誰だってゼロを選ぶ筈だ。

「もういいんだ。これが一番、僕に、負け犬のこの僕にお似合いの結末なんだ」

 最後の最後には失敗をする。よくある事だ。気にするな。凡人の僕にしては、今まで上手くやってきた方じゃないか。そう考えて、自分を正当化するのが止められなかった。分かっていても、止めたくなかった。


『おかしいんじゃないのか』


 だけど。
 それでもまだ、耳に何かが響く。胸の中から、遠く遠く声がする。



『僕は何もやってない。悪い事なんて一つもやってない。なのに、なのに、理不尽に蹴られたり殴られたりして、友達を……傷付けられて……!』



 それは、僕の言葉だった。
 僕の過去からの、記憶の節々から蘇った声だった。
 止めてくれ。
 こんなその場の勢いで口にした下らない感情達を、僕に聞かせないでくれ。もう僕を、休ませてくれ。



『出来ないなんか知らない。力があるとか無いとか関係無い』
『そうだ。僕はこのままじゃ殺される。だから僕は超えるんだ』
『自分だ! 僕はこれから、自分自身を! 最も弱いこの僕を! 今ここで乗り越える!』



 なぁ僕、お前はまだ、この僕に戦えって、最後の一欠片を振り絞るって言うのかい?
 そんな有りもしない一欠片を、絞り尽くせって言うのかい?
 それがどれだけ残酷な事か、分かっているのかい?
 お前は僕に、何の為に動けっていうんだい?



『友達だから』



 夜の風でメモ用紙が飛ばされて、僕の視界をふわりと舞った。





「ふふ、自分を犠牲に逃がしたようですが……賢い選択とは言えませんわぁ」
「……ッ!」

 ああ、彼は無事でいられただろうか。幾ら咄嗟にとは言え、窓から外へと投げてしまうのは悪かったとは思っている。でも、彼には傷付いて欲しく無かった。

「あのネズミ、携帯電話も置いて行っていますのに……これではお仲間ネズミを呼びに行く事も出来ないでしょうに……ふふ、貴女に勝ち目はありませんわぁ」
「……別に、いいんですよ。私はここで、貴女に殺されようと」

 今、私は教室の隅に追い込まれている。私のハート《心を縛る力》は、向こうのトランポリンを編むのに鎖を使い過ぎて限界を超えたのか、今では上手く出すことが出来ない。
 一方向こうはニヤニヤとした顔でこちらを見ている。それこそ、ネズミを追い込んだ猫のように。

「だって、彼が生きていれば貴女は倒されるから、……といったところでしょうか。ふふ、健気ですわぁ。嗚呼、昂ってしまいます」
「……ええ、そうですよ。どちらにしろ、貴女が倒される事に変わりはない」

 内心を読まれた事は焦ったが、それでも事実は変わらない。彼が逃げて、後日にでもいい。あの友松共也に伝えてくれれば、きっと事態は終わりを迎える筈だ。
 だが、向こうは笑みを絶やさない。寧ろもっと濁った笑いを浮かべる始末だ。

「それは困りましたわねぇ……ふふっ」

 心底嬉しそうに笑った後に、彼女は言う。

「ではぁ、貴女にそれを防いでもらいますわぁ」
「……何ですって?」

 その時、鎖が数本程度だが、生み出せる事が感覚的に分かった。だがそれでも数本。本来私の力は数で押すものだ。迂闊に使うことは出来ない。仕方なく、相手の話を引き延ばそうと相槌を打つ。

「私のハート、《心を殺す力》は切り裂いた人間の心を仮死状態にし、意識不明にする力ですわ。そして、発動のタイミングは自由。切り裂いている最中は勿論の事、切り裂いた後に間を置いてから殺すことも出来ますわぁ」
「……何が言いたいんですか」
「つまりぃ、私はあのチビネズミにこう言うのですわぁ。『他の人間に喋ったら、このメスネズミを殺す』と」

