ダーク・ファンタジー小説
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- 白薔薇のナスカ《改稿版投稿完了!》
- 日時: 2017/09/10 23:51
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)
初めまして。あるいはこんにちは。四季といいます。
以前他サイトに投稿していた作品なのですが、こちらに移動させていただくことにしました。
初心者なので拙い文章ではありますが、どうぞよよしくお願い致します。
※この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
初期版 >>01-50
2017.8 改稿版 >>53-85
- 白薔薇のナスカ《改稿版》 ( No.61 )
- 日時: 2017/08/23 21:17
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: LLmHEHg2)
天体暦1949年・夏。クロレア航空隊は安定の戦績だったが、リボソ国の強力な海軍を相手に海兵隊は追い込まれつつあった。
第二待機所もターゲットになり度々砲撃を受けた。明るい季節のはずなのに、最近はずっと硝煙の匂いが絶えない。初めて来た頃のような高く明るい空はなく、空は常時灰色の煙に包まれている。海は荒れて白い泡に埋め尽くされていた。
航空隊パイロット達も出撃時以外に迂闊に外へは出られなくなり、退屈でうんざりしていた。一日のほとんどを、狭い部屋か人だらけの食堂で暮らすのである。
ナスカはもうすぐ18歳。エアハルトは日を追うごとに忙しそうになっていく。偉くなると飛行だけが仕事ではないからか。自由時間にはトーレと過ごすようになった。エアハルトがいない時は年の近いトーレといるのが楽だった。
昔の話をしたり将来について語り合ったりしていると案外盛り上がった。平和になった未来のクロレアを想像して楽しむ。もっとも、そんなものは所詮幻想で、現実は悪化していくばかりなのだが。
それから数週間後、大きな仕事が舞い込んできた。形勢逆転を狙った軍部が航空隊に敵戦艦を潰せという命令をしたのだ。作戦の参加者名簿を渡された。エアハルトを代表とし、そこにはナスカの名前も載っていた。作戦開始は明後日だ。
「これ、私も行くんですか?」
時間のある時にエアハルトに確認してみると、彼はそっと頷いて、「どうやら、そうらしい」と返した。この作戦は後に『第二沖戦艦大空襲』と呼ばれることになる、大規模な作戦である。
今すぐ出発というわけではないが、気の早いナスカは、早めに準備を始める。
「今回もまた一緒ね。今度もよろしくね」
トーレが冴えない表情をしているのに気付きそれが不思議と気になった。唇は結ばれ口数は少ない。瞳の輝きもいつもより控え目で、伏せ目気味であり、色がいつもより濃く見える程だ。何より普段の彼らしい明るい雰囲気が出ていない。
「どうしたの?浮かない顔してるけど、体調が悪いとかなら早く申し出た方がいいわよ。無理して飛ぶのは危険だわ」
ナスカが心配して彼の顔を覗き込むと、彼の暗い瞳にナスカの心配そうな顔が映る。
「あ、ごめん。平気だよ。僕、何かおかしかった?いつもと違ったかな……」
笑みを浮かべるが顔がひきつっている上に、声にも張りがなく弱々しい。
「何となく調子がおかしいところがあったりする?」
トーレは首を横に振った。
「何でもない。……元気だよ」
発言とは裏腹に手が小刻みに震えているのを発見しナスカはその手を優しくも素早く掴む。
「手が痙攣しているわ!病気の初期症状かもしれない。やっぱり、これを隠していたのね?無理をしちゃ駄目よ!」
