ダーク・ファンタジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

白薔薇のナスカ《改稿版投稿完了!》
日時: 2017/09/10 23:51
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

初めまして。あるいはこんにちは。四季といいます。
以前他サイトに投稿していた作品なのですが、こちらに移動させていただくことにしました。
初心者なので拙い文章ではありますが、どうぞよよしくお願い致します。
※この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

初期版 >>01-50
2017.8 改稿版 >>53-85

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.71 )
日時: 2017/09/07 18:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KnTYHrOf)

episode.11
「突撃!敵陣へ」

 ナスカを乗せた機体は加速し一気に星空へ舞い上がる。それに続いてトーレも離陸した。
「夜に飛ぶのは初めてだわ」
 少しでも気をまぎらわすべくナスカは無線でトーレと会話する。
【うん。視界が悪いから安全運転しないとね!】
 地上から見上げる夜空は好きだが、暗い空を飛行するのはあまり心地よい感じではなかった。暗闇に吸い込まれそうな、そんな感覚に陥る。それに、現実的に考えても、視界が悪いせいでぶつかりそうで怖い。
 ジレル中尉は安全ベルトがきついらしく、顎を上げて溜め息を漏らしている。早速ストレスが溜まっているようだ。ナスカは予定通りの飛行を数分間進めた。
「リボソの管理空域に入るぞ。探知されるものはすべて消せ。ばれるなよ」
 ナスカはジレル中尉の指示通り無線とレーダー系を切り、高度を徐々に落とす。ジレル中尉は窓から双眼鏡で地上を眺めている。
「間違いないな。予定通りだ」
 なるべく騒がしくならずに着陸しなくてはならない。撃ち合いとはまた異なる緊張感だ。指先まで神経を巡らせていたおかげでスムーズな着陸に成功した。取り敢えず第一関門突破だ。

 ジレル中尉は持ってきていた銃器を抱えて機体を降りると辺りを見回した。そして、周囲に誰もいないことを確認すると、OKサインを出した。ナスカはそれから地面に降りる。
「やけに静かですね」
 ナスカは小声でジレル中尉に話しかける。リボソの夜はいやに静かだった。普段なら話しかけないであろう彼に話しかけたのは、音がしなさすぎて気味が悪いからである。二人は音を立てないよう注意しつつ、目的地へ慎重に歩く。
「あぁ、そうだ。これを」
 ジレル中尉は唐突に黒くて丸い物体を渡してくる。
「これは、手榴弾ですか?私、使ったことありませんが……」
「似ているが煙玉だ。手榴弾ほど危険な物ではない」
 彼はいつもと同じく無愛想だが、一応ちゃんと説明はしてくれた。
「安全ピンを抜くと煙が出る。使う時はピンを抜いてすぐに投げつけろ。少しは時間稼ぎになるだろう」
 カサッ。
 小さな音にも敏感になっているナスカは恐る恐る音が聞こえた方に目を向ける。ジレル中尉は反射的に前に出た。
 すると、草むらからただの子猫が出てきた。
「あれ、猫?」
 ナスカが予想外に安堵の溜め息を漏らした刹那、背後から硝煙の匂いがした。驚いて振り返る。
 ジレル中尉の背中の向こう側にに人が倒れている。よく見ると眉間から血を流していて、もうびくとも動きそうにない。ナスカは久し振りに見る死体の生々しさに吐き気がしそうになった。
「不審者がいるぞ!」
 誰かの叫び声と共に足音が聞こえる。
「もう見付かってるじゃないですかっ」
 ナスカはつい大きめの声を出してしまう。ジレル中尉は静かに口を閉じるよう命じた。
「顔を見られるな。邪魔者は私が片付ける」
 彼は銃を構え、敵が近付いてくる方向へ連射した。夜の闇に轟音が響く。その隙にナスカは耳を押さえて呼吸を整える。敵との距離が近付いてもジレル中尉は冷静だった。彼の放つ銃弾は目に留まらない速さで敵を確実に仕留めていく。鮮血が飛び散り地面を赤く濡らす。ナスカは「ここまで派手にやってしまえばもう引き返す事はできないな」と思った。
 ひとまずその場の敵をすべて殲滅したジレル中尉は、ナスカを先導した。

