Veronica(ウェロニカ)
作者/ 朔 ◆sZ.PMZVBhw

◇Oz.1: Blast-竜と少年の協奏曲(コンチェルト)- Part5
* * *
ドォン!
コンクリートの壁が、物凄い音をたてて崩れた。砂煙の中、フリッグは体勢を立て直す。バジリスクの眼を潰すべく、彼は手に持ったナイフを投げた。見事に命中し、奴の左眼に刺さったナイフからは赤黒い血が滴っている。
「もう一発、だ」
息を切らせながら少年はもう一本を投げた。怪物の叫び声は大気を揺らすほどだった。残されていた片眼も封じられる。鮮血は汚れたら白い壁や床に飛び散り、其れを染めていった。
「ほぅら、こっちだ」
バジリスクを挑発するように言い放ち、彼は走り出した。
両目を潰されたバジリスクは我を忘れただただフリッグを追い始める。視力を奪われた怪物は、視力を奪った少年を音と臭いで追い始めたようだ。幸いにも、民宿の周囲には建物があるものの人が住んでいるものは少ない。最低限被害を及ぼさないよう、フリッグはチェヴラシカ大草原を目指し走る。
バジリスクは速い。だが、追い付かれそうになったところでチェヴラシカ大草原と思われる場所に着いた。
小型の魔物が数匹彷徨(うろつ)いていたが、バジリスクに気付きそれらは一目散に逃げていった。実質、その場に居るのはフリッグとバジリスク(とポチ)だけになった。
問題は、この怪物をどう倒すかだ。
暫く考え込んだ。取り合えずフリッグは息を整えた。長い間走り続けていたためか、流石に辛い。
「フリッグさん、連絡してきましたよ!!」
後ろからコレットの声がした。それに気付いたバジリスクは、攻撃対象を彼女に変えたようでそこ目掛けて進み始める。
「馬鹿!」素早くコレットを掴み、彼女を遠ざけるようにして投げた。「気付かれるだろ…!!」
「ごっ…、ごめんなさい。でも、一人じゃ危なくて……っ」
泣きじゃくるコレットにフリッグは背を向けながら言った。
「倒せる、かもしれない。でもこれは危険だ。巻き込まれないよう、僕の後ろに居て」
はい、とコレットは頷いた。そしてフリッグの少し離れたすぐ後ろに立ち、彼の背中を見つめた。
バジリスクがフリッグを目掛けて槍の穂先のような尻尾で攻撃した。すると、空気の壁か何かにぶつかったようで怪物は仰け反った。
「な、何…?」コレットはフリッグに訊ねる。「何が……あったの?」
「音を使った」淡々とフリッグは答えた。「聞き取った音を使って、音波で奴を攻撃したんだよ。
僕は、自分の耳に入った音を三四〇メートル以内の範囲で自由に出来る能力も備えています。
だから、音を使って、攻撃だって出来る」
熟(つくづく)不思議な少年だ。彼は何度も其れを使ってバジリスクにダメージを与えた。まるで、指揮棒を振るっているかのように体を動かしている。
"追走曲
音の振動を圧縮した、強力な攻撃力を秘めた弾丸が怪物に向かって飛ぶ。必死に其れを避けようと逃げるバジリスクを追尾し続けて、最終的には見事に命中した。まるでカノン(ある声部が歌いだした旋律を後続の声部が模倣しつつ進む曲、輪唱)のようである。
「ギャオ゛オ゛ォ゛ォォォ!!!!」
怪物の叫び、苦しむ声が周囲を轟かす。両目が激しく出血した。
「僕の攻撃は、外部にダメージを与えるんじゃなくて、内部に与えるんです。だから、外から攻撃し当たっているように見えてもそれは全て内部に打撃を与えてる」
悶え苦しむ姿を見ながらコレットは呟いた。
「なんか………可哀想」
その言葉にフリッグは俯(うつむ)く。―――分かっている。奴も生き物だ。ただ人へ危害を与えるからといって殺生するのは正しいわけではないのは分かっている。
だからといって野放しにしておくわけにもいかない。殺さない程度に苦しめ、逃がすことが出来れば一番良い。このまま奴が、魔物達の棲みかに帰ってくれるのを望んだ。
突然、バジリスクの右眼に光が宿った。右眼はフリッグを鋭く睨み付ける。殺傷能力を持った猛毒の眼が復活するなど予想だにしていなかったフリッグの躰に、眼から放たれた毒が回り始めた。
―――なっ…!?
