複雑・ファジー小説
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- ハートのJは挫けない
- 日時: 2022/05/11 05:32
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)
波坂といいます。閲覧ありがとうございます。今回は能力バトル系を書いていきます。色々と至らない部分もあろうかと思いますが、そこはどうぞ生暖かい目線で見守って頂けたらなと。
一気読み用【>>1-100】
目次>>73
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略称はハジケナイです。
- Re: ハートのJは挫けない ( No.71 )
- 日時: 2018/07/30 22:44
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
乾梨の心から出ると、既に乾梨の暴走は止まっていた。目を覚まして、今は傷口の手当をしている。愛泥は相変わらずそこに倒れているが、兄さんが適切な処置を施してくれたようだ。
「『私』……何処へ行ったの?」
彼女がポツリと呟く。
無川が、彼女の心の中から消えたのだ。行方は不明。兄さん曰く、暴走が止まるのと同時に、一人の無川に似た小さな少女が現れ、何処かへ逃げたと言っていた。彼は追い掛けるべきか悩んだが、愛泥の処置を優先したらしい。
「……なんか、心当たりねぇのか、乾梨」
「……分からないです。ただ、近くにいる事だけは……学校の中にいる事は分かります。感じるんです」
「分かった」
俺はその言葉を聞いて、駆け出す。音楽教室から飛び出ると、真っ先にすぐ横の二年生教室の周辺を探した。
「無川……」
俺はあいつの事を誤解していた。確かに、あいつは他人からそう誤解されるように演技をしていた。俺が勘違いをしたのも当たり前のことかもしれない。
あいつが人を殺してきたのは事実だ。それは消しようもない、消えるはずもない罪だ。
だけど、彼女は誰一人として殺してはいない。彼女のハートさえ解除すれば、皆は仮死状態から解かれる。彼女が頑なに人を刺す時、必ず具現化を解いていたのは、この為だったのだ。
探し回って十分程度の事だろうか。廊下を走っていると、ふと、向こう側の屋上のフェンスに、誰かが寄りかかっているのが見えた。
長い焦げ茶色の髪が、風に揺られて浮いている。その後ろ姿は、間違えようがなかった。
「居た……!」
全速力で渡り廊下を突っ走り、向こう側の後者へと移動。階段を二段飛ばしで駆け上がる。
最上階に付いたところで、階段の辺りは真っ暗になる。それでも感覚だけを頼りに進み、屋上の扉に手を掛けた。ガチャリ、と音を立てて開くそれ。
そこに広がるのは、夜の世界。そして、一人の少女の姿。
「……無川」
その少女の名前を呼ぶ。彼女は俺を認識すると、俯いて目を逸らした。
彼女に少しずつ歩み寄って、気が付く。彼女の立つ場所に。こちら側ではなく、フェンスの向こう側──一歩間違えば、三階建ての校舎から転落してしまうような、そんな場所に。
「お、おい! なんて所に立ってんだよ!」
「……共也、か」
「危ねぇって。さ、こっちに戻って来い」
俺が手を伸ばすが、彼女はそれを振り払った。冷たく、あしらうように。
「来るな、共也」
「な、なんでだよ」
彼女の冷たい表情と声に、驚きを隠せない。
その赤い瞳の光は、炯々と輝いている。まるで、彼女の抑え込んでいる内心を、代弁しているように。
彼女の顔をずっと見つめていると、ほんの一瞬だけ、その向こう側の景色が見えた。透けたのだ。半透明になっているのだ。
「な……?」
「オレは今、実体がない。正確には、ハートの具現化によって現れた武器やらと同じようなもんだ。確かに見えるし触れるが、本当にそこにあるものじゃない」
彼女はあくまで魂の一部。だがそれでもこうやって単独で具現化できているのは、一重に彼女の意志の強さ故だろう。
「共也、オレは今、自分が恐ろしいんだ」
「恐ろしい……?」
彼女の声は、震えていた。
「オレは今、共也の事を殺したくてたまらない。この身体が、お前の事を切り裂きたいって叫ぶんだ。それを抑えるのに必死で、これでも今、話せているのが奇跡なんだ」
「……お前は今、自分を抑えてるじゃねぇか。お前はやっぱり、自分に勝てるんだよ。変われるんだ。今からでも遅く無い。戻ってくれよ、無川」
「ダメなんだ。今戻ったら、間違いなくお前を殺してしまう。オレの事を信じてくれた共也を、オレは殺したくないんだ」
「だからって……! だからって、お前が死ぬなんて間違ってる! 違うだろ! もっと別の何か、別の方法が、別の結末があるはずなんだ! 誰かが死んでハッピーエンドなんてのは有り得ねぇんだ! お前だって、お前だけ救われないなんて、そんなのあんまりじゃねぇか!」
俺の嘆きに、彼女は何を思ったのだろうか。泣きながら、俺に微笑みかけた。やめろ。そんな、そんな満足したような表情をしないでくれ。
「……ホント、共也は良い奴だよな。オレは、オレは沢山のテメェの友人を傷付けて、関係の無い人間ばかりを殺して、それでも、お前はオレを、最後までそんな風に見てくれる。オレの事を、信じてくれる」
彼女はゆっくりと、俺に背を向けて、下を見た。
「だからこそ、だ。そんなお前の為だから、オレは死ねる。死ぬ勇気を、持つことが出来る」
「違う。それは違う。そんなの勇気じゃない、勇気であっちゃダメなんだ! 怖がれよ、恐れろよ。お前は今、確かに死に近付いているんだ! 死ぬのが怖いっていう感覚を強く持つんだ!」
