複雑・ファジー小説

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失墜  【完結】
日時: 2021/08/31 01:24
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: bOxz4n6K)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19157

歪んだ恋愛小説です。苦手な方はご遠慮ください。


>>1 あれそれ

☆この作品の二次創作をやってもらっています。
「慟哭」マツリカ様著 URL先にて
「しつついアンソロ」雑談板にて掲載中 

キャラクター設定集 >>80-81
あとがき >>87


>>99
>>100

Re: 失墜 ( No.1 )
日時: 2020/03/01 21:00
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 393aRbky)

 愛と金と自己防衛が大好きな人たちのお話

登場人物, 
 矢桐晴(やぎり はる)
  好きな食べ物はハンバーグ。
 小南柚寿(こみなみ ゆず)
  好きな食べ物はステーキ。
 青山瑛太(あおやま えいた)
  好きな食べ物はいちご。
 瀬戸京乃(せと きょうの)
  好きな食べ物はグラタン。

もくじ
 1 絶対的な関係 >>2-5
 2 ぺんてる >>6-10
 3 いちご >>11-15
 4 ウルトラソーダ >>16-18
 5 建物んちの君 >>19-22
 6 悲しくなる前に >>23-24 >>27-28
 7 ノスタルジックJ-pop >>30-32
 8 あなたのあのこ、いけないわたし >>33-35
 9 星降る夜に花束を >>36-39
 10 従属ふりったー >>40 >>43-44
 11 2年 >>45-46 >>49
 12 恋をしに行く >>51-53
 13 愛の逆流 >>54-56
 14 あまい >>57-58 >>61
 15 犯罪者予備君 >>64-66
 16 リバーシブルー >>67-68
 17 魔法が使えないなら >>69-71
 18 ズッ友 >>72-74
 19 錯乱 >>75-77
 20 13番目の彼女 >>78-79
 21 非国民的ヒーロー >>82-83
 22 少女漫画少年漫画 >>84-85
 エピローグ >>86

番外編 
 とある午後 >>29
 はじめまして罪と罰よ >>50
 初恋(case.B)>>62

 

Re: 失墜 ( No.2 )
日時: 2016/10/13 03:17
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

1 絶対的な関係
 家に帰ったらまず、制服を脱ぎ捨てて、部屋着に着替える前に、体重計に乗る。私の体重は四十五キロぴったりでなければならない。一グラムでも増えていたら、近所を少しランニングして、夕食を抜くと決めている。
 針は四十五の少し前でゆっくりになって、ぴたりと止まった。セーフ。ほっと胸をなでおろし、上機嫌で部屋着のスウェットに足を通す。今日は学校帰りに瑛太とクレープを食べたから、絶対増えてると思ったけど、どうやらそれはいらない心配だったみたいだ。
 本当は、甘いものなんて少しも好きじゃない。胸焼けするし、太るし、生クリームなんて特に、あんな甘ったるいの、体に毒しか与えないに決まっている。でも、世の中の女子は大抵、クレープが好きだ。恋人に女子らしくないなんて思われたくないから、無理やり胃に流し込んで、水をいっぱい飲んで、今日もたくさん笑った。お疲れ、私。

 「はあ、つかれた」

 部屋のベットに倒れ込む。これから明日の授業の予習と、今日の授業の復習をして、宿題をして、模試の勉強をする予定だ。私はもともと全然頭が良くないから、人の三倍くらい勉強しないといけない。勉強だけじゃなくて、私は運動神経も全然ないし、目を引くような美人でもないから、運動も、美容も人の三倍頑張らなきゃいけない。とても辛いけど、頑張れば頑張るほど、みんなが私の事を、優等生で運動も出来て美人で、完璧な女の子だと言ってくれる。それが気持ちいいから、今日も小顔ローラー片手に、数学と英語と戦うのだ。頑張れ、柚寿。
 苦手な数学のテキストを手に取ったところで、ベッドに放り投げていた私のスマホから、好きなバンドの曲が流れだした。なんてタイミングが悪いのだろう、電話だ。舌打ちをしてピンクのスマホを手に取る。

