コメディ・ライト小説(新)

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こひこひて
日時: 2018/01/29 22:18
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

恋ひ恋ひて

後も逢はむと

慰もる

心しなくは

生きてあらめやも


万葉集 巻十二 2904 作者未詳






あなたに恋い焦がれ、
またきっと会えると、
強く己を慰める気持ちなしでは、
私はどうして生きていられるだろうか。
そんなことはできない。







綺宮 紫青

綺宮家の若き当主。
金髪青紫の目の超美青年。
鬼の呪いで、どんな女性でも虜にする。
そのため、愛を知らない。
自分の思い通りにならない梢にいらだち
彼女を無理やり婚約者から引き離し、自分と婚約させる。
目的のためには手段を択ばない合理的な思考の持ち主。



水無瀬 梢

綺宮家分家筋にあたる水無瀬家、次期当主の少女。
特殊能力を買われて水無瀬家の養子となる。
婚約者である崇人と相思相愛だったが、
紫青によって無理やり引き離され、無理やり紫青と婚約させられる。
しっかりとした自我をもった少女。

Re: こひこひて ( No.17 )
日時: 2018/04/20 21:37
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

「失礼いたします。」

二日後、ようやく紫青の熱が下がった。
普段通りとまではいかないが、起き上がれるようになった。

「明日一日、お暇をいただけませんか。」

紫青は怪訝そうな表情を見せた。
ここにきて、自らの願いを言ったのは初めてだ。
驚くのも無理はないと思う。

「護衛の任は解いていない。」
「一日だけ、どうか。」
「……許嫁のもとにでも行くのか?」

わずかに紫青の声が低くなった。
驚いて伏せていた顔を上げれば、紫青の無表情がそこにある。

「いいえ……?」
「ならなんだ。
 言えないようなことをするつもりか。」
「……姫君の懐剣をお返しに行こうかと。」

少し迷った末、梢は答えた。
梢の袖には、あの姫君の置いていった懐剣があった。
立派な造りの懐剣で護身用と思われた。
漆塗りのさやには、金色の家紋が雅やかに描かれていて、
それのおかげで、彼女が神司家の令嬢だとわかった。

「おまえは……うつけなのか。」

紫青の声音が険しいものになった。
なぜそこで怒りを覚えられたのかわからず、困惑する。

「あの娘は、このおれではなく、おまえを狙った。
 己を殺そうとした相手のもとに、またのこのこと出向くうつけなのか。」

せわしない口調に、抑えきれぬ焦りや怒りがにじんでいるのが分かった。
不器用でわかりにくいが、梢のことを心配してくれているのだろう。
なんだか、変な気持ちになってしまう。

「いえ、大事ないかと思われます。」
「何故わかる。」
「あの姫君は、最後は正気に戻っていました。
 悪い方には見えませんでした。
 あと……私には氷力がございます。
 一日とは言いません。
 せめて半日だけでも、どうか。」

低く頭を下げる。
懐剣だけでなく、あの姫君とも話をしてみたい。
あの騒動が、紫青をつけ狙う者の差し金だったのか、
ただ純粋な恋慕から来るものだったのか、実際に会って、確かめたいのだ。

「変わった娘だな。
 殺されかけた相手のために、頭まで下げるとは。」

落とされたため息にはあきれが混じっていた。
梢は顔を伏せたままじっと待った。

「……正午までには戻れ。」
「ありがとうございます。」

なんとか、外出の許可は取れた。
あとは、姫君の屋敷に向かうだけだ。
かの神司家は、帝の祖先を祀る神聖なる神社をつかさどるものだ。
その身分は高いだけでなく、かぎりなく神の使徒に近い。
故に、屋敷も神社の近くにあり、都に住むものならだれでもわかる場所にある。
そこに行くまでの段取りを考えながら、梢は顔を上げた。

Re: こひこひて ( No.18 )
日時: 2018/04/23 23:57
名前: いろはうた (ID: Rj4O5uNk)

今思えば異例の待遇なのだと思う。
護衛役は四六時中傍にいなければならないはずだ。
寝る間も惜しんで、おそばに侍らなければならないはずだ。
だけど、紫青はそんなことを命令しない。
暗くなれば、さっさとでていけと梢を追い返す。
こんなふうに外出の許可が下りるのも普通では考えられないことなのだろう。

