複雑・ファジー小説

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イストリアサーガ-暁の叙事詩-
日時: 2019/03/30 20:38
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode=view&no=1191

あらすじ
 互いに信ずる神を違えたがために十世の時を聖戦という名の殺戮で数多の血を流してきた、
 西の「イース連合同盟」、東の「トゥリア帝国」。
 その果てしない戦乱は続き、
 混乱、殺戮、憎悪、破壊が、人々の心を蝕んでゆくであった。
 この歴史の必然は、一人の少女と一人の青年を生み出す。

 二人の若者が後にこの聖戦の終止符を打ち、大陸に暁の光を照らすことを
 大陸の人々はまだ知る由もないことであろう・・・。



はじめまして、燐音リンネと申します。
当小説は「ベルウィックサーガ」というゲームから強く影響を受けた作風となっております。
物語の舞台は「中世ファンタジー」で、二つの国の正義がぶつかり合う聖戦が題材です。
普通に架空の生き物(グリフォンやドラゴンなどの怪物)が存在し、
架空の種族(竜人、亜人など)も存在します。
基本的に男尊女卑が強めになっていますので、万人受けするものではございませんが、
頑張って執筆していこうと思っております。
作者の知識不足もございますが、どうぞ温かくご覧ください。

感想などや作者への意見などはURLのスレにてどうぞ






参考資料

登場人物 >>5>>67
専門用語 >>4


目次

第一節 盟約の戦場

断章 聖戦の叙事詩    >>1
序章 戦いの序曲     >>2-3
第一章 まっすぐな瞳で  >>6-8
第二章 旅立ちの街    >>9-12
第三章 こころ燃やして  >>13-19
第四章 脅威       >>20-26
第五章 死闘       >>27-35
第六章 誰が為に     >>36-37
第七章 その胸に安息を  >>38-42
第八章 戦雲       >>43-54
第九章 開かれた扉    >>55-58
第十章 押し寄せる波   >>59-62
第十一章 覚悟      >>63-66


第二節 黄昏の竜騎士

幕間 幼竜        >>68
第一章 戦う理由     >>69-73
第二章 野心と強欲    >>74-80
第三章 始動       >>81-84
第四章 燃えたつ戦火   >>85-92
第五章 追憶       >>93-98


第三節 暁の叙事詩

第一章 この道の向こうに >>99-102
第二章 風吹きて     >>103-111
第三章 邂逅       >>112-123
第四章 死の運命     >>124-130
第五章 風の乙女     >>133-134
第六章 騎士の誇り    >>135-144
第七章 雨上がり     >>145-146
第八章 廻り往く時間   >>147-149

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.44 )
日時: 2019/02/11 15:31
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 王妹アムルが予言した通り、イース同盟諸国とトゥリア帝国との戦いは急激な動きを見せ始めた。
 デザイト公国がイース同盟から離反したとの報せがイースの王宮にもたらされたのである。同時に国境警備隊からはデザイト公国軍が国境を侵し、ディーネ公国に侵攻を開始したとの報告が入る。
 これを受け、イース宮殿は緊急事態に突入したことを知った。
 エリエル公国の宿舎にも宮殿からの使者が訪れ、シャラも慌てて身支度を整えると登城するのだった。

「エリエル公国シャラザード。まかり越しました!」

 シャラが謁見の間に入ると、ちょうどいつもの面々の半分くらいが既にいつもの自分の立ち位置に控えていた。
 シャラも自分に与えられた場所に立つと、既に他の者が来るのを待っていたアルフレドに視線だけで小さく会釈をした。

「まだ揃わんのか!」

 そこへ王のローブを揺らしながらモルドレッドが現れる。当然だが今日はいつもよりも機嫌が悪そうである。

「は、なにぶん急な招集故、皆準備に手間取っているようです」

 ルーカン、グリフレットは既に王のわきに付き従っている。どうやらモルドレッドの部屋の前にまで出迎えに行ったようだ。
 それでも半時間後には全員が揃っていた。

「皆もすでに大体の事は耳にしていると思うが、デザイト公国が反乱を起こした」

 アルフレドが告げると謁見の間に大きなため息が漏れる。
 デザイト公国は、イース王国を除けばイース同盟に加わる国々の中で最も潤沢な戦力を有している。
 そんな国が総力を以て攻めて来れば、ディーネ公国はおろかエリエル公国も陥落し、やがてイース王国のみとなりかなり厳しい状況に陥る可能性がある。現在はそのような危機的状況なのだ。

「早急に対策を立てねばなりません! ディーネ公国もエリエル公国もいまだ抵抗を続けてはおりますが、救援も補給もない状況で抵抗を続けたところでその効果は知れております。あと何日猶予があるかはわかりませんが、帝国軍の軍勢は確実にこのイースに近づいております!」
「ええい、そんな報せなど聞きたくもないわ!」

