コメディ・ライト小説(新)

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マーメイドウィッチ
日時: 2016/07/30 19:31
名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)

世界が止まった。



手が震える。



数拍のちに気付く。









私は大切な人に裏切られたのだと。

Re: マーメイドウィッチ ( No.50 )
日時: 2017/04/22 15:54
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

たっぷりと時間をかけて、二人はようやく山を下りた。

山歩きの経験などないフレヤには、ひどくこたえた。

足が痛い。

自分の荒い息が耳障りだった。

ふらつく体を何とか動かして、町に一歩入る。

この町の名はイグニール。

王国の東に位置する国。

隣国との国境近くにある町だ。

ここは王都からそう離れていないので、経済的にも治安的にも

他の町と比べて安定している。

だから、それほど視察などには訪れていなかった。

ばさりと二人はフードをかぶって顔と髪を隠した。

素性を知られないようにしたい。

静かに目立たないようにして、通りを歩く。

にぎやかとまではいかないが

活気に満ちた町だった。

国境近くにあるため、貿易の通過点として栄えているのだ。

それゆえ、この町には、この国の民だけでなく、異国の者たちも多かった。

それが二人には救いとなっている。

これなら怪しまれにくい。


「情報を探すんだろ。

 なら、酒場が一番早い。

 あそこは情報の巣窟だからな」

「そう、なの」


カルトの言葉に、フレヤはおずおずとうなずいた。

さすがはさすらいの民。

手慣れている感じがする。


「あれが酒場?」

「ああ、そうさ。

 お上品な王女様なんかは、一生行くことなんかないような場所だよ」


決めつけるような言葉にまたカチンときた。

むっとして睨みつけるが、カルトは飄々とした表情だった。

酒場に視線を戻す。

屈強な男性陣がたむろしていた。

丸太のような腕で、ビールの入ったジョッキをぐいっとあおっている。

むっと煙と酒精と汗のにおいが鼻を突き、

フレヤはわずかに眉をひそめた。

酒場の看板を見つめる。

「踊るロバのしっぽ」

変な名前だった。

先を行くカルトの背中を追い、店に入る。

思っていたよりもこじんまりとした店だった。

決して清潔とは言えない店内に、男たちの野太い笑い声が

響き渡っている。

初めて訪れる場所が珍しくて、フレヤは視線だけであたりを観察した。


「リンゴ酒を二つ」


テーブルに着くなりカルトはウエイトレスを呼び止め注文をする。

フレヤはそわそわしながら、木のテーブルに肘をついた。

あんまりそわそわするなよ、とカルトに小さく言われ、慌てて頷いた。

怪しまれたらそれで終わりだからだ。


「リンゴ酒って何?」

「甘めの酒だよ。

 酒精も低いから、あんたでも飲めると思うよ」


話している間に、ガラスのコップが二つ運ばれてきた。

中に入っているのは金色の発泡酒。

ワインくらいしか飲んだことのないフレヤは

初めて見る庶民の酒に興味津々だった。

なめてみると、酒独特の風味が舌にジワリと広がる。


「酒ばっか飲んでないで、ちゃんと周りの話に耳も傾けなよ」


そう言うと、彼は荒っぽく、ぐいっとコップをあおった。

いい飲みっぷりだ。

どっちのほうが酒を飲んでいるんだか、と半眼になりながらも

フレヤは言われた通り耳に全神経を集める。

ざわざわして聞き取りにくい。

単語がとぎれとぎれに聞こえるだけで、話している内容までは

全然聞こえない。

しかし、カルトはきちんと話の内容まで理解できているようで

ときどきつまらなそうにふーんと呟いていた。

さすがはルー・ガ・ルーの末裔の一族というところだろうか。

フレヤには聞こえない音まですべて拾える優れた耳がうらやましい。

伏せられた真紅の瞳は、突如見開かれた。

ばっと顔を上げて、前方を見つめる。

この気配。

目を細めて、酒場の入り口のあたりを見つめる。

いた。

気のせいなどではなかった。

シウが立っていた。

ミン国の皇子がどうしてここに。

同じ真紅の瞳がふとこちらを見つめてきて、

フレヤはさっと下を向いた。

頭の中はぐるぐると渦を巻いている。

どういうことだ。

何故まだこの国にいるのか。

シウは、敵か味方かわからない不安定な分子。

できれば接触は避けたい。

大丈夫。

おそらくこちらの存在には気づいていない。

静かに店を出れば、気づかれないはずだ。

コップを置いてテーブルから一歩離れようとしたとき、

