ダーク・ファンタジー小説
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- ゆめたがい物語
- 日時: 2017/06/03 23:50
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: ZpTcs73J)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=10136
お久しぶりの方はいらっしゃるのでしょうか。
社会人になり、二年目になってやっと余裕が出始めました。
物語の事はずっと頭から離れず、書きたい書きたいと思い続けてやっと手を出す事ができました。
ほとんどの方が初めましてだと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
描写を省きつつ、大切な事はしっかり書いて、一つの文章で、後々に繋がる描写がいくつできるか、精進していきたい今日のこの頃。
と言うわけで、構成ぐちゃぐちゃ、文章ボロボロ、誤字脱字がザックザク……と、まあ、相変わらずそんな感じですが、よろしくお願いします。
二部開始
芙蓉と三笠、兄妹水入らずの旅行。一方で動き出す福井中佐と西郷隆。そしてシベルからは修学旅行でボリスが訪れていて……
——春の夜の、儚い夢も、いつの日か、願いとなって、色を持つ。色は互いに、集まって、悪夢を違える、力となる。
アドバイス、コメント等、大募集中です!
お客様(ありがたや、ありがたや^^
風猫さん
春風来朝さん
夕暮れ宿さん
沙由さん
梅雨前線さん
ヒントさん
彼岸さん
夢羊さん
- Re: ゆめたがい物語 ( No.17 )
- 日時: 2012/02/20 23:40
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
「……さて、お子様も寝たことだし」
夜中、ちゃぶ台を片付けてしかれた布団の上。横になっていたイヴァンは、寝ている竹丸を蹴飛ばすと、シベル語でつぶやいた。
「何だよ、トイレなら自分で行けな、二十一にもなって」
「なわけあるか、竹丸。久しぶりに会ったんだから酒くらい飲もうぜ」
たたき起こされて、不機嫌そうにぶつくさたれる竹丸は大和語。それに対して、夜中だというのにやたらテンションが高いイヴァンはというと、母国語であるシベル語。両者とも、どちらの言語も扱えるが、二人で話すときは、今のようにたいてい自分の言語を勝手に使っている。感情表現が楽、という理由らしい。
ちなみに、三笠がその中に入ると、何故かシベル語に統一されてしまう。竹丸曰く、「三笠は変なところ気を使うから」——余談として。
「昔から、竹丸が、これ見よがしにブドウワイン飲んでる横で、寂しくブドウジュース飲まされてた時代はようやく終わりを告げて」
嫌味のこもった自作の歌を口ずさみながら、イヴァンは自分のかばんの中からコンビニで買ったビール缶を二つ取り出した。三笠に対しては大人の態度を取る彼も、“年上の”親友相手に容赦の二文字はない。
竹丸は寝ぼけ眼をこすりながら、のそのそと起き上がる。しかし、そんな状態でも、正確に投げつけられた缶をしっかりと片手で掴むことはできたようだ。
部屋の電気をつけなくても、外の月や街灯で十分に明るい。イヴァンは布団の上で胡坐をかいた。
三笠は一度寝たらなかなか起きないという特技を持っているが、それでも多少は自重しなくてはいけないだろう。何せ家主は彼なのだ。竹丸もその辺りに気を使って、小さく抑え気味に口を開いた。
「お子様って、俺から見れば二十一歳も十分若い衆だぞ」
「その顔で三十路越えてますなんて言われて実感が湧くか、この野郎」
イヴァンはむすっとした表情でそんなことを言いながら、ビールのふたを開けた。
そう、竹丸はまだイヴァンと大して変わらないように見えるが、実際のところ十は離れているのだ。初めて会った頃のイヴァンはその事実に全く気付かず、同年代の友人として接していたため、今更直すこともできず、十歳も年上の男に向かって堂々とタメ口を利いている。竹丸も竹丸で、その手のことには無頓着であるから気にしていない。
そして、二人の会話を聞いていた人はまた勘違いするのだ。「福井中佐はまだ二十代前半だ」と。