 気味の悪いかび臭い建物に入る。なるべく足音が立たないように注意しつつ暗い通路を駆ける。ヒムロが見せてくれた地図は正しかった。だから、ほぼ順調に進んだ。
 ちょうどその頃、トーレが爆撃を開始したらしく、外から音が聞こえた。騒ぎは徐々に広がってくる。
 そんな時だった。
「やはり来ましたね」
 一人の紳士が姿を現す。大人の魅力に満ち溢れた、穏やかな雰囲気を持つ男性である。
「アードラー氏を取り返しにいらっしゃったのでしょう?分かります。彼も夜が明ければこの世にはいませんからねぇ」
 敵との遭遇にナスカは唾を飲み込む。ジレル中尉は彼を睨み付けた。
 すると男性は紳士的に優しそうな顔をする。
「まぁまぁ、そんな怖い顔をせずに。死刑は彼だけ。貴方がたは捕虜にするだけで堪忍して差し上げますよ」
 その後ろに女が立っていた。見覚えのない顔である。金の長い髪をたなびかせ、鋭い目には光がない。よく見ると第一印象よりは幼い顔付きだ。
「この子はとても優秀でね、短期間で物凄く強くなったんです。いよいよ成果を試す時が来たようですね。はい、それでは」
 男性の声と同時に金髪の女は宙に飛んだ。片足を勢いよく蹴り上げるのをジレル中尉はひらりとかわす。女とジレル中尉の実力は拮抗している。
 着地の瞬間に数回発砲したのを女は華麗な身のこなしで避け、ジレル中尉の脇腹に蹴りを入れる。ジレル中尉はナスカが呆気にとられている間に、横の壁に叩き付けられた。腰を強打した彼はすぐには立てない。だが腕に抱えた銃を無理矢理連射する。しかし、そんな撃ち方で命中するはずもない。
「ジレル中尉!」
 ナスカは悲鳴のように叫んだ。
 女は彼をコンクリの壁に押し付けて腹や胸に蹴りを入れる。逃げ場は無い。それでも彼は義手の左腕を振り回したりして抵抗した。そしてもたもたしているナスカに叫ぶ。
「早く行け!」
 ナスカは頷いて記憶を頼りに先へ走り出す。
 ナスカを追おうとした男性の背中を、ジレル中尉は撃ち抜いた。その場に女と二人きりになるとジレル中尉は反撃に出る。
「本当に痛かったじゃないか」
 目の前にいる女を殺すつもりはない。いかにして足止めするかに彼は頭を使っていた。
 一方ナスカは捕虜を収容している個室のある付近へ到着する。小部屋が沢山並んでいる。
 ナスカは急いで鍵に彫られている部屋番号の部屋を探した。構造が複雑すぎて頭が痛くなりそうだったが何とか見付けることができた。急いで鍵を鍵穴に差し込む。最初は上手く開けられない。しかし、諦めずに数回差し抜きしているうちに勢いよく扉が開いた。中はナスカが予想していたより狭い。
「エアハルトさんっ」
 鋭い瞳がナスカを見る。それは間違いなくエアハルトのものだった。黒い髪には艶がないが瞳の凛々しさは感じられる。
「生きていて良かった!」
 ナスカは衝動的に目の前にいる男を抱き締めていた。
「痛い痛いっ!」
 エアハルトは突然のことに驚き戸惑ってジタバタする。
「あっ、ごめんなさい!」
 ナスカは正気に戻って体を離した。無意識のうちに思っているより強い力を入れてしまっていたらしい。
「痛かったですか?強くしてしまってすみませんでした」
 謝罪するナスカにエアハルトは笑いかける。
「ううん、大丈夫。ごめんね。突然だったからびっくりしちゃっただけだよ」
 ナスカは立ち上がりエアハルトに向けて手を伸ばす。
「急いでここを離れましょう。そろそろ見つかって追っ手が来るかもしれません」
 するとエアハルトは非常に気まずそうに述べる。
「……足に枷が。部屋の鍵と同じので外れると思うんだけど、試してくれないかな」
 ナスカは強く頷き、鍵穴を探し見付けて、そこに鍵を差し込む。カチャンと音を立てて鎖の繋がった枷が外れた。
「外れましたっ。さぁ、急ぎましょう」
 エアハルトはゆっくり立ち上がるとナスカの手を掴んで「ありがとう」と言う。赤くこびりついた傷だらけの手をナスカはそっと握り返した。顔を見ると随分痩せたなと思ったが言葉には出さなかった。
「必ず生きて帰りましょう。みんな、エアハルトさんを待っていますから」
 ナスカは手を引いてエアハルトと小部屋を出る。急ぎ足で予定通りの経路を進む。
「いたぞ!あっちだ!」
 近くから声がしたので二人は壁に隠れる。ナスカは心臓が破裂しそうなぐらい緊張した。鼓動の音で発見されるのではないかと思うぐらい、鼓動が大きく速くなる。
「いません!」
「探せ、と言っている!いいからとっとと探せっ!」
 少しは休憩できたがすぐに発見される。奴らに捕まったら最後だ。ナスカはエアハルトを引っ張って走る。走る。ここまで来て死ねるか。死に物狂いで走った。
「痛いよ、ちょ、ちょっと!」
 敵との距離が徐々に縮まる。敵が予想以上のスピードだったのだ。ナスカは必死になって、がむしゃらに全力疾走する。
 やがて視線の先に、外へと続く扉が見えてくる。失いかけていた希望が蘇ってきた。ヒムロの話によると、そこはいつも鍵が閉まっていないらしい。ナスカは今夜も開いていることを願い扉に手をかける。すると扉は簡単に開いた。
 ようやく外へ出られた。ナスカはほんの少しだけだが安堵する。
「追い詰めたぞ!」
 しかしその叫び声を聞いて気付いた。迎えが来ていない。作戦ではこのタイミングで誰かがここに来ているはずなのだ。
 ナスカは青ざめると同時に、エアハルトを絶対に守らなければと思った。敵はすぐそこまで来ている。もう逃げられない。こうなったら全員を倒すしかない。
 一人の男がエアハルトに飛びかかっていく。エアハルトは華麗な動きでナイフを奪った。衰弱しているであろう体でも、それなりの運動神経は健在のようだ。
「ぎゃー!取られた!」
「何やってんだ、バカッ!」
 エアハルトは強く睨み、敵を牽制する。夜だからか空気がやけに冷たくなってきた。
「ナスカ、怯えることはない。君は一人じゃない。だから、きっと上手くいくよ」
 彼は独り言のように言った。それがナスカに対する言葉であったか、それはよく分からない。
「僕が君を守る!」
 叫び声と共にエアハルトは敵の中へ突撃した。武器はさっき敵の男から奪ったナイフしかない。人数的にみても勝敗は分かりきっている。だが彼は勇敢に戦った。愚か者ではないのだから歩が悪いのは分かっているはずだ。それでも彼は、ナスカを守りたかったのだろう。
 エアハルトはナスカの予想を遥かに上回る強さを見せた。次から次へと襲いかかってくる男たちをナイフ一本で見事に倒していく。
「くそっ、全員で行くぞ!」
「ちょっとトイレ行きたいわ」
「うっせぇ!殺すなよ!」
 三人の男がエアハルトに同時に襲いかかる。素早い動きで一人を切り裂いたエアハルトだったが、その際にバランスを崩して転倒した。その背中を一人の男の短剣が狙う。ナスカは意識しないうちに短剣を振り上げた男に向かって突進していた。不意打ちを食らった男はぶっ飛んで横倒しになる。
「おい、バカか!」
 最後に残った男が怒声と共にエアハルトの首を強く掴み、いとも簡単に持ち上げる。
「ちょっと!止めて!」
 ナスカは叫んで手を伸ばしたが、男の屈強なもう一方の腕に凪ぎ払われた。
「女風情が邪魔すんなっ!!」
 男が手に力を込めるとエアハルトは掠れた呻き声を発する。
「ナスカに……手を出すんじゃない」
 男は片膝でエアハルトの腹部を蹴り、首を締める手の力を強める。
「う、うぐっ……」
 エアハルトは呼吸が出来ず苦しそうに顔をしかめている。その様子を見ていることしかできず、ナスカはまたしても自分の無力さを感じた。
「少し……待て」
 それを聞いた男はほんの少しだけ握力を緩める。
「ナスカは、見逃して……やってくれ。……まだ、若いし。僕の首は、このまま締めて……構わないから」
 エアハルトは微かに微笑む。
「ダメよっ!!」
 ナスカは叫んだがエアハルトには聞こえていない。
「僕を……屈服させたいん……だろう。ナスカは、無関係……そうじゃないか……?」
 数秒考えて男は返す。
「良いだろう、小娘一人ぐらい帰してやる。だが一つだけ条件だ」
 それから男はエアハルトの首を両手でがっしり握り、一気に締め上げた。
「止めて!」
 エアハルトは男を強く睨み付けるだけで何も言わない。恐らく言えないのだ。呼吸をする音が聞こえない。
「今から六十数える。終わるまで気を失わなければ小娘は見逃してやろう。こういうゲーム、好きだろう?」
 ニヤリと悪そうに口角を持ち上げると、男はとてもゆっくり数を数え始める。ぎしぎしと首が締まる音がする。
「止めるのよ!」
 ナスカは自分の足元に落ちていた短剣を拾い、男との距離を段々詰めていく。
「あぁ?何だ、小娘が」
 そしてナスカは男に向かって短剣を振り回した。短剣の使い方はさっぱり分からないがひたすら振り回す。
 やがて剣の先が男の片目を掠めた。薄く切れた瞼から血が伝う。男は痛みでか、思わず手を離した。脱力したエアハルトの体は地面に対して垂直に落下する。
「この小娘がぁっ!」
 男は激昂してナスカを蹴る。体重の軽いナスカは勢いよく吹き飛んだ。更に追い討ちをかけるように、男は自分の全体重をかけてナスカの胴体を踏みにじる。
 焼け付くみたいに痛い。痛くて泣きたくなったが、必死に涙を堪える。こんなところで弱さを見せてはいけない。そう思ったから。
「ナスカ……!」
 必死に顎を上げるとエアハルトと目が合う。彼は荒い息をしながら横たわっている。さすがにあそこまでされた後ではまともに動けないらしい。
「ん〜ん?よく見ると良い体をしているな。ちょっとだけ遊ばせて貰おうかな?」
 男はゆっくり腰を下ろすと、にやけながらナスカの体に触れる。
「ち、ちょっと!」
 腰から背中にかけてをゆっくりと柔らかに撫で、手を腹の方も触ろうと手を伸ばす。
「もっと……あ?」
 突然、男の言葉が途切れた。男は同じ体勢のまま真後ろに倒れる。ぴくりとも動かない。その様子はまるで亡骸だ。地を赤が染めていく。
 ナスカは慌てて立ち上がり、エアハルトの方へと駆け寄る。
「エアハルトさんっ、無事ですか?エアハルトさん!」
 彼は輝きの無い虚ろな瞳でナスカを見た。
「……ナスカ?」
 ナスカはエアハルトの血に濡れた唇をハンカチで拭う。
「命中したか」
 聞こえてきたのはジレル中尉の静かな声だった。狙撃用の細くて大きい銃器を右腕に抱え、こちらへ歩いてきていた。
「どうも間に合ったらしいな」

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.72 )
日時: 2017/09/07 18:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KnTYHrOf)