「何奴ぞ。」

考え込みながら歩いていると、
いつのまにか目的の神司家の屋敷についていた。
門番が、手に持っている槍で梢の行く手を阻む。
決して大きくはないが、
重厚な造りの立派な門から一族の繁栄ぶりが見て取れた。

「お初にお目にかかります。
 綺宮家の使いの者にございます。」

今を時めく帝の血縁者である一族の名前を聞いて
門番たちがさっと居住まいを正した。
しかし、その槍はまだどけられていない。
梢は袖に入れていた綺宮家の家紋の入った短刀と
姫君の懐剣を取出し、神司家の家紋を見せた。

「こちらの懐剣を、姫がお忘れになったのを、
 我が主、紫青様に命じられ、お届けにはせ参じました。」

目の前にある門にある家紋と全く同じ形のそれに加え
綺宮家の家紋まで出されたため、今度こそ槍はおろされた。

「通られよ。」

木製の門が開かれる。
一礼して足を一歩踏み入れると石畳の一本道が屋敷まで続いており、
それを囲むように見事な庭園があった。
若干気圧されながらも、屋敷に向かって歩を進める。
人の気配はなかった。

「何奴か。」

すると、屋敷の左手の声がかけられた。
声のした方を見ると、扇で口元を隠した女性がいた。
上等な着物を着てはいるが、あの時の姫君ではない。
姫君よりは少し年上のように見える。

「お初にお目にかかります。
 綺宮家の使いの者にございます。」

門番に伝えた言葉をそのまま繰り返し、
自分の短刀と姫君の懐剣を見せる。
姫君の懐剣を見て、女性の目が大きく見開かれた。

「……こちらに参られよ。」

ひそめた声でそう言われ、突っぱねることもできず
言われたとおりに近付く。
すると手で、廊下に上がれ、と示された。
そして人目を気にするように、周囲を見渡している。
この反応は、なぜ綺宮家に神司家の姫君の懐剣があるのか知っている、
とみて間違いないだろう。
姫君の親族か、侍女なのかもしれない。

「……懐剣を私に。」
「いえ、これは、私が直接姫君にお渡しいたします。」
「無礼な……!!
 使いの者の分際で、姫にお目通りを願うなど……!!」
「無礼はどちらですか。
 我が主の自室に断りもなく訪ねてきたのは、そちらの姫君にございます。」

女性が言葉に詰まった。
やはり無礼であるというか、
常軌を逸した行為であるのは自覚があるらしい。

「桔梗……?
 誰かいらっしゃるの……?」

か細い声が聞こえた。
この声は聞き覚えがある。
あの姫君の声だ。

「姫様、あの、これは……。」
「私にございます、姫。」

簾の向こうから声が聞こえてきたため、
そちらに話しかけると息をのむ気配があった。

「桔梗、お通しして。」
「姫様ですが……!!」
「いいの。」

女性、桔梗はそれ以上何も言えないようで
しぶしぶという風に梢を姫君の元へ案内した。

Re: こひこひて ( No.19 )
日時: 2018/05/09 22:37
名前: いろはうた (ID: Rj4O5uNk)

簾の向こうには、あの日の姫君が見えた。
綺麗な着物を身にまとっている。
上等なものだと一目でわかった。

「桔梗、下がっていなさい。」
「姫様……。」
「下がっていなさい、と申しました。」

桔梗は慌てて顔を伏せると一礼し、
そそくさと部屋から出ていった。
その場には、梢と姫君だけが残された。
沈黙が水のようにその場に満ちる。
どう言葉をかけようか少し迷ったが、意を決して口を開く。

「あの日、お忘れになったものを届けに参りました。」
「……お礼申し上げます。
 そこにおかけになって。」

梢は一礼すると、その場に膝をついた。
なめらかな木の床だ。
綺麗な飴色をしているそれは、年季が入っているものだと思えた。
それほどに、この姫君の一族の歴史は長いのだろうと思わされた。
それゆえに疑問が募る。
これほど高貴な姫君なのに、
何故あの時、梢に襲い掛かるような真似をしたのか。
今の彼女はひどく落ち着いているように見える。