 モルドレッドは王座の肘掛けを乱暴に叩きつける。何人かがその音に驚き慌てて居住まいを正した。
 ここ数日、エリエル公国、ディーネ公国の砦が陥落したという知らせが次々ともたらされている。帝国軍は確実にイース王国へと近づいているのだ。イース王国とディーネ公国との国境は大きな河によって占められている。この河は深く、流れも速いので、渡る方法は一つしかない。「グランパス砦」にかかる「グランパス大橋」を渡るという方法だけである。
 幸い、その河のおかげで大軍が一気にイース王国になだれ込んでくる事はないが、それでもこの河を突破されればもはやイース同盟にモルドレッドを守り抜く術は残されていない。
 そんな時期にデザイト反乱の報せである。

「アルフレド! 貴様の息子は何をしている!」
「は!」

 アルフレドは設問され、すぐに答える事はできなかった。アルフレドの息子でディーネ軍を任されているリデルフは、大使としてデザイトに向かっていた。何故なら、リデルフはデザイト公国の公子「イスラフィル・コーラン・デザイト」と親交がある。そのツテを使ってデザイトに態度を改め同盟に協力するように促すつもりだった。
 それが、逆にデザイトの反乱という報告がもたらされた。幸いというべきなのか、リデルフはデザイトに捕われずに済んでいる。これでリデルフが人質に取られでもすれば、ディーネはさらに窮地に追い込まれていたところだ。

「リデルフはデザイト公国を脱出し、現在デザイトを迎え撃つべく戦力を立て直しております。ただデザイト公国軍の初動には対応できず、マビノギオン砦まで後退し、ここでデザイト公国軍を食い止めております」

 国境を越え侵攻してきたデザイト公国軍は一万。対するディーネ軍は五千。これでは撃退をするどころか足止めも叶わない。リデルフはそう判断して、素早く国境から後退し今はここブリタニアの街から一日と離れていないマビノギオン砦に籠城し、どうにか持ちこたえている。

「陛下、これは好機にございます。敵はリデルフに誘われるがままにイース奥深く踏み込んでまいりました。一見すると危機のようでございますが、ただ一直線に進んできただけの敵軍など、こちらから援軍を送りリデルフの軍と挟み撃ちにしてしまえばひとたまりもありません!」

 力説するアルフレドの弁に、今回ばかりはモルドレッドも興味を示した。

「ほう、ではこのブリタニアから余直属のイース軍を率いて出陣し、デザイト軍を蹴散らしてやるとするか」
「は、そうしていただけますれば、大陸中に陛下の勇名は轟き渡ることでしょう!」

 アルフレドの言葉にモルドレッドは気分を良くしたようだった。
 シャラは胸をなで下ろす。またモルドレッドが「気に入らん」の一言で、或いは何かに理由をつけてリデルフを見捨てるかと思ったからだ。
 だが、

「陛下、お待ちを!」

 その言葉を遮ったのはまたしてもルーカンであった。
 アルフレドは驚いてルーカンを凝視する。

「どうしたルーカン?」
「恐れながら」

 ルーカンは神妙な顔で頭を垂れ、発言を続けた。

「援軍を出す事。しばらくお待ちいただけないでしょうか?」
「なに? 援軍を送るなと?」

 シャラは我が耳を疑った。敵軍はこのブリタニアの街からすぐ北にあるマビノギオン砦まで来ているのだ。今、これを阻まずに、どうやってこのブリタニアを、イース王国を守るというのだろう。
 流石のモルドレッドも自分の身近に敵軍が迫っている今、ルーカンの提案には疑問を持ったのだろう。いぶかしげな表情を浮かべている。

「しかしマビノギオンで敵を防がねば、このブリタニアが戦場になってしまうではないか」

 するとルーカンはより卑屈に頭を下げかしこまる。

「そうです。結果としてそうなりましょう。しかし陛下に置かれましては、真の英断がどちらであるか、おわかりいただかなければなりません」

 モルドレッドはますます困惑を深めた。

「デザイト軍の戦力は約一万。これであればまだこのブリタニアにある戦力で返り討ちにできましょう」
「そうだ、だが今マビノギオンに出撃し、アルフレドの言う通りリデルフと協力すればより簡単にデザイト軍を撃退できるのではないか?」
「確かにその通りです。ですが……」

 そう言い、ちらりとアルフレドに目をやる。

「なんだ。そのような煮え切らぬ態度はやめよ。余が許す。発言いたせ!」
「ははぁ。ではお言葉に甘えまして」

 そういってルーカンはアルフレドを指し示す。

「臣が疑問に思いますのは、なぜリデルフ公子はマビノギオンまで撤退されたのかという事です。確かにデザイトから脱出され、すぐにデザイト軍と戦うよりはある程度後退して態勢を整えてから戦った方が賢いでしょう。ですがそれがマビノギオン砦となると明らかに後退のし過ぎ。臣はそこが不振なのです」
「それはデザイトと我が国が長年に渡って非常に良好な関係を続けてきたせい。両国の間には目ぼしい砦が存在しないのだ。そんな事は、地図をご覧いただければ一目瞭然のはず」

