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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY



第9話『混乱の夜明け』(1)



 多くの家庭が家族でテーブルを囲んで夕食をとる時間帯。夏特有のいつまでも続くオレンジ色の西日も引いて行き、辺りがようやく薄暗くなってくる。肌をじりじりと焼くような暑さも和らぎ、昼間よりは随分と過ごしやすい。

 黒い影の落ちるアスファルトを歩きながら、恵玲は沈鬱な面持ちで2、3メートル先の地面を見つめている。いつもはたくましいほどに真っ直ぐ正面を見て歩く彼女が、伏せ目がちにしょんぼりとした足取りをしているだなんて、そう無いことだ。自分でも本調子ではないことを自覚しながら、どうすることもできずにひたすら泗水駅を目指す。
 恵玲の両隣には、白波と水希の姿もあった。水希は心配そうな表情でチラチラと恵玲を見ているが、白波は何を考えているのか難しい表情で前から視線を外さない。しかし白波も一応3人で並んで帰っているという自覚はあるようで、ペースの遅い恵玲に歩調を合わせてくれていた。

 恵玲は今まで起きたことを、特に今日の出来事を頭の中でぐるぐるとかいつまむように思い出しながら、きゅっと眉根を寄せる。ついでふと顔を上げ、この場にはいない銀髪の少年――ウィル=ロイファーに思考を向けた。

 彼は今、影晴の屋敷にいた亜弓と風也をテレポートで下橋に運んでいるところだ。月下白狼の神崎迅が二人のE・Cに関する記憶を消した、その後のことだ。亜弓も風也も固く目を閉じて、すぐには目を覚まさなそうな様子だった。

「ぼく、下橋になら行ったことがあるから連れてくよ。……眠ってる2人を家に連れて帰って家族を混乱させるより、下橋に連れていった方がいい気がするんだ。警察を呼ぶとか面倒なことがなさそうだしね。そもそもぼく2人の家って行ったことないし」

 そう迷いのない声で言ったウィルは、恵玲を安心させるようににっこりと微笑んだ。そして彼は先に帰ってて、と言い残し、2人を連れてテレポートで下橋に向かったのである。その後影晴から解散の許可を得た恵玲ら3人は、こうして今共に帰路についているのだ。しかし屋敷を出たときから、なかなか楽しい話題の出しにくい重たい空気はずっと続いていた。

 恵玲は気を取り直すように両手で頬を軽くたたいて、真っ直ぐ力強く前を見据えた。そして、さっきからこちらを気にしてくれている左隣の水希の方に目を向ける。彼女はすぐに視線に気が付いてこちらを見、ちょこんと首をかしげてきた。長いツインテールの髪がゆらゆらと揺れている。「大丈夫?」とそう問うているような目だった。水希は少し疲れた顔をしていたが、それでも口元は緩く弧を描いている。笑おうと努めているのが見て取れた。こんな雰囲気だからこそ、と恵玲もできる限りの明るい声で言った。

「月下白狼の人達……えっと、なんとか迅って人と、篠……」
「“篠原扇”? あと“神崎迅”だったかな」

 フルネームを思い出せない恵玲の後を、水希が首をかしげつつも自信のありそうな声で継ぐ。2人が自己紹介していた時のことを眉根を寄せて思い出そうとしていた恵玲は、彼女の助け船にぱっと花が咲くように顔を輝かせた。元々大きな黒い目が、一層大きく見開かれた。

「そう、それ! 篠原扇と神崎迅!」

 弾けるような声でそう言い、すぐにわざとらしく唇を尖らせる。決して重苦しくはない軽い口調で、不満そうに言った。

「なんかぁ、あたし達とはちょーっと違う感じの人だったよね。特に迅って人」
「態度はちょっと悪かったけど、でも性格はそんなに悪い人って感じでもなかったかな」

 久しぶりに可愛らしく間延びした声を発する恵玲に、微笑みながらハキハキした声音で言う水希。そのおかげか、3人の間の緊張が薄れ、随分と柔らかい空気になっていった。しかし水希は表情を和らげながらも、彼らのことを判断しがたいというように首をひねっている。すると恵玲も一緒になって、影晴の屋敷での2人の表情や台詞を思い出そうとして、そのまましばらく2人とも黙りこんでしまった。それを白波が横目でチラッと見ているが、彼の唇は引き結ばれたまま開く気配はない。