やっと、竹丸も目が覚めてきたようだ。一度大あくびすると、缶のプルタブに手をかけた。
「ちょっと待て、イヴァン」
「何だ?」
「さっきこれ、投げた、よな」
無言で、引きつった笑顔を造るイヴァン。確かに投げた。炭酸ものを投げた。事実である。
竹丸はため息をつくと、それを持って台所のほうへ行った。そして少し経つと、ビールが溢れ出る独特の音が静かな部屋中に響き渡った。
苦笑いを続けるイヴァンの頭が突然殴られる。いつ移動したのだろうか。台所にいたはずの竹丸が、ビール缶を持ったまま背後霊の如く突っ立っていた。
「“チカラ”使うこたないじゃないか、たかだか炭酸噴き出したくらいで」
イヴァンは殴られた頭を押さえながら、ぶつぶつ文句を言った。
対する竹丸は、そんな言葉に耳を傾けることなく、布団の上に座って一口飲み込む。噴き出した分、だいぶ中身は減ってしまったようだ。竹丸は無念そうにため息をついた。
そんな親友を見て、イヴァンは思わず微笑を浮かべる。それは月明かりのようにほのかで、優しいものだった。
「殴られてそんなにうれしかったか」
「人を勝手に変態に仕立て上げるな馬鹿」
余計な言葉で一瞬、柔らかな笑みは消えた。だが、その一瞬だけだった。
イヴァンは窓の外を見つつ、再び優しい表情になる。ベランダからわずかに見える月。青白い明かりの下でビール缶を手に、青年は親友を見た。
「お前さ、相変わらずため息は多いけど、表情、良くなったな。ちゃんと笑えるし、怒れるし、呆れられるし。本当によかった」
「何を偉そうに」
竹丸は親友から目を逸らしてつぶやくと、表情を確かめようと大まじめに自分の頬をつねりだした。
イヴァンは、竹丸にかつて何があったのか知らない。過去は知らず、目指している未来も分からない。いつか、彼が話せる日が来ればいいと思う。その時は、何時間でも酒や愚痴に付き合うつもりだった。
「……いつかさ」
竹丸はふいに熟睡している後輩のほうに目を向けた。いつもは大人の中に混じって生きている少年だが、寝顔だけは歳相応である。
「こいつが心から曇りなく笑える日が来たらいいな」
竹丸の言葉に、イヴァンはにっこりと笑って何事かつぶやいた。それは古いシベル語だった。今の言語体系とはかなり違うため、竹丸には何と言っているのか分からない。
だが、訊き返さなかった。
布団に再び入って、イヴァンはすぐ隣の壁を見つめる。絵が一枚掛かっていた。淡紅色の、美しく儚げな花。イヴァンは知っている。これは三笠が描いた絵だ。背景も何もなく、ただその花だけが白い紙いっぱいに描かれていた。まるで、それこそが世界であり、他は何もないとでも言うように。
花の名は、芙蓉、という。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.18 )
- 日時: 2012/03/20 01:04
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
第五話 大捕り物とムイ教徒
かのスーパーマーケット人質事件から、一週間が経った。夏休みも終わりに近づき、また一つ秋に近づいたような気がする。
もっとも、暑さ自体は大して変わらず、風物詩、とも言うべき迷惑な台風も、よくこの島国を襲うのであるが。
この日、国立秋込高校では、夏休みの弛んだ心持に克を入れると称して、デスマッチと呼ばれる補習が行われていた。もともと、補習は毎日のようにあり、ただの補習なら、今更いくつ入ったところで誰も何も思わない。
だが、この“デスマッチ”だけは全生徒の恐怖の対象であった。
デスマッチ。それは三日間続く、恐怖の補習授業のことである。持ち物は各自で考えること。授業時間は各教師の気力が続く限り。
そう、制限時間のない補習なのだ。かつての最高記録は十八時間。一日のほとんどが大和史に費やされたという、伝説の授業である。
さらに悪いことに、教師はたくさんいるのだ。例え一人が限界になっても、次から次へと現れる。三日間、睡眠時間として最低限保証されている十二時間以外は、ずっと授業。食事は各自授業中かそのわずかな合間に取るしかない。
そんな、地獄の強行軍。それゆえに、誰が呼んだか、人呼んで“デスマッチ”。
単調な世界史の二クラス合同授業中、一年生トップクラスの才女、安倍ほたるは、斜め前の空いた席を見て、何度目か分からないため息をついた。
