コメディ・ライト小説(新)

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こひこひて
日時: 2018/01/29 22:18
名前: いろはうた (ID: hYCoik1d)

恋ひ恋ひて

後も逢はむと

慰もる

心しなくは

生きてあらめやも


万葉集 巻十二 2904 作者未詳






あなたに恋い焦がれ、
またきっと会えると、
強く己を慰める気持ちなしでは、
私はどうして生きていられるだろうか。
そんなことはできない。







綺宮 紫青

綺宮家の若き当主。
金髪青紫の目の超美青年。
鬼の呪いで、どんな女性でも虜にする。
そのため、愛を知らない。
自分の思い通りにならない梢にいらだち
彼女を無理やり婚約者から引き離し、自分と婚約させる。
目的のためには手段を択ばない合理的な思考の持ち主。



水無瀬 梢

綺宮家分家筋にあたる水無瀬家、次期当主の少女。
特殊能力を買われて水無瀬家の養子となる。
婚約者である崇人と相思相愛だったが、
紫青によって無理やり引き離され、無理やり紫青と婚約させられる。
しっかりとした自我をもった少女。

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Re: こひこひて ( No.66 )
日時: 2019/08/07 07:51
名前: いろはうた (ID: 5obRN13V)

氷よりも鋭く冷たい殺気だ。
咄嗟に崇人の前に移動した。
理屈ではなく勝手に体が動いたのだ。
その殺気の主は何となく予想がついていた。
紫青だ。
結界が破られたのだ。
術師である紫青に異変はすぐにわかる。
梢は無言で紫青を見つめた。
その美しい顔には
何の感情も浮かんでいなかった。

「梢様、おさがりください。」

柔らかく腕を引かれて、
崇人の広い背中に庇われてしまう。
紫青の姿が見えなくなった。
崇人はひどく落ち着いていた。

「手を離せ。」

無感情な紫青の声が聞こえる。
命じることに慣れた声。
なんだかひどく紫青が遠く感じられる。

「その娘は俺のものだ。」

紫青が手をこちらに向けてかざした。
梢は、崇人の手から逃れると
再び彼を庇うようにして立った。

「どけ、梢。」
「どきません。」

震えるほど冷たい紫青の視線を
正面から受け止める。
しかし、梢は動かなかった。
一瞬の静寂が空間を満たす。
視界の端で崇人がせわしなく、だけど小さく
手を使って印を結んでいるのが見えた。

「‥っ、だめ!!
やめてください!!」

嫌な予感がして、咄嗟に叫んだが
それは遅くて、無力だった。
突如として床の上に現れた赤い五芒星は
紫青の足元にあった。
次の瞬間、閃光が炸裂した。
赤い光が視界いっぱいに広がる前に
崇人の大きな手が柔らかく目元を覆ってきた。
風なんて吹いていないはずなのに、
梢の髪が激しくなびく。
崇人が何か術を発動したのがわかった。
どうして。
崇人は陰陽師でも何でもない。
術なんて使えないはずだ。
音もなく震える空気に、急いで
崇人の手を目元から引き剥がした。
せわしなく動かしてあたりを確認する。

(いた…!!)

紫青の周りには、青紫に染まる
堅固な結界が展開されていた。
紫青は無事だ。
そう認識した瞬間、安堵のあまり
膝から崩れ落ちそうになった
しかし、紫青の袖の端が
引きちぎられているのが見えた。
結界があと一瞬でも遅かったら
危なかったかもしれない。
凪いだ表情の崇人を見つめる。
信じられないが、今のよくわからない
術は、崇人が術者だ。
根拠はないが、梢は本能的に確信した。
崇人は本気だった。
本気で紫青を殺そうとした。
その長い指が今も細かく印を
結んでいるのを見てはっと我に帰った。
今度こそ止めなければ。
しかしそれはまたしても一歩遅かった。
今度の赤い五芒星は、崇人と梢の足元に
展開された。
ぐにゃりと世界が歪む。
咄嗟に目を閉じた。

「今は貴女を連れて帰るのが最優先ですね。」

囁く崇人の声が耳に届いた瞬間
梢は目を見開いた。
2人は見たこともない場所にいた。

Re: こひこひて ( No.67 )
日時: 2019/09/29 10:06
名前: いろはうた (ID: dSN9v.nR)

