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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY

第1話『愛しき日常』(4)
その日、1時間目終了後の休み時間。私のクラス――4組も、他のクラス同様体育祭の話し合いの余韻が未だ教室内を満たしていた。ざわつきで授業と休み時間との区切りがあいまいになる中、私もごたぶんに漏れず、恵玲らいつものメンバーと出場種目の話題で盛り上がっていた。いつものメンバーとはもちろん恵玲、津波、美久、静音、そして私――友賀亜弓の5人である。ちなみに先程の話し合いで、私は男女混合リレーに、恵玲は障害物競争に出場することになっていた。これでも私は走ることにかけてはいささか自信があるのだ。言うまでもなく、恵玲には敵わないが。
私達は今、恵玲と美久の机を囲み、それぞれ思い思いの位置に落ち着いている。私は恵玲の席が窓際であるのをいいことに、窓の銀色の柵にもたれて涼しい風を背中に浴びていた。まだ夏真っ盛りの9月。服装も夏仕様なので、ブラウス1枚で過ごすことを許されている。たいていの女子は長袖のブラウスを七分まで折って、暑い暑いと言いながら手で顔をあおいでいる。半袖のものを持っているにもかかわらず、だ。きっと他の人からすれば突込みどころ満載の光景なのだろう。そして私も、我慢して長袖を着るいち女子高生である。しかし今日は、比較的外の空気がさわやかで過ごしやすい日だった。まぁ暑いことには変わりないが。
ふとそこで熱い視線を感じ、私は正面にいる美久に目を向けちょっと首をかしげて見せた。美久は柔らかい目つきでこちらをみたまま、「いいなぁ」と鈴の音のような声で呟いた。
「リレーとか出れる人すごいなぁ、尊敬するなぁ」
私が言葉を返すよりも前に、津波が口を挟む。
「パン食い競争も結構くせ者なんだからね、美久」
彼女のその台詞はそうとう予想外なものだったらしい。美久がハッとして津波を見、ひどくショックを受けた顔で彼女にしては切羽詰まった声を発した。
「も、もしかして難しいの……!? あたしパン食い競争ってやったことなくって」
「だって難しそうじゃない? 手使っちゃダメなんだよ? こうさ、宙に浮いてるやつを手を使わずにパクッてやるんだよ、パクッて」
言いながらパンにかぶりつく動作をやってみせる津波を、美久はぽかんと口を開けて食い入るように見つめている。そのうち彼女の雪のように白く繊細な顔がどんどん青ざめていくのを見て、津波は突然吹き出した。横で見ていた私達3人が、フォローを入れようと慌てて腰をあげるのとほぼ同時だった。
「ごめん美久、冗談! あ、いやさっきやって見せたのは冗談じゃないけど、そんな心配するほど難しくないよ、たぶん!」
たぶんをつけるあたりちゃっかりしている。
津波の冗談に振り回されて子犬のように濡れた目を白黒させる美久。その様子を見ながら私達は顔を見合わせて、穏やかな笑い声をあげた。
と、その時だ。机の上に置いておいた私の携帯が、体を震わせ低いバイブ音を響かせた。固い板にのっていたせいかバイブ音は予想外に大きく、机を囲んでいた恵玲らが一斉にその一点に視線を寄せた。私は一拍遅れて飛びつくように携帯を取り、苦笑を浮かべ肩をすくめて見せた。急なバイブ音にやや驚いた顔をしていた面々も、それを見てもちろん笑い流してくれた。
いったん会話から外れ、携帯の画面を確認する。風也からのメールだった。私は無意識に壁の向こうにある3組に目をやっていた。いつもやっていることなのに、その日一通目のメールはなぜかうれしい。
津波のからかうような囁き声が耳元でしたのは、そんなときである。
「あーちゃんまさか、まだ風也くんと付き合ってない……ってことはないよね?」
びくっと大げさに肩を震わせ、私は目を見開いて彼女の方を振り返った。私の隣の窓にもたれかかる彼女の目が、好奇にギラついているように見える。そんな彼女の目を間近で真正面から見、それからこちらの様子には気付かず談笑している恵玲、美久、静音の顔を一人一人順に眺め、再び隣の津波に視線を戻して――
私はなぜか緊張した顔でうなずいた。
「な、いです」
今度固まるのは津波の番である。私のあべこべな動作と台詞で真意をつかみ損ねたのか、目と口をまん丸にしたまま固まってしまった。
「え……? ないって……え、どっち!?」
「付き合って、ます……」
徐々にしぼんでいく声。それとは対照的に徐々に上気していく頬。つい目を伏せてしまった私は、その後続いた沈黙に耐えきれなくなって、ぽかんと口を開けている津波の手を勢いでつかんだ。ついで声が裏返るのをギリギリで抑えながら、唾をも飛ばす勢いで彼女に尋ねたのだ。