その席は、これまた学年トップクラスと名高い東郷三笠の席である。一週間前の一件から、彼とほたるは仲良くなった。と言っても、休み時間に世間話をする程度であるが。それでも、三笠にしては唯一と言って良い。
——今日は大捕り物があるから休む。
そうとだけ書かれたメールが、早朝ほたるの携帯電話に入っていた。
デスマッチ初日。わざとだろうか、とも思いたくなる。国としても手放しがたい逸材であるため、三笠は国防軍の仕事があるときは、合法的に授業を抜け出せるのだ。
念のため彼の担任に連絡を入れたが、悔しそうに顔をゆがめさせながら、知っていると答えた。それよりも、ほたるが三笠との連絡手段を持っていることに驚いたようだった。
そうして、「最大限の嫌味を返しておくように」という指示を受け、ほたるは職員室を後にした。無論、三笠に恩のある彼女が送ったメールの内容が、「気をつけてね」といったものであったことは、言うまでもない。
三笠の強さは知っている。しかし、心配であった。国防軍では毎年多くの殉職者が出ている。
ほたるは三笠に何故働くのかと聞いたことがあった。すると、彼はこういうのだ。
「親が……遠くに、いてな」
それ以外は、何も言わなかった。言いたくないのだと、ほたるは思った。ただの勘だったが、間違ってはないだろう。
その時は、幸か不幸か、五限目が始まるチャイムによって、二人とも教室に戻らざるを得なくなった。
ほたるは、世界史のノートを取るのをやめて、シャーペンをくるりと回した。視線の先には空いている三笠の席。しかし、心に浮かぶのは、今もどこかで仕事をしているであろう、三笠の陰を落とした表情。
「小六の時から、ずっと国防軍には世話になってる」
そういえば、そんなことを言っていたこともあった。目を合わせずに、窓の外の飛んでいるすずめを見つめながら。
それにしても、仕事は他にも、もっと安全なところがあるはずだ。何もずっと国防軍で働かなくてもよかったのではないか。そんなことを、空の三笠の席を見つめながら、ほたるは思う。今の三笠の頭脳なら、他にも探せば働く先はたくさんあっただろう。
逆に、お前は将来何がしたいのか、と訊かれたこともあった。迷いなく答えた。
「私は、医者になりたい。もうかなり前に亡くなったけど、おばあちゃんみたいな、立派な医者に」
夢を語ったとき、三笠は何故か少し寂しそうな顔をしていた。
その日は朝から雨が降っていた日で、廊下の窓からそんな景色を目に映しながら話していたのを覚えている。
ほたるは、講義室の窓をふと見る。晴れている。この空の下、三笠はどこかで戦っているのだろうか。
この時、彼女は知らない。その空の続きにある町で、すでに戦闘は始まっていた。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.19 )
- 日時: 2012/03/01 00:25
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
その町は、普通の町であった。
八百屋や酒屋があれば、アパートもあり公民館もある。さらに、その少し先には中学校。どこにでもある、至極一般的な、少し過疎化が進みつつある、町だった。
青空の下、乾いた銃声が鳴り響く。
畑の中にある、三つの塔が天へと向かう古い木製の建物。この辺りでは、三尖塔と呼ばれているらしい。その本来の役割は、“チカラ”を与える女神を崇拝する、ムイ教という一神教の教会である。
夏の豊かな畑は踏み荒らされ、堅苦しい軍服姿の人々が周りを囲んでいる。国防軍だ。窓からは銃口が覗いているが、中と外では圧倒的な戦力差があることは、誰が見ても明らかだった。
断っておくと、ムイ教の教会だからと、そんな理由で襲撃しているわけではもちろんない。ただ、この教会が所属する、ある“宗派”が過激な主張を持ち、多くの事件の裏側にいるから、“大捕り物”と称して弾圧を加えているのだ。
銃で応戦しつつ、中の人たちは扉を開けさせまいと、必死になってその近辺の守りを固めている。理由は一つ。その隙に、建物の後ろから女性や子ども達を逃がすためであった。
だが、できるはずがないのだ。次々と、国防軍に捕まっていく。兵士たちは、荒々しい態度で捕らえた人たちを後方に連行する。畑の向かいにある、寂れたコンクリートの建物へと。
そこには、作戦本部があるのだ。
「水天髣髴青一髪」
