複雑・ファジー小説

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失墜  【完結】
日時: 2021/08/31 01:24
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: bOxz4n6K)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19157

歪んだ恋愛小説です。苦手な方はご遠慮ください。


>>1 あれそれ

☆この作品の二次創作をやってもらっています。
「慟哭」マツリカ様著 URL先にて
「しつついアンソロ」雑談板にて掲載中 

キャラクター設定集 >>80-81
あとがき >>87


>>99
>>100

Re: 失墜 ( No.30 )
日時: 2016/10/16 23:59
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)

7 ノスタルジックJ-pop
 ロング・ホームルームの時間。私の席は、窓側の後ろから三番目。最近の体育の授業はずっとマラソンで、グラウンドをだるそうに周回している後輩たちの姿が見える。
 黒板の前に立っている、柏野くんと八巻くんは、「一人一回は必ず手挙げろよ、全員強制参加な」と、大きな声で呼びかけている。教室が賑やかなのは、これから始まる球技大会のメンバー決めのせいだった。黒板に大きく書かれた球技大会の文字に、今年もこの季節が来たのかという気分になる。夏がもうすぐやってくる。

 「今年は何出ようかなあ。柚寿はバレーだよね、やっぱり」

 窓側の壁にもたれかかっている、後ろの席の瑛太は、柏野くんたちに書記を任されたらしい。競技名がずらりと並んでいる大きな紙を見ながら私に言う。
 私は中学生の時バレー部だったから、去年は女子バレーに出場して、総合優勝を果たした。だから今年も紅音たちと一緒に出る約束をしていたし、できれば今年も優勝できたらいいなと思っていた。瑛太の方も、去年の男子テニスダブルスで良い結果を残しているので、負けてはいられない。
 でも、テスト期間とかぶっているのが、私的に痛いところでもある。球技大会の次の週が定期テストって、なんて過酷なスケジュールなんだろうか。ただでさえ毎日きついのに、こんなの殺しに来ているとしか思えないな。今日も家に帰ったら復習とテスト勉強をして、それで一日が終わるから、悲しいくらい自由な時間が無い。
 思わず出そうになるため息を飲み込んで、私は笑う。

 「バレーは今年も出る予定だけど、なんかもう一つくらい出ようかな」
 「いいじゃん、僕は三つ出る予定」

 バレーとバスケとテニスって、もうほとんど全部だよね、と瑛太は笑う。体育の時間で毎回柏野くんと共に活躍している瑛太は、球技大会でも引っ張りだこで、きっと私と同じくらい忙しくなるだろう。薄い茶色の髪を耳にひっかけて、「面倒だなあ」と呟くその口元を見ながら私は、努力しているのは私だけじゃないんだから、と自分に言い聞かせていた。
 生きている以上、最高を追求していくのは当たり前のことだ。球技大会だってテストだって、私は勝ちを奪ってでも取りに行かなくてはいけない。

 「はいはーい、うちらはバレー出ます。ね、柚寿?」

 気が付くと、もうメンバー決めは本格的に始まったようで、廊下側の前から二番目の席に座っている紅音が大きく手を挙げて、私の方を見ていた。

 「おっけ、じゃあアカネと柚寿ちゃん女子バレーね。他に出たい人いる?」

 柏野くんが教室に呼びかけて、その後ろで八巻くんが黒板に綺麗な字で、女子バレーの欄に紅音と私の名前を書く。
 瑛太の友達の、渋谷くんという男子と付き合い始めたらしい紅音は、見違えるほど綺麗になった気がする。アイラインもまっすぐになったし、髪も痛んでいないし、行儀もかなりよくなった。恋をすれば女の子は綺麗になるというのは、本当みたいだ。ここで止まったままの私も、恋をすればもっと綺麗な女の子になれるのかな。そう思いながら、後ろの席の瑛太を見る。私より勉強も運動も出来て、顔も整っていて、お金をたくさん持っている、女の子の理想のような彼氏に釣り合おうとして、必死に頑張っている私は、少しでも綺麗になれているだろうか。なれていたらいいな。

