複雑・ファジー小説

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イストリアサーガ-暁の叙事詩-
日時: 2019/03/30 20:38
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode=view&no=1191

あらすじ
 互いに信ずる神を違えたがために十世の時を聖戦という名の殺戮で数多の血を流してきた、
 西の「イース連合同盟」、東の「トゥリア帝国」。
 その果てしない戦乱は続き、
 混乱、殺戮、憎悪、破壊が、人々の心を蝕んでゆくであった。
 この歴史の必然は、一人の少女と一人の青年を生み出す。

 二人の若者が後にこの聖戦の終止符を打ち、大陸に暁の光を照らすことを
 大陸の人々はまだ知る由もないことであろう・・・。



はじめまして、燐音リンネと申します。
当小説は「ベルウィックサーガ」というゲームから強く影響を受けた作風となっております。
物語の舞台は「中世ファンタジー」で、二つの国の正義がぶつかり合う聖戦が題材です。
普通に架空の生き物(グリフォンやドラゴンなどの怪物)が存在し、
架空の種族(竜人、亜人など)も存在します。
基本的に男尊女卑が強めになっていますので、万人受けするものではございませんが、
頑張って執筆していこうと思っております。
作者の知識不足もございますが、どうぞ温かくご覧ください。

感想などや作者への意見などはURLのスレにてどうぞ






参考資料

登場人物 >>5>>67
専門用語 >>4


目次

第一節 盟約の戦場

断章 聖戦の叙事詩    >>1
序章 戦いの序曲     >>2-3
第一章 まっすぐな瞳で  >>6-8
第二章 旅立ちの街    >>9-12
第三章 こころ燃やして  >>13-19
第四章 脅威       >>20-26
第五章 死闘       >>27-35
第六章 誰が為に     >>36-37
第七章 その胸に安息を  >>38-42
第八章 戦雲       >>43-54
第九章 開かれた扉    >>55-58
第十章 押し寄せる波   >>59-62
第十一章 覚悟      >>63-66


第二節 黄昏の竜騎士

幕間 幼竜        >>68
第一章 戦う理由     >>69-73
第二章 野心と強欲    >>74-80
第三章 始動       >>81-84
第四章 燃えたつ戦火   >>85-92
第五章 追憶       >>93-98


第三節 暁の叙事詩

第一章 この道の向こうに >>99-102
第二章 風吹きて     >>103-111
第三章 邂逅       >>112-123
第四章 死の運命     >>124-130
第五章 風の乙女     >>133-134
第六章 騎士の誇り    >>135-144
第七章 雨上がり     >>145-146
第八章 廻り往く時間   >>147-149

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.129 )
日時: 2019/03/22 00:25
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 想像していた以上に、暗鬱の森での戦いは困難を極めた。予想外の場所から出没する敵のため部隊は分断され、気が付けばシャラは孤立してしまっていたのだ。
 娘たちはただ一人、ルァシーを残して全員無事に救出した。救いといえば、それが唯一の救いだろう。

「くっ」

 また死角から現れた傭兵の重い一撃をどうにか受け止める。
 シャラが見上げる程のその男は、白い髪……いや、銀髪だろうか。右頬に傷がある。それから察するにかなりの手練れと見受ける。
 シャラは既にいくつくかの傷を負っていた。命にかかわる重い物はない。ただ左腕は上がらなくなっていた。額から流れ落ちる汗が目に入り、視界も極端に狭まっている。

「つああああああっ!」

 傭兵を切り倒す。いつの間にか視界が開け森から抜け出していた。いや、森の中にぽっかり空いた木々の空白地帯だ。何人かの人の姿が見える。
 敵か。
 身構えるシャラの視線が一人の少女を捉えていた。

