複雑・ファジー小説
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- 断捨離中【短編集】
- 日時: 2024/02/21 10:09
- 名前: ヨモツカミ (ID: AZCgnTB7)
〈回答欄満た寿司排水溝〉すじ>>19
♯8 アルミ缶の上にある未完 >>8
♯12 夜這い星へ、 >>12
〈添付レートのような。〉らすじ>>23
♯14 枯れた向日葵を見ろ◆>>14
♯17 七夜月アグレッシブ◆>>17
〈虚ろに淘汰。〉すじ>>27
♯19 狂愛に問うた。 >>21
♯21 幸福に問うた。 >>24
〈曖昧に合間に隨に〉じ>>35
♯22 波間に隨に >>28
♯23 別アングルの人◆>>29
〈たゆたえばナンセンス〉あ>>41
♯27 知らないままで痛い◆>>36
♯28 藍に逝く >>37
♯29 Your埋葬、葬、いつもすぐ側にある。 >>38
♯30 言の葉は硝子越し >>39
♯31 リコリスの呼ぶ方へ >>40
〈拝啓、黒百合へ訴う〉ら>>51
♯32 報われたい >>42
♯33 真昼の月と最期の夏 >>43
♯34 泥のような人でした。 >>44
♯35 夜に落ちた >>47
♯37 銀と朱 >>49
♯38 海の泡になりたい◆>>50
〈ルナティックの硝子細工〉す>>56
♯39 愛で撃ち抜いて >>52
♯41 あたたかな食卓 >>54
♯42 さみしいヨルに >>55
〈ジャックは死んだのだ〉あ>>64
♯43 さすれば救世主 >>57
♯44 ハレとケ >>58
♯45 いとしのデリア >>59
♯46 大根は添えるだけ >>60
♯47 ねえ私のこと、 >>61
〈ロストワンと蛙の子〉じ>>70
♯48 愛のない口付けを >>65
♯49 ケーキの上で >>66
♯50 だって最後までチョコたっぷりだもん◆>>67-68
♯51 暗澹たるや鯨の骸 >>69
〈愛に逝けば追慕と成り〉あ>>79
♯52 鉄パイプの味がする >>71
♯53 リリーオブザヴァリー◇>>72
♯54 海に還す音になる◇>>75
♯55 そこにあなたが見えるのだ。◇>>76
〈朗らかに蟹味噌!〉あ>>87
♯56 お前となら生きられる◇>>82
♯57 朱夏、残響はまだここに◇>>83
♯58 夢オチです。◇>>84
♯59 あいしてるの答え >>85
♯60 さよならアルメリア >>86
〈寄る辺のジゼル〉あ>>90
♯61 熱とイルカの甘味 >>88
♯62 燃えて灰になる◇>>89
- Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.50 )
- 日時: 2019/09/02 18:58
- 名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)
♯38 海の泡になりたい
赤い彼女は、狭い水槽の中に閉じ込められている。揺蕩う見事な紅の鱗と、その美しい身体のしなる姿は、いつまで見ても飽きはしなかった。
彼女を購入した理由を、私ははっきりと記憶していない。明確なのは、なんだか生活のすべてがどうでもよくなって、酷く泥酔していたことくらいだ。
一人、バーで飲みに飲んで、帰り道すら危うかった私が千鳥足でたどり着いた小さな店先には、色とりどりの魚が水槽を優雅に泳いでいた。一刻も早く家に辿り着きたいはずだったのに、その店の前で足を止めたのはどうしてだったか。鮮やかなアクアリウムに心を奪われかけたというのもあった。綺麗だな。こんな水槽の中に身を投じて、そうして深く沈んで、溺れ死んでしまえれば良いのに。そんな思考に陥ったが、そうするにはあまりにも水槽が小さいな、と思ったことは、鮮明に覚えている。
その後だ。女性の鼻歌のようなものを聞いた気がするのだ。
店内の奥に視線を向ければ、やたらと大きな──それこそ、人一人入るには十分な程の水槽が目についた。鼻歌は、聞いたこともないメロディーを紡いだが、妙に私の心を掴んで離さなくて、誘われるように店の奥へと足を進めた。
