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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY

第6話『衝撃の刻(とき)』(18)
ざっと周囲の景色を見回し手に持った地図と見比べて、少女はいくらかの緊張と、その何倍もの期待と共に、目の前の屋敷をもったいぶった動作で仰ぎ見た。
全体的に小柄で、夏らしい薄着な服装。極端に短いスカートからは、すらりと細く白い足が伸びている。肩よりわずかに下辺りでカットされた黒髪は無造作に下ろされ、前髪も眉を覆っている。そして印象的な真っ黒の瞳に、小ぶりな鼻と唇。整った、可愛らしい顔立ちだ。
彼女は特別何かの表情を浮かべるわけでもなく、わずかに口を開いた状態で、しばらく屋敷から視線を外さなかった。
「ウィルくんの言った通りだ……」
どこか呆けたような声が漏れる。
――“古くて茶色い3階建ての豪邸”。その簡潔な説明通りだ。
聞いた当初は豪邸と言われてもどの程度のものがそう言えるのか判断が付かないと思っていたのだが、心配など全く必要がなかった。神々しいまでの存在感を放ってそびえ立っているその建物を見れば、それが“彼”の屋敷であることがすぐにわかる。つまり、“大崎影晴”の屋敷であることが。
彼女は唇を引き結び、黒く重々しい門をゆっくりと押した。通るのに十分な隙間ができたところで、するりと体を滑り込ませる。そしてすぐに後ろを振り返って、音を立てないように丁寧に門を閉めた。
徐々に身の内に膨れ上がってきた緊張。それをはっきりと自覚しながら、先程よりもずっと引き締まった表情で敷地内を振り返った。そして、そのだだっ広い庭に視線を走らすよりも前に――
「恵玲!」
自分を呼ぶ凛とした声が耳に届き、彼女――荒木恵玲は、緊張すら忘れて一気に笑顔をはじけさせていた。声のした方を見ると、ちょうど正面、このまま敷地内をまっすぐに進んだ先で、同じ組織の仲間であるウィル=ロイファーと棚妙水希が並んでこちらに手を振っている。恵玲は手を振り返すと、うれしそうに彼らに駆け寄っていった。
――大崎影晴に最後に会ったのは、いつだったろうか。
考えるまでもない。能力者として闇組織に加わった日だから、……そう、まだ8歳の頃だった。
突然自分の前に現れた知らない大人の男性に、最初は声も出ないほどに驚き抵抗を示していた自分は、彼の胸を突くような優しくあたたかい声に、あっさりと警戒心を緩めていた。人外の力を持っていたことで家族から見放された傷が、まだ癒えていなかったせいかもしれない。ただひたすら優しさに触れたくて、安心したくて、彼という存在にすがりついたのかもしれない。
彼はあの時、膝をついて目の高さをこちらに合わせ、ふわっと包み込むような声で言ったのだ。
「私は大崎影晴。名前を、聞いてもいいかな?」
ぽろりと、涙が一粒こぼれてしまうような、それはそれは慈愛に満ちた笑みだった。実際熱い滴で頬をぬらしながら、
「えれっ、……あらぎ、えれ!」
と必死に自分の名を告げたことを覚えている。
それを聞いて満足そうに頷いた彼は、怖がらせないようにするためかゆっくりと低い位置から腕を持ち上げ、その大きな掌で優しく頭をなでてくれた。いい子だ、とそう言われているような気がした。
「私も……君と同じだ。君と同じように、不思議な力を持っている」
唐突に言われたその言葉に、その意味に、瞬間胸に溢れかえった色々な感情。幼いながらも、否、幼いからこそ、何の疑いもなく素直に溢れ出た……想い。
耐えきれなくて、正面に膝をついてしゃがむ彼の服を小さな手で思わずつかんでいた。
「あたし……っ、あたしだけじゃないの!?」
涙に揺れる声に、彼ははっきりと力強く頷いた。その光景は、未だに瞼の裏に焼き付いている。自分の仲間を見つけた、心の拠り所を見つけた瞬間だった。
