複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 失墜 【完結】
- 日時: 2021/08/31 01:24
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: bOxz4n6K)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19157
歪んだ恋愛小説です。苦手な方はご遠慮ください。
>>1 あれそれ
☆この作品の二次創作をやってもらっています。
「慟哭」マツリカ様著 URL先にて
「しつついアンソロ」雑談板にて掲載中
キャラクター設定集 >>80-81
あとがき >>87
>>99
>>100
- Re: 失墜 ( No.81 )
- 日時: 2016/12/27 04:25
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
渋谷翔/しぶや かける
身長 178cm 血液型 O型
体重 60kg 誕生日 12月24日
好きな食べ物 ファストフード
嫌いな食べ物 レトルト食品
得意教科 音楽
苦手教科 体育
好きなタイプ 一途で性格が可愛い子
趣味・特技 ピアノ、作曲、ジム通い
苦手な物 虫全般
家族構成 父(ピアニスト)、母(化粧品店勤務)、妹(高校生)
交友関係 青山瑛太(親友)、瀬戸京乃(初恋の相手)、小南柚寿(浮気相手)、戸羽紅音(元恋人)
青山瑛太の親友。中学時代瀬戸京乃に片思いしていた。高校デビューを果たし、何人もの異性と付き合うが、どれも数か月と持たずに破綻している。
ノリが軽く、誰とでもすぐに仲良くなる。嘘を吐くことが苦手で、いつも本音でしか話が出来ない。
もともと体が病弱で、外を走り回るよりもピアノを弾いていることが多い子供だったらしい。
☆コメント
前半でうわ、こいつクズだなあ、と思わせといて、後半で評価上げていくようなタイプのキャラ。鈍感そうに見えて、実は小南と青山が恋人にしては距離感があることに気付いていて、それで気になって二人の関係を悪化させるような行為に及んでしまうという設定。小南を抱いたのはアレだけど、やっていることは親友として当たり前な気がします。
サブキャラにしては、私は割と気に入っています。
中川椿/なかがわ つばき
身長 176cm 血液型 B型
体重 64kg 誕生日 6月15日
好きな食べ物 海鮮丼、オムレツ
嫌いな食べ物 特になし
得意教科 技術
苦手教科 理科、英語
好きなタイプ 自分より頭が良い、しっかりしているけどどこか放っておけない子
趣味・特技 筋トレ、少年漫画収集
苦手な物 心霊系
家族構成 父(自転車屋)、兄(専門学生)
交友関係 小南柚寿(幼馴染)、青山瑛太(敵視)
小南柚寿の幼馴染。三白眼っていう設定。
小南のことは妹のような存在だと思っている。中学時代、周りから浮いていた小南を上手く輪に入れてあげていた。高校が離れて、向こうに彼氏ができてから、ようやく片想いをしていたことに気付くが、割り切って潔く諦め、現在は同じ高校の同級生の女子と交際をしている。
☆コメント
報われない系幼馴染を書きたかったんですが、この失墜っていう話、報われない人が多すぎて存在が薄くなっている感が否めません。モデルは同じクラスの男の子です。
矢桐優/やぎり ゆう
身長 166cm 血液型 B型
体重 60kg 誕生日 10月2日
好きな食べ物 たい焼き
嫌いな食べ物 野菜、魚
得意教科 生物
苦手教科 日本史、世界史
好きなタイプ 顔が可愛くて控え目な子
趣味・特技 アイドルの追っかけ、ストーキング
苦手な物 周りと上手に付き合う事
家族構成 父(医者)、母(大学教授)、弟(高校生)
交友関係 青山美琴(一方的に執心している)、青山瑛太(利用手段)
矢桐晴の兄。東京の大学の医学部を、「馴染めない」という理由で中退し、実家で浪人生として生活している。
青山美琴に一目惚れし、弟の瑛太を脅してでも手に入れようとする。晴からは死ぬほど嫌われているが、本人は割と、弟の事は好きらしい。
☆コメント
この人が作中一番のドクズな気がします。「普通に気持ち悪い」とツイッターでも高評価です。
青山美琴/あおやま みこと
身長 162cm 血液型 O型
体重 50kg 誕生日 2月18日
好きな食べ物 白米
嫌いな食べ物 たくあん
得意教科 物理、生物、化学
苦手教科 英語
好きなタイプ 誠実な人(実はお金持ちの異性を密かに狙っている)
趣味・特技 ショッピング、貯金
苦手な物 強引な異性
家族構成 母(ラブホの清掃員)、弟(高校生)
交友関係 矢桐優(苦手)、矢桐晴(気にかけている)
青山瑛太の姉。地元の大学の薬学部に通っている。
貧乏なことを、逆にネタにして割り切れる、前向きな性格。周りの友達からはよくご飯を奢ってもらっている。いつか金持ちの人と結婚して、みんなに恩返しするのが目標。
☆コメント
この人が作中一番まともな人な気がします。きっと健気かつ芯の通った性格は、お母さんに似たんだと思います。弟の方は蒸発した頭のネジがクルクルパーなお父さんに似てるんだと思います。
相沢梓/あいざわ あずさ
身長 164cm 血液型 A型
体重 50kg 誕生日 1月2日
好きな食べ物 ショートケーキ