 「あ、はいっ! 私、女子バレー出たい!」

 私たちに続いて手を挙げたのは、紅音の近くの席の瀬戸京乃だった。満面の笑顔で言う彼女に、柏野くんや八巻くんも異論はなかったようで、黒板に名前を書き足していく。
 京乃は中学生の時バトミントン部だったらしいから、運動はできるほうだ。特にこの前も、男女混合バレーで積極的にボールを拾いに行っていたのを見ていた私としては、京乃をメンバー入りさせることは大賛成である。
 あと三人、誰か出たい人ー。柏野くんの声が聞こえる。バレー出てみようかなあと、教室の各地で女子たちが話し始める。でも、和気あいあいとした雰囲気の中で、一人だけ不満そうな顔をしている紅音が、柏野くんと八巻くんの司会を中断させて、こう言った。

 「バレーは本気で勝ちに行くつもりだから。あたしは、去年のメンバーで出たい」

 水を打ったように教室は静かになる。
 去年の優勝メンバーは、紅音、私、優奈、みちる、咲子、美月で、京乃は入っていない。優奈とみちるは私と紅音のグループの友人であり、咲子と美月は元バレー部だ。今年は、咲子と美月は他の種目に出たがっていたので、空いた場所に京乃をメンバーとして入れることに私は賛成なのだけれど、紅音はどうしても気に入らないらしい。

 「……こっわ。球技大会って、そんなガチでやるものじゃないじゃん」

 後ろで瑛太が呟く。「ね、柚寿?」って、へらへら笑いながら私に話を振らないでほしい。紅音と目を合わさないように、かつ関心が無いと思われないように、私は机の一角を見つめていた。黙っていた柏野くんが、諭すように紅音に言う。

 「別にいいだろ、アカネ。俺は瀬戸さん出すの賛成派。上手いし」
 「そうだよ。あくまでもイベントなんだから、楽しくやろうよ」

 後ろで八巻くんも付け加えるように言う。ここまできて、やっと担任の中野が騒動に気付いたらしく、不思議そうに黒板の方を向く。これ以上事を荒立てないために、紅音は黙り込んだけれど、表情からは不平と不満があからさまに滲んでいた。窓際の私は、女子って怖いなって、他人事みたいに思うことしか出来なかった。

Re: 失墜 ( No.31 )
日時: 2016/09/04 02:02
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 「マジでありえない! 柏野も八巻も、あそこまでいう事なくない!?」

 荒い手つきで、ショートケーキにフォークを突き立てる紅音を、私と優奈とみちるでなだめる、午後六時のファミレス。
 私はともかく、優奈とみちるは、完全に紅音には逆らえない。紅音の表情をちらちら伺いつつ、時折私に助けを求めるような視線を向ける二人に、「任せといて」といった意味の笑顔を返した。だけど、誰だって怒っている人間と話すのは嫌だ。様子を見つつ、諭していくことにした。
 女子バレーのメンバーは、私、紅音、優奈、みちる、京乃、梓に決まった。梓は京乃と一番仲のいい女子だから、紅音以外は誰も異論を唱えなかった。男子は未だにバレーとバスケを決めかねているらしくて、放課後瑛太たちは残っていたけれど、水面下でこういう問題が起きるくらいなら、女子も残ればよかった。基本的に紅音は、内輪のグループですべてを決めようとするから、付き合うのも大変で、白いコップに注がれたミルクティーを、口に運ぶ暇すらない。

 「大丈夫だって。私たちなら優勝できるよ」

 確証のない、あまりにも無責任なセリフを吐く。我ながら適当な言葉にも関わらず、慌てて頷く優奈とみちるは、どこからどう見ても、紅音の操り人形である。小さなショートケーキだけを注文して、一口も手を付けないで、紅音の言葉にびくつき、私の言葉に賛同する。二人ともきっと、今にも帰りたいと思っているだろう。
 私も同じだ。今日の数学で解らない問題があったから復習したいし、この前注文した美容サプリも夕方には届く予定だし、久しぶりに瑛太と電話したい。こう思うってことが、たぶん、好きって事なんだろうな。
 話題を変えたら、雰囲気も変わるかと思った。私は優奈とみちるに目配せをして、食いつくであろう彼氏の話をすることにした。