 『ちょっと、柚寿、どーしよー。カレシと別れちゃうかもー』
 「……また?」

 開口一番、不機嫌そうな声色が耳に飛び込む。電話をかけてきたのは、私と同じクラスで同じグループに属する、戸羽紅音だった。同じグループといえども、紅音は、教師に注意されても毎日引いてくるアイラインはガタガタだし、適当に染めた茶髪は痛んでいるし、足を開いて座るし、笑う時に大口を開いて手を叩くから、なんとなく距離を置いてしまうのだけれど、彼女の方は私をかなり信頼してくれているみたいで、こうして電話をすることも多いし、遊びに行くこともある。
 いろいろと理解できない部分もあるけれど、根は悪い子ではないし、なにより紅音は毒舌家でなんでも喋るので、私が普段思ってても言えないことをズバズバ言ってくれるから、一緒に居て楽しい存在だ。私はテキストを閉じて、ベットにもう一度倒れ込む。三十分くらいは、愚痴に付き合ってあげよう。

 「どうしたの、またケンカした?」
 『うん、あいつさぁ、記念日なのに、金無いからディナー割り勘だって! マジで腹立つ! 怒って帰ってきたとこ、今』
 「そっかそっか、災難だったね」

 そんな理由でケンカしてたのか、と私は笑ってしまいそうになる。電話の向こうの紅音は本当に怒っているから、彼女にとっては至極真面目な問題なんだろうけど。

 『青山くんって、全部奢ってくれるんでしょ? いいなあ、うらやましー』
 「それはそうだけどさー……」

 その紅音の言葉が少し引っかかって、私は言葉に詰まった。紅音に言ったことはないけれど、高校生のうちは、親の金で遊んでるんだから、割り勘は当たり前だと思う。
 でも瑛太は、いつでも奢ってくれる。デートの時は、値段が高くて美味しいお店に沢山連れて行ってくれるし、可愛いと言った服はなんでも買ってくれる。記念日とか、誕生日にもお洒落なプレゼントをくれるから、最近では逆に私が恐縮してしまって、瑛太にちゃんとしたプレゼントを贈れない自分を恥じてみたり、釣り合えてるだろうかと悩んだりしているのだけれど、これも紅音からしたら、贅沢な悩みなのだろうか。

 『何がそれはそうだけどさー、よ。あたしも青山くんと付き合いたいなー。イケメンだし、読者モデルだし、頭良いし、運動できるし性格も良いし。あと金持ってる。最高じゃん。まあ、柚寿だから青山くんと付き合えてるんだけどさ、でもやっぱ羨ましいなー』

 電話越しの紅音の、高い声が耳に痛いほど聞こえてくる。
 柚寿も何でもできて、美人だもんね。絶対かなわないわ。紅音はそう言って笑う。そんな訳ない、私は人並み以上に頑張らないと何もできない。みんなが遊んでる時に勉強して、学校でばれないメイクを研究して、やっとスタートラインに立てているようなものだ。だけど、私のしょうもないプライドはそれを許さない。「最初から何でもできる、才能に恵まれた子」を演じたがっている。努力していることを、口に出したとたん、それは価値を無くす。

 「……どうするの、彼氏のこと?」

 なんとか話題を逸らそうとして、思い浮かんだのは紅音の彼氏のこと。美味しいご飯を食べられるのなら、割り勘でも全然良いと思うんだけど、紅音は納得がいかないらしい。

 『もう決めた、別れる。そんで、青山くんみたいなカレシ作る。ねえ、柚寿。青山くんの友達とか紹介してくれない?』
 「紅音、最初からそれが目的だったんでしょ」

 違う違う、でもお願い! と紅音は言う。しょうがないから、わかった、とだけ返しておく。
 それから十五分くらい紅音と雑談した。クラスにいる女のこととか、ドラマのこととか、若い数学教師のことを話しているうちに、なんだか疲れも取れてきた。紅音と話すのは、良い気分転換になる。
 ベットに並べられたぬいぐるみをぼんやり眺めながら、友達との電話に興じる。まるで、普通の女の子みたいだ。紅音はこれから、また別の友達と遊びに行くらしい。私も、人並みに何でもできる女の子だったら、紅音に付いて行って一緒に遊んだのだろう。私は紅音が羨ましいなあ、なんて、思っても絶対に言えなかった。
 私は、明日も完璧な小南柚寿を演じるために、目の前のテキストを手に取った。そうする道しか、私にはない気がした。
 