嫌いな食べ物 漬物
得意教科 現代文
苦手教科 英語(瀬戸によくおしえてもらっている)
好きなタイプ 自分とは真逆の、明るくて心優しい子。年下派。
趣味・特技 音ゲー、フラフープ
苦手な物 男性
家族構成 父(弁護士)、母(専業主婦)
交友関係 瀬戸京乃(親友)、青山瑛太(嫌い)、小南柚寿(嫌い)
瀬戸京乃の親友。もともとクラスで孤立していたが、瀬戸が声をかけて仲良くなった。
青山や小南の事を、「普通じゃない」と最初から見抜いていた人物。危なっかしい瀬戸に対して、呆れることも多いが、とても心配している。
☆コメント
ちょっとレズっけがあるっていう設定。瀬戸さんは何人に好かれるんでしょうか。
- Re: 失墜 *キャラ設定集あげました ( No.82 )
- 日時: 2016/12/30 04:08
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
20 非国民的ヒーロー
目を覚ましたら午後六時だった。カーテンの先にある大きな窓から差し込む橙の光が、つけっぱなしのテレビに映るニュースキャスターが、僕の事を嘲笑っている。慣れない病室の柔らかいシーツを剥がして、軽く伸びをすると、寝違えた時のような痛みが首元に走った。
全部夢だったら良かったのに、まだ手が震えて、枕元のスマホを触れない。僕は被害者のはずなのに、僕に残されたものは、最低な人間と言う烙印だけだった。
悪夢でも見ていたのか、いつもの癖で手に取ってしまう鏡に映る自分は酷い顔をしていた。目は真っ赤に腫れて、頬に貼られた大きな絆創膏は糸がほつれ、髪もぐしゃぐしゃで、こんな姿では、絶対に誰にも会いたくない。狭いところで寝るのに慣れているから、寝相はとてもいいはずなのに、シーツが乱れているのは、夢の中でもあいつにごめんなさいを言い続けていたからなのだろうか。鏡を床に投げつけ、僕はシーツを被った。もう一度眠ってしまいたかった。そして、二度と目覚めたくなかった。
矢桐は僕を殺せばよかった。恋人も友達も失って、怯えながら働いてきた悪事がみんなにバレて、僕なんてもう、死んだようなものなのに、あいつは中途半端に僕を生かしている。寝返りを打って、あいつが最後に言った言葉を思い返す。目頭と喉の奥が熱くなって、ぽたぽたと滴が落ちる。最悪だった。こんな人生を送るくらいなら殺してほしかったのに、あいつがカッターを向けてきた事を思い出すたびに、体の震えは止まらなくなるし、惨めに助けてと縋った僕が、まだ生かしてくれと言う。
「おはよ、どう? 十二時間寝た心地は」
どれくらい時間がたったのかは、わからない。
オレンジの光の向こう側、大きなドアを開いて、なにやら楽しそうな声色の姉さんが部屋に入ってきて、生ぬるく頭を支配していたあいつと僕が消えて、ゆっくりと我に返る。姉さんは、いつも通りだった。僕が警察に保護されたときも真っ先に駆け付けてくれたらしい。取り調べの時も、検査入院することになった時も、姉さんが保護者の代わりのような存在を受け持ってくれたみたいだ。母さんは事件の全貌を聞いて、あまりのショックに大きく体調を崩して、今はこの病院に入院している。そう言って、姉さんは困ったように笑っていた。笑い事じゃないよな、と僕は思った。
シーツで顔を拭って、姉さんの方へ向き直る。「全然寝た気がしない」という趣旨を伝える僕の声は曇っていた。こんなんじゃ、泣いたのがバレバレだけど、こんな状況だ、少しくらい泣いたって許してほしい。
「だろうね、うなされてたし。でも、お母さんはもっと大変よ、私にお金が無いから、愛情を注いであげられなかったから、あの子はああなったんだって、あたしに泣きつくの。朝からさっきまで、ずーっと」
同じ貧乏でも、あたしはこんなに真っ直ぐ育ってるのにねえ。姉さんは、冗談を言うような笑みを浮かべて、僕へのお土産らしきものをビニール袋から取り出して、病室の小さなテーブルに並べていく。母さんは優しいけれど、癇癪を起こせば面倒だから、ずっとその相手をしていた姉さんが僕に嫌味を言いたくなる気持ちはよくわかる。僕は何も言わずに、並べられていくいちごのクレープとチョコチップパンを見ていた。
姉さんはしばらく、いろんな話をした。聞きたくない話もあったけど、もう止める気力もなかった。
「全国ニュースになったのは驚いた。その日の午後に、タレントがバンドマンと不倫したニュースが飛び込んできたから、結局その日の朝しか大きなニュースにはならなかったんだけど。あ、ツイッターのトレンドからは一日で消えたから安心して。あとは……矢桐さんから貰う慰謝料の話ってしたっけ?」
してない、の意を込めて、僕は首を振る。慰謝料なんかどうでもよかったし、人ひとりの人生をぶち壊しておいて、金を払ってはい解決、という話ではないと思う。それに、散々矢桐から金を取っておいて、さらに金を貰う、そんなことをしたらまた刺されそうだ。
僕の内心など知らないで、姉さんは嬉しそうに、聞いたこともない額を口にした。
「……宝くじかよ。すごい大金」
「慎ましくすれば、この慰謝料とあたしの給料で、お母さんは仕事を辞めても暮らせるわ。でもね、お母さん、あんたを大学にやりたいってさ。せっかくお父さんに似て頭良いんだから、好きな事させてあげたいって」
「もう遅いのに」