「ルァシー!」

 そう、それは唯一見つかってなかった「ルァシー・チーリャオ」である。

「遅いわよ! 待ちくたびれてたわよ!」

 ルァシーは表情がぱぁっと明るくなり、声も希望に満ちていた。

「ふふふ、イースの騎士のお出ましか。ようやく巫女の所に辿りつけたのは見事と言ってやろう。しかしそのナリでは助け出す事は出来まいよ」

 トゥリア神官が手に手に暗黒魔法の魔導球を構え、ルァシーの周囲を取り巻いている。
 いや、そんな事よりと、シャラは我が耳を疑っていた。

「巫女? ルァシーが?」

 確かに祭壇の柱に括りつけられているルァシーの扱いは、他の娘達とは全く違う。他の娘達に、トゥリア神官は付き添っていなかった。
 それもここは、おそらくこここそが、イストリア人の祭壇であるとしか思えない。

「貴女は巫女だったのですか?」
「違うつってんでしょ、あなたまで何言ってんのよ!」

 シャラの問いにぶんぶんと首を振るルァシー。ただ、彼女は精霊の力が使える。恐らくそれで巫女と勘違いされたのだろうと、シャラは思った。
 そこへ、3つの影がその場へ転がり込む。
 ナハトとフィアンナ、そして今回同行を希望してきたリデルフの副官を務めている「エクラ」だ。

「ぺっ、ここは……公女!」

 ナハトは口に入った葉を吐き出し、シャラに気が付く。

「どうやら間に合ったようですね」
「ふう、突然明るい場所に出ると目がチカチカしますね」

 フィアンナはまだ儀式が始まっていない様子に安堵し、エクラは眩しそうに瞬きしていた。

「ルァシーを返してもらいます。彼女は大切な仲間なのですから」

 シャラは怒りの表情を浮かべている。トゥリア教のやる事が許せなかったからだ。
 ナハトもフィアンナもエクラも武器を構える。
 ルァシーはその姿を見るだけでも嬉しかった。何もできない自分のために、ここまで命を張ってくれるその心と思いが……それだけで十分だった。

「くくく、愚かな事だ」

 アラストルの合図と共に、ルァシーを取り囲むトゥリア神官たちが一斉に魔法を唱え始めた。
 シャラもナハトもフィアンナもエクラも、全身に傷を負っている。痛みで身体が満足に動かない様子ではあるが、彼らはなんとか自身を奮い立たせ、身体を突き動かしていた。
 トゥリア神官の一人が暗黒魔法を放った。

「薙ぎ払え葬送の鎌!」

 シャラ達の周囲に禍々しい闇が形を成していく。
 これは死神だ。死の門の向こう側よりきたる忌まわしき神。手にした巨大な鎌を振り上げ、四人の首を一網打尽にしようと狙っていた。
 だがフィアンナが咄嗟に手を仰いで蒼炎の壁を作ってそれを防ぐ。振り下ろされた死の色に輝く鎌は、炎により速度が落ち、四人ともそれを避ける。
 しかし間髪入れずに次の神官が、それも三人同時に魔法の言葉を唱えた。
 見上げる程の赤い鱗を持つ大蛇が、悍ましいほどの素早さで四人の身体にまとわりつき、毒の顎で喰らいつく。

「みんなっ!」

 衣服がズタズタに切り裂かれ、傷口からは血が噴き出す。
 だが、エクラは素早く魔法を唱え始めた。

「今此処に来たれ! 蒼天を駆ける彩雷よ!」

 突如空から閃光が走り、雷が落ちる。だが、疲労が溜まっているのか一撃を放つだけで息切れをしてしまう。だが、彼のおかげで三人の神官を倒す事ができた。

「くくく、まだまだだ。神聖な儀式に土足で踏み込んだ報い、その体に刻みつけてやろう」

 アラストルはニヤリと口元を歪ませた。

「グラオザーム、こやつらの首を斬りおとせ」

 アラストルがそう叫ぶと、奥から何かが歩み寄ってきた。
 シャラはその人物の姿を認識した途端、つばを飲み込む。そして漂う腐臭。ナハトも驚いて歯を食いしばり、エクラはその悍ましい姿に口元を抑えた。
 その姿は長い黒髪、死人のように白い肌……いや、そこまではいい。顔の左側だけ酷く爛れており、眼球が露出しており不気味に紅く発光している。辛うじて妙齢の女性であると判断できるが、精気のない視線はまさに死人が鎧を着て剣を持っている……まるで異世界から召喚した「屍人」そのものだ。
 ゆっくりと歩み寄ってくるそれに、四人は警戒を強める。

