ダーク・ファンタジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

白薔薇のナスカ《改稿版投稿完了!》
日時: 2017/09/10 23:51
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

初めまして。あるいはこんにちは。四季といいます。
以前他サイトに投稿していた作品なのですが、こちらに移動させていただくことにしました。
初心者なので拙い文章ではありますが、どうぞよよしくお願い致します。
※この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

初期版 >>01-50
2017.8 改稿版 >>53-85

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.76 )
日時: 2017/09/07 21:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: J1W6A8bP)

episode.16
「大胆なヒロイン」

 ヒムロの決意を聞いたエアハルトは、踵を返し言う。
「まぁいい、ナスカがまだ向こうにいるから行ってくる。君はここにいろ」
 彼の背中に向かってヒムロは叫ぶ。
「待って!あたしも戦うわ!」
「駄目だ。素人が戦ったところで死ぬだけ」
 彼は振り返らずにそっけなくそう答えたが、ヒムロには彼なりの気遣いなのだと感じられ、仕方がないので食い下がることに決めた。
 ヒムロは部屋に戻り、座り込む。ドアは壊れてしまっているので閉まらないが、明るいのもそんなに悪くない。そう思いながら、マモルから奪った拳銃をギュッと抱き締めた。

 エアハルトは階段の方へと向かう。念のため警戒していたものの、既に銃撃戦は終わっていた。敵兵は二階には一人も残っていない。
 近くの警備科に尋ねる。
「一階の様子は?」
 その男の人は敬礼して明るい表情で返す。
「順調っす!」
 更に聞く。
「そうか。援護に行かなくていいのか?」
 すると男の人は陽気に親指をグッと立てて答える。
「下は大丈夫っす!俺らは二階に上がってきた奴だけを倒せばOKっすよ」
 ナスカが歩いてくる。
「エアハルトさん、無事で?」
 彼女の横には煤のようなもので汚れたトーレがいた。
「……あ、うん。大丈夫」
 先程会った時は緊急なので普通に話せたが、やはり平常時だと気まずくなって、エアハルトは上手く話せなかった。彼らしくないぎこちない喋り方になってしまう。
「……君は」
 エアハルトはトーレに視線に移して小さく言った。急に話を振られたトーレは、少し戸惑った様子で苦笑しながら述べる。
「ちょっとドジなことをしてしまって。ははは」
 柔らかな苦笑いをするトーレが本当は負傷していることに気付かないエアハルトではない。
「守ってくれたのか……ありがとう」
 ナスカが何食わぬ顔で口を挟む。
「トーレが誰を守ったの?」
 顔を見るがトーレは苦笑し続けるだけで何も言わなかった。何となくスルーした方がよさそうな空気を感じたナスカは、何もなかったかのように視線をエアハルトに戻す。
「エアハルトさん、下へは行かない方が良いかと思います。まだ敵がいますから」
 ナスカは忠告した。
「下は警備科だけで十分な戦力なのか」
 エアハルトは先程声をかけた男の人に確認する。
「いえ、警備科だけではありませんよ」
 男の人はそう述べた。
「違うのか?だが他に誰が戦えると……」
「ジレル中尉」
 答えたのはナスカ。
「彼が一階に残りましたから、総倒れはないはずです」
 敵兵は数こそ多いが、個々の戦闘能力はそんなに高くないので、ジレル中尉が負けることはない。そういう考えだ。ナスカの戦闘に関する彼への信頼は絶対的である。
「それにしても、こんな時にお偉いさんは何をしてるんだろうね」
 トーレがいきなりナスカに話しかけた。彼はこればかり。
「そんなこと、私に分かると思う?」
 下の階からしてくる振動は徐々に収まってきている。大体勝負がついたのだろう。
「ナスカはどう思ってるのかなぁ、って思ってさ……」
「さっぱり分かんない」
 ナスカは笑って答えた。
 彼女は正直そのような方面には詳しくない。ここまで一生懸命さぼらず勉強はしてきたが、それでも若い頃からエリート街道を真っ直ぐに進んできた人たちに比べれば知識は劣る。
「トーレは頭いいわよね」
 褒められたトーレは頬を赤く染めながら控え目に「そんなことないよ」と返すが、言葉とは裏腹に表情からは喜びが伝わってくる。分かりやすい。ナスカはその様子を愛らしく思いながら眺めていた。
「本当よ。さすが学卒ね」
 彼の肩にぽんと軽く手を置く。
「が、学卒?」
 トーレが首を傾げる。
「学校卒業を略してみた」
「あ、そっか。ナスカは航空学校出身じゃないもんね。まぁそれで一番強いんだけどね」
「そんなことないわ。ふふ」
「いや、何、和んでるの?」
 エアハルトはのほほんとした空気になっている二人に突っ込みを入れた。
「まだ敵が来る可能性はあるから気を付けた方がいいよ」
「私ですか?」
 ナスカに真顔で見られたエアハルトは怯み慌てる。
「あ、いや、うん。一応だよ」
 それに対してナスカは「そうですね」と返事をした。エアハルトが慌てている理由がナスカにはよく分からなかったが、たいしたことではないので気にしないことにした。
「誰か!来て!!」
 そんな風に穏やかに話していると、いきなり一階から叫び声が聞こえてくる。
 階段に向かおうと足を進めかけたエアハルトをナスカが止める。
「行きます」
 彼は数秒して強く言う。
「駄目に決まってる!」
 ナスカは制止を聞かずに歩き出す。
「トーレ、行こう」
「うん。急いだ方がいいね」
 エアハルトは彼女が自分に従わないことに、内心動揺していた。もう上司とさえ思われていないのか?そんな不安に駆られる。

 ナスカはトーレと共に一階へ下りる。
「ナスカちゃん!ベルデさんが……どうすれば……!」
 警備科の女の人が涙目になりながら切羽詰まった声で訴えてきた。完全にパニックになっている。冷静さが命の仕事内容だというのに。ナスカは心の中で密かに「警備科なんだからもっとしっかりしろよ」と微かに思ったが、次の瞬間、そんな思考は吹き飛んだ。
「ベルデ……さん?」
 門のところで見た、年がいった方の男がいる。その足下にベルデが倒れている。男はやや興奮気味にベルデをぐりぐりと踏みつけていた。どこか楽しんでいるようにも見える。
「ちょっと貴方!何をしているの!!」
 ナスカは怖い形相で勢いよくそちらへと歩いていく。
「……貴様、何者だ?」
 男は警戒して尋ねた。
「その人を離して」
 ナスカは問いなど完全無視で命令し拳銃を向ける。
「……答えろ」
「いいえ、答える必要はない。今すぐ離して」
 男はベルデを踏む足に力を加える。
「うぐ!……え。む、ナスカさ……ん?」
 ベルデは光のない目で小さく漏らした。生きていたことが分かりナスカは安心する。
 男はベルデの前髪をガッと掴むと自分の心臓の辺りに彼の額がくるように持ち上げた。ちょうどナスカの拳銃の銃口の辺りに額がくる。
「ふぅん、私に撃たせない作戦ね」
 男はニヤリと笑う。しかしナスカはそのぐらいではまったく動揺しない。
「名案ね。まぁ、相手が私でなければ……だけど」
 ナスカは引き金に指をかけて微笑む。
「貴方はこの拳銃の威力をご存知かしら」
「……時間稼ぎか?」
「まさか!ご冗談を。この拳銃改造されてるのよ。だからね」
 緊張のあまり失神しかける女性を傍にいたトーレは慌てて支え、不安げに見守る。
「頭蓋骨ごと貴方の心臓を貫くことも可能ってわけ」
 ナスカの大胆過ぎる発言には誰もが愕然とする。
「愚かな!貴様のような小娘が仲間を撃ち殺せるはずがない」
 ベルデは目を細く開き定まらない視線でナスカを見、弱々しく頷く。命乞いするどころか、殺してくれと言わんばかりである。
「おい、お前もちょっとは命乞いとかしろよ!こんな小娘に殺されるんだ!嫌だろ!」
 作戦は見事に成功している。思惑通り、男は動揺し始めていた。相手が冷静さを失えばこちらのものだ。
「なぁ、仲間に銃を向けられるってどんな気持ちだ?恐怖か、憎しみか?」
 ベルデの腹に膝蹴りをする。
「ぐ……」
 彼は蹴られた部分を押さえて呻く。男は虫の息のベルデを無理矢理起こすと、狂ったような表情で激しく言う。
「自分がこんな目にあっているのに他の奴らはのうのうと生きているのが憎くて仕方ないだろう?死ぬ前に一言答えろよ!上司に銃を向けるような小娘なんて殺したいと思うだろ!?」
 男は急かす。
「憎いと思うだろ!?」
「……ない」
 ベルデの血に濡れた唇が微かに動く。聞こえるか聞こえないかのような声だった。
「んん?はっきり言え」
 男は愉快そうに命じた。
 ベルデはとても穏やかな表情で淡々と答える。
「思わない」
 言い終わるほぼ同時に男はベルデの顔面を蹴り飛ばす。ベルデは上に飛ばされ地面に強く叩きつけられる。
「この生意気め!今すぐに殺してやる!」
 男が機関銃を持ち上げる寸前に、ナスカは後ろから眉間を撃ち抜いた。躊躇いはない。倒れた後、更に胸を数発撃った。
「……終わりよ」
 吐き捨ててベルデに向かう。
「大丈夫ですか?」
 目は少し開いているが、意識は朦朧としていた。傷はかなり重そうだ。呼吸も荒くなっている。
「もうすぐ救護班が来ますからしっかりして下さい。ベルデさん。生きてるんですよ」
 ナスカが手を握り締めると、ベルデはそっと握り返す。
「分かり……ます。あり……がとう……ございます」
 掠れた声で途切れ途切れ述べた。
「何か必要なものはありますか?」
 ナスカが尋ねる。
「本当……なんですね」
 ベルデの発言にナスカは不思議な顔をする。
「ヒムロさんが、言ってられたのです……もう……死ぬ時に、必要なものなど……ない、と」
 こんな時でさえも淡々とした物言いだ。平静を装っているのか本当に落ち着いているのか。ナスカにはどちらなのかよく分からないが、もう死ぬと決まったかのような言い方は気に食わない。
「そんな言い方をしないで下さい。まだ死にません。実際、こうして生きているじゃありませんか」
 救護班が走ってくる。
「もう……限界です。多分」
「諦めてはいけません。貴方がこんなところで死んでしまったら、これから誰が警備科の指揮を執るのですか」
 返事はもうない。無視しているのではなく意識を失っているのだ。今になってようやくやって来た救護班の班員たちが、彼に群がり手当てを開始する。
 これでもう安心……とはとても言えない。むしろその逆で、まだ危険な状態だろう。それでもナスカは信じた。きっと間に合う、きっと大丈夫。すぐに回復する、と。