「……なんと詫びればよいのか。」

ぽつりと彼女が口を開いた。
伏せていた顔を上げ、ぶしつけなほど姫君の顔を見つめた。
やはり目の焦点もあっているし、意識もしっかりしているように見える。

「今一度詫びさせてほしいのです。
 ……申し訳のないことを……いたしました。」

可憐な声音には深い悔恨がにじんでいた。
演技や嘘ではなく、真実、心からの言葉のようだった。
困惑してしまう。
もっと悪びれずに堂々としているのかと思っていたからだ。

「姫は……恐れながら、何故、あのような真似を。」

梢はそれが聞きたかった。
そうすれば、紫青を狙う者へとつながるかもしれない。
そう思ってはっとする。
これではまるで、自ら積極的に紫青を守ろうとしているみたいだ。
いや、それでいい。
護衛役だからそれでいい、とよくわからない思考にうろたえて、
適当な言い訳をして蓋をした。
姫君はわずかに顔を伏せた。
可憐なかんばせにつややかな黒髪がさらりとかかる。

「紫青様の呪いのことはご存知ですね?」
「鬼の呪い、とだけ。」

そう端的に答えると、姫君は怒るでもなく
ぽつぽつと語りだした。

紫青の一族、綾宮の先祖はそれはもう美しい青年だったらしい。
その美しさは、都中に知れ渡り、ついには鬼の一族にすら届いた。
中でも、一人の鬼の娘がその青年に惚れてしまい、愛を告げた。
同じだけの愛を返してほしいと望んだ。
しかし、その青年は鬼の娘をそっけなく袖にしたのだという。
それに怒り狂い恨みぬいた鬼の娘は、
末代まで解けぬ強力な呪いをかけた。



『おまえは、ありとあらゆるこの世の娘に好かれ、愛される。
 だが、最も欲しいのだけは決して手に入らない。』



「私があの時、おかしくなるほど恋に狂ってしまったのは、
 この鬼の呪いが一因かと。」

咄嗟に馬鹿馬鹿しいと否定できないほどには
腑に落ちるところはあった。
あの時の狂気じみた姫君の言葉と行動。
今の落ち着きぶり。
嫉妬と怨念に染まっていた瞳。
今の知性と深い悔恨を宿す瞳。

「その鬼の呪いというのは、
 どんな娘でも恋に落とすようにしてしまうのですか。」
「ええ。
 ……心から愛する者がいない娘は、簡単に篭絡されてしまう。」
「心から、愛する者……。」

一瞬、崇人の顔が脳裏をよぎった。
崇人がいるおかげで、今の自分はこの姫君のように
狂気に染まっていないのかもしれない。

「貴女も、紫青様を恋い慕う者なの……?」

姫君は弱弱しく問うた。
前のような仄暗さはなく、その声音には純粋な疑問の響きしかなかった。
梢は小さく首を横に振った。

「私は、ただの護衛の者です。」
「そう。
 そうよね……紫青様は、
 ご自分を好いている女性を誰一人として傍に置かない。」
「え……?」

意外な言葉に梢は目を丸くした。
紫青の部屋にはよく見知らぬ女性が訪れる。
しかも、毎回顔ぶれが違う。
それを護衛として横で見ていた梢は、
よくもあそこまでとっかえひっかえできるものだと
苦々しく思っていたのだ。

「それは、真ですか……?」
「ええ。
 私を含め、沢山の女性が一夜限りでもいいと
 決死の思いで紫青様のもとを訪れるけど、
 誰一人として、受け入れられたことはないの。」

そう言うと、彼女はため息をついた。
疲れ果て、諦めと悲しみとやり切れない想いを
吐き出すかのようなものだった。

「たしかに、私があれほど嫉妬に醜く狂ってしまったのは、
 呪いのせいかもしれない。
 ……だけど、最初に芽生え、大きくなっていったこの想いは
 呪いのせいだけではないと、私だけのものだと、そう思いたいのです。
 私は今。こんなにも、苦しい。
 胸がつぶれてしまいそうなほどに苦しい。」