すっと黒衣の人影が立ちふさがった。

慣れ親しんだ黒に一瞬心臓がはねる。

しかし、それは、その者の顔を見た瞬間に霧散した。


「久しいな、人魚姫」


美しくまがまがしい紅い瞳。

ひそやかに落とされた声に、フレヤは固まった。

「シウ、様……」


かすれた声が漏れた。

気づかれていた。

当然と言えば当然な気がする。

フレヤが気づいてシウが気づかないはずがない。


「なぜあなたがここに……」

「それはこちらがお聞かせ願いたいものだな」


真紅の瞳が見下ろしてくる。

なぜ、王女のおまえがここにいるのだと言外に聞いてくる。


「今回は毛色の違う犬を連れているのか」

「彼は、犬などではありません。

 訂正し、謝罪してください」

「ああ、これはすまない」


まったく心のこもっていない謝罪だった。

ちらりと真紅の瞳がカルトをとらえた後、そらされた。

カルトは黙っている。

予想外の事態に出方を伺っているようにも見えた。


「まぁ、国王崩御など、大体の噂はかねがね聞いてはいるが……」


フレヤはぐっと押し黙った。

やはりステファンとメノウが結託して

フレヤが国王を殺したという情報を国中に広めているのだ。

冷汗が背中を流れる。

汗の滲むこぶしをぎゅっと握りしめた。


「まぁ、ここではなんだ。

 宿でも借りて、話をしよう」


シウは微笑んだ。

つまり、公の場ではできない話をしようと言うのだ。

こちらとしても、変に素性が他の人間にばれるのは防ぎたい。

フレヤはしぶしぶうなずいた。

Re: マーメイドウィッチ ( No.51 )
日時: 2017/04/23 11:01
名前: いろはうた (ID: VujPqVFA)

連れていかれたのは、ああまり大きくはないレンガ造りの建物だった。

フードを付けた人間が三人も訪れたため、宿の主は不審に思ったようだが

シウがちらりと彼の顔を見つめると、彼はすっと大人しくなった。

どうやら、自分の異形の力である、瞳の力を使ったようだ。

催眠効果で、彼は言われるがままに、二部屋貸し出してくれた。

そのうちの一部屋へ行き腰を下ろす。

それにしても、皇子だというのに、

伴の者も付けずによくやる……とフレヤは内心感心した。

仮にも一国の後継者なのだ。

おそらく家臣の者たちは気が気でないのだろうなと人ごとのように思った。


「それでだ」


シウは足を組んでこちらを見つめた。

それだけでも、かなり威圧感がある。

王者の風格ともいうべきか。

長い脚をこれでもかというほど見せつけられているようだ。


「何故、このような国境近くの町に、

 王殺しの元王女がいる?

 大体の見当くらいはつくが……」

「……ご想像にお任せします」


そっけなくそう言うと、シウもまたフンっと鼻をならした。

この男も、カルトとはまた違う意味でイライラする。

根本的に性格が悪いのだ。

今も、どうしてフレヤがここに落ち延びているのか大体の見当が

ついているというのに、わざわざ本人の口から説明させようとしている。

フレヤは油断なくシウを見つめた。

この男が敵か味方か、この短時間の間に見極めなくては。


「別に、近衛兵のやつにでも、汝の身柄を渡してやってもいいのだぞ」


ほら。

この質の悪い笑顔。

フレヤの顔が若干ひきつっているのを、楽しんでいる。


「お兄さん」


先ほどからずっと黙っていたカルトがふいに口を開いた。

いつもの軽薄そうな笑みはなかった。

怖いくらいの無表情。


「一応ねこの王女サマ、おれの一族の恩人なわけ。

 手ぇ、出したら……殺すよ?」


ぞっとするほど抑揚のない声だった。

部屋中に満ち溢れる殺気に、フレヤはうなじの毛が逆立つのを感じた。

だというのにシウは歯牙にもかけない様子で、

けだるげにフレヤに視線を戻した。


「まぁ、どうせあのいけすかない王子……いや今は王となったのか。

 あの者が今回の首謀者であろうよ」


つまらなそうに言うシウだったが、フレヤは戦慄していた。

シウの口から言われると改めて、真実なのだと強く実感したのだ。

カルトはまた黙っている。

どうやら様子を見るらしい。

視線はシウに固定されているように見えるが、

実際は、緑の瞳は、部屋全体を油断なく伺っている。

フレヤもシウを見つめた。


「メノウという娘がすべての発端となったのでは?」

「……まぁ、真相まではわからぬが……

 あの、男はいけ好かない」


シウの眉間にしわが寄っていた。

性格のひんまがっているシウがここまで言うとは。

類は友を呼ぶ、ということわざを思い出した。

こんな時だというのに唇が緩みそうになり、

あわてて表情を取り繕った。


「汝は……少し変わったようだ」


シウはじっとフレヤを見て言った。

変わる?

