複雑・ファジー小説
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入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 失墜 【完結】
- 日時: 2021/08/31 01:24
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: bOxz4n6K)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19157
歪んだ恋愛小説です。苦手な方はご遠慮ください。
>>1 あれそれ
☆この作品の二次創作をやってもらっています。
「慟哭」マツリカ様著 URL先にて
「しつついアンソロ」雑談板にて掲載中
キャラクター設定集 >>80-81
あとがき >>87
>>99
>>100
- Re: 失墜 ( No.60 )
- 日時: 2016/10/24 02:43
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
>あわきおさん
はじめまして、三森電池です。一年くらい前から、名前を変えたりしてカキコの複雑ファジーにいました。そして、毎回更新されるたびにBOYSを読んでいたもので、返信欄に名前を見つけた時、これは夢なんじゃないかと思いました…(;'∀')いつかコメントもしたいと思っていただけに、すごく嬉しく感じています。ありがとうございます。
複雑ファジーの恋愛小説はどれも読みごたえがあって良いですよね。綺麗な純愛系の小説を読んでいると、失墜のただ延々と暗い感じが自分でも嫌になってきたりします笑
「歪んだ恋愛小説」をモットーに書き始めた話ですが、本当にずっと暗い感じになってしまって、特にメインキャラの四人の救いのなさといったら、後で読み返して「私精神病んでるのかな…」って思っちゃうレベルで、自分でもどうしてこうなったと日々自問自答しています。渋谷や瀬戸は能天気だからああやってニコニコしてるけど、状況は最悪だし、他のキャラもみんな不幸ばっかり嘆いているし、恋愛小説って言えるのこれ、って感じです…笑
矢桐は私もかなり気に入ってるキャラで、わりと読者に近い目線で語ってくれるので、あの四人の中では一番書きやすいです。好きな子には徹底的に優しくするけど、「嫌い」って声を大にして言っている青山にも、なんだかんだで流されちゃう彼は優しい。だけど、現状に絶望もしているんだと思います。ありがとうございます、矢桐もたぶん喜んでいます笑
渋谷くんは今まで人間関係で大きな失敗をしたことが無いし、女をすごく軽く見ているから、あんな言動をするんですね、自分で書いてて最低だなこいつって何回も思いました笑 瑛太も人から色んなものを奪うクズだけど、渋谷はその上をいくような感じです。ほんとこいつらは気持ち悪いですよね、もっと言ってくれてもいいんですよ(笑)登場人物がみんなダメ人間な中、この二人は群を抜いている気がします。特に渋谷は、サブキャラのくせに妙な存在感を感じていただければ本望です!
瀬戸さんは、この四人の中では、一番救いのある終わり方にできたらいいけど、今のところそうもいかない感じ…。「恋は盲目」を体現し、ひたすら悪い方へ進んでいく彼女、リアルで近くにいたら絶対距離置きたい感じの人ですね。物語の都合上頭の中はすごくお花畑になっていますが、恋するとこうなるよね、という思いで瀬戸を書いているので、理解していただけてすごく嬉しいです…!
歪な物語を、綺麗な文で書くのは当初からの目標でしたので、めちゃめちゃ嬉しくてやばいです…(´;ω;`) これからもこんな暗いノリで話は続いていきますが、作者の私はすごくテンションの高い人間なので、よろしければ、これからもお暇なときに読んでくだされば嬉しいです(*´ω`*)
拙い感想なんてとんでもないです、すごくモチベーション上がります笑 このたびは本当に、ありがとうございました。
- Re: 失墜 ( No.61 )
- 日時: 2016/10/24 02:52
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
目を覚ましたら、見慣れないベッドの上に居て、自分の部屋ではない匂いがつん、とした。気だるい気持ちで、今まであったことを思い出そうとしても、吐いたところから先はなんにも覚えていない。まさか、また違う男にホテルに引きずりこまれたのではと、最悪な予想がぐらつく。だけど、仕切られたカーテンを見て、ここは病院で、私は倒れてしまって運ばれてきたんだ、とようやく理解した。着ていたワンピースの上には簡素な入院服を羽織らされており、特有の不快感も無かったので、無理やり乱暴されたということはないだろう。惰性のように、机の上に放り出されていたスマホを取った。母からは「仕事が終わったらお見舞いに行きます」という趣旨の連絡が入っていて、ぜんぶ無視してもう一度布団に倒れ込んだ。
