ダーク・ファンタジー小説
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- ゆめたがい物語
- 日時: 2017/06/03 23:50
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: ZpTcs73J)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=10136
お久しぶりの方はいらっしゃるのでしょうか。
社会人になり、二年目になってやっと余裕が出始めました。
物語の事はずっと頭から離れず、書きたい書きたいと思い続けてやっと手を出す事ができました。
ほとんどの方が初めましてだと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
描写を省きつつ、大切な事はしっかり書いて、一つの文章で、後々に繋がる描写がいくつできるか、精進していきたい今日のこの頃。
と言うわけで、構成ぐちゃぐちゃ、文章ボロボロ、誤字脱字がザックザク……と、まあ、相変わらずそんな感じですが、よろしくお願いします。
二部開始
芙蓉と三笠、兄妹水入らずの旅行。一方で動き出す福井中佐と西郷隆。そしてシベルからは修学旅行でボリスが訪れていて……
——春の夜の、儚い夢も、いつの日か、願いとなって、色を持つ。色は互いに、集まって、悪夢を違える、力となる。
アドバイス、コメント等、大募集中です!
お客様(ありがたや、ありがたや^^
風猫さん
春風来朝さん
夕暮れ宿さん
沙由さん
梅雨前線さん
ヒントさん
彼岸さん
夢羊さん
- Re: ゆめたがい物語 ( No.62 )
- 日時: 2013/12/23 23:41
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: SsRumGYI)
「三笠ぁ……ごめんな、ごめん、俺がもっと」
ちゃぶ台を挟んで、紳士然とした男は、すっかり年で緩くなった涙腺を緩めて、目の前の少年を見つめていた。その隣では、こちらもやはり黙ってうつむく青年が一人。出された薄い茶に手を付けることなく、ただ、右頬のほくろの上を、しずくが伝った。
少年は黙っている。ちゃぶ台の上には三つの湯のみと、アルバムが一冊。開かれたまま置かれていた。
「アルバムは置いていく、三笠。いいか、俺がどんなに頼りなくてもな、頼ってくれ、甘えてくれ、昔みたいに、お前は俺の……」
紳士、憲兵隊副本部長の織田やじりは黙りこくる少年の目、輝きを失った茶色の瞳を、まっすぐじっと見つめて、心から絞り出すように言った。
アルバムの、一つの写真が隣の青年、やじりの右腕である西郷隆の目に入る。その中には、赤ん坊を抱える女性、そしてその傍らにそっと寄り添う男性と、小さな男の子に抱きつかれている、若かりし日の織田副本部長がいた。
織田副本部長は、隣の部下に目配せすると、ゆっくりと立ち上がった。三笠は立とうとしない。アルバムをのみ見つめている。
きびすを返して玄関へと歩く二人。小さなワンルームマンションである。だが、玄関までは遠かった。
「やじりのおっちゃん」
不意に、三笠が口を開いた。
織田副本部長が玄関から出ようとしていた、その時だった。
止まりかけていた涙が、再び溢れ出してくる。あごからコンクリートの玄関へと、止めどなく落ちていく雫。
こんな情けない顔は見せられまいと、織田副本部長は振り返ることができなかった。
「動け、止まるな、動け動け、部活で先輩、お前の父さんに、怒られたっけな、何一つ変わっちゃいねえ」
いくら顔を見せまいと強がっても、口から出てくるのは情けない泣き言だった。遥か昔に思いを運び、涙でぼやけた視界の向こうには、かつて追い続けた背中が見えて、また消えていった。
「おっちゃん」
気付くと、すぐ後ろに、三笠がいた。一向に立ち上がろうとしなかった亡き親友の息子が、しゃんと背筋を伸ばして、そこにいた。
「ありがとう、やじりのおっちゃん。アルバム、大事にする」
そう言って、三笠は壊れそうな微笑みを浮かべた。何よりも優しく、何よりも儚い瞳の色。暗い影に、無理矢理明るい色を落としたその表情。