「こ、殺す……全員……」

 グラオザームは口を開く。不気味なほどゆっくりと、そして剣を引き摺りながらこちらにくる。
 しかし、その瞬間彼女の姿は消えた。
 いや、消えたのではない。シャラの目の前に瞬間移動したかと錯覚するぐらいに速く斬り込んできたのだ。咄嗟に対応し、剣を受け止めるシャラ。
 ナハトは大剣を振り上げて、グラオザームを叩き切ろうと振り上げるが、やはり姿を消す。空を斬ってナハトの大剣は地面に振り下ろされた。

「ナハト!」

 フィアンナはそう叫びながら、グラオザームの二撃目を予測し、蒼炎を放つ。だが、それすらも読まれているのか、グラオザームはフィアンナの首を狙い、剣を振り上げた。
 フィアンナはそれを蒼炎を放ちながらやり過ごして避ける。
 シャラはグラオザームに向かって走り、剣を振り上げグラオザームはそれを読んでその剣を受け止める。ナハトはシャラとは逆方向から攻める。だが、グラオザームは左手でナハトの剣を受け止め、動きを止めた。

「なっ!?」

 そして、グラオザームは両手から魔法を放つ。シャラとナハトは爆発を受けて吹き飛ばされ、木に叩きつけられて落ち、地上にうつ伏せに倒れ込んだ。シャラとナハトは立ち上がろうと腕で震える身体を支える。だがすぐに力尽き、倒れてしまう。

「まずは、一人……」

 グラオザームは剣を振り、ナハトの方へと歩み寄る。それはもう狩りを楽しんでいる猛獣が、とどめを刺すために獲物にゆっくりと近づくように、ゆっくり。ただゆっくりと。

「ナハトっ……!」

 シャラは立ち上がれずにナハトの名前を呼ぶ。エクラも立ち上がろうとするが、疲労困憊で魔法を放ったためか、立つこともできない。
 ナハトは覚悟を決めた。そして、アラストルを睨む。
 奴は、故郷で娘達を、妹を殺した仇だった。だが、もう妹の敵を討つことはできない。妹に、ディアに申し訳ないと思いながら、ナハトは瞳を閉じる。

「すまない……」

 ナハトはそう一言だけこぼし、グラオザームは剣を振り下ろした。



「ナハト!」

 しかし、それを阻んだのはフィアンナであった。
 フィアンナはナハトの身代わりとなり、グラオザームに肩から腹にかけて斬られ、その拍子に仮面が割れる。そして地面に倒れ、体から血を流した。
 ナハトは驚いてその顔を凝視する。

「ディ、ア……!?」

 その顔は、まさしくナハトの妹であるディアだった。
 フィアンナは倒れたままグラオザームに向かって渾身の力を込め、蒼い爆炎を放った。それは、生命の灯火ともいえる爆発であった。
 その爆発で周囲は一瞬肌が焼ける程熱くなり、グラオザームはその爆発を受けて倒れ、動かなくなった。蒼炎に焼かれ、彼女は黒く焼き焦げていたのだ。
 ナハトは力を振り絞ってフィアンナを抱き起こす。

「ディア、なぜお前が……」

 エクラも傷ついた身体を起こし、フィアンナに近づき顔を覗き込む。
 彼は気が付いた、その顔は焼き殺された親友であるディアのものだった。

「ディア……、君は……」

 フィアンナはナハトとエクラを見ると、微笑む。

「無事でよかった」

 フィアンナはそれだけ言うと、ナハトの頬に手を触れた。温かった。

「さよなら、エクラ、兄さん……」

 フィアンナは一言それだけをこぼし、瞳を閉じた。
 その瞬間、フィアンナの身体は青い炎に包まれ、燃え尽きるように消えてしまった。何も残っていない。……何も残らなかった。