このまま死ねばよかったのに。消毒液の匂いも、揺れるカーテンも、やけに軽い体も、もう何もかもに嫌気がさす。ここは三階くらいだろうか。飛び降りたらたぶん死ねる。もう私は明日が怖くて、なにも見たくなんかないんだ。
「あなた、疲れてるでしょ。ちゃんと寝てる? 疲れが一気に出て、体が耐えられなくなってる状況なのよ。ちゃんと休まないと」
やってきた看護師が、私に笑いかける。当たり前だけど、重病ということではないのだろう。むしろ、これだけで病院にまで運ばせてしまったことを申し訳なく思う。検査のために今日は入院ね、と言う白衣の天使だって、服を脱げば私とあまり年の変わらない女の子だ。どんな恋愛をして、どんな人を好きになってきたんだろう。こんなにきれいに笑えるのなら、私よりはずっとマシなんだろうなと考えて、また自己嫌悪に陥った。
安静にしていろと言われたのに眠気はまったく無くて、ここまで来て明日の小テストの事なんか考えてるんだから、私はもう駄目だ。今更頑張ったってどうにもならない。私はいい大学に入りたいわけじゃなくて、「みんなに褒められる」という目先の幸せだけが欲しいのだ。でも、そんなくだらないもの、もういらない。全部投げ捨てて、このまま沈んでいきたい。
そんな感情を一時的に満たしてくれるのが、女なんだよ。渋谷くんは、私が帰る直前、最後にそう言った。ふわふわと断片的に思い出しては、吐き気をこらえる。
「瑛太も俺も、みんなそんなもんだと思うよ。なんで男って好きでもない女を抱くのって、紅音とかも言ってたけどさ。悩みがあって、寂しくて辛いからセックスするんだよ。女抱いてるときは、征服感とかで、満たされるからさ。合法かつ手安いドラッグみたいな感じじゃね」
手安い、と言われてしまった、今まで渋谷くんが抱いてきた女の子に同情しつつ、私もその一人であることを思い出し、もはや自虐するように笑うしかなかった。瑛太と違って、渋谷くんは嘘をつかない。素直に、自分の思うままに生きているから、多分今後もこんな感じに上手く生きていくんだろうな。彼は、私や瑛太が必死で作り上げていた理想の自分をたやすく崩して、プライドをへし折って、一番高いところで笑っている。
みんなみんな、最低だ。私は寝返りを打って、窓から見える街灯を眺めている。残業しているサラリーマンも居るってのに、こんなところで私はぼうっとしている。やっと、自分が生きるのが下手な事を自覚してきた。社会に馴染めないくせに、今まで馬鹿みたいに頑張ってきたけど、結局最後はこれ。変わりたかった。頑張ったのに、変われなかった。ぼろぼろと勝手に溢れる涙を止めようともせず、私は夜に溶けていく。
しばらくそうしていた時、がらりと病室のドアが開いた。まず最初に視界に入ったのはお洒落でもなんでもない黒のジャージで、目に見えて息が上がっている彼は、急いでここに来たんだろうなといった印象を与える。椿だ。見捨てられてなかった、そう思って一瞬嬉しくなるのに、申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになるのは、私は、椿とちがって汚い人間だからで、柚寿、と名前を呼ぶ声からも、目を逸らしてしまった。
「……だから言っただろ、無理すんなって。なにが四十五キロだよ、あと十キロあっても全然普通だろ」
椿はそう言いながら、私のもとへやってきた。私は泣いていたことを悟られないように、長袖で目尻を拭う。
椿の右手に握られているビニール袋には、お菓子がいっぱい入っている。ポテトチップス、チョコレート、私が今まで食べたくても、我慢してきた甘味が溢れそうになっていた。それを投げつけるように渡されて私は、ただ「ごめん」と言うだけ。誰に対してのごめんなのかはわからなかった。椿に言ったのか、はたまた、自分の体を酷使している私自身に言ったのか。椿としては後者の意味でこの言葉を受け取りたいんだろうと思って、やっぱり私は心から心配されているんだと思うと、申し訳なかった。
私はもう、椿の横で笑えていた幼馴染ではない。私はすごく馬鹿でクズでどうにもならない人間だ。それに比べて椿は、優しいし、顔だって意外とまともだし、瑛太よりはお金も誠実さもあるだろうし、私なんかに構っているのは勿体なさ過ぎる。だから、お願いだから、もう見捨ててほしかった。私のしたことを全部知れば、椿だって私の事を嫌いになる。そう思ってはいるのに、なんにも話せずに、無表情で「ありがと」と言う事しか出来ない私も同時にそこに居て、椿に見放されるのが怖いんだということを今さら自覚する。
「……私、椿と付き合ってたら、よかったのに……」
あはは、と気の抜けた笑い声が病室に響く。絶対的な関係は、お互い心から安心できる場所にしかないことを知る。もう手遅れだってのに、いや、手遅れだから、渡されたお菓子を床に落として、シーツにまた、ぽたぽたと涙を零していく。
