複雑・ファジー小説

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失墜  【完結】
日時: 2021/08/31 01:24
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: bOxz4n6K)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19157

歪んだ恋愛小説です。苦手な方はご遠慮ください。


>>1 あれそれ

☆この作品の二次創作をやってもらっています。
「慟哭」マツリカ様著 URL先にて
「しつついアンソロ」雑談板にて掲載中 

キャラクター設定集 >>80-81
あとがき >>87


>>99
>>100

Re: 失墜 ( No.10 )
日時: 2016/08/16 19:25
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 「ひどいよね、あの席替え」

 英語の時間。僕が一番嫌いなグループワークで、一番嫌いな青山と同じ班になってしまったので、僕はずっと寝ていようかと思ったのだが、偶然にも同じ班に瀬戸さんもいたので、電子辞書で単語を調べて配られたプリントを進めていた。
 前の席に座っている青山は、僕に見向きもしないで、瀬戸さんに絡んでいる。班は四人構成で、もう一人長岡さんという眼鏡が似合う真面目な女子が居るのだが、青山はそっちにはなぜか興味を示さない。瀬戸さんが可愛いのは僕も賛同するけれど、お前には小南さんっていう恋人がいるのだから、気安く他の女に話しかけたりしないほうが良いと思う。瀬戸さんが間違って青山を好きになったりしたら、僕に勝ち目はない。

 「ううん、私の成績が悪かったから仕方ないよ」

 いつもより若干上ずった声で、瀬戸さんは言って、謙遜するように手を振る。僕の電子辞書は電池が切れかけているのか、画面がうっすらと透けて何も見えなくなった。
 青山を相手にすると、ほとんどの女子がこうなるのは知っていた。成績が優秀で、特に数学はクラスで一番できて、球技大会ではテニスで準優勝し、美容院で出されるような雑誌の読者モデルもしている。僕から金を窃取する点以外は、文句の付けどころのない男である。なんにも知らない瀬戸さんは、瞳をキラキラさせて青山を見ている。
 僕は青山が大嫌いなはずなのに、青山になりたいな、なんて思ってしまった。

 「前回のテスト難しかったじゃん。矢桐はどうだった?」

 瀬戸さんに向けていた視線が、こっちに向く。青山はいつものように、穏やかな表情をしている。

 「……普通」

 小さく吐き出した言葉が、二人まで届いているかはわからなかった。
 瀬戸さんが何か、僕を褒めるような事を述べる。青山もそれに協調して、矢桐は真面目だからなと言う。本心ではそんなこと思っていないに決まっている。都合のいい財布くらいにしか思ってないくせに。
 青山も瀬戸さんも、配られた英語のプリントは白紙のままだ。喋ってばかりいないで進めればいいのにな。どうせ、終了間際になって、「矢桐、プリント見せてよ」と言ってくるのだ。生きるのが上手い奴らなんて、みんなこうなんだ。僕は馬鹿らしくなって、もうそれ以上プリントを進めなかった。

 昼休み、廊下を歩く。うちの学校は屋上が解放されている。数年前にここから飛び降りて自殺した生徒がいるにも関わらずだ。一昨年の生徒会が一般生徒たちと結託して、屋上を生徒が使えるよう運動を進めたらしい。奴等は自殺した奴のことなんて、少しも考えていない。
 こんな世界だ。僕が青山を殺したところで、そりゃあ少しは話題になるだろうけど、数年もすれば忘れられてしまう。僕は英雄にはなれない。むしろ、僕が死んで悲しむ人より、青山が死んで悲しむ人の方が絶対に多い。瀬戸さんは泣いてくれるだろうか。
 ああ、瀬戸さんがここにいて、僕を全肯定してくれたら、僕は青山を殺そうとなんてしなかったのにな。
 約束の時間がもうすぐ来る。僕のポケットには、渡す予定の一万五千円と、刺し殺すためのカッターが入っている。

 

Re: 失墜 ( No.11 )
日時: 2016/09/07 15:36
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: OBZwk3oo)

