Veronica(ウェロニカ)

作者/ 朔 ◆sZ.PMZVBhw



 空から射し込む断罪光。舞う羽、整然と立つ人影――――……。
 白銀の髪を靡かせ、莱姆緑(ライムグリーン)の眼光を放ち、笑う女。
 禁呪すら詠唱無しで放つ、超人的な魔力の持ち主は高貴な笑みで名乗る。

「自己紹介が遅れたな。私は、四大竜王の一角、リヴァイアサンだ」

 四大竜王――――超自然的存在の生物、竜の中でも特に特殊な竜らに贈られる称号だ。と言っても人間――古代のジェイド種ら――がつけた適当な呼び名だったりする。今のところ、人間から竜へと変貌したティアマット、全てを浄化する"神眼"を持ったアナンタ、謎の破壊竜アジ・ダハカ、そして眼前にいる、水竜リヴァイアサンの四体とされている。

しかし、その竜王と呼ばれる大半が行方を眩ましていた。アナンタも数十年前から今まで棲んでいた筈の、南の砂漠国サンディ=ソイルを囲う砂漠から姿を消していたし、北の大海に棲んでいたとされる彼女――リヴァイアサンも二十年近く前から姿が確認されていない。アジ・ダハカに至っては、千年単位の昔に封印されたという。ユールヒェンの知識が頭の中を駆け巡る。ティアマットだって、千年前にマーリンに従事してから行方知らずだ。

「やはり、忘れているようだ」
リヴァイアサンは口に手を当て、笑う。そう言えば、先ほど彼女はフリッグを「フリッグ=サ・ガ=マーリン」と呼ばなかったか?まさか、とユールヒェンは驚きを露にしながらフリッグを見た。彼は眉をひそめていた。
「記憶に殆ど無い」フリッグは深い息を吐いた。「マーリンなんてね」
「ティアマットはどうした」
「どっか」
「そうか」
水竜の筈の女は苦笑。ユールヒェンを見据える。
「彼は、古代ウィンディア時代の大魔導師マーリンだ。信じられるか?」
ユールヒェンは無言だった。



◇Oz.21:Anagni-イノセンス・コール- Part1





「さっきは助けてくれて有り難う。――竜王さんに、フリッグ」
まるで付け足しのようにフリッグと呟いていた。少年は複雑な表情だ。
「どういたしまして」
フリッグは投げ槍に返した。リヴァイアサンは首を左右に振る。
「たまたま居たから助けただけだ」彼女は無愛想に続けた。「単に借りを作りたかったのもあるがな」
「はあ」とフリッグ。ユールヒェンは声だけでなく頷きすら出さない。
「何だかんだ言って、ティアマットの気配で気付いてな。丁度よかった」
竜王はにこやかに不吉な笑顔を向けている。

それよりもユールヒェンの方が優先な気がしたので、背を向けて立ち去ろうとした。背中を向いたと同時に手を掴まれる。莱姆緑の目が笑っていない。
「サヨナラ」
……棒読み。
「ああ、いやあ、去ることはないだろう?」
とリヴァイアサン。
「そうそう。
仮にも恩人でしょう有り難うございましたではさよぉーなら」
とユールヒェンもくるりと一回転。やはりリヴァイアサンが掴む。
「何?」
鋭い琥珀の眼光。
「いいや、マーリン」
竜が言う。
「この少女の身の危機は全て払わないのか?」

* * *


 ――――!!