椿はそれでなんとなく察しがついたみたいで、ため息をひとつ吐いて、見舞い用の小さな椅子に座った。消毒液の、アルコールの匂いがした。
「……さっきすれ違ったあの男は?」
「あの人、恋人でも何でもない」
「……だろうと思ったよ。どうしたんだよ、柚寿」
あんなに楽しそうに笑ってたのにさ。私の方をしっかり見て、椿は問う。本当の事を言うのが怖い。心臓の音がどんどん早くなる。言いたくない事は言わなくていいんだよと笑っていた、優しいようで面倒ごとから目を逸らしていた瑛太とは違って、椿は私を心から心配している。それを知っているからこそ、怖い。
「……私、もうだめみたい」
呟いた言葉は、虚空に消えていった。そこから先は話せず、私はシーツの一角を、死んだような瞳で見つめる。
小南柚寿は、完璧な女の子だった。絹みたいな黒髪を伸ばして、ぱっちりした二重で、長いまつ毛がくるんとカールして、制服は少しだけ着崩すけれど、不真面目には決して見えないようにして。勉強も満遍なく出来た。世界史や地理が得意で、数学が少し苦手で、それでも総合成績はクラスで三番目で、この前の成績順に並ばされる変な席替えでも、いちばん窓側の席を獲得した。運動もできるから、球技大会のバレーではメインのアタッカーとして活躍し、結果去年優勝、今年は準優勝を飾った。そして、青山瑛太っていう、これもまた完璧で、読者モデルなんかやっちゃうような、少女漫画の王子さまみたいな男子と付き合っていて、彼女は毎日幸せそうに、笑っていた。
私は、ぜんぜんダメだ。黒髪は絡まり、化粧は崩れ、薄いワンピースは汚れ、この前のテストも明日の小テストもきっと点数は最低で、球技大会も一番いいところで活躍できなかった。そして、最低だった恋人と、その周りの人に振り回され、こんなにもぼろぼろになってしまった。
私はもう小南柚寿ではない。それを、近くで見てきたであろう椿も、何も言わなかった。重苦しい沈黙に、私の嗚咽だけが聞こえる。
- Re: 失墜 ( No.62 )
- 日時: 2016/10/28 23:19
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
『初恋(case.B)』
好きな人ができたのは、中学三年生の時だった。
周りからは「きょうちゃん」とか、「きょん」って呼ばれている子だった。あまり目立つ方ではなかったけれど、友達思いで明るくて、差別をせず、誰にでも優しい女の子。焦げ茶色の綺麗な髪を二つに結び、小柄な割には胸もあって、少し長めのスカートから覗く太腿も、白くて細くて、教室の隅で花のように笑う彼女を視界に入れるたびに、胸が高鳴った。
俺はというと、まるで切れかけの電球みたいな、つまんない中学生だった。昔から病弱だったから、過保護な母親には運動を禁止され、ピアノを習わされ、同級生の男子たちと遊ぶ機会なんてほとんどなかった。中学に上がり、やっと友達と呼べる男子が数人出来たものの、そいつらもまた、アニメが好きとか、鉄道を撮影することしか趣味が無いとか、パッとしない奴らで、徒党を組みクラスの中心で楽しげに笑うリア充どもを隙あらば馬鹿にし、どうでもいい趣味の話にだけ花を咲かす、そんな地味な生活を送っていた。
「瀬戸、おめでとう。学年最高点だ」
九月上旬の教室では、夏休み明けテストの返却が行われている。
堅物な英語教師が、珍しく穏やかな顔をして、きょうちゃんこと、瀬戸さんを褒めている。九十六点らしい。瀬戸さんは、とても喜怒哀楽がわかりやすい人で、すごく嬉しそうな顔をして、答案を受け取っている。教室のどこかで、すごいな、と声が上がる。
対して俺のもとに帰ってきた答案には、何度見ても「三十二」とあって、こんな成績では、入れる高校もろくに選べないことは、そろそろ自覚していた。笑顔のまま席に戻る瀬戸さんに、クラスの中心的な男子が話しかけている。きょうちゃん、ホント英語得意だよね、今度教えてよ。そんな声が聞こえて、俺はゴミでも捨てるように、答案用紙を机の奥に押し込む。
中途半端に勉強して、中途半端な高校に行くよりは、いっそ下の下でいい。でももし、瀬戸さんが勉強を教えてくれるのならば、同じ高校の門をくぐってみたい。しかし、それは絶対にかなわなかった。瀬戸さんは英語がものすごく得意で、この前ついに英検の準二級を取ったらしい。俺は馬鹿だからよくわからないけれど、これは高校生レベルに相当するみたいで、瀬戸さんは既に、推薦で名門私立校である櫻鳴塾高校の特進科に入ることが決まっていた。そもそも大体、一度も話をしたことが無い瀬戸さんが、俺なんかに勉強を教えてくれるわけがないし、見ている世界が根本から違うのだ、遠くから眺めて満足するだけでよかった。
淡い初恋は、卒業と共に消え去る。夏が終わって秋が来て、冬を越えたらクラスは解体、俺は商業高校に進学し、瀬戸さんは予定通り櫻鳴塾に入り、赤の他人になった。
□
「ほんとに渋谷くん? 変わったね、身長も伸びたし、えーと、高校でびゅ……じゃなくて、かっこよくなったね!」
