Veronica(ウェロニカ)

作者/ 朔 ◆sZ.PMZVBhw

◇Oz.8: Sign-夜想曲(ノクターン)に誘われて- Part4

 フレイとの話が終わりった頃、日は落ち始めていた。辺りが薄暗くなりつつある。

 フリッグはウェスウィウスに言われ、ベテルギウスに戻ることに、泊まる場所の無いメリッサやレイス、リュミエールも共に行くことになったのだ。


「ボクも、先日からずっと泊まってるんですよ。優しいですよね、彼処(あそこ)の方々」

向かうところにフォルセティもついてきていた。軍内部では宿泊する場所が無いそうなので、彼もまたウェスウィウスに勧められて泊まっているのだそうだ。

「まぁ、コレットさんとか変わり者だけどさ」
脳裏にアイゼンヴァンク一家の顔が浮き上がる。嗚呼、彼らは名前を間違えたままなのだろうか、きっとそうだろうと思うと妙に躰が重くなる。

 あの"ベテルギウス"という名前とは裏腹に、寂れた廃墟の様な民宿は、知らない彼らにどう思われるのかと、少し楽しみでもあるが……。

藤崎という名で呼ばれていることをからかわれるのだろうな、とフリッグは静かに思う。嫌では無いけれど、無いけれど―――。


「あのリーゼロッテとかいうお嬢様と同じようなホテルかなぁ。そうだよね、きっとそうだ、絶対そうだ!」
「シャングリラとかがあるんだよ!!リュミ、そういうの見るの初めてっっ」
「シャングリラじゃなくて、シャンデリアだろう……。
―――俺も少し楽しみだな」

想像を膨らます三人の様子が酷く滑稽に見えるのは決して気の所為では無いだろう。


 そう言えば、あのリーゼロッテ=ルーデンドルフというスピネル種は良い所のご令嬢か何かだそうで、連れの人狼と共に―――まるで各国のVIPを待遇するような―――高級ホテルへと向かっていった。

一緒に行こう、とフリッグが言ったところ
『すまないな。私たちは場所が違うんだ』
と断られた。

 去って行く彼女の背中を見ながら、

『っー、たく。ベリー・インポーテント・パーソンかよ!良いねぇ、良いとこお嬢様はさ。アタシみたいに、家も家族も故郷も無い奴とは違うんだねぇ』

と皮肉を込めて、メリッサはVIP(特別待遇人)のことを元の長い単語で言った。同感である。フリッグも内心そう思って仕方ない。

 一体、何者なのかと少年は一人考えに耽っていた。


「リーゼロッテさんは、家柄が良いんですよ」まるでフリッグの思考を読み取ったかのようにフォルセティがにこにこしながら喋る。「父は大物政治家ですし、祖父は大手兵器メーカーの……」
「やっぱりか――。お嬢様ね、オジョーサマ」
フォルセティの言葉をメリッサの声が遮った。彼の表情に怒りが見え隠れしている。

 ルーデンドルフという言葉に聞き覚えがあると思えば、やはりネルソン=ルーデンドルフの娘だったか、とレイスは一人納得する。威厳ある態度からしてやはりな、そう呟く。

 道中、適当にファーストフード店で夕食代わりとなるものを買って、歩きながら食事を終わらせた。



 暫くして、ベテルギウスの全貌が見え始めてきた。―――勿論、想像を膨らました三人が愕然したというのは言うまでも無いだろう。


* * *

「藤崎さん、良かった!生きてたんですね!!」
茶の御下げを揺らし、涙混じりの紅い目でフリッグの胸にコレットは飛び込んできた。相変わらず名前を間違えて。

「だぁから、藤崎じゃないって」
訂正する彼は横目で、静かに爆笑しているメリッサを捕らえた。直ぐ様ポチに命じ、彼女の顔面に焔を吐いてもらう。「あづい!!」という濁った悲鳴が響いた。