ただの、お伴であった。ここで西郷隆は、上司の私的な用事に何故かついていくことになった、ただの部下であった。そんな、第三者的な立場から見ざるを得ない隆は、重さに耐えられずにアパートのドアを開けた。特有の匂いが入ってくる。
外は雨であった。
「それじゃあな、三笠」
織田副本部長は、それを言うのが精一杯だった。
逃げるように部屋を出る上司を、隆はやはり、どこか外側にいるような心境で見ていた。その縮こまった背を見て、それからすぐ近くにいる後輩に目を向ける。
三笠の境遇は知っている。キツネ面も含めて。それらを教えたのは他でもない上司、織田やじりであり、どういうつもりかも察しがついていた。
後輩が表情に落とした明るい色は、暗い影と混じって、くすみ始めていた。
そんな時、ポケットの携帯電話が震える。口早に三笠に別れを告げると、隆はドアを閉め、表示された名前に目を見開いた。
そこには、大学時代の親友の妹である、安倍ほたるの名があった。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.63 )
- 日時: 2014/02/05 08:37
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: SsRumGYI)
そびえ立つ崖を素手で這い上り、雲の中を通りつつ、ひたすら険しい山を登る。
上へ上へ、崖を上りきった青年の目には、雲の下からでは分からなかった、更なる崖。
手の至る所は裂けて出血し、疲労で唇は変色し始めている。続く崖のもろくなった部分。そこからは砂煙が巻き起こり、青年のきれいな碧眼は真っ赤に充血した。
だが、彼の表情はみるみるうちに明るくなる。崖の上。目的地がそこにあると、確信していたのだ。
「師匠も、まあ、いい歳してよくこんなところに」
シベル語で苦笑い気味につぶやいた青年は、乱れた黄緑色の髪を耳の後ろに掛けてピンで留めると、再び崖を上り始めた。
そのアパートの階段は、まるで遥か高くまでそびえ立つ崖のようだった。
ほたるは、その一段目に足を掛けて、そのまま動きを止めてしまった。
——情けない話、僕じゃ三笠の支えにならない。
憲兵隊の、西郷隆の悲痛な声が頭の中で響いた。電話の向こうと、こちらのと、二つの雨の音が混じり合って、どこか別の場所、現実ではないように、ほたるは感じた。
いや、そうであってほしかった、それだけなのかもしれない。
でも、と、ほたるは再び足を動かす。
いつかの、本当のことを知ろうと、屋上へと足を進めた時と重なる。
——話すことで、対話で人を救おうとしたのに、僕は、無力だ。芙蓉の余命は後一月足らず、僕は、何もできない。
雨音が、変わることなく響く。
西郷隆は、大人だ。高校生ではない、憲兵隊のキャリア組の、交渉官である。
夢を見て、実現し、夢を見て、諦めてきた。
どうにもならない現実というものを知っている、大人であった。
まだ夢を見続けるのは、高校生。安倍ほたるは、そびえ立つ崖を上っていく。
そしてまた、東郷三笠も、高校生であった。
「安倍……」
そびえ立つ階段の上、そこにはブレザー姿の東郷三笠が、目を丸くして立っていた。
荒削りの崖の上に立っていたのは、樹齢はいかほどかというほどの、巨大樹であった。
天に伸びるその頂は全く見えない。青年が見ているのは、地面から溢れ出た根っこの部分に過ぎないのだ。
その根。それだけで樹木といっても遜色はない。イヴァンは根と根の間の隙間に体を滑り込ませる。暗く湿った根の上を滑り落ちていくと、突然周りが明るくなった。
顔を上げる。目の前。鼻と鼻が合わさらんばかりの、文字通り目前。
「久しいねえ、ボルフスキー」
「ご無沙汰しております」
しゃがれた声。何十という蝋燭に照らされ、小柄な老婆が浮かび上がる。しわだらけの顔は何を考えているか分からない。白髪頭は無造作に赤いリボンで一本結びにしていた。
「師匠」
その老婆こそが、世界中が一目置く天才軍医、イヴァン=ボルフスキー大尉が師と崇める、ただ一人の医者であった。
「東郷君……」
ほたるは三笠を見上げて、そのきれいな瞳に心を奪われた。
雨音が続く。
光った。
少し遅れて、地を揺るがすような轟音が響いた。
「ちょっと、つき合ってもらって良いか?」
