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作者/ 友桃 ◆NsLg9LxcnY

第7話『友を取り巻くモノ1』(4)
風也が勢いよく床を蹴って一気に距離を詰めようとすると、同時に恵玲も全く同じ動作をとっていた。耳元で、風を切る音がする。風也自身自分のスピードにはかなりの自信を持っているが、彼女も全く負けていない。風也は彼女の姿が高速でズームするように正面に迫ってくるのを見て、2人の元いた位置の中間あたりに一度右の爪先で着地し、即座に足先を器用に使って右へと体をスライドした。同時に、直前に彼が一度着地した場所を、恵玲の突っ込んだ勢いそのままの回し蹴りがかすむような速さで振り抜かれる。冷えた風が風也の頬をなでる。彼女のその動きを予想し冷静によけた風也は、一度後方へと跳んで相手との距離をとった。恵玲も一発目をはずしたとわかった瞬間、反撃を警戒したのかいったん後ろに引いている。
2人はお互い距離をとって動きを止め、なめまわすように相手の様子をうかがっている。じりっと足の位置を微調整して、いつでも踏み込めるように構えて相手のアクションを待つ。
これが屋外であったなら乾いた風が一陣吹き抜けただろう緊迫した静寂の中で、風也がややあって呆れたような、しかし隠しようのない喜色を含んだ笑みをもらした。
「初っ端から回し蹴りって、やることがいちいち派手だよなぁ……」
言った瞬間風也は、自分で自分に苦笑をもらしている。
――……やべぇ、オレ楽しんでる
どうしてここに来たのかとか、ここに来て何がしたかったのかなんていうことは、すでに彼にとってはどうでもいいことだった。今彼の意識は、ほぼ全て荒木恵玲に注がれている。有名な不良のたまり場である下橋でさえ肩を並べる者のいない、群を抜いた強さを誇る彼と、対等にやり合える、ごく稀な存在に。
ただし彼は、ある気にかけるべき重要なことももちろん忘れてはいなかった。それは扉の所で呆けたようにこちらを見ている、友賀亜弓の存在。好都合なことに恵玲が彼女に手を出さない条件をあちらの頭らしき人物につけてはくれたが、どこまで信用できるかわからない。だから、他の誰かが亜弓に危害を及ぼそうと近付いてきたときに、すぐに対応できる範囲でやり合うつもりなのである。彼女のことを気にかけながら恵玲の相手ができるのか、と言われれば正直その余裕はないのだが、しかし今の状況なら話は別だ。恵玲はまだ亜弓の登場に、頭からの突然の命令に、動揺している。
風也は口端をつり上げ、いつもよりもずっと固い表情でこちらを見つめてくる恵玲の顔を見返した。
すると恵玲は引き結んでいた唇から力を抜き、少しだけ表情を緩めたようだった。
「風也くんだってやるつもりだったくせに。そういう体勢だったじゃん」
彼女の目が好戦的に光る。風也は苦笑混じりに言った。
「2人で回し蹴りやったらすげぇことになりそうだったから、やめたんだよ。あいにく我武者羅に突っ込むタイプじゃないんでね」
「あ、そうなんだ。ちょっと意外」
わざとらしく大きな黒瞳をパチパチとさせて、恵玲が驚いたように言う。それに対し特になにも返さなかった風也は、第2ラウンド行くか、と自らの内で気持ちを高めたところで、
ふとある人物が視界の隅に入り、思わず眉をひそめてそちらに目をやってしまった。
すらりとした長身。お世辞にも顔色がいいとは言えない白い肌に、スーツを着ていてもわかる痩躯。毛先にいくほど色が濃くなる乾いた質の茶髪に、感情というものが全く読み取れない、完全に無表情な顔。そんな見覚えのない男が、風也から見て扉の左手、窓の近くに無言で佇んでいた。
そのことに今更ながら気付いた風也は、正直驚きを隠せずにいた。人の気配を読むのは割合得意な方だったのだ。それに加えどう考えても初対面のはずなのに、記憶の隅を刺激されるような感覚がして、風也は露骨に顔をしかめていた。
その男は実に不気味なことに、無感情な瞳をこちらに向け、長い両腕をぶらんと体の横に下げた状態で、ろうで固められたように身じろぎ一つしない。風也がはっきりと不審げな視線を投げても、眉一つ動かさないのだ。
舌打ちをしたい気分にかられながら視線を恵玲に戻すと、こちらの様子をじっとうかがっていたらしい彼女は、親切にも小声で彼のことを教えてくれた。
「あの人、天銀さん。あたしも今日初めて会ったから、よくは知らないけど」
風也は思わず目を見開く。
――……あま……!?