「怖いよ。ああ怖いな、共也。死ぬって、こんなに怖くて恐ろしくて、手先が震えて血が冷めていくような、こんな感覚になるんだな。分かるよ。今なら、殺してきた人間たちが、最後にあんな恐怖の表情を浮かべていた理由も、ハッキリと」
彼女の、フェンスを握る手がガタガタと震えている。腕も足も、同じように恐怖を叫んでいる。だけど、それから彼女は目を逸らさない。
「お前はそうなっちゃいけない。簡単な話だろ。こっちに戻って来ればいい。オレの手を握ってくれればいい。後は二人で何とかしよう。お前一人だけ悩ませるなんて、しない」
「ああ。それは簡単だ。死の恐怖はそれで避けられる。でも、そしたらオレは、別の恐怖に襲われる。お前を殺してしまうかもしれない。そんな、オレにとって死よりも恐ろしい恐怖が、そこには、居るんだ」
「俺はお前に殺されない。絶対にだ。意地でもお前を止める。そこには恐怖なんてものはない。自分を信じろ。お前なら、きっとそれを抑え込める」
彼女が、再び振り返る。
その目は、更にいっそう、赤い光を増していた。
「お前がそうやって、オレに優しい言葉をかける度に、オレの中の殺意が勢いを増していくんだ。オレはもう、抑えられない」
「オレと共也は違う。共也は良い奴だ。だから、そんな共也はオレみたいな無価値な奴の為に犠牲になっちゃ、いけないんだ」
「違う! お前は無価値なんかじゃない! お前は今確かに、ここに居るじゃあねぇか!」
「そう、だから今から居なくなるんだ」
彼女は、そう言って、遂に、フェンスから手を離した。
そして、そのまま彼女の身体が、向こう側に傾く。
「じゃあな」
その言葉を言って、彼女は視界の外へと消えた。
気が付けば俺は、何かを叫びながら、フェンスの上を飛び越え、そのうちの一つの棒を掴んだ。
「待てぇぇぇぇぇぇぇ!」
下の方で、無川が驚いたような顔を浮かべていた。俺は無川の所まで空間を繋げる。そして空間の境目に手を突っ込み、遠くの彼女の手を掴む。そして、力を入れて引っ張り上げる。すると、何も無い空間から、無川がテレポートしたかのように、すぐ側に現れた。
「はぁ、はぁ、はぁ……危なかった……ぐッ……!」
無川こそ助けられたものの、状況は絶体絶命だ。今俺は、フェンスの一つの棒に捕まり、そのまま宙にぶら下がっている状態だ。そして、反対の手には無川がいる。
かなりキツイ。無川は通常よりもかなり軽いのだろうが、それでも結構な負荷になる。それほど長く、その状況を保てるとは思わなかった。
冷や汗が吹き出すせいか、棒が手汗によって湿ってくる。少しだけ、滑り始めたそれ。僅かだが、俺の寿命が縮む。
「ぐッ……!」
「……離せよ」
「嫌だ! やっと掴んだお前の手だ、離すわけにはいかない! 例えお前が拒もうとな!」
無川の言葉は、俺に呆れ返ったような口調だった。構わない。俺は決めたのだから。一度救うと。
「共也、テメェだけなら、まだ助かる。だからお前は生きるんだ」
「断る!」
「……何故、テメェはオレに固執する? テメェがそこまで、オレを救おうとする訳が分からねぇ」
彼女はそう叫ぶ。なぜなぜなぜと、俺に理由を尋ねる。
「捨てられねぇんだ」
俺は言う。彼女の求める答えを。
「一度捨てられた人間だからこそ、一度救われた人間だからこそ、お前を捨てられない。捨てられた側の人間だから、他人を捨てられない。その辛さを、知っているから」
俺は一度捨てられた。ばあちゃんが居なければ、俺は今でも地獄のような日々をさ迷っていたかもしれない。だから、まだ救われていない無川を、俺は見捨てることが出来ない。
「共也……」
「だから……! 俺はお前を見捨てなんかしない! 無川、頼む、お願いだ!」
無川の目を真っ直ぐ見て、伝える。
「俺を信じろ」
無川の目に、再び涙が浮かぶ。やるせない表情や悲しみの表情と共に。
「……信じられない。全部、ぜんぶ、しんじ、られないんだよ……オレは……」
「お前が他の誰も、お前自身すら信じられないって言うなら、俺を信じろ。お前を変えてやる。だから、俺を信じてくれ」
俺の言葉に、無川が泣き崩れた。見たことも無い泣き顔に、それが変わる。全然似合わない。お前は、もっとふてぶてしく笑うべきだ。
「……きょう、やぁ……オレ、は……」
その時、俺の手が滑った。
「──しまった!」
俺の体が、重力に引きずられるのを感じた。だが咄嗟にハートの力でフェンスと自分の手の前の空間を接続。自分の手だけがフェンスを掴み、肘から先が消えた俺と無川が何故か空中に浮いているという、なんとも不思議な光景が出来上がる。
不味い。また滑る。クソ、手汗が止まらない。なんで、なんだってこんな時に。
「おれを……見捨てて……お願い……」
「うるせぇよ! そんな願いは聞かない! 俺を信じろっつったろ! 俺は絶対見捨てないし、絶対に救ってみせる!」
だが状況が不味いのは変わりない。また手が外れたら、今度こそ俺は死ぬ。なぜなら、感じるからだ。自分のハートの限界を。
学校に来るまでの数回のテレポート。戦闘での使用。乾梨との心の接続。それらの負担が、今ここで来ている。あと数分したら、今の空間の接続も切れ、俺のハートは使用出来なくなる。
もう、ダメなのか。
俺は、救えないのか。また、あんな事を、繰り返すのか。頭に過ぎるのは、ただひたすらの無念と後悔。
ちくしょう。そう思いながら、俺はゆっくりと、瞼を下ろす。諦めて、しまいそうになった。
「共也君! 諦めちゃダメだ!」
その、親友の声が、耳に届くまでは。
咄嗟に上を見上げる。すると、そこに居たのは、頼もしい男だった。
「……貫太……! お前……」
「君が今ここで諦めてどうする! 君は、無川を救いたいんじゃあ無いのか! それなのに、君が諦めてどうするのさ!」
彼が、その手にナイフを出現させた。そして、俺のフェンスを掴む右手に突き刺す。刻まれた言葉は『離すな』。