矢桐と一緒に、全国に名前が知れ渡ってしまった僕が、これから普通に生活できるわけがない。姉さんは笑って、「こんな事件、三か月もすればみんな忘れてるわよ」と言うけれど、みんなが忘れても僕が覚えている以上、恐怖からは逃げられない。母さんも馬鹿だ、僕なんかにまだ期待をするくらいなら、汚いラブホテルの清掃員なんか辞めて、生活保護も辞めて、その慰謝料で暮らせばいいのに。あとで母さんに会う機会があったらそう話すことにしよう。僕は、もう生きる意味なんてないのだ。死ぬ勇気もないから、どうしようもないまま、底辺で蹲っているしかない。
姉さんは、浮かないままの僕を見て、「そういえばね」と、わざと明るいトーンで語りかける。
「さっき、柚寿ちゃんが来てたわ。ご愁傷さまですって花をくれたの。あの子もすごく疲れた顔してたのに、あたしのこと気遣ってくれてさ、良い子だよね」
「……あいつ、なんで今更」
長い夢の中で泣いていたような気がする、似合わない髪型をしている柚寿が頭をよぎる。あの艶やかなロングヘア—を、得意げに耳にかける仕草が好きだったのに、そんなことも出来ないくらい短くなってしまったし、どうしていきなりばっさり切ったのか、最後まで聞けなかったし。
僕は、最後の最後まで柚寿がわからないままだった。何が好きで何が嫌いで、僕に何をしてほしかったのか、この期に及んでも解らない。柚寿は、僕の瞳に映る自分自身を見ていた。僕の事なんか最初から興味が無くて、ただ、自分を飾るアクセサリーが欲しかっただけ。僕のスペックにだけ恋をしていたから、だから僕が矢桐から金を取っていると知った時、叱るでもなく泣くでもなく、無表情にさよならを告げたのだ。
僕と同じで、悲しいほど孤独な子だ。誰かが無条件に愛してあげないと、自分の存在価値すらわからなくなってしまう。僕と柚寿は似ている。もう一度、本音で語り合えたら、今度はうまくいくかもしれない。もう柚寿と会うことはないはずなのに、そんな事ばかり考えてしまうのは、一種の現実逃避のようだった。
「……あー、あとね、渋谷くんも来てた。金の事は心配しないでくださいって凄く嬉しそうに言ってたけど、あんたあの子にもお金借りてたの?」
「うん、そんな感じ」
姉さんの話に適当に相槌を打ちながら、薄いカーテンの先を見つめていた。それは矢桐の部屋から見た、花火大会の日の空に似ていた。
今僕が矢桐と話が出来たならば、「僕はこの先どう生きていけばいい?」と聞きたい。矢桐は僕を殺したかったみたいだが、こうやって、散々踏みにじってもなお生かすのは、死ぬよりも辛い。復讐と言う意味では矢桐の執った方法は大成功だ。僕はこんなにも辛いのに、慰謝料を払い終えた矢桐は、どこか知らないところで悠々と暮らす。
「反省なんかしなくても良いから、無様に僕を恨んで生きて、そして死んでいけって、言うんじゃないの?」
そんな声が、どこかから聞こえた。帰り支度を始めている姉さんが発したものではないことは確かだった。
それは、柚寿の声ようにも聞こえたし、瀬戸さんのようにも思えた。僕が踏みにじってきた人間たちが、今度は僕を指さして笑う。今まで悪いことをしてきたツケが一気に回ってきた、そう言われているようだった。
ついに幻聴まで聞こえるようになったか、と自分に自分で絶望しながら、僕はまた寝転んで壁際に向き直る。姉さんは、「これからまたお母さんのところに行くから」と言い残した。しばらくして、スリッパを鳴らす音が聞こえたかと思うと、すぐに遠くへ消えていった。
もう一度眠りにつきたかったのに、体はそれを許さない。結局、夜ご飯が運ばれてくるまで、矢桐がカッターを向けている、あの光景をフラッシュバックしては、シーツを被って震えていた。
- Re: 失墜 *キャラ設定集あげました ( No.83 )
- 日時: 2017/01/04 05:57
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
- 参照: あけましておめでとうございます。
テレビをぼーっと見ながら、これからの事を考える。姉さんによると、僕と矢桐には退学処分が下されるらしい。僕が矢桐にただ暴行された完全なる被害者なら、これからも学校へは通えたのだが、僕も矢桐に対して犯罪行為を働いていた以上、残留は許されなかった。変なところで厳しい高校よねえ、と姉さんは困り果てていた。
ほんと、人間不信になりそうだな。膝を抱えて、番組がニュースになるたびに、汗ばむ手でリモコンを握ってチャンネルを変える。何の意味も無いバラエティ番組だけを見たかった。僕の家にテレビはないけれど、遠い昔に親戚の家に集まった時、大きなテレビに映っていた、とてもキラキラした世界で笑っている人たちのことは、心のどこかで覚えていたし、無意識化で憎んでいた。
ため息をついて、ベッドに倒れる。保健室とラブホテル以外でベッドを使うのは初めてだったが、当たり前だけど、いつも寝ていたソファーよりずっと寝心地が良い。十五時間近く眠ってしまうのも仕方のないことだし、なんならこの瞬間にまた眠れる。いっそここで死ぬまで寝て起きてテレビを見て、を繰り返したかったけれど、心臓が動いているうちは、僕は生かされ続ける。明後日には退院して、じゃあこれからどうしようか、って話になって、今までより何段階も堕ちた生活を送る。矢桐の事は一生ついて回るし、もう居ない柚寿のことも引きずるし、僕の目の前に敷かれていたレールは、外れてしまっても無理やりみんなと同じ場所を歩いていた僕は、これからどうしていけばいいのか、皆目見当のつかない状態にある。