 なんて悪質な人間だ。心の底からそう思った。私を人質にして、貫太君を口止めする気だ。それだけではない。きっと、彼女は貫太君を殺した後に、私も殺すのだろう。

「……最低ですね」
「ええ、でも気分は最高ですわよ」
「貫太君が私を人質にした程度で止まると思ってるの?」
「ええ思いますわぁ。あのチビネズミに、人を踏み台にする度胸なんてあるはずがありませんもの。ふふっ、それは貴女が一番良く分かっているでしょうに」
「……どうして、そう思うんですか」
「だって、あのチビネズミを外に飛ばしたのは、アレがビビって此処に戻って来ないという確信があるからでしょう?」

 ここまで内心を見抜かれているとは、思わなかった。

「……確かにそうよ。彼がここに、戻って来るはずがないもの」
「だったら気兼ねなく殺せますわね。安心してくださいまし。チビネズミが黙っている限り、メスネズミさんには何も異常はありませんわぁ」
「さっさとして下さいよ」
「あらあら、被虐癖でもあるのでしょうか。意外とそちら側でして?」
「……しないんですか?」
「はぁ、冗談の通じない方ですわぁ。もっと私は、楽しんで殺しをしたいというのに」

 彼女が、右手に持った刀を真上に掲げる。そしてゆっくりとこちらに歩み寄る。
 自然と息が上がるのを感じる。落ち着け。まずはあの刀をどうにかするんだ。アレを弾いて、その後もう一本で足を縛る。
 そうやって足止めしてる間に、貫太君の携帯電話で連絡を取る。多分友松共也の電話番号くらい、入っている筈だ。そこから相手が再始動する前に、場所と名前くらいは言えるはずだ。

「では失礼しますわ」
「そんなのお断りです」

 刀を振り下ろそうとした瞬間に、鎖を飛ばして手首を叩く。そしてそのまま刀の刃に鎖を巻き付けて、こちらに引っ張る。すんなりと刀が彼女の手からすっぽ抜けた。

「なッ!」
「油断しましたね!」

 更に近くの机と彼女の足を鎖で結ぶ。動けなくなった瞬間、左に移動し貫太君の荷物へ向かう。バックの比較的浅い部分に置かれていた携帯電話を取り出して、驚く。

「これ……私のと違う」

 私のものと機種が違ったのだ。いや、機種というか、形状そのものだろうか。私は液晶端末型のものを使用しているが、貫太君のそれは一世代前のもの、ガラパゴス携帯だった。何となく開いてみるが、使用方法こそ訳が分からない。
 それでも戸惑いつつ、なんとか電話帳へと漕ぎ着ける。そして、友松共也の名前を見つけた。

「はいそこまで」

 瞬間、手首が握られて手の甲に強い衝撃が加えられた。刀の柄で殴られたと悟るのに、十秒ほど要した。その間に、私は足を刈られて転ばされる。その時手から零れ落ちた貫太君の携帯電話が、ドアの方へと蹴飛ばされた。

「ったく、大人しくしときゃいいのによぉ。めんどくせぇ奴」
「な、なんで……」
「オレの刀は弾き飛ばそうがテメーの鎖なんかと同じで何個でも出せるんだよ。射出は出来ねぇがな」
「そんな……」
「大体、テメーがなんか企んでたことなんざお見通しなんだよ」
「……ポーカーフェイスには自信があったんですけどね」
「ああ? テメーの顔なんざ分からねぇよ。オレに分かるのはテメーの息する音。流石に呼吸のペース上げ過ぎ。嫌でもわかる」

 そう言えば、彼女はメガネをかけていない。視覚が不明瞭な分、他の感覚が鋭いのだろうか。何れにせよ、私の作戦は失敗した。

「……ま、どうでもいいか。テメーが人質として使えれば……なッ!」
「ぐうッ!」

 鳩尾に、靴がめり込んだ。唐突な衝撃に、体の中の空気を外に吐き出す。

「まあオレの精神衛生上の都合で嬲らせて貰うけどな!」
「……貴女……」
「最高だそのカオ。その綺麗な顔面が涙と屈辱でぐちゃぐちゃになるって考えると堪らねぇなぁ!」
「……ッ!」