そうして出会った彼女は、魚ではなかった。炎のような赤くサラサラと長い髪は水気を含んで湿っており、だけど艷やかに美しく見えて。水槽の中、顔と腕だけを出して鼻歌を歌っていたのは、まるで異世界から抜け出してきたような、現実味のない女性だった。
私が来たことに気がつくと、彼女は歌うのをやめ、長いまつ毛に縁取られた翡翠のように鮮やかな瞳で、私をじっと見ていた。そのまま、金縛りに合うみたいに動けなくなって。
「ねえあなた、わたしを買って下さらない?」
甘い声でそう言われた気がした。実際には言葉なんて発していないのに。
呆然としていると、店の奥から店主らしき男がのろのろとやってきて、私に言ったのだ。
「珍しいでしょう? まさかうちも人魚を売ることになるなんて思いませんでしたけど。お客さん、どうです?」
「人魚……?」
言われてから水槽の中に沈んだ彼女の体を、初めて見た。上半身は白い肌が剥き出しになっていて、長い髪の毛で隠れているものの、堂々と露出した胸部にギョッとしながらも、下半身を見て更に驚くこととなる。
腰から下は不自然に紅の鱗に覆われており、足の代わりにそのまま尾びれが付いている。
半魚の亜人。お伽噺の中でしか聞いたことのない存在が、確かにここに存在していた。
「ご購入頂ければ、この人魚、家までトラックで送りますよ」
「いや、私は、」
「お安くしておきますよ。珍しいには珍しいんですが、なんていうか、うちに置いておくのが怖くって」
買うつもりなんて無かったのに、まあ、貯金とかどうでもいいしなとか、とても綺麗だからとか、まともな思考もできずにそこそこの大金を払って、彼女の水槽を店主と協力してトラックに積み込んだ。
翌日。なんだかおかしな夢を見たなと思って寝台から起き上がってリビングルームに向かうと、少し狭そうな水槽の中で、揺蕩う赤い彼女の姿があった。
「知ってますか、お客さん。人魚の肉を食らうと千年生きられるとか」
「人魚の体温って、水温と同じくらいだから、人間が触れると火傷してしまうとか」
「人魚の歌声は、人を惑わせるそうです。飼い方には十分気を付けてくださいね」
店主は最後にそんなことを言っていた気がした。
水槽の中からじっとこちらに向けられた双眸を黙って見つめ返す。本当に買ってしまったんだな、とどこか他人事のように思考して、水槽に掌を翳す。人魚は私の手と合わせるように、自分の水掻きの付いた手を水槽に当てた。硝子一枚を隔てて、私より一回り大きな白い掌は、人間味が無くて、少し不気味に思う。だが、同時にひどく惹き付けられるような不思議な感覚に、私は大きく溜息を吐いた。
「私はお前に触れたいと思う。けれど、私の熱で、人魚は火傷を負ってしまうのだろう?」
人魚は口角を少しだけ上げて、口を開閉させる。だが、水泡が溢れるだけで、何を言っているのかはわからない。私は立ち上がると、水面から人魚を覗き込んで言った。
「聞こえないよ。顔を出して。お前と話がしてみたい」
人魚は私の声に応えて水面から顔を出した。
現実味を感じさせぬほどに整った顔で、小さく微笑む。その姿に確かに私の胸は高鳴っていた。
「人魚の歌は、人を魅了するらしいな。もしかして、昨日のお前の歌で私は既にお前のとりこになっているのかもしれない。触れたいと思うし、なんというか……」
人魚は絶えず微笑を浮かべていた。私はその先の言葉を紡げなかった。この年になって、初めて抱いた感情の、名前を知らなかったわけではない。ただ、初めてのことに動揺を隠しきれなかった。
姿を見ただけ。軽く歌を聞いただけだ。なのにこんなに胸が高鳴るのは、この異常な感情は。
「お前の肉を食えば、千年生きるという。昔の私だったらそれは大変興味深い話だったかもしれないが、今はそうは思わない。私は人生に疲れてしまっている」
そうだ。だから彼女を購入することに躊躇はなかったのだろう。金なんて、いくらもっていても、もう意味を成さないから。
私は彼女を買った明確な理由は覚えていなかったが、たった今、その理由を作ることができた。