やっぱりここで死んじゃったほうが楽だよ。僕の中の誰かがひっきりなしに囁く。姉さんが置いていったジャムパンに目を向けて、これを食べ終えたら窓から飛び降りようか、と考えてみる。そんなことが、できるわけないのに。
ご飯は喉を通らなかった。病院食はまずいと柚寿も言っていたが、その味のしない無機質な、栄養だけを考えて作られた食事は、僕の想像を上回った。気持ち悪くて吐きそうになったので、食べるのはすぐにやめた。ご飯を食べる代わりに、矢桐と行った定食屋で、カツ丼についてきた無意味なさくらんぼや、柚寿と最後にファミレスで食べたマルゲリータのことを考えて、時間を潰していた。全然食べていない僕を見て看護師さんは心配そうにしていたが、「さっきジャムパンを食べたんです」と嘘を吐くと、せっかくあなたのために作ってるんだから食べてよねえ、と笑われた。柚寿が僕に料理を振る舞ってくれたことはなかったので、その看護師さんが彼女だったらデートの時はお弁当を作ってくれたのだろうか、ということを、(暇だから)眠れるまで考えていた。もし柚寿が僕にお弁当を作ってくれたら、無理して高い店に連れて行ったりもしなかったんだろうな。しなかったに違いない。そんな事を何度も何度も反芻して、眠れたのは、日付が新しくなる少し前。眠りに落ちる前に、窓から見えた銀色の星が、やたらと幻想的で、だけど、もうあれに手は届かないのなら、やっぱり死んでしまいたいと思った。
その夜に夢を見た。やけにはっきりとした夢だった。
髪を切った柚寿と、何もない部屋の中にいた。やっぱり短いのは似合っていなかった。それを指摘すると、彼女はとても柔らかく微笑んで、きみのせいだよ、と言った。
「きみと一緒にいると、みんな不幸になるよね」
柚寿は何人かの名前を挙げる。瀬戸さん。矢桐。翔。僕とちゃんと目が合ったまま、疫病神か何かなのかなぁ、と、楽しそうに笑う目の前の女は、柚寿のようで、柚寿ではない気がした。だけど、どうしようもない僕は、そんな不確定な彼女に縋ることしかできない。ごめん、許してという自分の声は震えていて、透明に消えそうな柚寿の腕を掴んでも、すぐ透けて、どこかへ行ってしまいそうで。
僕と一緒にいることは、すごく緩やかに、破滅に向かっていくことと、同等だ。そう思った。柚寿も似たような事を言った。自分を偽るために他人を利用しすぎた人間の末路。柚寿は否定も肯定もせず、その不似合いなショートカットを、優しい風に揺らしていた。
「ねえ、私達、よく似てるじゃない。半端な孤独もダサい優越感も全部、共有できた仲じゃない。だから、私が堕ちたら、助けてよ、ねぇ」
ゆっくり、白い部屋が砂のように崩れていく。何もない空間で、大きな棺桶に腰かけている柚寿が、楽しそうに、僕が好きだった歌を口ずさんでいる。頭痛がする。めまいもして、倒れそうになる。その甘ったるい声が、膝の周りでひらひらするワンピースが、どうにもならないくらい愛おしかった過去を今になって思い出す。僕はいつも、手に届かないものばかり求めている気がする。
「……僕がここから這い上がれる、勝算は?」
いつか矢桐にも聞いたことがあるような台詞を放つ。柚寿は歌うのをやめて、僕の方を見て、「そうねえ」と、なんだか嬉しそうに、そしてそれと同じくらい悲しそうに、首を傾けた。
固唾を呑んで返事を待つ。柚寿は、いや、目の前にいる奇妙な女は、少しだけ口角をあげて笑った。そうして、また退屈なJ-popの歌詞をなぞりはじめた。
□
目が覚めたら午前十時だった。柚寿はどこにもいなかった。昨日よりは健康的な時間に起床したものの、十時間も寝てしまう自分の体が、いよいよわからなかった。
伸びをして、カーテンを開けて、よく晴れた六月の空を見る。やってきた看護師さんによると、うなされてはいなかったらしいが、よくわからない夢を見たせいで寝ざめは悪い。今更柚寿の夢を見たって、もう二度と会えないのに。今頃何をしているんだろう、今日は平日だろうから、学校で授業を受けているかな。
スマホを見るのが怖くて、まだ電源を付けられずにいるので、柚寿から連絡が来ていたとしても、わからない。柚寿だけではなく、瀬戸さんの事を丸投げしてしまった翔や、他の友達にも、近況報告くらいはしておかなければいけないのだが、そんな気にもなれない。空に浮かぶ雲を眺めて、変な形だな、とか思いながら、なんとなく終える一日が良いのだ。姉さんが置いていたままのジャムパンに手を伸ばす。チョコでもいちごでもどうでもいいけどな、と考えていた時、扉が開いた。
「……誰?」
「……どうも。なんか、意外と簡単に入れちゃうんだな、拍子抜け……」
見たことのない、学ラン姿の男が、適当な菓子折り片手にこっちに向かってくる。本当に知らない奴だったので、僕の記憶を全部引き出しても思い当たらなかったので、「誰ですか」と素直に聞くしかなかった。茶髪で、微妙に目つきが悪くて、僕よりも少し身長が高そうなその男は、「このたびはご愁傷さまです」と取ってつけたような前置きをした後、すごく簡潔に自己紹介をした。
「中川椿。小南柚寿の友達だよ。何回も連絡してんのに、無視されるから来たけど」
「……ああ、どうも。ごめん、スマホ見てないんだ」