 

Re: 失墜 ( No.3 )
日時: 2016/10/13 03:23
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 朝。三時間しか眠れていない、重い体を引きずって家を出る。後ろから母親が言う、「いってらっしゃい」に適当に返事を返す。
 家の近くのコンビニのガラスに映っている私は、いつもより疲れているように思えた。もちろん、目の下のクマを隠す化粧はしているし、真っ直ぐなロングヘアのためにもかなりの時間を割いている。色付きのリップも、ほんのりピンクの肌も、ビューラーで上げたまつげも、完璧なはずなのに。今週末は勉強しないでゆっくり寝ていたほうが良いのかもしれない。
 五月も中旬に入り、もうすぐ夏が来る。日焼け止めを塗ってきて正解だったな、と思う。ふわりと風で舞う髪は、随分伸びてきた。そろそろ切りに行こうか、やっぱりやめようか、なんて考えているうちに、待ち合わせ場所である時計塔に着いてしまった。今日は私の方が少しだけ早い。

 「おはよ、柚寿」
 「おはよう」

 ほぼ同刻にやってきた恋人に挨拶をして、私は笑顔を浮かべた。
 今日の瑛太は、制服のブレザーじゃなくて、キャメルのカーディガンを着ていた。明るい色のカーディガンは、本当は校則で引っかかるのだけれど、ちょっと前から生徒指導部の鬼教師が腰痛で入院しているので、みんなはここぞとばかりに制服をアレンジして着ている。私も一昨日から横の髪を留めるピンを黒からピンクにしてみたりして、学校はちょっとしたお祭り状態にあった。
 カーディガン、欲しいな。ローファーも欲しいな。瑛太が身に着けている物は、いつも新しくて、お洒落だ。私は横を歩きながら、ちゃんと釣り合えているか心配で、何度も開店前のショーウィンドウに写った姿を確認してしまう。読者モデルって、そんなにたくさん稼げるのかな。どうしても考えてしまう。私は月一万五千円のお小遣いで、頑張ってやりくりしているけど、欲しいものは少ししか買えないし、だからと言って瑛太に買ってもらってばっかりでも申し訳ないし。もっと素敵な女の子になりたいと思う気持ちだけがあって、それについていけない自分に、少しだけ疲れていた。

 「うわ、人身事故だって」

 駅に入った時、いつもよりかなり人が多くて、それにピリピリしたムードが漂っていたから、薄々は予想していた。電光掲示板を見た瑛太が苦笑いを浮かべる。次の電車は三十分後だから、今日は遅刻かな、と私も笑う。
 やることがないので、駅の中のスターバックスに入って、フラペチーノを二つ頼んで、一つだけ開いていたテーブル席に座った。担任に遅刻の電話を入れている瑛太を見ながら、本当はコーヒーがよかったな、という気持ちを掻き消すように、フラペチーノをストローで混ぜる。

 「あーあ、英単語テスト、追試決定じゃん」

 電話を切った瑛太が、せっかく勉強したのにな、と言って笑った。
 今日の朝、ホームルームが始まる前に、英単語の小テストが予定されていた。私も寝る時間を削って勉強したので、残念ではあるけれど、こうなってしまっては仕方がない。アイスを溶かしたみたいな、変な飲み物を流し込んで私は、「次頑張ろうね」と言った。
 瑛太はいつ見ても、整った顔をしている。今まで見た男の子の中で一番かもしれない。いつも穏やかな笑顔を浮かべて、どんな話でも聞いてくれる。紅音が言う通り、理想の彼氏像そのものだ。店の横を通り過ぎていく若者たちは、私と瑛太を交互に見て、何とも言えない表情を浮かべて通り過ぎていく。それが羨望であることなんて、すぐにわかってしまう。私たちは、今日も完璧だった。