ナスカが必死になって言うのを聞いたトーレは、笑いが込み上げ、少しして吹いてしまう。そして笑い出す。笑われたナスカは何事か分からず焦った。
「え、ちょっ、どうしたの?私変なこと言ったかしら。どうして笑い出すの?」
トーレは笑いすぎて溢れた涙の粒を人差し指で拭いながら口を開く。
「病気て大袈裟なっ」
ナスカはぽかんと口を開ける。
「ごめんなさい……何だか笑いが止まらなくって。いや、ありがとう。元気が出たよ」
しかしさっきまでの暗い表情は吹き飛び、いつもの彼らしい顔になっている。瞳にも涙の粒と一緒に光が戻った。
「……何だったの?」
首を捻り怪訝な顔をしているナスカに対して彼は説明する。
「実は、情けないけど、怖かったんです。よく分からないんだけどさ、あの紙を貰った時、今までにない不安さを感じて。確かにクロレアのために一生懸命働くつもりだけど、もしものことがあったらと思うと……」
ナスカはそれを聞いてやっと理解できた。彼の手を持ち直して真剣な眼差しを向ける。
「大丈夫よ。私も一緒だし、今までと何ら変わらないでしょ。それに今度はエアハルトさんもいる。心強いじゃない。だから心配なんて要らないわ」
言い終わって微笑むナスカを見てトーレは強く頷いた。瞳に浮かぶ光は今までと変わらないぐらい輝いている。
「そう言われるとそんな気がしてくるよ。……ありがとう。ナスカは女の子だけど、僕よりずっと強いね。凄いなぁ」
ナスカは彼の背を叩いて励ます。
「いいの!不安もあるわよね。でも大丈夫。元気出してね!」
- 白薔薇のナスカ《改稿版》 ( No.62 )
- 日時: 2017/08/23 21:28
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: LLmHEHg2)
episode.5
「逆転のこの作戦」
今回の作戦は二班に分かれて活動することになった。一つはリボソ国軍の戦艦が待機所へ向けて出航したところを狙って攻撃する班。もう一つは既に攻撃を仕掛けてきている戦艦を爆撃する班。エアハルトは前者に、ナスカやトーレたちは後者に含まれた。ジレル中尉も同じだ。安全度は後者の方が明らかに高いので、新しいメンバーはそちらにまとめられた。
ナスカはまたトーレが同じでどこか安堵していた。弱気な彼が、もしもの時に自分を助けてくれるとは期待できないが、それでも、知り合いがいるのといないのでは安心感が違う気がする。
ナスカはいつもと変わらず自機に乗り込む。黒い機体を含む数機が先に滑走路を経由して空へ飛び立つのを窓から見た。きっと上手くいく、と彼女は口の中で小さく呟き、指示に従い発進する。あとは成功のために最善を尽くすだけだ。
予定通りナスカは高度を一気に落とし、リボソ国の戦艦にレーザーミサイルを撃ち込む。予想外の奇襲に一時は狼狽えた敵だったが、直ぐに冷静を取り戻し、周囲を飛び回る赤い機体に対空砲の照準を合わせようとする。時間を稼ぐため、ナスカは時折レーザーミサイルで牽制しながらひたすら高速飛行した。その隙を狙ったジレル中尉の数発のミサイルが戦艦に突き刺さる。ナスカは爆発に巻き込まれないようにその場を素早く離れた。黒い煙に包まれ沈みかけの戦艦に強烈なとどめの一撃を加えたのはトーレであった。
『僕がやったよ!見たっ!?』
無線越しに成功を喜ぶ明るい声が聞こえてくる。
「最高だったわ、トーレ」
ナスカは前を見据えたままそう返した。ナスカは敵を引き付ける役目をひたすら果たす。できる限り早く、一つ残らず沈ませなければならない。だが余裕だ。心のどこかではそんな風に考えていた。
次々と沈没させる事に成功し、目標は残り一つの戦艦に絞られる。
『残り一つだねっ!あっ、でももう沈みそうかな』
こんな時に分かりきったことをわざわざ教えてくれるのが愛らしいと思った、その数秒後。
