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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY



第7話『友を取り巻くモノ1』(7)



 くたりと折れた亜弓の身体を肩の辺りを持つようにして支えながら、ウィルはたまっていた息を大きく吐き出した。彼女の長い真っ直ぐな茶髪が、伏せられた顔に簾をかけるように垂れ下がっている。亜弓の方が背が高いため、彼女の膝がやや曲がった状態になっているが仕方がない。

 ウィルはそのままの体勢で強くまぶたを閉じて、申し訳なさで埋め尽くされてしまいそうな自分の気持ちを切り替えようとした。これからどうするべきかがはっきりしていない今、ここでウジウジと後悔しているわけにはいかない。主からの指令にすぐに動けるような状態にしておかなければ。
 数秒後、まぶたを上げた彼の瞳は、自分がひとチームのリーダーであるという自覚とその責任感とで、力強く前を見据えていた。

 とりあえず自分が支えている亜弓の身体をどうにかしなくては、とウィルが視線を左右させたところで、静かな、まるで気配を殺しているかのように静かな足音が彼に近付いてきた。入口の扉の辺りに目をやっていたウィルは、特に何を考えるでもなく音に引っ張られるようにして後ろを振り返り、そこでようやく表情を変えた。

「恵玲……」

 耳に届いた自分の声はかすれ、情けなくなるほどに弱々しく揺れている。整った顔がくしゃりと歪んだ。一度抑え込んだはずの謝念と後悔が、どっとウィルの胸になだれ込んでくる。彼女の目を真っ直ぐに見れずに、ウィルはつい目を伏せてしまった。

 「ごめん」という謝罪の言葉が口をついて出る前に、目の前まで来た恵玲が亜弓の長い髪をなでながら固く真剣な声で言った。

「いいよ」

 ハッとして目をあげ、恵玲を見る。真正面からぶつかった彼女の黒瞳は冗談の色など欠片もない、ひたむきなものだった。ただし決して平静としていたわけではなく、やりきれない思いや紛れもない非難の色もはっきりとにじみ出ていたが。
 今まで見てきた彼女の華やかだったり頼もしかったりする表情とは違う、わずかでも自分を責める色を含んだ彼女の顔つきに、ウィルは息が詰まって眉を歪めた。恵玲は表情を変えずに再び視線を下ろし、ウィルが腕に支えたままの亜弓を見る。ウィルもすぐには目を覚ましそうにもない彼女を、唇を固く引き結んで見つめる。

 恵玲のどこか淡々とした声音が、ウィルの耳に直接響いた。

「ウィルくんはきっと悪くないから、影晴様もきっと悪くないから、責めたくないから、……今回だけは許してあげる。でも――」

 一度言葉を止めてこちらを向いた彼女の顔を見て、ウィルは変に落ち着いた心地の中、内心呟いていた。

 ――……あぁ、ぼくは恵玲を、怒らせた……

 恵玲はその汚れのない真っ直ぐな瞳でウィルを見据える。

「二度と亜弓を傷つけないで。例え影晴様の命令だったとしても、もう一度亜弓を傷つけたりしたら……その時はいくらウィルくんでも許せるかどうかわからない」

 囁くような、しかし驚くほどに芯の通った強い声だった。おそらく他の面々には聞こえていないだろう小さな声でも、それは一寸のずれもなくウィルの胸の中心を貫いていた。気が付くと、「ごめん」とくぐもった音が自分の口から発せられていた。どこか呆然とした面持ちで、ウィルは馬鹿みたいにもう一度その言葉を呟いた。

「ごめん」

 ――……傷つけた。他でもない、恵玲を――

 すると恵玲は、ぎこちなくではあったが口元に笑みを見せてくれた。その固い微笑を見たウィルは、彼女が意識的に自分を許そうとしてくれていることが分かって、責めまいとしていることが分かって、不覚にも目頭が熱くなった。それが彼女にばれないように目に力を入れ唇を噛んでこらえると、ウィルは彼女の目を見て真摯な瞳ではっきりとうなずいた。もう二度と彼女の親友を傷つけない。ウィルは固くそう心に誓っていた。

