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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY



第6話『衝撃の刻(とき)』(6)



 影晴との面会について、ウィルからの報告を受けた次の日の早朝。

 白波はコンクリートで塗り固められた地面を踏み、いつものごとく人気のない路地で身を潜めていた。移動に使用したスケボーを音をたてないように建物の壁に立てかけ、倒れる危険が無いかを慎重に確かめて、自らの背中を同じく後ろの壁に預ける。そして極力呼吸も抑えて気配を殺すと、角からこっそりと目的の建物を覗き見た。

 彼がいるのは、今回の任務対象である場所からは死角に当たる位置。それでも白波は警戒心を絶やすことなく、夜明け前の暗がりにぼんやりと浮くように佇んでいる白っぽい建物を、地面から最上階までさっと睨み上げていく。わずかに眉間にしわが寄せられた。

 ――……見た目は普通のオフィスビルだな

 もちろん都会にあるそれとは全然規模が違ったが。

 白波は建物を視界からはずし元の体勢に戻って、腕にはめてあるシンプルなデザインの時計に目をやった。指定された時間よりもかなり早めに着いてしまったことが分かり、音が漏れない程度に息をついて、無意識に腕を組む。そのまま目を閉じ息を殺して、慣れた緊張感とともに味方が来るのを待っていた。周囲の音に注意深く耳を傾けている間、それを邪魔するように昨日の会話が頭の中でリピートされている。





「白波くん、この後時間ある!? どこか遊びに行こっ」

 任務仲間である恵玲が、彼には無い明るさでそう誘いを持ちかけてきたのは、つい昨日のことである。
 元々人から何かに誘われるということを予期していない上に、それまでの会話とは全く脈絡の無い台詞だったため、白波は頭が付いていかずに少しの間無言で固まっていた。

 ようやく口から出たのは、あまりにもぞんざいな否定の言葉。そしてそれは、実際用事があるか否かに関わらず、彼にとっては正しい、言うべき言葉だった。断って、良かったはずなのだ。

 それでも時間を限定してまで粘る恵玲。どうしてすぐにあきらめないのかと疑問に思う白波は、もちろんそこでも彼女の誘いを断ったのだが。

 その瞬間の恵玲の表情を目にして、不覚にも自分の気持ちに迷いが生じてしまった。そしてその迷いが全く解消されない、自分でも理解できない心境の中、気が付くと信じられない言葉が自分の口をついて出ていたのだ。

「今日は無理だが……、明日なら……」





 ――……まったく何を考えているんだ、俺は

 瞼を上げて、もどかしさに唇を噛んだ。
 わからない、自分の考えが。そもそも自分がちゃんと何かを考えて行動をしているのかすら、自信がない。

 周囲に意識をやっても人の気配は感じられず、再び目を閉じる。





 承諾の返事を耳にし大きな黒瞳を輝かせる恵玲を見て、内心ほっとしている自分がいた。そして直後、身を包むのは発火するように現れた極度の焦り。今しがたの自分の言動を振り返ると、その焦りに加えて得体の知れない恐怖が体の中に沸き起こってきた。ドアノブを握る手に、汗がにじむ。

 とっさに直前の自分の台詞を撤回しようとした白波を、ウィルの気まずそうな声が遮った。

「あのさ恵玲。実は明日、任務が入ってるんだけど……」

 心底うれしそうな表情から一変、恵玲は魂が抜けたような顔でウィルを見て、

「……思わぬ邪魔ものが……っ!」

今にも舌打ちしそうな勢いで、忌々しそうにそう吐き捨てた。対して白波は内心胸をなでおろしていたのだが、彼女に対する読みが足りなかった。恵玲が“任務”なんていう障害を相手に、そうそう簡単にあきらめるはずがないのである。