 シャラはそれを目の当たりにして、数瞬の沈黙の後、声にならない程の絶叫を上げた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.130 )
日時: 2019/03/22 20:08
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 シャラが絶叫を上げた瞬間、温かい光がナハトとエクラを包んだ。
 二人は驚いて周りを見る。ルァシーもシャラの様子に目を見開き、シャラを凝視する。
 ナハトとエクラ、そしてシャラの傷がいつの間にか全快していたのだ。
 よく見れば暗い森が明るくなっており、シャラの周囲は赤光で充たされていた。

「公女様……?」

 ルァシーは口にする。シャラも混乱している様子だった。自身の周りを見回している。
 それはトゥリア神官達も同じであった。シャラを見て、恐れおののいている。

「な、何故だ!?」

 アラストル含むトゥリア神官は魔導球を持った手をわなわなと凝視する。

「何故暗黒魔法が使えぬのだ!?」

 そしてアラストルは気が付く。シャラの正体に……。

「貴様、まさか——」
「よくわからんが、形勢逆転のようだな」

 一瞬で癒されたナハトは大剣をかついでアラストルに近づく。その瞳には復讐の炎が宿っていた。

「おのれぇ、ならば精霊魔法で焼き殺してくれよう!」

 炎の精霊魔法の魔導球を取り出したアラストルに、ナハトは回復した体を駆ってアラストルとの間合いを詰めた。大剣が閃き、そして魔導球ごとアラストルの命は砕け散る。
 ひゅん、と鋼の刃を閃かせ、ナハトはアラストルの死体を見下ろす。

「妹の、ディアの仇は討たせてもらった」

 そしてその様子を見届けたエクラは、他のトゥリア神官達に厳かに宣言した。

「恭順には平穏を、反乱には死を! 今、ここに態度を示せ。貴君らが生と死のどちらを選ぶのかを」

 その場にいたトゥリア神官の全ては、彼らに降伏したのである。



 ルァシーを無事に救出した。しかし、フィアンナという一人の仲間を失った。
 それどころか、自分の中で何かが目覚めたようなのだが、シャラにはよくわからず混乱していた。
 この力は一体、何なのだろうか……。
 フィアンナの死を目の当たりにして、とても悲しくて胸が張り裂けそうだったところに、確かに声が聞こえた。「貴女に力を与えましょう」という優しい声が。
 
 無事に王都に帰還した後、ナハトとエクラはフィアンナの墓を、街のはずれにある岬にたてた。ただ土をかぶせ、墓石を立てただけの簡素なものだが……
 確かに彼女は生きていた証として意味はあった。
 墓石の下には、彼女が唯一遺した割れた仮面を置いていた。

 そして墓石には「勇敢なる炎の精霊フィアンナ、この海に眠る」と刻まれていた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.132 )
日時: 2019/03/23 07:00
名前: 燐音 (ID: UEhR5RB1)