そんなことを言われても自分ではわからない。

シウが息を吐くとともに足を組み替えた。


「そんなことよりも、こちらの事情は話しました。

 そちらの事情もお聞かせください」


フレヤはじっとシウを見た。

嘘は許さない。

嘘を信じれば、この状況で訪れるのは死だ。

どんな感情の揺らぎも見逃さないように集中する。


「いつ話そうか機会をうかがっていたが……」


シウが手を額に当てて、息を吐いた。

すっと紅い瞳がこちらを見る。


「我は異形のための国を作ろうと思い、

 各国にひそやかに暮らしている異形の者に声をかけて回っている」

「……は?」


予想外の言葉に、氷の無表情が崩れた。

異形のための国?

この男はミン国の皇子だ。

ゆくゆくは皇帝となる男。

意味が分からなかった。


「ミン国とミン国の皇子としての身分を捨てると……?」

「ああ」


迷いのない言葉に迷いのない目。

瞳は澄み切っていて、ちらりとも揺るがない。

心の底から本気で言っているのだと悟る。

ミン国は何億もの民が暮らす大きな帝国だ。

それをすべて捨て去るという重責は一体どれほどのものなのだろうか。


「ば、ばかばかしいわ」

「左様な。

 だが、どうも我は、人間どもよりも、異形の者たちを守りたいらしい」


思わず漏れたフレヤの言葉にも、全然揺らがない。

怒りもせず、ただ静かだった。

この男は、もう腹をくくっているのだ。


「なにがあなたをそうさせたの……?」


取り繕っていたものははがれた。

フレヤは元王女としてではなく、フレヤというひとりの個人として

シウに問うた。

フレヤは、多くを選んだ。

そのかわり、父と己の心を切り捨てた。

しかし、民という多くを選んで、その民に裏切られた。

なら何故彼は、少なきものを選べるのか。


「我とそなたは恵まれている。

 異形の者が王族として名をつらねているのは、我らの国しかない。

 他国では、異形の一族は虐げられる。

 奴隷の身に落ちているものも少なくないし、

 どこの国の民になれぬ者もいる。

 そこの男の一族がいい例だろう」


そう言って、シウはちらりとカルトを見た。

カルトはただ黙っていた。

長いまつげを伏せて、シウの言葉に耳を傾けている。


「そう、かもしれない。

 私は、他の人よりも恵まれた環境で育った」

「我はその者たちを救いたいと望んだ。

 その者たちの拠り所となる、小さな国を作りたいと望んだ。

 愚かな人間どもなど寄せつけぬ、人里遠く離れたところに

 作るつもりだ」


シウの言葉にはちらりと憎しみのような黒いものが混じっている。

おそらく彼は純潔。

異形の者のみで構成された王族なのだろう。

だがフレヤは違う。

先祖である人魚の魔女の孫娘は人間の王子に恋をした。


「つまり、私も、その国の民にならないかということ……?

 私は、混血よ」

「別に構わぬ。

 汝は人魚の血が濃い。

 先祖返りというものだろう」

「なら、アルハフ族は?」

「もちろん誘った。

 あのメノウという小娘も例外なく誘った」


フレヤは、メノウの館の前でシウの姿を見たのを思い出した。

あれは、勧誘のためだったのか。


「メノウに対しては、取引という形で会いに行ってやった。

 何か外道の道に外れたことを考えていそうだったからな。

 汝の一族を引き入れる代わりに、この国から手を引けと言ったのだが

 見事に断られた。

 あれは何かにとりつかれているようだった」


カルトの放つ空気が重くなった。

彼らとメノウとの間にどのようなことがあって決別へとつながったのか

フレヤは知らない。

なにか並々ならぬことがありそうだ。


「アルハフ族は?」

「真の族長不在の中では、結論を出せぬと」


チノのことだ。

彼らはやはりチノ以外を族長と認めていない。

置いてきてよかったのだ、と心に言い聞かせ

ざわつく感情に重くふたをした。


「そなたはどうする?

 その様子だと、国外に逃げるつもりだろう?

 ともに来ぬか?」


フレヤは目を伏せた。

シウの手を取ってしまいたい。

そうすれば、彼はフレヤを同族として全力で

メノウとステファンの手から守るだろう。

しかし、妹は?

アルハフ族は?

この国の民は?