瞬間、フェンスと無川を握る手が、ガッチリと固定された気がした。これで、滑って転落なんてお粗末な自体は避けられる。
「……ああ! その通りだ! 俺が諦めてちゃあダメだよなぁ! 貫太ぁ!」
俺がそう返すと、返事をするかのように、上から鎖が垂れてくる。それは俺と無川を絡め取り、上へと少しずつだが引き上げる。そのハートは、一度見たら忘れられない。
「愛泥か!」
「貴方には一度助けられましたから。これで貸し借りは、無しですよ」
「……へっ、連れねぇ奴だ」
だがありがたい。鎖の補助を受けつつ、少しずつ、少しずつ上昇する。
「共也、無川を寄越せ」
兄さんがそういうので、無川を握る手を少し持ち上げた。すると、兄さんの手が伸ばされ、無川が上へと簡単に引っ張り上げられる。
俺もその後、貫太と愛泥のお陰で何とか戻ることが出来た。足場に少し感動を覚える。
「良かった……本当に……」
安堵の息を漏らすのは、乾梨だ。きっと彼女も、責任感で押し潰されそうだったのだろう。
皆無事だ。きっと他の人達も目を覚まし始めている。俺達は、皆を救ったんだ。
だけど、まだ一人、救えていない人間がいる。
俺は、その一人と向き合う。
「皆、離れていてくれないか。これは、俺と無川の問題だ」
皆は大人しく俺の言う事を聞いて、数歩下がる。そして、俺と無川だけが、その場に残った。
「……無川」
「……きょう、や、ごめん。オレは……オレは……」
ギラギラと光りを放つ瞳を見れば、彼女が限界であることが良くわかった。きっと、今も抑えるのに必死で仕方ないはずだ。
「お前なら、変われる。お前が信じた俺が言うんだ。間違いない」
「オレ……は……!」
彼女が、その手に刀を持つ。どす黒い色の刀を、上に構え、俺に近付く。
「共也君!」
「共也!」
後ろから兄さんと貫太の声が聞こえた。だが俺は振り返らず、無川の目だけを見て、言う。
「大丈夫だ。無川は、俺を切ったりしない」
その言葉を発した瞬間、無川の口が、開いた。
「ああああああああああああああああああああ! 共也を殺したくなんか、ねぇんだぁぁぁぁぁぁぁ!」
そして彼女は、その刀で、自分の左腕を切り飛ばした。思わず驚くが、彼女は止まらない。
「黙れ! オレの心も体もオレのもの! オレに指図するんじゃあねぇ! 殺人なんかもう嫌だ! 殺しなんかもう嫌だ! オレの、オレの体から出てい来やがれぇぇぇぇぇ!」
そして、彼女は右腕だけで、自分の右肩に刀を突き刺した。すると、その手がブランと垂れ下がる。
空に風が走る。彼女の長い髪が一際大きく揺れたと同時に、その身体が倒れた。
「無川!」
慌てて駆け寄ると、彼女はこちらを見て、苦しさも混じった清々しい笑顔を浮かべた。
「オレ、やったよ。自分に、勝ったんだ。オレ、変われたのかな」
「ああ、お前は変われた。変われたんだ」
「……そっか。共也が言うなら、信じられる」
彼女がそう言った途端、身体が透けて行く。ハッキリと、屋上の床が見え始めた。
「……なんだよ、これ?」
「オレは魂だけ……こんなに傷付いたら……消えちまうんだよ……」
「なんで、そんな、嘘だろ?」
「ホントだよ……嘘なんか……つかねぇ……」
「嫌だ。待てよ。無川。お前は、やっと変われた。これからじゃないか。言ったじゃないか。友達になろうって、なぁ」
「……ごめん」
「謝るんじゃあねぇ! 謝ったりなんかするんじゃあねぇよ! 無川ぁ!」
彼女の身体を抱き起こそうとしても、俺の手は彼女の身体をすり抜ける。もう、触る事さえ出来ない。
「……ちくしょう、俺は、俺はぁ!」
俺が床を一際強く殴る。だが、じんわりと痛みが伝わるだけで、何も変化しない。広がるのは、途方もない無力感。
「あの、友松さん」
そんな中、俺に声をかけた奴がいる。乾梨だ。彼女はこちらに駆け寄って、無川のすぐ近くに座った。
「……なんだよ、乾梨」
「私から、提案があるんです。もしかしたら」
彼女は言った。
「『私』を、助けられるかもしれない」
「……なんだと!?」
「保障はないんです。でも、もうこれしかない」
彼女は言う。無川の消失は魂のエネルギーの様なもの不足が原因であると。つまり、誰かがそのエネルギーとやらを提供すればいい。
「だから、私と無川の心を繋げて下さい。切れないように、完全に」
「……それは……」
確かに、そうすれば無川は救われるかもしれない。だが、心を完全に繋げるなんて、出来るのか。
俺のハートで、俺の力だけで、出来るものなのか。
「違う。やるんだ」
そうだ。出来るとか出来ないとかの話ではない。やるのだ。やり遂げるのだ。
「無川、乾梨、俺は必ず繋げる。だから、二人はお互いを受け入れてくれ」
二人の手を握って、無川の場合は手を握るように触れて、俺は言う。
「無川、乾梨はお前の行動を否定したんじゃない。お前に自分の罪を着せてしまったのを悔いていただけなんだ」
「…………『オレ』……」
「……『私』、ごめん。でも、もう一度だけ、もう一度だけ私にチャンスを頂戴。必ず、私はあなたを受け止める。受け止めてみせるから」
乾梨の言葉に、無川は笑ってこう言った。
「ああ、オレも受け入れるよ。『オレ』の事を、な」
二人の言葉を聞いて、俺はハートの力を使う。無川の消えかけた心と、乾梨の心を、いつものように自分と他人を繋げる要領で、繋ぐ。それが終われば、後は、二人の心次第だ。そして、無事に接続が完了する。
直後、俺の視界が、一瞬だけ歪んだ。
「……やべ……限界……」
先程まで、ハートの力の使い過ぎで限界であったことを忘れていた。そんな状態でこんな風にハートを使えば、どうなるかはもうお察しの通りだ。
俺の視界が、倒れた。正確には、俺の体が倒れたのだろう。不思議な感覚と共に、俺は意識を失った。
その直前、無川の身体が、乾梨の心臓辺りに入っていくのが見えた。
「ありがとう。友松さん」
『ありがとな。共也』
