コメディ・ライト小説(新)

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こひこひて
日時: 2018/01/29 22:18
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

恋ひ恋ひて

後も逢はむと

慰もる

心しなくは

生きてあらめやも


万葉集 巻十二 2904 作者未詳






あなたに恋い焦がれ、
またきっと会えると、
強く己を慰める気持ちなしでは、
私はどうして生きていられるだろうか。
そんなことはできない。







綺宮 紫青

綺宮家の若き当主。
金髪青紫の目の超美青年。
鬼の呪いで、どんな女性でも虜にする。
そのため、愛を知らない。
自分の思い通りにならない梢にいらだち
彼女を無理やり婚約者から引き離し、自分と婚約させる。
目的のためには手段を択ばない合理的な思考の持ち主。



水無瀬 梢

綺宮家分家筋にあたる水無瀬家、次期当主の少女。
特殊能力を買われて水無瀬家の養子となる。
婚約者である崇人と相思相愛だったが、
紫青によって無理やり引き離され、無理やり紫青と婚約させられる。
しっかりとした自我をもった少女。

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Re: こひこひて ( No.6 )
日時: 2018/03/10 17:43
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

生まれて初めて訪れた宮廷は春色に包まれていた。
うららかな春の日差しの中、蝶が飛び回り、花が咲き乱れている。
焚きしめられた香の匂いが鼻をかすめる。
梢はわずかに上げた顔をまた下げた。
その身はさっぱりとした浅葱色の水干に包まれている。
長い髪は頭の上で一つにきちんと結わえられていた。
堂々と歩く紫青の後を、数歩離れて後ろからついて歩く。
紫青は、男性で加えて身分を高いゆえに、宮廷を出入りすることも多いのだろう。
よどみなく動く足は、この地をよく知っている証だ。


「梢様……?」


よく知る声が聞こえた気がして、足が勝手に止まった。
見れば、庭に婚約者である崇人が呆然と立っていた。
久しぶりに見る恋しい人の顔を見て、胸がいっぱいになる。
紫青もその声に足を止め、怪訝そうな顔で振り返っている。


「平城家の者か。」
「はい。
 お久しゅうございます。」


平城家は、帝の血縁である綺宮家よりも格が低い。
紫青の姿を見た崇人は、さっと身分の上の者に対する礼の形をとった。
咄嗟に何を言えばいいのかわからない。
崇人には、本家の護衛役に抜擢されたとは伝えていない。
実際、彼の伏せられた瞳には困惑の色が見てとれた。


「知り合いなのか?」


紫青の瞳は嘘を許さない。
この者はおまえのなんだと言外に問うている。
梢はわずかに瞳を揺らした。


「梢様は、私の許嫁にございます。」


崇人が迷いない口調ではっきりと言った。
紫青がそうなのか?、という視線を向けてきたので、小さく頷いた。
嘘をつく必要はない。


「おそれながら、なにゆえ梢様をお連れに?」
「この者は、今、我が近辺に置いている。」


しれっとそう言う紫青の横顔を思わず見てしまう。
そんな言い方をされたら、崇人に勘違いされてしまう。
訂正しようと口を開こうとしたら、紫青に視線だけで制された。
ぐっと唇をかみしめる。
主人である紫青には逆らえない。
崇人の顔が見たいが、その顔は伏せられていて表情が見えない。


「さようでございますか。」
「ああ。
 ……行くぞ。」


そう言うと、さっさと紫青歩き出した。
梢は少しだけ躊躇した後、紫青のあとを追った。
胸にはとげのように後ろめたさが刺さって抜けない。


「なにゆえ、あのような言い方を。
 あれでは、勘違いされてしまいます。」
「その程度で揺らぐなら、その程度の関係だったということだろう。」


紫青の言葉は平坦で、感情を感じられない。
どういう意図でわざと抽象的な言い方をしたのか見当もつかなかった。
すたすたと歩く紫青に遅れまいと早足で歩いていると、目の前に立派な屋敷が見えてきた。