 二人の司令官を失ったリボソの一般兵たちは撤退を余儀なくされた。こうして第二待機所は守られたのである。
 しかし第二待機所が受けた被害もかなり大きかった。備品や建物、それに人体。損害は多岐に渡った。壊れた物は修理するなり買いなおすなりすればいいが、失われた命は戻らない。何よりそれを考えさせられる事件であった。
 ベルデは幸い命を取り止め、意識は戻るようになった。運が良かった。とはいえ傷は深かったらしく、十分回復するにはもう少し時間がかかるため、受付兼指揮官には別の男性が代役として立てられた。
 一方、エアハルトはナスカに嫌われているかもと絶望しかけていたのだが、その誤解は解け、二人はやっと和解した。この前までと同じように仲良しに戻る。
 心を病んでいたマリアムは、故郷に帰り養生することに決まり待機所を去る。ナスカは、自分が初めて待機所へ来た日のことを思い出しながら、彼女を見送った。
 そして、まるでその代わりのように、ヒムロは正式にクロレア航空隊に入隊した。彼女はついにリボソを捨てたのだった。
 クロレアの国は長らく続いた戦争という悲劇を根元から断つべくリボソに対して和平を訴えるものの、リボソのカスカベ女大統領はそれをことごとく拒否。交渉は失敗に終わる。だが、それは誰もが予想したことだった。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.77 )
日時: 2017/09/07 21:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: J1W6A8bP)