ガラスのように透き通った微笑みは、薄暗さの中で、さらに異質な存在に見えた。
「お前がここに来た理由は分かっているよ、ボルフスキー」
老婆はイヴァンに怪しげな茶を出しながら口を開いた。
土の下、崖の中。
おそらくは、あの大樹の根の中。地べたに座るイヴァンは、湿り気と土の匂い、そして大きな命の息吹を、ひたひたと流れる水の音から、全身で感じていた。
「東郷三笠の妹の病気の治し方、だろう?」
「はい、師匠」
老婆の問いに、イヴァンは短く、静かに答えた。
出された茶が、怪しい色の湯気を出す。そのきつい匂いが、鼻の奥に突き刺さった。
「お前も知っての通り」
老婆は、弟子の前に座った。あぐらをかいて、細くすぐに折れてしまいそうな腕を組んでいる。
イヴァンは出された茶を口に含んだ。
「わしのチカラは他人の救いたい気持ちを治療に利用する。純粋に命をなげうてるほどの、願いだ」
「大丈夫です、三笠は、いつでも命を投げ打つで……」
そこで、イヴァンははっと目を見開いた。
老婆は、変わることなく濁った眼と向けている。
言葉が詰まった。
青年は、その先を続けることができなかった。
「そう、東郷三笠は確かに強い願いを持っている。だが、奴は、奴の願いは、妹を守ること。死んでは妹を守れない。命を捨てるかと問えば迷わず捨てると答えるだろうが、その捨てる瞬間に、迷いが必ず生じる。それでは、わしのチカラは意味がない」
確認するかのように、老婆は表情を変えずに言った。
言葉は残酷に、根の内部でこだまする。
水の流れる音が聞こえた。
親友を、そして、その妹を助けたい。ここが、イヴァンにとって最後の望みであった。
しかし、その望みすら、儚い願いすら断たれてしまった。
老婆は立ち上がり、怪しげなクスリ瓶の散乱する部屋の中をふらりふらりと歩いた。
「でも、師匠、三笠は……」
「でももだっても聞きたかないよ、没法子、メイファーズ、救いきれない患者ってのは、いるもんだ、分かってるだろう?」
嘆息して言う老婆のしわだらけの顔は、相変わらず真意が読み取れない。
しわだらけの手で一つのクスリ瓶を取って、何を思ったのか壁に叩き付け、割ってしまった。中の液体は壁である木の根に吸い込まれていく。
その様子を、やはり置いて白く濁った瞳で見つつ、もう一度、没法子とつぶやいた。
水の流れる音が、異様に大きく聞こえる。
イヴァンよりもずっと多く生き、多くの死を見てきた彼女は、没法子、このしょうがないという、その言葉だけですべてを物語ることができた。
没法子。
しかし、イヴァンはまだ若かった。地獄を何度も見たとはいえ、まだ夢を見る青年だった。
顔を歪める。イヴァンは思い詰めた顔をして、歯を食いしばりながら、師に頭を下げた。
天井からは、雫がいくつか頭に落ちてくる。
イヴァンは小柄な師に背を向け、元来た狭い道とも言えぬ道を戻った。老婆はその大きな背中を、やはり濁った眼で見つめ、深くため息をつく。
半分まで減った怪しい茶は、まだ湯気をゆらゆらと立ち上らせていた。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.64 )
- 日時: 2014/01/14 23:32
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: SsRumGYI)
黙って歩く三笠の後ろを、ほたるもまた、黙ってついていった。
バスにも乗った。行き先は、山の区。さらに、その奥深く。酔いそうなほどのヘアピンカーブを何度も抜け、温泉旅館街を通り、生い茂る広葉樹の下を行く。
何かを踏んで、バスが大きく立てに揺れた。
すると、三笠は不意に降車ボタンを押す。
電光板には、稲荷の滝とあった。
「ここは」
バスから降りると、やっと三笠は口を開いた。傘を開くと、雷鳴が轟いた。
辺りには何もない。バス停を示す、今にも朽ちてき得てしまいそうな看板がぽつんと立っているだけ。その他は、木々が四方八方に腕をのばしているのみだった。
「東郷家が昔から住んできた土地なんだ」
「ここに……?」
三笠の言葉に、ほたるは少し驚いたように聞き返した。
何もないのだ。
温泉街からさらに離れ、人里離れた森の中。バスが通っているのは、この山を越えた先に小さな駅があるからで、稲荷の滝と呼ばれるこの場所は、本来何故停留所があるのかも不思議なほどであった。