眼は潰したはずだ。なのに、何故か右眼が復活したのか―――。躰に回り始めた猛毒にフリッグは苦しんだ。
不幸中の幸いなのか、右眼だけに見られたお陰で直ぐ死に至るほどでは無かったが、それでも躰は毒に蝕まれる。このままで居れば、死に至るだろう。
「コ、レット、さんっ……―――」
息も絶え絶えの彼は後ろのコレットに喋り始めた。
「藤崎さん、逃げましょうよ!!暫くすれば軍の人が来ます!!」
「―――終らせ、ます。多分、軍の、人、が来るま…でに、は、時間が……かかり、ますから。
僕が…、なんとかし、ま…す。貴女、は…、逃げ、て」
彼の言葉に従い、コレットはその場から逃げ出した。
フリッグは重く感じる躰をなんとか動かす。
「――――――ポチ」
ぜえぜえとしながらポチの名を呼んだ。ポチは高い鳴き声で返事をし、フリッグの頭に乗った。
「行く、よ………!」
「キャウゥッ!!」
フリッグの掛け声に応答したポチの躰が激しく光り始めた。
光を纏ったポチの躰が膨張する。躰は十倍近くに大きくなり、巨大な翼が、手足が、爪が―――今までのポチとは比べ物にならないぐらい大きくなる。光が消えると、ポチは巨大な爬虫類の躰に蝙蝠の様な翼、鋭いカギ爪に長い尾を持った竜(ドラゴン)へと変化していた。
そして、フリッグはヘッドフォンを外し、地面に叩き付けた。
世界中の音が聞こえる感覚に陥る―――。
―――ここまでしないといけない、だなんてね。
そこまでの行為を要するまで自分を苦しめた相手を称賛すると同時に、この程度でここまでするしかない自分を嘲笑した。
ヘッドフォンは、耳が取る音の数を減らすしきりにすぎない。それを外した今、彼の耳に膨大な音が入り込む。ヘッドフォン着用時は三四〇メートル以内の音しか聞き取れなかったが、それを取った今、より広い範囲の音を耳が吸収した。
「これで、終わらせてやる」
鋭い眼光を、彼はバジリスクに向けた。
* * *
―――何をしているのだろうか。
自分は、フリッグを助けに行こうと思っていたのに。だから、軍人に「先に行ってます」と言って制止するのを振り払ってまで来たのではないのか。なのに、彼の言葉に従って逃げ出した。自分は何をしているのだろうか。
自宅前まできて、彼女は立ち止まった。毒に蝕まれた彼は、放っておけば死んでしまう。自分は彼を見捨てた。
「逃げるなッ!!」自分に対し、コレットは叫んだ。「何逃げてるの弱虫!!」
自分は、きっと足手まといにしかならない。だから行っても意味は無いだろう。しかし、しかし―――。
ふと、破壊されかけた室内に割れた鏡の欠片を見つけた。
『奴はバジリスクという怪物。体内に猛毒があるだけでなく、相手を見ただけで相手を殺せる能力を持ってるんだ』
フリッグの言葉が脳内に再生された。
馬鹿で愚かなのは百も承知。弱いくせに見栄はって助けに行って、逃げてきた大馬鹿者だ。だけども―――。
コレットは割れた鏡の一番大きい破片を手に取り、チェヴラシカ大草原へと再び向かった。

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