[イナズマ]多分…私は、貴方を愛しています

作者/伊莉寿(元・西木桜)

*小説No.4 カゲロウデイズ~2


 静寂。
 の、ように思えたが、時計の針の音が響いていた。ただ、それ以外何も聞こえない、静かな環境。体が重いと感じる。目を開けずに耳で周りを探ろうとしたが、全く予想のつかなかった場所だという考えがよぎった。雰囲気が体にしみ込んでいる、馴染みのある場所。

―――自分の部屋。

ゆっくりと目を開けると、視界にぼんやりと、見慣れた天井。スタンドの隣に置いた、時を刻む目覚まし時計の針の音。
体を起こす。
寝起きの体で感じる違和感。記憶をあさると、ついさっき何かを失った気がしてならない。
目を閉じ、瞼の奥の暗い世界で思いだそうとした。――――煩いセミのコーラス、赤く染まった世界、生死を問うまでもない……。

「…月宮。」

事故で、月宮を亡くした。
ただ、記憶がつながらない。そう思って時計を振り返ると、12時過ぎだった。明るい日差しがカーテンの隙間から差し込んでいる。昼のようだ。ベッドからおりて、勉強机の上に置いてある電波時計を見に行き、一瞬目を疑った。
まて、確か昨日は8月15日…。

「…8月、14日…?」

ああ、と納得する。
今日が14日なら、あれは夢だったのだ。記憶が途切れたように思うのも、夢で目が覚めたから。あのセミも、トラックも、猫も、全てが夢の中での出来事。そういえば、月宮が外出できるのも14日だった。俺は何も失くしてない、そう思って深呼吸、気持ちを落ち着かせた。

リビングへ下りると、夕香がTVの画面から振り返った。俺を視認すると顔を輝かせておはよう、と挨拶をする。今日も元気そうで何より。俺も挨拶をして、台所にいるフクさんから昼食のチャーハンを受け取った。流石フクさん、今日の食事も美味しそう。

「今日はゆっくりでしたね。」
「熟睡してたのかもしれません。」

こんな遅くに起きるのは初めてかもしれない。チャーハンを食べていると、夕香が向かいの椅子に座った。両足をぶらつかせてニコニコ笑っている。

「お兄ちゃん、今日お姉ちゃん来るんだよねっ!!」

フクさんとお菓子焼くの、と満面の笑みで夕香が言う。月宮と病院で仲良くなった夕香は、本当の姉妹のように遊んでいた。だから彼女に会えるのがとても楽しみの様だ。その時、頭の隅で夢が映像として蘇る。あれがもし本当に、正夢に、なったら……。
いや、考えるのはやめよう。急いでチャーハンを食べ終わり、立ち上がった。

「じゃあ、迎えに行ってくる。」
「いってらっしゃーい!」

夕香の声を背中に聞きながら、俺は家を出た。




 また、同じことを繰り返してる。
公園のベンチに座る月宮を見ながら、俺はそう思った。夢と、全く同じだった。行動が、何一つとして変わらない。また月宮がトラックに轢かれるのではないかという考えが、頭をよぎる。今すぐ公園を出ようか、が、それは出来ない。月宮は疲れている。すぐに歩かせるのは酷だ。だがこのままだと、夢の通り猫が…。

あの悪夢は、正夢になりつつ……否、正夢になるのだから。

別の物に注意をそらせるのが1番だ。公園の中を見渡すと、青いブランコが目に入った。
あれなら、きっと上手くいく。

「月宮、ブランコ乗ったことあるか?」

無いです、と即答された。なら、と腕を引く。
ふわり、と月宮の匂いがした。



 修也君が考え込んでいる様子。繰り返して、きっと悪夢を見たと思っているんだろうな。
夢なんかじゃない、毎回痛い…けど、繰り返さないと、出口を見つけないといけない。幻影じゃなくて、本物の出口が必要なんだよ。もう隠さないで…、遠ざけないで。修也君…。



 立ちこぎをして、最近の話をしていた。特に、俺のサッカーの話。円堂の話をすると、集中して聞いていた。
こうして一緒にいると、頬が緩む。月宮は決して柔らかい性格ではなく、ハッキリ言ってくる事は良くあった。時々驚くことも。そこが月宮らしいと言えば月宮らしいのだが。
と、月宮が突然言いかけた言葉を飲み込んだ。視線を追うと、俺たちの荷物の側に小さな生き物がいる。…息をのんだ。

――――黒猫。

「あれ、猫…?」

スポーツ飲料を前足でいじっている。月宮がブランコから飛び降りて、向かおうとした。
やめろっ、と頭の中で叫び声。
声にするよりも速く、響く警報。

「月宮っ…!!!」
「ッ?!」

無意識の内に、月宮の腕を掴んでいた。なぜか一瞬抵抗するような素振を見せたが、すぐに怒られる前の幼い子供の様にしゅん、となった。可愛い、ではなく…。もしも猫を追いかけてしまったら、と言う事が怖い。

「…もう、帰ろうか。」
「えっ…」
「…家で、夕香がお菓子焼いて待ってるから。」

黒い瞳が見開かれ、それから顔がほころぶ。しかし、直後の分かった、と言った時の彼女の複雑な表情が心に引っかかった。安心したような、やるせないような、悲しいような…。何だったのだろう、と思わず考えてしまう。

「修也君、ちょっと、良い、かな。」

抑えられた声がした直後、軽い衝撃が体に伝わる。……?

混乱する。

「ごめんなさい、何か、その…」

―――月宮が、俺に抱きついている。

「…好きです、修也君。」
「、俺も。」

波紋は、ゆっくりおさまって行く…。
要らない言葉を言うのは、やめておこう。今は一安心できるのだから。猫はいない、トラックも通り過ぎた、もう悪夢のエンディングが訪れることはない。
月宮をそっと放すと、彼女は俯いたままゆるゆると息を吐きだした。上目遣いに俺を見て、軽く微笑む。それから、良かった、と。視線は俺のままに、けれどその言葉は独り言のように。不思議に思って何が、と聞き返す前に、月宮は俺の分のスポーツ飲料を渡した。
その瞳は、早く行こうと催促しているように見えた。




(…全部、終わったかな。)

警戒を、怠りすぎたのかもしれない。

道に出て、また俺が前を歩き始めた。大人しく月宮は後ろを歩く。公園で話しすぎたから話すことがないのではなく、月宮が話す事を拒んでいるようにも思えた。だから俺も従っていた。
と、工事中のデパートの前まで来た時。

周りの空気が変わる。
誰もが息をのんでいる気配。顔を上げようとして、誰かに後ろへ軽く押された。

視界の隅に、こげ茶色の髪。何が起きたのか、理解出来そうにない。



そして、


















どこかで見た物とはまた違う鉄柱が、彼女を貫いた。









無意識のうちに、俺は背後を振り返っていた。呼吸を忘れて、ただ背後にいる〝そいつ〟を見つめる。
そしてワザとらしく笑みを浮かべて存在感を表す〝そいつ〟は、嗤う。


『いい加減、認めれば良いのに。これは、夢じゃないんだから。』















その笑みを見た瞬間、俺の何かが壊れる音がした。