「キツネ面は、我が家の昔からの家業だ。下界で暮らし人と交わるのは、祖父の代までタブーだった」
雨が降り続く。
コンクリートはなく、砂利だけが申し訳程度にひかれた車道から、三笠は脇にそれてうっそうとした森の中へと入っていく。遠くからは水の落ちる音が聞こえ、足下では蝉の死骸が蟻に運ばれていった。
しばらく行くと、子狐が二匹、木々の間から顔を出した。水に濡れ、しかし、不思議と毛は活き活きとしていた。
二匹は、二人を見るや否やその毛を逆立てて威嚇をする。
だが、その後ろから走ってきた親とおぼしき美しいキツネが三笠の足に鼻を当てて、一声鳴くと、二匹とも大人しくなり、三匹で森の奥へと消えていった。
その消えていった方向。ほんの少しだけ歩くと、突然森が開けた。
雨が弱まる気配は一向にない。しかし、その雨音より大きな、水が勢いよく落ちる音。雨音は彼方へと飛んでいき、それのみが、耳に響く。
目の前には、白い尾を思わせる見事な滝が、遥か山の上から、透き通った川へと落ち続けていた。
「稲荷の滝。きれいだろう? そんで、横にあるのが、俺の生家。ここで、家族四人で生活してたんだ」
滝に見惚れていたほたるは、視界の端のほうに、一軒の古びた家屋があるのに気付かなかった。
誰かが住んでいる気配はない。辺りは雑草が生い茂り、汚れた窓ガラスには、数カ所ひびが入っていた。
「ああ見えても、中は掃除してあるんだ。茶のセットくらいあるから、少し休んでいてくれ。雨の中寒かっただろ?」
三笠はそう言いながら、再び歩き出そうとした。背を向けて、振り返ろうとはしなかった。
「東郷君は?」
「野暮用。久々に戻ってきたんだ。そのうち戻ってくるから、好き勝手くつろいでて」
自分で呼んでおいて、結局は一人で行くというのだ。
ほたるは何か一言でも抗議して、三笠を止めようとする。
だが、後一歩の所で思いとどまる。
もしかしたら、この家屋の中に、この古びた彼の生家の中に、何か彼を理解する手がかりがあるのではなかろうか。
そして、さらに、三笠はそれを見せたくて、呼んだのではないか。
「お茶、用意して待ってるからね」
ほたるはそう言うと、三笠とは反対方向、朽ちた玄関のほうへと歩いていった。
三笠は静かに振り返り、それを見る。微笑んで、一言、ああ、と壊れそうなほど儚い瞳で少女を見つめながら言った。
外見は、誰も住んでいない古びた小屋であった。
ほたるは玄関の戸をゆっくりと明け、そっと中をのぞいた。
暗い。
そばにある電気のスイッチを押してみても、何も反応しない。おそらく、電気の契約は切ってしまっているのだろう。
玄関入ってすぐの靴棚の上には懐中電灯がある。ほたるはそれをたよりに小屋の奥まで進んでいく。
ダイニングとおぼしき場所まで辿り着くと、天井から大きな懐中電灯が吊り下がっていた。
付けると、案外明るかった。部屋の様子も見えてくる。
そこは、どこにでもある、普通の家庭の間であった。
「たぶん、事故の日から変わってないのね」
ほたるは、部屋をぐるりと見渡しながらつぶやいた。
椅子の背には、くたびれた背広がかかっている。その机の上には、東城都庁環境局からはじまる長い名称のファイル。三笠の父の仕事関係のものだろう。
食器棚にはそれぞれ四人分ずつ皿やコップなどが置かれ、母親の趣味か、ところどころのワンポイントがかわいらしい。
そして、みかさ、と幼い字で書かれた小さな棚の上には柔道の大会で手に入れた様々なトロフィーや盾が飾ってあった。
その、棚の中である。
そこにあったのは、アルバムの数々。ほたるは後ろめたさを感じつつも、手に取らざるを得なかった。
「柔道着の男の子、東郷君かな、それとお母さんとお父さんと……あ、こっちは病院で、可愛い子、妹の芙蓉ちゃん、かな」
目に入ってくる一枚一枚を、ほたるは微笑みと、どこかにきつい胸の痛みを感じながら見ていた。
三笠にとっての幸せの日々。しかし、両親はもう戻らず、さらに、妹まで運命に奪われようとしている。
アルバムをめくっていく。
少し大きくなった三笠は、今度は黄緑色の髪をした外国人の少年と写ることが多くなった。いつかの、三笠の言葉がよみがえる。シベルの古い友人、きっと彼がそうなのだろう。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.65 )