 突然目をぎらつかせてウィルに任務の難易度を確かめた恵玲は、好戦的な表情で舌なめずりをした。それを見た白波は思わず、めったに動かさない表情をひきつらせたのである。

 白波はあの時の恵玲の提案を思い出して、頭が痛くなった。

 ――……なにもここまで早い時間にやらなくたっていいだろう

 まだ日の昇らない空を見上げる。そのまま視線を下ろして時間を確認し、改めて周囲に注意を払った。約束の時間まで、もうすぐである。

 が、しかし。

 そのまま大人しく味方が来るのを待とうとしていた白波は、地面をこするような複数の足音に気付いて一気に警戒心を強めた。腕をほどき足を軽く開いて、すぐにでも動ける体勢になる。視界が不十分な中、意識を研ぎ澄まして周囲の様子を探った。

 直後。

 痛いほどに眩しいライトが白波を照らし、彼は思わず目を細めた。

「見つけたぞ、E・C! あの文書を手に入れた時点でお前たちのことは警戒していたんだ! なにがなんでも渡さんぞ!」

 聞こえたのは威厳あふれる低い男性の声。まるで太鼓のように体の内側に響く音だ。
 しかし白波は一切ひるむことなく、いつでも能力を使えるように身構えて、左右から挟み打ちのようにして押し掛けてきた十数人の警備員に瞬時に目を走らせた。本気なのかそれとも脅しなのか、彼らの先頭を走る数人は真っ黒な拳銃を握っている。

「とらえろっ!」

 強力な後ろ盾のあるE・Cの能力者をとらえてどうするつもりなのかは全く分からないが、このまま大人しくつかまってやる気は毛頭ない。

 一見圧倒的不利な状況だというのに欠片ほどにも表情を変えない白波は、淡々とした動作で両手を左右に突き出した。ちょうど向かってくる警備員達に手の平を向け、自分の周辺の空気の流れを意識する。そして空気をつかむように両手を握り、そのまま両腕を斬るようにして鋭く振った。

「風よ」

 白波の意のままに動く風は、鋭利な刃物のような形状になる。そして電光石火の速さで標的に向かい、男たちの持つ拳銃をいっせいに弾き飛ばした。甲高い音とともに拳銃が回転しながら宙を舞い、男たちは突如空っぽになった自らの手の平を唖然として見つめている。彼らが完全に動きを止めるのと同時に、白波はうまく自分の方向に飛ばしておいた拳銃2丁を左右それぞれの手でうまくキャッチし、間髪置かずにその銃口を左右の警備員に向けた。
カチャ……と不吉な音が耳をつき、警備員はハッとして顔を上げ一気に色を失っていく。さざなみが広がるように彼らは両手を上げていった。

 ――……思っていたより弱いな

 しかしそんな中、最初に張りのある声を上げたおそらくリーダー格の男は、一瞬ひるむ様子を見せたもののすぐに冷静になって、部下に指示を与えたのである。

「そんなガキに銃が使いこなせるわけがねぇ! すぐに取り押さえろっ」

 その台詞に対してさえ、白波は眉一つ動かさずに固く唇を閉じたまま、銃を握った両手に力を込めた。暗闇には慣れている。さすがに水希の創り出す闇にはお手上げだが、これくらいの暗さであれば十分に狙いは定まる。両手の人差し指が、ためらいなく引き金を引いていた。

「――ひっ」

 1つの銃声。しかし実際に発せられたのは、2つの弾丸。
 白波の握る拳銃からは硝煙が上がり、彼が撃った弾であることを証拠づけている。その銃口の向いた先には、全身から血の気が引いて体を硬直させた警備員がおり、彼らは左右で1人ずつ崩れるように膝を折った。頬すれすれの位置を銃弾がかすめ、耳の下の髪を持って行き、後ろのコンクリート壁に穴を開けたのである。

 白波は不気味なほどに落ち着き払った表情で、物騒な台詞を吐いた。

「次は当てるぞ」

 今度こそ完全に戦意喪失する警備員達。

 そしてさらに彼らのやる気をそぐ人物が2人、この場に姿を現したのである。