前方を飛んでいたトーレの機体が突如爆音と共に煙に包まれる。ナスカは何が起きたのか分からず、取り敢えずそこから離れる。機体は煙に取り巻かれながら垂直に落下していく。
『む、ナスカ、どうしよ……』
無線からトーレの泣きそうな声が伝わってくる。
「何なの!?何が起こったの!」
ナスカには意味が分からなかった。一体急に何が起きたのか。
『し、死にたくないよ、僕は、まだ……』
トーレはひきつった声で答えになっていない発言をする。その頃にようやく理解した。沈みかけの最後の戦艦の大砲が、トーレの乗っていた戦闘機を撃ち落としたのだと。そのまま落下した機体は戦艦に激突して砕けた。しかし辛うじてコックピットのある前方は原形を保っている。奇跡だ。
『こ、怖い……よ……』
無線は生きているらしくまだ掠れた声が伝わってきている。ナスカは助けてあげたいが下手に動くわけにもいかず、無力さを感じながらただ傍観するしかない。
『死にたくない。まだ死にたくない。でも、苦しくて、死にたい。……よく分からない。ナスカ……どこ……?』
トーレは完全に動転していて荒い息と共に意味不明な事をうわ言の様に繰り返す。
『このまま死ぬかな……火に……怖い怖い怖い』
気味悪く繰り返し呟かれる呪文のような言葉を、淡々としたジレル中尉の声が遮った。
『仕事は終わった、撤退せよ。新米の救出は私がする』
彼の搭乗機は高度を落としトーレがいる戦艦の上部の辺りへ接近すると扉を開き、何とか這いずり出てきていたトーレに対して「乗り込め」と指示する。しかしトーレは怖い怖いと繰り返すだけで全く進展が無い。少々苛立ったジレル中尉は「お前はまだ死なない!帰るんだ!」と怒鳴った。
いつも無口な男の怒声にハッとしたトーレは少しだけだが正気を取り戻して手を伸ばす。力いっぱい伸ばした。しかし空振りばかり。ジレル中尉はほとんど機体から乗り出す様な体勢で腕を伸ばした。やがて手と手が繋がる。ジレル中尉が腕を一気に引き上げるとトーレは空中へ持ち上がった。
「よし、離すな」
機体が進行方向を変える時、片翼が戦艦の端に接触してしまう。それでバランスを崩した機体は落下する様な勢いで待機所へ向かってくる。様子を見ていたナスカらは慌てて離れた。金属が擦れる大きな音が響き、ナスカは思わず目を閉じる。
——そして沈黙が訪れる。
やがて誰かが口を開いた。
「出てきた!生きてるぞ!」
ナスカはその声を聞いてから恐る恐る目を開く。するとトーレを抱えてジレル中尉が降りてきているのが見えた。安堵したと同時に彼の方へ駆け寄る。その途中で、ナスカは違和感を感じた。
「ジレル中尉……左腕は?」
トーレを抱える右腕に視線が向かいがちだが、左腕が見当たらない。ジレル中尉は左を見下ろしてから真顔で言う。
「うむ、無いな」
沈黙が二人を包む。
「いやいや!無いなじゃないでしょうっ!!」
つい出てしまったナスカの突っ込みにもジレル中尉は動じない。
「それよりこの新米を持ってくれないか?重いのだが」
「重いとか言ってる場合じゃないと思うけど……」
ナスカは意識を失っているトーレを抱き抱える。脱力しているので意外と重かった。ジレル中尉が空いた右手で左肩の傷口に触れようとしているのに気付いたナスカは「触っては駄目です」と制止する。
「不思議なもので、気付いてしまうと妙に気になるんだ」
冷静な表情とは裏腹に傷口からは血液が流れ出て衣服が生々しい赤に染まっている。こんな事をしている場合ではないと思い、遠巻きに様子を見ている男性に救護班を呼んでくれと頼んだ。男性は走って建物の方へ走っていく。その間も傷口を気にしてそわそわしているジレル中尉だったが、さすがに顔の血色が悪い気がする。普段から血の通っていないような色白だが、今は特に肌に艶が無い。
救護班の数名が到着すると、まずナスカが支えていたトーレを担架に乗せて建物へ引き返した。その時間は僅か一分にも満たない程だった。慣れていて素早い。