episode.17
「一番幸せな日」

 1951年・秋のある日。その日、騒がしい食堂で、ナスカは一人夕食を食べていた。
「おぉ、ナスカさん!一緒にご飯食べてもええですか?」
 唐突に現れたユーミルが陽気に声をかけてきた。手に持っているお盆には、いくつか食器が乗っている。
「えぇ、どうぞ」
 そう答えると、ユーミルはナスカの前の席に座った。
「ユーミルさん、今日はお一人?」
 ナスカがご飯を口に含みながら尋ねると、ユーミルは屈託のない笑みで返す。
「そうそう。今日、坊っちゃんは仕事があるらしいんや。だから、こっちは一人でご飯食べることにしましてん」
 本当に陽気な人だ、とナスカは思った。一人の日だったので困りはしないが、誰かといる時であったなら面倒臭くなりそうである。今日は問題ないが。
「それにしても、ここのご飯は美味しいわ!バイキング形式っていうのも自由感があって楽しいし。ナスカさんらは、いつもこんな食事をしてはるんやね」
 ユーミルがペラペラと話し続けている間、ナスカは適当に相槌を打ちながら、自分の食事を継続する。
「あっ!それ、焼き魚?ナスカさん魚好きなん?こっちも実は魚とか好物やねん。迷って取らへんかったけど。折角やから、美味しいメニュー教えてほしいわ。オススメとか!」
 ユーミルは大量のポテトサラダを口に突っ込み、息苦しそうにもぐもぐしている。
「魚が好きなの?何だか意外」
 あまりに一人で話させるのも可哀想に思いナスカは返した。
「いやはや、よく言われますわ!肉食っぽいって言われるんやけど、こう見えてこっちはまだ独身ですねん」
 ユーミルは笑いながら冗談めかすが、ナスカにはどこが面白いのかよく分からなかったので、適当な苦笑いでごまかした。
「ナスカちゃん、今ちょっと構わないかしら?」
 そんなところに突然現れて声をかけてきたのはヒムロ。
 浅葱色のシャツに赤いネクタイを締め、黒いタイトスカートにストッキングという大人の魅力たっぷりな服装とは裏腹に、薄く引かれた桜色のリップが初々しい可愛らしさを演出している。ギャップが素敵だ。
「あ、ヒムロさん。どうかなさいましたか?」
「ナスカちゃんにお客様よ」
 ヒムロは微笑んで言った。
「そうですか!あ、ユーミルさん、それでは私はここで。お先に失礼します」
 ナスカはユーミルに向かって軽くお辞儀をすると、食器が乗ったお盆を持つ。
「これ、返してからでも大丈夫ですか?」
「構わないわよ。待ってるわ」
 ヒムロが笑ったのでナスカは安心してお盆を返しにいけた。
「お待たせしました」
「いえいえ。じゃあナスカちゃん、行きましょ」
 ナスカはヒムロの後についていく。
 食堂を出て廊下を歩き、談話室に着いた。ナスカはふと、ヒムロに初めて出会った日を思い出した。
「どうかした?」
 ぼんやりしているナスカをヒムロは不思議そうな目で見た。
「あっ、いえ。何でもありません!」
 ナスカは笑ってごまかした。
「それじゃ、開けるわね」
 ヒムロはドアを開け、中に入るように促す。
 談話室に入った瞬間、ナスカは目を疑った。
「に、兄さん……?」
 そこにいたのは、正真正銘ヴェルナーだった。一日たりとも忘れたことのない、あの日引き離された大好きな兄だ。
「本当に兄さん!?」
 ナスカは疑うような目付きで少しずつ近寄っていく。
「また、会えたね」
 ソファに座っているヴェルナーが静かに微笑む。
 ナスカは信じられない思いで彼の姿を見つめた。言葉は何も出ない。その時は、目に溜まった涙を流さないようにすることに必死だった。
 どれだけ夢見ただろうか。この日を。
 ナスカは考えるより先に彼を強く抱き締めていた。
「会いたかった!」
 そう言ったのを皮切りに涙が溢れた。一度流れ出した涙を止めることはできなかった。
「よく頑張ったね」
 ヴェルナーは微笑み、両腕でナスカの背中を優しく撫でる。まだ幼かった頃、泣きやまないナスカを慰めたように。
「よく頑張った」
 ヒムロはナスカの泣き声が外に漏れないよう、そっとドアを閉めた。
 幸せな二人の姿を、ヒムロは羨ましそうに見つめる。抱き締める相手がいること、抱き締めてくれる人がいること。彼女にとってはもう二度と手に入らない夢。
「ヒムロさん、ヒムロさん」
 ようやく抱き締める手を離したナスカは、宙を見ているヒムロに声をかけた。
「あっ、えぇ。何かしら?」
 二回目で気がついたヒムロは平静を装い返答した。
「呼びに来てくださってありがとうございました!本当に、本当に嬉しいです……私……」
 ナスカはこの数年間で一番、太陽のように曇りのない笑顔を浮かべた。率直にお礼を言われたヒムロは気恥ずかしそうな表情をする。
「ありがとうだなんて。仕事だもの、普通でしょ」
 その時だった。
 バァン!と大きな音が響き、ドアが勢いよく開く。
「痛っ!」
 腕にドアが凄まじく激突したヒムロだった。
「ナスカ!本当かい!?」
 とても慌てた様子の小包を持ったエアハルトが入ってくる。
「エアハルトさん?」
 ナスカは驚いて彼を見る。
「……アードラーさん」
 ヴェルナーがやや緊張感のある声で言った。
「お久しぶりです。ナスカがお世話になっております」
 エアハルトは気まずそうな顔で返す。
「いや、大丈夫。むしろこっちが助かってるぐらいで」
 二人がとても気まずい雰囲気なのが、ナスカには不思議だった。
「ヴェルナー、いや、こんな風に馴れ馴れしく呼ばれるのは嫌かもしれないが……とにかく退院おめでとう。これを」
 エアハルトは手に持っていた小包を差し出す。
「それ何ですか?」
「ナスカ、これはヴェルナーの退院祝いだよ」
 仲の良いナスカとエアハルトを目の前で見て、ヴェルナーは様々な感情が混ざった複雑な顔をしている。可愛がっていた娘がいつの間にか他の男と仲良くなっていたときの父親の心境に近しいものがあるのかもしれない。
 ヴェルナーはナスカの耳元に口を寄せ小さな声で尋ねる。
「アードラーさんと仲良し?」
「仲良しかは分からないけど、私は好き!エアハルトさん、とっても優しくて素敵な方よ!いつも守ってくれて頼もしいし」
 ナスカは一切の迷いなく答えた。それを聞いてヴェルナーは更に難しい表情になったが、やはりナスカにはその意味が分からなかった。
「とにかく、小包を開けてみてよ。ほらヒムロ!紅茶!」
 ヒムロは「分かってる」とでも言いたげな不満そうな顔で談話室を出ていく。
「先に言っておくと小包の中はお菓子だ。ヴェルナー、ナスカと二人で楽しんでくれ。では僕はこれで」
 そう言うとエアハルトは談話室を出ていった。
 途端にヴェルナーが口を開く。
「アードラーさんがあんな優しい話し方するの初めて見たよ」
 ナスカはヴェルナーの隣に座り彼にもたれる。
「そうなの?兄さん」
「ファンサービスはするけど、後輩には厳しい人だったよ。俺もよく怒られた」
 ヴェルナーは苦々しい顔をしながら懐かしむように言った。
「そっか。エアハルトさん、カッとなるところあるもんね」
 にこにこで返すナスカに、ヴェルナーは真剣な顔をする。
「ナスカ、彼には気を付けたほうがいい。アードラーさんはパイロットとしては優秀だが、他は……」
「優秀でない、と?」
 ヴェルナーの言葉に柔らかく口を挟んだのはヒムロだった。ティーカップ二つと銀色のポットをお盆に乗せて談話室に入ってきたところだ。
「紅茶をお持ちしました」
 ヒムロはにこっと微笑むと二つのティーカップをテーブルに置き、銀色に輝くポットを持つとゆっくり注ぎ入れる。
 秋を感じさせる甘い香りが、ほくほくと部屋に広がる。
「いい香り。これは何のお茶ですか?」
 ナスカが興味津々で尋ねるとヒムロは優しく答える。
「あたしのお気に入り、マロングラッセティーよ。冷めると甘ったるくなるから温かいうちにどうぞ」
「マロングラッセ?どうしてそんな高級品を」
 ヴェルナーが怪訝な顔でぼやくのをヒムロは聞き逃さなかった。
「この国では栗は高級品と聞きましたけど、あたしの母国ではいたって普通の食べ物でした。これは故郷の知人から送っていただいたものですから、そこまでの高級品ではありません。ただ味は美味しいと思いますよ」
 ヒムロらしくなく丁寧な口調だった。もしかしたら客人にはこうなのかもしれない。
「ヒムロさん、今日は何だか雰囲気違いますね」
「そうね、お仕事中だもの。それじゃ、ごゆっくり。あ、ポットの紅茶は自由に飲んで構わないわよ」
 ヒムロはさらっと言い談話室を出ていった。さすが外交官の娘だけはある。とても慣れていた。
 談話室でナスカはヴェルナーと二人きりになる。
「さっきのお話……何だっけ。エアハルトさんはパイロットとしては優秀だけど、の続き」
 ヴェルナーはキョロキョロしてから話し出す。
「先生としては優秀じゃないって話だよ。いちいち言い方がきつすぎるってのもあるけど、事故を起こすから。彼の飛行はかなり危険な飛行なんだよ。それが一番怖いね」
「それは……兄さんが怪我した事故のこと?」
 ナスカが察して言うと、ヴェルナーは黙り込む。
「兄さんが怪我をした訓練、エアハルトさんが責任者だったって。あと、優秀なパイロットが何人も亡くなったって。その日……何があったの?」
 ナスカは問うが、ヴェルナーは下向き黙ったままびくともしない。
「……兄さん」
 ナスカがそう言った時、ヴェルナーは小さな囁くような声で返す。
「事故じゃなかった」
 ナスカは耳をすます。
「あれは攻撃だった。だが戦争を恐れたクロレアは、訓練中の事故として闇に葬った」
「まさか!」
 思わず大声を出してしまったナスカは慌てて口をおさえる。
「ごめん。続けて」
「あの日訓練に参加していたのは俺と三人のパイロット。で、責任者がアードラーさんとロザリオ先生だった。ロザリオ先生はとても親切な先生で皆から信頼もされていたんだけど……彼がリボソ国との内通者だった。彼は最初、突然実弾で一機を撃墜したんだ」
「どうなったの?」
「空中でばらばらになった。俺は怖くなって大急ぎで離れようとしたけど、上手く操縦できなくて、そのうちに二機目三機目も撃たれて海に墜ちた」
 ナスカは何だか昔のような気分になってきた。だが昔聞いていたような楽しい話ではない。
「さすがにもう駄目だと思ったよ。ここで死ぬんだって」
 ナスカは幼い頃のように夢中で聞いていた。
「だけどアードラーさんが間に入ってくれた。先生の機体はばらばらになり、緊急脱出した生身のロザリオ先生も吹き飛ばした。ここまではまだ良かった。この後、アードラーさんの機体はバランスを崩して、俺の訓練機に突っ込んだ……こればかりはもう死んだと思ったね」
「確かにいきなり激突されたら驚くわね」
 ヴェルナーは続ける。
「そのまま海に突っ込んで、次に気が付いたら医務室のベッドだったよ」
「そっか……」
 話が一段落したところで、ドアが遠慮がちに開く。
「ご、ごめんなさい」
 微かに開いたドアの隙間からトーレが覗いていた。
「何か用事?」
 ナスカが尋ねるとトーレは気まずそうな顔で返す。
「盗み聞きするつもりじゃなかったんだ。ただ、ナスカのお兄さんが来てるって聞いて、挨拶しようかなって。それだけ。本当にそれだけなんだ」
「大丈夫。トーレ、もっと入ってきたら?そんなところで覗いてると変よ」
「う、うん。そうするよ」
 やっとトーレは談話室内に入ってきた。
「初めまして」
 ヴェルナーが優しく言う。トーレはヴェルナーに目をやり、緊張で強張りながらもやや興奮気味に挨拶する。
「初めまして、トーレです!いつも仲良、違った、お世話になっています!」
「ヴェルナーだよ。よろしく」
 手を差し出されたトーレは興奮で顔を赤らめている。
「そんな、よろしくだなんて!勿体ないですよ!」
 と言いつつも握手する。
「ヴェルナーさんってどんなお仕事をなさってるんですか?」
 トーレの質問にナスカが答える。
「兄さんは戦闘機パイロット志望だったのよ」
「え!そうなの!?」
 トーレは驚きを隠さず素直な反応をする。
「知らなかった!じゃあ僕らの先輩なんだ!」
「なんだかんだで訓練生までしかいっていないどね」
 ヴェルナーが笑っていたのを見てナスカは少し安心した。
「訓練生でも先輩は先輩です!才能ってやっぱり遺伝するんですかね〜。兄妹揃って戦闘機乗りなんて羨ましいなぁ」
「羨ましい?」
 怪訝な顔になるヴェルナーにトーレは邪気なく言う。
「だって、一緒に並んで空を飛べるじゃないですか!僕の家じゃ他に空飛ぶ人はいないんで、いいなぁって思いまして!」
 トーレは始終興奮気味であった。共通の話題が見つかり楽しかったのかもしれない。ナスカは、彼の無邪気な表情を見ていると、心が軽くなるような気がした。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.78 )
日時: 2017/09/08 18:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Mu5Txw/v)