3 いちご
 土曜日、午後三時、駅前のスターバックス。ゆっくりと時間が流れる店内から、人々が忙しそうに歩き回っている外を眺める。

 「瑛太、進路どうすんの? やっぱ東京の大学? 俺も美容系の専門学校行こうと思ってたんだけど、専門学校ってけっこう金かかるんだよなー」

 前の席に座って、バニラフラペチーノを飲んでいる親友の渋谷翔がそんなことを言い出したので、僕は少し悩んで、「うん、東京の大学に行こうと思ってる」と返した。
 先週も先々週も、土曜は模試や撮影があったから、一日いっぱいオフな日は久しぶりだった。家に居ても暇なので、親友である翔と待ち合わせをして、さっきまでショッピングモールを回っていた。僕らの足元にはHAREの紙袋が並んでいる。気に入った服を何でも買ってしまう翔に付き合っていたら、僕まで散財してしまった。

 「凄いよな、瑛太は。俺なんてテスト赤点ばっかりで、大学には行けないって先生に言われた」

 翔は八重歯を見せて、幼い子供のように笑った。僕はミルクをたっぷり入れたコーヒーをコースターに置いて、謙遜の言葉を並べる、その時、レジに居た若い女の店員と目が合う。
 翔と僕は同じ雑誌で読者モデルをしているので、その繋がりで仲良くなった。舌に光る銀色のピアスや、横側だけ銀色に染めた髪が特徴的な身長の高い男で、たしか、商業高校の被服科に通っている。僕の一番の友達でもあり、ここ最近は月一くらいで適当に服を見に行って飯を食べる、という間柄が続いていた。

 「瑛太も東京行くんなら、同棲しようぜ。家賃とか安く済むしな」
 「はは、なんだよ同棲って。柚寿に聞いてよ」
 「あー忘れてた。じゃあ柚寿ちゃんと三人で同棲」

 いいじゃん、家賃三分の一。翔は楽しそうに言う。彼女の柚寿のことを思い出して、こいつには近付けられないよなと苦笑いをする。前に言っていた社会人の彼女とはうまくいっているのだろうか。それを聞くと、翔は少し表情を陰らせて、「別れた」とだけ言った。やっぱりな、と思った。

 「……瑛太は、柚寿ちゃんと何か月なん?」
 「再来週で一年」
 「あはは、俺そんなに女と続いたことないや。いいな、柚寿ちゃん。可愛いし。瑛太と同じ高校ってことは頭も良いんだろ。最高じゃん」

 午後三時のスターバックス。薄々とは気付いていたけれど、さっきから若い女の店員がふたり、僕と翔をじっと見ている。この前柚寿と来たときは、プラスチックのコップには「welcome!」しか書いていなかったのに、今日はご丁寧にハートマークも添えてある。翔もそれに気づいたのか、「モテすぎるのも困るよなあ」と笑った。
 僕の恋人の柚寿は、スタイルが良くて、美人な女の子だ。入学式の日に見かけて可愛いなと思って、なんとなく距離を詰めて仲良くなって、去年の夏から付き合っている。大きなケンカもせずここまで仲良くやってきたし、たぶんこれからもそうなんだろう。

 「……柚寿、今日も授業みたいで、忙しそうなんだよな」

 もう半分以上飲んでしまった、コーヒーに口をつける。下の方に砂糖が溜まっているせいか、カフェオレみたいに甘い。
 頭の悪い女は、話していて疲れる。でも、頭の良すぎる女はもっと疲れる。女なんて、美人で気が利けばあとはどうだっていいのだ。柚寿は無駄に勉強とか運動とかを頑張ってるみたいだけど、僕としては柚寿ともっと遊びたいし、女は多少わがままなくらいが丁度いい。いつも奢ってあげてるのに、僕から誘わないと「遊ぼう」の一言もないし、もっと可愛げのある女になってくれないかなと思っていたところだ。