本部一階の福井竹丸中佐は、連行される人々を、薄汚れた窓越しに見ながら、ふとそんなことをつぶやいた。漢詩である。しかし、周りの人たちは意味すら取ることができず、無理やり笑顔を形作っていた。
そんな中で、灰色の冷たい壁際で控えていた東郷三笠少尉だけ、少し厳しい表情で中佐を見た。窓から遠く、明かりの乏しいところにいるだけあって、その威圧感は何割増しかになっている。
それに気付いた福井中佐は、微笑を浮かべながら本部にしている建物を出た。三笠もそれに付いていく。向かった先は、先程の攻撃対象の建物だった。
「……竹丸先輩、同情するのは勝手ですけど、あまり公の場では言わないほうがいいですよ」
「どうせ奴らには分かるまい。事実、あの場で正確に意味を取っていたのはお前だけだっただろ」
福井中佐は包囲網の後ろにある車の上に上って、今にも開かれんとする建物の扉を見つめた。
前には力尽き倒れた三尖塔の人たち。つまり、ムイ教徒たちだ。それぞれ、手には木彫りの女神像を持っている。彼らは死んだ。女神像は、見捨てたのだろうか。それでも、信者の顔は穏やかだった。
水天髣髴青一髪、それはかつてさる高名な学者が詠んだ歌の一節だ。大和国のある南の地域を旅したときに詠んだと言われている。その地域では、かつて大規模な農民反乱があった。宗教を紐帯として。鎮圧されたときの死者は、民間人を含めて数万とされる。
つまり、福井中佐はこの反乱と今を結び付けて、遠まわしに非難したのだった。
「さて、本当の惨劇になる前に、行くとするか、三笠」
「最初から俺達だけで行けば、話は早かったと思いますけど」
「国防軍はさる中佐と高校生に頼らないと何もできないって評判になったら大変だろ。負傷者が出ても心配すんな。手は尽くしてる。そのためのイヴァンだ」
不敵に微笑むと、福井中佐は車の上から飛び降りて、包囲している味方の真ん中を通り抜けていく。この中で、彼以上の階級の者はいない。全員敬礼をして福井中佐を通し、また後ろを護衛のように付いていく三笠に対しても道を空けた。
すでに、国防軍側にも負傷者が出ているようだった。担架に乗せられて、後方へと運ばれていく。ある者は肩に銃弾をくらい、またある者は足を撃ちぬかれ、それぞれが担架の上で苦しげな声を上げていた。
その中で、福井中佐の目に腹部をやられている若い兵士が映った。明らかに、一番の重傷者である。福井中佐は担架の横に立って、痛みにうめく下士官の手を取った。
「もう少しの辛抱だ。この戦いには、シベルからボルフスキー大尉っていう軍医が参加してるからな。すぐに治してくれる。お前は死なない。もう少し、頑張ってくれ」
下士官は声には出さず、こくりと頷いた。表情は幾分か穏やかになっている。
イヴァン=ボルフスキー大尉がいる。それは、この業界では神の如く崇められている言葉だ。絶対に死なない。どんな傷を負っても生きて彼のところに辿り着きさえすれば、どんなにひどい傷でも治してもらえる。ここまで来ると一種の神話のようだが、ほとんど事実であるから笑い飛ばすこともできない。
福井中佐は担架が運ばれていくのを確認すると、中へ突撃しようとしている兵士たちの中に押し入って、突撃をやめさせた。
そして、懐に忍ばせていた拳銃を取ると、一人中へと入っていく。後ろにいた三笠も下士官達を下がらせて、慎重に中へ足を踏み入れた。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.20 )
- 日時: 2012/03/05 00:21
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: Pc9/eeea)
今まさに国防軍の攻撃を受けている、三尖塔のある部屋。木製のドアには見事な女神像が彫られている。さらに、長いテーブル、柔らかなカーペット、棚などはどれも高級品で、どうやらこの教会の応接室のようだった。
テーブルの上には洋風の豪華な食事が並ぶ。ものによってはまだ湯気を出していて、作られてからさほど時間は経っていないことを示している。ただし、手の付けられた気配はない。
そんな部屋には、二人の大和人がいた。長い机を挟んで、女神のドアから見て右には和服姿の美女、それに対して左側の一人は、どこからどう見ても何の変哲もない普通の小学生であった。
「そろそろ、色よい返事をもらえるとうれしいのだけど」