episode.12
「もう失いたくなくて」

 ジレル中尉は辺りに散らばった屈強な男達を見ると、不思議そうに言う。
「これは……まさかナスカくんが一人で?」
 ナスカはさすがにそこまで凶暴ではない。
「いえ、私がやっつけたのは一人だけで。他は全部エアハルトさんです」
 ジレル中尉は静かに視線をエアハルトに向けてから、「これが?」とでも言いたそうにナスカに視線を戻す。エアハルトは瞳を閉じて死んだように動かない。信じられないのも無理はないか。
「死んだのか?」
「死んでません!そんなこと、言わないで下さいっ!」
 ナスカが注意すると彼は「やたら元気だな」とよく分からない文章を返した。
「それより、こんなところで安心していていいのか?まだ敵陣の真っ只中だ」
「そうですね。そろそろ行かないと。もう襲われるのはごめんです」
 ナスカは立ち上がり、足についた砂を払うと、エアハルトを起こそうと声をかけてみる。
「エアハルトさん、聞こえますか?起きて下さい」
 まったく反応が無いので、ナスカは彼の両腕をしっかり掴み引っ張ってみる。しかし、少女一人が意識不明の成人男性を動かすのは、かなりの重労働であった。
「うーん、うーん」
 物凄く少しずつ引き摺るのがやっとだ。ナスカが困っているのに気付いたジレル中尉は、急にいつになく大きな声で叫ぶ。
「大変だ!ナスカくんが!」
「ジレル中尉、一体何を?」
 するとエアハルトの指がぴくっと動いた。
「エアハルト……さん?」
 不思議なことにエアハルトの目がぱちりと開く。むくっと上半身を起こすとナスカと目が合い、きょとんとする。
「あれ、ナスカ?」
 エアハルトはきょろきょろしてから再びナスカを見る。
「……おかしいな」
「何が?」
「いや、何か聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな?ごめん、忘れて」
 ナスカはニヤッと笑ってジレル中尉に目をやる。彼は何事も無かったかのような顔をした。
「エアハルトさんには私の機体に乗っていただきます。その体で運転は難しいでしょう?」
「ナスカがそう言うならそうなのかも。やっぱり敵陣で無理はしない方が確実だよね。あ、でも僕の機体はどうなる?あれ研究されたら困るんだけど……」
「それはジレル中尉が」
 するとエアハルトは怪訝な顔でジレル中尉を凝視する。そしてみるみる不穏な空気になる。
「壊さないで下さいよ」
「今のお前よりかはましだ」
 エアハルトとジレル中尉は急激に嫌な雰囲気になり、睨み合い火花が散った。
「僕の愛機ですから、本来は僕が乗るのが相応しいのですけどね」
「案ずるな。私とて素人ではない」
「怖いのに無理することはありませんよ。僕が乗って差し上げましょうか?」
「可愛くないな。そんな体の状態で操縦できると思っているのか」
 ナスカは疲れた。二人共不器用だからこんなことになるのだろうな、とナスカは思った。両方が意地を張って一歩も退かない。
「やればできる!」
「傷を軽く見すぎだ。満足に歩けもしないくせに強がるな」
「侮辱しないで下さい!」
「心配してやっているのだが」
 ジレル中尉は嫌味たっぷりに溜め息をついた。
 ナスカは苛立っているエアハルトの肩をぽんと叩く。
「落ち着いて下さい、ジレル中尉の言う通りです。無理は禁物ですよ」
 エアハルトは溜め息を漏らしてから、微笑を浮かべた。
「あー……それもそっか」
 ナスカの腕を持って腰を上げると彼はじとっとジレル中尉の方に目をやり、嫌味っぽく「ナスカに心配かけたくないからです」と言った。相変わらず面倒臭い性格だ。しかしナスカはエアハルトが元気そうになって嬉しかった。
 二人が歩き出そうとした時。
「ジレルーッ!!」
 長い金髪の女が猛スピードで走ってくる。ナスカは新手の敵かと思い警戒する。女はジレル中尉の前で止まった。よく見ると、さっきの女だ。
「ジレルー、邪魔な奴ら締め上げてきたよ。ねぇ、偉い?」
 女はジレル中尉に抱き着く。ナスカは唖然とした。
「……誰?」
 すると女はクルッとナスカに近付いてきて明るい声を出す。
「ナスカ。久し振り、分かる?リリーだよ!」
 ナスカは驚きで何も言えなくなった。顎が外れる勢いだった。帰ってこないと諦めきっていたリリーが、今、目の前にいる。信じられない。
「り、リリーって……本当に言っているの?」
「そう、嘘みたいでしょ!リリーね、生きてたの!」
 リリーと名乗る目の前の女は屈託のない笑顔を浮かべてナスカを見つめる。
「急に言われても、そんなの信じられないわ。疑問が多すぎるもの。貴女が本当にリリーだとしたら、あの時私が分かったのでしょう?分かっていながら、どうしてジレル中尉に手を出したりしたの」
 彼女の表情が曇る。
「……それは」
 気まずくなっているのに気が付いたからか偶々かは分からないが、エアハルトが穏やな口調で挟む。
「まぁまぁ、話は後で。ヒムロさんが急げって言ってるから急ごう?全部後で良いよね」
 ナスカは少し言い過ぎたかと思い、口をつぐんでエアハルトの顔に目をやると、彼は小さく頷いた。エアハルトが転倒しないように腕を支えると、二人は歩き始める。
 機体まで辿り着くと、ナスカは操縦席に座り、エアハルトを助手席に座らせる。シートベルトを締め電源を入れ、気合いを入れて前を向く。ナスカはいつもより緊張気味だ。だがとても懐かしい感じがする。今でも一人前だとは言えないかもしれないが、半人前だった頃を思い出す。
「エアハルトさんが隣にいてくれると、とても心強いです」
 二人を乗せた機体はどんどん速度を上げ、やがて夜空へと高く舞い上がった。透明で外が見えやすい構造のコックピットからは、無限に広がる星の海が見える。プラネタリウムみたいだ。
 ふと右手側を向くと、小さく朝日が見えている。朝が来たんだ、とナスカは少しだけその眩しさに見惚れた。不思議な感覚だ。つい先程まで真っ暗闇に星が瞬くだけだったのに、今はとても明るく感じられる。
「……朝か」
 エアハルトはぼんやりと独り言を呟いた。彼の瞳の中でも、一日を始める太陽が輝き出している。
「本当にやってのけてしまうとは。ナスカ、君だけは敵に回したくないな」
「貴方を救えて良かった」
 クロレアの地面が視界に入ってくる。二人は顔を見合わせると、初めて心から笑った。エアハルトは笑いながらで「かっこいいことを言うね」なんて言う。冗談だと思ったのだろうか?ナスカは本気だというのに。でもそんなのは全然気にならなかった。エアハルトが生きていてくれるなら何だって構わない。
 朝がやってくる。空全体が水彩絵の具の青と赤を滲ませたような紫色に染まり、黄とも白とも言えない眩しい光が強まる。太陽の光は青い海の泡をチラチラと輝かせる。
 赤い機体に白薔薇を描かれた戦闘機は高度を徐々に下げていく。訓練していた頃を思い出すと懐かしくて自然と笑みが零れた。アスファルトと白っぽい海面のコントラストがナスカの心を踊らせる。
 帰ってきたのだ、と。

 地上では先に帰っているトーレが大きな目を見開きながら手を振っていた。その横には微笑を浮かべたヒムロが長い髪を風に揺らしながら立っている。ナスカとエアハルトの乗る機体は少しずつ減速し、やがて着陸した。
「ナスカ!」
 降りたナスカを一番に抱き締めたのはトーレだった。
「ぎゃっ、苦しい!」
 息が詰まりそうな程に強く抱き締められて、ナスカは思わずはっきりと言ってしまった。ヒムロが顔を下に向けてくすくすと笑っても、トーレはまだ腕を離さない。
「怖かったよぉ。爆撃なんかしたこと無かったからもう、上手く出来なくて……途中で弾切れなっちゃうし。危うく対空ミサイルに撃ち落とされるところだったんだよぉ……!」
 トーレは頬を濡らして泣いていた。ナスカは仕方が無いので彼の頭を優しく撫でる。すると余計に締まって苦しくなった。
「苦しいってばーー!トーレ、いい加減にして!」
「ごめん……ごめんなさい。ごめん、でも怖くてっ」
 エアハルトは微笑ましい光景を見て爽やかに軽く笑った。それからヒムロを見る。
「あたし何か変?」
 しばらく間を開けて彼は言う。
「いや、化粧が薄くなったなと思って。若干老けたか?」
「は?」
 ヒムロは激怒した。と某有名小説の一文目を借りたいぐらいに、彼女は激怒した。
「ふざけんじゃないわよ!もう一度言ってごらんなさい、殺してやるわよ!」
「化粧が薄くなったな、老けたか?と言った」
「本当に言ってんじゃないわよ!何なのそのボケは。突っ込めと言っているのっ!!?」
「もう突っ込まれた」
「こんの〜〜クソ男!収容所へ帰れっ!」
「いい男じゃなかったのか?」
 いたずらな表情のエアハルトに言われ、ヒムロは頬を真っ赤にして怒りながらも視線を逸らす。
「あぁもう……いい男よ!本当に本当にっ!!」
 逆ギレだ。
「唇は諦めてないわよ!」
 それを聞いたナスカは口をあんぐり開けて、ドン引きな表情でエアハルトを見る。
「もしかして、お二人はそういう行為を……?」
「してない!してないよ!」
 エアハルトはナスカに誤解されたくなくて慌てて否定する。そこにヒムロが口を挟む。
「あら、忘れちゃったの?あたしとっても悲しいわ〜〜。収容所じゃ、た〜〜くさんさせてくれたのに……」
「鬱陶しいっ!捕虜だから逃げられなかっただけだ!」
 エアハルトは憤慨する。
「でもアードラーくん、唇だけは必死で守ろうとしてたわよねぇ。あ、もしかしてナスカちゃんと……するから?」
「おい、調子に乗るなよ!」
 ヒムロが茶化すと、今度はエアハルトが激怒した。ナスカは顔筋をひきつらせて「ないない、ないない」と繰り返した。
「でもあたしは諦めていないわよ。その唇はいつかきっとあたしが捉えるの。いつかはきっとあたしのものにする。あんなことまでしてくれたのだから……信じてるわ」
 ナスカは更にドン引きして、青ざめた顔になる。
「そんな行為をなさってたなんて……収容所って怖い」
「いや、ちょっと待って。嘘だよ?この女の話まともに信じたらダメだからねっ!?」
 エアハルトはぐったりして肩を落とす。ナスカはしばらくしてから笑いが込み上げてきて、笑い出すと止められなかった。
 でも今ぐらいは、笑って良いと思う。