 即座に弁明するアルフレド。日頃の言動を見ているだけに、ルーカンの言葉には神経質になっているようだ。だがルーカンは少しも動じない。

「陛下がもし出陣されたと仮定します。マビノギオン砦にたどり着き、そこで倒すべき敵がデザイト軍だけでなければどうか?」
「伏兵が潜んでいると?」

 モルドレッドの目が細まる。ルーカンの話に興味を持った証拠だ。

「は。陛下の軍を、デザイト軍と戦っているはずのリデルフ公子の軍が裏切りともに迎え撃ちまする」

 アルフレドは絶句している。ルーカンの長広舌はなお調子を上げ続いた。

「そしてこのブリタニアからはアルフレド殿の軍が出撃。これも陛下をお助けする事はなく、マビノギオン砦にいる二軍と共に陛下の軍を挟撃いたしまする!」
「なんと……」

 モルドレッドは驚いて目を見開いた。
 それを聞いたシャラは呆れていいやら頭を抱えてしまいたくなった。だが、自身は発言を許されていないため、黙っているしかなかった。

「三つの軍の数は、数万にのぼりましょう。それではいかに陛下と精鋭揃いのイース軍であろうとひとたまりもございますまい」

 アルフレドはその言葉を横で聞きながら拳を握りしめていた。それもそうだろう、面と向かって「あなたが陛下を裏切るから」と言われたのだ。

「貴様! 私が陛下を陥れるというのかっ!」

 その怒声も当然の物だった。

「いやいや、臣が言いたいのは世の中何が起こるかもわかりません。陛下におかれましては慎重の上にも慎重を期していただきたいという事でございます」

 ルーカンは少しも狼狽えず、平然と進言する。モルドレッドはその言葉を聞き、しばらく考えてから口を開いた。

「言葉が過ぎるぞ、ルーカン」

 アルフレドは安堵してモルドレッドを見やる。またルーカンの口車に乗せられ、モルドレッドが判断を誤るかと思ったのだろう。

「だが、確かに何が起こるかわからんな。アルフレド、余の出撃は取りやめだ」
「陛下!」

 アルフレドの悲鳴のような抗議はモルドレッドの一瞥によって退けられた。

「くくく、アルフレド公。息子可愛さにわがままを仰っては困りますなぁ」

 グリフレットは嘲笑を浮かべる。怒りでアルフレドの頬に朱が差した。だが押し黙る。これ以上言葉を重ねれば重ねるほど、グリフレッドの言葉を肯定しているようなものだ。

「よかろう。確かにマビノギオンで敵を阻めば我々にとって大きな意味を持つ」

 モルドレッドは出陣せず、しかし援軍だけは認めるという結果だろうか。シャラがそう思っていると、モルドレッドはニヤリと笑みシャラの方を見た。

「ならば小娘を貸してやろう」
「は?」

 アルフレドは驚いて振り返る。

「昨今、活躍しているようではないか。どうだ。リデルフを助けに行ってみないか?」

 シャラは笑顔で頷いた。

「その任務。エリエル騎士団がお引き受けいたします!」
「公女……」

 言い淀むアルフレド。モルドレッドは面白くなさそうに、まるで犬猫を追い払うように手を振った。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.45 )
日時: 2019/02/11 21:18
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 「ねえねえ、マビノギオン砦に敵が迫ってるって話、知ってる?」

 傭兵ギルドにて立ち話をしている傭兵たちのそんな話をしているのを、フードで頭を隠した少年が耳にする。
 彼がこの傭兵ギルドにやってきたのは随分と前になる。得意の魔法と短剣を扱い、ちまちまと依頼をこなしてきたのである。しかし、彼自身は自分の名を名乗らないため、人々には「働きがいいが名前がわからない傭兵」として少し評判であった。
 彼はその話をしている男女の傭兵に近づき、笑顔で尋ねる。

「あのすみません。その話、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?」
「お、見ない顔……顔見えないな。まあいいや」

 男の傭兵が先ほどの話を詳しく彼に教えた。
 なんでもイース同盟は今危機的状況らしく、帝国軍がイース王国内のマビノギオン砦まで迫っているのだという。現在はマビノギオン砦にてリデルフ公子が食い止めてはいるが、いずれはそれも持ちこたえられないだろう……そういう話であった。
 彼は顎に手をやって小声で「兄さん……」とつぶやく。

「どうかしたか?」
「あ、いえ……でもひどい話ですね。ソール王国は見捨てられ、それが結果的に大きな損害となって。しかもデザイト公国が裏切ってこちらに攻めて来るだなんて」

