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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY

第6話『衝撃の刻(とき)』(16)
たたきつけるような風に金髪があおられ、風也は我に返って目を上げた。一、二度目を瞬いてから、眼前に垂れ下がってきた金糸を指先でよけ目を細める。……突然吹き下ろしてきた突風。その乾いた風を頬に感じて、彼は顔を強張らせた。
そのまま体勢を変えずに辺りの気配を探って、無意識に止めていた息を重々しく吐き出した。もう、風を操る黒髪長身の青年は、そこにはいない。
意識的に体の力を抜いて、わけも無く周囲に視線を走らせる。その視線はやがて、それが当然の流れであるかのように屋敷に注がれた。つり目が鋭利に光り、短く整えられた眉はつりあがる。思わず舌打ちしたい気分に駆られていた。
「罠、か……?」
苦々しい声で、そう呟く。
また荒れた風が、首筋までの細い髪を持って行った。雲も勢いよく流されながらも、空を覆い尽くしていることに変わりはない。
もう一度ゆっくりと息を吐き目を閉じて、彼はつい数分前の出来事を思い返していた。
わずかな会話ののちの沈黙の中で突然屋敷の方に目をやったかと思うと、「“通せ”と命令が来た」そう言って去っていった白波。そして戸惑う風也に、彼はさらなる謎を残していったのだ。
――“天銀には気をつけろ”
――……天銀って誰だ……? ていうか、どうしてオレは通された……?
白波と交わした会話の中で、そういう展開になるような台詞は何1つ無かったはずだ。それとも、自分が気付かないうちに何か重要なことでも口走ってしまったのだろうか、と風也は頭を悩ませる。
それに……と彼は再び屋敷を睨みあげた。
白波はあの豪邸を見て、「命令がきた」と言ったのだ。その時点で、自分を通すことを判断したのは白波でないことは確かである。しかしもし彼でないとすると、屋敷の人間に自分たちの会話は聞こえないはずだし、しかもこの距離で携帯も使わずに指示を与えるなどなおさら無理な話だ。盗聴器のようなものがあるとすればまた話は別だが。
と、そこまで考えて。
風也ははたとある考えが思い浮かんで、思わず間の抜けた声をもらしていた。
――……そうだ、アイツらどんな能力持ってるかわかんねぇじゃねぇか……
失念していた。
ついどうしても普通の人間の能力範囲で物事を考えてしまう。相手が闇組織の能力者である以上、こちらの常識をくつがえすことが起こる可能性も十分にありうるのだ。
風也は自らに呆れたような空笑いをもらして、久しぶりに自然と体の力を抜いていた。倒れかかるようにして、すぐ横の塀にもたれかかる。
さっぱりとした声で、誰にともなく呟いた。
「――行くか」
相手の情報が少なすぎる今の状況で、ごちゃごちゃ考えていたって仕方がない。
罠、かもしれない。いや、確実にそうだ。
しかしその危機感よりも、明らかに好奇心が勝るのである。群を抜いているとよく言われる自分の身体能力でどこまで“彼ら”に対抗できるのか、非常に気になるのだ。試して、みたいのである。
彼はふと顔を伏せ、口元に白い歯をのぞかせた。こういうときに限っては、ケンカ好きな恵玲と同類なのかもしれないと思う。
元々彼は、好きでケンカを始めたわけではない。
最初はただの憂さ晴らしだった。やればやるほど自分の気持ちがすさんでいく、憎むべきものだった。それなのにやめられない、中毒のような。
それがある時前ほど憂さ晴らしの手段ではなくなったときに、自分である程度自制がかけられるようになったときに、ケンカというものが彼の中で変貌していた。
普段彼は、基本的に自分の力を押さえている。一般人は言うまでも無く、不良相手だとしても出来得る限り手を出さないようにしているのだ。そんな雑魚相手にやってもつまらないという気持ちもあるにはあるが、それ以上に感情に任せて暴力をふるう奴にはできるだけなりたくないという気持ちを持っているのである。しかも自分が暴走すれば、そこらの不良なんか簡単に病院送りにできることが分かっているだけに、だ。
しかし、そんな彼のポリシーも、E・Cの能力者相手には簡単に崩れ去る。あるはずのない能力を持つ彼らを、心の隅で人外の存在だと思ってしまっているせいなのかもしれない。あるいは、ただ単純に自分と対等に戦える相手を見つけたというぞくぞくとした高揚感が、自制を利かなくしてしまっているのかもしれない。
何にせよ、風也は今突如高ぶってきた気持ちに身を任せ、心底楽しそうに口端をつり上げているのである。そして塀に預けていた上半身をゆっくりと起こすと、躊躇い無くその一歩を踏み出していた。
――その時である。
ズボンのポケットに入れてあった携帯が振動したのだ。最初はメールだろうと思い無視してそのまま屋敷に向かおうとしていた風也も、そのバイブがいつまでもやまないことに気が付き、やや慌てて携帯を取り出した。流れるような動作で開くと、思った通り電話がかかって来ている。かけてきたのは……