 ふいに海の方を見上げると、黒い機体が飛んできているのが見えた。猛スピードのまま地面に向かって飛んでくる。
「何よアレ!このままじゃ墜落するじゃない!」
 ナスカはあたふたする。
「あのクソパイロット……」
 エアハルトは腹立たしそうに機体に目をやる。
 黒い機体は速度がつきすぎていたせいで着陸に失敗しもう一度地上を離れる。そして、二度目の着陸を試みる。今度は何とか大丈夫そうだ。何度か地面にバウンドして機体は無理矢理地面に止まる。
 ドアがバンと乱暴に開き、ジレル中尉が外へ出てくる。
「ジレルさんだ!」
 トーレがそっちへ走り出す。しかしジレル中尉は駆け寄ってくるトーレを素通りして、エアハルトの前まで来て足を止める。
「……何ですか?」
 エアハルトは怒りを堪えながら笑顔で尋ねた。
「おい、何だアレは!!?」
 ジレル中尉は大声で質問し返した。
「……はい?」
「あれは何故にあんなスピードが出るんだ!着陸出来ないところだったではないか!」
 いきなり怒り出すものだから、ナスカもヒムロも、トーレまで唖然。その中でエアハルトは一人ドヤ顔をして返す。
「実力の問題では?いや、すみません。違いました。ご高齢で操縦能力が鈍ってられたのでしょうね」
 またしても喧嘩が始まりそうになったのをナスカが止めようとした瞬間、「まぁまぁ」という少女の声が聞こえた。
「ジレル、帰ってきたばかりで喧嘩なんてダメだよ」
 リリーはてててと小股の小走りでこちらへ寄ってくる。ヒムロの存在に気付くと彼女は深くお辞儀をする。
「失礼しました!」
 ヒムロは明るく笑って「いいのいいの」なんて言った。
「ヒムロさん、どうしてここに……あ、もしかして!リリーを捕まえにっ……!?」
 一気に青くなるリリーの肩をヒムロはバシバシと激しく叩く。結構痛そう。
「んなわけないでしょーー!あたし逃げてここにきたのに」
「よ、良かったぁ……」
 こうして長い夜は終わった。
(大切な人、守れたよ。私……少しは強くなれたかな)

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.73 )
日時: 2017/09/07 19:01
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KnTYHrOf)

episode.13
「長い夜は終わり……」

「ナスカはとってもいい子ね」
 母はいつも褒めてくれた。厳しく叱られたこともあったけれど、本当は心優しい母を、私は大好きだった。皆に囲まれてすごす幸せな日々を、私は当たり前だと思っていた。
 だけど、母は突然死んだ。最期を見送ることも、さよならを言うことすらできなかった。それは私に力が無かったから。私が無力だったから、母や父、リリーも守れなかったんだ。ヴェルナーだって、死んではいないけれど死んだも同然の状態になってしまった。もしかしたらもう一生、笑いあうことも話すこともできないかもしれない。あの大好きな笑顔は二度と見られないかもしれないのだ。
 エアハルトさんはとっても素敵な人。いつも私に優しくしてくれるし傍にいて守ってくれる。でも、それに甘えていてはいけない。このままでは、彼もいつか死んでしまう。
 ……私は一人で戦わなくてはならない。二度と大切な人を失わないために。
 またあんな目に会うのはもう……絶対に、嫌。

「おはよう、ナスカ」
 目をうっすらと開くとエアハルトの顔が大きく見えた。ナスカはしばしぼんやりしていた。状況が飲み込めない。何がどうなっていたのかを思い出そうと、脳をフル回転させる。
「大丈夫?意識ある?」
 エアハルトが不安気に、ナスカの目の前で手のひらをひょいひょいと振る。
「エアハルトさん……」
 小さな声で言ってみると、彼はナスカの手を握った。とても温かな指。ごつごつとはせず滑らかだがしっかりとした強さを感じさせる指である。
「指が冷たい。もしかしてナスカ、冷え症?」
 その頃になったナスカはようやく思い出してきた。エアハルトを助けに行って、救出に成功して、帰ってきて喋っていて……この辺りまでしか覚えていない。その先の記憶は綺麗さっぱりなくなっている。
「私は……」
 ナスカが困っていると、エアハルトが尋ねる。
「どこまで記憶がある?」
「あ、えっと、外で喋っていた辺り……でしょうか」
 彼は親切に説明してくれる。
「あれっ、その辺から覚えてないの?えっとねー。一旦建物に帰ってきて治療をしてもらうことになったんだ。レディファーストとか何とかでナスカを先に手当てしてたけど、その頃だったかな?急に気を失って、みんなびっくりだったよ。で、今に至るだね」
 ナスカは聞かされてもしっくりこなかった。何かを忘れている——そんな気がするのだ。
「そうでしたか……。ご丁寧にありがとうございます」
 言いながら上半身を起こし窓の外を見た時、ナスカは愕然とした。
「え、もう夜っ!?」
 驚きのあまり丁寧語も忘れるナスカ。
 エアハルトは不思議そうに、「そうだよ」と頷く。
「それがどうかしたの」
 ナスカは一気に飛び起きる。
「私、丸一日寝てるじゃないですか!こんなんじゃダメだわ。仕事……」
「いや、今日はもういいよ」
 慌てて立とうとするナスカをエアハルトは制止した。
「落ち着いて。もう夜だし、今日ぐらいは休みなよ」
 そう言うと、彼は透明な袋を差し出した。中には可愛らしく焼かれたクッキーが五枚くらい入れられている。星形のものやクロレア航空隊のシンボルマーク形のものがあった。「こんな複雑な形をどうやって焼いたのだろう」と不思議に思うくらいの精密なクッキーだ。
「これは、エアハルトさんがお作りになったのですか?」
「いやいや、違うよ。ヒムロさんが作ってくれたんだ。あ、心配しなくても、毒は入ってないよ。作るところ、ちゃんと監視してたから」
 袋はやや黒っぽい赤のリボンで結ばれていた。
「分かってます、あの人はそんなことをする人じゃない……。とても優しくて頼りになる人です。もういっそ、エアハルトさんがヒムロさんと結婚してくれればいいのに」
 するとエアハルトはギョッとした顔をした。
「いくらナスカの願いでもね。さすがにそれは勘弁してよ」
 ナスカはずっと忘れていた母や父のことを思い出す。ついさっき、珍しく夢で会ったからかもしれない。
「分かってます、わがまま言ってごめんなさい。諦めてはいるけど、つい期待してしまうの。ヒムロさんみたいなお母さんとエアハルトさんみたいなお父さんがいて、リリーとかも一緒に過ごせたなら、どんなに幸せかなぁって」
 あの日がなかったなら今も普通に過ごしていたのかな、なんて考えて、少し切なくなってしまう。
「あっ、何を言ってるんでしょう?ごめんなさい。湿っぽい話をして……それに、馴れ馴れしい発言をしちゃって……」
 ナスカが無理をして笑おうとしているのを察知したらしく、彼はそっと首を振って微笑む。
「無理して笑う必要は無いよ。今日だけは特別だから」
 彼の温かな指にそっと頭を撫でられるとナスカは少し恥ずかしかった。こんな感情になるのは初めてかもしれない。
「そうそう、ナスカ。お腹空いてない?」
 エアハルトが笑顔で聞く。
「ごめんなさい、あまり空いてません……」
 ナスカは何だか申し訳なくて小声で返した。
「そうだよね、ごめんごめん。気にしないで」
 エアハルトは立ち上がり、扉の方へ歩き出す。その背中に向かってナスカは言う。
「ごめんなさい!」
 突然頭を下げたのを見て、エアハルトは話が分からず驚いた顔をする。
「え?」
 彼は本当に意味が分かっていないらしい。
「ごめんなさい。私、まだ謝れてませんでしたよね」
 いきなりのナスカの言葉にエアハルトは戸惑いを隠せない様子だった。
「本当はもっと早く助けなくてはいけなかったのに。遅くなってしまって……エアハルトさんも危うく死んでしまうところでした。本当にごめんなさい」
 ナスカは深く頭を下げる。
「私の軽率な行動のせいでエアハルトさんを傷付けてしまって……何と言えば良いか……」
「いや、謝らないで。そんなの気にしていない。それに、もう済んだことだしさ」
 話が噛み合わない。
「言って下さい。お詫びに何でもしますから」
「大丈夫、気にしないで」
 エアハルトは引き返してナスカに近寄る。
「何でもします!」
 ナスカは真剣に言った。
「空爆でも、特攻でも……貴方が望むなら!」
 それを聞いたエアハルトは呆れ果てた。明らかに年頃の女の子の発想では無い。
「発想がシュール」
 やや腰を屈めてナスカに顔を近付けると笑顔を浮かべる。
「ありがとう。もういいよ」
 そしてエアハルトは再びナスカの頭を撫でる。
 ナスカは優しいその手に嬉しさを感じている自分に少しばかり疑問を持ったが、そんなことはどうでもよく感じられた。ひたすら幸せである。
 そんな時、ふと彼の首に目がいく。
「ん、どうかした?」
 よく見ると首の所々に紫っぽい痣ができている。
「あっ、いえ!何でも!」
 突然慌てるナスカに対してエアハルトは静かに言う。
「遠慮せず言ってよ?」
 彼の視線が意外と厳しくて、ナスカはつい言ってしまう。
「えっと、お怪我は……もう大丈夫ですか?と聞きたくて」
 するとエアハルトは笑う。
「それを心配してくれてたの?ありがとう。でも、もうすっかり回復したよ」
 ナスカはそれを聞いて「嘘ばっかり」と思ったが、心配させまいと気を遣ってくれているのは分かった。その流れでエアハルトはガッツポーズをする。
「今までの分を取り戻す活躍をしなくちゃ。まあ任せてよ!」
 妙に威勢よく言うのが色んな意味で心配な感じだった。