 彼は思った事を口にした。傍から見れば自業自得という言葉がよく似合うが、傭兵達も肩をすくめて彼に同意する。

「まったくだよ。噂によると、ディーネもそのうち裏切るんじゃないかって聞いたがね」
「王は一体何を考えてるのかしら」

 彼らも元はイース王国の民の一人である。そう考えるのも無理はない。彼も依頼をこなすうちにそういう話は幾度とも聞いてきた。あらぬ噂、真実に基づく噂……色々な噂が飛び交い、誰の耳にも届くのだ。
 それらの噂を聞いて彼はイース王に対しよく思わなかった。一月ほど前のソール王国陥落から、聞けば救援に出したのはたった百騎かそこそこらしい。信じられないが、ソール王国から敗走した元騎士がそう言っていた。
 しかし、そんな中、その救援に出たという「エリエル騎士団」に興味があった。
 なんでも、エリエルの公女は十七という齢で厳しい環境に乗り込んで三百とはいえ、助けを求める人間に手を差し伸べたのだ。彼女たちの噂は傭兵ギルドでも飛び交って評判もいい。だから彼は、彼女たちについてもっと知りたがっていた。

「そういえば噂によるとまたエリエル騎士団が出陣するんだってね。ユミルがふんぞり返って言ってたわよ」
「あの公女様には同情するなぁ」
「ほんとにね」

 傭兵達はエリエルの公女に対し同情の声を上げる。
 だが彼は違った。彼女と彼女に付き従う騎士達に対し、尊敬の意があった。

「僕は、エリエルの公女様はすごい方だと思います。誰も手を差し伸べなかったソールの王国兵達に唯一、彼女たちだけが手を差し伸べていたんですから」

 彼はそう呟いた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.46 )
日時: 2019/02/15 08:19
名前: 燐音 (ID: mnvJJNll)

 デザイトの離反が伝えられてから三日。シャラは麾下の騎士団を引き連れマビノギオン砦に到着していた。

「公女、よく来てくれた」

 砦に着くと、シャラは会議室に通された。石造りの部屋に絨毯や十人掛けの大きな机が置かれただけの簡素な部屋だ。広さと造りの豪華さでは流石にブリタニアの王宮にある会議室などとは比べ物にならない。
 窓は小さく、時間の関係でそこからはほとんど陽の光が入っておらず、室内は薄暗かった。
 笑顔で出迎えてくれたリデルフだが、部屋の薄暗さのせいばかりでなく憔悴の色が濃かった。
 もちろん荒野を何日も旅してきたような、薄汚れた格好をしているわけではない。イース同盟諸国でも有数の大国、ディーネの公子にふさわしい装いをしている。ただ頬は痩け、目にはうっすらと隈が浮いていたのだ。

「リデルフ様、お食事や休息はしっかりとお取りになっているのですか?」

 リデルフは首を横に振った。

「いや、元々この砦は余分な兵を受け入れるようにはできていないのだよ。食料の備蓄も足りない。まだ兵達が飢えなければならないほどではないが、しかし籠城が続けばいずれはその問題が出てくるだろう」

 もちろんリデルフ一人が絶食したところでどれほど変わるわけではない。だがすぐに食料がなくなると思うと食事が喉を通らないのだろう。

「十分ではありませんが、食料や薬品など補給物資は運び入れております。リデルフ様、少しお休みください」

 すまぬ、と言いながらリデルフは深々と息を吐き出した。

「……シャラ公女、我が軍の状況は見ただろう? デザイト軍の第一波はどうにか防いだ。敵にしてみればほんの前哨戦だ。だが我々は大きな損害を被ってしまった」

 シャラも王宮にてその報告は受けていた。しかしあまりに犠牲を避けることに拘泥したあまり、帰って大きな損害を出してしまったのだ。アルフレドはリデルフに五千の兵を預けていたが、それがマビノギオン砦に逃げ込んだ時点では半分以下の二千にまで減じていた。
 出陣するシャラに、アルフレドは沈鬱な面持ちで漏らしていた。「リデルフには一軍の将としての才覚がないのかもしれぬ」と。
 シャラにもリデルフの気持ちは痛いほどよくわかる。バラカ砂漠でシャラも同じ状況にあった。エリエル騎士団が全滅しなかったのは運がよかったからである。敵が追撃部隊としての任務を果たしてしまっており、エリエル騎士団との戦いは彼らにとってただの余録であった事、そしてセレスという予想外の戦力の介入。
 もし敵がエリエル騎士団を迎撃するために出陣したものであったら、セレスが現れなかったら、シャラは今のリデルフと同じ顔をしていたのかもしれない。

「シャラ公女、現在の状況を説明しておこう——」
「失礼します」

 リデルフが現状の説明をしようと会議室の奥の壁に掛けられている地図の前まで歩み寄ろうとした時、誰かが会議室へ入って来た。
 白いローブで顔を隠した少年……?銀色の髪がのぞく、魔道士のような人物がドアの前に立っていた。