そんなきょうちゃんこと瀬戸京乃に、街で偶然会った。俺は変わったけど、彼女は少しも変わっていなかった。着ていたセーラー服がブレザーになっただけで、焦げ茶色のお下げも、ころころ変わる表情も、まったく昔と同じだった。
想い出の補正だろうか、毎日抱いていたあの気持ちが蘇る。
「あ、えーっと、久しぶり。元気だった?」
「うん、私は元気!」
瀬戸さんは、あの時とまったく同じ顔で笑って、俺を見上げている。忘れていた感情がこみ上げて、ちゃんと返事も出来なくなる。
高校に上がるときに、俺は変わることに決めた。高校デビューというやつだった。要領だけはよかったから、雑誌を買い漁り、貯めていた金で美容院に行った。服も流行りを買い揃えて、流行っている歌を無理やり耳に流し込み、それにやっと順応してきた頃、雑誌の読者モデルにスカウトされた。そこからは完璧で、ファンだという女の子と付き合ってみたり、美人と有名な先輩を引っ掛けてみたりして、女遊びを覚えた。それでもどこか満たされなかったのは、俺は彼女らの中身を愛しているわけではなかったからで、交際しても一か月程度続けばいい方だったし、二股や三股も日常茶飯事だった。俺に泣きついて、「なんで好きでもない女を抱くの」と、つい最近まで付き合っていた、紅音という女が言っていたのを思い出す。俺だってそんなのわからない。ただ一つ言えることは、俺に擦り寄ってくる女たちに魅力を感じる点が体だけで、そこにしか価値を感じないから、それまでだという事だった。だけど、俺を見上げて笑っている瀬戸さんと目を合わせるだけで、何とも言えないふわふわした気持ちを感じるのはなぜだろう。特別可愛いわけでもない。スタイルだってそんなに良くないのに。
俺と付き合ってきた女たちも、こんな気持ちを感じていたのかもしれない。やっと、初恋をいつまでも引きずっていることに気が付いた。俺が女と上手に付き合えないのは、瀬戸さんの事がずっと頭の隅にあるから。それならいっそ、これまで使い捨ててきた女たちみたいに、適当にヤって一切の関係を断ったら、俺は今度こそ、初恋を思い出として見れるようになるんだろう。でも、誘う言葉が出てこない。いつもならすぐにホテルに連れ込めるのに、まだ純潔であろう彼女の手を握ることさえできない。好きな人とかいるの? っていうありがちな少し踏み込んだ会話も振れずに、勉強はどうだとか、俺の高校はこうだとか、そんな世間話しかできなくて、まるで、中学の頃に戻ってしまったようだった。
それじゃあ、またね。瀬戸さんは手を振って、駅の方へ歩き出す。連絡先を聞く勇気さえ出なかった自分がわからなくて、でも、底知れぬ多幸感で満たされていた。たぶん、俺はずっと、あの純真無垢な女の子には敵わないんだろうな。
□
「え、やだよ。処女とかめんどくさいじゃん」
あはは、と爽やかな笑顔を浮かべて、ショートケーキの苺にフォークを刺すのは、読者モデルの繋がりで仲良くなった青山瑛太という男だった。
誰が見ても美青年と認めるであろう顔立ちに加えて、清潔感も人当たりの良さも完備している彼は、金も有れば頭も良いらしい。瀬戸さんと同じ櫻鳴塾高校の特進科で、トップクラスの成績を取り続けている。こんなにキラキラした奴とは、中学の頃は絶対に関わることがなかったから、最初はかなり気を遣って付き合っていたが、今では親友と呼べるほどの仲になったし、むしろ、瑛太はどちらかというと人に合わせがちな性格なので、俺が場所を提案したり、女を紹介したりしていた。
午後のがら空きの喫茶店の隅、外は雨がちらついている。
「なんでだよ。瑛太なら、新品の服と中古の服だったら、多少値が張っても新品買うだろ。そんなもんだよ」
「新品のユニクロか、中古のブランド服だったら、僕は中古のブランド買うけどね」
薄い唇を開いて、いっぱい生クリームが乗った、歯が溶けそうな甘味を音もなく咀嚼する瑛太は、決して笑顔を崩さない。なかなかえげつない事を言っているのに、こんな表情を保てることが少し怖い。俺は馬鹿だから嘘をつけないし、つかない。だから、言っている事と、浮かべている表情が一致しない奴には、多少の気味の悪さを覚えるのだ。
「……そりゃさ、適当にヤるだけなら誰でもいいけど、結婚考えて付き合うなら処女じゃね? わっかんないなぁ」
「ヤるだけでも、手馴れた子の方が良いよ。ほら僕、年上好きじゃん? 年上のお姉さんに甘やかされたいな」
この前抱いた女が処女だったんだよね、クラスの子なんだけど、やっぱ彼女が一番だって思った。瑛太は、次はカフェオレを口に運びながら言う。目を伏せると、長いまつ毛がさらに際立つ。
瑛太には、人形みたいな顔をした彼女が居て、もうすぐで一年になるらしい。女が一か月と持たない俺は、羨ましいと思いつつ、絶対飽きるだろ、と心の中で密かに見下していた。そして、今なんとなく、すとんと腑に落ちたのは、彼女とうまくいっているはずの瑛太でさえ浮気をするということ。なんだ、みんなやってんじゃん。初恋の女の子と結ばれでもしない限り、完璧にプラトニックな交際など不可能なのだ。