 ……翌日の朝。
 ナスカが怪我の治療に医務室を訪ねて扉を開けようとした瞬間だった。
「いけません。まだ精密検査もできていないというのに、何を仰るのですか!」
 いつもは棒読みなベルデの、珍しく感情的な声が聞こえる。ナスカは本能的に壁に隠れ、そっと様子を伺う。
「戦闘に出ると言っているわけではない。練習で飛行をしたいと言っているだけだ」
 相変わらず厳しい口調で言い返すエアハルトの声が聞こえる。どうやら二人が話しているらしい。
「いい加減になさって下さい!練習とはいえ飛行は身体に負担をかけるのです。今のお身体で可能だとお思いですか!?」
 ベルデはエアハルトの返事を待たず続ける。
「しばらくはお休みになって下さい。精密検査で目に見えないダメージが無いことを確認してから怪我の様子をみて、すべてはそれからです。今のままでは到底戦闘機になんか乗れませんよ」
 ナスカは息を殺して陰から二人の問答を見つめる。
 しばしし沈黙があり、やがてベルデがいつも通りの平淡なハスキーボイスを漏らす。
「期待に応えようと思ってられるはよく分かりますが、無理は禁物です。傷を受けているのは体だけではありませんし……心の傷は本当に恐ろしい。それは一番分かっていらっしゃるでしょう」
 エアハルトは何だか浮かない表情だ。いつもより暗い雰囲気が漂っている。
「まぁそれはそうだが、このままじっとしてはいられない」
 ナスカが壁越しにチラチラと中の様子を伺い見ていた、そんな時。
「あら、何してるの?」
 突然背後から女性の声が聞こえ、ナスカは飛び上がりそうになった。心臓がバクバク鳴る。恐る恐る振り返ると、そこにはヒムロが立っていた。
「ひ、ヒムロさん……」
 まだ心臓の拍動が加速を続けている。呼吸が荒れる。
「中に入らないの?」
 ヒムロは不思議そうな顔でナスカを見ていた。ナスカは苦笑して答える。
「あ、えっと……お話中みたいなので何だか入りづらくって」
「そういうこと。そんなの気にせず入れば良いのよ!航空隊の仲間でしょーよ」
 ヒムロはいたずらに微笑んでナスカの腕を掴むと、遠慮なく医務室へツカツカと入っていく。いつものことながら、彼女の堂々としているところを、ナスカは尊敬した。
「おはよう、アードラーくん。彼女さんがお待ちよ」
 エアハルトは反射的に鋭い目付きでヒムロを睨む。
「彼女ではない」
「あらぁ、相変わらずだこと。やっぱりそこに反応するわよねぇ」
 ヒムロが楽しそうに冗談めかすのに対し、エアハルトは不快な顔をする。
「そのような発言はナスカに失礼だと思わないのか?」
 エアハルトの発言に対してベルデが意見する。
「それはないでしょう。クロレアの英雄であるアードラーさんと親しくできるなんて、クロレア人の至上の喜びですから!」
「いや、引かれるから止めて」
 エアハルトは呆れてベルデを黙らせ、それからヒムロに向かって強く述べる。
「とにかくこれ以上失礼な発言をしないように。今後こういうことが何度もあれば、それなりの処分をする」
 彼はすっかり怒ってしまっている。
「膨れているの?あらあら、可愛いわね。だけど、あたし何か悪いこと言ったかしら?」
 ヒムロは余計に挑発するようなことを言う。
「いつも失礼なんだ!」
「まぁまぁ、イライラするのはよしなさいよ。欲求不満はあたしが解消してあげるから」
 小悪魔な笑みを浮かべるヒムロとは対照的にエアハルトは疲れた表情になる。
「それは今ここで言うべきことか?他の者もいるというのに」
 そんなことはまったく気にしないヒムロはエアハルトに擦り寄る。
「まぁいいじゃない〜〜?たまにはこういうのも!」
 ナスカはヒムロの大胆さにその場で硬直して立ち尽くす。そんなナスカに見せびらかすかのようにエアハルトに近寄り、しっとりと腕を絡める。
「どうしてそんなにナスカちゃんじゃなきゃダメなの?やっぱり……あたしには魅力を感じられない?」
 ヒムロは悲しそうな顔を作る。いや、完全な演技ではないのかもしれない。冗談で作っているにしてはリアルな表情だ。
「酷い男ね。収容所じゃ何でもしてくれたのに……」
 もはやこれは定番の流れだ。
「逆だ!何もしていない!勝手に捏造するな」
「意地悪ね。収容所では抱いてくれたのに」
 ヒムロは彼に顔を近付けながら、不満そうな声を漏らした。彼女の危ない発言をエアハルトは訂正する。
「意味深な言い方をするんじゃない。抱き締めた、と言え」
 ナスカは愕然として発する。
「抱き締めたのは抱き締めたのですか!?」
「そんなバカな!」
 ベルデも被せて突っ込んだ。
 ヒムロは驚く二人の様子をニヤニヤと見ている。
「本当……なのですか?」
 エアハルトはベルデの問いに頷いてからナスカに視線を向ける。ショックを受けた顔で固まっているナスカを目にして急激に悪い気がしてきたエアハルトは言う。
「ちょっとナスカ、そんな顔しないでよ。僕が考えもなくそんな愚行をすると思う?」
 数秒の沈黙の後、ナスカは青い顔を持ち上げて返す。
「あ、お……思いません」
「あら、ナスカちゃんショック受けちゃった?ごめんねぇ」
 ヒムロが少々調子に乗ってエアハルトの首にぶら下がるような体勢で抱き着こうとした刹那、エアハルトはヒムロを振りほどく。予想外の力で振り落とされたヒムロは地面に転倒して唖然としている。
「君、この女を連れていけ。リボソに返す」
 エアハルトは平淡な落ち着いた声でベルデに命じた。あまりの唐突さにさすがのベルデも戸惑いをみせる。エアハルトは続けてヒムロに視線を移す。
「い、いきなり何……ちょっと冗談言っただけじゃない……」
 ヒムロは強気な発言をしているが表情に余裕が無い。怒っているエアハルトの迫力に圧倒され、まるで小動物のように弱々しく怯えた顔をしている。
「リボソに戻り罪人となり、精々慰み者になるがいい」
 冷酷に言い放つと、ナスカに笑顔を向ける。
「そうだ、散歩でもどう?」
 行き過ぎた変化にナスカは怪訝な顔をする。いくらきつい冗談を言ったからといっても、彼女に対してここまで言う必要があるのか?とナスカは首を傾げる。ベルデもそれは同じだっただろう。
 エアハルトは穏やかに微笑み、ナスカに手を差し伸べる。
「少し時間あるし……」
 どうすれば良いのか分からずもたもたしていると、彼はガッとナスカの腕を掴んだ。
「行こう」
 とても優しく微笑む。
 だが……嬉しくなかった。いつもとは何かが違う。
 ナスカにはエアハルトの笑顔が、妙に悲しそうに見えたのだ。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.74 )
日時: 2017/09/07 21:10
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: J1W6A8bP)