「公子、指示の通り……あ、お客様ですか」
「構わない、「エクラ」。この方は「シャラザード」殿。エリエル公国の公女だよ」

 リデルフはエクラと呼ばれた少年にシャラを紹介する。エクラはそれを聞いて、軽く会釈する。

「はじめまして、私は「エクレール=アルカンシエル」。お気軽に「エクレール」と……いえ、「エクラ」とお呼びください」
「はじめまして、エクラ殿。見たところフィアンナ……我が騎士団に所属する精霊のような雰囲気と言いますか、そんな感じがしますね」

 シャラはエクラと握手を交わす。それを聞いてエクラは「ははは」と笑う。

「初めて会った方に私を精霊と見抜かれたのはあなたで二人目ですよ。貴方は"精霊の加護のある人"なのですね」

 エクラの言葉にどういう顔をすればいいのかシャラは戸惑うが、リデルフが咳払いをする。

「そろそろ本題を」
「あ、っと……そうですね」

 シャラは慌てて居住まいを正す。
 リデルフは地図の前に立った。日に焼け、色あせた羊皮紙にはこの大陸の地図が描かれており、マビノギオン砦の位置に印がつけられている。

「現在、デザイト軍は一旦後退して態勢を立て直している」

 南西に小さな山があり、小さな山があり、その向こう側の、こちらからは見えない場所で補給を受けているというのだ。

「本国から物資を受けているようだ」
「それはこの砦を落とすための補給ではなく……?」
「そうだ、王都を落とすための補給だ。今の場所に補給部隊を一時待機させたまま、再びこの砦の攻略を再開するだろう。砦を落とすと同時に補給部隊とともに一気に王都を目指す算段だ。攻撃再開はそう遠くない」

 今日、明日にも……と、完全に言葉にするのははばかられ口の中だけで呟いた。

「恐らく、砦を落とした後で補給を受けるとイース王国内の警戒が強まるため、だと考えられます」

 エクラが補足して説明する。それにリデルフも頷いた。
 だがシャラは一つの疑問を感じていた。

「しかし、それではまるでマビノギオン砦に大した援軍が来ないことを見越しているようではありませんか?」

 リデルフはそれに頷く。

「我が国とデザイトとは人員の交流もあった。疑いたくはないが、間諜がまぎれている可能性は皆無ではない」

 敵軍の数は、エリエル騎士団を加えても数倍にのぼる。唯一の救いはここが堅牢な砦であると言う事のみだ。

「敵を撃退する方法は……」

 リデルフは沈んだ顔で首を横に振る。それを見かね、エクラが代わりに口を開いた。

「我々にできるのは、少しでもこの砦が落ちるのを先に延ばす事だけ……です」

 シャラは無言で拳を強く握りしめ、歯を食いしばる。
 モルドレッドさえ出陣していれば、あるいは王都に駐屯している同盟軍を動かしてくれたなら、デザイト軍は充分に撃退できただろう。敵の指揮官が無能でなければ、自軍の損害を考え撤退する可能性すらある。
 シャラは黙り、リデルフもエクラも黙り込んだ。
 会議室に居心地の悪い沈黙が満ちる。

「だが、我々にはもうこれ以上の後退は許されない。残る選択肢はたった一つ……」

 それはつまり、ここで砦と運命を共にすると言う事だ。シャラは何も言えない。リデルフの置かれた立場を考えれば、安易な慰めの言葉はかけられなかった。

「ただ、エクラ……君達精霊は戦争に関与する必要などない。この砦が落ちる時は、君一人だけでも逃げるんだ」
「……まあ、私もこんなとこで死にたくはないですし」

 エクラは素っ気なくリデルフに返すが、その顔は曇っていた。できれば彼を助けたいのだろう。

「我々は街の守りを固めます。リデルフ公子も仰った通り、この砦にはこれ以上兵が入る余裕はありません。それに我が騎士団は速度を以って戦うを得意とする騎馬兵団。拠点防御には向きませんので」
「うむ。砦は我が軍勢で持ちこたえられる。シャラ公女、すまぬがよろしく頼む。望みは限りなく薄いが、それでもいつ状況が変わるかはわからない」
「ええ、アルフレド公が陛下を説得されるかもしれない。あるいは陛下もここが落とされる危険にお気づきになり援軍を差し伸べられるかもしれない。諦めてはなりません。最後の一瞬まで、決して!」

 リデルフが力強く頷くのを見て、シャラは会議室を辞した。

「……諦めてはなりません、ねえ……」

 エクラは無表情でシャラの言葉を繰り返した。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.47 )
日時: 2019/02/26 17:16
名前: 燐音 (ID: YzjHwQYu)