「……へー、浮気とかするんだ。意外。どんな子?」
「浮気ってほどでもないし、頭軽いアホな女だよ。 ……あれ、そういえばさ、翔って北中出身だっけ? たぶん同級生だった子じゃないかな」
知らないか、目立たない子だし。
瑛太はまだ笑っているけれど、俺はこのあたりで、なんとなく気付いてしまった。北中から櫻鳴塾に入った奴は何人か居たけれど、瑛太と同じクラス、つまり特進科に進学した女の子には、一人しか心当たりがない。
意外と冷静だった俺は、世界って狭いんだな、とだけ思った。そして、もうこの初恋と決別することは不可能だと悟った。瑛太は友達だから、恨んだりなんかしない。瀬戸さんに恋していたのも、ずっと昔の話だし、なんのアプローチもしなかったのだから、こうなるのも仕方のないことだった。今の俺はもっと美人な女を何人も抱けるし、それで全部満たされていた。
でも、こんなに簡単に、それこそ使い捨てみたいに扱われると、やりきれない。俺が今まで抱いてきた女たちだって、もとは純粋だったわけで、誰かが何年も片想いし続けて、それでも敵わない女だったかもしれないわけで。
瑛太を真似て、笑顔を作るという行為をしてみる。そして、やっぱり嘘はつけないから、素直に全部、浮かんだ言葉を伝える。
「……きょうちゃんだろ、残念だな。ちょっとだけ、好きだったのにな」
- Re: 失墜 ( No.64 )
- 日時: 2016/11/03 22:34
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
- 参照: ついにストーブをつけましたNovember
15 犯罪者予備君
いろんなことが重なりすぎて頭が追い付かなかった。大好きな瀬戸さんが、大嫌いな青山に恋をしている。小南さんの感触は、今も両手にしっかり残っている。冷静になってこの状況を考えてみると、僕らは迷走しすぎている。
青山の事が好きすぎてストラップを奪う瀬戸さん、僕の金で遊んでることがバレてしまった青山、行き場のなくなった小南さん、今日もノートに青山の名前をなぞっては、これがデスノートにならないだろうかという妄想を広げる僕。窓から見える澄んだ空は、僕らの気持ちとは違ってどこまでも高い。
もうすぐ夏が来るから、クラスのちょうど半分くらいの生徒は、ブレザーを着用していなかった。思わず目で追ってしまう瀬戸さんも、暑くなってきたねと笑いながら、下敷きで顔のあたりを扇いでいる。彼女のワイシャツの下の、肌の感触は、まだ全然わからない。
「次の時間、席替えだってよ」
駆け足でやってきた柏野が、クラス中に聞こえるような声で言う。
一瞬だけ、わあ、といつも通りの歓声が上がるも、誰かが呟いた「また、成績順なのかな」の声で、教室は水でも打ったように静かになる。席替え。このクラスの席替えは、成績順できまる。テストの総合点が低かった順番に、廊下側から縦に並ばされるのだ。僕の成績はいたって中間なので、下手に目立つようなことはないのだが、大好きな瀬戸さんが廊下側の前になってしまったり、青山や小南さんが非常に得意そうな顔で窓側に席を並べたりするので、この席替えは嫌いだ。
心配になって瀬戸さんの方ばかり見てしまう。意外と彼女は余裕げに相沢さんと雑談をしていたが、内心怯えているに違いない。なんであんな席替えを実施するのか僕にはわかりかねるし、どうせ今回も青山や小南さんが窓側を独占し、休み時間も授業中もいちゃつくのが目に見えているのだから、あんなの絶対にやめたほうが良い。……ああ、そういえば、別れたんだっけ。ふと青山に視線を向けると、あいつはいつも通り柏野の隣でへらへら笑っていた。
小南さんはというと、どことなく虚ろな瞳で、こちらもまた友人と雑談をしている。ただでさえ目に生気がないのに、そんな顔をするとラブドールを通り越して能面のようである。周りの女子たちが、早くもこんがり焼けた素肌をワイシャツやスカートの下から覗かせているというのに、小南さんはいたく白いままだった。
僕の名前は十六番目くらいに呼ばれることになっている。柏野が言った通り淡々と席替えが始まり、僕らは荷物をもって後ろに並ばされた。安心したのは瀬戸さんが一番前から脱却したことで、一番最初に名前を呼ばれた戸羽紅音さんは少し狼狽えながらも、小南さんやその周りの友達が明らかに適当なフォローをして、ふてぶてしい態度で席に着いた。その次に呼ばれたのはいかにも目立たない、名前も知らない男子で、今回は勉強があまりできなかったのか、相沢梓さんの名前も次に呼ばれた。そして柏野、戸羽さんの取り巻きの坂田さんと続き、一番廊下側の席が埋まっても、瀬戸さんの名前が呼ばれる気配はなかった。
「私、やればできる子だから」