「歌会……?」


庭では薄桃色の花が咲き乱れ、きらびやかな衣に身を包んだ殿上人が談笑している。
梢は、その匂うような美しさに目を細めた。
紫青の姿に目を止めた人々が、静かにざわめく。
黙っていれば、太陽神のような美しさなのだ。
無理もないだろう。
見目麗しく、式術にも秀でている紫青は、宮中でも注目の的のようだ。


「遅いではないですか、綾宮の君。」


中でもひときわ美しい女性が立ち上がり、紫青の手を取った。
その手を振り払わずに、導かれるまま紫青は人の輪の中に入っていく。
梢は、お付きの者らしく、紫青から少し離れたところに控えた。
紫青の手を握っている女性はまだ若く、笑みを浮かべる様子は愛らしい。
一目で紫青を好いているのだと分かる。
紫青の恋人だろうか。
もしそうなのだとしたら、先ほどの仕返しになにか言ってやりたいが、
身分上そうもいかない。
しかし、その女性だけでなく、
次々と若い女性たちが紫青のもとへと向かっていった。
思わずまばたきを繰り返してしまう。
まんざらでもなさそうな笑みを浮かべている紫青は、
うまく女性たちをいなすと、自分の席に着いた。
その紫青にすら、はりつくようにして女性たちが群がっている。
他の殿上人はこの光景に慣れているようで、半眼になっている。


「まこと、鬼の血とは恐ろしいものよ。」
「あらゆる娘を虜にする血ゆえよ。」


鬼の血。
分家にいた時からその噂は聞いていた。
綺宮家の長男は、あらゆる女性を虜にする。
しかし、本当に愛する者の心は手に入らない、という逸話が起こっている。
そもそも、紫青が人を愛するような人間には思えないと、
梢も半眼になって目の前の光景を見つめた。
通りで夜な夜な見知らぬ若い娘が紫青のもとを訪れるわけだ。


「あさぼらけ……。」


歌読みが始まった。
こうなってしまうと護衛役はただただ暇だ。
殿上人は、ただ歌を詠んでいるのではない。
歌を上手い者こそ、風雅を知るものとして出世していくのだ。
この機会を逃すまいと、みな必死である。
ふと視線を感じてそちらを見た。
目を見開く。
末席ではあるが、崇人がそこにいた。
崇人も、紫青より身分が低いとはいえ、彼も貴族だ。
歌会に招待されたから、彼もここにいるのだ。
その彼に、ついに白羽の矢が立った。


「平城の君。
 何か、花の歌が詠んではくれまいか。」
「さような。
 春らしいものがよい。」


花の歌は難しい。
詠みつくされているからこそ、無難なものではいけない。
それをわかっていて、他の者は意地悪をしているのだ。
しかし、崇人は顔色を変えずに、さらさらと筆を走らせている。


「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ。
(山桜が霞の間からほのかに見えるように
 ほのかに姿を見たあなたが恋しいことだ)」


その場にいた者が、ほう、と感嘆の息を吐く。
春を詠む歌の中で、恋い焦がれる切なき歌は少なく、
崇人の歌は際立っていた。
歌を詠む間、崇人の視線はずっと梢に向けられていた。
まるで、梢のことを詠んでいるかのようなまなざしに胸が切なくなる。


「次は、私が読もう。」


突如、紫青が声を上げた。
姫君たちが、小さく黄色い声をあげる。
崇人は、春の歌を詠んだというのに硬い表情だ。
その間にも、紫青がさらさらと筆を走らせていく。


「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ。
 (夏の野の茂みにひっそり咲いている姫百合のように
  人知れぬ恋は苦しいものです)」


斬新な歌だ。
春なのに、夏の歌を詠んでいるが、それが新しさを感じさせる。
なにより、この紫青が秘密の恋に焦がれる歌を詠むのが
女性たちにはたまらないらしく、彼女たちはうっとりとしている。
両者一歩も引かない歌の精度に、他の者達も負けじと歌を詠みだした。
楽しむべき歌会なのにも関わらず、崇人の表情は相変わらず硬かった。

Re: こひこひて ( No.7 )
日時: 2018/03/21 17:52
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