 「頑張り屋じゃん。いいじゃん。俺にも紹介してくんね? 柚寿ちゃんの友達」
 「別にいいけど、うちの学校、柚寿以外の女子はなかなかレベル低いよ? 進学校に夢見すぎ」
 「もう不細工でもなんでもいいよ。美人な女ほど調子乗ってるから、ほどほどが一番。さ、はよ」

 そう言われても、柚寿の友達の事は、実はよく知らない。よく柚寿に引っ付いている戸羽紅音さんや、仲の良さそうな女子たちならラインを持っているけれど、戸羽さんには確か彼氏がいたはずだし、他の子も多分男には困っていないだろう。
 そういえば、この前柚寿が、「紅音が彼氏と別れそう」って話してたな。髪を茶色に染めて、パーマを当てて、酷い化粧をしているクラスの女、戸羽さんの顔を思い出す。アイラインなんか、僕が引いてあげた方が上手くいきそうだし、チークも濃いし、だらしないし、天然美人の柚寿と並ぶと目も当てられない。
 僕は戸羽さんのラインを開いて、翔に見せる。プロフィール画像にしている自撮りの写真は、実物よりかなりマシだった。

 「これ、柚寿の友達。責任は取らないからな」
 「え、マジ? 可愛いじゃん、追加しよ」

 会ってみると幻滅するだろうけどな、と付け加えて、僕はあくまでも無関係を貫くように、スマホをポケットに滑り込ませた。
 戸羽さんへラインを送る翔を眺めていると、柚寿と付き合おおうとしていた頃の僕を思い出す。僕は柚寿で一年持っているけれど、翔はこういうことを月一くらいでやらなければいけないのだろう。

 「よっしゃ、やりぃ」

 勝ち誇った笑顔で、翔は画面を僕に見せる。時間を置かずに帰ってきた戸羽さんからの返事は、「青山くんの友達がラインしてくれるとは思わなかった、よろしくね」といった内容が丁寧に顔文字までつけて並べられたものだった。
 とりあえず一回ヤっとくか、と言いながら翔はスマホに文字を打ち込んでいる。そんな僕たちを興味深そうに見ている店員の片割れと目が合う。これ以上ここに居たら、連絡先を書いた紙を渡されそうだなあ。
 楽しそうにラインを送り合っている翔を見ていても暇なので、僕もまた、スマホを取り出した。柚寿から、「今授業終わったよ」と連絡が入っていた。

 
 

Re: 失墜 ( No.12 )
日時: 2016/08/10 23:42
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 戸羽さんの軽さには驚くばかりで、今付き合っている彼氏とはまだ別れていないくせに、これから翔と会うらしい。
 柚寿がこんな女じゃなくてよかった、なんて心の奥底で思いながら、駅に消えていく翔に手を振った。

 「もしもし、柚寿? 授業お疲れさま。僕、駅にいるけど、会えるかな」

 人混みと逆方向に歩き出して、柚寿に電話をかける。珍しいことにワンコールで出た柚寿は、友達と一緒にいるみたいで、奥から賑やかな声が聞こえる。邪魔しちゃったなら悪いけど、僕的には急ぎの用だから仕方ない。

 『うん、ありがと。これからユリ達とご飯だから、十八時からだったらいいよ』
 「りょーかい。じゃあ、十八時に時計塔で待ってるから」

 ぷつん、と電話が切れる。この時間にご飯か。柚寿は甘いものが好きだから、スイパラにでも行くのかもしれない。かなりの甘党だけど、人前ではなんとなく我慢してしまう僕にとって、甘いものをいくらでも食べられる女の子は少し羨ましい。柚寿が誘ってくれたら僕も行くのにな。