奥歯をかみしめた。

シウの手を取るにはあまりにもこの国に未練があった。


「この国の民が気になるのか?」


心を読まれたように言い当てられ、フレヤははっとして顔を上げた。

シウの表情は凪いでいた。

怒るでもなくただフレヤを見ている。

フレヤは観念してうなずいてみた。

嘘をついても仕方がない。

いざこうして、国を出るとなると、心残りが驚くほどあった。


「汝はどこまでも王族なのだな」


若干あきれたようにシウに言われて、返す言葉もなかった。

革命を起こされたのだ。

半分民に裏切られたような形で城を追われたというのに

今でも民の行く末が気になる。

革命が終わった後、民がどうなるのかはわからない。

メノウとステファンが必ずしも良い統治者となるとは限らない。


「汝なら良き女王となったであろうな」

「私は……」

「かまわぬ。

 別に急ぎでない」

「もし、民と妹の安全を確認できた際には、

 まだ私を受け入れて……」

「あたりまえだ。

 我は、汝を女王にと望んでいるのだから」


あまりにも平坦な響きだったので、

あやうく普通に受け流しそうになった。

彼は今何と言った。


「何ですって……!?」

「我が王となり、汝が女王となる。

 汝ほど女王にふさわしいものはおらぬ」

「わ、私は、もう女王だなんて……」

「この我が認めたというのに、拒むというのか」


いちいち言い方が偉そうだったが

今はそれどころではなかった。

女王?

自分は、そんな器ではないと痛感している日々を過ごしているというのに

シウは何を言っているのか。

しかし、やはりその真紅の瞳は嘘や冗談を言っている様子ではなかった。


「まぁ、別に我一人が王となってもよいのだが、

 民を守り導くものは多いに越したことはない」


まだしばらくはこの国にいるから考えてみてくれ、と言われて

フレヤにはうなずく以外の動作ができなかった。

Re: マーメイドウィッチ ( No.52 )
日時: 2017/04/24 22:02
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