そう言うと、はらり、と姫君は涙をこぼした。
大粒の涙が、なめらかな頬を滑って落ちる。
雨粒のように次々と零れ落ちていく。

「懐剣はその場に置いていってくださいませ。
 ……また、貴女を傷つけるような真似をしてしまうかもしれない。
 もう……そんな真似はしたくないのです。」

涙にぬれた目で、姫君はそういった。
憔悴した表情だった。

Re: こひこひて ( No.20 )
日時: 2018/07/26 12:09
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

屋敷を出て、梢は足早に街中を歩いていた。
正午までには戻ると紫青に約束してしまった。
時間通りに戻らなければ、どんな嫌味を言われるかわからない。
ため息を吐くと、梢はまた前を向いて歩き出した。
ここから綺宮家の屋敷までは少し歩けばつく。
急げば正午までに帰ることができるだろう。
空はどんよりと曇りだしている。
このままだと少しすれば雨が降るだろう。
もっと急がねば、と思ったその矢先、彼女の足はひとりでに止まった。
その視線は、綾宮の屋敷へとまっすぐ続く道ではなく、
婚約者である崇人の屋敷へと続く道へと向けられていた。

「……。」

崇人の名前を勝手に呟こうとする唇をきつく噛みしめた。
屋敷の前に行けば、崇人の姿を一目垣間見ることができるだろうか。

(馬鹿馬鹿しい……。)

崇人は貴族だ。
貴族ゆえに仕事が忙しく、屋敷にほとんどいない。
貴族として宮廷で仕事をしなければならないからだ。
梢と婚約したばかりの時も、崇人は仕事で忙しく
なかなか梢は会うことを許されなかった。
その僅かな逢瀬でも、梢は十分に満たされていた。
崇人は、どこまでも優しく心から慈しんでくれていると
その行動の端々から伝わってきたからだ。

「早く……帰らないと。」

梢は無理やり口にした。
今は、ただの娘ではない。
綺宮家御曹司の護衛だ。
早く戻らないと、また紫青のもとに刺客が来るかもしれない。
梢は重い脚を動かして、また進みだそうとした。

「梢様……?」

柔らかな声が背後から聞こえた。
たった今、脳裏で何度も繰り返した声。
振り返れば、心に思い描いていた人がいた。

「崇人……様。」

梢はかすれた声で彼の名を呼んだ。
梢の顔を見て、崇人の顔に驚きと喜び、そして困惑の色が広がる。
珍しいことに、崇人の周囲には伴の者はいない。
来ている着物も地味であることから、
お忍びで出歩いているようだと察せられた。

「どうして、ここに。」
「……綺宮家の用事です。」
「そう、ですか。」

崇人とは、歌会以来、一度も会っていない。
しかも、紫青が意味深なことを言ったせいで、
二人の間は少しぎこちない空気が漂っていた。

「……失礼ながら、
 梢様はどういった経緯で綺宮家に身を置いていらっしゃるのだろうか。」

耳に心地よい低い声は沈んでいた。
崇人の伏せられたまなざしを見てはっとする。
送られてきた文には、事情を察している、ということが書かれていた。
しかし、こうして改めて尋ねているということは
梢の口からも直接聞きたいということなのだろう。

「私は……。」

正直に真実を話そうとして、口を閉ざす。
護衛の件は、他人に話していいような話ではない。
どこに耳があるかわからない状況で、
崇人であっても話していいような内容ではない。
それに、詳しい事情を話してしまうと、
崇人も刺客に襲われてしまうかもしれない。
それだけは避けたい。

「……申し訳ありません。
 詳しくは申し上げられませんが、家の事情で綺宮家に身を寄せております。」
「……そう、ですか。」

崇人の声は沈んだままだ。
これは、納得していないということなのだろう。
だが、梢にはこれ以外に言う方法がない。
二人の間に沈黙が落ちる。
いつもの包み込むような慈しみのまなざしはなく、
彼の瞳はずっと伏せられていた。
そのせいで崇人が何を感じているのか読み取ることができない。