 「……そういえば、渋谷くんとは、最近どうなの?」

 賭けだった。もしうまくいっていなかったら、さらに機嫌を損ねかねない。でも、仮に関係にヒビが入っていたとしたら、瑛太が私に教えてくれるはずだし、何も言っていなかったという事は、特に問題はないのだろう。そう信じたい。心の中でこんな駆け引きをしなきゃ、ろくに話も出来ないなんて、ゴミみたいな友情だなあ、と、私の中のやたらと客観的な私が主張している。
 紅音は、特段機嫌を直したような顔は見せず、「まあ、普通」と言った。
 渋谷くんは、一度だけまともに話したことがあるけれど、明るくて面白い人だ。こんな感じで扱いにくい紅音とも、うまく付き合っているはずだろう。安心してしまった私は、次にこんなことを口走っていた。

 「瑛太も、今度また渋谷くんと遊びたいって言ってて。それで、今度渋谷くんと紅音誘って、ダブルデートしようよって話してたんだけど、どう?」

 完全にでまかせである。瑛太は一昨日渋谷くんとパーティーに行ったばかりだし、テスト前なのにデートなんか、やってられない。場の空気を収めるために、自分がここまで言ってしまうとは思わなかった。
 さっきまで閑古鳥が鳴いていたファミレスも、どんどん混んできた。夕飯の時間のようだった。私も早く帰って、ご飯が食べたい。今日のご飯はハンバーグがいいな。
 紅音は私の提案に興味を持ったらしく、やっと視線をちゃんとこっちに向けて、瞳を輝かせて話し出した。

 「いいじゃん、それ! あたしと、翔と、青山くんと、柚寿とって事でしょ? いつにする?」
 「私はいつでもいいよ、今週末も空いてるし」

 じゃあ、翔と話し合ってみるね。紅音はそう言って笑った。笑えば素直に可愛いのにな、と思った。少し機嫌のよくなった紅音に安心したのか、優奈やみちるも会話に加わりだす。うちも彼氏ほしいな、そう言う優奈の表情からは、確かな安堵が感じられた。
 それからは、なんとかして球技大会の話題を避けた。私にしか話しかけない紅音と、それでも必死な顔でご機嫌を取る二人と、彼女ら両方に気を遣わないといけない私。はっきり言って、今すぐ帰りたい。瑛太が来てくれたりでもしたら、すっと抜けられるのかもしれないけれど、そもそもあの人滅多にファミレスに行かないし、優奈とみちるを放って私が消えるのは、二人にとってあまりにも酷すぎる。
 帰りたい。真剣にそう思いながら、外を眺める。偶然、私の高校の制服を着た男子が、夕暮れの中を歩いているのが見えた。周りを歩くサラリーマンより明らかに小柄で、OLや女子高生よりは身長が高い、彼を私は知っていた。

 「矢桐くんだ」

 いいなあ、自由で。そう思いながら、街を横切っていくクラスメイトの矢桐くんを見ていた。彼は、瑛太や柏野くんみたいに目立つタイプじゃないけれど、なんとなく、存在感があって隅には置けない。いつも静かなくせに、時折すごく不満そうに何もないところを睨んでいたりとか、女の子と話した後はニコニコしていたりとか、見ていて飽きない子だと思う。

 「……矢桐? ああ、あの根暗?」

 カフェオレをかき混ぜながら、紅音は言った。氷がからからと、涼しげな音を立てている。窓ガラスの方に向ける紅音の視線は歪んでいて、せっかく綺麗に引いてあるアイラインも、白く塗った肌も、一緒に歪んで見えた。
 矢桐くんに何の恨みがあるのって、普段の私なら笑顔で聞いただろうけど、今日の紅音は面倒だから、スマホを見るふりをしてごまかした。「わかる、ほんとそれ」と、さっきからそれしか言わない優奈たちが、囃し立てる。

 「そういえばこの前、柚寿があいつに優しくしてあげてたけど、大丈夫? あれからストーカーとかされてない?」

 紅音がおもしろおかしそうに言って、つられるように二人も笑う。
 こういうところがある子なのは、一緒に居るから知っている。柏野くんや瑛太みたいな、クラスでも目立つ方の男子には媚びて、大人しめの人達の事は、徹底的に見下すのが紅音だった。だから、京乃や梓がバレーのメンバーになったことも嫌だったんだろうと思う。

