『四』って、なんで嫌われるか、知ってる?
作者/香月

第十一話
じっくり、可愛がって、あげるから。
その言葉が、その声が、その響きが、私の脳裏を乱す。
……何?何が起こっているの、今?
目の前が、どんどん真っ黒くなってゆく。
全て黒くなって、目の前にあるのは―――
目。
こっちを見つめる大きな目。
「やだ…こっち見ないで…」
感覚なんてとっくに消えた手が、信じられないほど震えている。自分の手じゃないみたいだ。
…どうしよう……止まらない。
「だから、そんなに怖がらないで。私はまだ何も……」
あの声が、また聞こえてくる。
その瞬間、私の胸に、ブワッと何かが溢れた。
「やめて!やめてやめてやめてやめて」
私はぎゅっと目をつぶり、耳をふさぎ、叫ぶ。
……怖い。
怖い恐いこわいコワイ………!
「蘭!」
ふいに、腕をつかまれた。
そのまま後ろに引っ張られる。
「蘭、落ち着け。大丈夫だから」
塁の深い声。
恐怖を少しずつほどいていく。絡まった糸をほどくみたいに。
「大丈夫。大丈夫」
私に言い聞かせるように、塁はゆっくりと繰り返しつぶやく。
「……」
その声を聞いているうちに、私の鼓動がゆるやかになってきた。
私はまぶたを上げる。
とたんに、黒いものが視界に入ってきた。けど―――大丈夫。もうパニックにはならない。
「塁、ごめん…」
私は後ろにいる塁に、感謝の気持ちを込めて謝った。
「いや」
塁が首を振ったとき。
「ただいま~。もう、超無駄足だったよー」
「!」
凛の緊張感のない声が、ドア越しに聞こえてきた。
買い物から帰ってきたみたいだ。
「お母さんが先帰れって言うから、帰ってきちゃった」
ドアを開けてリビングに入ってきた凛の顔を見て、申し訳なさが胸に広がった。
どうしてもっと早く、凛を信じてあげられなかったんだろう。凛はこんな恐怖を、一人でずっと抱えていたのか……と思うと、自分が心底情けなくなった。
「凛…ごめんね」
急に謝る私に、不思議そうな顔をする凛。
「え?なんで?っていうか、どうして二人とも、そんなところで突っ立って……」
凛が途中で黙り込んだ。
その視線の先には、シアン。
「お久しぶり、凛ちゃん。あなた、あの日からずっとわたしのこと避けているんだもの。ちょっと傷ついたわよ」
あの日……。たぶん、散歩した日のことを言っているのだろう。
「…ジャクソンを殺したのは、お前か?」
硬い声でふいに発せられた塁の問いかけに、ハッとした。
私の脳裏に、長い耳の先端までも真っ赤に染まった小さな体が、力なく横たわる姿が浮かんでくる。
「…そのとおりよ。だってあのウサギ、邪魔してくるんだもの。一丁前に、わたしが普通のイヌじゃないって分かるのかしらね、ゲージをガンガン叩いて、うるさいったらありゃしない。仕方ないから、葬らせてもらったのよ」
『仕方ないから』を強調して、シアンが言う。
…ジャクソン、私たちを守ろうとしてくれたんだ。
私は、ジャクソンの白くて綺麗な毛並みの感触を思い出す。
「……ジャクソン…」
ごめんね。助けてあげられなくて。
うっすらと、視界がぼやけた。
「葬った、って…どうやって…。ジャクソンには、傷がなかったって、あの獣医さんが…」
凛が震える声で尋ねる。
そんな凛を一瞥して、シアンは口を開いた。
「……殺したの、わたしが。それだけ。『どうやって』なんて、そんな野暮なこと訊いちゃだめよ」
淡々とした口調。
「わたしが、殺した。それが事実よ。この世で永遠に曲がらないのは、事実だけなの。覚えておくといいわ」
シアンの声色からは、感情が読み取れない。
なのに、なぜか相手を威圧する。
こんなに小さな姿なのに。
「……そんなの、受け入れられる訳がない。卵を殻ごと渡されて、そのまま食べろと言っているようなものだ」
塁が反論して言った。
それに、シアンがため息をつく。
「…そうね。だったら、自分で焼くなり煮るなりしたらどうかしら?後でどうなろうと、わたしの知ったことじゃないけれど。ただ、わたしがひとつ言えるのは」
そこで一度切ってから、シアンはまた続けた。
うっすらと笑みを浮かべて。
「わたしがあなたたちに渡すものがたとえ腐っていても、文句を言わないでちょうだいね」
「……理由?そんなの簡単よ」
シアンは笑った。
「『四』っていう数字が、嫌いだからよ」
怯える子どもたちを前にした、狂ったピエロのように。

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