簡素だが、しっかりした造りの家屋。
時が止まってしまったかのように、
不気味なまでに静まり返っている空間だった。
あたりは美しい橙色に染まり始めていた。
風に揺れる曼珠沙華が、時は止まっていないと
証明する唯一のもののようだった。
その光景はひどく美しく、
梢は不安を掻き立てられた。
もう夕刻なのだと遅れて知る。
梢は声が震えないように
気をつけながら口を開いた。

「ここは……?
どうして……。」
「中で説明いたします。
さあ、お手を。」

そう言って、崇人は立ち上がると
こちらに向かって手を差し出してきた。
何事もなかったかのような崇人の態度に
呆然とその大きな手を見つめる。
この既視感はなんだろう。
遠い昔、かすかな記憶な向こうに
こうやって手を差し出されたような
そんな気がする。

「崇人様、平城家の屋敷にこのような場所、
私は拝見したこと、ございません。」
「お見せするのは初めてですから。」

手を取ろうとしない梢を見て
崇人はふわりとその場にしゃがみ込んだ。
梢は崇人の目を正面から見つめた。

「お加減が悪いのですか…?」

心配そうにこちらを覗き込む崇人の目を差は
ただ不安そうに揺れている。
先程まで本気で紫青に殺気を向けていた
人物と同じには思えない。
操られているわけではない。
崇人は、自分の意思で、
本気で紫青を殺そうとしたのだ。

「……失礼いたします。」

うやうやしい手つきで丁寧に抱き上げられると
崇人はそのまま建物に向かって歩き出した。
抵抗するのも無意味だろう。
そう思い、梢はおとなしくしていた。
梢を抱えているのにその足取りは
少しもぶれない。
梢に振動がなるべく伝わらないように
注意を払って歩いているがわかった。

(どうして…)

こんなにも優しい人が
紫青を憎んでいるのだろう。
聞きたいことは山ほどある。
だけど、梢はなぜか
口を開くことができなかった。

Re: こひこひて ( No.68 )
日時: 2019/11/19 21:43
名前: いろはうた (ID: iruYO3tg)

口を閉ざしたまま連れていかれたのは、
屋敷の奥にある部屋だった。
年季は入っているが手入れの行き届いている調度品が
いくつも配置されている上品な部屋だ。
そこにそっと梢を下すと、崇人は少し距離を取って傍に控えた。
まるで、これでは崇人が臣下であるかのような振る舞いだ。

「崇人様、おやめください。」

いや、違う。

「私に敬称など不要です、梢様。
 崇人、とあの時のようにお呼びください。」

伏せられた崇人の目元を呆然と見やる。
崇人の態度や振る舞いがおかしい。
だがもっとおかしいのは、それに違和感を覚えない
懐かしさすら感じている自分自身だ。
ずきり、と鈍く頭の奥が痛む。
梢は顔を歪めて頭を押さえた。

「梢様!?」

梢の異変にすぐに気づいた崇人が、
こちらに向けてさっと手を伸ばす。
断続的に続く痛みは今までに感じたことのないものだ。
だが、耐えられないほどではない。

「……私のことは、かまわず。」
「しかし…」
「それよりも、お聞きしたいことが、沢山あります。」

梢の勢いに気圧されたのか、崇人は一瞬黙った。
すぐに、目線を伏せたままその形の良い唇が開かれた。。

「少し、昔話をしましょうか。」

唐突な言葉に梢は眉をひそめた。
意図が分からなかった。
しかし、崇人にふざけている様子はない。
むしろ、不思議なほど落ち着いていた。

「昔々、ある国に、尊き帝がおりました。」

崇人は静かに語りだした。
梢も目を伏せてそれを聞く。
ここで唐突に話し出したということは、
質問に関係のある話なのかもしれない。

「建国の父である尊き帝は、類まれなる氷術の使い手でした。
 この国を栄えさせた陰陽術の最高峰に値する特殊な術です。
 ……帝の血を引くものにしか、この術は使えません。」

それを聞いてぴくっと梢の肩が揺れた。
漏れそうになった声は、唇を噛みしめて押し殺した。
違う。
そんなはずはない。
きっとどこか異国の話をしているのだ。

「その圧倒的な力を持っ手、尊き帝はこの国を統べられました。
 しかし、それをよく思わぬ一族がおりました。
 ……火の一族です。
「……え。」

梢は乾くほど目を見開いた。
この国で火の一族、とは、皇族を意味するからだ。
事実、皇室の紋は鳳凰の羽と揺らめく火があしらわれている。
紫青の扱う式術も、青紫の火が主となる。