「い、言ってませんでしたっけ!?」
「――言ってない!!」
目が覚めたように、声を張り上げる津波。お陰でクラスの半分が一斉に私達を振り返った。当然恵玲達もだ。しかしそんなのも視界に入らないと言った風に、津波は怒濤の勢いで質問をたたみかけてきた。先程こちらからつかんだはずの手は、いつの間にか彼女につかみ返されていた。
「いつ! どこで!? もしかして夏休みの文化祭の準備の日に追試で先生に呼び出し食らったまま帰って来なかったあの日!?」
私は真正面にある津波の顔をまじまじと見つめてしまった。彼女が今の長い台詞を一息で噛まずに言えたのももちろんだが、それ以上に彼女の勘の良さに感心したのだ。彼女は、私が風也に告白された日を見事に言い当てたのである。あのときたまたま風也と出くわして学校を飛び出したことなんて、何も知らないはずなのに。
もしかしたら恵玲が後で話したのかもと思いつつ重々しく頷くと、津波はなんとも複雑そうな表情をその日焼けした健康的な顔に浮かべた。
「そうだったんだ……。あの日のことは、もしかして教室に帰ってきたくないくらい落ち込むようなことを先生に言われたのかもと思って、気遣ってうちら聞かなかったんだよー。そっかぁそんなことなら聞いとけばよかったなぁ~」
未練たらたらな津波である。そんな彼女を見ていたら非常に申し訳なく思えてきたが、本当に今の今まで私と風也が付き合っていることを知っていると思っていたのだ。まぁよく考えてみれば、私も風也もあまりあからさまな行動を取るタイプではないし、むしろ付き合う前とそこまで大きな差がないくらいなので、仕方のないことなのかもしれない。
そのうち当然恵玲達3人も、興味津々な顔でこちらの会話に混ざってきた。静音が話に入っていいのか迷う様子を見せつつも、わざとらしく地団駄を踏んでいる津波に状況を尋ねる。すると津波は一瞬にして復活し、きらりと目を光らせ、ひとさし指を真っ直ぐ顔の前に突き立てたのだ。本来の張りのいい声もしっかりと戻っていた。
「すっごいめっちゃ大ニュース! 夏休みの文化祭準備の日、あーちゃん先生に呼び出されたきり帰って来なかったじゃん!? あの後実は、あーちゃんとか――」
「わぁ~っ! ちょっと待ってください、そんな大きな声で言わないでください~っ!」
普通に他のクラスメートにも聞こえる声でしゃべりだした津波を、私は顔を真っ赤にして止めにかかった。津波は自覚が無かったようで、ハッとして口に手をやった後ごめんと手を合わせ片目を瞑る。その横で美久達は皆好意的な声音でくすくすと笑っていた。どうやらその様子からしてもう津波の話の予想が付いてしまったようだ。
いまだにうろたえてわたわたと両腕を振っている私をなだめるように、津波はあったかい笑みを浮かべ何度もうなずく。それからありがたいことに、手のひらを伏せ上下に動かして皆にしゃがむよう促してくれた。私を含む5人の体が机よりも下に沈む。他のクラスメートはきっとこの光景を不審げに見つめていたに違いない。
完全に内緒話の体勢に入ったところで、津波は割とあっさり先程の続きを美久達に伝えた。即座に4組の教室に黄色い声が響き渡った。しかし美久達は驚きだけでなく、“やっぱり”といった表情も顔に浮かべている。それはいいのだが、彼女らに混ざって元から知っていたはずの恵玲まで、口元に手を当てて大きな目をめいいっぱいに見開いていた。この子はやっぱりなかなか演技力があるなぁと思う瞬間である。
すると静音がじっくりと私の顔を見ながら、いつも通りの優しくしっかりとした声で言った。
「でも“やっぱり”って感じではあるよね。むしろ“やっと”って感じ?」
津波が同意して大きく何度も頷く。それから彼女はニッと白い歯を見せて笑い、なんとも快い言葉をかけてくれた。
「まっ、いずれにせよ良かったね、想いが伝わって。――おめでとう!」
思わず口元が緩む。なんだかとてもうれしくて、心地よくて、あたたかくて……でもどこかくすぐったい。私は改めて喜びをかみしめながら、照れ笑いを浮かべて大きく頷いた。
「そういえば風也くんからのメールは何だったの?」
「あ、そうでした。えっと――」
『なんかオレ町田と男女混合リレーでることになったっぽい……』
「町田って、あの町田さんのこと?」
「それより私も男女混合リレー出るんですけど……」
――波乱の予感が、した。

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