残っていた救護班に所属する四十代ぐらいの優しそうなおばさんは、ジレル中尉の腕を持とうとして唾を飲んだ。
「大変!貴方の方が重傷じゃないですか。早く手当てしないといけません!」
遅れて建物から出てきた男性二人におばさんが状況を説明する。
「大丈夫ですか?歩けますか」
片方の男性が慌てず落ち着いて声をかける。それに対してジレル中尉は「問題ない」と強気な発言をして歩き出そうとしたが、急にバランスを崩して膝を地面に着いた。
「担架で運びます。無理しないで下さい。大人しくしていないと取り返しのつかない大事になりますよ」
トーレを乗せていった担架が戻ってくると、男二人がかりで脱力したジレル中尉を持ち上げて担架へ横たわらせた。瑞々しさのない肌には冷や汗が浮かび、虚ろな視点の定まらない目で周囲を見回している。腕の傷口に当てていた白タオルがじわりと鮮血で染まる。
またその場に残ったおばさんはナスカに「もう大丈夫です、戻りましょう」と優しく声をかけた。ナスカは頷きはしたが、改めて自分の無力さを突き付けられたような気がして、心が沈んでいた。
- 白薔薇のナスカ《改稿版》 ( No.63 )
- 日時: 2017/08/23 21:29
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: LLmHEHg2)
ナスカはその日、夕食を食べる気にはならなかった。否、なれなかった。だからパン一つをつまんだだけで食べるのを止めた。
トーレが助かったのは何よりも良かったのだが、どうしても明るい気分にはなれない。そんな心理状態でぼんやりしていたナスカの背後から、真っ青な顔をしたマリアムが突進するように走ってきた。
「ナスカ!どうしようっ、ナスカ!」
慌てた声に驚きナスカは振り返る。
「アードラーさんの、搭乗機がエンジンの不調で……どうしよう、どうしよう。どうすれば良いのっ!?」
焦りで何のこっちゃら分からないので、ナスカはとにかく彼女を落ち着かせようと試みる。
「落ち着いて下さい。ゆっくり話してくれませんか?」
マリアムの目には涙の粒が浮かんでいる。いつもは常に笑顔な人だけに、涙目になっていると、大事だとよく伝わる。
「そう、そうだよね。……うん。落ち着かなくちゃ。落ち着いて、……説明するね」
それからマリアムは途切れ途切れに話し始めた。
飛行中にエアハルトの機体のエンジンが故障し、何とか無事着陸したらしいが、リボソ国の領土に着陸してしまい帰ってこない、という話だった。
「もし捕虜にされて……あたしのせいで、アードラーさんが辛い目にあったりなんかしたら、あたし……生きていけないよ」
どうやら責任を感じているらしい。いつも喧嘩してばかりだが、本当はエアハルトのことを大切に思っているんだな、とナスカは感心した。だが感心してばかりもいられない。
「それは大変!けど、そういうことなら、上の方がどうにかしてくださるのではありませんか?」
するとマリアムは涙目のまま激しく首を横に振る。
「上なんか信頼出来ないよ。厄介事になったらあいつらは絶対に見捨てるもの!ああいう人たちはいつも、自分たちの利益しか考えていない!」
そして悲しそうに続ける。
「でも……悔しいけど、あたしにできることは無い。それは事実なのよね……」
確かにそうだ。整備士ではどうしようもない。それに、一人二人が動いたところで、上が動かなければ意味がない。
「嘘か本当か分からないけど、リボソ国のそっち系は残酷だとか。心配ばっかりだよ。それに最悪、拷問に屈したアードラーさんが敵になるってこともあるかも」
ナスカは表面上は慰めていたが、頭では今回の作戦が本当に必要だったのかという疑問を考えていた。ジレル中尉の片腕にエアハルト、作戦の成功のために払ったものは大きすぎたのではないか?
