Veronica(ウェロニカ)

作者/ 朔 ◆sZ.PMZVBhw

◇Oz.21:Anagni-イノセンス・コール- Part2

* * *


「じゃあ、キミが大魔導師だっていうの?」
琥珀の少女が問う。フリッグは頷いた。
「転生?」
「違うと思う」
「生まれ変わり?」
「転生と同じだろ」
「じゃあ、コールドスリープ?」
「分からない」
「ふうん……」
ユールヒェンは目を逸らした。フリッグは何も言わない。竜王にでも説明して貰おうかと思ったが、彼女はそういうことをしてくれそうに無かった。――もしかしたら、知らないかもしれない。

「正体不明に変わりはない……ってこと、か」
少女は苦笑いする。「でも、えらい違い」と自嘲。

「なにをなすべきか」

少女が声を奏でる。琥珀の瞳が閉じられた。そのままで、リヴァイアサンの方を向いた。
「ドラゴンさんだって、何か事情があってあらわれたんでしょう?」少女が笑む。「じゃなけりゃ、人間なんて助けないはずだもの」
「ティアマットとマーリン……彼等ならば信用に値すると思った」
リヴァイアサンは空を見上げた。鋭い莱姆緑(ライムグリーン)の瞳が潤んで見える。澄んでいる筈の緑は淀んでいた。
「ネージュに来たと感じたときから、協力して欲しいと願っていたことがあるのだ……」
リヴァイアサンがじっとフリッグを捉えた。彼女の強い眼光は、彼を逃がしはしない。逃げることを躊躇わせさえした。その目から、彼女の意志が紛れもなく強く純粋なものは明らかであった。

 女竜の唇が僅かに痙攣。表情も強張っていた。それでも竜王リヴァイアサンは真っ直ぐにフリッグを見つめている。唇が早口に動いた。

「我が悲願――――娘との再会に力を貸して貰いたい」

フリッグは目を見開いていた。


* * *


 純白の雪原を、足跡のように赤い斑点が点々と打たれている。足を引きずる二組の男が居た――――ザグレヴとアグラムである。
「餓鬼に女、一体何なんだ、アイツはッ」
ぜいぜいと荒い息を吐きながら、ザグレヴが近くの梢に拳をぶつける。枯れきった梢が乾いた音を鳴らして折れる。
「落ち着けザグレヴ」アグラムが言う。「きっとこの先の集落にいるだろうから、そこで殺りゃあ良い」
途端、彼の頭が凹んだ。鼻血を垂らしたザグレヴの拳がアグラムという男の顔面に放たれたのだ。アグラムの体が雪の中に埋もれる。

「黙れや!!」
怒号、鳴り響く。しんしんと雪の音しかなかった自然界の静寂が破壊された瞬間だ。鼻を抑えたアグラムは男を睨んでいた――が、仕方無いことなので顔の筋肉を緩める。
「死神を殺せば、政府から金が入るんだ。確実に殺らなきゃなんねえ」
ザグレヴの顔に皺が刻まれる。男は拳をまた梢にぶつけた。折れた梢は乾いた音を立てるだけである。

「ユールヒェン・エトワール――――!」

男は咆哮した。雪原にそれらが轟く。アグラムは呆れた顔を浮かべるだけだった。――翡翠の目をした餓鬼はどうでもいい。今の脅威は正直、禁呪を唱えた白髪の女である。魔導に僅かながら通じていたアグラムは、彼女が放ったものが、"聖なる審判(ホーリエスト・ジャッジメント)"だと一瞬で見極めていた。そして退却際に女から聞こえた"リヴァイアサン"という単語――――確実に四大竜王リヴァイアサンである。そんなものが居ては、いくらなんでも勝てるわけない。どうするかとだけぐるぐると考えた。


 目の前のザグレヴを見据える。

 ――――結論。彼がきっと早とちりをして、負ける。


* * *


「悲願、ねえ」
ユールヒェンは髪を手で鋤いた。しかし竜王リヴァイアサンの目は明らかな本気である。
「そいつがネージュにいれば考えても良いけど」
と呟くはフリッグである。何故か上から目線な物言いである。

女竜は目を閉じて哀惜の顔になっていた。噛み締められた唇から血が滲んでいる。
「ネージュには、居ないだろう。恐らく、今はアクエリアかアイゼンに居るだろう」
竜王は水の都と歴史有る国家の名を紡いだ。フリッグが訊ねる。
「名前は、性別は、種族は?」
「名はシトロンヴェール。性別は女、種族は大体人間だ」
「大体って」ユールヒェンが苦笑い。「何よ、それ」
「人間と竜の混血児だからだ」
「まあ、予想通りだけれども」
少年、苦笑。最初はただ単に、竜でも探すのかと思ったが、大体人間だと聞いて混血児だと確信したのだ。
「一人娘だ」リヴァイアサンが消えそうな声で言う。「大切な、大切な彼の忘れ形見だ……」
 竜の脳裏に懐かしい光景が浮かぶ。――――黄土色の髪の優しい顔立ちをした好青年と、同じ髪色でツインテールの小さな女の子。娘はリヴァイアサンと同じ莱姆緑の目を丸くして、青年を見上げている。