仕舞い忘れてリビングに放置されていた酒の瓶を手を伸ばした。まだ半分ほど入っている。蓋を開けて、一気に中身を煽ると、強いアルコールの匂いと深みのある味がごった返して、一瞬吐きそうになる。別に酒は好きではなかった。何もかも忘れるために飲んでいるだけだった。
酒瓶を空にすると、そのへんに転がした。人魚はそんな私の様子をなんの感情も伺えない表情で見つめるだけだった。
「なあ、一緒に死んでくれないか」
人魚の表情が少しだけ動いた気がした。
「海に連れて行ってやる。そこで、抱き合って一緒に死のう」
彼女を抱きしめれば、私の熱で火傷してしまうから。熱で殺して、私は海の泡になって、そうやって二人で消えてしまえたら最高だ、と思ったのだ。
縋るような目で人魚を見つめていると、彼女は大きな瞳を伏せて、一度だけ、確かに頷いて見せた。
数日後、私の家から一番近い海岸で一つの死体が発見された。
***
死んでいたのは、誰だったのか。
第13回 瓶覗きを添へて、より。
人魚って好きです。美しいイメージを持たれがちだけど、人間じゃないからどこか気持ち悪さも併せ持っていて、不気味なような不思議なような、そんななにかですよね。
主人公は、一緒に来てくれる誰かがほしかったんだと思います。それは人間である必要もない。
- Re: 拝啓、黒百合に訴う【短編集】 ( No.51 )
- 日時: 2019/10/29 17:52
- 名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)
〈拝啓、黒百合へ訴う〉
手紙を書いたのです。
忌まわしい貴方へ宛てた愛は赤黒く。
手紙を破いたのです。
親愛なる明日を呪った日々は、やがて醜い怪物となるでしょう。
♯32 報われたい>>42
報われたいと願う少女の話。自殺ネタです。読むと暗い気持ちになるので鬱注意です。
♯33 真昼の月と最期の夏>>43
寂しい夏の話。情景描写重視で書きました。茹だるような暑苦しいベタつく夏、というより、どこか儚く美しい夏というイメージです。
♯34 泥のような人でした。>>44
女の子同士の友情と見せかけて、少しずつ気持ち悪い話。花言葉アンソロジーに掲載していた作品です。
♯35 夜に落ちた>>47
少年同士の友情っていいなという話。なんとなく思いついたフレーズで書いてみた話。
♯36 模範解答の行く末>>48
「まあ座れ話はそれからだ」より、百合的な話。叶う恋より叶わない恋のほうが美しく感じます。
♯37 銀と朱>>49
学校で飼ってるうさぎが殺された話。仄暗く、なんとなく気持ち悪い話を書くのが好きです。
♯38 海の泡になりたい☆>>50
人魚に心を奪われた人の話。主人公の性別は決めてないので、好きに想像してください。
- Re: ルナティックの硝子細工【短編集】 ( No.52 )
- 日時: 2019/11/30 09:08
- 名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)
♯39 愛で撃ち抜いて
無機質で冷たい、鉄の塊。その冷ややかさは、まだ指一本触れてないこちらにまで伝わってくる。鉛の玉を食った拳銃は、寡黙に殺意を研ぎ澄ましている。
「それモデルガン、だよね?」
一応確認のためにメディはウルシアに訪ねた。紫色の前髪の隙間、同じ色をした瞳がこちらをじっと見つめている。彼女は、淑やかに微笑んで見せると、歌うように言った。
「違うよ。悪い人から貰ったの」
息を吐くこともない黒い黒い銃口が、こちらに向けられる。
「本物だよ」
代わりに息を吐くのメディはだった。本物だという銃を向けられて、感嘆の息が溢れる。恐怖の感情はなかった。人を殺せる鉄塊の存在感を目の前にして、ただ、物珍しく思うだけだった。15にもなって、メディは死というものに対しての理解が薄かった。
「おれを撃つのかい、ウルシア」
「さあね。でも生殺与奪権は私にあるよ」
黒い引き金に、細くて頼りない指が絡む。それが引かれることが、即ち死であること。わかっているようで、なんだか夢のことのようにメディは思う。