 ハッと気付く。意識は覚醒していたが肉体は硬直している。……可笑しい。
――――リヴァイアサンの気配、か?
ロキとの会話で久しぶりに思い出した竜が雪国で目覚めているらしい。近くにフリッグの存在も確認できた。――――正直ほっとした。彼女になら、まだフリッグを任せられる。


『そうだ、この世界からわれらが足を踏み外すことはない。
ともかくわれらはそこにいるのだから』


彼女が言っていた。どこかで聞いた言葉で、気に入ったものだと。

 命を失わない限り、この世界からの脱出手段は無い。どうやっても、結局は世界以外に逃げることは出来ないのだ。
 だから、嫌でもその世界で生きる術を探す。生き甲斐や存在意義を探るのだ。




* * *




 少し歩いた先に埋もれたあの集落があった。その周辺で取り合えず休みをとることにした。……ユールヒェンの衣服をどうにかしたい。
「でっかい都市とか無いの?」
「無い」
少女は速答した。ち、とフリッグの舌打ち。最悪である。
「極寒の地とは言え、買い物も出来ないじゃん」
「最寄りの村で買い集めるの」
また冷たい速答だった。
「で、キミは一体何者なのさ」
「"極寒の白い死神"――――傭兵」
少女がくるりと背中を見せた。アグラムにザグレヴ――――彼等は確実に彼女を狙っていたが、リヴァイアサンによって蹂躙された。さて、また彼等が襲ってくる可能性はあるのか分からない。「咄嗟のところで逃げた」とリヴァイアサンが言うのだから、きっと生きている。

「しかしまあ」ユールヒェンがリヴァイアサンを見据えた。「竜のリヴァイアサン?いきなり何。確かに竜ってくらい強いけどさあ」
彼女の皮肉に竜の表情が強張る。
「私の用事に関係あるのはマーリンだ」
ちらりと莱姆緑の目がフリッグを見る。彼は眉をひそめた。
「マーリンってのは、やめてくんない」
「では、何と呼べば良い」女は不敵な笑み。「マーリンの方が呼びやすいが」
「フリッグだって、昔から変わらないだろ」
「発音の問題だ。フリッグてのはへなちょこに思える」
「でもフリッグ」翡翠が睨む。「精神はマーリンじゃない」
「その言い方が既にマーリンだ」
リヴァイアサンは笑った。冷徹な表情が和らいで見える。

 蚊帳の外のユールヒェンは険しい顔付きで見ていた。古来の歴史に出てくる名前ばかりの会話は、不思議と生々しい。まるで、今、古代ウィンディア時代がここで流れているように。ティアマットにリヴァイアサン、そしてマーリン――――フリッグが言った、

『僕だって、自分が何者か知らない。
古代に実在した大魔導師本人だって言われたって、記憶が無いから分からないし、
記憶が戻った時に僕が僕でいられるのか不安で怖いよ』
『自分が何者かなんて知らないし、知りたくもない!』
『だから、自分で作るんだよ!
自分自身ってヤツを!!』

この言葉で彼が記憶を失った正体不明の何かであるのは分かった。付け足すなら、彼はマーリン――――大魔導師フリッグ=サ・ガ=マーリンであるのだろう。何故、今居るのかは不明だが、リヴァイアサンの言動からも確実だ。
「作る…………ね」
ユールヒェンの口元に自嘲が浮かんだ。微かに琥珀が涙の膜を張っている。
「私も私らしくを探せ……ってワケ、か」
「何か言った?」
唐突にフリッグが振り向いたので、慌てた少女は顔を逸らした。リヴァイアサンがにやにやしている。
「相変わらず女誑しだな、貴様は」
「――知らない」
ふいとそっぽを向く。なんだか、昔の知り合いに似た雰囲気のやつがいた気がした。

 ――――無性にそいつが殴りたい。何故だ?




* * *




「――――ぶへーっっく、しょいッッッ」

鼻水が雪原に飛び散った。ロキは袖を赤くなった鼻に擦りながら、鼻を啜る。寄り添うシギュンが不安な顔をしていた。
「風邪でしょうか?」
「いいや、どっかの誰かが噂でもしてんのよ」
再び鼻を啜る。寒空に、鼻水が凍りそうだ。ティアマットらを封じ込めてから、まだ時間は経っていない。――嗚呼、ノルネンに氷狐と回収してくれば良かったと後悔する。