「火の一族は謀反を起こしました。
 皇族に連なる方々は、ほとんど殺されました。
 ごく一部の者だけが、なんとか宮廷を抜け出せ、生き延びました。」

梢は、息をのんで話を聞いていた。
もう、間違いないだろう。
崇人はこの国の話をしている。
それも歴史書から消されてしまった、歴史の裏側の話だ。
崇人の凪いだ目を見てそう悟る。

「崇人様は、その氷に一族に連なる方なのですか……?」
「いいえ、違います。」

崇人はゆっくりと瞬きをした。
長い睫が蝶の羽のように上下する。

「私は、代々氷の尊き方をお守りする一族の者。そして……。」

初めて崇人が顔を上げた。
心の奥までまっすぐに突き刺さってしまいそうなまなざしが梢を射ぬく。

「梢様。
 貴女様こそ、我が主、尊き氷の一族直系の血を引くお方なのです。」

梢はひゅっと小さく息を吸った。

Re: こひこひて ( No.69 )
日時: 2019/11/22 18:34
名前: いろはうた (ID: XsTmunS8)

「で、でも私は、もともとは、平民で、孤児で。」
「いいえ。
 お父上も、お母上もいらっしゃいました。
 ……ですが、あの日、殺されてしまったのです。」
「ころ、された……?」

頭を重いもので殴られたかのような衝撃。
違うそんなはずはない。
だって、己は平民の孤児のはずで、
皇室の血を引く綺宮家の分家筋に養子として拾ってもらって、
平城家の次男である崇人が許嫁となってくれて。
でも、その前はどうなのだろう。
養子としてもらわれる前の、
幼いころの記憶がすっぽりと抜け落ちている。
それに違和感を覚えたことなどなかったのに、
今は心を黒く塗りつぶされるような思いだった。
ずきずきと鈍く頭が痛む。
脳裏にちらつくのは、夢の記憶だった。
炎の中、誰かが己の手を引いて必死に逃げてくれた。
あの人の声ににじんでいたのは、
焦り、悔恨、悲しみ、そして、強い、強い憎悪だった。
許さない。
耳の奥でこだまする声。
それが目の前にいる崇人の声と重なる。
夢の記憶のはずなのに、
鮮烈によみがえるのは何故なのか。
何も認めたくなかった。
変わってしまうのが恐ろしいのだ。

「……忘れもしない、十数年前のことです。」

崇人の声が一段低くなる。
押し殺された声に激情がにじんでいるのが分かった。

「氷の方は都のはずれにてひっそりと暮らしていらっしゃいました。
 遠い昔、何とか逃げ延びた者たちが主をお護りし、
 決して血を絶やさぬよう、見つからぬよう
息を殺して静かにと日々を紡いでおられました。
それが何百年も続いたのです。」

氷の一族は追っ手を恐れて、決して見つからぬよう
なるべく都から離れて暮らし始めたのだという。
息の詰まるような追っ手の目を恐れて隠れ惑う日々は
どれほどつらかったのだろう。

「ですが、ついに、見つかってしまったのです。
 どうして、氷の方の存在をつかんだのかはわかりません。
 先代の帝は、屋敷に火を放ち、
 今度こそすべての氷の一族を皆殺しにするよう、命じたのです。」

梢はこぶしが白くなるほど、強く手を握りしめた。
耳の奥がキンとした。
ぐらぐらと視界が揺れる。
今の皇族が、もう顔も覚えていない、両親の、一族のかたきだというのか。

「われら平城家はわざと都で貴族として暮らすことで
 表社会や都、宮廷の様子を探り、
氷の方に情報を渡す役を仰せつかっておりました。
……故に、お護りするのが、遅れてしまった。」

かすれた崇人の言葉には、計り知れないほどの深い悔恨がうかがえた。
そして、こらえきれぬほどの憎しみが伝わってくる。

「……梢様をお連れし、屋敷から抜け出すことで精いっぱいだったのです。
 申し訳ありません。
 私の、力不足にございます。
 ……お詫びしても、お詫びしきれません。」