「銃なんか使わなくたって、僕はこの冬のうちに死ぬのに」
此処は奇病の患者が集められた病棟。
メディの片目には、顔の半分を覆うほど大きな花が咲いている。薄桃色の六枚の花びらを持つ、名も無き花。残った銀灰色の左目は、日毎に光を失い、メディの手足も入院した当初と比べると大分細くなった。
花が彼の命を蝕んでいるのは確かだった。やつれていく彼の代わりに、無名の花は日に日に美しく咲き誇り、しかし今では花の終わりも見え始めていた。
今年の終わる頃。良くても来年の始まった数週間のうち。花は枯れて、同時にメディの命も終わりを迎えるだろう。花を身に宿し、入院したときから、メディはそれを理解していた。花が美しくなる度に、自分の体が弱っていくのだ。花に生気を吸い取られている。できないことが少しずつ増えていった。元気に走り回ることができなくなる。病棟の廊下を歩けなくなる。今では、ベッドで横たわることしかできなくなっていて。
毎日を寝て過ごす日々に、突如ウルシアという少女が現れた。
彼女は度々メディの病室に顔を出して、体調を伺った。花の呪いで記憶も曖昧になり始めたメディには、ウルシアと自分の関係が思い出せない。親しい仲であったことはわかる。だが、どのように出会ったか、どうして彼女が頻繁に訪ねてくるのか、彼女がどんな人間であったか、それについて考えようとすると、花の茨に阻まれるように思考ができなくなる。ウルシア。せめて名前だけは忘れぬようにとペンで掌に書いた。薄れれば、上からなぞって、彼女のことだけは覚えようとした。
──そんな彼女に、拳銃を向けられている。
さつい。殺意。ウルシアに殺されなければならない理由が、果たして自分にあっただろうか。考えを巡らせる。この病室で自分がやってきたことは、彼女の話に相槌を打つだけ。花に蝕まれて弱った体ではその程度しかできなかった。それだけの自分を、殺す理由。メディには想像もつかなかった。
「私、メディに死んでほしくないんだ」
「だとしたら、どうしてソレをおれに向けるの?」
ウルシアは眉を顰めた。唇を噛み締めて、何かを堪えるような顔で、じっとメディを見つめた。
「花があなたを殺すなんて、許さない。奪わせない。だから、だから……」
その震える声と表情から、ウルシアが向ける殺意が、鉄の冷たさとは似ても似つかないモノだと、メディはなんとなく悟った。
いつもこの病室を訪ねてくれる彼女なら、死んでほしくない、というのは本心から来るものなのだろう。それ故に自らの手でメディを殺す選択。それはきっと、愛情に似たなにかだ。
そうだ。死んでほしくないから、殺すのだ。ウルシアがメディを大切にしてくれているからこそ、自分の手で命を終わらせたいのだ。
メディは思わず笑った。死ぬというのに、こんなにも心が温かいなんて、不思議だ。
「いいよ、ウルシア」
手を伸ばす。冷たい指で、彼女の手に触れた。そうして銃の引き金に指を重ねる。拳銃は、メディの指先より冷たく、武器の持つ鋭利な殺意を実感した。
彼女の手は震えていた。
「おれを殺して」
死への恐怖はわからない。痛いのか。苦しいのか。寒いのか。それは少し、嫌だな。だけれど、彼女の暖かな殺意に撃ち抜かれるなら、きっと辛くはないだろう。
ウルシアの紫が潤んで、透明に揺れる。
彼女の指に重ねた指がゆったりと沈みこむ。かち、という無機質な音。
秋晴れの空、奇病の患者が集められる変わった病棟で、一つの銃声が響いた。
***
お久しぶりです。銃口を突きつける、という描写がしたくて書きました。発砲はしたけど、死ぬ描写を入れなければ、シュレディンガーの猫です。私は人が死ぬ話をよく書きますが、今回はどうなのでしょうね。
- Re: ルナティックの硝子細工【短編集】 ( No.54 )
- 日時: 2020/01/06 19:22
- 名前: ヨモツカミ (ID: CstsioPs)
♯41 あたたかな食卓
今日は仕事が長引いて、少し帰りが遅くなってしまった。娘の誕生日だから早く帰って来るように言われていたのに。やはり妻は怒っているだろうか。腕時計を確認すれば午後十時。いつもなら娘はもう寝ている時間だ。折角ケーキも買ってきたが、妻はどんな顔をしているだろう。