 懐かしい気配がする。竜王リヴァイアサンがネージュのどこかで姿を現したらしい。近くにはフリッグもいるみたいだ。ティアマットを封じたあとなので、皮肉に思える。

 リヴァイアサンは約二十年前に、人間と交わった異端の竜である。それまで規律を重んじ、人間と接しなかったモノが、突然人間との調和に走ったのは笑えた。愛する対象を大切にする心は恐ろしい。"恋は罪悪"という言葉をどこかで聞いたが、強(あなが)ち間違いではない。
 巫女(ヴォルヴァ)に恋し、愛した大魔導師は幾年過ぎようとも、時間すら犠牲にしてまで彼女を救うつもりでいた。そして竜でさえも、人間のために命をかけようとする。――ティアマットの忠実さも一種の愛だろう。

 そして、その罪悪たる恋という感情は【愚者】にも訪れていた。

 彼は自身の右手を見つめる。――頭に浮かんでいたのは、ファウストは愚か、十二神将全員にも告げていない神器の創造のことだ。<劫焔者レーヴァテイン>を知るのは、シギュンと十二神将トールくらいしか居ない。内密に作ったわりには、使いたくない武器だった。

 横のシギュンを見る。彼女は薄幸の面立ちで、虚空を見つめていた。――偶然拾い、側女として置いていた彼女は二刀流である。そんな彼女の為に創ったのがレーヴァテインであった。しかし、今現在それをシギュンに使って欲しいとは思っていない。

『十二神将たちには世界中で宝珠をつくって貰わなきゃならない。だから殺しなさい』

冷酷なアングルボザの言葉が頭に響いた。彼女は犠牲に気を配るほど優しくない。いや、見さえしないのだ。ただ、どれだけ目的に近付いたかしか興味を示さない。そんな女が下す命令に従っていたら――――ロキの頭の中に不吉な未来が浮かんだ。
『【愚者】に【雷神】、イイ話があるんだ。取って置きの、ね?』
持ち寄られた話が頭に浮かぶ。それを繰り返しに再生した。

 ふう、と溜め息を吐いて、ロキは手元にレーヴァテインを呼び出す。それを雪原に放り投げた。シギュンが目を見開く。
「~~~~ロキ様ッ!!?」
「良いんだ」【愚者】は翡翠の目を細めた。「こりゃあ、使えねえし使いたかねえ」
パチンと指を鳴らす。彼の指に収まっていた神器が光った。木々の根が地面から露出し、レーヴァテインを包む。もう一度指を鳴らすと、轟音を立てながらレーヴァテインが地面に沈んでいった。姿が見えなくなってからは静寂が残る。


『分かっていますか。恋は罪悪ですよ』



思い出の中で、大魔導師が自嘲していた。彼の翡翠が汚れて見える。

 道具にしか見えていなかった対象がいとおしい。シギュンは、今や特別な存在に昇華していた。
「……レーヴァテイン、はどうするのですか」
女は不安げな表情でロキを見上げた。ロキは笑う。
「運がよけりゃあ、誰か拾うさ」
そのまま雪原を歩む。もう、ネージュに用事は無かった。マドネスを手伝う気も無いのだから。ウェスウィウスという男も、メリッサという餓鬼も、フォルセティというチビも、ティアマットという竜も封じた。フリッグに手は出せない、もうステラツィオの入手は完璧なのだ。
 掌で転がしていた青玉――宝珠を見た。これでまた一つ、宝珠が手に入ったのだ。スノウィンのラピス種・ラズリ種の殲滅で既に二つの宝珠が完成した。殲滅呪文に一歩近付いたのだ。


「これから【破滅者】の封印を解かなきゃだしなぁ」


ロキが口笛を吹きながら呟いた。シギュンは無言で頷く。―― 一陣の風が吹き、積雪を舞い上げる。それらが消え、景色が露になったところには二人の姿も、形跡も残っていなかった。


 ただ、捨てられたレーヴァテインだけが存在を語っているようだった。


 それが誰かの手に渡るのは、まだ先のことである。