そして最後の最後で、二人の声が、聞こえた気がした。
次話>>72 前話>>70
- Re: ハートのJは挫けない ( No.72 )
- 日時: 2022/05/11 05:29
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)
事件から、一週間が経った。
僕らはあの日の事が嘘だったように、平凡な日々を送っている。こんな風に、非日常は日常に呑まれ、その姿を少しずつ薄め、忘れた頃にやってくるのだろう。
あれから僕には、特に変化というものは訪れなかった。相変わらず僕は弱虫で、人の頼みを断れない。所詮はあの空気の熱に当てられただけなのだろう。
しかし僕の周囲は変わった。例えば共也君。彼は昼休みになると時々屋上に向かうようになった。観幸曰く乾梨さんと話しているらしい。共也君に尋ねると、彼は監視役になったそうだ。
詳しい事情は話せないらしいが、共也君の家はハート持ち云々の管理を請け負っているらしい。本来なら処罰が与えられる乾梨さんが放置されているのは、共也君や見也さんの交渉の結果らしく、共也君が乾梨さんの監視役になったからだそうだ。共也君曰く「責任くらい最後まで取るさ」との事だ。
乾梨さん、と言えば、事件から数日後に、僕に謝ってきた。と、言うか僕だけでない。少なくとも、無川さんの被害者全員の所に行っていた。
僕の時はすぐ近くに幼くなった無川さんもいた。乾梨さんが言うには、無川さんはあの日から乾梨さんのハートの一部となったらしい。乾梨さんが出そうと思えば出せるらしい。無川さんの意思で勝手に出入りできるらしいが。
そんなこんなで、彼女はもう一人の自分と向き合い始めたようだ。まだまだ分からないことや色々と苦労もあるらしいが、それでも前のような根暗な印象は受けなかった。彼女もまた、変わることが出来たのだろうか。
浮辺君はあの事件の後、すぐに目を覚ましたらしい。気が付いたらベッドの上で困惑したと言っていた。
その後雪原先輩と一悶着あったらしいが、まあそれも、何だかんだで丸く収まったそうだ。ただ気になるのは、浮辺君の雪原先輩への呼び方がユキ先輩に変わっている事だ。まあ気にするほどのことでもないのだろうが。
彼もまた、あの事件を折に少しだけ雰囲気が変わった気がする。自分という存在に、少しだけ自信がついたとか言っていた気がする。彼が自身を認められるようになるのは良い事だ。きっといつか、彼も本物の自分を見つけるのだろう。
八取さんも無事に目覚めたらしい。目覚めた瞬間に妹はどうしたと暴れたらしいが、あの人の妹愛には驚かされるばかりだ。
彼はようやく自分の平穏を取り戻したのだろう。とても満足そうな表情を浮かべていた。ただ心残りは、自分の手で解決出来なかったこと。それから僕達に貸しが出来たと言っていた。結構義理堅い人なのかもしれない。
観幸は……かなり落ち込んでいた。曰く「貫太クンや共也クンに事件を解決されてしまったのデス……ぐぬぬぬぬ」とかなんとか。正直こちらとしてはかなり心配だったため、そのセリフを聞いた瞬間に気苦労を返せと殴りたくなった。
彼の遺してくれた証拠のおかげで解決があった。そう言えるくらいに、彼は事件に貢献した。まあそれを伝えても、彼はこう言うんだろう。「解決したのはキミデスよ。それ以外、必要な事実があるのデスか?」なんて。
彼の変わったところと言えば、ルーペだろうか。バッキバキにガラスの割れたルーペは流石に使えないとのことで新調したらしい。ピカピカのルーペをドヤ顔で翳してきた彼はこう言った。
「フフ、ルーペはいいのデスが財布が軽いのデス」
多分目からこぼれるアレは悲しみと嬉しさの混ざった涙だったのだろう。後者に埋め尽くされている気もしなくはなかったが。
屋上で一人、空を眺めながら考え事をしていると、携帯電話から着信音が響いた。取り出して中を見ると、一通のメールが届いていた。差出人不明。誰だよ。
『元気かしら。チビ。
私は元気よ。体調も随分良くなったわ。だけど青海が安静にしてろってうるさいの。どうにかして欲しいわ。
まあそれは冗談として、お疲れ様。本当は会って話したいのだけれど、生憎私は出れそうにない。石頭にも困ったものね。
事件の内容は兄さんから聞いたわ。頑張ったわね。あんなのに正面から立ち向かうなんて、前のアンタからは想像もできないわ。
きっとアンタはいいハート持ちになれる。きっと、私や共也、もしかしたら、兄さんも超えられるかもね。
心音』
心音さんか。そう言えば、彼女は今もあの施設でベットに囚われているらしい。青海さんが離してくれないとか。
メールの内容に、ちょっとだけ照れつつも嬉しく感じた。もしかしたら、自分もちょっとだけ変われたのかもしれない。なんて思いつつも、最後の一文だけは信じられないでいる。
「……僕が……超える……?」
そんな訳ない。これは流石にお世辞だろうな。そう考えて、ポケットに携帯電話をしまう。その瞬間、屋上の扉が開いた。そして、彼女が姿を現す。
「こんにちは。貫太君」
「……隣さん」
隣さんは僕のすぐ横に座る。密着するほどすぐ側にだ。当然、身体が触れ合う。
「ねぇ、隣さん」
「何ですか?」
「肩、当たってるよ」
「わざとです」
あんまり嬉しそうに言うから、何も言わないことにした。そんな表情、卑怯だ。でも彼女の笑顔を見ると、そんな感情も消えてしまった。
そのまま彼女は首を傾けて、僕の肩に頭を乗せた。彼女の髪から、シャンプーの匂いが漂ってくる。こんなシーン、知らない人に見られたらどうする気だろう。
「貫太君。私の事……好きですか?」
何回目の質問だろうか。最近、彼女はこうやって二人きりの時に、いつもこんな風に聞いてくるようになった。僕が嫌いと答えても、彼女は嬉しそうに微笑むだけ。