サラリーマンの男は、内心ビクビクしながらマンションの自動ドアを通り抜け、エレベーターのボタンを押して、エレベーターが来るのを待っていた。白い息を吐きつつ、左手のケーキの箱に視線を落とす。折角なら、これに蝋燭を七本突き立てて、三人でハッピーバースデーの歌を歌って、六つに切り分けて。家族で娘の誕生日を祝いたかったが、自分が仕事を早く切り上げられなかったばかりに、そうは行かないのだろう。
一階にたどり着いたエレベーターが開くので、中に入り、十三階のボタンを押す。閉まる瞬間、滑り込みで黒いコートに身を包んだ男が入ってきて、なんとか乗り込んだ。彼はどこのボタンも押さずに扉の前で佇んだので、同じ階層の人かな、と思う。だとしたらあまり見たことのない人だな。マフラーで口元を隠し、ニット帽を目深に被っていて顔はよくわからないが、知らない人だ、とぼんやり思う。だが次の瞬間にはサラリーマンの男の意識は、ケーキや妻子のことに向いていた。だから、黒いコートの男が右手に持ったモノの事など、気付きもしない。
ふらり、と相手がこちらに寄ってきた気配を察して、サラリーマンの男は振り向こうとした。瞬間、
「うっ……!?」
彼の背中を激しい痛みが貫く。体の内側から溢れ出た、ぬるりとした何かが冷たく肌を伝うのがわかる。なのに、背中は焼け火鉢を押し当てられたみたいに熱い。息を吐くのが苦しい。なんとか首を回して、黒いコートの男の顔を見ようとした。ニット帽とマフラーの隙間、二重の大きな瞳。自分よりいくつも若そうだ。彼は目元だけで笑うと、彼の背中に突き刺したナイフを引き抜いた。サラリーマンの男は力が入らなくなって、エレベーターの床に蹲った。
黒いコートの彼は、サラリーマンを無感情に見下ろして、再び振り上げたナイフを彼の背中に落とした。
くぐもった声が漏れる。鮮血が新しい傷口からダラダラ溢れる。何度かその背中にナイフを突き立てては引き抜いて、やがてサラリーマンの男が動かなくなると、黒コートの男は得物を懐に仕舞い込む。
そうこうしている間に、チンと機械音と共にエレベーターの扉が開く。十三階だ。
男はこれからやろうとしている恐ろしい計画を頭に浮かべて、思わずほくそ笑み、サラリーマンの家族の住む部屋のドアの前まで、ゆったり、ゆったりと歩いて進んだ。
インターホンを押す。すると、荒っぽい足音が聞こえて、あまり待たずに玄関が開いた。
「おかえりあなた──あら、ごめんなさい、私てっきり……」
苛立ちの篭った声で、本来帰ってくるはずだった男を出迎える、女性の姿。長い茶髪を後頭部で簡単に結っていて、未だエレベーターの中で転がっているあの男と年は近そうだ。黒いコートの男を見て、彼女は自分が相手を確認もせずに扉を開いたことを恥ずかしく思ったのか、気まずそうに髪の毛を弄っている。顔立ちはそれなりに整っており、スタイルも目立った欠点はない、標準的と言える。
自分好みの女性で良かった、と男はマフラーの下で口元を歪ませた。
「ええと、すみません。何か御用でしょう、」
か。と、彼女が発音できていたかどうかは怪しい。男は懐から取り出したナイフを、彼女の腹部に深々と突き立てていたから。
女性は声を上げなかった。ただ、元から大きなその瞳をさらに大きく見開いて、自分の腹が赤く染まっていく様を凝視した。
女は数歩後退って、玄関に仰向けに倒れた。ひい、ひい、と悲鳴と思わしきか細い声を漏らしながら、怯えたように男を見上げている。男はすかさず屈んで彼女の胴に跨って、肩に手を置くと、振り上げたナイフを胸元に突き刺した。
ぎゃあ、と悲鳴が上がる。気にせずナイフをひねって、傷口をえぐる。女がナイフを持った男の腕を掴んできた。抵抗のつもりなのか。鬱陶しい。振り払って、二の腕に刃先を沈みこませる。ぶしゅ、と血飛沫が男の顔にかかって、彼は片目を閉じる。
「あ、ああぁ、やめて、助けて、誰か……」
煩いので喉元にナイフをあてがって、思い切り横に引き抜く。今度は大量の血液が吹き出して、男の顔や胴を派手に汚した。