episode.18
「最後の作戦」

 冬になりかけたその日、第二航空隊待機所で働く全員に集合がかかった。もちろんナスカも参加したが、全員が集まった食堂はいつもより狭くて息苦しい。
 ほぼ皆が集まった頃、一人の恰幅の良い男性が現れる。見たことのない人だが、ぴんとした立派な軍服を身に付けているので、お偉いさんだろう。
「ヘーゲル・カンピニアだ。今日は大切な話があって集まっていただいた。実は大きな作戦が決まったのだ。戦争を終わらせるための、名誉ある大きな作戦だ!犠牲は出るかもしれないが、航空隊に任せることにした」
 沈黙の中、ナスカの隣に座っていたトーレがぼやく。
「お偉いさんはいいよね。安全なところで命じるだけとか」
 ヘーゲルは自分に酔ったように語り続ける。
「この作戦が成功すれば、リボソ国を降伏させることができる!今まで殉職してきた仲間のためにも、なんとしても頑張ってくれたまえ。君たちはクロレア国民の代表だ!……約一名ほど、よそ者もいるようだがな」
 彼は一瞬ヒムロを横目に見る。失礼な男性だ。
「それでは私はこれで解散だ。作戦の詳細はそれぞれに連絡する」
 話は思いのほか早く終わり、皆呆れ顔だった。わざわざ呼び集めておいてこれだけか、と苛立つ者もいただろう。
「何だったんだろうね。帰ろうナスカ」
 トーレがナスカに声をかけた直後、ヘーゲルがナスカの後ろに立っていた。
「君が……ナスカだね?」
 ナスカはあまり絡まれたくないと思いながらも真面目に返す。
「はい。そうです」
「話は聞いているよ。航空隊初の女性戦闘機パイロット!よく頑張っている。偉いね」
 ヘーゲルは予想外に気さくな雰囲気で話しかけてくるが、ナスカの隣に立っているトーレは怪訝な顔をしている。
「今回の作戦は君が主役だからね。応援しているよ」
「ありがとうございます」
 ヘーゲルが去っていった後、トーレはぼそっと吐き捨てる。
「意味分からないよ」
 ナスカもトーレと同じ思いだった。

「全員揃ったね。早速、作戦について説明しようか」
 エアハルトが言った。
 会議室に集まったのはナスカとトーレ、そしてジレル中尉。なぜかヒムロとリリーもいる。
「作戦の目的はただ一つ。リボソ国のカスカベ女大統領を殺すこと」
「そんな!いきなり?」
 ナスカは衝撃を受けてうっかり大きな声を漏らした。
「そうだよ、ナスカ。それも……君が殺すんだ」
 エアハルトに言われナスカは愕然とする。
「待って!無理よ!」
「誰だって君にそんなことさせたくないよ。でもそういう作戦で通っちゃってるんだ」
 衝撃で固まっているナスカの手をトーレがそっと握る。
「何とかならんのか」
 ジレル中尉が口を挟む。
「いくら功績を挙げているとはいえ、彼女には荷が重い」
 ヒムロとリリーも不安そうにナスカを見つめている。
「ヒムロ、カメラを」
 エアハルトが指示すると、ヒムロは手早く壁のパネルを開け監視カメラのスイッチを押す。
「消したわ。これで大丈夫」
 エアハルトは頷いた。
「大丈夫だよ、ナスカ。君一人に背負わせたりはしない」
 ナスカは少し顔を上げる。
「この作戦は、ナスカが個人で最深部まで行きカスカベを殺すということになっている。僕らはそのサポートをするのだと。だがこれはナスカを死なせたいかのような無謀な作戦だ。常識的に考えて不可能」
 会議室はとても静かで、空調の音さえしていない。
「これは提案だ。誰かがナスカと一緒に行動し、最後土壇場でその誰かがカスカベを殺す。上にはナスカが殺したということにする。こうすればナスカはカスカベを殺さずにすむ。賛成してはくれないだろうか」
 すぐにトーレが挙手した。
「僕は賛成です」
 その表情には強い決意がうかがえる。
「賛成するよ!」
 二番目に言ったのはリリー。
「リリーね、ナスカのためなら人くらい殺せるよ」
 彼女のえげつない発言に一同は一瞬凍りついた。
「では私も賛成としよう」
「反対しても無駄みたいね」
 ジレル中尉とヒムロだった。
「ご理解感謝します」
 エアハルトはジレル中尉にそう言った。
「このことはどうか内密に。ヒムロ、カメラを」
「はぁい」
 ヒムロはカメラを元に戻す。
「では解散しよう」
 全員は揃って頷いた。
 これは、六人だけの秘密だ。このメンバーなら絶対にばれることはないだろう。
 少なくともこの時は、誰もがそう信じていた。

 翌朝。
「ナスカ、ナスカ!」
 血相を変えたリリーが走ってくる。
「おはよう。リリー」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!助けて!」
「何かあったの?」
 リリーは、呑気に尋ねるナスカの手を掴むと、いつもより早足で進む。ナスカは状況が飲み込めないまま、抵抗できず引っ張られていった。
 着いたのは今は使われていない古い司令官室。
「こんなところ?またどうして……今はもう使われていないんじゃなかったっけ」
 リリーは重そうなドアをノックする。おおよそノックとは思えない重厚な音が響いた。
 数秒後ドアが開く。
「来たかね、ナスカ」
 中には余裕な笑みを浮かべているヘーゲルを中心に、その手下らしき軍服の男たちが並んで立っていた。その向かいにはジレル中尉が一人座っている。
「リリー。偉いぞ」
 ヘーゲルは機嫌良さそうにリリーの頭を撫でて褒めた。
「エアハルト・アードラーを呼べと言ったはずだが」
 ジレル中尉が不満げにリリーを睨んだ。
「ごめんなさい!でも、でもリリー……逆らうの怖いし」
 リリーは弱々しく言い訳をする。
「ヘーゲルさん、何か私に用ですか?」
 ナスカが言うと、ヘーゲルは頷き、ニヤリと不審な笑みを浮かべた。
「実は昨日、私の作戦を改変し作戦成功の妨害をしようとした者がいるらしくてね。ナスカ、何か知らないかね?」
 これを聞いてナスカはすべてを理解した。恐らく、会議室での会議を聞いていた者がおり、その者がヘーゲルに告げ口したのだろう。
「まさか。私の知り合いにそんな人はいません。作戦成功の妨害をするなんて!」
 ナスカはいつもより大袈裟に答えた。
「それは本当か?」
 ヘーゲルは尋ねながら立ち上がり、ジレル中尉の方へゆっくりと足を進める。
 そして義手を掴みジレル中尉を引き寄せる。
「本物の義手を見たのは初めてだよ。かなり精巧だが……、実に不気味だね」
「一言余計だ」
 ジレル中尉はとても冷めた表情でぼそっと呟いた。
「さて、ナスカ」
 ヘーゲルは言いながらナスカに歩み寄ってくる。
「本当のことを言え。これから大仕事って時に、仲間の中に反逆者がいたら怖いだろう?最後の最後に裏切られるかもしれないのだから」
「その話、どなたかからお聞きになったのですか?」
 威圧感に負けてはならない、と自分に言い聞かせ、ナスカは冷静な態度をとった。
「君の親友、トーレくんだよ。昨夜彼が教えてくれたんだ。詳細説明の時に……とね」
 ヘーゲルはまたニヤリと不気味に笑った。ナスカは動揺をしそうになったが、それを隠しさらっと述べる。
「だとしたら彼が間違った報告をしています。詳細説明なら私とトーレは同じ部屋で聞きました。普通に説明があっただけでしたよ」
 ナスカの顔には笑みさえ浮かんでいた。
「詳細説明のちょうどその時間、会議室のカメラが停止していたのだが……本当に何も知らないのかね?」
 ヘーゲルは声をやや強めた。
「はい。トーレの勘違いか、あるいは嘘かと」
「だが……そんな嘘をわざわざ上に言う必要があるか?」
「彼の意図は分かりません。でも、安心して下さい。私たちはヘーゲルさんが正しいことをしている限り、裏切ったりはしません」
 それを聞いたヘーゲルは怪訝な顔をする。
「正しいことをしている限り……?どういう意味かね」
 ナスカは満面の笑みを浮かべて答える。
「それはいずれ分かることだと思いますよ」
 リリーは心配そうな眼差しでナスカを見つめている。ジレル中尉は軍服の男に囲まれ、不満そうにヘーゲルの背中を睨んでいた。
「今回の件につきましては、そんなに気にすることではありません。大丈夫です!」
 ヘーゲルは少し黙り込み、やがて述べる。
「まぁよかろう……今回だけは見逃すことにする。だが、次はないから覚えておくように」
 こうしてナスカとリリー、そしてジレル中尉は解放された。