あれ以来、彼とは顔を合わせていない。その場で正式な闇組織入りが決定し、ウィル=ロイファーという1コ上の男の子を紹介してもらって、その後は彼の居場所すら知らせてもらえなかった。それでも、自分の能力を生かす任務を与えてくれた、そして何より、自分と同じあるはずのない能力を持って生まれてきた仲間に巡り合わせてくれた、大崎影晴という人物への崇拝に近い気持ちは、揺るぎない信頼は、消えることがなかった。消えるはずが、なかった。
――ねぇ、影晴様。
あなたが何者なのか、どこで生まれてどうやって生きてきたのか、どうしてE・Cという組織をつくれたのか、何も……何もわからないけれど。あなたが、“透視”と“能力察知”の力を持っていることしか知らないけれど。
あなたについていきさえすれば、大丈夫だよね。あたしを、……あたし達を孤独から救ってくれた、あなたを信じていさえすれば――……
「良かった、ちゃんとついて。迷わなかった?」
恵玲が2人の1メートルほど手前で立ち止まると、ウィルがほっとしたような表情を浮かべて尋ねてきた。それに対し頷いた恵玲は、持っていた地図をたたみながら頼もしい声音で言う。
「地図があれば1人でも全然来れるよぉ」
「そっか。影晴様がぼくのテレポート無しでも皆が来れるようにって言ってたから、大丈夫そうで良かったよ。みぃちゃんもちゃんと来れたしね」
「うん。あとは白波兄ちゃんだけだね」
2人の台詞に頷いて、恵玲はふと辺りに視線をやった。ほうっと吐息が漏れ、大きな黒瞳が自然と見張られる。
「こんなにおっきい庭、初めて見た……」
とにかく広い、だだっ広い敷地。周囲を囲む塀に沿ってずらっと木々が並び、敷地外に青々とした葉をのぞかせているが、手入れされている様子はうかがえない。そして彼女が歩いてきた門から玄関までの真っ直ぐに伸びる土色の道と、他全体を覆い尽くす芝生以外に、花や池といった目立つものは施されていなかった。強いて言えば、玄関の横に黒い車が1台とまっているだけだ。塀の外から眺めていた時の予想よりもはるかに殺風景な庭を、恵玲は意外に思って目を瞬いていた。
するとウィルの隣で様子を見守っていた水希が、口元にささやかな笑みを浮かべ静かに近付いてくる。そして恵玲の横に並ぶと、バッグを持つ手を後ろ手に組んで、しみじみとした声音で言った。
「初めてだね、影晴様の屋敷……」
風が敷地内を駆け、芝生がざぁっと音を立ててあおられる。同じく風になびいた黒髪を耳に掛けながら、恵玲は横にいる彼女に目をやった。彼女は恵玲を見ずに正面を向いたまま、わずかに目を細めてうれしそうな声音で続けた。
「会えるね、影晴様に……!」
ドクン、と心臓が音を立てる。
じわじわと恵玲の口元に笑みが広がっていき、最後には満面の笑顔に変わっていた。
「そうだね……!」
2人で顔を見合わせて微笑み合う。それだけで体が優しいぬくもりに包まれる。あの日、大崎影晴との出会いと共に手に入れたぬくもりだ。友賀亜弓に感じるものとはまた別の、能力者同士のみ共有できる感情である。
その様子を微笑ましそうに見守っていたウィルは、門から新たな人物が姿を見せるのを視界にとらえて、無意識に背筋を伸ばしていた。その反動でセミロングの柔らかい銀髪がわずかに浮いて、再び肩へと落ちつく。あちらにも見えるように気持ち背伸びをしながら、彼は右腕を緩やかに振った。
「白波!」
ハッとして恵玲と水希も門のほうに目を向ける。
いつも通りただ漠然と進行方向を見つめながら、仏頂面の有希白波がこちらへと歩いて来ていた。そろったね、と呟くと、ウィルは薄い茶色を基調とした家を仰いで、じっとそれを目を細めて見つめていた。
屋敷内の薄暗い廊下に、複数の足音が響く。大きな屋敷にはおなじみの彫刻や絵画は一切見当たらず、それがこの廊下の長さとあいまって、どこか先の見えない恐怖が感じられる。もちろん実際はそんなに長いわけがなく、このまま真っ直ぐに進んだ先、一番奥にある扉ははっきりと視界に映っているのだが。
気温とはまた違ったひんやりと冷たい何かが腕をなでて、恵玲は耐えるように両腕を組んでいた。唇に力を入れて、睨むように前を見据える。