女はビクビクと跳ねていたが、やがてピタリと動かなくなった。
男はゆらりと立ち上がり、血の染み込んだマフラーとニット帽を捨てる。室内は暖かく、コートも必要なさそうだと思い、それも彼女の亡骸の側に脱ぎ捨てた。
玄関においてあった姿見鏡に自分の姿が映る。返り血で汚れた顔は幼さを残していて、まだ二十歳も超えてない青年だとわかる。
すでに二人の人間を殺したが、彼が殺人を犯すのは今日が初めてだった。そのくせ、頭は妙に冴え渡り、落ち着いている。指先は僅かに緊張で震えたし、心臓もバクバクと煩かったが、それでも何故か冷静でいられた。
人は案外簡単に死ぬ。ナイフ一本で自分のほうが強くなれる。それがわかった今、彼に怖いものなんて何もなかった。
彼がこの夫婦を殺そうと思ったことについて、深い理由はなかった。同じマンションに住んでいて、少し顔を知っていたから。幸せそうだったから。でも、それを壊してやりたいとか、そういうことを思ったわけではない。数人殺せればよかった。そうなると、三人で暮らしているこの一家が手頃だったのだ。
青年は横たわる女の腕を掴み、廊下をひきずって歩いた。ドアを開けて明るいリビングルームにくる。部屋にあるダイニングテーブルの上には、この女性が作ったのであろう、冷めた料理が並んでいた。おかずはいくらか減っている。旦那の帰りを待たずに親子で食べたのだろう。丁度まだ何も食べてないし、とても美味しそうな料理だ。頂いてしまおう。
自分が座る向かいの椅子に、女性を座らせた。まだ滴る血が机の上を汚し、唐揚げのキャベツに赤い雫が垂れる。ドレッシングだと思えば気にならないものだ。
遺体を座らせると、青年はキッチンに向かった。食器棚を見つけ、そこから箸を一膳と茶碗を取り出す。次に炊飯器を見つけると、横についていたしゃもじを取って、蓋を開けた。ほわ、と温かな蒸気と共に二合程度の炊きたての米が詰まっているのがわかる。寒い外から帰ってきて、温かなご飯は嬉しいものだ。
適量の米を茶碗によそって、リビングに戻る。机の上に茶碗と箸を並べていると、ガチャ、と無機質な音がした。
「おかーさん……? このひとだれ?」
扉の前に立っていたのは、可愛らしい顔をした、小学生低学年くらいの女の子だ。寝間着姿だから、寝ていたのだろうが、母親の悲鳴で起きてしまったのだろう。まだ母親が死んでいることには気づいてないらしい。
男は素早く女の子に歩み寄って行って、口を押さえつけると、床に叩きつけた。頭を強く打ち付けたためか、女の子は声を上げて泣こうとする。しかしくぐもった声しか出ない。どうせ子供は騒ぐから、口を塞いで正解だった。空いた方の片手でナイフを取り出すと、女の子の首元に勢い良く突き立てた。ぶしゅ、と鮮血が吹き出す。女の子が暴れ出す。だが、男に力で敵うわけもなく、無意味な抵抗だ。ナイフを引き抜いて、映画で見たワンシーンを真似して刃先の血を舐め取ってみた。別に美味しくない、鉄臭い血の味だ。男は無感情にナイフをもう一度女の子の首筋に振り下ろした。少女の口からも鮮血がドロドロ溢れだして、両手が赤に汚れる。エレベーターでこの子の父親にしたのと同じように、何度かナイフを同じところに突き立てていたら、やがて女の子はぐったりと動かなくなった。
血で汚れた手は彼女の寝間着の裾で拭った。それでも乾いた血は拭いきれない。
男は気にすることなくナイフを懐に仕舞うと、女の子の腕を引いてダイニングテーブルに向かった。母親の隣、男が茶碗と箸を置いた席の斜め前に女の子を座らせる。喉と口から溢れる鮮血は止まらず、寝間着や椅子を赤く汚していった。
さて、と一息ついて、男は椅子を引いて、席につく。頂きます、と両手を合わせてから箸を持って、美味しそうな唐揚げを摘む。頬張ると、やはり冷えていたが、味は悪くない。ついで温かなご飯を口にかきこんで、咀嚼する。
「うま。奥さん、この唐揚げ手作りですか? めっちゃ美味しいですよ」
それを聞いた女性が笑うことなんて、当然ない。男は始めから彼女の返答なんて期待していなかった。もう、死んでいるのだから。