 ディーネ公国は、デザイト公国とイース王国に挟まれたイース同盟諸国では、イースに次ぐ軍事力を誇る大国である。イース、デザイト、エリエルの中心に位置し、国家防衛のためというよりは人と物の流通を管理するための砦が多く建てられている。
 マビノギオン砦はグランパス大橋から北西に位置する要衝にある。ここを抑えておけば、ディーネとイースの行き来が把握できるという場所だ。
 砦はちょうどグレム山の北の裾野に乗る形で建てられていた。一段高い場所に建てられた砦からは東側と南側に平原が見渡せた。北へのぼればグレム山脈を越え、デザイト公国へと抜ける道が現れる。
 恐らくデザイト公国軍が補給を受けているのはここだろう。
 マビノギオンの街は開放的な造りになっており、王都のように城壁で囲まれてはいなかった。
 道もほとんど舗装されておらず、家屋の数はそれなりに多かったが、その建てられ方は不規則で大きな街で見られるような区画が整理されているわけではなかった。そのため大きな道には不規則に小道が繋がっており、小道は突然袋小路になっている場合もあった。

「エドワード、街の様子はどうでしょう?」

 シャラは最初から砦の籠城戦に加わるつもりはなかった。そのため、リデルフに面会しに行く間も騎士団は砦の外に控えさせ、エドワードに周辺の状況を調べさせていたのだ。

「は、住民の避難は進んでおります。ですが現状で約半数がまだ残っている状況です」
「は、半分も!?」

 驚いて声が裏返ってしまうが、「いや」と首を振って冷静になる。

「住民もまさかディーネ軍がこちらまで後退するとは思わなかったのでしょうね……」

 砦とはいえ、防衛上の拠点ではない。皆ここが戦場になるとは思っておらず、避難の準備もしていなかったのだろう。

「そうです。親類縁者がある者はともかく、頼る者がいなければなかなか自分の家を捨てて避難はできないでしょう」

 この街を出ても、戦乱は避けられたとしても夜露を凌ぐ場所も糧を得る方法もなければ野垂れ死だけ。残らざるを得ないだろう。

「シャラ様」

 交代で休憩を取っていたセレスが、エドワードの後ろから現れる。まだ緊張している様子がうかがえたが、うまくエリエル騎士団になじんでいるようだ。さっきも休憩中にヒルダやハティと話しているのを見かけた。
 偶然とはいえ、エリエル騎士団は大きな戦力を手に入れた事になるだろう。

「私は空から偵察してまいります」
「よろしくお願いします。ですが気を付けてください。我々の軍には貴女を援護できるものがいないのですから」
「はい、お気遣いありがとうございます」

 少し離れた場所に飛竜を降ろしていたため、セレスは軽く一礼をし勇ましく駆け去る。

「では住民の先導は引き続きハティとスコルの隊に任せます」
「ええ、あとアスランの隊もそちらに回してください。デザイト軍の攻撃再開にそれほど余裕はありません。できる限り市民を避難させてください。手空きの兵達には今のうちに休ませてあげてください」

 セレスを見送りながら、シャラはエドワードに指示を出した。

「では、私は兵の配置を計画しておきます」
「そうですね。暗くなるまでに計画書をお願いします。私も目を通しておきたいので」
「は、かしこまりました」

 エドワードは一礼をし、きびすを返す。
 ちょうどその時に、竜に跨ったセレスの凛々しい姿が、家々の屋根を飛び越え大空へと羽ばたくのが見えた。

「公女」

 何気なくセレスの姿を目で追っていたシャラは、突然後ろから声をかけられ、驚いて振り返った。

「あ、ああ……ナハト、それにフィアンナ」

 朱色の髪と狼の耳が特徴的なナハトと、仮面で顔を隠すフィアンナがそこには立っていた。
 彼らも騎士団の一員であり、ナハトは以前出会ったユミルと同じく大剣を扱う剣士で、フィアンナは蒼炎を操る強力な力を持つ精霊だ。
 騎士団に所属しているとはいえ、彼らもまた目的があるようで普段は宿舎にはおらず傭兵ギルドにいるが、今回は彼らから同行を申し出てくれたのだ。
 ナハトは口数が少なく、フィアンナも自身の事をあまり話してはくれないが、時が来ればきっと話してくれるだろうとシャラは思う。

「何を見ていた?」

 ナハトは不愛想だがシャラに対し少しだけ心を開いてくれている……ような気がする。

「いえ、セレスが飛び立つ姿を。……竜騎士というのは、空を飛ぶというのは気持ちよさそうだなと思いまして」

 戦時中であるにも拘らず我ながら呑気だなと思いながらもシャラは素直に答えた。
 ナハトはそれに対し、フッと笑う。

「そうだな、俺は竜騎士じゃないからわからんが、空を飛ぶというのはさぞかし……」

 ナハトは言い淀む。

「どうしましたか?」
「いや、妹も竜騎士になりたいと言っていたなと、思い出してな」

 ナハトは寂しそうな表情を見せた。

「ナハト、よろしければあなたの妹殿についてお教えいただけないでしょうか?」
「……何故だ?」
「貴方の事を、私はまだ知らないので。それに私にも妹がいますから」

 強引だが、シャラはナハトに詰め寄る。
 彼は騎士団なのにその素性を全く知らないのだ。だから上に立つ者として知っておかねばならない。

「……あまり面白くない話だがな」

 ナハトはそう切り出すと、過去に何があったのかを語り始めた。

 ナハトの話はこうだ。
 「ナハト・アマネセル」とその妹「ディア・アマネセル」はかつてはライラ王国の小さな村で暮らしていた。二人は仲が良く、戦争が始まるまで共に暮らしていたという。
 だがその村にトゥリア帝国軍が現れ、ディアを捕らえた。
 ディアだけでなく、その村のディアぐらいの若い娘は次々に捕らえられ、村の中心に磔にされる。
 ナハトはディアや若い娘達を助けるために剣を握りしめ必死に抵抗したが取り押さえられた。