美女はつややかな唇を、ゆっくりと動かした。窓から入ってくる日差しに輝く切れ長の目は、少年を逃さず捕らえ、にこりと微笑むとそれだけで魂を抜かれるようだ。
しかし、そんな蠱惑的な微笑も、たかだか小学生の前では無意味であった。
「何度も言わせんなよ。俺はムイ教なんかに入らない!」
「もう、このわたくしの誘いを無下にするなんざ、将来絶対に後悔するわよ。全く、秋山家って本当に」
むすっとした顔もまた、見る人が見れば千金の価値があるものであった。
窓の外からは戦闘の音が聞こえてくる。銃声だけではない。敵味方問わず、ありとあらゆる声が耳を刺した。
だが、美女は全く気にすることもなく、机の上の紅茶を惚れ惚れするほど優雅な所作で口に含んだ。
「それより、落ち着いてんだな。外の音、国防軍だろ?」
「あら、国防軍が何人束になったってこのわたくしに敵うはずないわ。嵐君も、身をもって経験したんじゃなくて?」
美女は口元に藤色の扇を当てて笑った。
一方で、嵐は苦虫を噛み潰したような表情になる。彼は、家の近くの公園で、一歩でも“かの守銭奴軍人撲滅”という夢に近づこうと、朝からチカラの練習をしていたのだ。そこを、突然現れたこの美女に連れ去られた。
自分の能力については自信を持っていたが、手も足も出ないとは、まさにこのことだった。
練習どおりに掌から炎を出して女にぶつけた。だが、彼女がハエでも払うように手を動かすと、燃え盛っていたはずの業火は、まるではじめから存在しなかったかのように、跡形もなく消えてしまったのだ。
そうして、いつの間にやら嵐はこの建物の応接室に連れてこられ、豪華な食事による歓待を受けている、というこの不可解な状況が出来上がった。
「ご飯、食べないの? 冷めちゃうわよ」
美女はそう言いながら、自分の皿には冷たいサラダをよそった。ついでにドレッシングをかけようと、着物の袖を気にしつつ、すっと腕を伸ばす。
あくまで自分のペースを保つ美女。それに対して嵐は食事には目もくれず、眉を吊り上げて険しい表情をしていた。
「誰が、こんな見え透いた罠にかかるか!」
「あら、チカラを持った人に精一杯のおもてなしをするのはわたくしたちムイ教徒にとっては常識よ。チカラを持った人は、“母なる主”に選ばれた使徒だもの」
美女は漆塗りの箸を手に取ると、サラダを一口ずつ運んでいく。その間に、外の戦闘の音が止んだ。嵐は座ったまま窓に目をやるが、見えるのは寂れた商店街だけで、戦闘の状況は全くわからない。
ふと、美女はサラダから目を上げた。箸を一度置くと、紅茶を飲み、くすりと微笑を浮かべる。
美女は椅子から立ち上がり、棚からティーカップを二つ出した。どちらも嵐が今使っているような高級品だ。
作法通りに紅茶を入れる和服の美女。空いた二つの椅子の前にカップを置くと、くるりと振り返り、ドアのほうを見つめた。髪飾りが、しゃん……と心地よい音を立てる。
その時、こげ茶色のドアが、荒々しく開けられた。壁に叩きつけられる彫られた女神。二人の国防軍人が銃を構えて入ってくる。怪しく光る銃口は、まっすぐ美女に向いていた。
「そろそろ、お見えになる頃だと思っていました。お会いできて光栄です、福井中佐、東郷少尉」
突然の乱入者に対して臆することなく、美女は優雅に頭を下げて、先程紅茶を用意した椅子を引いた。この状況だというのに、やはりあの蠱惑的な微笑を浮かべている。
「お茶でも、いかがですか?」
- Re: ゆめたがい物語 ( No.21 )
- 日時: 2012/09/01 23:32
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)
「これはこれは、美しい方。喜んで一服お付き合いいたしましょう」
乱入者の一人である福井中佐は、涼やかな美声でそんな軽い言葉を並べながら、美女に負けず劣らずの優雅な礼をした。隣の三笠はぎょっとして先輩を見る。ふと先程の、国防軍への非難が浮かんだ。
「竹丸先——」
咎めようとした三笠は、そこで思わず言葉を止めた。一瞬、背筋が凍りつく。そんな彼の様子は見た事がなかった。福井中佐の目はカッと見開かれ、今にも美女に向けている銃の引き金を引かんばかりだった。
「——もしそれが貴様でなかったらな、ムイ教南道宗、“王志会”のリーダー“王”の右腕、清原紗江」