「エアハルトさんのことですから上手くやってると思いますよ。あの人、外見の割に精神強いですし……ちょっとやそっとで従ったりはしないかと」
できる限り和ませようとナスカは全力を尽くした。
それからしばらくして、緊急で行われたテレビ集会にてその話題が持ち出されると、辺りの空気が一気に重苦しくなる。ナスカは一人寂しくテレビの映像を見ていた。マリアムは自分の部屋へ帰ったらしく、来なかった。
- 白薔薇のナスカ《改稿版》 ( No.64 )
- 日時: 2017/08/23 22:07
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oUAIGTv4)
episode.6
「捕虜エアハルトの心労」
時は少し遡る。
作戦中のエンジン不良という信じられない不幸に襲われたエアハルトは、搭乗機をすぐ近くの空き地へ着陸させた。機体の損傷はそれほどないので壊れていないはずだが無線は使えない。仕方が無いので彼はコックピットの外へと出てヘルメットを外す。予想外に日光が眩しく目を細める。太陽の光を遮る物体は何もない、かなり日当たりの良い場所だった。しばらく経った時、数名の銃を構えた男たちが、エアハルトを取り囲むように集まってくる。平凡な一般人がいきなり敵陣のまっただなかに放り込まれてしまえば、その先に待つことを想像して恐怖を感じ、狼狽えるだろう。だがエアハルトの頭にはそのような考えは無い。だから冷静で淡々としていたのだが、それが余計に男たちの警戒心を煽った。
「ここがどこの土地か分かっているのか?」
男の中の一人が尋ねた。
「突然すみません、エンジンが悪くなってしまったもので」
エアハルトは意図してか天然か、質問とは少々ずれのある答えを返した。
「は?まぁ良い。では名乗れ」
最初に尋ねた男は、不思議な答えに困惑しキョトンとした顔をしながら、話を進める。
「クロレア航空隊所属パイロット、エアハルト・アードラー」
エアハルトは何食わぬ顔でそう名乗った。
それを聞いた瞬間、男たちの顔付きが変わる。ほとんどは顔の筋肉を引きつらせた。当然リボソ国でもその名を知らぬ者はほぼいない。高度な飛行技術に異様な速度、そして一切の躊躇いを捨てた無情な攻撃。何より近くを飛んでも速すぎてパイロットがまったく確認できないのである。
敵国側からすれば非常に厄介な謎のパイロット。伝説のパイロットが目の前にいる。それも、こんなに若く細身で整った容貌の青年だと誰が想像しただろうか。場は驚きに満ちていた。 皆が緊張した面持ちになる中、一人だけ明るい顔付きになった者がいる。
「おぉっ!いよいよ俺の出番が来たんじゃないか?早く捕まえようよ!ねっ、ねっ!」
そのやたら陽気な人物の隣にいる男が、陽気な人物に小声で突っ込む。
「駄目だよ。こういう大物に無許可で手を出すってのは、さすがにちょっと問題あるだろ」
男たちは結局、銃で囲み威嚇することしかできない。何でも上に許可を得ないと動けないのだ。
「よろしい。下がりなさい」
突如、真っ直ぐ伸びる映画俳優のような美声が聞こえてきた。男たちは機敏に振り向く。声の主はダブルボタンのスーツをきっちり着こなした紳士的な風貌の男性だった。彼はエアハルトの前までゆったりと歩み寄ると、静かに挨拶をする。
「どうも初めまして。ハリ・ミツルと申します。それではアードラー氏、こちらへ来ていただきましょうか」
ハリの指示に従って、エアハルトは彼の後ろを歩いた。男たちもその後に続く。
「ハリ、こいつの担当は俺にしてくれるよね?もう普通の捕虜じゃ満足できないからさっ。意思の強い奴を屈服させるのが、何より快感なんだよねっ!」
熱く語る男に対して、ハリは冷静に「静かにしなさい」と注意する。エアハルトはハリを真面目な人物なのだろうと推測した。そのエアハルトは道中も注目の的であった。リボソ国にはない服装でありながら、捕まったとは思えない颯爽とした歩き方をしているのだから、それも不思議ではないだろう。
少し汚れて古ぼけた建物へ入ると、地味なTシャツとズボンが支給される。エアハルトは素直に指示に従い、その服に着替えた。一人の男がエアハルトの両腕を後ろに回し手首に手錠をはめる。それから尋問のための部屋へ案内する。
「大人しくしていれば痛いことはしない」
男にはエアハルトがさっぱり抵抗しないのが不思議で仕方無かったようだ。もっと暴れたり抵抗すると予想していたらしい。