その中川と言う男は、病室の床に荷物を置いて、備え付けの椅子に座る。なにか用事があるんだろうけれど、できれば早急に済ませてほしかった。事件のせいで、同年代くらいの人間に会うのがとてつもなく怖かったのだ。だから、来てくれた友達や知り合いは姉さんに頼んで帰してもらっていたのだが、この彼は姉さんが大学へ行っている今やってくるのだから質が悪い。学校はどうしたんだよ、平日だろ、と言いたい気持ちを抑えて、「お茶とか何も出せないけど」と僕は言う。
「……良いよ。大した用事じゃないし」
「じゃあ、出来るだけ早めに済ませてよ」
「……柚寿のこと、頼むって言いたくて」
まだ出会って数分なのに、頭が固くて誠実そうな奴だな、という印象を僕に植えつけた彼は、律儀に頭まで下げて、言った。
さっきまで夢の中で歌っていた柚寿の事を思い出す。僕らはもう付き合っていないのに、それもこんなに底辺まで落ちてしまったのに、なんでそんなこと頼むんだよ、と言いたい。僕らは他人だし、柚寿も僕に会いたくないに決まっている。というか、もう会えないことが確定しているのだから、頼むもなにもないのだ。僕が何を言おうか迷っていると、中川は、とても真面目な顔のまま、こう続けた。
「柚寿からは、よく青山くんの話聞いてたよ。君の事、最低だなって思った時もあった。……てか、今でもちょっと思ってるけど」
「……」
「柚寿とはもう三日も連絡が取れないんだ。家にもちゃんと帰ってないらしい。頼むよ、大事な友達なんだ。もう青山くんしか頼れないんだよ、俺はもう届かないけど、青山くんなら、救えるかもしれない」
あいつを探し出して、話をしてやってくれ。ずっと一緒に居なくても良い、君が嫌ならかまわない。中川は言う。
僕はうっすら気付いていた。柚寿の友達を自称しているこの男は、たぶん、柚寿のことが好きなのだ。「君が柚寿を見つけて、適当に慰めてあげてくれ」とは言えなかった。でも、やすやすと頷くことも出来なかった。柚寿をそこまで追い詰めてしまった自分が嫌で、もう彼女には会いたくないのだ。夢の中の悲しそうな柚寿が脳裏に浮かぶ。嫌な予感がするし、僕の嫌な予感はだいたい当たる。
「……勝算は?」
「そんなの、やってみないとわかんないだろ」
「……僕なんかが、柚寿を救えるわけ——」
「俺だって無理な願いを通そうとしてることくらいわかってるよ。お前みたいな奴に取られるのも実は気に食わないし。でも、柚寿のためだ。終わり良ければ総て良しっていうだろ、最後だけ、今までの事全部かき消すくらい、かっこよくぱーっとやってくれよ」
ヒーローはヒロインを救いに行くのが使命だろ、と中川は言って、そこまで言って急に恥ずかしさが来たのか、ふいと目を逸らされる、ならそんな大それたこと言わなくても良いだろ、と僕は笑う。そして、彼に言った。
「……いいよ、暇だし」
人間、色々と諦めると、少しだけ楽になる。どうせ死ぬのなら、最後に足掻いてみたい。柚寿に拒絶される未来は容易く想像できるけれど、今までみんなを不幸にしか出来なかった僕が、初めて誰かを幸せにできるのなら、その可能性に賭けてみたい。百パーセントの完全なる自己犠牲を、生まれて初めて行う。もう誰かを自分の道具にせず、僕だけの力で、彼女を助けに行くのだ。
中川と連絡先を交換し、なにか動きがあれば連絡してくれと頼んだ。スマホをやっと見ると、おびただしい数のLINEが入っていた。僕はアプリを消去し、中川へはショートメールを使うように頼んだ。ツイッターもフェイスブックも消した。すると、少し生きやすくなった気がした。
まちぶせた夢のほとり、驚いた君の瞳、そして僕ら今ここで、生まれ変わるよ。柚寿が口ずさんでいた歌詞を、自分で繰り返す。大事に取っておいたジャムパンを一口齧って、大きな窓を初めて自分で開いた。
- Re: 失墜 ( No.84 )
- 日時: 2017/01/09 03:43
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
22 少女漫画少年漫画
六月十二日。私の死んだ魂が入った入れ物を、線路に投げ出す日だった。一睡もできずに日が昇り、よれてぐしゃぐしゃのワンピースに着替え、洗面台をそのまま通り過ぎて家を出た。ふと目が合った鏡の中の私は、虚ろな瞳をして、首回りで跳ねた変な髪型をしていて、肌の色もくすんで、もはや私では無いようだった。早朝。家族はみんな眠っている。こんな時間に家を出るのは初めてであり、そして、もうここへは戻らない。誰も居ない、冷たい空気の中で、私の足音だけが不規則に鳴っている。
最期に口にするものは、コンビニの暖かいコーヒーが良かった。だけど、私は財布もスマホも持っていなかった。ついてないな。ポケットの中にあった、緑のガムを一枚引き抜いて、煙草を加えるみたいに口に運ぶ。広がるミントの味が、冷えた心にすっと入り込むようだった。だけど、ガムはすぐに味が無くなってしまう。噛み終えた、味が無くなってしまったガムは、まるで自分のよう。そう思うと私はただ、この味が無くなる前に死んでしまいたい、と思うのだった。
わざと、一番大きい駅を選ばなかった。静かに死にたかった。周りに迷惑を掛けたくないくせに、首を吊るのは怖いし、薬を飲む勇気もないし、水は長い時間苦しむし、下に人が居たらと思うと飛び降りも出来なくて、結局、一番楽で、一瞬で終われる電車に投身する道を選んでしまった。家族には死んでもなお迷惑をかけてしまうが、これ以上生きていたら、もっと酷いことになるに違いない。風に揺れる自分の、やけに短くなった髪が、まとわりついて気持ちが悪い。早く消えたい。もう何も考えなくていい世界へ行きたい。ふらふらと、目的の無人駅へ歩いていく。