 今度は左手を踏み付けられた。すり潰すかのように足をグリグリと動かす度に、床と骨が擦れて激痛が走る。だがそれでも顔だけは崩さないように表情筋に力を込める。せめてもの、抵抗だった。

「……へぇ。やるなお前。さっきの鎖の力といい、あのチビネズミとは比べもんにならねぇ強い意志がある。ほんとにあんなゴミを庇っちまって馬鹿らしい」

 ゴミとは、誰の事だろうか。聞き間違いでなければ、恐らく貫太君の事だろう。

「次言ったら殺す」

 気が付けば、抑える前に、敬語を付ける前に、言葉が飛び出していた。恐らく、理由もなく彼を罵倒するのが、許せなかったのだろう。

「…………ハッ、そうかよ」

 一瞬だけ怖じ気付いたような表情を見せたのも束の間、彼女は刀を構える。

「まあ、人質になりゃいいか」

 そして、私に刀を振り下ろした。
 迫る刀が、スローモーションに見える。アレを防がなくては、貫太君は殺されてしまう。だが、背中が床に密着している状態の今、私は鎖を放つ事が出来ない。幾ら意志があろうと、鎖は床が壊せない。

「ごめんなさい」

 だからせめて、こう言う。目を瞑って、彼の姿を思い浮かべながら。

「ごめんなさい貫太君。私は、貴方を守れなかった」

 彼に謝る。今の私に出来ることは、それだけだった。



「それは違う」


 ふと、その言葉が、一本のナイフと共に飛んできた。耳を刺す声。ドアの方から響く、その声。
 目を開くと、刀が私の目前で停止していた。そして彼女は、必死の形相で刀を動かそうとしているが、それはその場でカタカタと震えるだけだ。

「どうして」



「どうして、貴方が、此処に居るの」


 口にせずには、居られなかった。
 だって、彼はここにはいないはずだ。恐れて、怖じ気付いて、此処に戻って来ないはずだった。だから落とした。逃げてくれるように、そう仕向けた。私は彼の事を、信じていた。

 だが、彼は裏切った。



「テ、テメーは……!」

 彼女がそう叫んで、ハッとした。横に転がって、刀の軌道から逃れる。少し距離を置いて、ムカワを挟んで反対側にいる彼の姿を、改めて見る。

 酷く涙を流したのだろう。目元を真っ赤に泣き腫らしている。目も少し赤い。というかまだ、若干涙を目に浮かべている。瞬きをしきりに繰り返す彼は、何とも格好が付かない。
 その手は何故か赤く腫れていて、右手を左手で抑えていた。何があったのだろうか。何れにせよ、格好良いとはとても言えない。
 ガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうな、その貧弱な足は、見ているこちらが情けなくなりそうな程に弱々しい。
 ああ。なんて無様で、惨めで、弱々しくて、情けなくて、格好悪いのだろうか。

「隣さんから離れろ! その子に手を出したら、ただじゃおかない! 僕は君に本気で怒るからな!」

 所々、鼻をすするせいで変な声音になったり、裏返ったり、涙でしゃがれていたりする、不安定で綺麗さも欠けらも無いそのセリフ。中学生だって、もう少し気の利いた事を言えるだろう。
 本当に、ヒーローとはとても言えない。穴だらけの欠陥だらけ。

 だけど。

 私は、そんな彼が。

 無様でも、惨めでも、弱々しくても、情けなくても、格好悪くても、それでも尚、勇気を振り絞って、必死になって立ち上がる。
 そんな彼が、大好きだ。


「貫太君……!」


 世界一格好悪くて、世界一格好良い彼の名前を、私は気が付けば、呼んでいた。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.64 )
日時: 2018/07/13 06:21
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