福井中佐の言葉に、美女——清原紗江は懐の扇を開き、整った口元を隠した。目は不敵に微笑んでいる。
「さすが、福井中佐。良くご存知ですこと。東大“銀時計卒業”、勉強熱心でいらっしゃるわ」
「貴様らも、よくこんな末端兵士のことまで調べ上げたものだ。卒業以来、この銀時計を誰かに見せたことも、教えたこともなかったはずだがな」
中佐はそう言いながら、チャックの付いたポケットに手を突っ込み、鎖のついた懐中時計を出した。ふたに彫られている桜の紋が、窓から入ってきた昼の日差しできらめく。惚れ惚れするほど見事な純銀細工を手に、福井中佐は強く唇を噛んだ。
東大——東城大学という——銀時計卒業、それはその期において首席だったことを表している。大和国内、あるいはそれ以外の国からも、天才という天才が集められたそこは、まさにエリート集団。その厳しい競争の中で、一番という称号を獲得すると、将来への期待の象徴ともいえる、高価な銀時計を送られて卒業するのだ。
もちろん、その道のりは並大抵のことではない。当然、将来は政治の道なり、研究の道なりで、国をリードしていくことが約束されているとも言われている。それが、福井中佐の持つ銀時計の意味であった。
「やはり、欲しいわね、あなた方二人は。東郷少尉は“王”がとても気に入っていらっしゃるし」
どこか試すような口調で、二人に切れ長の目で微笑みかけると、紗江は視線を天井のシャンデリアに向けた。
三笠は胡散臭い話を聞いたとでも言うように、無表情の中で眉をわずかに上げて、相変わらず美女に銃を向けている。
福井中佐は、先程の唇を噛んだ険しい表情を、無理に無表情に戻していた。だが、銀時計はその分だけ強く握り締めている。力を込めて震える手。もう片方では冷静に拳銃を握っていた。
彼の平常心が保たれていたのは、そこまでだった。
紗江はおもむろに中佐に近づき、そしてその耳元で、そっとつぶやいた。
「あなたは、石川の、お気に入りだから」
あるいは、“石川”と、その名が出た時点から、中佐の心の崩壊は始まっていたのかもしれない。
紗江の首元に素早く手が伸びる。福井中佐だ。隣の三笠は、いつも温和で人の良い彼を見慣れているため、あまりの豹変振りに、止めることもできず、ただ後ずさりした。
福井中佐はそのままのど元を引っ掴み、首を絞めるかのように美女を壁へと押し付ける。壁に掛かっている宗教画が、その衝撃で音を立てて揺れた。
だが、そんなことを、今の竹丸が気にするはずがない。眉も目も、頬も鼻も口も、それぞれが紗江に向かって歪められているようだった。
「言え! 石川は、石川松五郎は、今、どこにいる!?」
首を締め上げながら、問い質すというひどく矛盾した方法。話せるはずがない。それでも、福井中佐は手を離さなかった。
三笠と嵐は、はっきりとそのときに気付いていた。紗江の表情に、いささかの苦悶も見られなかったことに。
危機を察知した三笠は、絨毯を蹴って中佐の元へ走ろうとする。しかし、美女が反撃に出たほうが早かった。
今まで全く抵抗しなかった紗江は、突然、のど元を締め付ける中佐の手に触れ、手首を掴んだかと思うと、そのまま彼を部屋の端まで投げ飛ばした。どう考えても細身の女。いったい、どこにそんな力があったのか分からない。
「竹丸先輩!」
三笠はすぐに方向を転換して、福井中佐を助け起こした。嵐も椅子から立ち上がって傍に駆け寄る。その拍子に彼の座っていた高価な椅子が倒れ、大きな音を立てた。
食器棚の角に頭をぶつけたため、福井中佐の額からは血が次々と流れ出ている。それにも拘らず、中佐は傷を押さえることもしない。よろよろと立ち上がる彼の手には、あの銀時計が離すことなく握られていた。
「石川は、どこだ……石川は、石川はどこにいる?」
それは、もはやただのうわ言だった。「石川、石川」と、何度もその名を呪詛の如くつぶやき続け、そして、一度大きくふらついたかと思うと、そのまま倒れこんでしまった。
銀時計が初めてその手から落ちる。絨毯の上で一度はねると、桜の紋が刻まれたふたが、ぱかりと開いた。三笠はそれを手に取る。時刻は三時二十五分を差していた。
そこで、違和感に気付く。三笠の腕時計は、一時を示しているのだ。
福井中佐の銀時計は、八年前の七月二十日、その三時二十五分でその動きを止めていた。
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