それがなんだか、ちょっとだけ僕の心にチクリと刺さる。自分の心に嘘をついているから。それとも、単純にからかわれている気がするからか。
何はともあれ、この時僕は、彼女を驚かせたかったのだろう。だから、言った。自分の本音を、ありのままに。
「好きだよ」
彼女は微笑みそうになって、瞬間、バッと立ち上がり、こちらに驚きの視線を向けた。そんな、急に現れたゴキブリを見るような目で見ないで欲しい。悲しくなるじゃないか。
「か、かか貫太君!?」
なんでこんなに驚いているのか。向こうから聞いてくるくせに、どうしてこんな反応をするのか。向こうは、僕が好きだという可能性を考慮していなかったのだろうか。
「もしかしてさ、隣さんって予想外とかに弱い?」
「な、なにを、言って……」
彼女は口をモゴモゴさせて黙ってしまう。いつものクールな隣さんの印象から掛け離れていて、少しだけ新鮮だ。
「と、とにかく! 私は生徒会があるので!」
「あ、ちょっと待っ」
僕が呼び止める前に、彼女は屋上から出ていってしまった。
「……どうして、ハートの力を使わなかったんだろ」
今の僕なら防げるけど、彼女は好意を伝えてきた相手を操る力がある。なのに、彼女は今、それを使わなかった。
「……まあ、別に問題無いよね……?」
つまり、僕が彼女のハートの力を恐れる必要はもう無いと言う事だ。
彼女にも何かしら、心境の変化が訪れているのだろう。ちょうど、僕の隣さんに対する意識の変化のように。
「……いつか、本当に伝えたいな」
僕にはまだまだ足りてない。力とか、勇気とか、意志とか、理由とか。自分を誇るには、僕はあまりに足りなさ過ぎる。
だけど、僕がいつか、本当に変われて、いつか彼女に自信を持って、好意を伝えられたら。
結果はどうであれ、多分それは、良い事なのだろう。
「……頑張らなきゃ」
こんな僕も、一つだけ変わることが出来た。そうやって、自信を持って言うことが出来るものがある。
それは、頑張る理由が出来たことだ。とても単純な理由だけど、僕にはこれくらいチープな方が、お似合いだろう。そう思って、僕は屋上を後にした。
《スレイハート(終)》>>42-72
次話>>74 前話>>71
- Re: ハートのJは挫けない ( No.73 )
- 日時: 2022/05/11 06:13
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: ZTqYxzs4)
目次
一気読み用【>>1-100】 最新話>>74
第一章『それは、心を動かすもの』
0,ブレイクハート
【>>1-4】 >>1 >>2 >>3 >>4
1,スティールハート
【>>5-7 >>10-15】 >>5 >>6 >>7 >>10 >>11 >>12 >>13 >>14 >>15
2,バインドハート
【>>16-24】 >>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>23 >>24
3,トリックハート
【>>25-28 >>31-38】 >>25 >>26 >>27 >>28 >>31 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36 >>37 >>38
4,スレイハート
【>>42-72】 >>42 >>43 >>44 >>45 >>46 >>47 >>48 >>49 >>50 >>51 >>52 >>53 >>54 >>55 >>56 >>57 >>58 >>59 >>60 >>61 >>62 >>63 >>64 >>65 >>66 >>67 >>68 >>69 >>70 >>71 >>72
5.ジャスティスハート
【>>74-85】>>74 >>75 >>76 >>77 >>78 >>79 >>80 >>81 >>82 >>83 >>84 >>85
オザーハート No.1【>>41】
- Re: ハートのJは挫けない ( No.74 )
- 日時: 2018/07/29 21:09
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
朧気な映像が、俺の視界を埋め尽くしている。その中には俺の姿もあって、ホームビデオを観ているような感覚だ。
見たくなんか、無いのに。
『お前は友松家の人間ではない』
ああ、この声。懐かしい。
そして胸が痛くて、苦しくて、切なくて、冷たくて、潰れそうになる。
『何故お前は力が無い? お前の兄も姉も、お前の歳では既に芽生えていたのだぞ』
無力だった。ひたすらに、どうしようもなく、残酷なまでに。
『それでも私と同じ血を引いているのか』
信じられないだろう。俺も今でも信じられない。こんな奴と血が繋がっているなんか。
『お前は、要らない存在だ』
止めろ。その言葉を今すぐ取り消せ。
なんて向こう側に叫んでも、その男に伝わるわけもない。記憶が変わるわけでもない。
『無力なお前は、何もしなくていい。何もしない事が、お前の役だ』
その言葉を最後に、映像が揺れ動く。ノイズが画面を真っ黒に染め上げ、数十秒後、全く違う場所が映し出される。
そこにも、俺は映っていた。
『共也、お前は悪くないんだよ』
その声だけが、やたらと大きく響く。それは俺の記憶に根強く残っているせいか、他の声がどうでもよかったのか。どちらにせよ、聞こえる音は一種類だけ。
『共也、意志のある人になりなさい』
ああ、そういえばこんな声だった。長い間見ていなかったから忘れかけていたが、思いの他人の記憶力とは凄まじいものだ。
『いいかい、この力は、人を救う為に使うんだよ』
そうだ。この日からだ。
俺が、人を救いたいと思うようになったのは。
○
「……またか……」