第五章 風の乙女

 イース王国西部、ケートス公爵が治める領地があった。
 その領地周辺には深い森と、高い山々と、切り立った谷に囲まれ、イース王国の中でも自然豊かな場所で、人の手をほとんどつけていない土地だった。
 ケートス伯爵の領地は自然に囲まれていて、マジョリタも度々訪れていたと侍女は言う。
 彼の領地には大きな一つの街があり、ケートス市という名の強固な城壁で囲んだ城塞都市である。
 エリエル、ディーネから生き残った人々がこの城塞都市へと逃げ込んでいた。
 人はただ暮らすだけでも様々な物資を消費する。この街が有能な兵士や騎士だけならばともかく、一般市民をも受け入れてくれたのは驚くべき事だと言っていい。
 確かにこれまでは北に存在するエリエルやディーネ、東に位置する王都や砦などのおかげで戦わずに済んできた。だがこの街に逃げ込んでいる他国の人間は、元から暮らしているこの街の住人の倍にものぼる。
 ケートス市民の生活を圧迫するのは確実だった。しばらくの間はそれぞれが持ち寄った物資だけでどうにかなるだろう。しかし早晩、物資は尽き、特に食料は下手をすれば住民と奪い合いになりかねない。
 今はまだ不足している物がないというのに、モロッコの街には強い閉塞感が満ちていた。
 ケートス市に逃げ込んでから数日が経ち、そんな状況に息苦しさを感じ始めたエオスは砦を抜け出した。
 逃げ出したわけではない。気分を変えようと散策したかっただけだ。第一、この街のほかに行く場所はない。
 もし、この街にまで帝国軍が押し寄せてきたら、それは遠くない未来の現実ではあったけれど、おそらく誰も街を守り抜くことはできないだろう。
 ケートス伯爵にはこの街に逃げ込んだ時に謁見したが、温和なだけでアイオロスやソスランが見せる力強さは欠片もなかった。いや、だからこそゆくゆくは奴隷になる難民すらあっさりと受け入れたのだろうか。
 森の清涼感を胸いっぱいに吸い込み、胸の中にこびりつく嫌な思いを拭い去ろうとする。
 こんな時、アイトロスなら、シェラなら、一体どのように民を導いたのだろう。
 現在、エリルト公国、あるいは公爵家の家督はシャラにある。もちろん正式に爵位を次いだわけではないが。
 本来ならシャラに指示を仰ぎ、エオスはその代行として民を導かなければならないのだがシャラとの連絡は、随分前に送った手紙を最後に途絶えたままだ。
 アイオロスのように自ら戦場を駆ける力も、シャラのように兵達を動かす信頼も、何もない。それとも、ここまで無事に避難できただけでも奇跡的といわなければならないのだろうか。
 気が付けば、いつの間にかエオスは砦の傍を離れ、浮遊都市を歩いていた。
 深い森だ。
 木々に覆われ、辺りを見ても田中家がどこにあるのかわからなかった。それほど遠くに来ているはずがない。正反対に振り返り、少し歩けばすぐに砦の城壁が見えてくるはずだ。たとえ空がほとんど見えない程の鬱葱とした森であったとしても。
 風が吹いて、すぐ傍の茂みが揺れた。
 ただの風だ。それはわかっていたのに体が勝手に驚いて数歩後ずさった。
 後ずさった足が、茂みの中に踏み入れ、そしてそこは唐突に急な豆腐になっていた。

「きゃあっ!」

 頭の後ろの所に、何かで衝撃が走り、エオスは意識を失った。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.133 )
日時: 2019/03/23 20:45
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