 ギギギと整備の行き届いていない工業器具のように、ぎこちない動作で体を動かす無川。その刀の刃が、僕の放ったナイフに当たる。瞬く間に塵と化すナイフ。

「……どういう事だ」
「な、何がだよ」
「何故戻って来やがった。テメーがここに居ても、足でまといなんだよ」

 その言葉でさえ、今の僕にはズシンと重く心に響く。足が崩れそうになるが、必死になって立ち続ける。倒れるな僕。ここで倒れたら、お前は本当に最低だ。

「状況判断能力まで狂っちまったか? テメーは俺に殺される。このメスネズミも殺される。それに何の変わりもねぇ」

 何一つとして、間違いでは無い。

「テメー見てぇな、ゴミクズが来た所で状況は何も変わりやしねぇ。単にメスネズミとテメーの寿命が縮まっただけ」

 何一つだって、的を外していない。

「テメー見てぇな理由もなく偽善を振りかざす奴なんざのハート、痛くも痒くもねぇんだよ。負け犬野郎」

 だが、この言葉だけは、どうしても見過ごせなかった。

「違う」
「……あ?」

 睨まれただけで、膝を付きそうな程の寒気が背中に走った。それでも、身体中に力を込めて、意地でも足裏を床から離さない。

「確かに僕は負け犬だよ。チビで、ビビりで、人の頼みを断るのが怖くて、どうしようもないくらい、弱い。そんなことは百も承知だ」

 僕が負け犬なんて知ってる。僕が弱いなんて知ってる。何回再確認させられたと思っているんだ。

「今だって、怖くて怖くて堪らない。足だって震えてる。逃げ出したいって、傷付きたくないって、そう思ってるんだ」

 

「でも、それ以上に、逃げ出したくない理由がある。傷付いて欲しくない人がいる」

 
 僕には、理由がある。
 共也君や見也さん、無川等などとは、比べものにならないくらいに、幼稚でチンケな理由だ。きっと、誰もが失笑するだろう。
 なら、笑えばいい。
 僕の理由を聞いて、笑いたいだけ笑えばいいさ。僕には生憎こんな理由しかない。
 だけど、絶対にこの理由は曲げない。例え世界中の人から笑われたって、晒ものになったって、この理由だけは曲げられない。

 吐き出せ。その理由を。



「君は、誰かの大切な人を傷付けた」

 彼女は、八取さんを、心音さんを傷付けた。

「君は、僕の友達を傷付けた」

 彼女は、浮辺君を、観幸を傷付けた。

「そして今、君は」

 一瞬だけ躊躇ったが、構うなと勢いのままに言い切る。

「僕の、大切な人を傷付けようとしている」

 愛泥さんの顔が、驚きに染まった。
 今は生憎、それを気にしている時じゃない。無川の顔を見つめて、言葉を続ける。


「僕は、それを見過ごせるほど、大人じゃないんだよ……!」

 おい神様。もし僕のこの声が聞こえているなら、一つだけ頼み事を聞いてくれ。
 どんな結果でもいい。例え僕が死んだって構わない。

「だから、僕は君を勝たせる訳にはいかないんだ! 何としてでも! 友人の為に! 大切な人の為に! 今ここで! 君を倒さなくちゃあならないんだ! 例えこの身を投げ出しても! 守りたい人が、守らなきゃあならない人が! 今確かにここにいるんだ!」