 食堂に着くと、朝食の時間で賑わっていた。何だか心温まる光景だ。
 ナスカとジレル中尉が空いている席に座った時、無邪気な笑顔でリリーが言う。
「ナスカとジレルは席にいて!あ、リリーの席もちゃんと確保しておいてね。リリーが二人に美味しいもの持ってくるよ!」
 そして走っていき、ナスカはジレル中尉と二人きりになってしまった。
 年齢も性別も違う二人がちょこんと隣の席に座っているのだから、不思議な光景だろう。通りかかった人が珍妙な顔で見てくるのがナスカは微かに面白かった。
 話すことがなく困っていたナスカに、突然ジレル中尉が話しかける。
「朝から迷惑をかけたな」
 そっけない言い方だが、彼が本気であることは分かった。
「いえ。大丈夫です」
 しばらく沈黙があり、ジレル中尉は静かに尋ねる。
「分かっている。いきなり……こんなことを尋ねるのはおかしいということは。だが……他人から見ると気味が悪いか?これは」
 彼は右手の人差し指で義手をトントンと軽く叩きながら気まずそうな顔をする。どうやらヘーゲルに言われたことを若干気にしているらしい。
「珍しいから……目を引くのかもしれないです。でも、何だか意外。ジレル中尉がそんなこと気にするなんて」
 ジレル中尉はよく分からないと言いたげな顔をする。
「……意外だと?」
「はい。人にどう見られてるかなんて気にしない人だと思っていたので」
 少し沈黙があり、ジレル中尉は真剣な顔でナスカを見る。
「一つ、願いがあるのだが」
 唐突だったのでナスカは一瞬戸惑う。
「リリーを」
「来たよーー!!」
 ジレル中尉の声に被せて、元気いっぱいのリリーが帰ってきた。その手にはパフェを三つ乗せた銀のお盆。
「じゃ〜ん!特別にパフェを頼んできたよっ!」
 ナスカは呆れて頭を抱える。
「もう……何やってんのよ、リリー。この忙しい朝食時にそんなもの三つも頼んで」
 リリーは気にせずパフェをお盆からそれぞれの前に置いていく。ナスカが呆れている様子など、まったくと言ってもいいほど気づいていない。
「さぁさぁ、食べてみて!今日はチョコレートパフェだよ!」
 背の高いガラス製の器に甘いものがぎっしり詰め込まれている。ねっとりしていそうなバニラとチョコレートのアイスクリームに新鮮な果物。細かいチョコチップと、とろりとしたチョコレートソースが、たっぷりかかった贅沢なパフェだ。
 到底、朝から食べるものではない。
「リリー……こ、これを食べろと……?」
 ジレル中尉が動揺した顔で言った。
「うん!美味しいよ!」
 リリーはジレル中尉に満面の笑みで返した。
「ジレル、甘いの嫌い?」
 リリーに悲しそうに見つめられたジレル中尉はすっかり困り顔になる。
「いや、嫌いとか、そんなことはないが……」
「食べるのが面倒?じゃあ、食べさせてあげるよ!」
 リリーは早速スプーンを手に取りアイスクリームをすくうとジレル中尉の口の前に突きつける。
「はいっ!口を開けて」
 ナスカがまさかしないだろうと見ていると、ジレル中尉はゆっくり口を開いた。リリーは彼の口にアイスクリームがたっぷり乗ったスプーンを入れる。
「ん……、甘い」
 ナスカは信じられず呆れた。いつの間にこんなに仲良くなったのか。
「リリー、何をしているの?」
 ナスカが尋ねると、リリーは笑顔のまま視線をナスカに移し返す。
「食べさせてあげてるんだよ。それよりナスカも食べて。このパフェとっても美味しいよ!」
 ナスカは少し声を強める。
「リリー。年上の人に対して食べさせてあげてる、とか失礼なんじゃない?」
「失礼じゃないもん。ジレル、喜んでるもん」
 リリーは不満げに頬を膨らまして言い返した。
「普通の感覚で見たら変よ」
「変じゃないよ。だっていつもだもん。いつも食べさせてるけど、おかしいとか言われたことないよ!」
 リリーは注意され苛立っているようだ。
「そりゃあジレル中尉がいれば誰も注意できないだろうけど……」
「リリーがジレルと仲良いのが羨ましいんだ!嫉妬!だからそんなこと言ってるんだね!」
「まさか。リリーが仲良くなるのに嫉妬なんてするはずない。私はただ……」
 リリーにきつく言われたナスカは段々悲しくなってきた。
「嘘だよ!嫉妬してないなら、こんなこと言わないもん!」
「落ち着け、リリー」
 口を挟んだのはジレル中尉だった。
「責任は私にある。どうか、リリーを責めないでくれ」
 彼は冷静な声でナスカに対して言った。
「ジレル中尉も!リリーって呼ばないで下さい。あと、私の妹に手を出されるのも困ります。どれだけ年の差があるとお思いですか!」
 ナスカにはっきり告げられたジレル中尉は愕然としている。
「どんな感情をお持ちかは知りませんが、今日限りで諦めて下さい」
 ナスカは半分も食べていないチョコレートパフェを残して立ち上がる。
「では、ごちそうさまでした」
 去っていくナスカの背に向かってジレル中尉は何かを言おうとしたが、言葉は出なかった。膨れるリリーとは反対に、ジレル中尉はどこか悲しげな、浮かない表情だった。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.79 )
日時: 2017/09/08 18:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Mu5Txw/v)

