Enjoy Club

作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY



第1話『愛しき日常』(6)



 ――姉貴にあんなかっこいい彼氏がいると知った時は、本気で驚いた



 友賀葵の通う中学は公立で、家から歩ける距離に校舎が建っている。つい数年前、別の2つの公立中学と合併したが、もともと葵が通う予定だった中学は運よく生き残った。家の近くの中学が廃校になってこの中学に通うことになった生徒の中には、朝から長い道のりを経て通学してくる子達もいる。合併後に生き残った今の中学は校舎にかなり年季が入っていて、クーラーも取り付けられていない、つまりは典型的な公立中学だった。
 葵はそういう面で、私立の学校にあこがれてはいる。ピカピカの白い校舎に、広くて解放感のある廊下、クーラーのおかげで夏でも涼しい教室。高校を選ぶときは、姉の亜弓が通っているような公立高校ではなく、先の条件がそろったような私立高校に絶対行ってやると自分自身に誓っている。もちろん彼のこういった公立高校の見方には、少なからず偏見も含まれていた。

 とはいえ、葵はまだ中学2年生である。少なくとも真面目に受験について悩む時期ではない。実際はもっと、いつもつるんでいる友達といかにあほらしい会話で盛り上がるか、とか、いかにクラスの可愛い女の子に自分を魅せるか、といったことに頭を悩ませている。後者はよくナルシストだと言われるが、葵自身自分はかなり可愛い系の男の子だと思っているので、そうそう間違いでもない。

 そんな葵は今、いつもつるんでいる友人3人と、声を騒がせながら学校の廊下を歩いていた。次は音楽の授業なので教室を移動しているのだ。
 葵はその間も片手に教科書を持ち、もう片方の手をしきりに前髪にあてていた。こだわりの髪型がちゃんと整っているか気になるのである。しかし彼のボリュームのあるショートの茶髪はいつも通り綺麗にセットされているし、右寄りで分けた長めの前髪も左側に二カ所きちんと可愛らしいピンでとめてある。それがわかっていても髪を触ってしまうのは、完全に彼の癖としか言いようがなかった。

 歩きながら前の時間の先生の独特なしゃべり方を真似して皆で爆笑していると、友人のうちの1人がふと思い出したように言った。

「そーいや音楽って、夏休み明けて少ししたらリコーダーのテストするとか言ってなかったか?」

 げっと声に出して葵は顔をしかめる。

「やっべ、そうだ。しかも音楽のせんこーぜってぇ居残りさせるぜ、あいつ!」

 途端に4人の間を一気に野次が飛び交った。もちろんその場にいない音楽の先生への文句である。
 おそらく今日テストの詳細を言われて、来週実際に吹かされることになるのだろう。友人たちはぶっつけ本番でできるほどリコーダーは得意ではなかったし、葵の場合は彼らとはまた別のところに問題があった。

 実を言うと、葵はリコーダーに限らず芸術科目がそれ程苦手ではない。だからちょっと練習すればすぐにできるようになるのだが、変な話、葵の目的はテストでうまく吹くことではなかった。
 つまり、皆の前では下手ではないけれどもちょっとたどたどしい感じで吹きたかったのである。葵は元々可愛らしい顔立ちで、彼自身それを自覚し、さらに高めるようなファッションや髪形をしている。しかもノリがよく明るくて、適度にちょっとだけ崩れているので、男子からも女子からもかなりウケがいいのだ。そしてそのこともまた彼自身しっかりと自覚している。そしてその人気を崩さないために葵が気をつけているのは、まさに今回のようなことだった。自分のようにノリの良い可愛い系で通ってる奴は、完璧にこなすよりちょっと失敗するくらいの方がいい、と彼は思っているわけである。だからそういう意味で、葵もリコーダーの練習が必要だった。

 帰ったら部屋で練習するか、と内心意気込んでいると、隣を歩いていた友人が突然葵に話を振ってきた。

「たしか葵ん家ここから近いよな! 皆でリコーダーの練習しに葵ん家いかね!? 葵の姉ちゃんにも会いてぇし」

 再び、げっと声に出して彼の方を見る。同時に他の友人も、葵の家に行きたいと騒ぎ始めた。葵としては家に来るのは構わないのだが、姉に会わせるのにはあまり気が進まないのである。
 しかし友人達は勝手にどんどん妄想をふくらませて、皆でほぼ一斉に同じことを聞いてきた。