不意に、ついっと半袖の端を掴まれて、恵玲は思わず声をあげそうになった。それを寸でで押さえて息をのむにとどまり、掴まれた袖に視線を向ける。ちょっと躊躇いがちに指先でつまむその小さな手が右隣を歩く水希のものだとわかって、恵玲はほっと胸をなでおろした。
彼女もこの廊下を不気味に感じているのだろうか。そのまだどことなく幼い顔に浮かぶ緊張を読み取って、逆に恵玲は自分の中の得体の知れない恐怖が幾ばくか収まっていくのを感じていた。
袖をつかむ手をうまくほどかせて、すぐにその手を自分の右手で握る。ふっとこちらに目をやった彼女に意識して微笑んで、恵玲はつないだ手をあえて力強く振って歩いた。
するとそれに気付いたのか、2人の前を先導するように歩いていたウィルがこちらを振り返り眉を下げた。
「ここの廊下ってなんかぞくぞくするよね」
むき出しの白い腕をさする動作をしながら苦笑気味に言うウィル。恵玲と水希は何度も頷き、彼の真似をして腕をさすりはじめた。皆でその動作をすると、怪しい上にますます寒さが増してくる。現に白波は冷めた瞳でこちらを見ている。
「なんかひんやりするよね。夏なのに」
「クーラーとかじゃないよね……?」
水希の問いかけに、今度は恵玲とウィルが頷く。そういう物理的な寒さじゃないのだ。
するとウィルが突然さすっていた手をあっさりと外して、「まぁでもすぐに慣れるよ」と頼もしい声で言い前に向き直った。よくリーダーとしてここに顔を出している彼は、実際ここの空気に慣れているのだろう。さっきまでの動作が完全なフリである証拠に、それはもう冷気なんて感じていなさそうな堂々とした足取りで歩を進めている。恵玲が建物の中に入ったときから感じていた妙な緊張感も、彼はそれほど感じていないようだ。
ウィルの小さな背中でゆれている綺麗な銀髪。周囲の薄暗さによく映えているそれをじっと見つめていた恵玲は、何気なくその視線を横にずらして無言を貫き通す白波に目をやった。やはり、というべきか、彼もまた何の躊躇いもなく、いやむしろ何かに引っ張られているかのようにどんどん足を前に出していく。おもしろいほどに、いつも通りだ。
その様子を観察している間に、1番奥の扉へとたどり着いていた。両開きで雰囲気のある、重々しい扉だ。この空間に似つかわしい。
再びぶり返してきた張り詰めたような緊張に空唾を飲んで、恵玲は上から下へと眼前の扉に視線を走らせた。……本当に今日は緊張のメーターがよく振れる日だ。
水希とまだつないだままだった手をほどいて、恵玲は無意識に囁くような声音になって尋ねた。
「ここに影晴様がいるんだよね?」
「そうだよ。……この扉の前に立つと未だにドキドキするよ。ここだけは全然慣れない」
ウィルが右手でこぶしをつくって、それを持ち上げる。「準備はいい?」と3人を振り返り、皆が頷くのを確かめた後、
コン、コン……
ゆっくりと二度、どでかい扉をノックした。その音が冷たい静寂に不気味に響き、恵玲と水希は表情を固くして扉を凝視する。大好きな主に会える喜びはすっかり身をひそめてしまっていた。それくらい、この空間に広がる独特の空気に体が、心が慣れていなかったのだ。
「麗牙光陰、参りました」
ウィルのよく通る凛とした声。しかし、いつもよりもどこか機械的な、“面会用”の声音が耳慣れなくて、遠くでそれを聞いているようなそんな錯覚にとらわれた。そして息をつめて扉の奥に意識をやった直後。
「――入って」
どこまでも穏やかに凪いだ、大人の男性の声。
懐かしい、しかしずっと耳に残っていた、主の……声。
ウィルは凛々しい表情で前を見据え、ゆっくりと扉に手をかけた。開かれていく扉の隙間から光が差し込んできて、薄暗い廊下に白い線を走らせる。
――ねぇ影晴様。
扉が、完全に開かれる。
――あなたについていきさえすれば、大丈夫だよね。あたしを、……あたし達を孤独から救ってくれた、あなたを信じていさえすれば――……

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