高校へあがってから、一度も利用することのなかった駅だった。ただでさえ利用人口が少ないローカル線の中でも特に人の乗り降りが少ない、寂れた無人駅。ドアは古錆びて、備え付けの小さな待合室の壁は落書きだらけ。蜘蛛の巣の張ったガラス窓の向こうは、かつて有人駅だった時代、駅員が仕事をしていた事務室だろう。自販機が数個おいてあるだけの寂れた空間だが、昔はよく椿とここの駅から電車に乗って市民プールに行ったっけなあ、という事を思い出して、懐かしい気分になる。待合室、こんなに狭かったっけ。見渡すと、時計とその横の時刻表が目に入った。今の時刻は五時五十二分で、あと十分後に始発がやってくる。つまり、私はあと十分で死ぬ。この気持ちを、ゆっくり自分で鎮めていくことにした。約束の時間はもうすぐだった。
ぬるい風に吹かれて、私はここに立っている。周りにはまだ眠っている民家と、さらさらと揺れる名前もない雑草だけ。
私はどうかしてしまったのか、近頃見えてはいけないものが見える。いや、本当は見えてはいないんだろうけれど、そんなふうに心が錯覚する。ニュース番組に私の高校が出てきたり、マスコミが街に詰め掛けていたり、そんなことがあるはずがないのに、そんなものばかり見てしまう。矢桐くんがどこか遠くへいなくなって、瑛太が苦しそうに助けを求める夢を何度も見る。初夏の陽射しの向こうではしゃぎ回る白い蝶が、現実か妄想なのかも、はっきりわからない私は、ワンピースが汚れるのも気にせずに、日の当たるホームにしゃがみ込んだ。早く、早く電車が来て。壊れた魂の入れ物なんて、早く捨ててしまいたい。この世界にいることが怖い。努力も何もできなくなった私は、もうこの世界では戦えない。
どこか遠くで、電車が来るときのサイレンが聞こえる。かんかん、と、それは鐘のようだった。私の旅立ちはおめでたくなんかはないけれど、これ以上無駄な苦労をしなくていいのなら、それはきっと喜ばしいこと。サイレンの音が近づく。立ち上がり、ゆっくりと歩を進め、黄色い線の少し外側に立ち、目を瞑る。飛び込む準備は出来た。
少しの間だったけれど、良い夢が見れてよかった。お疲れさま、私。途中までは上手くいってたし、来世はもうちょっといい人生になるかな。ううん、もう、来世なんか要らない。なんにもないところで、なんにも考えたくない。
六時二分。始発がやってくる。眩暈のするこの体を抜け出して、飛び立つ。すぐ近くでサイレンが鳴っている、電車の音がだんだん大きくなっていく。何もない世界に飛んでいく。
だけど、どうしてか、最後の最後になって足が動かない。慌てて目を開けて、飛び込まなきゃと手を伸ばそうとする。だけど、電車は私の目の前でぴたりと止まっている。ゆっくりと扉が開いて、ガラガラの車内の奥の運転者席から顔を出して、運転手のおじさんが、不思議そうに私を見ている。
「あ、ごめんなさい。私、乗らないので……」
そう言って手を横に振ると、電車の扉は再び閉まって、私なんか最初から居なかったかのように、ゆっくりと動き出した。
放心状態で、過ぎ去った電車を眺めていた。うそ、なんで飛び込まなかったの、と、後悔が沸き上がってくる。ほんとうに人生に疲れてしまった人は、なんのためらいもなく電車に飛び込んでしまうと聞いたことがある。私はそうはなれなかったのだ。つまり、この世界にまだ、執着がある。
どうして、と私は、遠くへ走っていく電車の音を聞きながら、またコンクリートに座り込む。夏が始まろうとしているだけあって、そこはほのかに熱を持っていた。どうしてどうして、自問自答を繰り返す。この世界には何も執着などないはずなのに。私はこの場で死ねたはずなのに。
次ここに電車がやってくるまでは一時間ある。それまでに決意が変わってしまったら。またあの、足の震えと、一瞬見えた死の恐怖がやってくる。どうしよう、死ねない。座り込んだまま、私はきりきりと痛む頭を押さえる。泣きたいのに、泣けもしないし、ここまで思いつめているのに死ねない。所詮その程度の決意なら生きたほうがマシなんだろうか。こんな酷い人生を、これ以上何を頑張ればいいの。
何でもできる気分になりたかった。ホームの下に降りて、誰かに怒られるまで遊んでいたい。そして、説教を始めるその人の前で、電車に轢かれて死にたい。
今度は躊躇しなかった。私は、黄色い線のさらに先に足を延ばしてみる。少し高いけれど、線路に降りられない事もない。下は枯れた草花が横たわっていたり、電車に何度も轢かれてすり減った石が転がっていたりで、ほとんどサンダルのような靴を履いてきた事を後悔したけれど、これから死のうとしている奴が、そんな事も気にしていられない。
その時、足音が聞こえた。利用客だろうか、電車は今通り過ぎたばかりなのに。私は慌てて、普通の客を装おうとするけれど、そんなのすでに遅かった。
「柚寿!」
ああ、叱らないでよ。私は振り返りもせずに、ホームの縁に足をぶらつかせながら、その声を遮るように耳をふさぐ。警察にでも通報すれば良い。取り調べで出されたカツ丼の箸を喉に突き刺して死んでやる。近付く足音から逃げたいのに、ホームの下しか逃げ場がない。しょうがないからその声のする方を向いてやろうとして、ふいに腕を掴まれた。