――――ラタトゥイユ……、シトロンヴェール……。

 竜は心の内で夫と娘の名を呼ぶ。
「十年前に夫は殺され、娘も連れていかれた!」
激情が濁流の如く、流れた。リヴァイアサンの悲痛な怒号が轟く。びりびりと大気を揺らしたそれに、フリッグもユールヒェンも一瞬停止する。
「そこの娘の危機を祓う。変わりに、私の悲願を叶えてくれないか」
「わあ……わかったけどさあ」
たじろぐフリッグ。リヴァイアサンの眼光が脅し文句のように貫いてくる。少年は無言で頷いた。それしか出来なかったのだ。

 リヴァイアサンの意志は本気である。まるで、自分を想って行動に移っていた時のポチみたいである。この様子から、竜はきっと義理堅いのだということが受け取れる。ポチはフリッグを想っている。リヴァイアサンもまた、娘を想っているのだ。その感情は、きっと容易に踏みにじるべきものでは無い。

「なあ、リヴァイアサン……」
「伏せろマーリン!」

フリッグがリヴァイアサンに話を振ろうとした瞬間だった。リヴァイアサンが先に叫ぶ。フリッグが伏せる前に、銃弾が雨のように降り注いできた。乾いた雨音の量は数えきれない数多のものだ。フリッグは反射的に目を閉じる。腕も目の前に持ってきていた。しかし、自分の無事よりリヴァイアサンとユールヒェンのことの方が大事だと頭で認識したので、直ぐ様目を開け、二人の姿を探した。不思議なことに、フリッグは被弾していなかった。だが、それがユールヒェンやリヴァイアサンにも通用するとは限らない。二人の姿を目で探す。雪原に埋もれた黒衣と、灰の髪が見えた。二人は離れた位置に埋まっている。
「ユー!!リヴァイアサン!!」
叫びながら二人に駆け寄った。が、直前で足元に銃弾が撃ち込まれる。耳で認識した発車源の方向を見た。見覚えのある二人の男――――ザグレヴとアグラムが、崖っぷちから此方を見下ろしている。
「お前らか……!」
怒りに体が震えた。憤怒の言葉が漏れだし、憤慨に溢れた眼光が二人の姿を睨み付ける。

「はやく死ねよ!」

ザグレヴが狂ったように言う。しかしアグラムは対極的に、諦観。ザグレヴ一人の暴走だとは、明らかであった。
「わかった、死ねばいいんでしょ!」ユールヒェンの悲痛な応え。「だから、関係無いヒトたちには手を出さないで!」
皮肉を飛ばし、ぶっきらぼうだった少女は見る影も無いほどに感情任せに叫んでいた。
「お前なァ!」
命を容易く差し出す発言にリヴァイアサンが怒鳴った。が、ユールヒェンは何も返さない。

 ユールヒェンを殺させる訳にはいかない。フリッグが二人に言う。
「彼女を狙う理由くらいは訊きたい!」
「いい!!」ユールヒェンが怒鳴る。「キミには関係ない!私が、多額の賞金首だってだけだもの」
「だからってユールヒェンを放っておけるなんて出来ない!」
フリッグの必死に気圧されユールヒェンは口を開けたまま黙ってしまった。だが、二人の様子を他所にザグレヴは狂ったように笑みを含んでいる。彼は嘲るようにして銅鑼声をあげた。

「ソイツは"極寒の白い死神"。実の両親も大量殺人犯っつー生まれながらにしての罪人って奴だ」

ザグレヴの台詞直後、ユールヒェンの眼が見開き、一瞬呼吸が詰まった。

 今までの人生をすべて否定されたような絶望が染み込む。彼女は凍結(フリーズ)した。
「ユー!」
フリッグが名を叫ぶ。リヴァイアサンは苦い顔をしていた。
「死ね」とザグレヴ。諦観のアグラムはぼんやりするだけである。

 ザグレヴが銃弾を放ったと同時にフリッグが音を集めてユールヒェンの周囲に壁を張る。弾かれた弾丸が虚しく雪に埋もれていった。フリッグがぜえぜえと呼吸を荒くしながらザグレヴを睨む。
「お前なァ!!」
そのまま"音"をかき集めて投げた。衝撃波がザグレヴを弾く。彼は片膝をついた。

 吹雪が吹き付ける。
 冷たさは尋常じゃなかった。