Veronica(ウェロニカ)
作者/ 朔 ◆sZ.PMZVBhw

◇Oz.21:Anagni-イノセンス・コール- Part3
* * *
「『東風(こち)、即ち天竜を指す。
西風(にし)、即ち地竜を指し、
北風(きた)、即ち海竜を指し、
南風(はえ)、即ち悪竜を指す。
東風が轟けば、天竜は怒り、
西風が奏でれば、地竜は謳歌し、
北風が傾(なだ)れれば、海竜啼き、
南風が唸れば、悪竜が目覚める』
古来、ウィンディアに住むジェイド種は風向きで、どの竜がどの状態かを見極めたと聞きます」
くりりとした莱姆緑(ライム・グリーン)の目をした少女は飲んでいた珈琲をスプーンで回しながら、眼前の赤髪の青年に言う。少女の黄土の単髪が靡いた。
「で、今の風は?」
深紅の目を細め、青年は仏頂面で訊ねる。彼の左目下には絆創膏が貼ってあった。
「北、つまり海竜を指しますね」少女は笑う。「帝国首都ニーチェだとビル風が邪魔になりますね……。でも、きっと海竜が動いたのは変わり無いでしょう」
人気の無いテラスに二人の会話だけが音を奏でていた。そこに茶髪のお下げの少女が現れ、深紅の目を交互に二人へ向けてから、空になった皿を上げる。
「しかし、良い宿があって良かった」深紅の青年が言う。「危うくまた野宿になるところだったからな」
しかし、それは誰も拾わず、一人言となって空気中に消えた。皿を重ねる手を見ていた莱姆緑の目の少女が、
「私も手伝います」
と手を出す。
「いえいえ、お客様の手を煩わせるのは」
「良いんです、コレットさん」黄土髪の娘がコレットと呼んだ少女に笑顔を向ける。「少しは手伝いたいのです」
その顔は実に美しく、曇りも穢れもない笑顔でコレットは何も返せなくなった。断りづらさはこの上無い。途端、赤毛の青年も皿を重ね始めた。
「糞餓鬼がお節介してんじゃねえ」
「糞餓鬼ではなく、ライムだと何度言いましたか」ライムと修正したた黄土髪の少女は眉間に皺を寄せた。「ルーグさんこそ、手出し無用です」
ライムがルーグと呼んだ青年は、彼女の言葉を無視し、重ねた皿を持ち、立ち上がる。コレットに皿を見せた。頭で室内を指す。――――何処へ持っていけば良いのかと訊いていた。
「あ、ああ……。案内します」
コレットはたじろいだ。そして彼を案内しつつ、自分も家へ入った。
――――フリッグらが去ってから直ぐである。
破壊された家兼民宿であるが、直ぐ様の再建は不可能だった。なので、新たに一軒、家を借り、またそこを民宿として営業再開したのである。再開して間もない時期、つい先日。井草色のバンダナに同じ色の首巻きをした、黒衣の赤毛の青年と、黄土髪に少し褪せた黄色いコートを羽織った小柄な少女が宿探しに訪れた。
――――ルーグ・キアランと名乗ったのは赤毛のカーネリア種と思わしき男。
――――クライム・ハザードと名乗ったのは種族不明の少女。
『あくまで"仮の名"を名乗っただけですから、気軽にライムと呼んでください。私はそちらの響きの方が好きなので』
とクライム・ハザードことライムは、コレットに言った。何処か不思議なことに、二人からはフリッグと似た空気を感じる。
「『大魔導師の恋心を裏切るように巫女様は贄になり、彼の手元には運命の錫杖が光る♪』」
外から柔らかい歌声が聞こえる。ライムが唄っているらしい。
「『眠れる北方の獅子は目覚め、王太子の兆候が煌めく♪ 』」
鼻唄の成り損ないのような、奇妙な声を奏でながら、彼女も皿を持って
きた。――このライムという娘は、時たまこのように唄を奏でる。何の唄かは全く言わないのだが。
「北風が啼いている。ルーグさん、これは波乱の予兆ですよ」
入ってきたライムが目を細める。ルーグは静かに頷いた。
「どうやらネージュに向かわなきゃならねえっつー目的は変わりそうにないな」
「ええ。このまま私たちは"アレ"を回収しに行かなくてはいけませんからね。
――それに、『眠れる北方の獅子は目覚め、王太子の兆候が煌めく』とノルン三姉妹の予言は今のところ当たっているみたい」
彼女は口許に笑みを溢す。ルーグは無表情で彼女を見た。それから小さく口を動かす。
「意地でも巫女ってヤローの予言は通ろうとするのか」
「ええ、そうでしょうね」
ライムが目を細くした。憂いの睫が震える。
コレットには二人の視線の間に不思議な軌跡が見えた。コレットは二人の会話内容など微塵も理解は出来なかったが、何かと大事の話題だとは少し肌で感ぜられた。
――――この出逢いもまた、必然に含まれるのかなあ……。
コレットは思う。フリッグと逢ったのも、きっと偶然なんかじゃない。少なからず自分に影響を与えてくれた。じゃあ、きっとこの二人も――――。
コレットが耽る間に、ルーグは無愛想な顔を不敵な表情に変えていた。彼は笑いを漏らしながらライムに言う。
「でも所詮は"予言"だ。
想定外なんて幾らでもありうるような欠陥なんぞアテにしてられねェ」
その強い言葉に、ライムは微笑む。その後すぐに、コレットの方に眼を向けた彼女はコレットの真紅の眼をがっちりと話さない目線で訊ねた。
「ある人の元に、ダイヤモンドの行商人がやってきたそうです。商人はその人に"永遠の輝きを持っているダイヤモンド"を売りつけようとしたんですって。さて、その人はどうしたと思います?」
唐突な質問はこの上ない素っ頓狂なものだった。なのでコレットは訳も分からなかった。無言のまま、少し首を傾げる素振をする。ライムは笑った。
「その人はこう答えたんです。『せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうする。 俺らが欲しいのは今だけです 』って。
私たち、終わりのある人間は、終わりがあるからこそ輝くんですよ」
「どうして、急にそんなことを……?」
コレットの問いにライムはまた微笑した。
「勘違いしている人が、北に見えたから」
彼女はそう言って北の方角を顎で示す。皿を片づけてきたルーグがズボンのポケットから煙草を一本だし、加えていた。紫煙を吐きだしながら彼はライムのさした方角に視線を傾ける。
「そう言えば、人間っつー生き物は不平等だが、二つだけ平等なものがあるっつー話を聞いたな」
煙草をふかしながら独り言のように呟く。コレットは眉を顰めてルーグに訊ねた。
「……何です?」
「――――死、だ」
彼は一言、ハッキリと言いながら煙草を捨てた。床に転がった煙草を足で踏みつけ、消す。堪能したとは言えないほどの速さで嗜好品を捨てていた。人様の家の床に煙草を捨てるなんて事をするなんて、とコレットはいらついた。それを窺ったのか、最初からそれをしたかったのか分からないが、青年は吸い殻を拾い上げていた。後ろでライムが「癖で捨てちゃったんですねー」とほくそ笑んでいる。吸い殻を指の股に挟んだまま、彼はもう一度言った。
「――――死、は理(ことわり)なんだよ」

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