episode.14
「失うもの、手にいれたもの」

「エアハルト……さん、あの」
 手を引かれながら部屋の外へ出た。ナスカが口を開く。
「待って下さい、いきなり何ですか?エアハルトさんが何をお考えかさっぱり分かりません」
 エアハルトは足を止めたが、難しい顔で黙っている。
「答えて下さい」
 それでも彼は黙っている。ナスカは不思議に思った。いつもなら眩しい笑顔で快く答えるだろうに。
「あの、エアハルトさん?」
 ナスカが覗き込もうとした瞬間、エアハルトは顔の向きを変え視線を逸らす。
「あの……」
「思っているんだろう」
 エアハルトが静かに呟いた。
「僕のこと、穢れていると思っているんだろう!」
 彼の言うことが理解できず、ナスカは戸惑いを隠せない。
「一体何を……」
 するとエアハルトは彼にしては珍しく溜め息を漏らす。
「全部あの女がクロレアに来たせいだ。彼女が現れなければ、変わらない日々が続いているはずだった。ヒムロルナ、あいつだけは絶対に許さない」
「ヒムロさんを?そんな。一体どうして……」
 その問いに冷ややかな声で答えるエアハルト。
「ナスカ、思い出してみて。全部あいつが来たのが原因だ。ベルデや君が負傷したのも、くだらない行動で君を傷付けたのだって……それだけじゃない。リボソとの関係が悪化したのも僕がみんなにドン引きされたのも、全部あの女のせいだよ」
 言いながらエアハルトの瞳は深い怒りを湛えていた。ナスカは落ち着いた声で言い返す。
「だけど、処刑されかけたエアハルトさんを助けられたのも彼女のおかげです」
「そもそも処刑されかけたのだってあいつのせいだ!」
 彼は強く攻撃的に言った。ナスカは動揺する。今までこんな風に鋭い言葉を言われたことはなかっただけに、大きなショックを受けた。どんな時も笑顔で優しかったエアハルトはどこへ行ってしまったのか。やはり今日はおかしい。
「それじゃあ、ヒムロさんに責任を全部押し付けるんですか?」
「実際そうじゃないか……」
 ナスカが言ったのはもっともなことだが、言い返されたのが意外だったのか、エアハルトは少し戸惑った顔をする。
「貴方が墜落したのがそもそもの始まりでしょう。そのすべてを、関係ない他人のせいにするんですか」
「何を言うんだい。人の些細なミスを責めるというのか!」
「そんな話じゃありません。向こうで何があったのかは知りませんけど、人に当たり散らすのは止めて下さい!」
 ナスカとエアハルトは睨み合う。二人がこんな空気になるのは初めてだろう。
「今の貴方の話はこれ以上聞いても無駄です。……しばらく頭を冷やせばどうですか」
 ナスカはそう言い捨てて、来た方へと戻っていく。

 廊下を歩いていると、ベルデが声をかけてきた。
「おや、アードラーさんと一緒に行かれたのではなかったのですか?」
 相変わらずぶれない棒読みな話し方である。
「ちょっと勘違いなさっているようなので叱ってきました」
 ナスカは澄まし顔で答えた。
「アードラーさんは、お疲れなのです。今はナスカさんに失礼があるかもしれませんが、元気になればそのうち……」
「私はいいんです」
 きっぱりと口を挟む。
「でも、皆さんをあんな風な言動で振り回すのはどうかと思いましたので」
「……ナスカさん」
 ベルデが心配そうな目をする。言いたいことがあるが、自分が口出ししてよいものか迷っているのだろう。
「心配してくださっているのですね、ありがとうございます。ですが大丈夫です」
 ナスカは笑顔で言った。するとベルデは言いにくそうに述べる。
「お気になさらず。それより実は……ナスカさんに大切なお話がありまして」
「はい。何ですか?」
 ちょっとその時。
 ジリジリ、と警報器の刺々しい音が鳴り響いた。
「警報器!?」
 ナスカは驚いてキョロキョロする。ベルデは装着していたイヤホンを耳にグッと押し込む。
「敵機、のようですね」
 独り言みたいに呟き、それからすぐナスカの方を向く。
「お話は後にしましょう。今から出れますか?」
 ナスカは素早く頷く。心の準備はまだちゃんとできていないが、数分もすれば準備が整うはずだ。
「はい。急いで準備します」
「では先に偵察を出しておきます。貴女は準備ができ次第出発して下さい」
 休んでいる暇はない。エアハルトが戦えない今こそ自分が頑張るタイミングだ。ナスカはそう考え、自分の心を奮い立たせる。

 ナスカは建物から出ると、速やかに愛機へ向かった。急ぎ気味に準備を済ませる。
「行きます」
 正面を向く。滑走路を赤い機体が滑るように走り、やがて空へと舞い上がる。空を舞う薔薇の花弁のように、華麗に。
 今日の空は雲が多いが、綺麗な青色をしている。
『お嬢さん!』
 無線から声が聞こえてきた。
『聞こえていますか?』
 誰かの声だ。知り合いではない。多分先に出発していた偵察機のパイロットというところだろう。
「はい、何ですか」
 ナスカは応答する。
『こちら偵察機ハッピーシナモン。機体見えます?』
「……ハッピーシナモン?」
 聞き慣れない男性が述べた機体名にナスカは困惑する。
『はい。自分はシナモンが大好きでして、それを知っている姉に勝手につけられた名前です。と言いつつ、結構気に入っていますがね』
 正直どうでもいい。初対面の顔を見たこともない男性にシナモンが好きなことを打ち明けられるという珍妙な出来事に、ナスカはどう対処するべきか判断できなかった。
「はぁ、そうですか……」
『はい。ちなみに機体は確認できますか?』
「えぇ。機体は見えてます。確か貴方は、ジレル中尉の……」
 当てずっぽう返すと、相手は少し嬉しそうな声になる。
『はい。敵機の付近まで先導させていただきます』
「ありがとう」
 ナスカはその偵察機の一番後ろにある赤いライトを目印に続いた。時折雲で視界がぼやけたりもしたが、大抵十分見えるしっかりとしたライトだった。
『もう近いです。自分は敵の視界に入る寸前に離脱しますので、後はお嬢さん、よろしく頼みます』
 それから男性は続ける。
『一機ですけど、強いです。間違いな……うわ!』
 男性の叫び声。そして、一瞬にして無線が切れた。
 目前を飛んでいたハッピーシナモンこと偵察機は、右翼に被弾し、くるくる回って空中で一気に爆散する。
 目の前で人が跡形もなく消えた。その事実にナスカは愕然とする。空中で爆発すれば死ぬどころか、まとも体も残らないかもしれないのだ。ナスカは改めて恐ろしさを実感した。
 そしてその煙が晴れた頃、一機の飛行機が見えてくる。
「あれが……?」
 思わず呟いたナスカの耳にジレル中尉の声が聞こえる。
『動揺するなよ』
 冷たくも優しい声。聞いた途端に体の緊張がほどけた。味方がいると思えることの何と心強いことか。
『正体はよく分からんが警戒しろ。私もできる援護はする』
 ナスカはジレル中尉から勇気をもらい、懸命に操作を始める。ミサイルの発射準備、照準を敵機に合わせ、唾を飲み込み、引き金を引く。
 敵機に向かって真っ直ぐ飛んでいった三発のミサイル。一発目は敵の撃った弾丸と当たり爆発。回り込むように続く二発目はかわされ、残る三発目。絶好の方向から敵機に向かって突撃し、爆発が起こる。煙ではっきりと見えない。
「やった……?」
 ナスカが目を凝らしているとジレル中尉が無線で叫ぶ。
『来る!』
 爆発の中から、機体が細い煙を引きながら現れた。ナスカは敵機の体当たりを素早くかわしレーザーミサイルを連射する。
 その刹那、ナスカの目に人影が入った。敵機の窓部分から乗り出す黒い塊。ちょうど人ぐらいの大きさだ。
「ジレル中尉っ、人影が!」
 人間が長い筒を担いでいるようにも見える。
『人影?確認する』
 ジレル中尉の戦闘機は連射されるミサイルを上手く避けながら接近していく。
『女……?まさか!』
 窓から突き出す黒く長い筒から弾が発射される。ジレルの乗る機体はその弾丸に掠りバランスを崩したがすぐに体勢を立て直す。
「しっかり!」
 慌てて叫ぶナスカに対して、彼は冷静に答える。
『無事だ。問題ない。それに、人影も確認した』
 今度は機体ではなくその人影に照準を合わせる。ナスカの心には少し躊躇いがあった。だが躊躇っていればこちらがやられる。だから引き金を引いた。レーザーミサイルは激しく敵機に向かっていくが、操縦士が中々の腕前なので、見事にかわされてしまう。それでもナスカは諦めず連射しながら機体を追う。
「速いわね……あれ?」
 敵の戦闘機は一気に加速し、気がつくとだいぶ距離が離れてしまっていた。
 だがそこで、ナスカは違和感を感じる。敵機は攻撃を止めた。リボソ国の方へと去っていっているようだ。
『……追うな』
 ナスカはジレル中尉の忠告を聞きスピードを落とす。
『敵は撤退した。戻るぞ』
「あ、はい」
 逆らうのも気が進まないので進行方向を変えるが、何となく腑に落ちない感じがするナスカだった。

 第二待機所の建物に戻り通路を歩いていると、正面から歩いてきたエアハルトと偶然遭遇してしまう。見事に目が合い、気まずい空気になる。気付かなかった振りもできないが、いつものように声をかけることもできない。それはお互いに、だった。
「あ……お、お疲れ」
 先に言ったのはエアハルト。
「エアハルトさん。顔、強張ってますよ」
 ナスカは冗談めかして返す。
「ご、ごめん」
 彼はらしくなく緊張した顔で謝った。
「笑っているエアハルトさんの方が素敵です」
 さっきはちょっと言いすぎたかな?と彼を可哀想に思っていたナスカは、彼に対して笑顔を向ける。
「無理しないで下さいね」
 エアハルトは驚き戸惑った顔でナスカを見た。
「あ、ありがとう」
 てっきり悪いことを言われるか無視されるかだと思っていたのだろう。