屋敷に戻ってから、しばらくの間、紫青の機嫌が少し良かった。
美しい姫君たちにちやほやされたのがそれほどまでに嬉しかったのだろうか、と
梢は半眼になって紫青を見つめた。

「恋の歌をあそこで詠むとは思いませんでした。
 想う相手でもいるのですか?」
「ただの戯れだ。」

梢は無言になった。
どうせ、姫君たちの黄色い声が欲しかったのだろう。

「夜になりました。
 下がらせていただきます。」

軽く一礼すると、梢は紫青の部屋を後にした。
手を軽く開閉しながら、廊下を歩く。
この氷の力を知って、梢を奇異の目で見たり、特別扱いをしなかったのは
養父と養母、崇人、そして紫青だけだ。
梢はますます紫青のことがわからなくなった。
梢のことを冷たく突き放したかと思えば、傍に置いて連れ歩く。
女性と浮名を流していそうで、誰にも手を付けていないようだ。
仕え始めてまだ数日。
いきなり彼の全貌が分かっても困る。
そう言い聞かせながら、自室へと向かった。
























部屋に戻ると、自室の文机に文と、それに添えられた桜の枝があった。
はっとする。
梢に対してこんな風雅なことをするのは一人しか考えられない。
急いで文を取り上げると、ふわりと花の香りがした。
中を開けば、懐かしい崇人の文字があった。

『梢様

 貴女が何故綺宮家の方とご一緒なされているのか、
 遅ればせながら知りました。
 今しばしのご辛抱を。
 私が、必ず貴女を迎えに行きます。

 離れていても、いつも貴女のことを想って。

                     崇人』

ふわりと胸が温かくなる思いだった。
崇人の言葉はいつも優しい気持ちにさせてくれる。

(待っていてください、崇人様。
 それとなく護衛の任を務めたのちに、必ず貴方様のもとへ参ります。)

梢は桜の枝と文を手に、静かに月を見上げた。

Re: こひこひて ( No.8 )
日時: 2018/03/21 19:45
名前: あんず (ID: joMfcOas)


いろはちゃんこんにちは、あんずです。

新作とのことで、しかも覗いてみれば和風モノ!とても嬉しい!
いろはちゃんの小説をカキコ内で見たのは割と昔、と思ったらなめわかも3年以上前だったね、びっくり。その頃から読んでいた影響か、いろはちゃんといえば和風モノ!という私の中でのイメージが。

浅葱の夢見しがもう6年近く前だと思うと、かなり胸に来るね、もうそんなに経つとは。浅葱の夢見しもなめわかも、とてもとても好きでした。和風ファンタジーを読んでいると、こういう話が楽しめる日本に生まれてよかったな、と思います。そう思わせてくれるいろはちゃんの小説。いろはちゃんの書く和風世界が大好き。少しどろっとした世界観がうまくあっている気がして、毎度の如く感服します。

さて。いろはちゃんの小説に出る美形男子がとても好きです!イケメン度が分かる。空気感が妖しく妖しくて、まさしく妖艶なんだな…。
そして女の子も。今作の梢ちゃんからも感じる強かさか好き。強かな女の子はかっこよくて、たおやかで、応援したくなります。梢ちゃんの気持ちがどちらに傾くのかハラハラしますが、きっと幸せな道になるように願っています。
歌を詠む場面が細かくて嬉しかったです。歌詠みって、和風モノならではの素敵な行事だと思う…!

随分長々とした感想文でごめんね、これ以上はお目汚しになる気がするのでここまでで!
これからもずっと応援しています。

Re: こひこひて ( No.9 )
日時: 2018/03/25 22:23
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

あんずちゃん!!


来てくれて!!
本当に!!
ありがとう!!!!!!!!!!!!!
今は、あんくちゃんの言葉だけが励みです(´;ω;`)
温かい言葉を本当にありがとう( ;∀;)
あやうく、パソコンが涙で水没するところだったよ←

いろはうたのことを
初期の段階から知っている読者さんが減っていて
遊びに来てもらえる人も少なくなって寂しい思いをしているいろはうたに

あなたは、


天使なのか?(真顔)


いや、女神だ(真顔)



そうなのです。
何作かは、西洋風のにもチャレンジしてみたけど
やっぱりいろはうたには和風がしっくりくるみたいです(笑)
今までとは違って、なるべく登場人物は少なめに
どろどろ恋愛をメインに行こうと!!
現在進行形で頑張っているよ(´;ω;`)


コメントありがとう!!