「……申し訳ありませんが、急いでおりますので
 これにて失礼いたします。」

痛いくらいの沈黙に耐えかねて、先にその場を後にしたのは梢だ。
何も後ろめたいことはしていないのに、きりきりと良心が痛んだ。
罪悪感、というものだろうか。

(お慕い申し上げているのは、崇人様だけです、と言えばよかったのでしょうか。)

足早にその場を去る梢を崇人は追ってこなかった。
それを寂しいと思うと同時に、妙な安堵感にも包まれていた。
今は、崇人のことではなく、
あの不器用で孤独な主を守ることだけに専念しなければならない。

Re: こひこひて ( No.21 )
日時: 2018/05/19 22:57
名前: いろはうた (ID: Rj4O5uNk)

ちくちく胸を刺す罪悪感のようなものに苛まれながら、足早に屋敷への道を急ぐ。
胸中ではぐるぐると複雑な感情がまじりあっている。
そのせいで、反応が遅れた。

「……っ!?」

視界の端に銀光がきらめいたのをとらえた瞬間、
右腕に鋭い痛みが走った。
斬られた、のか。
一瞬の出来事であったため、とっさには状況理解ができなかった。
とっさに右腕をを左手でおさえる。
傷口からじわりと血がにじむのを感じた。
はっとして、前後左右に視界を走らせるが、
そこには怪しげな人物の姿は見当たらない。

(また、あの時の刺客……?)

しかし、それらしき人影はどれだけ探してもやはり見当たらない。
人ごみの中立ち尽くす梢は邪魔以外の何物でもなく、
梢は、また足早に歩き出した。
いつまた第二陣が来るかもわからない。
周りを歩く人々も梢の異変に気付いた様子はない。
あまりにも自然で、目立たない攻撃。
だが、梢に致命傷を負わせていない。
これは、警告だ、と、悟った。
おそらく、紫青を狙う者からの、警告。
ぐっと唇をかみしめた。
せわしなく視線を動かしてあたりを警戒しながらも歩を進める。
歩き続ける間も、傷口は痛み、斬られた袖口が濡れていくのを感じる。
やがて屋敷が見えてきたときには、安堵のあまり吐息を漏らしてしまうほどに
梢の緊張は最大限に高まっていた。

(……一度自室に戻って着替えねば。)

ちらりと、紅にそまった衣を見て、前を向く。
そして固まった。
梢が向かっていたのは綺宮家の使用人が使う裏門だ。
そこに今日も麗しい綺宮家の若き当主、紫青がいた。
こんなところにいるはずのない人だ。
まさか梢を待っていたというのか。
不機嫌そうに青紫の瞳を細めている。
咄嗟に、紫青から見えないように、右腕を隠すようにして立った。

「……今、何を隠した。」
「気のせいでは。
 それよりも少し遅くなりました。
 申し訳ありません。」

ぐっと紫青の眉間にしわが寄った。
背中に冷汗が伝った。
変なところで目ざとい男だ。

「誤魔化すな。
 見せろ。」

後ずさる間もなく、紫青が大股で歩み寄ってきて
一瞬で二人の間に距離がなくなる。
無理やり右腕を掴まれ、傷口が紫青の眼前にさらされた。

「……っ。」

傷口が引き連れて痛み、顔を歪ませてしまう。
そのせいか、紫青はぱっと手を離した。
一方の紫青は、血に染まった切り裂かれた袖を見て、無言になっていた。

「……誰にやられた。
 あの女か。」

地を這うような低い声だった。
梢は、困惑して眉尻を下げた。
油断して手傷を負ったことに紫青は怒っているのだろうか。

「い、いえ、神司家の姫君ではありません。
 少し考え事をしていたところ、道端で切りつけられました。
 申し訳、ありません。」
「そんなこと、信じられるか。
 あの女を庇っているのだろう。」

紫青の声にはいらだちが混じっていた。
それにますます委縮してしまう。
その様子を見て、紫青が舌打ちをした。

「さっさと来い。
 手当をする。」

そう言って、紫青は戸口に向かって歩き出した。
何故だかとんでもなく不機嫌そうな主をこれ以上不機嫌にさせないために
梢をそのあとを追って歩き出した。
ちらりと左手を見る。
傷口を抑えていたせいで、それは真っ赤に染まっていた。


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