 どうかこの僕に、この殺人鬼から彼女を救わせてくれ。守らせてくれ。負け犬に、たった一つのおこぼれを勝ち取る為の、ほんの僅かな力をおくれ。



「……そうかよ」

 無川は短くそう行ってから、僕の方に跳躍。刀を上に構え、縦に切り裂くつもりだ。

「じゃあテメーは、何も守れないまま死ぬんだなぁ!」

 その刀を、僕は防げない。僕のハートでは、直接ぶつけ合わせたって、相殺はできない。
 だから、無川本体にハートを放つ。

「止まれ」

 その言葉を乗せたナイフが、空を走った。それは彼女の心臓を射抜く。
 瞬間、だった。彼女が、ピタリと停止した。

「なっ……!」
「……一つだけ、いい事を教えてあげるよ。無川刀子」

 僕は停止したまま動かない彼女に接近し、そのガラ空きの腹部に、全力を振り絞って拳を打ち込んだ。

「ぐあッ!」
「今の僕と、さっきの僕が同じ『僕』だとは思わない方がいい」

 僕の拳は弱い。それこそ、共也君の拳には遠く及ばない。ましてや相手は無川だ。あの心音さんの作った巨大な土人形の攻撃でさえ、何発も耐えた人間だ。一撃で倒せるなんて思っていない。

「君がどうして殺しをしてるかなんて、僕は知らない! だけど君は僕の大切な人たちに手を出した!」
「テ、メェ……!」
「許さないからな! 僕は絶対に許さない! 例え君が謝っても、もう遅いんだ!」

 何度も何度も、鳩尾を殴る。その度に無川の顔がどんどん憎悪で染まっていく。

「図に……乗るんじゃあねぇ! チビネズミ如きがぁ!」

 彼女が叫んだ瞬間、弾かれるようにして僕のナイフが抜けた。そして、殴ることに必死だった僕の顔面に、彼女の鋭い右ストレート。顔面に直撃し、僕を数メートル吹き飛ばす。浮遊感の後に強い衝撃が背中を襲った。
 なんて意志が強いんだ。心に刺さったナイフを、心だけで弾き飛ばすなんて。
 
「か、貫太君!」
「だい……丈夫だから……! 君は……来ちゃダメだ……!」

 壁まで吹っ飛ばされた僕。丁度愛泥さんがいる近くだった。僕には駆け寄り座り込んだ彼女。こんな情けない姿は見せられないと、意地を張って立ち、彼女の前に、無川から彼女が見えないようにする。

「……なんだ、そのハートの強制力はよぉ! テメーのハート、効力が段違いじゃねぇか! 前よりも遥かに強ぇじゃねぇか! 今まで手抜きだったのかよクソネズミがぁ!」
「違う! これは僕の意志の変化だ! 僕の決意の証だ! 僕を怒らせた君を、何としてでもぶっ倒してやるっていう決意のね! 例え君は泣いたって、僕は君を殴るのを止めない!」
「オレが泣くだぁ!? 寝言は寝て言いやがれクソネズミがぁ! そのムカつく喉元から掻っ切ってやるよぉ!」

 無川の刀が、再び迫る。当然のように、僕もナイフを飛ばした。

「甘ぇんだよクソが!」

 ナイフが刀で切り飛ばされる。粒子と化したそれを傍目に、僕は目を瞑る。
 思い浮かべる数は、十本。

「これならどうだぁ!」

 僕が無川に向かって指さすと、その腕を取り巻くかのようにしてナイフが十本出現した。それぞれに『止まれ』と刻まれている。
 そして、ガトリングのようにナイフが射出。それらは一つ一つにほんの僅かな時間差を付けて無川に飛んでいく。

「ハッ! 同じ手が二度も通用するかよ!」

 無川が飛んでくるナイフに向かって手をかざす。一瞬の後に、無川の手の周りに何本も刀が出現した。それら自体は動くことは無いが、ナイフが何本もそれらによって弾かれる。だが、隙間を通り抜けるナイフもある。
 しかし、数の減ったそれらでは無川に容易に弾かれてしまう。

「なら……もっとだ!」

 出し惜しみするな。ありったけの数を用意する。その数、二十。先程の二倍だ。これなら無川に一つくらい当たってもおかしくない。今の僕のハートなら、ナイフ一つさえ刺してしまえば、動きを止められる。