episode.19
「些細な気遣い」

 食堂を出て、外の風を浴びようと玄関へ向かうと、車椅子に乗ったヴェルナーが受付係の男性と何やら楽しそうに話していた。
「兄さん!来ていたの?」
 ナスカはヴェルナーに声をかけて駆け寄る。
「あぁ、ナスカ。こんな朝から一人でどうした?」
「ちょっと外の空気でも吸おうかなと思って。もしよかったら兄さんも一緒にどう?」
 ナスカが誘うと、ヴェルナーは笑って頷く。
「いいね。俺も行くよ」
 ナスカはヴェルナーと共に外へ出ていった。
 外は珍しく快晴だった。灰色の雲はほとんどなく、高い青空が広がっており、時折寒い風が吹いている。それでも晴れているので、日光が当たるとじんわりと暖かい。
「リリーは元気?」
 ヴェルナーが尋ねた。
「うん……とても」
 ナスカは少し俯いて答えた。
「私、さっきリリーと喧嘩しちゃった」
 小さく言うと、ヴェルナーはナスカに目をやる。
「何があったんだい?」
「食堂でリリーがいちゃつくから注意したの。そしたらリリーは怒って……羨ましいからそんなこと言うんだって、嫉妬してるんだって言われちゃったわ」
 一瞬言葉を止め、そして再び話し出す。
「リリーが幸せになることに嫉妬なんてするはずない……。私はあの子が笑っていれば幸せよ。だけど、少し怖かったの。リリーが私から離れていくような気がして」
 少ししてヴェルナーは言う。
「リリーがいちゃついてた相手は誰なんだい?」
「……ジレル中尉」
 ナスカがぽそっと呟くと、ヴェルナーは唖然とする。
「ま、まさか!」
 驚きの声をあげてから笑い始める。
「はっ、ははは!俺の妹たちは本当に玉の輿だなぁ。アードラーさんの次はジレルさんか!」
 ナスカはヴェルナーが大笑いする理由が分からずきょとんとする。
「兄さん、ジレル中尉とも知り合いなの?」
 ヴェルナーの笑いはまだ止まらない。ナスカは彼がこんなに大笑いし続けるのを初めて見た気がした。
「うん。いやっ、あはは!年離れてるから特別仲良くはないけど知ってるよ」
「航空隊時代に?」
 人脈の広さに感心しながらナスカが尋ねる頃に、ヴェルナーの笑いはようやく収まった。
「いやいや。ジレルさんは有力貴族の長男だから、貴族界ではそこそこ有名だよ」
「貴族!?へぇ〜、この時代に貴族とかいるのね」
 自分が貴族であることをすっかり忘れているナスカに、ヴェルナーは突っ込む。
「うちも貴族だよ」
「あ!そうだったわね」
 言われて思い出したナスカは自分の出自を忘れていたことが少し恥ずかしかった。それと同時に、昔の自分を徐々に忘れてきていることに気付き、どこか切なかった。
「……話戻るけど、リリーに、謝った方がいい……よね」
 ナスカはぽそっと呟く。
「今、ナスカが謝ろうと思えるなら、謝っておいで」
 ヴェルナーは穏やかな優しい目付きでナスカを見つめる。
「でも許してくれるかな。私、酷いこと言っちゃった。リリーにも……ジレル中尉にも」
「大丈夫だよ。ちゃんと気持ちを伝えれば、きっと分かってくれるから」
「……本当?」
 ナスカは不安な顔をする。
「きっと大丈夫だよ。外の空気も吸えたことだし、そろそろ行ってきたら?」
 ヴェルナーはナスカの背中を軽く叩き元気づける。
「……うん。そうする。ありがとう、兄さん」
 ナスカはお礼を言うと、再び食堂へ戻ることにした。
 食堂の入り口に着くと、遠目にリリーとジレル中尉が見え、ナスカは引き返したい衝動に駆られた。しかし勇気を出して一歩を踏み出す。ここで逃げてはならない。そう心の中で何度も自分に言い聞かせる。
 ナスカは二人のもとまで歩いていき、心を決めて口を開く。
「リリー」
 ジレル中尉と仲良さそうに話していたリリーが振り返る。
「ナスカ!……怒ってる?」
 リリーは気まずそうな顔で言った。
「ううん、違う。その……ごめんなさい」
 ナスカは頭を下げたまま続ける。
「さっきは言いすぎて、ごめんなさい」
 リリーは何が起きたのか分からず戸惑っている。
「む、ナスカ?何?どうしちゃったの?」
 その時、ジレル中尉が淡々とした口調で言い放つ。
「ナスカくん、もういい」
 短い言葉ではあったが、冷たくはなかった。ナスカはゆっくりと顔を上げる。
「そんなのは君らしくない。嵐が来るから止めてくれ」
 ジレル中尉は淡々とした平坦な声で言った。
「カッとなってごめんなさい。あの、本当はあんなこと言うべきでないと分かっていました。だけど衝動的にあんな……どうか許して下さい」
 ナスカは緊張しながらも懸命に言葉を紡いだ。
「もう許している。……というより、そもそも最初から怒ってなどいない」
 リリーはナスカとジレル中尉を交互に見ている。
「ありがとうございます」
 ナスカは少し笑ってお礼を述べる。勇気を出して素直に謝って良かったと思った。