 「されてないよ、全然」
 「まあ、柚寿には青山くんがいるもんね。思うんだけどさ、ああいう根暗って、生きててなんか楽しいのかな? あたしだったら自殺してるかもー」

 あはは、と手を叩いて、優奈とみちるも一緒に笑う。私も笑わなくちゃいけない。バカみたいである。同類だと思われてるかな。私が夢見て努力してつかみ取った高校生活って、こんなのだったのかな。
 急に悲しくなってきて、また外を見ると、当然矢桐くんはもういなかった。これから家に帰って、寝るまで趣味に溺れて過ごすのだろうか。そういう人生の方が幸せなのかもしれない。むしろ、そういうささやかな幸せこそが、人生なのかもしれない。食べたくもないショートケーキのいちごを噛んだ。

 

Re: 失墜 ( No.32 )
日時: 2016/09/06 00:26
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 帰り道を歩く私の足取りは軽く、帰ったら数学をやろう、英語もやろう、と計画を整理しながら夕暮れの中の駅を歩く。勉強は嫌いだけど、結果は出るし、周りは認めてくれるから、やるしかないだろう。オレンジの光の向こうから容赦なくやってくる明日のために、今日の時間を散々投資するのだ。頑張れ私。
 ……と、そろそろ頑張るのにも疲れてきた。今日くらいはサボってもいいかな、実は全部辛いし。いやいや、そんなことしてたらみんなに失望されちゃう。頭の中で私同士が議論を交わす。結局決まったのは、「今日だけはご褒美としてコンビニでポテチを買っても良い」という都合のいい自分ルールだった。さっきのファミレスで頼んだショートケーキはほとんど紅音にあげたし、最近お菓子は全然食べていないし、少しくらい良いだろう。明日からまたダイエット頑張ろう、ふらふらと吸い込まれるようにファミリーマートに入る。
 私たちが暮らすうちに、駅前はどんどん開発されて綺麗になっていくけれど、このファミリーマートは昔からこのままだ。店頭にはいつも自転車がたくさん停まっている。夕方の店内には学生と仕事を終えた人達がいて、バイトの学生は忙しそうに手を動かしている。溶け込むようにその中の一人になって、激辛のポテチを一つ持って、レジに向かった。
 スーツ姿のサラリーマンの後ろに並んでいると、隣のレジからひょいと顔を出した若い男の人が、「お待ちのお客様、こちらどうぞー」と笑顔を浮かべる。その人と、ぱっと目が合う。

 「……柚寿ちゃんじゃん!」
 「渋谷くん、ここでバイトしてたの? しらなかったあ」

 いつもたくさん刺さっているピアスがなくても、感じる雰囲気でなんとなくわかった。私を誘導した店員は、瑛太の友達で、読者モデルの渋谷くんだった。金色の髪に光る銀のメッシュも、グレーの大きな瞳も、白い肌も、着崩していても様になっている制服も、なんとなくその辺の男の子とは違う。たぶん仕事の繋がりなんだろうけれど、瑛太の友達は派手でキラキラした子が多い。

 「俺さ、あと五分で上がりなんだけど、途中まで一緒に帰ろうよ」

 にっこり八重歯を見せて笑う彼に、私もつられて頷いた。せっかくだから、一緒に帰ろう。
 前に私が駅前でしつこいナンパに遭っていた時、彼氏のふりをして助けてくれたのも渋谷くんだった。私の腕を強く引いて、「この子、俺のツレなんで」って大学生の男を睨みつけた渋谷くんは、怖くて身動きも取れなかった私を静かなところまで連れて行ってくれて、なだめてくれた。瑛太には内緒ね、って言いながら私の頭を撫でて、でもそのあとすぐに瑛太に連絡をしてくれたみたいで、すごく助かった覚えがある。けっこう前の事だっただから、渋谷くんはもう忘れているだろう。
 もう少し可愛いものを買えばよかったわ、そう思いながら、ファミリーマートの前でコンビニの袋を持って待っている。もう外は暗くて、ギラギラした光の中を歩く人は思い思いの道を進んでいく。今日は空のグラデーションなんか見ている暇もなかった。当たり前のように明日はくる。心のゆとりが無い生活に、少しでも光が差す瞬間があるとしたら、そのために私は生きていたい。
 お待たせと言いながら、後ろから駆け足でやってくる渋谷くんは、学校の制服を着ていた。
 学ランは新鮮である。私の高校は男女ともにブレザーなので、渋谷くんが着ている制服をまじまじと見てしまう。やっぱり大きく着崩していたけれど、遠い世界の人みたいな彼が、私と同い年の高校生だと感じる、唯一の共通点でもあった。