唐揚げを飲み込むと、次はエリンギのバター醤油焼きを口に運ぶ。こちらももう熱はないが、大変美味だった。
「エリンギうま。俺、茸大好きなんですよ。奥さん料理上手いですね」
返事が無い中、男は一人で咀嚼する。他のおかずも一口ずつ食べて、母親と娘の顔を見回してから、箸をそっと置いた。
「俺、こうして家族で食卓を囲むってこと、したことなくって。今、凄い幸せです。ご飯も美味しいし。お嬢ちゃんも、美味しいご飯を作ってくれるお母さんで良かったねえ」
返事の代わりに、親子は喉から血を滴らせる。
「俺のお父さんは、碌な人じゃなかった。仕事にも行かないで、酒ばっか飲んで、母さんや俺に暴力を振ってさ。母さんはいつも謝ってたっけ。ボロくて寒い家で、質素なご飯を食べて育ったんだ、俺」
男はもう一度唐揚げに箸を伸ばす。母親から垂れた血がついていたけれど、気にせず頬張った。肉汁が口の中に広がって、本当に美味しい。
「高校を卒業して、家を出て、毎日働いて。いつも一人でご飯食べててさ、急に寂しくなったんだ」
男の目元から、涙がこぼれる。
「ご飯、本当に美味しいです。一緒に食べてくれてありがとう」
***
死、血、刃物、みたいなテーマで書いてみました。三題噺では無い、かな?
死体と食卓を囲む風景を書いてみたかったんです。死んでいても、誰かと一緒に食べるご飯は美味しい。
- Re: ルナティックの硝子細工【短編集】 ( No.55 )
- 日時: 2020/02/10 19:36
- 名前: ヨモツカミ (ID: CstsioPs)
♯42 さみしいヨルに
雨が降っている。
氷のように冷たい。鈍色の空から、しと、しとと。誰かの流した涙のように落ちてきて、私を雨水が湿らせていく。
ネオンに彩られた街中。皆、カラフルな傘で身を守る。この冷たさに浸りたくはないから。寒さは嫌いだから。一人、傘に守られず黒髪を濡らす私は独りだった。
大丈夫ですか。右耳にかかる声。見知らぬ男性。ビニール傘を差し出すスーツの男だ。
ふっと笑いかけて、私は踵を返す。人混みの中に体を押し込んでいく。優しさなんていらない。今の私には偽善に見えて、汚れて思える。だから独りなんだろう。自ら孤独を選んだのだ。
雨が重たい。水を吸い込んだ制服が肌に張り付いて、凍える。だけど、温もりなんて欲しくはなかった。
歩いて、歩いて。吐く息が白い。指先がかじかんで、感覚がなくなる。ローファーの中も水浸しで、一歩進むごとにぐしょ、と音を立てて、その冷たさに鳥肌が立った。
住宅街までくると、人気は無くなる。目指したのは自分の家でもないマンション。勝手に入って、エレベーターに乗り込んだ。押したボタンは最上階。11の数字をぼんやりと視界に写して、それって何メートルかな、と疑問を抱える。どうでもいいか。高ければ高いだけ良かった。
最上階に辿り着く。曇天から降り注ぐ雨が、街を濡らしていた。分厚い雲に覆われて、今が何時かすらわからなくなる。
私は濡れたフェンスに両手で触れた。冷たい鉄の感触。少し離れたドアから、誰かが出てきて、私を見た。若い男だった。視線が合う。私はなんとなく笑いかけて、それからフェンスに足をかけた。
あ、と男が声を上げる。でも、動かない。ここ11階だぞ、と叫ぶだけ。知ってるよそんなこと、とは答えずに、私は体を乗り出す。
当然、重力が私を地面に引きずり落とそうとする。落ちる。落ちる。落ちていく。
男がフェンスに張り付いて、私を見ているのが遠く、上の方に見えた。
「人間は、馬鹿だねえ」
急に体が軽くなる。両手が翼に変わる。濡羽色の、艷やかな黒い羽。
1つ、大きく羽ばたいた。風を掴んで、宙に舞う体。
私は鴉。孤独に空を舞う。
私は、どこまでも自由で、独りだった。
***
寒い日が続きますね。寒いとなんとなくテンションが下がって、ほんのり暗い気持ちになりますよね。冬の雨って、冷たいしホント、最悪ですよ。雨は夜更けすぎに雪へと変われよ。そんな気分で書きました。
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