Re: こひこひて ( No.10 )
日時: 2018/03/26 17:30
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

それからしばらくは不思議なほど平穏な日々が続いた。
油断せずに刺客からの襲撃にも備えていたが、
拍子抜けするほど何も起こらなかった。
あれは、明らかに紫青を狙ったものだった。
何故紫青の命を狙われているのかは、
思い当たる節がありすぎて決定的なものが思いつかない。
あの性格だと、味方よりも敵のほうが作りやすいだろう。
はぁ、とため息をつきながら、いつものように紫青の部屋へと向かう。
それとなく護衛の任は果たしているが任を解かれる気配は全くない。
おそらくあのような襲撃がたびたび重なってきたため、
本家の者達が梢を呼び寄せ護衛としたのだ。
だが、彼らは警戒を解いていないのだろう。
こちらも気を引き締めねばと息を吐くと、紫青の部屋の前に立った。

「失礼いたします。」

襖に向かって声をかける。
しかし、返事がなかった。
通常であれば、面倒そうに何かしら返事をしてくれるはずだ。

「入ります。」

そう声をあげてもやはり返事がなかった。
うららかな日光に穏やかな小鳥のさえずりが聞こえる。
そんな中、声が聞こえない部屋は不気味に思えた。
焦燥感が胸に走る。
この時間帯は、紫青は基本的に部屋にいる。
出かけるならば、護衛の梢にも声をかけるはずだ。

「っ!?」

ためらいながら襖を開けると、そこには伏している紫青の姿があった。
急いで駆け寄り、紫青をなんとか抱き起こす。
荒い呼吸を繰り返す紫青の瞼は硬く閉ざされていた。
ざっと彼の全身に視線を走らせたが、目立った外傷はない。
襲撃されたわけではないようだ。
梢は困惑をあらわに紫青を見つめた。
これはどういうことだろう。
紫青は病だというのか。

「しっかりしてください。」

軽く揺すると、紫青が苦し気に目を少し開いた。
ぼんやりと焦点が合い始めると、青紫の目が見開かれた。

「……はな、れろ。」

手を強く叩き落とされ、つきとばされた。
突然のことに咄嗟に反応できず、しりもちをついてしまう。
紫青はまた瞼を閉じて荒い呼吸を繰り返している。
その時、わずかにはだけた紫青の襟もとに刺青のような紋様が見えた。
もう一度そばに寄り、紫青の襟もとに手をかける。

「これは……。」

見たことのない不気味な紋様だった。
煙のようにも水の流れのようにも見える紋様だ。
それが紫青の右腕から右胸にかけて広がっている。
それの不気味なところは、
今もじわじわと広がり左胸へと広がっているところだった。
こんな病は見たことがない。
まるで呪術のようだ。
そう思ってはっとする。
敵が刺客での襲撃を諦めて、呪術に頼る襲撃にしたのだとしたら
これがそうなのではないか。
動揺のあまり指先が急速に冷え、
パキキキッ、と硬質な音を立てて紫青の右胸が薄い氷で覆われていく。
しまった、。
急いで離れたがもう遅い。
紫青の右肩から右胸までが氷で覆われてしまった。
まさか主を凍らせてしまうとは、と
己の失態に青くなったが、梢はふと気づいた。
紫青の呼吸が若干落ち着いている。
見れば、うごめいていた紋様は凍ったように動かなくなっていた。