「そして、奴らは俺の目の前で娘達を……ディアを、焼き殺したんだ」

 その後はフィアンナに助けられるまで監獄島に収監されていたという。
 ナハトの話を聞いていたフィアンナは唇をかみしめ拳を握りしめていたが、シャラとナハトはそれに気づかなかった。

「妹の仇は必ず討つ……それが地の底から這い上がった俺にできることだ」

 ナハトは静かに口にするが、瞳は憎悪で染まっている。彼が騎士団にいるのは、帝国軍を一人残らず殺すためだろうと、予測する。

「それだけじゃない、ディアの親友である精霊に会って、一言謝りたい」

 ナハトは憎しみに染まった瞳から一変して、悲愴な面持ちになる。
 なんでも、ディアには親友である精霊がいて、その精霊に会って妹を守れなかったことを謝罪したいのだという。
 シャラは、ナハトの目的はむしろこちらだろうと考える。

「大体わかりました、ナハト。私も妹殿の親友を探す手伝いをさせてください」
「……公女、これは俺の問題だ」
「いいえ、それくらいはさせてください。貴方の話を聞かせてもらった者の義務です」

 シャラはナハトの両手を取り、握る。ナハトは狼の耳を畳み、そっぽを向いて「あ、ありがとう」と小声でつぶやいたのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.48 )
日時: 2019/02/13 00:45
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 昼間の間は街の北側から非難する市民たちの姿が認められたが、流石に夕刻になるとそれも姿を消す。
 残った人々は息をひそめて家の中に閉じこもっていた。
 デザイト軍が攻めてくるのは恐ろしい。しかし街を、家を捨てて逃げ出すのも恐ろしかった。だから固く扉を閉ざして閉じこもるしかないのだ。
 そんな中、物音に気が付いて窓から外を見た何人かは、街の入り口を守護していた警備隊が逃げ出すのを見ていた。
 ディーネの部隊ではなく、マビノギオン砦に駐屯している部隊のようである。なぜそれが分かったかというと、マビノギオン砦の部隊は基本的に鉄板を重ねて作った鎧を身に着けている、重歩兵がほとんどだった。ディーネの部隊は軽歩兵や騎兵で構成されている。窓の外を通って行ったのは、重歩兵の一団だったのだ。

「ああ、俺達は見捨てられちまった……」

 その光景を見た誰もがそう思った。

 シャラがデザイト軍への準備を終え、遅い夕食を取っていると、スコルが飛び込んできた。ちなみにエリエル騎士団の面々は、リデルフに許可を得て、街の宿屋を接収して使わせてもらっていた。

「シャ、シャラ様……あ、すみません、食事中でしたか……!」
「スコル、急用がある時もドアはノックするように言っているだろう」

 エドワードは慌てて飛び込んできたスコルの不調法を窘める。しかしシャラはナプキンで口を拭い、食器をテーブルに置いてからエドワードを制した。

「いえ、それよりも急を要する報告ですか?」
「は、いえ、お食事のところ……失礼しました……」

 スコルはぜえぜえと息を切らしている様子だ。それほどまでに火急の用事なのだろう。
 そこにハティも現れ、弟の様子にはあっとため息をつく。

「シャラ様、神殿に市民たちが集まっているのです」

 息を切らして報告のできない弟の代わりに、冷静なハティが口を開く。

「神殿? それが何か問題でも?」

 1か所に集まっているというなら、守りやすくなるはずである。

「神殿のある場所が問題なのです。街の北側、厄介な事に北のはずれ……敵が攻めて来れば真っ先に戦場になる場所にあるのです」
「そ、それ……それ……」

 ハティの言葉にスコルも指をさして同意する。相変わらず息を切らして目をぎゅっとつむっている。

「なんだと、あの北のはずれにある古びた神殿か!?」

 エドワードも街の中を見回った時に問題の神殿を見たらしい。そこはシャラ達の計画では完全に戦場になる場所だった。
 シャラはこのデザイトとの戦いに際して、街の全てを守る事は最初からあきらめていた。市民たちには積極的に避難を進め、残らざるを得ない者に関してもせめて街の南側に移動するように勧告を出していた。空き家はいくらでもある。緊急処置として数日それらを間借りしてもらうのだ。
 そうしておいて街の中に敵を誘い込む。すると建物や壁、街路樹などが障害物となる。例えば長い槍を振り回せないような小道に入れば、敵兵が五人一組でやって来たとしても五人全員が一気に戦えるわけではない。こちらにしてみれば五対一ではなく、一対一が五回連続するという状況に持ち込める。もちろん一人で五人相手をしなければならない不利が覆るわけではない。ただ戦いやすくなるのは確かだ。