第五章 風の乙女

 イース王国西部、ケートス伯爵が治める領地があった。
 その領地周辺には深い森と、高い山々と、切り立った谷に囲まれ、イース王国の中でも自然豊かな場所で、人の手をほとんどつけていない土地だった。
 ケートス伯爵の領地は自然に囲まれていて、マジョリタも度々訪れていたと侍女は言う。
 彼の領地には大きな一つの街があり、ケートス市という名の強固な城壁で囲んだ城塞都市である。
 エリエル、ディーネから生き残った人々がこの城塞都市へと逃げ込んでいた。
 人はただ暮らすだけでも様々な物資を消費する。この街が有能な兵士や騎士だけならばともかく、一般市民をも受け入れてくれたのは驚くべき事だと言っていい。
 確かにこれまでは北に存在するエリエルやディーネ、東に位置する王都や砦などのおかげで戦わずに済んできた。だがこの街に逃げ込んでいる他国の人間は、元から暮らしているこの街の住人の倍にものぼる。
 ケートス市民の生活を圧迫するのは確実だった。しばらくの間はそれぞれが持ち寄った物資だけでどうにかなるだろう。しかし早晩、物資は尽き、特に食料は下手をすれば住民と奪い合いになりかねない。
 今はまだ不足している物がないというのに、ケートスの街には強い閉塞感が満ちていた。
 ケートス市に逃げ込んでから数日が経ち、そんな状況に息苦しさを感じ始めたエオスは砦を抜け出した。
 逃げ出したわけではない。気分を変えようと散策したかっただけだ。第一、この街のほかに行く場所はない。
 もし、この街にまで帝国軍が押し寄せてきたら、それは遠くない未来の現実ではあったけれど、おそらく誰も街を守り抜くことはできないだろう。
 ケートス伯爵にはこの街に逃げ込んだ時に謁見したが、温和なだけでアイオロスやソスランが見せる力強さは欠片もなかった。いや、だからこそゆくゆくは害になる難民すらあっさりと受け入れたのだろうか。
 森の清涼感を胸いっぱいに吸い込み、胸の中にこびりつく嫌な思いを拭い去ろうとする。
 こんな時、アイオロスなら、シャラなら、一体どのように民を導いたのだろう。
 現在、エリエル公国、あるいは公爵家の家督はシャラにある。もちろん正式に爵位を次いだわけではないが。
 本来ならシャラに指示を仰ぎ、エオスはその代行として民を導かなければならないのだがシャラとの連絡は、随分前に送った手紙を最後に途絶えたままだ。
 アイオロスのように自ら戦場を駆ける力も、シャラのように兵達を動かす信頼も、何もない。それとも、ここまで無事に避難できただけでも奇跡的といわなければならないのだろうか。
 気が付けば、いつの間にかエオスは砦の傍を離れ、森の中を歩いていた。
 深い森だ。
 木々に覆われ、辺りを見ても砦がどこにあるのかわからなかった。それほど遠くに来ているはずがない。正反対に振り返り、少し歩けばすぐに砦の城壁が見えてくるはずだ。たとえ空がほとんど見えない程の鬱葱とした森であったとしても。
 風が吹いて、すぐ傍の茂みが揺れた。
 ただの風だ。それはわかっていたのに体が勝手に驚いて数歩後ずさった。
 後ずさった足が、茂みの中に踏み入れ、そしてそこは唐突に急な坂になっていた。

「きゃあっ!」

 頭の後ろの所に、何かで衝撃が走り、エオスは意識を失った。



 どれほど意識を失っていたのだろう。エオスは草の上にあおむけに寝転がっていた。どうやら先ほどの所から一段低くなった場所のようで、近くに小さな泉があった。
 折り重なるように広がった木々の隙間から見えているのは、既に藍色の空である。

「いけない、もう戻らないと……」

 しかし今度こそ方角が全く分からなかった。
 最悪の場合、貴族の子女としてはしたないことこの上ないが、木の上に登って砦を見つけるしかないだろう。

「シャラお姉さまのように上手く登れればいいのだけれど……」

 身体を起こそうとした途端に走る、激しい足の痛みに悲鳴が上がる。

「くぅっ」

 滲む涙を拭って痛みの元を見ると、左の脛のあたりが紫色に痛々しく腫れあがっている。とても立ち上がれる状態ではなかった。ただの捻挫ではないかもしれない。
 このままでは日が暮れるまでに砦に帰れない。
 心配させてしまうだろうか。いや、心配させるどころではないかもしれない。このあたりに凶暴な獣が出没するとは聞いていないが、それでも狼ぐらいは出るだろう。
 自分が生きながら襲われるところを想像して、その悍ましさに身震いを覚えた。
 ふわりと冷たい空気が頬を撫でた。
 エオスは反射的に泉の方を見る。
 いつの間にか、泉の向こう側に誰かが立っていた。女性だ。
 艶やかに波打った銀色の髪。澄んだ泉の水のように静かな眼差し。肌は艶めかしいまでに白く、唇蜂のように赤い。
 氷晶を模った冠をかむり、服は純白のドレス、そして銀色のベールに包まれた……シャラと共に読んだ本にあった「女神」を思わせる物。
 それはこの世の存在とは思えなかった。

「はじめまして、風の子エオス」

 目の前の女性の口は声に合わせて確かに動いている。だというのに、声がそこから聞こえたとは思えず、まるで森のあちらこちらから生きとし生けるもの全ての口を借りて囁かれているようだった。