目が覚めた。時刻は早朝。服は汗でかなり濡れていた。嫌な夢を見たことが気のせいではないことが、はっきり分かる。
いつもより少し早い時間だが気にする程でもない。起き上がって朝の支度を始める。
昔の事を夢に見るのは、珍しくもない。時々、こんな事があるのだ。頻繁にではないし、周期があるわけでもない。
ただ、俺が幸せを感じている時。確かに幸福を感じている時に、それは訪れる気がする。
「……見たいわけじゃねぇのによ…………」
ただ、最近は頻繁にこの夢を見る。もちろん思い当たる節もある。
「……あの時、引っ張り出しちまったからな」
無川の一件で、俺は過去の一部を引きずり出さざるを得なかった。あの時は、生半可な想像や作り話で話にならないと考え、ブラックボックスの中身を引き出した。
あの時、俺の中の何かが。悪い夢を抑えていた何かが抜けたのかもしれない。
それから暫くして、いつのように滝水公園の入口で貫太を待っていた。少し早過ぎたかなと画面を確認すると、貫太が来るまでにあと十数分ほど余裕があった。
何もすることが無い。取り敢えず携帯電話を開くが、特に着信などは無かった。携帯電話をしまいつつ、貫太がいつもくる方向を眺める。そこにはまだ誰も居ない。
「友松共也さん、ですか?」
唐突に背後から声を掛けられた。いきなりと言うのもあって少々驚いてしまう。慌てて振り返ると、背の低い男子生徒がいた。俺より20センチほど低い。
「……そうだが?」
「ああ良かった。僕、あなたを探してたんですよ」
「俺を? 何の用だ?」
「まあまあ、そう焦らないで下さいよ。時間はまだまだあるんですから」
今朝の夢のこともあってか、今の俺にあまり精神的な余裕は無かった。だからだろう。こんな奴の少しの物言いにイラッと来てしまうのも。
暴言を飲み込んで、目を向けるだけにしておく。だが向こうは相変わらずのニヤケ顔でこちらを眺めてくるだけ。見た目は至って平凡な黒髪黒目。顔立ちは童顔寄り。そんな彼は手を振りながら微笑みかける。
「やだなぁ、怖いですよ?」
「……今、ちょっと内心穏やかじゃないんでな」
「ああそうなんですね。てっきり──」
俺はコイツに対して『急に話しかけてきた変な奴』程度の認識しか持っていなかった。だが、コイツのこの一言でそれがひっくり返される。
「無川刀子の一件を終えて、スッキリしてたんじゃないかと思ってましたよ」
無川…………刀子?
こいつ今、間違いなく言った。誰も知らないはずの。俺達ハート持ちを除けば誰も知らないはずの事実を。
「……テメェ……!」
「あー、これはちょっと不味かったですかね。今のナシで」
「ナシになんかならねぇよ……!」
「いやー怖い怖い。このままじゃ交渉の前に捻り潰されること間違いなし。なんで端的にお話しますよ」
そいつは俺の方から顔を逸らし、滝水公園の方角を向く。そして、ちょうど噴水があるであろう角度を指さしてこう言った。
「あの噴水で、放課後待ってますよ。あ、勿論一人で」
「オイ、テメェが何者かは知らねぇが、テメェの言いなりになる理由なんざこれっぽっちもありゃしねぇんだよ。何なら今からそのムカつくニヤケ面を目も当てられないくらい粉々にしちまってもいいんだぜ。こっちはよ」
「ヒェーゴリラ丸出しじゃないですか。人間として生きましょうよ。友松先輩」
ソイツは顔を逸らしたまま、左目だけが見えるような状態のまま、こちらに目線をやる。
「それに、あなたは従わざるを得なくなる。いや、来なければならないハズだ。コレを見ればね」
ソイツが顔を俺に向けた。全貌が見える。
そして驚く。
「テメェ……! その右目は、その赤い目は……!」
先程まで真っ黒だったはずの右目が、赤くなっている事。これは以前見た浮辺と同じ症状。つまり、コイツもまたハート持ちであり、誰かに作られたハートということ。
「ではこの辺で失礼しますね」
「お、オイこら待ちやがれ! 誰だテメェ!」
踵を返して何処かへ去ろうとする彼の背中に、疑問を投げかける。
「一条正義(いちじょう/まさよし)。正義と書いてまさよしと読みます」
「そういう事が言いてぇ訳じゃねぇ!」
だがその背中は既に居なくなっていた。
誰だ彼は。何者だ。発言の節々や制服などから察するに、ウチの高校の一年生。後輩にあたる人間だ。
だが違う。それだけではない。彼はハート持ちだ。ただ他のハート持ちとは何か違う点がある。
まるで、ナイフを向けられているような感覚。あの瞳の奥に、ニヤケ面の裏側に、とてつもない敵意が潜んでいる気がした。
「一条正義……一体奴は……」
話した時、変だった。性質の話だ。癖があるとはちょっと違う。掴み所がないというか、次の瞬間何をするかがさっぱり変わらない。そんな得体の知れない何かがあった。
「共也君、遅れてごめん」
そこで貫太が到着したようだ。時刻を確認すると、既にそんな時間だった。
歩きだそうとして、少し冷たい感覚がした。気がつけば、俺の体には冷や汗が伝っていた。
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- Re: ハートのJは挫けない ( No.75 )
- 日時: 2018/08/06 08:16
- 名前: 波坂 ◆mThM6jyeWQ (ID: KLUYA2TQ)
僕は、ヒーローになりたかった。
この夢が馬鹿らしいなんていうのは、今まで散々思い知らされた。何度笑われたか、数えるのすら億劫だ。皆、僕の言うことは冗談だって思っているだろう。
別にそれはおかしくない。所詮は現実を見るとほざいて夢を諦めた敗北者たち。むしろ、僕の夢が理解できないのは当然のことと言える。
そして僕は見付けた。ヒーローになるための、特別な力を。他の誰も真似出来ないような、不思議な力。そして、僕の為にある、僕の力。