「おまえ……」

床に横たわったまま、苦し気に紫青が息を吐いた。
言葉を話せる程度には少しだけ落ち着いたようだ。

「どなたか呼びますか。」
「やめろ。」

強い声にはっとする。
立ち上がろうとした体が止まる。

「誰も呼ぶな。」

焼き切れてしまいそうなほど強い光を宿した瞳だった。
この状態の紫青を、誰にも知らせなくてよいものかと
一瞬迷ったが、身を起こした紫青にそんな考えも吹き飛んだ。

「まだ、動かない方が。」
「何を言うか。
 このままだと死に向かうのを待つだけだ。」

そう言った紫青の視線は己の凍った右胸へと向かった。
さっと血の気が引く。

「……この氷、おまえが、やったのか。」

淡々とした声音だった。
それがより恐怖心をあおる。
しかし、こんな真似ができるのは、梢しかいない。
しぶしぶ梢はうなずいて見せた。

「そうか。
 ……助かった。」

梢は耳を疑った。
失態を咎められないどころか、あの紫青が、助かった、と言ったのだ。

「その紋様は……?」
「死の呪術だ。
 ……おれとしたことが、油断した。」

憎々し気に顔を歪めながら、紫青はそう吐き捨てた。
その拍子に金髪がその端正な顔にかかる。

「どうしておまえの氷が呪術に効いているのかはわからぬが、
 今は助かった。
 ……氷を厚くしろ。」
「しかし、それだと体がひどく冷え・……。」
「死ぬよりはましだ。
 ……早く、やれ。」

見れば、紫青の襟元が濡れている。
氷が溶けだしたのだ。
梢は唇をかみしめて、紫青に手をかざした。

「……こうして見ると、やはり面白いものだな。」
「集中したいので、少し黙っていてくださいますか。」

自分の肩が氷に覆われていくのを見て、紫青が小さく笑う。
梢の額に汗が光る。
決して、氷の度合いを間違えてはいけない。
一歩間違えれば簡単に命を奪える力だ。
油断はできない。

「……できました。」

わずかに呼吸を乱しながら、梢はかざしていた手を下ろした。
紫青の肩から胸のあたりは
形は少しいびつだが、硝子のような氷におおわれている。

「……よし、解呪の議をすぐに行う。」
「本当に、誰も呼ばなくてよいのですか。」

紫青のまなざしがすっと冷たくなった。
ふん、と紫青は鼻で笑った。

「おれの弱っている姿を見れば、
家の者達は嬉々として、おれを蹴落とそうとするだろう。」
「そんな。」
「事実だ。
 この家は、そう家だ。」

淡々とそう言うと、紫青は立ち上がった。
その目の翳りに、梢は何も言えなくなる。

「……おまえは?」
「はい?」

立ち上がった紫青の顔は相も変わらず飄々としている。
だが、その薄い唇は、ぎゅっと引き絞られている。
少し居心地が悪そうにも見えた。

「おまえの身に何か異変はないのか?」

心配されているのだと理解するのに数秒かかった。
なかなか状況が身に染みてこない。
まばたきを繰り返すと、紫青は舌打ちをした。

「さっさと答えろ。
 どうなんだ。」
「いえ、あの、先ほどの術は、広範囲に影響を及ぼす術なのですか?」
「死の呪術は、術自体が複雑で高度な技術と高い霊力を要する。
 基本的には、対象者は一人以上にできない。
 だが、おまえは氷で術に干渉した。」
「今のところ、不調はないです。」
「なら、さっさとそう言え。」

そのまま、文机に向かって歩いていく紫青の背中を
不思議な気持ちで見つめる。
呪術に身を蝕まれてすごくつらいだろう。
一刻も早く解呪の議を行いたいだろう。
それなのに、まず梢の体調を気にした。
先ほどつきとばしたのだって、
梢に呪術の影響が及ばないように、との行動だったのではないか。
不器用だけど、優しい人、なのだろうか。

「何か私にできることはありますか。」
「氷をもっと厚くしろ。」

梢は無言で立ち上がると、紫青に近寄った。
彼は、文机に座り、真っ白なお札に、
朱の墨で解呪の術式を書いている。
はだけた着物の襟は、溶けた氷でぐっしょりと濡れていた。
手をかざせば、また硬質な音を立てて死の紋様が厚い氷に覆われていく。
ちらりと紫青の端正な横顔を見た。
綺麗な顔立ち。
不器用だけど優しい人。

だけど、なんて、寂しい人なのだろう。


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