「いっけぇぇぇぇぇ!」

 僕の叫びと共に、一斉放射。

「効かねぇなぁぁぁぁぁ! 三下野郎がぁぁぁぁぁ!」

 だが無川も黙って受ける訳では無い。彼女は更に左手にも刀を召喚。二刀流だ。刀の壁を抜けたナイフ達を、一つ残らず正確に殺していく。

「……くっ!」
「それで終いかぁ!? クソネズミにしちゃあ上出来だったぜ!」
「……まだ、まだぁ!」

 脳を焼き切れ。限界を越せ。ここで無茶しなくていつ無茶をする。視界が少しだけ白く霞むが、それでもハートの力を使うのを止めない

「ぐぅっ……!」

 頭がパンクしそうな程に痛い。今にも蒸気が飛び出しそうな程に、熱い。

「ぐぅぅぅぅぅ……ぁぁぁぁああああああああ!」
「貫太君! しっかりして下さい!」

 真っ白な視界の中に、彼女言葉だけが響く。焼き切れそうな感覚の中に、彼女の手の感触を覚える。
 その行動は、僕が歯を食いしばって堪えるには十分過ぎる力を持っていた。僕が無茶を重ねる度に、また一つ、また一つとナイフが現れていく。

「あああああああああああ! これが僕の! 全力だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 何本かは分からない。たた間違いなく先程よりも多い数のナイフが無川目掛けて飛んでいく。

「この……ネズミ野郎がああぁぁぁぁ! こんなチンケなモンでオレが倒せると思ってんのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 視界が、段々と戻ってくる。目前では、次々と発射される僕のナイフが、次々と無川に弾かれていく。
 こちらはもうナイフを作り出すなんてできない。だが、向こうも疲れが見えてくる。ここでナイフを防げなければ無川の負け。ナイフを防ぎ切れば、無川の勝ちだ。

「しまった──」

 遂に疲れが見え始めた無川が、一本のナイフを弾くつもりが、空振った。そのまま、心臓に突き刺さるそれ。

「あぁぁぁぁぁぁっ! 何故動かねぇオレの体ぁ! こんな奴のハート如きで! こんな奴の意志如きで!」
「ああそうだ! 君はこんな奴の、チビネズミのハートに負けるんだよ!」

 停止した彼女に向かって、走り出す。その距離は5mと無い。あと数秒すれば僕は彼女に到達するだろう。

「ふざけんじゃぁぁぁぁねぇぇぇぇぇぇぇ! クソネズミぃぃぃぃぃ!」

 だが彼女はそれでも体を動かそうとするのを止めない。僕のハートは感情に働き掛ける。人は理性で考えて感情で動く生き物だ。だが、彼女の理性は、狂気に染められたそれは、感情すら超えそうな勢いだった。

「もう解除はさせない!」

 彼女が手に生成した刀を蹴り飛ばす。吹っ飛んでいくそれを傍目に、無川の顔面に一撃。クリーンヒットするが、彼女はそこから自分の意思で動くことが出来ないままでいる。

「謝るなら今のうちだ! 今なら僕はまだ! 君を許せるんだ! 君を殴るこの手を! 止めることが出来るんだ!」

 何回も何回も、無川の顔面を殴りながら言う。本当はこんなことをやりたくない。拳を当てる度に、胸の中がズキズキと痛む。それは数を重ねる毎に、痛みを増していく。人を殴ることがこんなにも辛い事なんて、知らなかった。

「お願いだ! 僕はこんなことを望んじゃない! 今ならまだ、僕は君を許しはしないけど、君を助ける事は出来るんだ!」

 数回ほど拳を打ち込み、もう一撃放とうとした時だった。

「……テメェ……! ふざけんな……! このクソネズミ野郎が……! テメェは、オレの最後の矜持まで踏み躙る気か……! 許さねぇ……! 殺す! テメェだけは必ずぶっ殺す! 殺してやらぁ!」