 「最近どんな感じ?」
 「瑛太と? まあ、うまくやってると思うけど。渋谷くんは? 紅音と付き合ってるんでしょ」
 「もう別れようと思ってる。なんか、あんまり合わなかったっぽい」

 頼むからそれはやめてくれ、と心の中で吐く。あんなに好きだと言っていた渋谷くんに振られたら、紅音の機嫌が底なしに悪くなるに決まってる。私や優奈やみちるの気力がなくなってしまう。
 さっきでまかせのダブルデートを提案したのに、それが全部無くなったら今度は私が責められるかもしれない。「あの二人、長続きはしないだろうな」って瑛太は言っていたけれど、ぜひ長続きしていただかないと、私たちが困るのだ。球技大会が近く、特に団結しなければいけない時なのに、京乃や梓にまで迷惑を掛けたくはない。

 「紅音、渋谷くんのことかなり好きみたいだよ。大事にしてあげなよ」
 「俺はそこまで本気で付き合ってないから。二人の間にこういう温度差があると続かないってのは、わかってきてるし。そろそろ振るよ」

 次は可愛い女の子が良いな、と渋谷くんはけらけら笑っている。渋谷くんと付き合うようになって、見違えるほど紅音は綺麗になったのに。笑って話を合わせる、それすら罪悪感を覚えてしまう。
 そんな私を差し置いて、渋谷くんは話を続ける。

 「そっちはもう一年になるんだよな。俺、一人の女でそこまで持ったことないや。瑛太と柚寿ちゃんは、性格合うんだろうね」
 「意外とそうでもないのよ、ケンカは全然しないけどね」
 「それを合うっていうんだろうよ。いいなー」

 話しているうちに、駅についてしまう。渋谷くんは、次はこのまま飲食店のバイトに行くらしい。忙しくないのかと問うと、「自分で使う金くらい、自分で稼がなきゃな。俺んち貧乏だから、学費もギリギリなんだぜ」と笑って返された。強い人だと思った。職業柄服や美容にかなりお金がかかるらしく、家族はモデル活動を快く思っていないらしい。それでも、一流のモデルになるために毎日頑張っている渋谷くんは、偉い。当たり前だけど、この世は私だけが努力している訳じゃないし、私だけが辛い訳じゃない。紅音だって矢桐くんだって瑛太だって、いろいろと苦労を重ねている。
 そういえば、渋谷くんはこうしてバイトをたくさん掛け持ちして稼いでいるけれど、瑛太のお金の出どころについてはずっと謎のままだ。自分の服や持ち物を好きなだけ買って、私にも沢山物を買ってくれて、デートでは高いお店に連れて行ってくれて、最後はホテルに行ったとしても、瑛太は一度も「お金が無い」とぼやいたことがない。多分、家がすごくお金持ちなんだろう。一度も行ったことはないけれど、豪邸のようなところを想像してしまう。行ってみたいな、家。こんど本気でお願いしてみようか。
 ギラギラの電飾の方へ消えていく渋谷くんに手を振る。こんな時間だ、もうすぐ、何の才能もない私の魔法が解けてしまう。勉強をしないといけないし、パックもしないと、明日もこの肌を保てない。アイフォンに白のイヤホンを繋いで、ありがちなJ-popを再生しながら、家の方へ向かって歩き出した。
 

Re: 失墜 ( No.33 )
日時: 2016/09/08 21:09
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