そんな事を、笑いながら友達に話している瀬戸さんの名前は、二レーン目が終わっても呼ばれることはない。半分以上の生徒が席についたのではないかという時、僕の名前が先に呼ばれた。喜ぶべきなのだが、なんとなく気持ちが落ち着かない。下だと思っていた、愛護するべき存在だった瀬戸さんが、僕の上を行ってしまった。ちょうど真ん中くらいの席に荷物を置いて、自分でも整理がつけがたい心情をなんとか抑えて、座る。
まあ、そんな気持ちも、次の一瞬ですぐに晴れてしまう。なんと、僕の次に瀬戸さんが呼ばれたのだ。つまり席が前後。ぱっと後ろを向いた僕と、こっちに向かって歩いてくる瀬戸さんの目がぴったり合って、おたがいに、少しだけ微笑んだ。
これから、毎日おはようとばいばいが言える。僕はそれが嬉しくて、前に向き直った後も、笑顔が出てくるのを悟られないように、ずっと下を向いていた。やっぱり瀬戸さんが一番可愛い。僕は瀬戸さんが大好きだ。これから後ろにプリントを回すたびに、彼女がそこにいると思うと、嬉しくて息も止まりそうになる。幸せ。僕のさび付いた人生に差し込む唯一の光が、すぐそばにいる。
「え、どうしたんだよ。調子悪かった?」
ふいに現実に戻ると、なにやら後ろの方で波紋が起きていた。何が起きているか解らないままそれを見ていると、後ろの瀬戸さんが、「珍しいね、瑛太くんは窓側だと思ってた」と僕に言う。
今回も窓側の大本命だった青山の名が、ここで呼ばれたらしい。そういえば、一日目の自己採点の点数が僕よりも低かったから、順番としてはこの辺りが妥当だろう。青山の成績なんかどうでもいいし、ざまあみろとしか思わないけれど、平然と後ろに立っている小南さんを思うと、少しだけ不憫でもある。結果、前から順番に、僕、瀬戸さん、青山の順に並んだ。
「今回はちょっと、いろいろあってさぁ」
声を掛けられて困ったように笑う青山を、小南さんが醒めた目で見ているのに気付く。彼女はおおかたの予想通り窓側の一番前というそれなりに良い席を獲得し、真ん中あたりに固まった僕らとは、違う世界に存在しているかのように思えた。
逆に言うと、あんなところまで行ってしまったのか、とも思った。
彼女は一人だけ高いところにいるけれど、僕にそれは、失墜に感じる。虚ろな瞳で黒板の一角を睨んでいる小南さんは、もうあの日の放課後僕に笑いかけた小南さんではなかった。確かに恋人があんな奴で、被害者である僕にも迫られているのだから、彼女がひどく心を痛めているのは仕方ないことだ。
でも僕だって、青山に全部盗られてきた。小南さんだって、その分け前を美味しく頂いていたのだから、同罪だ。
全開になった窓からは、夏めいた風が入り込む。そうか、夏。すべて夏のせいにしてしまおう。僕は昼休み、小南さんとまた一つ約束をした。放課後に、体育館裏。その意味を解っているのかいないのか、小南さんは弱弱しく頷いただけだった。
僕は頭が回る方だと自負していたが、実はそうでもないらしい。大好きな瀬戸さんを青山に取られた仕返しは、小南さんを奪い返すことだった。好きでもない女を落としに行くなんて、馬鹿げているけれど、それでよかった。どうせ数か月後には青山を殺害して刑務所に入っている身だ、人生なんて最初からあきらめがついている。
瀬戸さんは僕の事なんか忘れて、優しい人と幸せになってほしい。青山なんかとくっついたら絶対にダメだ。僕が責任をもって青山を殺すから、高校でも大学でもいいから、今度はちゃんとした人を好きになってほしいな、と、後ろを向く。瀬戸さんは次の英語の予習をしていた。やればできる子なら、全部大丈夫だろう。僕が心配するに及ばないだろう。
さて僕は、もうこの日々に終止符を打つことに決めた。小南さんも青山も限界が見えてきている。今が絶好のチャンスだ。ポケットの中のカッターを握り締め、決行の日を考える、それだけで足が震えてくるけれど、このまま青山がこの世に存在していることの方が、ずっとずっと怖いのだ。
六月十二日、金曜日。黒板の横のカレンダーに、適当に目星をつけた。この日が、あいつの命日になる。
- Re: 失墜 ( No.65 )
- 日時: 2016/11/08 02:12
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
来なければいいのに、律儀に小南さんはやってきた。僕に引け目を感じているのか、それともただの同情なのかはわからない。すっかり緑に染まった葉が、僕の少し上で揺れている。それはとても綺麗なのに、地面に落ちて踏みつぶされた葉は、汚れて破れて散々だ。
六月。僕はついこの前、十七歳になった。まだ大人ではないけれど、決して子供ではない。母さんは、何万円もするジャケットを買ってくれた。これから暑くなって着ることもないのになと思ったが、僕の服を選んでいる母さんはどこか幸せそうだった。で、大嫌いな兄が、夜に僕の部屋に来て渡したのは尾崎豊の「十七歳の地図」で、一通り流しては見たが、十七歳なりたての僕には難しかった。きっとこのアルバムは、僕が大人になった時、十七歳を懐かしんで聴くようなものなのだろう。