- 日時: 2014/01/20 20:38
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: SsRumGYI)
その、彼である。
シベル軍軍医大尉のイヴァン=ボルフスキーは、その険しい山を下っていた。
すべてを拒むようにそびえ立つ崖を降り、その先にひたすら続く獣道を、阻むものすべてを薙ぎ払うかのように、転がるように走った。
すでに、体は傷だらけである。髪も乱れに乱れ、服は裂けていた。
どのくらい走り続けたことか。
イヴァンは横たわるその大きな根に気付かなかった。
足を取られ、大きく前のめりに躓いた青年は、うまく受け身をとることもできずに、泥水の中に倒れ込んだ。
「くっそ……」
泥水に手をつき、四つん這いになりながら、イヴァンは胸から言葉を絞り出した。木々のざわめきが、あざ笑うように聞こえる。
「何が天才軍医だ、何が軍医幕僚長確実だ」
口の中は、泥と血の味がした。
イヴァンは泥まみれになった黄緑色の頭を、何かから逃れるように、目をつむり、乱暴に左右に振る。木々のざわめきが、遠くで聞こえた。
まぶたを開くと、そこには強い碧眼があった。
「止まるな、動け、動け動け、だよな、東郷おじさん。止まってちゃ、何にもならない!」
胸ポケットから取り出した、防水性のメモ帳。そこには二枚の写真が挟まれていた。
青年は、強い碧眼でそれを見つめ、ふと柔らかな色を宿した。
一枚はイヴァンと、両親、それから弟ボリスとの集合写真。
もう一枚は、東郷夫妻と、小さい三笠、そして入院中のパジャマ姿の少女が、やはりイヴァンと一緒に写っていた。
ふと、イヴァン写真から目を離した。
ポケットから携帯電話を取り出す。震えていた。こんな山の中で電波が通じるのは奇怪というほかない。
予想外の電話の相手は、イヴァンと同じく小学校卒業と同時に軍隊入りした、見習い時代からの友人からだった。
三笠は、長い時間帰ってこなかった。
ペットボトルの水と、カセットコンロ。二つを少しためらいつつも使い、何杯目かの茶を飲みながら、ほたるはだんだん心配になってきた。
雨は降り続いている。
さらに、雷鳴までも、何度目か分からないほどに、この古い小屋をゆらしていた。
携帯を握りしめるが、一向にふるえることはない。
これでもう六度目。
ほたるは三笠に電話をかけた。掛けながら、熱い茶を机に置いて、ふらふらとドアの方へ行き、雨の降り続く外へと出た。
三笠が、電話に出ることはない。
「東郷君、どうしたんだろう」
つぶやく小さな声は、雨音に消えた。
だが、微かに聞こえてきたその音に、ほたるは目を見開いた。この人気のない森のどこかから、電話の着信音が聞こえてきたのだ。
「近くにいるの……?」
ほたるは、傘も差さずに走り出した。
雨の音が響く。あの音はもう聞こえない。
その代わりに、滝の音が、突然現れたように、ほたるの耳に響いた。
「あ……」
滝に目を向けた少女の目に飛び込んできたのは、無造作に脱ぎ捨てられた高校の制服や靴、それから下着類であった。ブレザーの下から見えるネクタイは、緑色。三笠のものだった。
ほたるは、雨に濡れ、泥にまみれるだけの抜け殻の方へと走った。彼女もまた、ずぶ濡れで、足下は泥だらけになっていた。
「東郷君……」
ほたるは泥まみれのブレザーを拾い上げた。ポケットから、国防軍の手帳が落ちた。何度も何度も見たのだろう。ちょうど、家族と、柔道着姿の少年三人が仲良く並んでいる写真の貼ってあるページが、自然と開かれていた。
雷鳴が轟く。
かなり近かった。ほたるは驚いて顔を上げる。
すると、滝の真下。そこに、人影があった。
遥か上から垂直に、キツネの白い尾は、厳しく、冷たく、少年を痛めつける。
そこにいたのは、東郷三笠であった。
「よう、アントン、どうしたんだ?」
イヴァンは疲労を悟られまいと、息を整えつつ、電話の向こうの友人の顔を思い浮かべた。
アントンという友人は、前線で戦闘小隊を率いて戦う下士官である。今もまた、国境付近の紛争地帯に飛ばされているはずで、その身を案じていた。