8 あなたのあのこ、いけないわたし
 体育館を出て、廊下に出るまでの通路にうずくまって汗をぬぐう。球技大会の女子バレーが、こんなに本気だとは思わなかった。
 じっとり濡れたTシャツが、背中に張り付く。ついた息は熱く、火照った体はドアの隙間から入る風に吹かれても、全然落ち着かない。まるで、キスされた時みたい。そう思いながら、向こう側の体育館でバスケをしている男子を見る。あの中にきっと、瑛太くんもいる。
 バレーは好きだ。サーブが上手く入れば気持ちいいし、コートの中の六人で協力し合うのも楽しい。そんな軽い気持ちで、球技大会の女子バレーのメンバーに入ってしまったけれど、思っていたよりもピリピリした雰囲気に、私は早くも狼狽していた。
 去年もうちのクラスの女子バレーは優勝している。今回も負けは許されないといった状況だ。元バレー部の柚寿がいる以外は、平平凡凡なチームの私たちが、去年勝ち取った優勝の名を、今年でなくしてしまうわけにはいかない。それはわかっているけれど、こんなにつらい練習をさせられると、さすがに参ってしまう。

 「京乃、おつかれ」

 後ろから軽い足音が聞こえ、振り返る。柚寿だった。
 長い髪をひとつにまとめて、涼しげな彼女は、シンプルな白のシャツに学校指定外の黒の短パン姿で、そのシャツの裾が、少しだけ長いことに気付く。瑛太くんのを借りているのだろうか。柚寿ほどスタイルが良いと、男物を着てもあまり違和感が無い。
 あげる、と微笑んで柚寿は、私にペットボトルを差し出した。青いラベルが特徴的なスポーツドリンクだった。ついさっき自販機で買ったのか、掴んだそれは冷たくて、今すぐ喉に流し込みたい感覚を覚えた。

 「……いいの?」
 「うん。疲れたでしょ、私のおごり」
 「ありがと」

 見ると柚寿も一本自分の飲み物を購入していて、私たちは二人ほとんど同時にキャップを開ける。キンキンに冷えたスポーツドリンクが、全身に流れていくのを感じる。こんなに飲み物が美味しく感じたのは、久しぶりかもしれない。
 隣に座った柚寿も、疲れたと言って笑っている。中学の頃部活に入っていただけあって、柚寿はすごくバレーが上手い。紅音や優奈が上手くボールを回すと、柚寿はいつも綺麗にスパイクを決める。去年もほとんどこれで優勝したようなものだった。
 今年の作戦は、私たちがボールを拾い、最終的に柚寿に回して、スパイクをばんばん打ってもらおう、らしい。少しずるい気がするし、柚寿が疲れてしまうのではないかと思ったけれど、私たちは基本的に紅音には逆らえない。当事者の柚寿さえも、半笑いで「いいよ」としか言えないチームが、優勝なんかできるわけないと私は思う。

 「紅音も私達も、今年は本気で勝たなきゃって思ってるみたい。あとちょっとがんばろうね」
 「うん、がんばろ」

 それでも決して紅音の悪口を言わない柚寿は、とても優しい。こんなに美人で、頭も良くて、運動も出来て、性格もいいのだから、瑛太くんも好きになったんだろう。
 かなわない、そんなこと心のどこかではわかっていたけれど、認めようともしたけれど、こんなにはっきり現実として柚寿という女の子を見せられると、私の自信は無くなる一方だ。瑛太くんとキスしたことも、実は夢だったのではないか、なんて思ってしまう。そんなの嫌だ、お願いだから、もう一度だけ夢を見せてほしい。何も知らないで、私の横でたわいもない話をする柚寿が絡めているその指は、何回瑛太くんに触れたんだろう。羨ましい。私は、もし誰かになれるとしたら、間違いなく柚寿を選ぶ。そして、ちゃんと瑛太くんと幸せになるのに。

 「ねえ、柚寿。私が失敗しても怒んないでよ」

 溢れそうな水色の下、日陰で涼んでいる柚寿に、冗談みたいな口調で私は言う。半分以上飲んでしまった、ペットボトルを強く握る。

 「もちろん。私は、あくまでも楽しむつもりだから」

 全部バレーの話だと思っている柚寿は、乾いた笑いを浮かべて、また飲み物を口に運んだ。瑛太くんを、私がまた誘ってしまっても、それで柚寿と瑛太くんの間に何かがあったとしても、私を責めないでね。そんな意味を込めて言ったのだけれど、柚寿はそれを知る由もないだろう。ぬるい風が吹いて、柚寿の髪が束になってふわりと舞う。それに見とれることも、もうしたくない。視線をずらして、遠くを見る。向こうの体育館で行われていたバスケも休憩に入ったのか、コートには数人が残っているだけだった。
 私も瑛太くんのことが好きって言ったら、柚寿はなんて言うんだろう。もうキスもしたんだよとでも付け加えたら、柚寿はたぶん、私の事を嫌いになる。少女漫画の恋愛はだいたいこんな感じで、好きな人を友達と取り合う展開を何度も見てきた。結局いつも主人公が幸せを勝ち取るけれど、現実はこんなにうまくいかない。私は言いたいことを抑えて、柚寿に言う。