 「そういえばね、紅音、彼氏と別れそうだって」
 「ああ、戸羽さんか。全然続かないんだね、あの子」

 他愛もない話をする、その間にも、店の外からの視線を感じる。冴えない外見の女子高生二人が、瑛太をちらちら見ながら何かを話していた。
 しばらくの間雑談を楽しんでいたけど、電車の運転が再開したらしいアナウンスを聞いて、私たちはスタバを出ることにした。改札もホームも殺人的に混んでいて、せっかく綺麗にブローしてきた髪がぐしゃぐゃになる未来を予測して、気が重くなる。柚寿は危なっかしいところあるから、と私の腕を引く瑛太の後ろを歩いて、やっと乗った電車が、のろのろと動き出す。
 時刻は午前八時四十五分。英単語テストはもう終わっただろう。二人分の席を確保した瑛太が、小さくあくびをする横で、無表情に流れる景色を眺めていた。

Re: 失墜 ( No.4 )
日時: 2016/10/13 03:38
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 「二人揃って遅刻なんて、朝からアツいなあ」
 「そういうのじゃないってば」

 一時間目が終わる時間に合わせて、二人で登校した。教室に入るなり茶化してくるクラスメイトをうまくかわして、自分の席に座る。前の席の紅音が、振り返って「おはよ、柚寿」と笑う。今日も酷い化粧だなあ、という言葉の代わりに、おはようと返す。いつも通りの爽やかな朝、白紙の英単語テストが、机の中に入っていた。
 瑛太はまだ教室のドアのところで、鞄を持ったまま友達と話をしていた。バスケ部のエースで、クラスの中心的な人物である柏野くんや、成績優秀な副委員長の八巻くんは特に仲のいい友人らしく、よく行動を共にしている。楽しそうに話している瑛太と目が合うと、ふわりと微笑まれた。
 CMの宣伝のようなあざとさすら感じるけれど、瑛太ほど見た目が整っている人がああいう仕草をすると、やっぱり、かっこいい。彼女だから贔屓目に見てるとか、そういうのを一切抜きにしてもだ。

 「柚寿、早く青山くんの友達紹介してよー」

 そんな一連の流れを、羨ましそうな表情で見ていた紅音が、頬を膨らませて私の腕をシャーペンでつつく。
 紅音だって隣のクラスに彼氏がいるのに、もう見切りをつけたのか、次の男を探すのに夢中である。協力してあげたいけれど、私は瑛太の友達についてあまり知らないから、ほとんど手助けはできない。瑛太は交友関係が広いから、モデル友達だったり、学校の先輩や後輩だったり、街を歩けば時々誰かに遭遇する。
 いちいち顔と名前なんか覚えていられないが、一人だけはっきり覚えているのは、私がしつこいナンパにあっていた時、助けてくれた渋谷くんという男の子。あとから瑛太に聞いた話だが、渋谷くんとはかなり長い付き合いらしく、高校が離れた今でも月に一度は会って遊んでいる、親友のような存在らしい。
 頭の中に一瞬、「紅音に渋谷くんを紹介する」なんてことが浮かんだけど、すぐに消し去る。特に理由なんてないんだけど、紅音と同等に見られたくなかったのかもしれない。
 心の中で友達を卑下してしまう私は、それなりに嫌な人間だ。だから、今日も取り繕って、嘘を並べて生活する。紅音に、「わかった、今度ね」と言う私は、たぶん上手に笑えていた。

 昼休み。紅音と、他の友人達とみんなで学食を食べに行った。周りのみんなはカレーやラーメンを食べていたけれど、私はお金がないと誤魔化して、サラダだけ食べた。
 うちの学校の学食は美味しいと市内では有名で、以前チャーハンを食べてみた時、驚いたのを覚えている。こんなに美味しいものを毎日食べていたら、確実に太るから、それ以来自重してるけど、正直隣のみちるが啜っているラーメンも、前の席の優奈が食べているカツカレーも、すっごく食べたい。
 それが顔に出ていたのか、「柚寿、ちょっとわけてあげるよ」とみんなが次々に小皿を持ってきて、私の分を取り分けてくれた。

 「・・・・・・え、いいの?」
 「もちろん! ウチも金ない時みんなに奢ってもらった事あるし、この学食ちょっと量多いし」
 「柚寿、超細いんだから、もっと食べなきゃダメだよ。あたしのもあげる」

 あっという間に、私の前には小皿が五つも並んだ。
 私はそれが素直に嬉しくて、美味しくいただいてしまう事にした。なんて良い人たちなんだろう、こんなに優しくしてもらえるなんて、中学時代までは絶対にありえなかったことだ。