「ここにいたんだ」
「……え?」
目を疑うような光景だった。できすぎていると思った。また幻覚を見ているか、もしくは私は死ぬことに成功して、天国にいるのかと思った。
私の腕を握っている元恋人は、もう二度と会う事もないと思っていた彼は、こんな朝から、家からもずっと遠いであろう僻地の駅まで、私を探しに来て会いに来た。いつも丁寧に整えられていた髪は乱れ、纏っている服も、適当に合わせてきましたという感じで、私と同じくらい酷かった。ああ、私と同じ。腫れた瞳と目が合う。前はもっときれいな色をしていたのに。泣いていたのだろうか、それだって私と同じ。とたんに力がぬけて、その場から動けなくなる。
「……なんで」
「病院抜け出すの、大変だったんだよ? 僕のとこは三階なんだけど、中川の奴、ベランダから降りて来いとか言うしさ、困ったよ、ほんとに」
「……」
瑛太は少し困ったように笑いながら、ぐしゃぐしゃなままの私の頭に手を伸ばす。ひとに、こうやって優しく頭を撫でられたのはいつぶりだろう。もう付き合っている訳じゃないし、新しい彼女も居るかもしれない。良くないとはわかっているのに、疲れてしまった私は、そのまま気の抜けたように座り込んでいた。
聞きたいことはたくさんある。なんで病院に入院しているのか、椿とは知り合いなのか、どうやって私を探したのか。「まあ、後で話すから」と微笑む瑛太を見て、こんなに暖かい人だったっけ、と思ってしまう。髪も着ている服も、付き合っていた時とは全然違うのに、矢桐くんに長い間酷いことをし続けていた最低な人なのに、縋ってしまおうとする私はやっぱり最低だった。だけど、落ち着いてきた私に、瑛太が淡々と告げた近況報告は、死ぬことを決めた私でさえも「ご愁傷さまです」と言わざるを得なかった。
「……あんなに有名になってたのに知らなかったんだ。僕、ついに矢桐に殺されそうになったんだ。あいつ、僕に相当恨みがあったらしくて、僕のスマホで全国配信してさ、それで警察が来てくれたわけだけど、結局どっちも退学になるし、名前は悪い意味で全国に知れ渡るし、最悪」
スマホを見ていないので知らなかったが、そんなことがあったらしい。そういえば、お母さんも何か言っていたような気がする。大変だったのね、と呟くと、柚寿もだろ、と笑われる。私だって複数の男と流されるまま関係を持ったり、友達だと思っていた人たちに裏切られたりしたけれど、そんなのいくらでも更生の余地があるよと言われそうで、私は何も言えなくなった。
「せっかくだから中川くんに来てほしかった? ごめんね、僕で」
「……別に良いけど……」
二人でホームの縁に座って、それから長い間、離れていた時間の話をした。瑛太は私に何があったのかは聞かなかったし、私も矢桐くんの事は聞かなかった。早朝、こんな寂れた駅に他に人が来るはずもなく、私たちはひさしぶりに、声を出して笑ったりもした。病院食は美味しくないし、一人でラブホテルに行くのは虚しい。髪は自分で切ってもうまくいかないし、学校と言う組織は、不祥事を起こすと話し合う余地も与えずに退学になる。
ああ、くだらない、とってもとってもくだらない世界だ。お腹が痛くなるまで笑いあう。無駄に頑張った時間も、辛いことに心を悩ませていた時間も、全部ちっぽけなものに思えてくるし、こんな世界で、こんな人生をきっと明日も戦っていく。どうする? ここで死ぬ? の問いに、まだ頑張ってみるよと返す瑛太も面白い。私達、こんなに追い詰められてるのに、まだ生きていこうとしている。それを止める権利は誰にもない。
「ねえ、柚寿」
「なあに、青山くん」
「瑛太って呼んでよ」
「……瑛太」
「これから海でも見に行こうよ。暇でしょ」
この電車に乗っていけば、多分着くからさ。瑛太は言う。椿と市民プールに行っていた時よりも、さらにずっと先。終点まで乗っていれば、確かに海には行ける。
私たちはやっとホームの、黄色い線の内側まで歩く。待合室の屋根でできた日陰に入りたかった。次の電車が来るまで、もう少し、この暖かい風に吹かれていようとした。
- Re: 失墜 ( No.85 )
- 日時: 2017/01/11 03:42
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
市民プールの駅を越えると、周りの風景は田園だらけになった。地方政令都市の名を一応持っているものの、駅の周りを抜けてしまえば大して栄えた雰囲気はない。だけど、空港の近くに海がある事は知っていて、そこに一度は行ってみたいと思っていた。
思い返せば、私が友達や恋人と行ったところなんて、ショッピングモールや料理店ばかりだった。それは周りに対して、優越の気持ちを持ちたかったのかもしれないし、買い物をしたり高い食べ物を食べる自分に酔いたかったのかもしれない。だけど、私は今すごくまっさらな気持ちで、海に行きたいと思っている。なんでかはわからないけれど、全部失った今、その理由なんかどうでもいい。私が轢かれてバラバラになるはずだった電車に乗って、どこまでも遠くへ行ってみたかった。