 ——その日の夜。
 ナスカはこの時間にゆいいつ活気のある食堂へ向かった。食堂には人がたくさんだ。現在勤めている人の半分近くがここで暮らしているのだから、この賑わいも当然である。
 ナスカとトーレが食事を食べていると、偶然ジレル中尉が通りかかる。
「あ、ジレルさん!」
 お腹が空いていたらしくパンを貪り食っていたトーレが、顔を上げて声をかけた。
「何か?」
 ジレル中尉はこちらを向いて無愛想に答える。
「もしかして、ジレルさんもご飯ですか?もし良かったら一緒に食べませんか?」
 トーレは誘うが、ジレル中尉はやや困った風に返す。
「いや、あいにく先約があるのだが……」
「一緒に食べよーっ!」
 誰かが後ろから物凄い勢いで走ってきて、そのまま飛び上がりジレル中尉に飛び乗る。
「おい!痛いぞ」
「ごめんごめん〜」
 その正体はリリーだった。
「リリー!?」
 驚きを隠せないナスカに対してリリーは明るく言う。
「ナスカ!一緒に食べよ!」
 敵地で出会った時の冷ややかな面影はまったくない。あの時とは別人のようだ。もちろん、こちらのリリーこそがナスカの知るリリーなのだが。
「ジレル、いいでしょ?」
「あ、あぁ」
 ジレル中尉はリリーにだけは完全に主導権を握られている。言い返せないようだ。それが何だか面白くて、ナスカは少し笑ってしまった。
「何を笑っている?」
 ジレル中尉が鋭い視線を送りつつ尋ねる。
「……いえ、ごめんなさい。よく分からないんですけど、何だかおかしくって」
 リリーがきょとんとした顔で口を挟む。
「えっ、何か変だったかな?」
 ナスカは首を横に振る。
「ううん、そんなんじゃない。気にしないで。ごめん」
 大事な可愛い妹、リリー。幼子のような純粋で無垢な笑み、聞いているのが心地よい明るく弾むような声。昔と何も変わっていない。
 ナスカはまた彼女に会えたことが嬉しくて自然と笑顔になっていた。あの日奪われてしまったものと諦めていたリリーは、今、目の前で楽しそうに笑っている。それがナスカをとても幸福な気持ちにさせるのだった。

Re: 白薔薇のナスカ《改稿版投稿中……》 ( No.75 )
日時: 2017/09/07 21:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: J1W6A8bP)

episode.15
「過去との決別」

 第二待機所の中にある、抜きん出て小さな隔離室という部屋。
 電子ロックを解除したベルデが中へ入ってくる。
「ヒムロさん、調子はどうですか。必要な物があればと思い、うかがいました」
 隔離室は一時的に罪人を収容するための部屋で、広さは一畳程度しかない。明かりは電球が一個だけで、窓がないので一日中どんよりと薄暗い。
「必要な物なんてないわ。あたし、もう死ぬのに」
 エアハルトの指示で隔離室へ入れられたヒムロは自嘲気味に笑う。しかしベルデは淡々と述べた。
「まだ亡くなられることはないと思います」
「何を言っているの?あたしはもう死んだも同然。帰る場所も待ってくれてる人も……今はもういない」
 ヒムロは静かに言った。
「でもいいの。あたしは自分の意思に従ったまでよ。たとえ間違いだったとしても……きっと後悔はしないわ」
 ベルデが黙って聞いているとヒムロは皮肉る。
「愚かだと思っているんでしょう。その通りだわ」
 ベルデは感情のこもらない小さな声で呟くように言う。
「いいえ、愚かではありません。それでは」
 彼はそれから部屋を出て、外から再びロックをかけた。
 ロックをかけられてしまえば、ヒムロは自由に部屋の外へ出られない。彼女は薄暗い部屋で一日を過ごすのだ。
「……一人だといいわね。好きな時に泣けるもの。ねぇ……。マモル」

 あれから一週間程経過したある朝のこと、待機所内が何となく騒然としていた。
「何かあったんですか?」
 話に遅れているナスカは近くにいた男性に聞く。
「よく分かんないんっすけど、何かあったみたいっすね。普通じゃない感じだし」
 それからナスカはいつも通りの準備をしに行こうと外へ出て、目にした光景に愕然とする。
「何これ……」
 門の外に大量の歩兵が立っていた。全員リボソ国のマークの軍服を着ている。そしてその中央に、服が違う二人の男が立っている。
『門を開けよ!さもなくば攻撃を開始する!』
 服が違う二人のうち片方の男が、拡声器を使って勇ましく告げる。
『我々はタブ全域を制圧した。もはや残るはここのみである。無駄な抵抗は止め、我々に投降し、速やかに指示に従え!』
 一人愕然としながら聞いているナスカのところにトーレがやって来る。
「ナスカ!あの人達はリボソ?何かよく分からないけど、ここは危ないよ。中にいた方がいいんじゃないかな」
 心配そうな顔でナスカを見つめる。
「その方がいいかな」
 心配させるのも嫌なので、ナスカはトーレの言うことに素直に従うことにした。
 二人が建物内に戻ると、ベルデが慌ただしく仕事をしていた。
「もしもに備えて戦闘準備を。貴方、本部とタブ役所に連絡をお願いします。はい。早く!」
 その様子を見てトーレが感心したように言う。
「テキパキしてる……」
「警備科って、こういう時には大変よね。突然バタバタしなくちゃならないもの」
 すると、額に汗を浮かべたベルデは振り返り、挨拶をする。
「おはようございます」
 ナスカは笑って尋ねる。
「汗、大丈夫ですか?」
「少し暑いですね」
 ベルデは本当に暑そうに、袖で顔の汗を拭う。タオルを取り出す暇もないのだろう。
『誰か出てこい!無視をするというのなら容赦はしない!』
 拡声器を通しての大音量の演説は続いている。
「ベルデさん!タブ役所に連絡を取ろうと試みましたが、既に電話回線が支配されてて繋がりません!」
 一人の女性は焦った顔をして鋭く叫んだ。
「まさか。一夜でそこまでできるとは思えません。何かのミスでしょう。もう一度試して下さい」
「……はい、分かりました」
 女性はベルデの命令に従い、作業に取りかかる。
「本部から連絡!一般市民保護のために援軍を派遣してくれるらしいっす」
「外で呼ばれています!誰か来て下さい!」
 ベルデは再び汗を拭う。
「はい、今行きます。警備科は戦闘に備えておいて下さい。戦闘になる可能性も十分ありますので、しっかりと」
 それでもぶれない冷静沈着さだった。
 トーレは困り顔になる。
「……どうしよう?これじゃ僕らは何もできないね」
「本当にそうだわ」
 ナスカとトーレは顔を見合わせ溜め息をつく。
「それにしても、敵国の大軍を入国させるなんて、偉い人たちは一体何をしているんだろうね。役に立たないなぁ」
「えぇ、謎だわ。お偉いさんの考えってさっぱり分からない」
 その刹那。爆音が鳴り、それと同時に地響きがする。まるで地震のような。世界滅亡の直前のような。
「なっ、何っ!?」
 あまりに突然だったものだから、さすがにナスカも驚いた。隣のトーレは身震いしている。
「動くな!」
 そう叫び建物に入ってきたのは、さっき門の前にいた二人のうち一人の男性。後ろには十人以上の武装した一般兵を率いている。
「本日より、この敷地はリボソ国の領地とする!」
 男性は高らかに宣言した。
 警備科の人たちは威嚇するようにその男性へ銃口を向ける。
「……反抗するのか?まぁよかろう。突入!」
 建物内へ入ってくる兵隊に向けて、警備科の人たちは銃を連射する。敵の兵隊たちは次から次へと体を撃たれ倒れる。しかし、それですべてが倒されたわけではなかった。
「危ないっ!」
 トーレは叫び、固まっているナスカを突き飛ばす。いきなり押され転倒した。
 転んで地面に横になったナスカの上にトーレが被さる。何が起きたのか分からないが、湧き上がる恐怖に目を閉じた。大きな銃声とそれに伴う微弱な振動を感じる。
 数秒後、銃声が鳴り止みナスカは目を開く。
「ごめん……大丈夫?」
 トーレの顔がすぐ近くにあったが、照れている暇はない。
「えぇ、無事よ。ありがとう」
 ゆっくりと起き上がりトーレと一緒に走る。階段を駆け上がると、エアハルトに遭遇した。
「ナスカ!下の様子は!?」
 二階には銃撃戦の末生き延びた警備科の者もいた。
「エアハルトさん、無事で良かった。あの……ごめんなさい、様子は分からない。はっきり見る余裕が無くて」
 ナスカはそう答えた。
「奴らが二階に来たらナスカは隠れてね。ナスカが戦う必要はないから」
 エアハルトが真剣な顔をして言った。
「その時には加勢します!」
 ナスカはそう返すが、エアハルトは首を横に振る。
「それは駄目。もし撃たれたら大変だから」
 エアハルトはいつも腰に下げている拳銃を手に取り、階段を鋭く見据えている。
 カンカンという足音が徐々に近付いてきた。
「……敵?」
 次の瞬間、カランと乾いた音を立てて廊下に棒の付いたタイプの手榴弾が床に転がる。
 トーレは無理矢理腕を掴んで引っ張り、ナスカを台の影に引きずり込んだ。エアハルトは壁の影に身を潜める。それから数秒もしないうちに、手榴弾は破裂した。辺りが煙に包まれる。
 ナスカは新品の綺麗な拳銃を取り出し、撃つ準備をする。今まで実際に使う機会はなかったが、多少の指導は受けているので撃つ手順は分かる。
 エアハルトが振り返る瞬間、上がってきた一人の敵兵が彼に銃口を向ける。しかし引き金にかけられた指が動く寸前に敵兵は胸を撃ち抜かれドサリと崩れ落ちる。それは、ナスカが撃った弾丸だった。エアハルトの足下に血溜まりができた。
「あ……」
 勢いでやってしまったナスカは言葉を失う。生身の人間を殺したのは初めてかもしれない。
「やったね」
 隣でトーレが笑う。
 しかしそれは序章にすぎず、本当の乱戦はそこからだった。敵味方入り交じった銃撃戦は、いよいよ二階でも開始される。一階で息絶えた敵兵がかなり多く、数ではクロレア側の方が勝っているが、敵も結構粘る。
 ナスカはあまり前へ出たらエアハルトに怒られそうなので、台の影からちょいちょい応戦した。