 ふとそこで思い出したように亜弓を支える腕にしびれが生じて、ウィルは彼女の体を座らせ丁寧に上半身を扉の横の壁にもたれかけさせた。倒れないようにそっと手を離し、すぐに後ろを振り返る。まだ床に倒れたままの風也に目をやって、不安に表情を曇らせた。
 天銀の能力が何なのか、紫苑風也は彼に何をされたのか。その疑問が全く解けない。床に倒れている彼が無事なのかどうかさえ見当がつかない。わかっているのは、彼が指先すらピクリとも動かさないことと、閉じた瞼が開く気配が全く無いこと、それだけだ。

 ウィルは彼の身体もここまで運んでもらおうと白波の方に目をやって、自分の瞳に映った予想外の光景に目を見張った。

 天銀の能力で気を失ったままの風也を見る白波の顔からは、見てとれるほどに血の気が引いていた。普段は感情をほとんど映さない黒い瞳も、今はある感情に満たされ不安定に揺れ、しかし一点――風也からは一時も目をそらさない。その光景にくぎ付けになったかのように、白波の瞳は床に伏す風也を呆然と見つめている。不安げにひそめられた眉が、今この時だけ彼の顔を幼く見せていた。

 ――恐怖。不安。白波の顔からにじみ出ているその感情を読み取って、ウィルは戸惑いと驚愕に、彼の名を呼びかけた体勢のまま固まってしまった。彼の、何かに耐えるようにきつく引き結ばれた唇に、大きな動揺を見せる瞳に、寄せられた眉に、思わず不審げな顔をしてしまった。
 恵玲も白波の異変に気付いたのか、心配半分疑念半分といった声音で彼の名を呟いている。白波の隣に立っていた水希もこちらの顔を見て首を傾げた後、そのまま視線を白波にやってびっくりしたように目を瞬いていた。彼女は白波の顔を不安げに見上げ、慌てて彼の服の袖を引っ張って声をかける。しかし呆然とした表情のまま固まってしまっている白波を正気にかえしたのは、彼の後ろで悠然と佇む主の声だった。

「――白波」

 びくっと白波の肩が震え、彼は二、三度瞬きを繰り返した後、ゆっくりと後ろを振り返った。彼の袖をつかんでいた水希は、彼の顔を見上げてそっと手を離す。

 いつも通り静然と凪いだ、しかしどこか冷たさを感じさせる表情を浮かべた影晴は、白波に一言二言声をかけると、す……と右腕を持ち上げこちらの方を手で示した。おそらくこちらに注意を促してくれたのだろう。ようやく見慣れた仏頂面に戻ってこちらを向いた白波に、ウィルはよく通る声で言った。

「金髪くんこっちまで運んでくれる? ぼくじゃちょっと背的に大変だからさ」

 一拍置いて白波はうなずき、固い表情で風也が倒れているところへと歩き出した。その様子をじっと観察しながら、ウィルは真剣な顔つきで目を細めていた。

 先程の彼は、明らかに様子がおかしかった。天銀の能力に驚くにしたってあそこまで顔色を変えるほどのこととは思えないし、風也のこともそこまでショックを受けるほどに友人としての意識を持っているようには思えない。麗牙光陰の中では一番長い付き合いだというのに、彼の感情の変化の理由に見当がつかなくて、ウィルはひどくもどかしい気分に駆られた。

 やがて白波が風也の身体を抱えてやってきてゆっくりとその身体を亜弓の隣に下ろし、壁にもたれかけた。風也の力なく垂れた頭と投げ出された手足を見て、ウィルは再び天銀の脅威をひしひしと感じて空唾を飲んでいた。
 白波の後ろからついてきた水希が眠ったままの亜弓と風也を交互に見て、不安そうに表情を曇らせる。恵玲も先程とはまた違う、不安に固まったぎこちない声をもらした。