 「……あ、そうだ。記念日」

 誰かに向けて吐いた言葉ではないけれど、口に出しておかないと忘れてしまう気がした。
 柚寿とは、再来週で一年になる。付き合った日から、一か月ごとにお互いプレゼントを贈るのが僕たちの決まりになっていた。一年か、駅で高いネックレスを買ってあげれば、喜ぶだろうか。そう思って財布を開いても、そこには一万円札が一枚入っているだけだった。そういえば、昨日欲しかった革靴を買ったんだった。
 一万じゃ、全然足りない。柚寿には、できるだけ高価な物を買ってあげなくてはいけない。僕の社会的な地位だったり、名誉にかかわる問題である。柚寿は友達が多いから、ここで僕が粗末なプレゼントを与えてしまったら、あっという間に広まって、僕はこの立場から失墜してしまうかもしれない。
 僕の小遣いは月三千円だ。ちなみに柚寿は僕の五倍貰っている。柚寿はその金で上手くやりくりして、友達と遊んだり欲しい服を買ったり僕へのプレゼントを考えたりしているらしいが、僕の三千円ではやりくりもクソもない。母さんは仕事が忙しくて弁当を作る暇もないから、毎日二百円のパンを買ったとしたら、もう僕が自由に使える金なんかないじゃないか。
 無意識のうちに、僕はスマホを取り出していた。連絡する相手は柚寿でも翔でもない。届いているラインを全部無視して、電話のアプリを起動する。僕の指は、あいつの番号を正確に覚えている。

 『……もしもし、矢桐です』

 いつも通り、すぐに矢桐は電話に出た。その声を聞いた瞬間、妙な安心感に襲われる。

 「……もしもし、僕。いま、駅にいるんだけど。いつもの」
 『僕、三万しか持ってないけど』
 「こっちは一万しかないんだけど」
 『……』

 電話が切れて、無機質なとぎれとぎれの電子音だけが残る。無言の了承と言うものだ。
 僕が矢桐から金を奪うようになったのは、中三の時だった。当時、受験勉強にイライラしていた僕は、密かに矢桐をからかって遊んでいた。もちろんそれは、誰にもばれたことはない。放課後、誰にも見つからない場所に連れ込んで、矢桐を殴ったり蹴ったりしていた。
 その年の正月、親戚が集まる家に行ったとき、珍しく機嫌のいい祖父が、「パチンコで勝ったんだ」と言って、僕に裸の一万円札を渡した。僕はその時、一万円札を生まれて初めて見た。一瞬で大金持ちになった気分になって、滅多にしない自慢を矢桐にだけした。「僕、この前一万円貰ったんだ」と話すと、矢桐はきょとんとした表情で僕を見て、だからどうしたの、と言った。
 聞くと矢桐はその年、お年玉を十五万円もらったらしい。その時、やっと気付いた。矢桐は僕の何倍も金持ちだ。僕よりも下だと思っていた矢桐が、僕よりも金を持っているのが許せなくて、僕はその日から、矢桐を脅して金を奪うのをやめられなくなってしまった。最初は千円だったのに、今では計算するのも怖いくらいの金額を巻き上げている。
 矢桐は絶対に大人にチクらないのが逆に不安で、今でもふと怖くなることがあるけれど、だからといってやめることはできなくて、これで最後にしようと何度も思っているのに、今日も僕は待ち合わせの場所へ向かう。

 「金だって、矢桐なんかより、僕に使われた方が嬉しいよなあ」

 喧噪に呑まれて、誰にも聞こえない。誰に充てたものでもないので、独り言で充分だ。強いて言うなら、これから僕のものになる予定の、矢桐の財布の中の三万円に言ってるんだけど、聞こえてるかな。
 駅の方へ歩き出す。矢桐が来るまで、柚寿へのプレゼントでも考えておこうかな。休日の午後の駅前は、いつもより浮かれているように思えた。
 

Re: 失墜 ( No.13 )
日時: 2016/09/07 01:10
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 来なければいいのに、と思った。
 憂鬱そうな面持ちで、駅地下のベンチにやってきた矢桐に、もはや労いの言葉をかける気はない。僕がなにか言ったところで、それは同情にしか聞こえないだろう。あとで会う予定の柚寿にはいくらでも優しい言葉をかけてあげるのにな。僕は矢桐の前では、青山瑛太でいることを諦めたのかもしれない。