そしてその力をくれた、僕のヒロイン。彼女は言った。私はもうすぐ、何かと争う事になる。だから助けが必要だ。と。
これは僕の物語だ。
僕が悪役を、友松共也という敵を倒し、彼女を救うという、僕の為の物語だ。
○
俺は朝学校についてから、真っ先にとある人物の元に向かった。二年四組を通り過ぎる辺りで、目当ての人物の背中を見つけた。
「おーい、乾梨」
声を掛けると彼女は振り向いた。その表情は疑問を帯びていた。
「友松さん? どうしたんですか?」
「ああいや、ちょっとな……」
まさか朝の出来事で乾梨の事が心配になったとは言えず、適当に監視の仕事などと言って誤魔化しておく。
『んだよ、朝から仕事かぁ?』
乾梨よりも少し高めの声でそう聞こえたかと思えば、彼女のすぐ後ろに背後霊のような形で無川が空中に立っていた。服装は近所の中学校の制服だ。あの日以来、無川の姿が中学生時代の姿で固定されてしまったらしく、服装も当時の記憶に残っているものになったのだろう。
「……見れば見るほど亡霊だな……」
『喧嘩売ってんのか。呪うぞ』
「お前が言うと冗談に思えねぇよ」
『冗談じゃねぇよ』
「尚更悪いわ」
ふよふよと浮かびながら俺と軽口を交わす彼女は、他の生徒には見えていない。というより、ハート持ち以外の人間には見えていないらしい。どうやら無川という存在そのものが乾梨のハートの一部になったそうだ。そのため、具現化しない限り無川は重力に囚われることもないし、ハート持ち以外から見られることもないとのこと。
『ここんとこオレは優等生ちゃんだったぜ。特に報告することなんざ、ありゃしねぇよ』
無川は例の事件以降、謎の殺人衝動に駆られることは無くなったらしい。おかげでこちらも後数ヶ月程度で監視の役目は終わりそうだ。
「おー、いい子いい子」
『ナメてんのかテメェ』
ムッとした様子で見てくる彼女だが、以前のように殺気が伴っている訳ではないため、威圧感というものが全くない。可愛らしいと形容できる表情に、ついつい煽りに歯止めが効かなくなる。
「はっはっはっ中学生から睨み付けられても怖くねぇよ」
『あ?』
瞬間、彼女の視線が冷たく煌めく。やばい。何かのスイッチが入ったようだ。
「ワリィ、普通に怖ぇから止めてくれ」
『……次言ったら髪の真ん中だけ殺す』
「割とリアルにできそうな脅しは止めろよ!?」
髪の毛の危機に思わず両手で頭皮を隠す。すると彼女は溜息をつきつつも目を伏せた。
『冗談だって。……二割くらい』
「ボソッと聞き捨てならねぇこと言うなよ!?」
『まあそれはどうでもいいんだよ』
「人の髪の毛事情をどうでもいいとか言うんじゃねぇ」
無川が俺の方に飛んできて、俺に鼻同士が触れそうな程に顔を近づけてから訊いてくる。
『で、なんで共也がここに?』
「仕事だって言って」
『オレに嘘が吐けると思ってんのかよ』
彼女の赤い瞳に、自分の内面が目を通して見透かされている気がした。彼女に嘘は付けない。直感的に、そう感じた。
「……心配だったんだ。乾梨と無川が」
『……は、はぁ?』
「本当だ。何か嫌な予感がした。2人に何かあったんじゃないかって」
『な、何アホな事、言ってやがる。お、オレがヘマするかっての』
「ま、それもそうだったな。ワリィ」
彼女が急に顔を話してそっぽを向いたのが少しだけ疑問だったが、深く気にしないことにした。
そこで丁度予鈴が廊下に鳴り響いた。2人に別れを告げ、俺は自分の教室へと戻った。
○
「……共也クンの様子デスか……」
「そう。なんか変なんだよ。今日」
僕は朝から観幸に相談していた。登校するなり姿を消してしまった彼。流石に不自然すぎて、賢い友人に相談している。因みに今日の朝は愛泥さんと出会うことは無かった。何かあったのだろうか。
「ま、ほっときゃいいのデス。彼が隠す事は、基本的に自分の事だけデスから。それも知られたくないタイプの」
僕の心配に反するかのように、観幸の返答は雑なものだった。
「でも……」
僕がなにか言おうとすると、机を挟んで向こう側にいる彼は、若干身を乗り出しつつ、僕には釘を刺すかのように言う。いや、実際はそのつもりなのかもしれない。
「いいデスか? 一概に相手のフィールドにズカズカ入り込むのは良い行為とは言えないのデス。誰にでも、踏み入られたくない領域はあるのデスから。特に理由もなくそれに侵入するのは、相手からしたら大迷惑なのデス」
真剣な眼差しに、何も返せなくなる。
「…………そっか」
それでも何か返そうと思ったが、口から出たのは小さな相槌だけだった。
「……まあ気を落とさないでいいのデスよ。事実、ボクも普段明るい彼の調子が変ならば、気になりマスし」
身を戻して彼が口にパイプを咥えながら、僕を励ますようにそう言った。
「……観幸って何だかんだ優しいよな」
「そうデショウ?」
「やっぱ撤回。そのドヤ顔ムカつく」
褒めた瞬間に調子に乗る彼。やはり迂闊に褒めてはいけない。その満足そうな表情を保ちつつ、彼はそのまま言葉を続ける。
「フッフッフ、恥ずかしがらずとも良いのデスよ」
「どこに恥じらう要素があった」
「ヒア」
「ここにはないからな?」
一呼吸おいて、彼は目つきを変えて話を戻した。切り替えの早いやつだ。
「ま、貫太クンの事デス。ボクがなんと言おうと、気になってしまうデショウ」
「……図星だよー。あーほんと読まれるなぁ」
「何年付き合ってると思っているのデスか」
「僕にはお前の思考が読み取れないけどな」
「フフ、探偵とはミステリアスなものなのデス」
「それ前も聞いた気がする」
なんとなくだが前のことを思い出した。
「そんなに気になるなら実際に聞いてみれば良いのデス。真剣に聞かれて黙るほど、彼は不親切ではないデス」
「うん、そうだな。ありがとう観幸」
「不甲斐ない友人の相談に付き合うのも探偵の仕事デスので」
それから何回か彼と軽口を飛ばし合っていた所にだ。