 しかし月下白狼の2人のことを考えていたはずの恵玲は、いつの間にかそれが主の大崎影晴にすり替わっていることに気が付いた。しかし影晴は影晴で気になることはいくらでもある。恵玲はそのまま思考を止めず、月下の2人が、もっと言えば亜弓や風也が来る前の影晴の様子を、台詞を思い出し、再びさっきとは違う緊張に体を縛られていた。体の芯が凍るような感覚を覚え、胸元にこぶしをあてながら整った顔をこわばらせる。

「E・Cの勢力拡大って……大丈夫だよね」

 自然と言葉が漏れていた。いやにはっきりと響く声だった。

 影晴の話の後の、予想外の連続に危うく忘れてしまいそうだったが、やはり恵玲達にとっては重要なことである。影晴は具体的に何が変わるということはほとんどないと言っていたが、恵玲達が気にするのはそこではない。そもそもどうして“勢力拡大”だなんてする必要があるのか、とそこを聞きたいのである。あの場でウィルが尋ねてくれたが、影晴の畏怖感を覚えるほどの異様な圧力に押され、疑問はもみ消されてしまった。

 水希はずっと気にしていたのだろう。すぐに頷いたが、彼女の顔から不安の色は消えない。

「大丈夫だと、思う。そんなに変化はないって言ってたし。……影晴様の言うことだし」

 水希の台詞に、白波が一瞬表情を歪める。すぐに平静な顔に戻ってそっぽを向いていたが。
 しかし白波の変化に気が付かない恵玲は、「信じるしかないね」そう言って、不意に目を緊張に尖らせた。ずっと聞きたかったことが、ふと頭をよぎったのだ。ぎゅっと唇をかみ、睨むように前を見据える。体の脇で両のこぶしを握り、恵玲は声が揺れそうになるのを押さえながら、固い声で尋ねた。

「みぃちゃんは……友達にE・Cのこと話したことある?」

 水希は目を見開き、恵玲の方を振り返った。ぱちぱちと幾度も目を瞬いて、すぐ何かに思い当ったように心配そうに顔を曇らせる。白波も少し眉を下げて恵玲の方を見ていたが、恵玲は前を見つめたままちょっとうつむき加減に一点に視線を向けたままだった。水希が何かを言おうとした口を一度閉じ、数秒後改めて口を開いた。囁くような、声だった。

「E・Cと親のことは話してないけど、能力のことなら1人だけ……茜が、知ってる」

 うつむいたまま目を見開く恵玲。それから勢いよく水希を振り返り、何かひどくショックを受けたように顔を歪めた。
 茜のことなら何度も話に聞いている。彼女の、小学生の頃からの親友だ。恵玲はすぐに視線を前に戻し、激しい動揺がばれないように、涙がこぼれないように、唇を強く噛み目に力を込めた。それでも、必死に発した声は自分でも驚くほどに弱々しいものだった。

「あたし……っ、亜弓の親友って言える資格、あるのかなぁ……?」

 さっと空を仰ぐ。藍色の空に、吸い込まれてしまいそうにか細い声。それが自分の口から発せられたものだと思うと、情けなくなる。でも、どうしたって強くはいられない。屋敷で亜弓と対面した瞬間を、自分を見た時の亜弓の表情を、必死になって気持ちを訴えてきた亜弓の声を思い出し、胸が冷たく震えた。その震えが波紋のように体中に広まった。

 ――……どうすればよかったの? あたしは……っ。どうすれば、いいの……!?

 水希も口元に手をあてて、泣きそうに目を伏せている。彼女を困らせる気は全くなかったが、聞かずにはいられなかった。

 不意に水希が、固く握られていた恵玲の左手を優しく解いて、ギュッと強く握ってきた。恵玲はハッとしてその手を見下ろし、つながれた自分の手を見て泣きそうな顔のまま愛おしげに微笑んだ。水希の優しさが、思いやりが、つないだ手を通して流れ込んでくるようだった。
 すると、右手にも迷うように白波の手が触れる。ハッとして彼を見上げた恵玲は、自分から彼の躊躇している手を固く握りしめ、頬を染めてうれしそうに笑みをこぼす。そして水希と一緒になって、小さい子供のようにつながれた両手を大きく振って、あえてオーバーなほどに笑顔を浮かべていた。足取りも、前向きで力強いものに変わっていた。

 どうすればいいのか。その答えは未だわからなかったが、今は仲間のあたたかい気持ちを感じられるだけで十分な、そんな気がしていた。