「風の子……?」

 エオスは呟くように繰り返す。

「そう、あなたは風の聖王国「テンペスト王国」王家の正統な後継者」
「私が?」

 自分がエリエル公爵家の人間でないことは知っていた。その出自がテンペスト王国のどこかである事も。

「あなたは立ち上がらなければなりません。「風の乙女」として」

 風の乙女。それはこの大陸に古くから伝わる伝承の中に現れる存在だ。
 イースとトゥリアがまだイストリア帝国という名前で大陸を支配していた頃、五人の大精霊がいると信じられており、人々は大精霊から魔法を扱うための力を賜っていた。
 大精霊は光、闇、炎、雷、風の五属性であり、それぞれ「レム」「アスタロト」「フラム」「ソール」「テンペスト」という名で、それぞれの大精霊を信仰する王国はその時から既に存在していた。
 しかし、イストリア帝国はやが光の大精霊レムを「イース」とし、闇の大精霊アスタロトを「トゥリア」として崇拝する二つの宗教が生まれた。そしてその教団を礎とする二つの国は、どちらも古代イストリア人から技術を盗み、イース教は癒しや守護を主とする神聖魔法を手にし、トゥリア教は破壊を主とする暗黒魔法を手に入れた。
 当初、そのせめぎ合いは一方的にトゥリア帝国の優位に動いていた。攻撃手段として用いる事の出来る暗黒魔法に、神聖魔法のみでは抗い切れなかったのだ。
 いつ、どこに、なぜそのような少女が現れたのか、伝承に記されておらず誰も知らない。だが、大精霊が力尽き倒れていく自らの信徒を憐れみ地上に遣わした聖女であると言われている。
 五人の聖女はそれぞれ光、闇、炎、雷、風の聖玉を持ち、悪しき者の前に立ちはだかり無力な民を救っていった。
 光と闇の乙女は今では「巫女」と呼ばれ、絶対的力を崇められている。だが、巫女は現在行方知れずであるらしい。

「私が、風の乙女?」

 銀髪の女性は静かに頷き一歩踏み出した、泉の上を。だが泉の水は、そのまとい物はおろか、素足の足すら濡らす事ができなかった。浮いて歩いているのだ。

「あ、あなたは風の大精霊テンペスト!?」

 痛む足も忘れ、エオスは起き上がる。
 これは本当に現実なのだろうか、それとも夢?

「これを……」

 そういって彼女が差しだしたのは、一つの珠。複雑な輝きを発する水晶球。

「これはあなたのためのもの、人はこれを「風の聖玉」と呼びます」
「これが、聖玉?」
「そうです。そして聖玉に触れればあなたはじぶんの使命を思い出す。決して平坦な道ではないでしょう。あなたには選択する権利がある。ここで誰かがこの戦争を終結させると信じて待つか、それとも困難を承知の上でこの聖玉を手にし、民衆のために戦うか」

 迷うまでもなかった。こうしている今も、シャラは苦しい戦いを続けているのだ。この上、自分までシャラのお荷物になる事など我慢できなかった。そのための手段がないのであればまだしも、今、目の前には世界を変えるためにもたらされた力が差し出されているのだ。

「私、やります!」

 そういってエオスは目の前にあった聖玉を手に取る。
 その瞬間、まるで雨水が岩の割れ目に染み込むように激しい力の奔流がエオスの身体に染み込んできた。
 あまりに激しい衝撃に、思わずエオスは悲鳴を上げる。だが苦痛はなかった。驚いただけだ。その一瞬で自分の体の中が全て変革されたように、次の瞬間から何の疑問も抱かなかった。

「これは、私からの餞別です」

 銀髪の女性はそういって一本の美しい弓を取り出した。

「これは「風翼弓フリューゲル」。この弓と聖玉が、きっとあなたを守ってくれるでしょう」
「でも、わたしにはどうすればこの戦いにうち勝つ事ができるのか、わかりません」

 もっと、この窮地を覆すような素晴らしい知識が与えられるのではないのかと、そんな希望があった。
 さっきまで敵が立ちはだかっても戦う事すらできなかった。今は戦う事ができる。簡単に言ってしまえばそれだけの違い。けれど、それでケートス砦の人々すべてを救う事は出来ない。