「風也くん……大丈夫、だよね? そっとしておけば起きるよね……」

 一瞬だけ部屋の空気が凍りつき、胸の中を冷たい風が吹き抜けていく。しかしウィルはそれを振り切って頼もしい声で断言した。

「大丈夫だよ。まさか命まではとらないでしょ」

 そう言い切ってからちらりと部屋の隅に佇んでいる天銀を見る。彼は相変わらず身じろぎもせずにぼんやりと突っ立っているだけで、その様子を見ていても彼の能力を見抜くことなど到底できなさそうだった。

 そこでウィルらに近付いてくる、静かな足音。

「そっとしておけばじきに目覚める。心配しなくても大丈夫だ」
「影晴様……」

 落ち着いた穏やかな主の声に、ウィルと恵玲、そして水希はほっと息をつくように声をもらした。影晴は何気ない動作で開かれたままの扉を閉め、唇で緩く弧を描いてウィルらの顔を1人1人見回した後、その視線を風也でとめる。変わらぬ口調のまま、彼は言った。

「天銀の能力は、触れたところから精気を吸い取るものでね。やりようによっては命をも奪えるが、今回は意識を失う程度に少し吸い取っただけだ。問題はない」

 ゾクッと、背筋を悪寒が走った。

 しかし直後、ウィルは慌てて目をギュッと瞑り、首を強く横に振って自らの内にわき起こってきた負の感情を追いやろうとする。まだ冗談でも親しいとは言えず、つかみどころのない謎の人物であるとはいえ、天銀だって自分たちと同じ能力者なのだ。その能力を恐ろしいだなんて、不気味だなんて思ってしまったら、他の人たちと――恵玲や水希の親たちと何も違わないではないか。
 恵玲や水希も似たような思考をたどったのだろう。影晴の話を聞いた瞬間は驚きや怯えといった表情をその顔に浮かべていたが、すぐにそれらの感情は裏にしまって引き締まった顔つきに戻っていた。

 影晴はそれを見て満足げに微笑んでいる。その表情を見るだけでウィルは胸がいっぱいになる。自分も、この上ない満足感を得られる。

 自然と口元をほころばせたウィルの横で、ふと思い出したように顔をこわばらせた恵玲が、そういえばと首をかしげた。

「この後2人はどうするんですか? このままだと亜弓にE・Cのことばれちゃってて本気で困るんですけど……」

 恵玲の台詞にハッとして大きくうなずいたウィルと水希は、いったいどうするつもりなのだろう、と影晴の方に目をやった。その視線の先で影晴は、余裕の表情を浮かべ頼もしくうなずいて言った。

「それについては大丈夫。今回のことについては、彼らには綺麗さっぱり忘れてもらうからね」
「――は?」

 一斉に、失礼極まりない声が上がった。ぽかんとものの見事に口が開く。
 それを見て何やら楽しそうに笑い声をもらした影晴は、涼しげな笑顔のまま左腕のスーツの袖をまくって時間を確認した。「ちょうど来る頃だね」と呟く主の声に、ウィルは恵玲や水希と顔を見合わせて首をかしげる。

 それから数十秒後。

 ちょうど彼らが集まっていた場所のすぐ横――広間の扉に、微かではあるが足音が近付いてきた。無論部屋の外――廊下の方からである。皆が一斉にまだ閉じられたままの扉に注目し、影晴がひとり、「来たね」と独り言のように呟いた。

 そして直後。その大きな扉が二度、ゆっくりと叩かれた。

 いつもは叩く側のウィルは、背筋が伸びる思いでそれを聞き、息をつめて壁と化した扉を見つめる。
 しっかりと声変わりし、堂々とした落ち着いた声が、扉の向こう側から聞こえてきた。



「月下白狼の篠原扇、神崎迅――参りました」



 今までも、これからも聞くはずのなかった他グループの声に、ウィルは息を吸い込み大きく目を見開いていた。