 「……青山」

 ぼうっと人混みを眺めていたら、いつの間にかすぐ近くまで来ていた矢桐に声をかけられた。相変わらず、存在感が無い奴である。休みの日だというのに地味な服装をしている矢桐は、当たり前だけど酷く暗い表情をしていた。
 もし、矢桐も僕への同情でここに来たとしたら、おあいこだろう。医者と大学教授のご子息が、生活保護でなんとか暮らしている僕に同情して、その桁違いな小遣いの一部を同情でばらまいているだけだとしたら、そんな矢桐に縋らないといけない僕は、どこまでも惨めだ。でも僕は、惨めでもなんでもいい。矢桐から金を貰わないと僕は、飯も食べられないし、友達とも遊べないし、服も買えないし、柚寿を満足させてあげられない。
 矢桐がそれを望むなら、僕は土下座でもなんでもしてやるつもりなのに、矢桐はいつも、恐ろしく冷めた目で僕を見ているだけだった。矢桐がこんな感じだから、僕は調子に乗って金を取るのをやめられずにいる。矢桐はもっと僕の事を嫌うべきだと思う。少しくらい反抗してくれないと、僕は本当にやめられなくなってしまう。
 人気が少ない路地裏に誘い、僕は矢桐に財布を出させた。矢桐は金持ちのくせに、身の回りのものにこだわりはないらしい。安そうな財布は、僕のせいでボロボロになってしまった。破れた穴から、不似合いな福沢諭吉が顔を出している。

 「矢桐って、毎回こういうことされて嫌じゃないの?」

 変な質問をしてしまったな、と我ながら思う。金を盗られて嫌じゃない人間なんかいない。それでも聞かずにはいられなかったのは、一度、矢桐を本気で怒らせてみたかったから。矢桐が僕を思いっきり殴ってくれたら、目が覚めるかもしれない。そんなことを頭の片隅で思った。

 「……別に」

 返ってきた返答は、いたってシンプルだった。表情がなくて、どうでもよさそうな声色が、僕ら以外誰もいない路地裏にぽつりと響く。
 思い通りにいかない奴である。矢桐にとって、僕という存在や、金のことはどうでもいいのだろうか。僕は矢桐が居ないと地位も食事も失うというのに、矢桐からしたら、僕なんて「ちょっと迷惑なクラスメイト」程度に過ぎないかもしれない。
 外が暗くなってきた。道を歩く人は、次々に鞄から折り畳み傘を出して広げる。どうやら雨が降ってきたらしい。
 ぴこん、と僕の携帯から、気の抜ける通知音が鳴った。人といる時にスマホは弄らない主義の僕だが、僕は矢桐を人と認識しなかったみたいで、当たり前のようにスマホを取り出した。見ると、翔と戸羽さんから連絡が入っていた。
 「俺たち、付き合うことになりました」と、写真付きの連絡。ふたりで手を繋いでいるその写真の背景は、見るからに安っぽいラブホテルだった。天気が悪化してきたのを口実に連れ込んだのだろう。本当に軽い奴らだ。
 僕は、こんなところで何をしているのだろうか。矢桐は僕を、ただ怪訝そうな目でじっと見ている。しょうがないから、「戸羽さんがさ、僕の友達と付き合ったってさ」と教えてやっても、曖昧な返答しかされなかった。きっと戸羽さんには興味がないんだと思う。じゃあ、この前の放課後、一緒に歩いていたあの子ならどうだろう。何気ない気持ちで僕は聞いた。

 「矢桐はさ、誰かと付き合ったりしないの? ……あー、たとえば瀬戸さんとか」
 「な、なんで瀬戸さんが出てくるんだよ!」
 「……へ」

 僕はスマホの画面から視線を上げて矢桐を見る。驚いた、矢桐の人間らしい反応を久しぶりに見た。
 矢桐は、「瀬戸さん」というワードを出したら明らかに動揺しはじめる。金を搾取し続ける僕よりも、優しさの塊のような瀬戸京乃さんの方が好きらしい。当たり前だけど。