 銃撃戦を潜り抜け奥へ進んだリボソ国の男性は、灰色のドアを見付ける。
「……隔離室?」
 手をかけてみるが開かない。
(ロックがかかっている……。もしや、何か大切なものを隠しているのか?)
 男性はドアを拳銃で撃ってみるがびくともしない。次はふと目に入ったドアの横のタッチパネルを二発撃ってみた。すると故障し、勢いよく自動でドアが開く。
 念のため拳銃を構え、部屋の中を覗く。そして彼は愕然とした。
「……ルナ?」
 中にいたヒムロと目が合う。
「マモ……ル」
 男性は見知った人物がいたことに驚きながら、腰のホルダー拳銃をしまう。
「本当にルナか!?」
 驚きを隠せないらしい。
「そうよ。ヒムロ、ルナ」
 ヒムロは冷たい声で答えた。
「ルナ、生きていたのか?まさか!」
 男性は嬉しそうに歩み寄る。
「どうして生きていると連絡しなかったんだ?」
 しかしヒムロは浮かない顔のままだ。
「なぜ?……よくそんなことを聞くわね」
 男性は腕を伸ばす。
「何を怒っているんだ、ルナ。さぁ一緒にリボソへ帰ろう」
 ヒムロが男性の顔を見上げて静かに述べる。
「殺されるわ」
「え?」
 男性はよく分かっていない顔だ。
「帰れば殺される、って言っているのよ」
「大丈夫、一緒に帰ろう。俺がちゃんと説明するから……」
 次の瞬間、ヒムロは急に立ち上がり男性の腰元のホルダーから拳銃を奪う。そして銃口を彼に突き付けた。
「……え?」
 ヒムロは冷静だった。
「下手に動かないで。部屋の外に出て」
 ゆっくりとヒムロは近付いていく。男性はそれに伴い退き、やがて廊下に出る。
「な、何のつもりだ、ルナ。いきなり銃なんか向けてきて」
 男性は顔を引きつらせる。
「冗談だろう……?」
「本気よ」
 ヒムロは恐怖心を煽るような冷ややかな顔付きで彼を睨む。
「もう帰らないわ。過去のあたしは忘れて、ここで第二の人生を生きるの」
 男性は声を荒げる。
「そんな……何を言っているのか分かっているのか!誰よりもリボソのために生きてきたルナが、どうしてそんな!」
「もう嫌なの!!」
 ヒムロは引き金に指を当てたまま悲鳴のように叫ぶ。
「……疲れたのよ。理不尽な理由で、苦しんでもがきながら死んでいく。そんなのもう見たくない!」
「ルナ!」
「平気で酷いことする尋問官が嫌。拷問みたいな尋問を認めてる上司も、それを黙認してる国も、捕虜処刑を楽しんでる国民だって!全部嫌!でも一番嫌なのは……」
 男性は愕然として聞く。
「運命に逆らえなかったあたし!」
「いい加減にしろよ!」
 男性がキレて掴みかかろうとした刹那のこと。
 大きく目を見開いて倒れる。
「な、何っ?どうしたのよ」
 ヒムロは驚きながらも冷静さを保ち男性を見る。腹部に銃創ができて、そこから赤黒い血液が流れ出している。
 知り合いが目の前で撃たれて倒れる。それはあまりに生々しい光景で、一般人なら吐き気を催してもおかしくなかっただろう。ヒムロは長年尋問官として働いてきたゆえに平気だが。
「よし」
 男性の背後には、拳銃を放ったエアハルトがいた。
「あ、新手……か……」
 倒れた男性は掠れた声を漏らした。ゲホゲホと咳をすると鮮血で唇が赤く濡れる。
「アードラーくん!?……どうして」
「むしろ僕が聞きたい」
 エアハルトはそう返した。
「く、お前が……もしや、ルナを……」
 掠れ掠れ呟く男性の顔がどんどん青ざめていく。
 エアハルトは戸惑いなく彼のこめかみに銃口を当て、低い声で言う。
「これが最期だ。何でも言え」
 男性は定まらない視線で小さく口を開く。
「ルナ……ずっと愛してる」
 そして、別れを告げる悲しい銃声が響いた。
 しばらく沈黙。
「この男は知り合いなのか?」
 やがて沈黙を破ったのはエアハルトだ。ヒムロは男性の亡骸をじっと見つめながら答える。
「カサイマモル。彼はあたしの婚約者。ゆいいつあたしに優しくしてくれた人だけど……でももう何年も会ってなかったわ。父があたしの父と同じ外交官でね、知り合い同士だったの」
 エアハルトは怪訝な顔をして復唱する。
「婚約者?」
「そうよ」
 彼女は悲しげな眼差しで頷いた。それに対してエアハルトは真剣な表情で述べる。
「ヒムロ、一つだけ聞かせてくれ」
「……何?」
 これほど奥まで入ってくる者はいないので、とても静かだ。
「なぜ同胞に銃を向けた」
 二人の声しかしない。エアハルトの真剣な眼差しには、さすがのヒムロも冗談を言えない。
「それも婚約者などに。銃は敵に向けるものだ」
「そうよ」
 ヒムロも今回ばかりは真面目に答える。
「その通り。あたしは仲間に銃は向けないわ」
 そして静かな声で問う。
「なら逆に、どうして貴方はあたしを助けたの?」
「敵だから撃っただけだ」
「じゃあどうしてあたしを撃たないの?」
 エアハルトは言葉を詰まらせる。
「力が、必要でしょ」
 ヒムロはいたずらに口角を上げる。
「……どうなの?」
 エアハルトはまだ言葉を詰まらせている。
「あたしは敵ではないと思っている。貴方たちが仲間だと思うかどうかは知らないけれど」
 しばらく沈黙を挟み、エアハルトはやっと口を開く。
「……僕は君のことを何も知らなかった。なのにきつく言ったことは謝ろう。だが、君はそれで後悔しないのか?同胞を敵に回して、それで良いのか?」
「後悔はしないつもりよ」
 ヒムロはそう返ししゃがみこむと、そっと両手を合わせる。そして目を閉じてほんの数十秒ほどじっとしていた。
「……何を?」
「人が死んだ時、祈るのよ。死んだ人の魂が穏やかに故郷に帰れますように、ってね。仮にも婚約者だしお世話になったもの。せめてこれぐらいはしてあげようと思って。だって、誰も祈ってくれなかったら、一人ぼっちで寂しいでしょ」
 静かに祈りを捧げるヒムロをエアハルトは意外だと思った。そんなことをするタイプだと思っていなかったからだ。
「何だか意外だ」
「そう。……変よね。こんな非現実的なことしてもマモルが幸せになれるわけじゃないって、分かってはいるの。本当は……あたしのためなのよ」
 ヒムロは立ち上がる。
「あたしは新しい人生を生きるわ。もう過去のことは忘れる」
 エアハルトは呟く。
「過去との決別……か」
 過去は暗く痛いもの。人生は移り変わるもの。
 だけど——きっと、何度でもやり直せる。


Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大 7000 文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。