 その翌日、ナスカは廊下でトーレにばったり遭遇した。
「おはよう。トーレ」
 声をかけると、トーレはぎこちなく「おはよう」とだけ返した。少しでも早く話を終えたいというような、どこか急いでいるみたいな表情だった。
「トーレ、ヘーゲルさんと作戦についての話とかした?」
 ナスカが何食わぬ顔で尋ねると、彼は小さく頷く。
「ちょっとだけ。でも、たいしたことは話してないよ」
「どんな話をしたの?」
 トーレは笑っていない。
「誰かに……言うほどのことじゃないよ」
「昨日ね、ヘーゲルさんに呼び出されたの。作戦内容を変えて、作戦が成功しないようにした者がいる。そう言われたわ」
「それがどうかした?」
「ヘーゲルさんはトーレに聞いたって言ってた。本当なの?」
 トーレは黙り込んでしまう。
「何か訳があるのよね。……それも話せない?」
 ナスカはほんの一瞬もトーレから目を離さない。彼をまっすぐに見つめる。
「お願い、話して」
 ナスカはトーレの手を握り、真剣な表情で彼の大きな瞳を凝視する。
 しばらく沈黙があり、トーレは弱々しく口を開く。
「……言わないと殺すって言われたんだ。裏切りがあったって言わないと、家族まとめて処刑だって。裏切るつもりじゃなかった。けど、僕……処刑なんて言われたら怖くて」
「……そう。そうよね。そんなことだと思ったわ」
 トーレは呟きより少し大きいくらいの声で言う。
「で、でも、本当のことは言ってないよ」
 ナスカは小声で返す。
「嘘を言ったの?」
「うん、そうなんだ。隙を狙ってヘーゲルを暗殺する作戦に変えたって言ったよ」
 気まずそうにトーレが言った内容に、ナスカは絶句した。
「そんなことを言ったの!?そりゃあ怒られるはずだわ」
 ナスカは驚きと呆れの混ざった言い方をした。
「トーレ」
 と、背後から名を呼んだのはエアハルト。突然のことでトーレは驚き、硬直する。
「今、少し構わないだろうか」
 エアハルトがそう言うと、トーレはさらにひきつった顔になる。ヘーゲルに告げ口したことを怒られると思ったのだろう。ナスカは推測した。
「あ、あ……ごめんなさい」
 トーレにいきなり謝られたエアハルトは、やや戸惑った表情で言う。
「どうした?」
「あっ、いや、えと……」
 トーレは挙動不審だ。
「ヘーゲルさんの話ではありませんでしたか!?」
「ん?テスト飛行の話だけど」
 エアハルトはどうやら告げ口のことを知らないらしい。とっくに知っていると思っていただけに意外だ。責任者的役職であるエアハルトに最初に話がいきそうなものだが。
「テスト飛行、ですか?」
 トーレは不思議そうな顔をして尋ねる。
「そうなんだ。ちょっと付き合ってくれないか?」
 エアハルトは少し笑う。
「えっ、僕ですか!?」
 トーレは驚いて返した。
「こんなに健康だというのに、みんな揃って反対するんだ。飛ぶのはまだ危険だ、と。誰も相手してくれない。地上勤務ばかりというのも退屈なものなんだよ。そこで、君に協力してもらいたいって話」
 しばらくしてからトーレは口を開く。
「ですけど、僕にできることは限られています。ナスカとかの方がいいのではないですか?」
 するとエアハルトはきっぱりと言い返す。
「ナスカを不必要に飛ばすわけにはいかない。そんなことで怪我したりしては可哀想だ。それに、もしリボソの偵察機なんかに発見されたらもったいない」
「……だから僕にですか」
 トーレは嬉しくなさそうに、小さくぽそっと漏らした。
「嫌ならば断っても構わない。今回は君の意思に任せる」
 トーレの嫌そうな顔に気が付いたからか、エアハルトはそう付け足した。
 しかし、訪れた沈黙を先に破ったのは、予想外にもトーレだった。
「何をすれば?」
 その静かな声にはトーレなりの勇気が滲んでいる。
「戦闘機に乗って空へ行って。それから……撃ち合いだ」
 エアハルトはどこか嬉しそうな声色でそう言った。
「実弾ではなく訓練用を搭載しておくように。では、三十分後に上空で会おう」
 と続け、ご機嫌なエアハルトは通りすぎていった。その足取りは弾んでいる。ナスカは彼が戦闘好きだということを、久々に再確認した気分だった。
 エアハルトの姿が見えなくなると、トーレはすぐさまナスカの方を向き叫ぶ。
「まずいことになっちゃったよ!どうしよう!?」
 ナスカは冷静に返す。
「とにかく、準備した方がいいと思うわよ」
「他人事だぁ!冷たい!」
 トーレは涙目になっている。
「地上からゆっくり観戦しておくわね」
「というか僕、撃ち合いなんてしたことないよ!実戦で戦ったことだってないのに、そんな模擬戦闘みたいな……」
「実戦に備えてするのが模擬戦闘よ」
「……どっちでもいいよ」
 もはや思考がこんがらがり、トーレはよく分からないことを言い出している。
「ナスカ、助けてよ!相手はクロレアの閃光だよ!?」
 トーレはナスカの肩を持ち、大きな瞳に涙を溜めながら、必死に訴える。
「エアハルトさんだと思えば大丈夫よ」
 ナスカにはそれしか思い付かなかった。
「僕、油断してたよ!まさかこんな日が来るなんて……」
 すっかりびびりあがり、子犬のように震えている。
「大丈夫、勉強になるわ。それに実戦じゃないから殺しにきやしないわよ。実戦のエアハルトさんと戦うよりはましだと思って」
「ひえぇ……」
 トーレは青ざめている。
「嫌なら断ればよかったのに」
 ナスカが言うと、トーレは困り顔で首を横に振る。
「そんな、断れないよ」
「なら仕方ないわね。時間はあまりないんだから準備してきたら?」
 がっくりと肩を落としてトーレは頷いた。
「いきなりやって来て三十分後とか……早すぎるよ。そんな早く準備できないよ……っていうか着替えて外に出るまでで十分くらいはかかるよ……」
 何やら不満をぶつぶつ漏らしていた。
 トーレと別れ歩き出そうとした時、ジレル中尉とリリーが仲良く現れた。
「あ、ナスカ!おはよう!」
 リリーは当たり前のように明るく声をかけてくる。
「リリー、本当に仲良しね」
 ナスカが言うと、リリーはハッとして少し気まずそうな顔をし、ジレル中尉から離れる。
「あ……ごめんなさい」
 ナスカは昨日のことを思い出して言う。
「リリー、そういう意味じゃないから。仲良くしていいのよ」
「……本当?」
 リリーは不安げに呟いた。
「本当よ、リリー。そういえばジレル中尉って貴族出身だったんですね」
 ナスカが話をふると、ジレル中尉はじとりとした目付きで尋ねる。
「……誰に聞いた?」
 ナスカは聞き取りやすいはっきりした声で答える。
「兄から聞きました」
「……兄?あぁ、そうか。君も貴族の家柄だったな」
 ジレル中尉は納得したようで小さく頷いていた。
「ナスカくんには兄がいたのだな。知らなかった」
 そこにリリーが口を挟む。
「ヴェルナーだよ!リリーとナスカの優しいお兄ちゃん!」
 屈託のない無邪気な笑顔にやられ、ジレル中尉は少し頬を赤らめる。
「足が悪くて歩けないの……でも、リリーたちを守ってくれたとってもいいお兄ちゃん!リリーも、ヴェルナーのこと大好き!」
「そうか、良いことだ」
 一生懸命笑顔をつくろうとしているが、リリーの笑顔の愛らしさに動揺しているらしい。動揺を隠しきれていない。
「ジレルにも今度紹介してあげるよ!リリーはね、ジレルならきっと仲良くなれると思う!」
「楽しみにしておこう」
 二人が話し出すとナスカは置いてきぼりにされた気分になり微かに胸が苦しくなる。喉近くまで込み上げてきた言葉をうっかり吐いてしまわないように、ナスカは唇を固く閉じる。
 リリーも一人の人間だ。いつかは誰かを愛するだろうし、旅立つ時も来る。ナスカだってそれは十分承知している。
 なのにナスカは得体の知れない喪失感に襲われた。
「……カ、ナスカ」
 リリーの声を聞き、はっと現実に戻る。
「ナスカ、大丈夫?ちょっと……顔色が悪いみたいだよ」
 気がつくとリリーは心配そうな眼差しでナスカを見つめていた。
「……ナスカくん、大丈夫だ。リリ、いや、リリーくんは君を一人にはしない」
 ジレル中尉は相変わらず冷たげな表情で言い放った。いつも通りの冷めた顔つきとは裏腹に声は穏やかだった。
「それよりナスカくん、トーレの模擬戦を見に行ってやればどうだ?」
「あ、聞こえてましたか」
「もうすぐ始まりそうだな」
 ナスカは腕時計を見て驚く。
「こんな時間!ありがとうございます。では行ってきます」
 お辞儀をして別れようとしたその時、リリーが口を開いた。
「ねぇ、リリーも行っちゃダメかな?」
「もちろん!構わないわ」
 ナスカは答えた。
 リリーの表情が一気に明るくなる。顔面に向日葵が咲いたような眩しい笑顔。
「ジレルもどう?」
 リリーは誘うがジレル中尉は首を横に振る。
「私は今から仕事だ。観戦は姉妹で楽しむといい」
 それはジレル中尉の彼なりの気遣いだった。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.80 )
日時: 2017/09/08 18:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Mu5Txw/v)

episode.20
「光と闇」

 ナスカはリリーと一緒に建物の外へ出た。
 ところどころにある雲の隙間から太陽の光が漏れて、海辺特有の強風が冷たさを助長している。そんな日だった。
「今日は空が綺麗だね!それにしても平和だなぁ」
 リリーが両腕を大きく広げて深呼吸をしながら言った後、楽しそうにその場でくるくると回転する。
「確かに最近はここは攻撃されることが減ったわね。でも平和になったわけじゃない」
 ナスカは独り言のように小さく呟いた。
 リリーは一度ナスカを見てぱちぱちまばたきしてから、再び空を見上げる。
「……そだね。いつか、本当に平和になるといいなぁ」
 どこか寂しげな声色だった。
「なるわ」
 ナスカは静かだが強い声で言った。
「必ずその時は来るわ」
 リリーは視線をナスカに移して笑う。
「そうだね!」
 そして続ける。
「ねぇ、ナスカ。もし平和になったらさ、リリーを戦闘機に乗せてよ!」
「……え?」
 あまりの唐突さに、ナスカはしばらくついていけなかった。
「そしたら、リリーも空を飛べるでしょ!」
「えと……リリーもパイロットになるってこと?」
 するとリリーは明るく返す。
「それは無理だよ!ナスカの戦闘機に乗せてほしいなって!空から海とか見たいなぁ」
 自分がパイロットになる可能性はきっぱり否定するリリー。そんなリリーを見て、ナスカは彼女らしいと思うと同時に、どこか可笑しくて笑ってしまった。
 でもその方がいい。そんな可能性はいらない。リリーみたいな可愛い女の子が戦闘機に乗って殺し合いをするような時代は来てほしくない。
「それは……素敵な話ね」
 ちょうどそこへ、飛行服を着たトーレがばたばたと走ってくる。
「頑張ってね、トーレ!」
 ナスカが声をかけると、トーレはその緊張した顔にほんの少しだけ笑みを浮かべ頷いた。
 それからトーレが乗り込んだのは実戦用の機体だった。
「え、訓練機じゃないの?」
 ナスカは無意識に漏らしていた。
「えぇ。訓練機ではありませんよ」
 気がつくとナスカの真横にベルデがいた。いつの間に。気配は全然感じなかった。
「アードラーさんが愛機に乗るというのにトーレくんが訓練機では不平等でしょう」
 ナスカは返す。
「確かにそうですね」
「それにしても、なぜトーレくんを相手に選んだのか分かりません。彼ではアードラーさんの相手にはならない……」
 ベルデはそんなことを不満げに漏らしていた。
 エアハルトが飛ぶことを皆が許さなかったからだろう、とナスカは思ったが、口には出さなかった。
「見て!飛ぶよ!」
 リリーが瞳を輝かせながら大きく叫んだ。
 それとほぼ同時に、黒い機体が滑走路を駆け抜け空へ舞い上がった。続けてトーレの乗る平凡な戦闘機も離陸する。気の弱いトーレがとても心配だ。
「アードラーさんの飛行は相変わらず美しい……」
 いつも淡々としているベルデは彼らしくなく、綺麗な弧を描く黒い戦闘機をうっとりとした目付きで見つめている。
「エアハルトさんの飛行が、お好きなんですか?」
 ナスカがそう尋ねると、ベルデは語り出す。
「はい!安定感がありながらも公式に縛られない飛行!彼は航空隊の宝です!航空学校時代から常にトップを走り続けてきたのですよ。凄いとは思いませんか?」
 最終的には同意まで求めてくる始末だ。
 その時、黒い機体からレーザーミサイルが発射される。
「トーレ、危ない!」
 彼に届かないことは分かりながらもナスカは叫んでいた。
「ナスカさん、大丈夫ですよ。あれは訓練用のペイントレーザーミサイル。当たっても機体に絵の具で描いたような丸い印がつくだけです」
 ベルデが説明口調で言った。
「へぇ、面白い」
 ナスカは大声を出したことを恥ずかしく思い、少しばかり赤面し、苦笑いしながら返した。
 トーレの搭乗機は降り注ぐレーザーミサイルの雨を回避するのに必死で、反撃の余裕はなさそうだ。当然のことだが、そう簡単に反撃の隙など与えるエアハルトではない。
「ここまでアードラーさんの攻撃から逃げ回るとは、トーレくんも意外とやりますね。しかし……そろそろ決着ですかね」
 ベルデが言い終わらないうちに、レーザーミサイルがトーレの乗っている機体に当たる。たったの数発によって、機体がペンキのようなもので赤く染まった。