「むぅ……、戦場の真っただ中になるな」

 エドワードのため息に、シャラはひとまずナプキンを置いて食事を終えた。

 シャラは市民達を説得するために町はずれにある神殿へと赴いた。驚いた事に神殿に集まったのは一人や二人ではなく、数十人の単位である。明らかに一つの家族ではなかった。
 既にイース教の神官は退避しているらしく、神殿を占拠した彼らは神殿にあった椅子や机や書架を窓の内側に立てかけ防御壁代わりにしている。
 デザイトはイース教を信奉する国だ。トゥリア帝国ならともかく、相手がデザイト軍であるなら、いきなり焼き討ちにされる可能性は低いかもしれない。
 しかし、やはりシャラは街の南側に避難してもらいたかった。

「どなたか、この神殿の責任者を呼んでいただきたい! 私は、エリエル公国騎士団のシャラと申す者です!」

 閂がかけられているのだろう、分厚い樹の扉は開けようとしても微動だにしない。シャラは仕方なく声を張り上げ中にいるという市民に呼びかけた。
 扉には手のひらほどの大きさの小さな開き戸がつけられていた。大きな扉を一々開ける訳にはいかず、普段はそれで誰が訪れたかを見るのだろう。しばらく待たされ、覗き窓が小さく開いた。
 血走った目が、奥からシャラを睨みつける。
 目の周りしか見えないため年齢はよくわからないが、かなりの高齢であるように見えた。

「わしらの事は放っておいてくれればいい」

 言いたいことだけを一方的に言うと、覗き窓をぴしゃりと閉める。取り付く島もないとは、まさにこの事だった。

「そんな事を言わず、私の話を聞いてください。ここは戦場になります! 危険なんです!」

 再び窓が開いた。

「どうせあんたら貴族は、自分の事しか考えてないんだろう? わしらの事はわしらでする。だから構ってくれるな!」
「自分の事しか考えない?」
「そうじゃ、この街の警備隊とっとと逃げてしまったではないか!」

 確かにその報告はシャラも耳にしていた。
 エリエル騎士団や、同じディーネ軍でもリデルフが指揮を執る部隊とは違い、このような地方駐屯の部隊は規律が乱れている場合が多い。

「ですが、だからといって、ここは——」
「うるさい! あんたらはどうせわしらを見捨てるんじゃ! だったらわしらは女神さまにおすがりするんじゃ!」

 そう言い捨てると男は乱暴に覗き窓を閉め、そのまま二度と呼び掛けには応えなかった。
 シャラに市民たちを見捨てるつもりなどなかった。だが、彼らを見捨てないのであれば、この街にデザイト軍をおびき寄せる方法は使えない。街の外に出て、真正面から戦う事になればエリエル騎士団の不利は明らかだった。

「アムル様は市民のために戦ってくれと仰った……だけど……」

 シャラもそれは正しいと思った。だが、このままいけば部下たちを危険に晒さなければならない。いや、ただの危険で済めばいい。
 シャラの脳裏に浮かんだのはバラカ砂漠での戦いだった。ボロボロになりながら落ち延びて来たソール王国の兵達の姿だ。
 それに自分の部隊の者達の顔が重なる。
 部下たちがあんな状況に陥る事は恐ろしかった。エドワードが、ヒルダが、アスランが、ハティとスコルが、そしてイグニスが……ナハトやフィアンナ、セレスやルァシー、ラクシュミやリオンが、他の騎士や兵達がもしあんな状況になったら……
 考えるだけで身体に力が入らなくなる。シャラは自身の身体を両腕で支えるように抱いた。
 改めて自分に圧し掛かっているものの重みに気づく。エリエル公爵家と共に、公爵家に仕える家臣、宮廷魔術師、騎士、一兵卒、全ての運命がこの一瞬一瞬の決断で左右されるのだ。
 シャラは呼吸が乱れ、胸を押さえつける。その様子を見かねたエドワードがシャラの肩に大きな手を置き、シャラを落ち着かせるように軽く叩いた。

「シャラ様、どうなさいますか? 今のままの作戦では、この地域は完全に見捨てるしかありません……」
「……ひとまず、宿に戻りましょう。皆さんの意見も聞きたい。それに、何か状況が変わっているかもしれません」

 望み薄ではある、それはシャラ自身が分かっていた。だが、今のシャラには結論を先送りする事しかできなかったのだ。

「エドワード……」
「は、何でしょう」

 シャラは表情に影を落として「すみません」と一言聞こえない程度につぶやく。エドワードは聞こえない振りをし、無言でシャラの肩を叩いた。


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