「そりゃあめちゃくちゃ可愛い高校生の姉ちゃんだったら、彼氏くらいいるようなぁ!?」

 ものすごい偏見が入っていることは無視して、葵は彼らの言葉にニッと歯を見せて笑った。

「姉貴はドがつくブスだけど、姉貴の彼氏はめっちゃくちゃかっこいいぜ、マジ! むしろ紫苑先ぱ……あ、いや姉貴の彼氏に会わせたい!」

 妄想通り彼氏がいるとわかって、友人たちが目を光らせる。

「彼氏、紫苑っていうんだ」
「おうっ。紫苑風也っつー名前もかっこいい人なんだぜ」

 すると、友人達の反応がそこで分かれた。1人は「へぇ~」と感心したように目を丸くし、残りの2人は何か珍しいものを耳にしたという顔をしたのである。葵は一瞬自分が何か変なことでも口にしたかと思ったが、そうではなかったようだ。2人のうちの片方が、強張った声でこう呟いたのである。

「紫苑風也……? それって、あの有名な不良じゃ……」

 明らかに怯えている彼には、余裕たっぷりの表情で言ってやった。

「あ、それ姉貴から聞いたけど、紫苑先輩あんま不良っぽくないから大丈夫! 金髪だけど」
「確かにその名前、すごい強い不良だって聞いたことある。でも、そっか、じゃあ俺が思ったのは違うか……」
「は? 何が?」

 なにやら1人でぶつぶつと呟いているもう片方の友人を、葵ら3人は眉をひそめて見つめた。どうやら彼は、有名な不良だということで風也の名前に反応したわけではないらしい。そのまま黙って成り行きを見つめていると、彼は自信なさげな声音で言った。

「その人の名前さ、1組の紫苑さんの名前にちょっと似てない? しかも紫苑さんも、結構美人じゃん。もしかしたら、兄妹だったりしてーとか思ったりなんかしちゃったりしてー……はは」

 頭をかきながら笑ってごまかす友人。一方葵は、全く予想していなかった新発見に目を輝かせた。

 “紫苑さん”と呼ばれる女子のことを、葵は一度だけ噂で聞いたことがある。1年生の頃の記憶なので全部は覚えていないが、確か彼女はものすごく大人しくてあまり口をきかない子だそうだ。せっかく清楚で美人なのにもったいない……というのは男子側の反応で、女子達は「あの子暗くて口きかないからつまんなーい」とあからさまなことを言っていたが。
 それを聞いた当時はクラスが違ったことと、大人しい子だと自分とはあまり気が合わないかもしれないということがあってほとんど興味を持たなかったが、風也の妹かもしれないとなれば話は別だ。ためしに彼女のフルネームを聞いてみると、“紫苑風香”というらしい。確かに、名前の一文字目まで漢字が一緒だ。

 ――……もしかしたら紫苑先輩の妹に会えるかも……!!

 葵は好奇心におされ、新情報をくれた友人の学ランを勢いよくつかんだ。

「その子何組だっけ!」
「え? あ、あぁ。1組だよ」

 聞くやいなや、葵はその友人の服をつかんだまま数メートル先の1組まで猛ダッシュした。中学生男子は何かと走りたがるのである。友人達が後ろで何か叫んでいるが構わない。葵は1組の入り口で急ブレーキをかけるとためらいなく教室の中を覗き込み、ついで後ろの友人を振り返った。

「どの子?」

 友人が目を細め中をぐるりと見渡す。教室の中はいくつかのグループに綺麗に分かれていた。そしてそのうちのある一角――窓際の2人組の女子を、彼は顎で示した。

「髪長くてストレートな方」

 葵は示された方を見、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 ――似ていた。紫苑風也に。
 綺麗な輪郭の小さな顔も、透き通るような肌も、小さく整った顔のパーツも。そしてなにより、わずかに伏せられた大きなつり目が。

 ごくん、と音を立てて唾を呑み下す。

 ――……すっげぇ、紫苑先輩の女の子バージョンだ

なんて変なことを考えながら、葵はまじまじと彼女を――紫苑風香を見つめてしまった。

 ちらり、と彼女がこちらを見る。葵は慌ててドアの裏に身を隠した。そして数秒後再び中をのぞいてみると、彼女は友人らしき女の子とポツポツと会話を交わしていた。

 じっと見てみると、遠くからでもわかる、やけに不安そうな瞳だった。風也のつり目はなかなか迫力があるのだが、彼女の場合はせっかくの目力もしぼんでしまっているように見えた。うつむき加減な顔や、縮こませた華奢な肩も、その印象を助長していたかもしれない。

 ――“ものすごく大人しくてあまり口をきかない”
 ――“あの子暗くて口きかないからつまんなーい”

 意外だった。妹がいることもだが、あの風也の妹がこういうタイプだったとは。

 そこで、皆が急にそわそわと時計を見始めた。葵もハッとして、1組の時計に視線をやる。

「やっべ、時間だ。音楽室いかねぇと。……広野サンキューな!」

 葵はもう一度風香の顔を見て、1組の教室を後にした。その去り際の背中を、風香が不思議そうな目で見つめていた……。