瑛太は私の体調を気遣って、なにか食べ物でも持ってくればよかったね、と、雑談の合間に何度も私に笑いかけた。だけど、電車が揺れたり、駅に止まって新たな乗客が入ってきたりすると、彼は居心地が悪そうに、その綺麗な顔を歪める。私はそうやって会話が止まるたびに、昔は止まらないようにとお互い変な努力をしていたことを思い出す。一か月もたっていないのに、懐かしいことのように感じるのは、きっといろいろありすぎたから。もうすべて終わったから、何も気に病むことなんて無いし、ゆっくり元気になっていけばいい。
「なんか、すぐ着いちゃったね。昔は海っていうと、すごく遠い場所みたいに思ってたけど」
「実は近くにあったのね、海って」
電車を降りて、海まで二百五十メートルという看板に沿って歩く。財布を持っていなかったので、瑛太に電車賃は払ってもらった。流石にもう矢桐くんのお金だとは考えられなかったので、今度返すね、といつになるかわからない約束をした。奢ってもらうだけの女はもうやめだ。
この駅や海は観光地ということになっているが、近くに住んでいた私たちがわざわざ行くような場所でもなかった。もう少し遅い時間に来れば、観光客をもてなすための売店が開いていたから、雰囲気も楽しめたのだろうけれど、私たちの周りには数人、海岸を散歩している人がいるだけだった。こんなに早い時間のデートは初めてで、私は眠くなり始めた瞳を擦る。昨日は一睡もできなかったのだ。それは瑛太も同じようで、もともと朝にはそんなに強くない人だけど、今日は目に見えて眠そうだった。
私たちは纏った洋服もめちゃくちゃで、髪も表情もくたびれている。今の私たちは、かつて学校でいろんな人に憧れられたカップルにはとても見えないだろう。それどころか、これから海に沈んで心中でもするのではないかと思われそうである。
「……まだ店も開いてないし。ソフトクリーム、おいしそうなのに」
「柚寿が甘いもの食べたがるの珍しいね。嫌いだったんじゃないっけ」
「疲れてる時って無性に甘いもの食べたくなるじゃん?」
「僕っていつも疲れてたのかな」
水辺で遊んでいたら、本当に心中する人たちみたいだ。だから、まだ開いていない海の家の日陰に入って、深い青と緑を混ぜたような色の波が、押したり引いたりしているのを、ただじっと見ていた。
海はきれいだ。どこまでも広くて、おおらかに澄んでいる。青の海と、水色の空がはっきり分かれる境目、私にはそこまでしか見えないけれど、その先もずっとずっと海は続いている。これは聞いた話だけど、深海は宇宙よりも解明が進んでいないらしい。この眼下に広がる冷たい水たちの奥底に広がる世界の事なんて、人間はこの先しばらくはわからない。
「悩んでたのが馬鹿みたい。すごくちっぽけなことに思えるの、海って凄いなあ」
「柚寿の悩みはちっぽけなんかじゃないよ。でも、連れてきてよかった」
砂浜まで歩く。さらさらした水に、足を取られそうになる。サンダルのような靴を履いてきて正解だった。足元に触れる冷たい水が、私が生きていることを感覚として伝える。波が引くと私は取り残されて、そしてまたやってくると、透明な水が、とても心地よく巻き付くのだ。海はこれを永遠に繰り返す。私はじっと見ている。すると、一際大きな波がやってきて、私は急にバランスを崩した。これくらい耐えられるはずだったのに、疲れていた私はそのまま、倒れるように波に押されてしまう。
「危ないよ」
転ぶ、そう思ったときに急に手を引かれる。咄嗟に閉じてしまった目を開いたら、私は腕の中にいた。病院独特の、アルコールの匂いがする。しばらく忘れていた柔軟剤の匂いも一緒に、その暖かい、久しぶりのひとの体温に私は驚いて、穏やかな笑顔を浮かべている瑛太を見上げた。
「……ありがと」
「あんまりはしゃがないでよ、ここで転んだら大変だろ」
「うん」
水が遠くなっていく。二人分の足跡が、吹いた風に消えていく。点検をしているのか、乗客のいない遊覧船が、海の上をゆっくりと滑っていくのが見える。静かに時間は流れる。私たちを連れて、海は呼吸をしている。
あの向こうには何があるんだろうね、という私の問いに、瑛太は「空港だよ」と、とても現実的でつまらない答えを返した。いつかの矢桐くんのほうがまだ面白かったな。でも、こうして両腕を支えられたままでいるのは安心する。バランスを崩しかけた時、助けてくれる誰かがいるというのは、とても心強い。ひとりで生きるのは大変だけど、分け合ってしまえばなんてことはない。
「……ねえ、なんていうか、ごめん」
「いいよ。僕も、柚寿には迷惑かけたし」
「……大変だった。許さないから」
「……許してくれなくても良いよ。でも、まだ好きでいていいかな」
波は急に、空気を読んだように静かになった。不意打ち。思えば付き合った時も、ちゃんとした告白なんてのは無くて、その場のノリとか、雰囲気とかで交際することが決まったから、面と向かって、付き合っていない状態で、好きと言われるのはこれが初めてだった。
「……勝手にすれば」
するり、と腕を抜けて、私はまた砂浜の方へ歩き出す。もう私は波に足を取られたりはしない。冷たい水が、この数秒間で急激に上がった体温を冷やしていく。私をここまで不幸にした諸悪の根源を、許したくはない。だけどお互い、いつまでも引きずるのも嫌だし、すごく高い立場から失墜してしまった同士、しょうがないから上手くやっていこう。
振り返ると、少し嬉しそうな瑛太が、私に向かって言った。
「その髪が、また綺麗に伸びた時に迎えに行くよ」
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