「見てくれたかな?ナスカ」
「エアハルトさん、さすがの腕前でした」
 模擬戦闘を終えた二人はナスカと合流し、食堂へ行った。
 朝食は終わり昼食にはまだ早いという絶妙の時間のせいもあってか、周囲にはあまり人がいない。テーブルには紅茶の入った三つの紙コップだけが置かれている。
「やはり空は僕の世界だなって思ったよ。スピード、重力、それに命の奪いあい」
 嬉しそうに語るエアハルトの真横で、トーレは青い顔をして縮こまっている。
「トーレ、顔色悪いけど大丈夫?体調悪いなら休んだら?」
 ナスカが心配になって声をかけると、トーレは真っ青な顔を上げる。
「体調悪いとかじゃないんだ。その……大丈夫だから」
「そう?ならいいけど……」
 畏縮したトーレの様子を見ていたエアハルトが、唐突に真面目な顔で言う。
「トーレ、どうして逃げ回ってばかりいた?」
 怒っているようには見えないが、どこか冷たさを感じる声だった。
「君は最初から戦う気がなかっただろう。なぜだ」
 トーレは暗い表情を浮かべながらうつむき小さく呟く。
「……怖くて」
 エアハルトは黙っていた。
「……反撃しようとしました。でも、僕は引き金を引けなかったんです。訓練だし、それで誰かが死ぬわけじゃないと分かっていました。だけど、一度引き金を引けば……戻れなくなる気がして怖いんです」
 目の前のエアハルトに怯えながらも必死に言葉を紡ぐトーレの唇は震えていた。
「そんなものは戦闘機乗りの宿命だ。宿命に逃げ道などない。つまりは、進むしかないということだ。くよくよ悩んでも時間の無駄。そんな暇があるなら引き金を引け。すぐ慣れる」
「僕は貴方とは違う!!」
 トーレが反論した。
 ナスカはその様子を信じられない思いで見つめた。
「アードラーさんはすぐ慣れたかもしれない。でも僕は……」
 エアハルトも驚き顔だった。
「僕は、人殺しにはなれない」
 トーレは更に続ける。
「敵にだって、家族がいて仲間がいて、大切な人がいるでしょう!僕に人は殺せません。帰りを待っている人がいるのに。いくら敵でも……そんなのはあまりに残酷です!」
 ナスカは何も言えなかった。頷くことも、それは違うと否定することも、どちらもできなかった。トーレの言うことは分かるのだが、大切な人を守るためには敵に情けをかけている余裕はない。
「足手まといだと思うなら、才能のある人間だけで戦えばいいじゃないですか。僕がいなくても何も困らない……そうでしょう!」
 エアハルトはしばらく悲しそうな目をしていた。
「君は……優しいんだ。人より少し優しく生まれた。だから、人より少し多くのことに罪悪感を抱く」
 胸を締め付けられる思いで二人を見つめるナスカ。
「トーレ、僕は君を足手まといだと思ったことはない。君は僕を助けてくれたし、今日も付き合ってくれた。僕もタイミングがあればきっと君を助けただろう。……だが、本当は違う世界にいる人間だったのかもしれないな」
 エアハルトは立ち上がる。
「君は幸せだ。家族も友人も、何一つとして欠けていない。僕もそんな風に生きたかったよ」
 彼はどこか寂しそうにそう言いナスカに小さく手を振ると、自分の紙コップを持ってどこかへ歩いていった。
 静寂に取り残されたトーレがやがて小さく言う。
「ナスカ……僕さ、憧れていたんだ。アードラーさんのこと、尊敬してた。ナスカのことを尊敬しているのと同じぐらいに」
「……そう」
 ナスカはトーレの話を聞きながら、静かに紙コップの紅茶を飲んだ。
「いつか僕もあんな風になれるかもしれないって、本当はちょっとだけ期待していたんだ」
「……そっか」
「僕、ずっと地味で目立たない人生だった。優秀でもないし、かっこいいわけでもない。嫌だった。アードラーさんはさ、人気だしいつも人に囲まれてちやほやされて、光って感じ。だから、ナスカと仲良くなって、アードラーさんとも知り合いになって、初めて話せた時は緊張したけど、自分も光に当たれたような気がして嬉しかったんだ」
 トーレはナスカに視線を合わせて切なそうに微笑む。
「でも今日、本当に幸せなのかなって思った。アードラーさんは期待に答えるために戦い続けてる。人の心を捨てて無理するぐらいなら、平凡な人生のほうがある意味楽かなって。でも、そうしたら僕が今までしてきたこと、全部無駄だった気がして……ちょっとだけ辛いよ」
「無駄じゃないわ」
 ナスカはきっぱり告げた。
「もし今すぐ役に立たなくとも、いつかきっとトーレ自身を救うことになる。意味のないことなんてあるはずないわ」
「ナスカ。僕はこれから、誰を目指せばいいんだろう」
 トーレはすがるような目でナスカを見てくる。
「エアハルトさん以外で?」
「……うん。僕はあんな風にはなれない。悪魔だよ、彼は」
「どうして?」
「実弾でないとはいえ、あそこまで本気で攻撃してくるなんて……それに、殺しあいで生き生きしてる。そんなブラックな人とは知らなかったんだ。それがちょっとショックでさ」
「光が強ければ強いほど、闇は深くなるものよ」
「それはどういう意味?」
「誰かを照らす光になろうとすれば必ず闇も生まれるってこと。私は大切な人を二度と失わないためにこの道を選んだわ。この道を行けばいつかこの手を穢すことになると分かっていながらね。私の場合なら数人のため。でも、もしそれが、航空隊やこの国であったなら?」
 トーレは真剣な顔だ。
「生まれる闇の深さはきっと、私とは比べものにならないでしょう」
「じゃあ僕は何も守らなければいいのかな」
「今はまだ、それでいいんじゃない。守るものなんて自分で探すものじゃないわ。気がついたら勝手にできてるものよ」
 不安げなトーレにむかってナスカは笑いかける。
「紅茶冷めたんじゃない?新しいのもらってこようか」
「そんな、いいよ。冷めたほうが飲みやすいぐらいだし、全然気にしないで……」
 トーレは遠慮がちに答えた。
「そう?ならいいけど」
「ありがとう。ナスカに励ましてもらって元気が出たよ。色々迷惑かけてごめんね」
 そう言ってトーレはようやく純粋に笑った。ナスカは嬉しく思う。
 だが、それからというもの、トーレがエアハルトと話すことはしばらくなかった。


Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。