「亜弓……?」
怪訝そうな声が漏れる。
今日は特に遊ぶ約束はしていなかったはずだがと、首をかしげつつ、着信が切れてしまう前に通話ボタンを押した。一度足を止めて、黒い携帯をシルバーピアスのついた耳に当てる。
「もしもし」
『あ、風也ですか? 突然ごめんです』
聞こえてきたのはいつも通りの亜弓の声。何やら少しほっとしたような様子が感じ取れたが。
風也は未知のものに挑む興奮した気持ちを抑えながら、違和感のないように応答した。
「いや、全然大丈夫だけど。……どうした?」
周りに人の気配は感じないというのに、ついつい声をひそめてしまう。そのことに彼女も気が付いたのか声量のことを尋ねてきたが、あまり大声で喋れない場所にいるんだと言ってごまかした。それに納得するような相槌を打って、亜弓は本題に入る。
『風也、今日時間あります? 遊びません!?』
「あ~…」
彼女の身を乗り出すような調子の提案に、風也はつい曖昧な反応をしてしまった。5、6メートル先に見える屋敷に一瞬視線をやって渋い表情をする。
「どこで?」
とりあえず話をつなげようとそう尋ねると、亜弓は『それがですねー』と困ったような声で言った。
『最初は下橋に連れて行ってもらうつもりだったんですけど、空が怖すぎるんで家に呼ぼうと思ったのですよ!』
「あぁ、そーいやまだ下橋案内してなかったな。……てか空って……」
『空、真っ黒なのですっ』
そう言われて初めて空を見上げてみて、彼は目を丸くした。今まであまり意識していなかったが、確かに彼女の言う通り、至極不吉な分厚い雲が頭上を覆い尽くしていた。
ぞくりと、寒気がする。再びはっきりと例の豪邸に目を当てて、表情を固くする。
『風也ー?』
心配そうな声が耳元で聞こえて、風也はハッと我に返り、携帯を握り直した。
「あ、悪ィ。確かに空やべぇな。じゃあ、亜弓ん家行けばいいか?」
『はいです! てかほんとは恵玲も呼ぶつもりだったんですけど、電話に全然出てくれないんですよねー。メールも返ってきませんし』
風也はさらりと発せられたその名前に、目を見開いていた。
――“そんなんよくあることじゃねぇか”とは、言えなかった。
心臓が激しく音を立てる。携帯を握る手に力が入り、汗がにじむ。ごくりと空唾を飲むと、体を震えるような緊張が走るのを感じた。
気が付くと、彼の口からするりと言葉が流れ出ていた。
「そりゃあ……出れねぇだろうな……」
どこか遠いところで自分の声を聞いているような、奇妙な感覚だった。それなのに、自分の浅い息づかいだけは不気味なほどにはっきりと聞こえている。頭の中がもやがかかったようにぼんやりとしている。
2拍ほど置いて、亜弓が不審げな声で尋ねてきた。
『風也……何か知ってるんですか……?』
風也の重い声につられたのか、彼女の声もトーンが下がる。
未だに思考がストップしている状況で、風也は体を硬直させ、息をつめてそれを聞いていた。ちらりと目だけ、屋敷に向ける。さらに身の内の緊張が増して、頭の中が真っ白になる。今にも目が回りそうだ。
――言ったらまずい。
それだけははっきりとわかっていた。わかりきっていた、はずだった。荒木恵玲は他でもない亜弓の親友で、特に亜弓は恵玲に絶大の信頼を寄せていると。そして恵玲が闇組織のメンバーであることは今まで明かされずに、おそらくこれからも明かされないまま隠され続けていく、重大な秘密だということも。絶対に、壊してはならない友情だということも。
それでもやはり、まだ出会って数ヶ月の彼の認識は甘かったのかもしれない。いくら親友だと、小さい頃からの仲なんだと聞いてはいても、所詮は他人同士の話だ。それがどの程度の深さを伴ったものなのかは、そう簡単に理解できるものではない。
――言ってはいけない。そう自分を引きとめる気持ちよりもわずかに大きな不可視の何かが、彼の理性の堰をこの瞬間突き破ってしまっていた。
「――なぁ」
塀に背を預けて、顔を伏せ、くぐもった声で風也は言う。自嘲気味な表情が、その整った顔に浮かぶ。
『なんですか?』
亜弓の曇りのない、澄んだ声。
ギュッと強く、携帯を握りしめる。
――……言うな
わずかに残った理性が彼を引きとめる。言うな、言うな、言うな、言うな――……
「オレ今、E・Cの本拠地っぽいとこにいんだけどよ」
自分とはまた別の自分が、声を発っしている。……止められない。
「さっき……」
風也は、ゆっくりと顔を上げた。
「恵玲がそこに入っていくのを……見ちまった」
言った瞬間。
体温が急激に下がるのを感じた。鈍っていた思考が、それはもう皮肉なほどに一気に晴れわたっていく。冷や汗が、頬を伝った。
そして、たっぷり10秒の沈黙ののちに、
「――はい……?」
亜弓のかすれて裏返った声が、彼の鼓膜を震わせた。

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