さらさらと、長い髪が風に揺れている。
「……小南さんて、誕生日いつ?」
「八月の、二十三日。そんなこと聞いてどうするの?」
誕生日プレゼントをくれるわけでもないんでしょ。小南さんは、光を失った瞳で僕を見ている。彼女の言う通り、僕は八月にはもうここにはいない。同級生を殺害した男子高校生として、刑務所にでも入るのだ。
僕が大人になっても、十七歳を思い返し、思い出に浸ることはないのだろう。それでも青山さえ消すことが出来れば、僕の人生に悔いはない。僕は時々僕自身を、青山を殺して、瀬戸さんを少しでも幸せにしてあげるためだけに存在している人間のように感じる。
それなら、小南さんなんて、別にどうでもいいのだ。どうせ、二週間後にはすべてが終わっている。
「来てくれてありがとう。この前は、その、キスしたりしてごめん」
「別に。今度は何の用かしら」
「……続きしたいって言ったら、どうする?」
「……どうするって……」
やっと驚いて目を開いた小南さんの、小さな手に、僕はポケットから取り出した紙幣を無理やり握らせる。五万円なんて、青山にも滅多にやらない金額だ。母さんの買ってくれたジャケットが、思いのほか高く売れたから、僕は金にかなり余裕がある。
小南さんは、僕を心から軽蔑しているような顔をして言った。
「……ばかじゃないの? なんでもお金出せばいいってことじゃないんだよ」
「よく言うよ。着飾るしか能がないくせに。本当は、青山と同じくらい薄っぺらいくせに」
すると小南さんは、はっとしたような顔になって、そして、気まずそうに眼を逸らした。そんなに青山と一緒にされたくなかったのか。ざまあみろ青山。
「青山はまだ、好きみたいだよ。君の事」
でも、私はもう好きじゃないの。小南さんは目を逸らしたまま、僕に言う。その時僕の脳裏に浮かんだのは、公園で俯いていた、小南さんに未練たらたらな青山の表情だった。
恋愛ってうまくいかないんだな、こいつらでさえこうなのだから、犯罪者なりかけの僕と、あの天使みたいな瀬戸さんではうまくいくわけがない。
僕は、小南さんの裏に瀬戸さんを見るのをやめた。目の前にいる、ラブドールみたいな、作り物じみた顔をしている女に言い放つ。
「好きじゃないなら、いいよね? 金だって渡したんだ。五万もあれば、ちょっとした小旅行もできるだろ。いいじゃん、しようよ」
「……矢桐くんも、そういう子だったんだ。同情してあげたのに」
その、小南さんの言葉を聞いた瞬間に、僕はコンクリートの壁に思いっきり小南さんを押し付けていた。
青山も軽かったけれど、小南さんはもっと軽い。そして、すごく柔らかい。人工物と天然の中間みたいな甘い匂いもする。頭がぐらりと持って行かれそうになるけれど、そんなことはどうでもいい。
同情って、なんだよ。頭に血が上りそうになる。僕は最初から最後まで被害者だ。小南さんも、しょせん俗世に汚れた女だった。青山に毒されて、自分を高いカーストの人間だと勘違いし、僕の金で遊んでいるくせに、僕の事を馬鹿にする。ほとんど無理矢理五万円をふんだくって、また僕のポケットに押し込んだ。その時に、いつも忍ばせている冷たいカッターが手に触れる。その気になれば、僕はここでお前を殺せるんだぞ。
「なにするつもり? 大声出すよ?」
小南さんは、一瞬表情を崩したけれど、すぐに気の強そうな顔に戻って、脅すみたいに僕に言う。しかし僕は、そんな言葉ちっとも怖くないのだ。
「……青山って、すごいよな。僕に暴力をふるう時、絶対誰にもバレない場所を選ぶんだ。今まで僕が泣いても、叫んでも、一度も人に見つかったことはなかったよ。まあ、それが、ここなんだけど」
「っ、やめてよ!」
僕の手を振りほどいて逃げようとする、小南さんの腕を抑える。華奢な女が、力で男に敵うわけがない。やっと怯えた目で僕を見上げた小南さんは、一瞬言葉を失うくらい、びっくりするくらい可愛かった。僕はずっと、人間のこういう顔が見たかったのだと思う。濡れた瞳が、僕をとらえて離さずにいる。まだ醒めない女の子へのあこがれが、かっと熱くなって、毒みたいに全身に回る。
部活とかいうくだらない青春の戯れに勤しんでいる奴らの声は、すごく遠くに聞こえる。小南さんはやっと自分の置かれた状況を理解したのか、いやいやと首を振る。そんなに嫌がらなくてもいいのに。どうせ処女じゃないんだろ。
「……暴れないでよ。優しくするからさ」
「……童貞に優しくするとか、そういう概念あるわけ?」
やっぱり優しくするのはやめよう。どこまで生意気な女なんだろうと思う僕をよそに、こういうのを屈服させるのが楽しいんだろ! と、心の中の青山瑛太が笑う。うるさいな、死んどけよ。
念のため誰も居ないことをもう一度確認して、僕は小南さんのワイシャツのボタンに腕を伸ばした。その手が微かに震えていることは、僕しか気づかなくていい。愛なんかここにはないから、ムードもくそもない。僕の初体験はアオカンですって、刑務所に入ったら散々ネタにして笑おう。あっちでは友達も出来るかもしれないな。