つい声に出しそうになるのを、かろうじて押さえこんた。頬から顎を伝って首筋へ、冷たい汗が一筋滑り落ちる。先刻の白波の台詞が頭をよぎっていた。
――“天銀には気をつけろ”
風也は意識して平静な表情を保ち、改めて片足を引いて臨戦態勢をとる。
「なんか薄気味悪い奴だが……まぁいいや。続きといこうぜ」
「おっけぇ。あたしも風也くんに隙をつくらなきゃいけないから……ねっ」
先程よりもかなり余裕を取り戻し普段のペースに戻りつつある彼女は、自分の台詞で勢いをつけると同時に、その場から姿を消した。……いや、もちろん消えたわけでは決してない。彼女の動きが速すぎて常人の目には捉えられないのだ。しかし風也は身体能力に関しては常人という枠からわずかばかり逸脱した存在である。一瞬は彼女の姿を見失いかけたものの、すぐに彼女が低い姿勢で背後へと回りこんでくるのをはっきりとその目にとらえていた。
斜め後方を振り返るのと同時に、彼女の破壊力抜群の蹴撃が下から弧を描くように振り上げられる。空間を切るようなそれを頭を引くという最小限の動きでよけると、彼は不意に丁度いい位置にあった彼女の肩口の服をつかんで体勢を崩させ、間髪置かずにミドルキックを放った。が、流れるような勢いのまま掴んだ手は服を引いた直後、滑るように離れてしまう。それでも彼女の体勢が崩れていることに変わりはなかった。
たいていの奴は一発でノックアウトというしなるような蹴撃を風也は止めない。この程度だとまだ手加減できるほど自分は優位には立っていないと思ったのだ。
そして予想通りと言えば予想通り。
瞬間右のすねの辺りに鈍い衝撃が広がり、風也は顔をしかめた。それこそ俊速でこちらを振り返った恵玲が、中腰の体勢で両腕を顔の前に立て、彼の蹴り足をガードしたのだ。それでもかなり苦しまぎれの手段ではあったらしい。彼女の顔が苦渋に歪んでいる。風也は彼女の腕に右足をぶつけたまま、その足を振り抜いた。
ふわっと恵玲の小柄な体が浮く。一瞬見えた彼女の表情には驚きではなく、今にも舌打ちが聞こえてきそうな苛立ちの色が浮かんでいた。
「恵玲!?」
「恵玲姉ちゃん!」
外野から驚愕と不安の入り混じった声が飛んでくる。
しかし、さすがと言うべきなのだろうか。彼女はそう簡単にやられる人物ではなかった。
蹴りで思い切り吹き飛ばされた恵玲は、床に滑るように肩から着地した瞬間、手の平で床を押してその反動で一回転。そのままトンボを切って風也と間隔数メートルの位置に華麗に着地したのだ。風也がピゥッと口笛を吹き、興奮した目で彼女を見る。恵玲も服についた汚れを申し訳程度に払いながら、「痛いなぁ、もう」と呟き、悔しさと興奮を混ぜ合わせたようならんらんと光る瞳で彼を見据えた。
不意に、「あ……」と風也が思い出したように呟く。
「今の、この間屋上でケンカ売ってきたやつの礼ってことで」
一拍置いて恵玲が苦い表情を浮かべて頷く。
「あぁ、亜弓とのときのやつね。ていうか今、展開一緒だったよね? あの時は確かあたしが投げとばして、風也くんが綺麗に着地したんだっけ?」
「確かそうだな。てかお前と型が似てて地味にびっくりしてるんだが」
「うん、あたしも思ってた。蹴るのとかステップの感じとかね」
恵玲が好意的に微笑んでいる。妙に柔らかい空気になってしまい、風也はつい緩んでしまいそうな緊張感をどうにか体の内にとどめていた。このままだと周りに亜弓やE・Cのメンバーがいることすら頭から飛んで、こちらに没頭してしまいそうである。おそらく恵玲も似たような状況だろう。再びその瞳に不敵な色を宿した彼女は、小さな唇で弧を描いて、舌なめずりまでしている。風也はつい呆れたような空笑いをもらしそうになったが、自分も人のことは言えない、と内心苦笑していた。
外野はふたたび静まり返っている。いや、もしかしたら自分が恵玲との対決にのめりこみすぎて、周囲の音を遮断してしまっているだけかもしれない。そう考えた瞬間、不意に小さな危機感がわいてきて、風也はチラッと横目に扉の方を見た。亜弓が胸元に手をやったまま、困ったような顔つきでキョロキョロと視線を走らせている。とりあえず無事であることがわかって風也はほっと息をつき、改めて気合を入れ直した。
そして恵玲と視線を合わせ、お互いすぐにでも動けるように片足を引いて、相手の動きをつりあがった目でじっと観察して……
ふと斜め後方――亜弓のいる位置に新たに人の気配が生じて、風也は血の気の引いた顔で勢いよくそちらを振り返った。
彼の視線の先で、申し訳なさそうに眉を下げたウィル=ロイファーが、テレポートで亜弓の背後に出現。彼の手刀が、亜弓の首筋にたたきこまれようとしていた――

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