 その迫真のセリフたちに、思わず気圧された。殺すという単語が出る度に、手に汗が滲む。

「この……! クソがぁぁぁぁぁ! さっきから変な感情撒き散らしてんじゃあねぇぇぇぇぇ!」

 無川の絶叫と共に、彼女の上に刀が何本も出現。それらは全て無川の肩やら腕やらに突き刺さる。

「なっ……!」

 唐突な自傷行為に驚く事しかできない僕。自爆か? などと思っていると、その光景に驚かされた。
 彼女の体がフラリと傾く。無川の目は閉じられていた。

「まさか自分を殺したのか!? で、でもなんの意味が……!」

 すると、彼女の心臓に刺さっていたナイフが、まるで拠り所を無くしたかのように抜けて消えた。
 驚きに囚われていた一瞬。完全に油断していた。そして、それを逃すほど無川は甘くなかった。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 その突き出された刀は、僕がナイフを作って飛ばすよりも一瞬早く、僕の体を突き刺した。



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Re: ハートのJは挫けない ( No.65 )
日時: 2018/07/14 09:22
名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)

「乾梨さ……なん、で」

 自分の肩に突き刺さる刀を呆然と見つめながら、そう呟く。血は出ていないし痛くもないが、ただ冷たいという感覚だけがそこから広がる。

「オレは無川だ。……テメェのハートは心に言葉を突き刺すハート。だろ?」
「なぜそれを……!」
「んなもん何回か食らったら分かるだろうがよ」

 僕はこの時、やっと理解した。この無川刀子という敵は、力は勿論のこと、恐れるだけの価値はあるほどの洞察力も有しているのだと。それこそ、数回ハートを受ければ簡単に看破してしまうような。
 冷たい言葉と共に、鳩尾に靴底が食いこんだ。圧迫された腹から空気が飛び出す。力が刀にどんどん吸われていくような感覚を覚え、遂に膝を付いて倒れた。僕の体は、もう動きそうにない。もしかして、僕の体の力を殺したのだろうか。
 でも、どうして僕の心を殺さないんだ? それだけが疑問だ。さっさと殺せばいいのに。

「貫太君! しっかりして下さい! 貫太君!」

 僕の視界の隅に映るのは、僕の大切な人の泣いた顔。なんてらしくないんだろう。そんな表情、全然似合ってない。だけど、彼女がこっちに近付かないように、必死になって、こっちに来るなとジェスチャーをする。

「次はテメーだよ、メスネズミ」

 無川が隣さんに刀を向けるが、彼女は無川の方を一切見ない。ずっと、僕だけを見ている。ダメだ。君まで殺されてしまう。
 今は彼女に逃げて欲しかった。だけど、彼女がここで逃げない事も、既に僕は理解していた。

「逃……げて……隣さん……」
「貴方を置いて、逃げるなんてできないに決まってるでしょう! まだ分からないんですか!」

 分かっていても、そう言わずにはいられなかったんだよ。
 彼女はこうなったらどこまでも頑固だ。多分、僕の言葉程度ではそこから動きもしないだろう。

「まあそこで見てろよ。テメーの目の前で今に殺してやっからなぁ」

 無川がそう言って、刀をゆっくりと上に掲げる。
 無川は、僕に隣さんを殺すところを見せたいらしい。それ自体は、彼女の趣味のようなものだ。だが、僕をこうやって倒す必要が何処にある? 僕なんて放っておいて、彼女を殺せばよかったじゃないか。
 つまり、彼女は僕を止めておきたかった?
 僕が動かれては、困る理由があった?
 ではそれは、なんだ?