ひとつ、またひとつと外していくたびに、真っ白な素肌と、思っていたより大きな胸が見えていく。下着はピンクの花柄で可愛かった。女の子って、こんなところにも気を遣うんだな。小南さんは、これから僕にされることよりも、周りに誰か人が居ないかが気になるらしく、目線がうろうろして落ち着かなかった。
僕は、服がはだけたままの小南さんを、すぐ近くのもう使われていない体育館倉庫へ誘導した。ここも、青山瑛太が僕をリンチする絶好のスポットである。薄暗いし、マットや机もあるから、最初からここを選んでおけばよかった。小南さんも、「ここなら、まあ」と満足そうである。満足はしてないだろうけど。
「……もしかして、青山と、ここでしたことある?」
そう聞くと小南さんは、控え目にこくりと頷いた。青山の事だから高級なラブホテルにしか連れて行かないものだと思っていたが、青山も僕らと同じで、性欲には勝てない馬鹿な奴だった。どうせ学校帰りとかに寄ったんだろうなあ、と、少し冷静になって考える。普段なら殺意を抱くところだが、もうどうでもよかった。青山の所有物が手に入る。これほどうれしいことはなく、高鳴る気持ちが収まらない。
ここならできるかもしれない。僕は小南さんにばれないように、スマホを取り出して、カメラのアプリを起動し、無造作に置いてある跳び箱の段差に立てかけて、録画を開始した。そして、彼女に微笑みかける。
「小南さんも、はやく帰りたいだろ。さっさと終わらせようよ」
全部ボタンをはずしたワイシャツが、はらりと床に落ちた。スカートの脱がせ方はわからなかった。ふう、と深呼吸をした後、胸に触れると、そこはとても柔らかかった。
頭の良い小南さん。学年で可愛い子といえば、必ず名前が出る小南さん。電車で僕に笑いかけた小南さん。青山と一緒に、賑やかな方へ消えていく小南さん。彼女は全部僕の物になる。触れるたびに、控え目な声が漏れる。目が合うと、恥ずかしそうに逸らされる。これが恋人ならば、僕は彼女にキスをして、可愛いよ、なんて褒めて、抱きしめて、幸せで満たしあうんだと思う。
でも僕は、そんな真似事は最初から望んでいなかった。想像の中の存在だった女の子がいる。何度も妄想してきた、女の子の体に触れられる。そして、青山の大事な大事な所有物を奪える。それに言い表せない幸福を感じて、目の前のこの女の子は、ただの記号にしか見えなかった。だけどそれでいい。
「僕は今、すごく幸せだよ」
「……私は、とっても不幸」
太もものあたりに手を伸ばしたとき、僕が呟いた独り言に、小南さんが嫌味っぽく返事をした。それまでは凄く控え目ではあるが、指を肌に滑らせると喘いでくれたのに、全部演技だったらしい。うるさいな、演技でもいいから最後までバレずにやってくれよ。
ムードも何もない中、決められたプログラムみたいなキスをした。そして、僕の方が持ちそうにないので、スカートの中に手を入れて、下着を脱がせた。恋人でもないし、こっちが気持ちよくなればそれでいいから、前戯なんかいらない。兄の部屋から勝手に取ってきた避妊具を、ポケットの中の財布から取り出す。本当にするのね、と小南さんはついに諦めたようにため息を吐く。
そこから先は一瞬だった。すごく熱くて溶けそうで、それだけだった。ぐったりとマットに横たわっている小南さんが、乱れた髪もそのままにして、嗚咽を零している。ろくに前準備もしなかったので、痛かったのかもしれない。別にどうでもいいけど。
今までで一番熱かった射精を終えて、驚くほど冷静な自分がやってくる。やっと卒業したなあとか、青山瑛太を今すぐ殺しに行きたいなあとか、ああそうだ、瀬戸さんに会いたいなとか、そんなことばかり浮かんできて、僕は何も言わずに、気分転換のつもりで体育館倉庫を出た。やっとスマホの録画を停止して、その動画を「ざまあみろ」という文面と共に、青山のメールアドレスに送信する。おかずを提供してあげているのだから、喜んでほしいな、とか思いつつ、僕は煙草でも吸うように、自販機で購入したコーヒーを一気に飲み干した。
倉庫に戻った時、小南さんはもう服を着ていた。もう一戦交える気はなかったけれど、なんとなく残念な気分になる。そして、目が真っ赤に晴れている彼女に、一緒に買ってきたソーダを手渡した。
「青山なんかと付き合った、自分のバカさを一生呪いなよ。あんなに高いところにいたのに、僕なんかにこんなことされてさ、小南さんも失墜したよね」
僕は、口元にだけ笑顔を張り付けて、言った。さらに泣き出してしまった小南さんを無視して、今度こそ荷物も全部持って倉庫を出る。当然だけど、小南さんは引き留めなかった。
後悔が無いわけではないが、どうせ明日になればこんなことも昨日になる。小南さんをレイプしたって、青山を殺したって、全部過去になる日が来る。それを思うと不思議と気持ちは軽い。もう僕に怖いものは、何もない気がした。
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