 「私も! 楽しもうね、球技大会!」

 楽観的なセリフを吐いて、私と柚寿は笑った。
 もうすぐ夏が来るのか、吹く風も生暖かくて、ちっとも涼しくならない。あと少し休んでいたかったけれど、柚寿が「そろそろ練習再開だよ」と言うから、私は重い腰を起こして立ち上がる。この練習が何時まで続くかはわからない。本音を言うと、かなり疲れたのでできれば早く終わってほしい。でも、下校中に寄る本屋で、好きな少女漫画の新刊を買うことを決めていたから、そのために少しだけ頑張ろうと思った。

Re: 失墜 ( No.34 )
日時: 2016/09/09 18:52
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 07Anwjr8)

 午後六時を過ぎたころやっと練習が終わり、私たちは解散の運びとなった。柚寿や紅音たちはこれからカラオケに行くらしいけれど、私と梓はわざわざどこかへ寄る気にはなれなくて、体育館でそのまま解散した。
 タオルとスポーツドリンクを持って、女子更衣室へと続く階段を降りていく柚寿たちを見送ったあと、置きっぱなしの制服を取りに行くために教室棟へ歩き出した。
 私たちのクラスは二年一組で、一応、特別進学クラスの名を掲げている。だからと言って別段優れているというわけでもなく、部活が制約される代わりに授業時間が他クラスより一時間だけ多かったり、夏休みや冬休みに定期講習があるくらいで、進学実績は普通クラスとさほど変わらないのが現状だった。
 私の上履きが、誰も居ない廊下に鳴る。テスト前の二週間は部活が強制停止になるから、部活をしている人たちの声も、今日は聞こえない。放課後の学校は、異様だ。いつもみんなが笑い合っている場所ががらんと空いて、私だけが存在している。よく、七不思議だったり、怪談話だったり、誰も居ない学校は不気味なイメージが付きがちだけれど、本当にそうだと思う。二年一組の教室の中には、誰も居なかった。
 男子の机にはまだリュックや鞄が置いてある。だから、鍵もかかっていなかったのだろう。廊下側の一番前が私の席だった。最初は嫌だったけれど、黒板は見えるし、隣の席は梓だし、それなりにいい席だと思えてきた。でも、窓側の後ろの方で、柚寿と瑛太くんが楽しそうに喋っているのを見ると、少し胸が痛くなる。
 瑛太くんの席は、窓側の後ろから二番目で、つまり、このクラスで二番目に頭が良い。一番後ろを勝ち取った八巻くんという男子は、クラスの副委員長で、附属の小中を出ている秀才だから、みんなからも一目置かれている。そんな八巻くんの次が瑛太くんなのだ。カミサマは不公平で、なんでもできる人間っていうのは、わりとどこにでも存在する。
 制服のワイシャツに袖を通す。Tシャツはさっき替えたばかりだから、このまま上に制服を着て帰っても大丈夫だろう。あの日から、スカートは二回折るようになった。少しでも視界に入りたかった。ちょっとでいいから、意識してもらいたかった。