「……はは。そっか。そういう事なんだ」

 思考がスッキリした事による安心感から、つい独り言を口走ってしまう。

「……あ?」

 それに無川が釣られ、僕の方向を向いてくれたので、むしろ好都合だった。

「無川刀子。君は」

 そういう事なんだ。彼女が僕をわざわざ動けなくした理由。それは単純明快なものだった。
 僕は彼女に言う。きっと、彼女が抱いている感情の事を。

「僕が、怖いんでしょ?」

 瞬間、彼女の笑みが軽く引き攣ったのがハッキリと分かった。

「君は僕のハートに動揺してた。力が強くなったからかは知らないけど、君は僕のハートを受けて思ったんだ。恐ろしいって」
「違ぇ」
「受けたくないって、あんな恐ろしいものを使う奴が居たら安心できないって」
「違ぇっつってんだろ!」

 彼女が声を荒らげるが、僕は構わずに続ける。この言葉、絶対に最後まで言ってやるんだ。

「いいや違わないね! 君は怖かったんだよ! 僕みたいなチビネズミのハートが! たかがこの位のちっぽけな理由しか持ってない奴の意志が! 僕の決意に、君は精神的に負けたんだ!」
「……テメェ……!」

 無川がこちらに接近し、腹部に何度も何度も靴底がめり込ませる。苦しい。息ができない。死にそうだ。
 だけど、最後の維持で、捨て台詞だけは吐かせてもらう。歯を食いしばって、腹部の痛みを我慢して、腹の底から声を出す。

「いいか……もう一度言ってやる……! お前のその耳が節穴じゃないと思って……もう一度だけ言ってやるぞ……!」

 無川が心の底からの怒りを爆発させそうな表情で、僕の事を睨み付ける。だから僕は、その顔に吐きつけてやった。負け犬の遠吠えを。


「お前はこんなチビネズミが怖いんだ! お前が嘲る相手に心で負けたんだ! お前の意志は僕のワガママに負ける程度のものなんだ! 僕より何倍も強い共也君に!お前なんか勝てるわけ無いんだ! 彼に倒されたお前が三途の川にやって来るのをあの世で楽しみにしておいてやるよ!」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙りやがれクソチビネズミ野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 彼女の刀が、何度も何度も僕を切り付ける。具現化されていないそれは、僕の心に冷たさを刻みつける。それが触れる度に、体温が奪われる感覚がする。
 僕を彼女が切り付け始めて少しした所で、彼女が息を切らして刀を振るうのを止めた。少しの汗が、顎の先から零れ落ちた。

 そして、彼女のハートの力が発動したのだろうか。意識が朦朧とし始め、視界が徐々に虫食いになっていく。自分の意識が、どんどん遠のいていく。

「……無川刀子。君は一つ、間違えたんだ」
「……はぁ…………はぁ…………」

 息を切らしながら、僕を怒りの熱線で射抜く彼女。

「……僕は……君との小競り合いに勝ちたかった訳じゃあない……限りなく引き伸ばしたかっただけだ」
「……はぁ……はぁ…………なんだと……?」
「……勘違いしている……何も……僕は最初から勝ちたかった訳じゃあない」

 僕は、ポケットに隠していたものを、最後の力を振り絞って、隣さんの方に投げ出した。

「これは……!」

 無川が驚いたように、隣さんが恐る恐る持ち上げたそれを見る。
 それは、僕の携帯電話だ。
 通話中になっている、僕の携帯電話だ。

「……君は僕に勝とうとした。……そして君は僕を負かせた。……だけど……僕も元からそのつもりだったんだよ」

 それは既に、僕が音楽教室に入って、足元に転がっていた携帯電話を拾った瞬間から始まっている。今もまだ、続いている。

「……彼には君との約束も伝えてある。話場所の、スポットなんて、限られてる……君の名前さえ出せば……ここが容易に特定できる」

 視界が完全に真っ暗になった。まだ耳が聞こえるうちに、僕は最後に言い残す。

「……いいか……僕は……喜んで負け犬になる……!」

 最後の力を振り絞って、必死になって言ってやる。負け犬なりの、最後のプライドを見せてやる。

「君は僕との小競り合いに勝てばいいさ! そして! 彼との勝負に負けるんだよ!」

 僕は最後に、きっと彼が居る方を向きながら言った。

「後は頼むよ……共……や……く……」


 そして、全ての感覚が消えた。



「確かに受け取ったぜ。貫太」


 その一言を、最後に。


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