そう、前線にいるはずの友人だ。無事であることにほっとすると同時に、イヴァンは眉をひそめる。前線からの電話。どういうことだろうか。
少し、嫌な予感がよぎり、山を登る前に見た夢が、素早く脳裏を駆けていく。つまり、イヴァンのチカラが必要となる自体が起きてしまったのではないか、ということだ。
「どうしたもこうしたもねえよ、イヴァン! 金がいるんだったら何で相談してくれなかったんだよ、俺だってミシェイルだって、コーリャだってみんな何でも力になるからさ……」
「は?」
よぎった嫌な予感は、想定外の怒鳴り声に、すっかりかき消されてしまった。
唐突すぎて訳が分からない。一方的にまくしたてる友人に、イヴァンは間抜けた声で聞き返した。
シベル軍軍曹のアントンは熱い性格で、かつ義理堅い男である。自分の出世は同期のイヴァンのおかげだと、弟ボリスの見習士官の仕事など、何かとサポートしていた。
そんなイヴァンら兄弟にとっては恩人で、大切な友人であるが、一直線過ぎるきらいもあった。
「は? じゃねえよ、バカ! ボリスの奴が危険手当の多い仕事にばっかり立候補してやがんだよ、おやじさんか? おやじさんの体調悪いのか? いくら必要なんだ? 俺が何とかしてみせらあ!」
「いや、金なら何とかなってるし……て、ボリスが?」
イヴァンは、全く話についていけなかった。
ボリスの見習士官については、本人たっての希望であったものの、兄は二つ条件をつけていた。一つは学業に支障をきたさないこと、もう一つは、前線に行かないこと。
混乱する彼をよそに、アントンはさらに遠い土地から電話越しに怒鳴りだした。
「何にも知らねえのか、とにかく、ボリスは無理矢理シベルに帰したし、お前も何やってるかは知らねえが、一回様子を見に来い、このままじゃボリス、死ぬぞ」
そう言って、アントンは一方的に電話を切ってしまった。
前線で戦う下士官。その身の危険と生き残り方は、軍医であるイヴァンより彼の方がずっと良く知っている。
そのアントンが、ここまで焦っている。イヴァンはそれの意味する所を、正確に読み取っていた。
「ボリス……」
イヴァンはメモ帳の写真を見つめた。まだ幾分か幼い弟のきれいな瞳。
ふと、昔の、何度も夢に見てきたかつての戦場の様子がよみがえる。冷たくなった下士官のうつろに開かれた濁った瞳。その顔が、突然弟のものに変わり、イヴァンはぬかるんだ地面に膝をついて、師匠から出された茶を吐き出した。
吐き気は収まらない。胃液という胃液を出し尽くし、それでも青年は咳き込んでいた。
——兄さん。
そんな声が、聞こえたように感じた。
幻聴まで聞こえるようになったかと、荒い息の中、青年は無駄と知りながらも辺りを見渡した。
雨の音が響き、吐いたものを流していく。
「兄さん!」
今度ははっきりと聞こえた。
背後に、突然気配を感じる。目にも留まらぬ早さで立ち上がり、イヴァンは後ろを振り返った。
「どうして……」
一迅の風が、深い森の木々をざわめかせる。
そこには、泥だらけの軍服を来た、何よりも大切な弟がいた。
- Re: ゆめたがい物語 ( No.66 )
- 日時: 2014/01/24 21:53
- 名前: 沙由 (ID: gcTkfQD.)
初めまして
なんとなくで読み始めたら本当によくできてて、面白くて一気読みしてしまいました。
キャラひとりひとり立っていますし、少しずつ伏線も回収されてますし到達点も見えてきたしで、これからも楽しみで仕方ないです。
(というかボリス君!? どうしたの。あの子関係なの!? 引きのうまさに絶望←)
更新頑張ってください。応援してます。
あとどうでもいいことなのですが、
本当にこの作品が好きになってしまって
イメージイラスト? みたいなものを描きたいのですがいいでしょうか?(まだ描いてないのですが)
紫さんは多分自分の中の各キャラへの確固たるイメージとはだいぶ違ったものを見るのが嫌だったり、いきなりこのようなことを言割れたことに大して不安が強かったりと、思うところがあるなら断っていただいても構いませんので……。というか、私本当に怪しいですね。ただ、見た瞬間どうしようもないほど何か描きたくなってしまったのです。
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