違う。
そう言いたいのに、唇が凍り付いたように動かない。
やはり、夢ではなかった。
あの炎の夜、幼い梢の手を引いて逃げてくれたのは、
間違いなく崇人だったのだ。
絶対に、許さない。
遠いはずだったあの声が、激情をにじませる崇人の声と重なる。

Re: こひこひて ( No.70 )
日時: 2019/11/26 08:20
名前: いろはうた (ID: XsTmunS8)

梢は震える唇を無理やり開いた。

「ならば……私は……?
 私はなぜ生きているのですか……?」

己の手を見つめる。
何度も氷の術を使った。
氷の術の存在を知って養父と養母は自分を拾ってくれたのだ。
氷の一族の末裔だとわかれば、
すぐにでも殺そうとするのではないか。

「……我ら平城家は把握しておりました。
 氷の方々のことを知るのは、宮廷の位の高い者、
帝と数名の者しか知らぬ極秘のことでした。」

そうだ。
あの紫青ですら、珍しい能力だと興味を持ち
梢を護衛としてそばに置いたのだ。
氷の一族について知っていたなら、
そうはいかなかったはずだ。
たしかに、知らなかった、と考えたほうが自然だ。
ぎゅっと目を閉じた。
今の話が全て真実ならば、
紫青は、両親の、一族のかたきの息子なのだ。

「……我々はまだ幼い梢様を何とか救い出し、
 我々の下でなく、平民の孤児として
わざと綺宮家に近づけることにしました。
帝もまさか、自分の血族の下に氷の方がいらっしゃるなんて
夢にも思わないでしょう。
私が、梢様の許嫁として名乗り出たのも
遠すぎず近すぎない距離からお守りするためです。
そんな中、あの忌々しい先帝は、病で死んでしまった。」

肌を焦がすような憎悪に梢は小さく震えた。
こんな憎悪を抱えて崇人はずっと生きていたのだ。
これではいつか抱えきれなくて、
ほろほろと零れ落ちてしまう。
いや、もうこぼれてもおかしくない。
脳裏をよぎるのは、暗殺されたという今帝。
この国随一といわれた紫青の式術の護りを
ものともしなかったとされる手練れの刺客。

「まさか、今帝を手にかけたのですか……?」

崇人はその問いには答えずふわりとほほ笑んだ。
いつものような春の日差しの優しい笑みではない。
いつくしむような穏やかなまなざしも
もう、どこにもなかった。
ただ見ただけで凍てつくような、
決して溶かされぬ氷河のような
怒りと憎しみがその目に宿っていた。

「私は、あの日のために、
剣術と式術を極めたのだと
 強く思いました。
 この手を紅に染めたとき
 胸に宿ったのは悲しみでも失望でもなく
 どうしようもない喜びでした。
 機は熟しました。
 我らは十分に力を蓄えた。
 1人目も2人目も、もういない。
 ……あとは、最後の1人です。」

最後の一人は、最後の皇子、
紫青のことだろう。
呼吸が荒くなる。
崇人は、護るべき主を失った悲しみを
今度は、皇族に復讐し、
皆殺しにすることで
昇華しようとしているのだ。

「何を、望んでいるのですか?
 皇族を根絶やしにする気ですか!?」
「ええ。
 そして、梢様、貴女様が本来おられるべき場所に
 お送りします。」

本来いるべき場所?
……まさか。
いや、そんなはずは。
相反する気持ちがぐるぐると回る。

「まさか、帝の座を……?」

崇人は何も言わない。
ただ微笑んでいる。
一気に体中の血の気が
引いていくのが分かった。
足元が砂の山のように崩れていく感覚。
沈黙は、肯定の証だ。

「私は、そんなもの、望んでおりません!!
 何もいらないのです!!
 お願いですから、もうおやめください!!」

悲痛な、悲鳴にも聞こえる梢の言葉にも
崇人は微笑みを崩さない。
幼子を見るような
優しさすら感じるまなざしに、愕然とした。

「梢様はあるべき姿に戻られるだけです。
 恐れることなど、何もありません。」
「もう、何も、失いたくなどないのです……!
 これ以上、どうか罪を
重ねるのはおやめください……!」
「失う……?」