 「へえ、なんか怪しいと思ってたんだよなぁ。瀬戸さんと仲良いしな、お前」

 いじめられっ子とこんな会話をするいじめっ子なんて、きっとどこを探してもいない。でも、僕は矢桐の話に単純に興味がある。何を失えば矢桐は僕に、本気でかかってくるのだろう。

 「な、なかよくなんか……」
 「仲良いじゃん。この前も一緒に歩いてたし。好きなの?」
 「……なんで、そんなこと……」

 耳まで真っ赤にして、俯きながら強く手を振って否定を表す矢桐は、いつもよりかなり人間味があって面白い。僕の前では、ずっと無表情で、殴られても蹴られても痛そうに顔をゆがめるだけで、本心では何を思っているかはわからなかった。矢桐って、こんなにわかりやすい奴だったのか。なんで今まで知らなかったんだろう。

 「……へぇ」

 最高にいいことを思いついた。僕は適当に笑顔を作って、「がんばれよー」と上辺の言葉を述べる。矢桐はまだ、真っ赤な顔で俯いたままだ。
 もし僕が、付き合ってもいない瀬戸さんを口説いて、セックスでもして、矢桐の淡い恋をぶち壊したら、矢桐はきっと僕のことを本気で許せなくなるだろう。人間らしい表情を、僕にも見せてくれるだろう。
 雨が強くなってきた。時刻は午後五時半、僕を待っているであろう柚寿が、雨に濡れたら可哀想だ。早く向かってあげなくてはいけない。
 僕は瀬戸さんに一件のラインを入れて、矢桐と別れることにした。

Re: 失墜 ( No.14 )
日時: 2016/08/12 01:53
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 こうやって雨に濡れる喫茶店で柚寿と向かい合っていると、まるでこれが映画やドラマのワンシーンのように思えてくる。もちろんそんなことは無くて、話題はこの前の変な席替えのことだったり、戸羽さんと翔のことだったりするのだが、口元に手を添えて笑っている柚寿は、非現実の世界からそのまま出てきたみたいに綺麗だ。翔が羨む気持ちもわかる。

 「渋谷くん帰ったあと、暇だったでしょ。何してたの?」

 なんでもなさそうなことを、なんでもなさそうに、柚寿は聞く。まつ毛の奥の大きな瞳に、店の電飾が反射して、赤色や青色の小さな光が沢山宿っている。
 クラスメイトの男を恐喝してたよ、と言えば、柚寿はどんな顔をするんだろう。僕は、たまに柚寿がわからなくなるときがある。いつも僕の話を笑って聞いて、僕がちょっと不機嫌になったらすぐに謝って、僕がしようと言ったことは、なんでもしてくれて。一年付き合ったんだから、さすがに気を遣っているとは考えたくない。でも柚寿は、いつも僕に全部を任せて、今日もここに座っている。
 きっと僕が、「クラスの男から金を奪うのをやめられないんだ」と告白したら、柚寿は動揺するだろう。柚寿が今着ているピンクのワンピースも、銀色のネックレスも、僕がプレゼントしたものだが、金の出どころは僕ではない。全部を話したら、そんな汚れた金で贈ってもらったプレゼントなんかいらない、と言うだろうか。「そっか、そうなんだ」で済ませてしまうのだろうか。これを話すことは、付き合ってくれと言うよりも難しい。矢桐から金を奪っているという事実は墓場まで持っていけたらいいし、そもそも柚寿と墓場まで一緒に居るという確証もないのだから、隠してしまうほうが、僕にとっても柚寿にとっても、良いと思う。矢桐無しでは生きていけない僕を知っているのは、矢桐だけでいいんだ。