「大丈夫。焦る事はありません。あなたにはすぐに道を示してくれる人が現れます。その人の言葉に耳を傾け、人々を導きなさい。それがあなたの使命です」
「は、はい、わかりました!」

 銀髪の女性がエオスの額に手をかざす。すると、途端に抗い切れない睡魔がこみ上げ、エオスは深い眠りに落ちた。

「風はあなたの力となりましょう、武運を祈ります。風の乙女エオス」

 遠ざかる意識の中、そのような声が聞こえたような聞こえなかったような……エオスは瞳を閉じる。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.134 )
日時: 2019/03/23 23:36
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 エオスが次に目覚めた時、その時には既に木々の隙間から見える空が白みを始めていた。

「夢……?」

 慌てて左足を見るが、そこは最初からそうだったように、傷一つ負っていなかった。

「ううん、夢じゃないわ」

 何故なら、エオスのすぐそばに大精霊から賜った聖玉と、一本の弓が横たわっていたからだ。


 エオスがケートス砦への道を見つけたのはそれからしばらく経っての事である。予想通り、明るくなればすぐ近くにその道は見つかった。
 砦に避難する時にも使った街道である。
 森に抜け出した時、ちょうどそこを通りかかる馬車が一台あった。

「エオス?」

 なぜか馬車の荷台から、強い驚きの声で自分を呼ぶ者がいた。
 エオスの前を行き過ぎた馬車が止まる。その荷台から、一人の青年が慌てた様子で飛び出した。
 赤い髪。今は少しばかり驚いてはいるが、涼やかな眼差し。意志が強そうな口元、どれをとっても人違いではありえなかった。

「ソスランおじさま!」

 そう呼ぶと、ソスランは「まだ私は34だがな」と苦笑しながら、しかししっかりと頷いた。

「すまない、随分長い間留守にしてしまって」
「おじさま、無事でよかった。でも、国王陛下に捕まったとお聞きしたのに……」

 気が緩んだせいだろうか、涙が溢れてソスランの顔が滲んでしまう。

「ああ、イストリア島に流刑されていた。……シャラに助けられたんだ」
「お姉さまに!?」
「ああ、そうだ。エオス自慢のシャラお姉様にさ」

 にっこりと笑う。

「それより、どうしたんだこんな所で?」

 ソスランの馬車が目指していた方向を見れば、もうケートス砦はすぐ近くに迫っていた。

「あの、おじさま! いろいろお話したいことがあるんです」

 あの女性……大精霊が言っていた、エオスに道を示す人物とはきっとソスランに違いない。

「いえ、お話しなければならないことがあるんです」

 ソスランに全てを打ち明けよう。きっと彼ならこの状況を打破できるに違いない。

「わたし……」

 エオスは全てを打ち明けた。
 自分が風の乙女に選ばれた事。滅んだテンペスト王家の最後の生き残りが自分であった事。目の前に大精霊が現れた事。「風の聖玉」と「風翼弓フリューゲル」を授かった事。今までは守られるだけだったが、これからは自分も戦う決意を固めた事。けれど、戦うための方法を一つも知らない事。
 全てを聞いた後、ソスランは怖いぐらい真剣な顔をした後、優しくエオスの頭を撫でてくれた。

「よく決意したな。……私は、表に出る事は出来ない。エオスは自分が戦うと言っていたが、お前自身が手を汚す必要はない。私の言う事をよく聞いて、その通りに動けばいい。そうすればきっと、道は開かれる」

 エオスは安堵しながら頷く。



 こうして、東部戦線に新たな同盟軍が誕生する事となる。エオスはこの日より「風の乙女」を名乗り、人々の先頭に立った。
 そして風の乙女を旗印とする同盟軍は、自らを「大精霊の軍」と名乗る事となる。
 しかし人々はまだ、希望の種がまかれた事を知らない。
 そして不安に包まれながら、眠りについているのだ。


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