 「……まだ終わってないのかな、男子」

 男子が練習している体育館は、ここからは見えない。大きな窓の向こうには、グラウンドが広がっているだけだ。そのさらに向こうには街があって、柚寿たちがこれから行くであろうカラオケも見える。
 海が近い街だったらよかったのに、と思ったことがある。学校帰り、夕暮れの砂浜で恋人とはしゃいでみたい。波に誘われて、深い青とオレンジのコントラストを眺めていたい。でもここはただの市街地で、海まで行くにはバスを沢山乗り継がなければいけない。今年ももうすぐ夏が来るけれど、一緒に行ってくれる恋人は、まだ未定のままだった。
 寒色系の、使い勝手がよさそうなリュックが、瑛太くんの席にあがっている。無造作に制服を脱ぎ捨てていく他の男子とは違って、きちんと畳まれた制服も置いてある。瑛太くんは、とても几帳面で綺麗好きだ。ロッカーがいつも丁寧に整頓されているのを、いつも見ているから知っている。
 そのリュックにぶら下がっている、小さなストラップが目に入った。水色に光る、控え目なデザインのそのストラップは、確か、柚寿の鞄にも付いている。お揃いで買ったのだろう。やっぱり何があっても、一番目は柚寿なんだ。わかってるけれど、まだわかりたくはない。
 瑛太くんのすぐ前が、柚寿の席だった。柚寿もまだ帰る気はないのか、机の上にイーストボーイのスクールバックが置いてある。その中からは、大量の参考書が覗いている。例のストラップもあった。柚寿のはピンクで、やっぱりデザインとしてはすごく控え目だけど、それは確かに、ふたりが恋人同士であることを主張していた。
 窓側に向かって歩き出す。私は、こんな行動に出てしまうくらい、瑛太くんが好きだ。柚寿の鞄のストラップに指をかける。誰も見ていないことを確認して、するりと輪っかに人差し指を通す。ピンクのストラップは、私の手の中にすとんと収まった。

 「ごめん、柚寿」

 何もない夕暮れに向かって呟く。
 さっきまで、私と一緒に笑っていた柚寿が、頭の中にふわりと浮かぶ。私に飲み物を渡して、頑張ろうねと言ってくれた、優しい柚寿。私は少女漫画のヒロインにはなれないらしい。こんな姑息な手で、瑛太くんを手に入れた気分に浸ることしか出来ない。柚寿なら許してくれるとか、そんな甘いことは少しも考えてない。
 スカートのポケットにストラップを滑り込ませようとして、ポケットがほとんど機能していないことに気付く。二回も折ると、入り口はふさがれてしまって、うまく手が入らない。仕方なく私はいったん折ったスカートを元に戻して、確かめるように、柚寿のストラップを奥まで押し込んだ。
 すぐに教室を出た。更衣室から出た柚寿たちとすれ違う可能性を考えて、わざわざ遠回りして玄関に向かった。下駄箱の前にしゃがみ込んだとき、急に罪悪感に襲われた。こんな事をしたって、瑛太くんと結ばれるわけじゃない。でも、返す気は無くて、このまま私が大切にしよう、そう思いながら、私はついに学校を出てしまった。柚寿はいつ頃気付くだろうか、もしかしたら、もう気付いていて、紅音たちと騒いでいるかもしれない。歩が早まる。早く家に帰ろうと思った。自転車に乗り、私はいつもよりちょっと速いスピードでペダルを漕いだ。

 家にさえ着いてしまえば、誰かに見られてさえいなければ、私が犯人だとバレることはない。制服を脱いで、部屋着に着替えて、薄い化粧を落として、妹たちが話しかけてくるのにもろくに返事もせず、自室に入って鍵を閉め、ぎゅっと手で握っていたストラップを、ついにちゃんとこの目で見ることができた。
 ソファーに座り、鞄を置いて、テレビを付けるのが日課だったけれど、私はその日課を二つも飛ばして、立ったままそのストラップを見ていた。綺麗。薄いピンクの透き通るようなそのストラップは、よく見ると、有名な服のブランドの名前が彫ってある。何の気もなしに、スマホを取り出して、そのブランド名で検索をかけてみる。四、五万円はする高級な洋服がずらりと並ぶ中、「人気商品」の欄に、まったく同じストラップを見つけてしまった。
 ペアセットで、二万円。たかがストラップ二つで、二万円。その数字に私は驚いてしまって、言葉を失った。瑛太くんって、本当にお金持ちだったんだ。高くても千円くらいだと思っていたこのストラップが、まさか、二万円もするなんて。それじゃあ私は、柚寿から二万円相当のものを奪ってしまったことになる。急に頭がぐるぐるしてきて、とんでもないことをしてしまったという実感がわいてきた。二万円なんて、私のお年玉にも相当する。返さなきゃいけない、でも、瑛太くんとのお揃いが欲しい。結局何も考えられなくなって、私はそのストラップを箱に入れて、厳重に鍵を閉めた。あんなことしなきゃよかったな、と今さらになって思うのだった。


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