尋問室に入ると、ハリとナイスバディの美女が座っていた。
「あら、いい男」
ナイスバディの美女はエアハルトを見るなり頬を染めながら発言した。ハリはその横で苦笑している。
「お掛けなさい。少しお話しましょう」
エアハルトがちゃんと着席したのを確認して男は外へ出た。
「初めまして。尋問官をしているヒムロ・ルナ。警戒しないでいいわ。ただちょっぴり質問するだけだから」
尋問官の美女・ヒムロは、大人びた笑顔で色っぽい声を出す。
「知っていることなら絶対に答えてね。ちなみに、嘘の答えを言ったら酷い目にあうから」
ハリは手元の帳面を開き、準備万端とばかりにペンを握っていた。
「じゃあ一つ目。航空隊の現在の戦力について知っていることをすべて話しなさい」
エアハルトは露骨すぎる質問内容に呆れ、冷やかな目付きで答える。
「そのような内容を話せ、と?意味が分からん」
それに対して、ヒムロはグロスをたっぷり塗った唇を、艶かしく開く。
「じゃあまずは基地のある場所だけでも構わないわ。素直に話しなさい」
エアハルトはもはやバカバカしくて、その問いには何も答えなかった。言わない、という意思表示だと感じ苛立ったヒムロは、やや調子を強めて言う。
「意地でも言わないつもりね。言うまで終わらないわよ。あぁ、それとも、尋問だけじゃ不満足かしら?いい男だから平和的に解決してあげようとしているのに、贅沢ね」
言い方が非常に上から目線だった。
「仲間を売れないってことかしらね?大丈夫、心配いらないわ。もう二度と帰れないのだから、二度と会わない彼らに気を遣う必要は無いのよ。全部話したって誰も貴方を責めたりしない。それより、このまま黙っていたら痛い目にあうことになるのよ。そんなの嫌でしょう?愚かなクロレアの奴らのことは他人と考えなさい。どうなろうと貴方には無関係だわ」
ヒムロがそんな風に捲し立てるのを、不愉快そうな表情で聞きながらも黙っていたエアハルトは、言葉が途切れた隙に鋭く言い放った。
「無関係ではない!」
刺々しい言い方を聞いたヒムロは何故か頬を赤らめて嬉しそうな顔をする。
「あぁ、やっぱりいい男。近年稀にみる良い素材だわ。敵に囲まれている中で強気な発言をできるところが素敵ね」
いきなり話がずれたのでエアハルトには何のこっちゃら分からなかった。相手の様子を伺う。二度と帰れないなんてことは絶対にない。それを信じて疑わない彼は、できる限り多くの情報を得ようと考えていた。それが今の自分がするべき仕事なのだと。
「それではもう一度聞くわ。航空隊について話しなさい。戦力や基地の場所……今後使いそうな切り札とかでもいいわよ」
やはりエアハルトは淡々と「それは言えない」とだけ答えた。尋問されるのは初めての経験だが、なるべく上手くやってのけようと心に決める。そのためにもまず精神の安定を一番に考えて過ごすよう心がけようと思っていた。
それからも尋問は長く続き、エアハルトは自分が思っていたより疲れていた。時折お茶を与えられる以外には何も食べられず、ずっと座りっぱなし。尾てい骨は自身の体重で痛むし、腕はずっと動かせず痺れてきた。黙秘しながら、ナスカは無事だっただろうかと心配したりして、退屈をまぎらわせていた。
- 白薔薇のナスカ《改稿版》 ( No.65 )
- 日時: 2017/08/23 22:08
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oUAIGTv4)
長い長い尋問が終了すると、外で待っていた男がエアハルトを次の部屋へ案内する。辿り着いたのは「部屋」とは呼べないような狭く暗い場所だった。真っ黒な壁、埃の臭いが強い。さすがのエアハルトもそれを目にした時は驚いた。まさかここまで悪い環境だとは予想しなかったのだ。
「これは……部屋なのか?」
口から自然と出た問いに、男は小さく頷く。それから男はエアハルトを突き飛ばした。いきなり押されたエアハルトは前のめりに転倒する。その隙に男は扉を閉めた。エアハルトが振り返った時には既に施錠されていた。
「明日の朝、また来るからな」
男は冷たく吐き捨てるように言い放った。
その日の真夜中。ふと目を覚ますと、何やら物音が聞こえてくる。不思議に思ったエアハルトは暗闇の中で目を凝らした。それでもはっきりは見えない。ただ、鍵を弄る音がする。誰かがやって来たようだ。エアハルトは警戒して身構える。