 「ありがとう、いただきます」

 久しぶりに、心から笑えた気がした。

 その日の放課後。今日の日直が紅音だったから、私は日誌を書くのを手伝っていた。「柚寿って、字綺麗だよねえ。教科書みたい」と言う紅音は、真っ白な日誌に、可愛らしい丸文字で、今日の天気やら清掃状況やらを記入していた。
 瑛太と一緒に帰る予定だったけれど、教室に姿は見当たらない。先輩のクラスに行ったのだろうか。スマホにも特に連絡は入っていないから、きっとすぐ戻ってくるだろうけど、早く家に帰ってゴロゴロしたいなあ。
 しばらくして、紅音の彼氏が迎えに来た。廊下にその姿が見えた瞬間、紅音はあからさまに聞こえるような舌打ちをして、荷物をまとめはじめる。まだ全部埋まっていない日誌を持って、教室を出ていく紅音に、じゃあね、また明日、と挨拶をして、教室の出口まで見送った。
 廊下の向こうに消えていく紅音と彼氏を眺めながら、もう教室には私以外誰もいない事に気づく。暇だなあ。外はもう暗くなりかけていて、そろそろ家に帰らないと明日の予習ができなくなるんだけどな。そう思っていた時、やっと瑛太が帰ってきた。私に手を振って、待たせてごめんね、と笑うのを見ると、なんだか安心してしまって、私も笑った。

 「どこ行ってたの、こんな時間まで」
 「ちょっと友達と話してた。ごめんね、柚寿」

 誰もいない教室。瑛太が窓側の席に座っている私の頭を撫でる。夕暮れ、カーテンの向こうはうっすら紫がかって、夜がもうすぐ来る。
 今日はどこに行こうか、と話しながら、筆箱をスクールバックに入れて、チャックを閉める。席から立ち上がると、目の前が霞むような立ちくらみに襲われた。昨日全然寝てないからだろう。本当は、早く帰りたいんだけどな。そんな気持ちを見透かされないように、「どこでもいいよ」と言って、笑った。

 「この前いい感じの洋食屋見つけたからさ、行こうよ」
 「ん、いいよ」

 鍵を持って、教室を出ようとした、その前に、名前を呼ばれて優しく手を引かれた。私達のものになった教室に、オレンジの光が差し込む。
 放課後、夕暮れ。いつも騒がしい廊下には、誰の姿もない。時が止まったような教室で、私達はキスをした。
 身体を抱かれる。私も背中に腕を伸ばす。あったかい。心臓の音が聞こえるくらいの距離感で、目を閉じたまま。

 「好きだよ、柚寿」
 「私も」

 きれいだな、と思う。カーテンの下で見つめあっていると、それだけでもう、すべてがどうでもよくなってしまいそうだ。瑛太は、すごく綺麗だ。男子にしては白い肌も、大きな瞳も、薄い唇も、柔らかい猫毛も、細い体も、少女漫画からそのまま出てきたみたいで、伝わる体温だけが、そこに存在していることの証明のようだった。
 たぶん瑛太には、一生かかってもかなわないなあ。もう一回しよ、と囁かれると、弱く頷くことしか出来ない。ふわふわして、飛んでいっちゃいそうな体を身体を支える腕まで、いとおしい。カーディガンをぎゅっと掴んで、やっと立っていられるような私は、舌まで伝わる甘い感覚にやられてしまって、もうどうしようもなくて、うまく息ができなくて。「柚寿は、今日もかわいいなあ」って言いながら頭を撫でられるのにも弱くて、教室でこんなことするなんて、いじわるだなあって、ほとんど何も考えられない頭の片隅で、くらくらしていた。

 「・・・・・・大好き」

 上手く呂律が回らない。腕の中にぎゅっと抱かれたまま、私は言葉をこぼす。瑛太の表情は見えなかったけれど、「僕もだよ」と言うその声が優しくて、このまま溺れていけたらなって思ったけど、考えてみるとここは学校で、明日もみんなが授業を受ける教室で。なんとか正気を取り戻したいのに、まだ頭がほわほわしている。
 瑛太はそんな私になんにも言わないで、ただ抱きしめてくれていた。


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