 コレットの背後からがたいの良い男と少し太りめの女が現れる。彼女の父母、バレットとコナーズだ。フリッグは軽く会釈した。


「良かったよ、無事に戻ってきて……」
コナーズは目をうるわせた。隣でバレットが腕を組みながら頷いている。

「部屋は毎日掃除しておきましたからね!さ、早く早くっ。外のお客様もっ一緒にっ」
呼吸を置く間も無いのかと思うくらいに焦った様子でコレットは誘い込む。ハキハキとしたこの様子に、フリッグの口が思わず綻んでしまう。


「男主人公っーのは、モテるのね」
またにやつくメリッサがからかう。
「知らないよ。ただ、こー……来るだけだし」
「またまたぁ。何なんだよ、ソレ。ムカつくなぁ」
本人に自覚が無いことが、滑稽で仕方ない。ぷくく、と笑いを溢す。フリッグは呆れた。

「―――モテモテっ」

呆れたフリッグに、ふざけたリュミエールがど突きかかった。どこから出したか不明のハリセンが容赦なく、絹の髪を持つ頭にヒットし、痛々しい乾いた音が鳴り響いた。


* * *


 相変わらずの殺風景の部屋にフリッグは思わず苦笑する。泊まった時となんら変わらない風景だ。綺麗に掃除してあるところに、コレットの心遣いを感じる。

パタパタとポチが翼を羽ばたかせ、部屋一周を旋回している。幸いにも、一人一人部屋が別々になっていたので久し振りの一人の感覚にフリッグは入り浸った。


 ―――確かフォルセティとリュミエールは同室では無かったか。子供二人だけとは言え、若い男女二人きりとは少しどうかと思う。

 思い起こせばフォルセティがリュミエールと二人にしようと言ったのだった。


『ボクと、リュミエールさんで泊まりますね。ボクが泊まっている部屋は一人じゃ広いですし。
だからと言って、大人の方の部屋じゃ狭いし。
なので、リュミエールさん。一緒の部屋にしましょう』

チラリと希望を込めてフォルセティはフリッグを見ていたのだが、彼の嫌だという厳しい視線に気付いたようであった。だから自分の部屋にと言ったのか。

しかし、あの子供は敬語を使い謙遜した態度を持っていながらも、きっと心のうちはあのフレイの様にむっつりスケベなのだと勝手に思ってやった。


―――夜が更けてきたな。

一人、窓辺を見ながらフリックは思い出す。

―――此処に来た、あの日も確か、こうやって眺めてたっけなぁ。

ウェロニカが放った毒蛇。彼女はやはり敵か、そして巻き込んだのは、自分。自責の念が蛇となり、四肢に絡みついて離れない。それに押しつぶされそうになり、呼吸が困難になってきた。


「ッ―――」
頭が揺らぐ。急な頭痛に襲われ、躰がふらつく。倒れぬよう、壁にへばりついた。耳元にポチが飛んできて、そっと右の頬を嘗める。大丈夫か、と訊いているのだろうか―――。






『退化したものよな』


聞いたことも無い、しゃがれたような低い女の声を右耳が捉えた。



「……え?」

―――ポチ?そんな訳無いよな、だってコイツは喋れないし……。

右肩で休むポチ以外、考えられない。明らかにそのくらいの位置から発せられた声に思えたのだ。だがポチが喋るはずもない。


 他のところから聞こえたのか、それとも―――と思考を巡らせようとしたのだが、急な睡魔が襲いかかり思考回路を遮断し始める。

―――駄目だ、眠い。


いろいろあって疲れたのだ、とフリッグは自己完結した。着替えていないが、着替える気力もない。ふわりとした感触と陽の匂いを漂わせたベッドの中に彼は飛び込んだ。


何処から聞こえるのか分からない。夜想曲(ノクターン)が体の内部に響き渡り、眠りへと誘ってゆく―――。


* * *


 眠りに着いた少年の横顔を覗き込むように、子竜は枕元へと降り立った。フリッグの柔らかな黄色の髪をポチの小さな口が咥えた。眠りに着く彼を見下すような視線を向ける。



『やはり全て忘れていたとは。情けないな、フリッグよ』


竜はしゃがれた声を、深緑の躰の中から響かせた。