軋むような音を立てて、ゆっくりと扉が開かれた。細い一筋の光が差し込む。
「あら、まだ起きていたの?」
入ってきたのは尋問官のヒムロであった。ついさっき目が覚めた、とエアハルトは深く考えずに答える。
見知らぬ人でなくて少し安心した……のも束の間。ヒムロは部屋の中へ入り、内側から鍵をかける。二人で入るにはスペースが狭すぎる。
エアハルトが不思議に思っていると、彼女は地面に座り込んだ。一人でいるにも満足な広さはないのに、もう一人入ってくると息苦しいぐらいの狭さだ。 ヒムロはさりげなく顔を近付ける。距離は徐々に縮まり、瞳にお互いの姿が映り込む程の距離になる。埃臭いだけだった部屋に甘い芳香が漂う。
「……何か?」
ヒムロは怪訝な顔のエアハルトの肩に手を乗せ、そこから舐める様に指をずらして首筋に触れる。
「本当に、いい男」
狭い暗闇で体が触れ合う。エアハルトは不気味な感覚に戦慄した。
「尋問の時は退屈していたでしょう?素敵な人だから特別に、いいことしてあげるわ」
首筋の指を滑らかに耳へと移動させる。二人の距離が更に縮む。この時になってエアハルトはヒムロの企みに気付き、距離を取ろうと抵抗する。しかし狭すぎる部屋では逃げ場が無い。ヒムロは一気に接吻しようと顔を接近させる。その刹那、反射的に横向いたエアハルトの耳に彼女のしっとりと柔らかな唇が触れた。
「案外照れ屋さんなのね。そういうのも良いかもしれないわ。積極的じゃない男も、ね……」
ヒムロはなぜか赤面しながら、エアハルトの首筋に何度も口づけを繰り返す。
「唇は嫌……?」
擦り寄られたエアハルトは、強い口調で「それは駄目だ」とはっきり拒否する。
「あ、もしかして……まだ未経験かしら?」
子悪魔的に囁き、また首筋に口づけをした。余りの積極さに困り果てたエアハルトは、重苦しく溜め息を漏らす。
「つまり、僕を慰み者にさせろと言いたいのか?」
ヒムロは長い髪を弄り、セクシーな雰囲気を全力で主張する。
「慰み者だなんて。酷い言い方をするのね。愛がなくちゃ駄目よ」
そう言ってからエアハルトを強引に床へ押し倒す。
「貴方の唇を奪いたい。これは本気よ?誰にでもこんなことをしてるわけじゃないわ」
エアハルトは腕が動かせないので、満足に身動きが取れず、内心焦っていた。誰も見ていないということは、何をされてもおかしくないということである。
「待て、落ち着いてくれ。僕はそのようなことをするには適していない!」
必死に制止しようとするが、努力も虚しく好き勝手にやられ放題だった。女性の繊細で柔らかな指が体を這いずり回るのは、エアハルトとしてはトラウマ級の出来事だった。
「貴方の初めてが欲しいの」
全身くまなく、あらゆるところに触られたエアハルトは、ついに怒りを爆発させた。
「意味深なことを言うのは止めろ!セクハラと訴えるぞ!」
ヒムロはそんなエアハルトなどまったく気にせず、夢見心地な表情のまま頬を彼の胸に当てている。
「未経験の男ってのも好きよ。だってそれだけ、あたし色に染める余地があるってわけだもの……ふふっ」
だが本気で嬉しそうにしているのを見ると、エアハルトはよく分からなくなり戸惑った。少し前までは早く逃れなければと思っていたが、何かが変わる。
もしかしたら、ただふざけて遊んでいるだけではないのかもしれない——。と思った。
「昔は誰もが言ったわ、愛したい美女ナンバーワンだと。でも……父さんが解雇されてからは、誰もあたしを愛してくれない……。誰一人、あたしに愛を囁いてはくれない……」
少し心が変わったエアハルトが、頭にそっと手を乗せると、彼女は幸せそうに微笑む。
「とても……温かい手。ありがとう。幸せよ」
エアハルトには彼女の狙いが推測出来なかった。そんなはずはないのだが、なぜか彼女の言葉が真実に聞こえる。
(尋問官と捕虜がこれで良いのだろうか……)
ヒムロは満足したらしく、嬉しそうな顔をして、困惑気味のエアハルトから退いた。
「今晩のことは二人の秘密よ。いいわね」
彼女はご機嫌な様子で明るくウインクしてから、そそくさと部屋を出ていった。
エアハルトは彼女がいなくなった部屋で再び溜め息を漏らす。胃が刺すように痛む。
「……面倒臭いのに巻き込まれた感じがするな」
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