ことり、と崇人は首を傾げた。
純粋な幼子のような仕草だった。
だが、きっと崇人の胸には、
そんな純粋な想いなどない。
梢は幼かったから、
ほとんど何も覚えていない。
だが、崇人は梢よりも9歳年上だ。
悲しい光景を鮮明に覚えているのだろう。
あの日の恨み、悲しみ、怒り、憎しみを
何一つ忘れたことなどないのだろう。
それを崇人の目が、声が、全身が
何よりも雄弁に物語っている。

「あの汚らわしい火の一族こそ、
滅ぶべきだとは思いませんか?
あろうことか、護るべき主に謀反を起こし、
主に牙をむくだけでなく、
その血を引く尊い方たち幾人にも手をかけた。
それだけでは飽き足らず、
いつか復讐されるのではないかと恐れた。
そして、ひっそりと暮らしている
何の罪もない氷の方々にすら火を放つ。
……ただ殺すだけでは足りない。
この世のあらゆる苦しみを味わって
もらわねば割に合わぬのです。
最後の一息まで
もがき、醜く苦しんでもらわねば。」

崇人が楽しそうに笑う。
地獄の悪鬼のように、
毒々しい花のように笑う。
しかし、梢には
崇人は笑っているのに、
泣いているように見えた。

「これ以上、誰かを殺しても、
誰も戻りません。
 何も、返ってこないのです。
 ただ、失うばかり。
 だからーーーーーー!」
「私は、もう戻れない所まで参りました。
 たとえ地獄に落ちようとも、
我が一族の悲願を果たし
 憎き敵とともに、
地獄へ落ちる覚悟にございます。」

崇人の声は不思議なほど落ち着いていた。
もう決めてしまったのだと悟る。
それは絶対に揺るがないもので
梢にはどうしようもないことなのだ。
だが、それとは対照的に
純粋なガラス玉のような崇人の瞳は、
怒りと憎しみできらめいていて
こんな時だというのに、
美しいと思ってしまった。
ひな鳥が親鳥を慕うように、穏やかな想いを
崇人に抱いていたあの日がひどく遠かった。
優しく穏やかな日は、もう戻らないのだ。

「ここは、我ら平城家の隠し屋敷になります。
 周囲には強い幻惑の結界を
幾重にも張っております故、
 何人たりともここには近づけさせません。
 どうか、ここでしばしの間、過ごし下さい。」

そう言うと、崇人は
立ち上がろうとするそぶりを見せた。
まるでしばらく戻ってこないかのような口ぶり。
この国最強と言われた紫青の式術を
何度もかいくぐった崇人を見やる。
何をしに行く気なのか、
言われなくてもわかった。
今度こそ、紫青を殺しに行くつもりなのだ。
咄嗟に崇人の衣の裾を掴む。

「崇人様、だめです。
いかないで、ください!
お願い、お願いします……。」

いくつもの感情がこぼれて、
大粒の涙が頬を伝った。
泣くことしかできない自分が
今も昔も変わらず嫌になる。
当事者であるはずなのに、
何一つこの手で守れない。
驚いたような表情の崇人も
ぼやけて見えなくなってしまう。

「お願いですから…
……紫青を、殺さないで。」

絞り出すような梢の言葉に、
一瞬、崇人は動きを止めた。
すぐにこちらに向かって
ゆっくり手を伸ばしてきた。
温かい指が梢の目元をそっとぬぐった。
少しぎこちない動きに
崇人の優しさを感じる。

「困ったお方だ。
 幼子のように泣いているのなど
 久方ぶりに見ました。」

少し困ったような声音に、
いつもの崇人の面影を感じる。
優しい人なのだ。
こんなに優しい人を
氷河のような憎しみに閉じ込めた歴史。
それが憎い。
大きな崇人の手が頬を包み込む。
涙が止まらない梢の目元に、
優しい口づけが落とされた。
春の慈雨のような、穏やかな口づけが
両の瞼に落ちる。
突然のことに驚いた梢が動く前に、
たくましい腕に強く引き寄せられた。
驚いて反射的にもがくと、
ますます強く抱きしめられた。
苦しいと叫ぶような、
焦がれるような強さだった。

「泣かないで、梢様。
 貴女様がこいねがい、
涙を落とすほどに
……私は、あの男を
より酷いやり方で
殺してしまいたくなる。」

耳朶に落ちた優しいささやきは
残酷な言葉をくるんでいて、
梢の視界を絶望に染めた。


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