「すいませーん。針音貫太さんはいますか?」
聞いたこともない声が、耳に飛び込んできた。それも、僕の本名付きで。少しだけ驚きつつも、音源の方を向く。
そこに居たのは、至って平凡そうな男子生徒だった。黒髪黒目で身長も平均……僕より高いな……。制服の校章の色から察するに、恐らく一年生だろうか。少なくとも僕は、この学校で彼と一度も会ったことも話した事も無い、はずだ。
「えっと、僕が針音貫太ですけど……」
席から立ってドアの方へと向かう。すると彼はこちらを認識したようで、どうもと頭を下げた。
「初めまして。僕、ちょっとだけ用事があって」
「はぁ……えっと……君は誰かな?」
「ああ、申し遅れました」
彼は微笑みつつ自分の名前を言った。
「僕、一条正義って名前です。正義はせいぎって書きます」
正義……なんか名前からして真っ直ぐそうな人という印象を覚えた。今も話している感じ、爽やかな男子高校生といった雰囲気だ。
「それで、一条君が僕に何の用かな?」
「出来れば正義って呼んで下さい。えーと、ちょっと話しづらいのでこっちに」
彼は手招きをして僕を誘導する。暫く歩くと、そこは屋上へと続く階段。当然、人など来ない。
「……で、こんな所に連れ出して、何の用かな」
「ちょっと待って下さい。スグに分かりますよ」
彼は暗くて良く見えなかった方から何かを持ち上げるような動作をした。そして、それを僕が見える範囲まで持ってきて、床に乱暴に落とす。
それに、その人物に、僕は目を見開いた。
「……え……?」
「ほーら、見えますかー?」
彼が示した方向には、隣さんが居た。壁に背を預ける形で、意識があるようには思えない。
「な、なんで隣さんが、ここに」
「いやー、割とさっくり行けちゃったもんだから、折角だから見せちゃおっかなって」
彼がそう言いながら、愛泥さんの長い黒髪を弄ぶ。
瞬間、僕は無意識の内にナイフを取り出し、彼に突きつけていた。内側から、熱い何かが燃え始める。
「……その手を退けるんだ。今すぐに。僕は、そこまで気は長くないぞ」
「はっははー。この人の事情になると怒りやすい……いや、身内かな? どっちにしろ、この人は貴方にとって大切な人な訳だ」
だが彼は僕の脅しなんて無いように、しゃがみこんで隣さんの輪郭を指で沿うように撫でる。その光景が、より一層、僕の炎に油を注ぐ。
「分かったらさっさと隣さんから手を離せ」
「ははは。怖いなぁ先輩。そんな小学校に通っててもおかしくない体なのに、威圧感だけは物凄いや。小学生レベルで」
こちらに向かって不敵な笑みを浮かべる彼。そこには爽やかさなど微塵もない、ただの下衆が居た。
「……いい加減にしなよ」
「落ち着きましょ。血の気が多いんだから全く」
「落ち着いてられないから怒ってるってのが、君には分からないのかなぁ?」
だが彼は一切反省する気もないと言わんばかりにこう返す。
「いえいえ分かりますとも。むしろ分かるからこそこうやって焦らしてるんですよぉー。分かってないなぁー。これだから針音先輩は」
僕の中で、スイッチが入れ替わるような音がした。この人間だけは許せないと。
今まで会ったことのない人種だった。まるで、人の不幸を、苦しみを無条件に笑えるような、そんな人間とは、一度たりとも出会ったことは無かった。だが、一条正義とは明らかにそれに当たる人物だった。
「……」
「あー、無反応って結構傷付きますよー。僕みたいな人間は、相手の反応目当てに嫌がらせするんですから」
「……反応って、君を殴る事かい?」
「さぁ? この光景を見ても、そんな事が出来ますかね?」
彼が指を鳴らす。すると、隣さんが立ち上がる。だが、その目は何の光も映し出していない。感情豊かな彼女は、そこにはいない。あるのは、体だけ。心というものが、感じられなかった。
「ククク、僕のハートの力です。どうです? 中々面白いでしょう?」
「な、何をしているんだ」
「体を動かしているだけですよ。別に害はありません。まあ、彼女は一切体の自由が効きませんけど」
「今すぐ止めろ!」
僕の叫びに、彼はつまらなさそうな顔をする。コイツは、僕らのことを遊び道具としか捉えていないのだろう。
僕の事はどうだって良かった。ただ、その中に隣さんが含まれていると考えると、ムシャクシャして仕方なかった。
「ちぇーっ。連れないなぁ。まあいいや。人形遊びとかもう飽きたし。じゃあ交渉です」
「交渉……?」
彼はくるりと自分を回す。
「簡単なトレードですよ。僕のハートからこの人を解放する代わりに、今度は貴方に僕のハートを受けてもらう」
「……」
「おやぁ? おやおやおやおやぁ? だんまりですかそうですか。なら勢い余ってこの人形をぶっ壊しちゃうかも知れませんねぇ?」
彼が制服から取り出したのは、大きなハサミだ。殺傷能力は、十分にある。
「や、止めろ!」
「はぁ?」
「わ、分かった。……僕にハートを使え。だから……隣さんには何もするな」
彼は僕の言葉にそのハサミをしまい、笑ってこちらを向く。ニヤニヤと、楽しむような目付きを伴って。
「んー、まあいいでしょう。約束は守ります。じゃあ、避けないで下さいね?」
すると、彼の手の平に巨大な釘が現れた。いや、どちらかと言えばボルトのような、ネジのような、そんな形状だ。
「……その赤い釘が、君のハートなのかい?」
「運命の赤い糸ならぬ、運命の赤いネジってどうです?」
そして、彼がその杭を、僕の胸に突き刺した。痛くはないが、代わりに何か異様な気味の悪さのようなものが流れ込んでくる。
「打ち込むだけで、僕の傀儡の完成……ってね。期待してますよ。針音先輩」
その言葉を最後に、僕の意識が真っ黒に塗り潰された。
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