 「駅で服見てた。もう夏物の季節だし」
 「そっか、いいな。私も服欲しい」
 「今度見に行こうよ。来週とか」

 わかった、予定空けとくねと柚寿は笑う。柚寿は友達が多いから、僕が黙っているとすぐに友達との予定を入れられてしまう。
 柚寿は、友達に対してもこんな態度を貫いているように思える。もうちょっと砕けてもいいのに、いつもぴんと背筋を伸ばして、笑顔を絶やさずにいる。疲れるだろうな。僕には甘えてくれてもいいのに、どうもうまくいかない。女の子ってこんなに難しかったっけ。
 柚寿の前に置いてある、半分くらい残っているショートケーキが目に入る。対して僕の前にあるのはブラックコーヒーであり、甘党の僕はさっきから、砂糖とミルクを取りに行くか、行かないべきかを悩んでいた。ブラックコーヒーも飲めないのか、なんて思われたくないけど、出来ることなら少しだけ甘くしたい。

 「……食べる? ショートケーキ」

 顔には出していないつもりだったのに、柚寿は少しだけ微笑んで、僕を見ている。「好きでしょ、いちご」と言って、小さなフォークにケーキを刺して、残っていたいちごも一緒に、僕の口元に向ける。
 柚寿は、エスパーか何かなのだろうか。こうやって差し出されたら、喜んで食べてしまうほかない。ありがとうと礼を言って、そのフォークを口に入れる。さっきまでの心配もどうでもよくなってしまうほど、甘くて少しだけ酸っぱいいちごは、ケーキといっしょにとろけていく。

 「美味しい?」
 「うん、ありがと、柚寿」
 「……このあとどうする?」

 私はどこでもいいよ、お母さん仕事だし、家でも。柚寿はそう言って、残ったショートケーキを丁寧に切り分けている。
 外でデートした後は、時々柚寿の家にお邪魔することがある。柚寿の家は広くて、部屋に置いてある小物も可愛い。いつ行ってもちゃんと掃除されていて、さすが女の子だと思う。
 僕にも自分用の部屋があったら、好みの家具を置いたり、柚寿を呼んだりしただろう。僕の部屋は未だに大学生の姉さんと共用だし、他の部屋もお世辞にも綺麗とは言えない。矢桐までの金持ちとは望まないから、せめて、普通の家庭に生まれたかった。古い団地の中でも特に古びた集合住宅棟の中の僕らの家は、台風でも来たらすぐに崩れてしまいそうだ。
 それを知らない柚寿は、時々僕の家に来たがる。そのたびに誤魔化しているけれど、なんだか騙しているみたいで嫌だ。柚寿にもっと気を許してほしいと思っているのに、僕がこれだと、柚寿が安心できるわけがない。早くあんな家を出て一人暮らしがしたい。矢桐にも、できればもう頼りたくない。
 そんな本音を言えるわけもなく、僕は笑って、また嘘をついてしまう。

 「柚寿の家にしようよ。ごめん、僕の家、今日も姉さんの彼氏来てるんだ」
 「そっか、わかった」

 付き合ってもうすぐ一年になるのに、一度も柚寿を僕の家に入れたことはない。柚寿もそろそろ何かを勘付き始めてもいい頃なのに、今日もただ偶然の出来事が起きたかのように振る舞っている。健気に笑顔を作って、可愛い僕の彼女でいてくれている。
 目を奪われてしまうほど綺麗な女の子だ。雨のせいで混んできた喫茶店にやってきた人達が、ちらちら柚寿を見ている。柚寿がどこかに行ってしまったら、ものすごく嫌だ。僕のものにして、この手でめちゃくちゃにしないと気が済まない。もう、場所なんてどこでもよかった。僕に足りないものを、とても上手く埋めてくれる柚寿が好きだ。本当のことはたぶん永遠に話せないけれど、一時的に満たされるなら、なんだっていい。
 皿に残る生クリームを名残惜しそうに見つめる柚寿を、ほとんど無理矢理立たせて、会計を済ませた。コーヒーは無理やり胃に流し込んだ。恐ろしく不味かったけど、気にしない素振りをして、柚寿の手を引いて歩きだす。柚寿の家に近い喫茶店を選んでしまったあたり、僕は最初からこれが目的だったのかもしれない。
 コーヒーのせいで、いちごの味はとっくに忘れてしまっていた。
 


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