部屋に戻り、カルトと対峙する。

部屋にある二つのベッドをちらり見つめた。

簡素な造りの、悪く言えば粗末なベッド。

しかし、フレヤにとっては久しぶりのベッド。


「座れば」


あごでベッドで示され、フレヤはおずおずと座った。

やはり、男性と部屋に二人きりという状況はあまり慣れない。

チノとの二人きりは慣れたが、カルトはあってからまだ日も浅かった。

しかし、彼はフレヤに危害を加えるような真似をしない気がした。


「で、さっきの酒場で情報は?」


カルトは、もう片方のベッドに腰かけながら言った。

フレヤは首を振った。

何も情報は集められなかった。

カルトの顔を見る限り、何か情報をつかんだのだろう。

大したことだ。


「早く教えて」

「まだ何も言っていないんだけど」

「その顔は何か知っている顔でしょう」


だから焦らすなとカルトを半眼になってにらむ。

でもやはり彼はいつもと変わらぬ人を食ったような笑みを浮かべていた。


「これ聞いたら、お優しい王女サマは、また迷うことになりそうだけど」


フレヤは眉をひそめた。

この言い方だとあまりよい情報ではなさそうだ。


「カルト」


思わず声に焦れた色がにじんでしまう。

チノによく似た緑の瞳がこちらを見る。


「王宮が沈黙してるんだと」

「え……?」


予想外の言葉にフレヤは目を見開いた。

握りしめた掌に汗がにじむ。


「革命が起きてもう一週間以上経つのに、何も行動を起こさないことを

 みんな不安がってる」


それだけ、というとカルトは口を閉ざした。

たしかにそれだけといったらそれだけだ。

フレヤは顎に手を当てて考え込んだ。

だが、彼らは革命軍だ。

革命を成し遂げたなら、不安がる民をまとめるのためにも

何かしら大きく声明などを発表したりしないだろうか。

そうしたほうがのちのちも統治をしやすいし、

自分たちは前の政権とは違うのだと示すことができる。


「不自然ね」

「あんたに追手をかけているっていうのもあるだろうけど、

 たしかに何もしなさすぎだな」


カルトはくしゃりと自分の髪の毛をかき回した。

沈黙が落ちる。

途端にめまいのような強烈な眠気が襲った。

当然と言えば当然だ。

山や川を何時間もかけて超えてきたのだ。

強く瞬きをして、ぼやけた視界を何とかしようとする。

カルトが自分の額に巻いてある色鮮やかな飾り布を突然外しだした。


「今日はもう寝よう」


咄嗟に何か言い返そうとしたが、

フレヤを気遣っての発言だと悟り言葉を失う。

大人しく靴を脱ぎ、足の裏が真っ赤に腫れていることに気付いて

わずかに顔をゆがめる。

どうりで痛むわけだ。

じんじんと熱を孕んでじくじくと痛む。

まるで自分の胸の痛みのようだった。

目を閉じるだけで鮮やかにその姿を思い出せる。

チノ。

もう会ってはいけないのに、あなたにとても会いたい。
















次の日の朝、フレヤはシウの部屋のドアの前に立って、逡巡していた。

ドアをノックしたいのに、手がなかなか動かない。

意を決して、手首に力を込めたとき、ドアの向こうから、

入れ、と声がかかった。

シウには、フレヤが外に立っていることなどお見通しだったのだ。

わずかに気まずそうな雰囲気を漂わせながら、フレヤはドアを開けた。

部屋の中には身支度を整えたシウが立っていた。


「それで?

 心は決まったのか?」

「正直に言うと、まだ少し迷っている」

「別に返事は今でなくともよい」

「……いいえ。

 今言わせてもらうわ。

 どうせ今言わなくてもずっと迷い続けるから」


カルトがドアを閉めるのを横目で確認してから、

シウのほうに向きなおる。

彼は、じっとこちらのの言葉を待っていた。

意を決して、息を吐く。


「あなたの作る国に、行かせてほしい」


シウは特に表情を変えなかったが、口角がわずかに上がった。

薄い唇が弧を描くのを見ながら、でも、とフレヤは言葉をつづけた。


「行く前にやりたいことがいくつかあるの」

「ほう?」


シウは肩眉を上げた。

無言で続きを促され、フレヤは重たい唇を開いた。


「まず、この国の行く末をもう少し見届けたい。

 まだ、安心できない」


メノウたちがきちんとこの国を治めていけるとわかったなら

もうほとんどこの国に未練はない。

民が幸せなら、それでいい。


「王座に未練は?

 王権を取り戻さなくていいのか?」

「そんな気は一切ないわ。

 身分とかそういうものには興味はない」


シウはしばらく黙ってフレヤを見ていた。

何かを試すようなまなざしはしばらくすると消えた。


「あと、私の妹の無事を確かめたい。

 ……私の最後の家族だから」

「ヘレナ王妃か?」

「ええ、そうよ」


昨日の酒場では、妹に関する情報は何も得られなかった。

それは、妹の身に何もないという意味なのか

それとも、妹に関する情報が止められているのか。

彼女の身にはまだ利用価値がいくらでもある。

賢いステファンのことだ。

殺しなどはしないだろうが、幽閉などは考えられる。


「勝手なのはわかっている。

 逃げ場のない私に、道を示してくれたことにも感謝している。

 でも、この二つは確認できないと、あなたの所には行けない」


まくし立てるよう言って、はっとして口をと閉ざす。

だが、嘘は何一つ言っていなかった。

こちらの腹の内は全て明かしたつもりだ。


「別に構わぬ」


フレヤははっとして顔を上げた。

まさかこんなにあっさりと認めてもらえるとは予想だにしなかった。

嘘みたいだ。

もっと、真っ向から拒否されてしまうと覚悟していた分、

少し拍子抜けしてしまう。

「意外とあっさりしてるじゃん。

 その余裕は何?

 この王女サマは今や身分も何もない指名手配犯だけど?」

「し、しめいてはいはん……」


やはりそうなのか。

町の中で見た自分の似顔絵が描いてある張り紙はそういうことだったのか。

ひそかにショックを受けるフレヤだった。

それとは対照的に、シウの顔は一種のさわやかさすら感じた。


「なにせ、この娘を妃とできるのだ。

 多少の骨は折ってやる」

「きっ、妃!?

 昨日はそんなこと言っていなかったでしょう!?」

「女王に望むと言ったはずだが」

「夫婦となる必要はないでしょう!?」


慌てふためくフレヤとは対照的に、シウは涼しげな顔だ。

カルトのほうを見て救いを求めるが、彼は素知らぬ顔で窓の外を見ている。


(う、裏切り者っ!!)


涙目で内心叫ぶが、カルトは決してこちらを見ようとしない。


「なんだ?

 我では不満か?

 我の何が不満だ。

 贅沢な娘だな」

「あ、あなたは、私を認めてはくれているようだけど

 私を愛してくれているわけではないわ」

「それが、なんだ」


シウの表情は凪いでいた。

わずかながらその表情に嘲るような色が混じる。


「恋だの愛だの、馬鹿馬鹿しい。

 そのようなもの、その者を狂わせ、盲目にし、

 愚かな行動に走らせるだけではないか」


ぐっと言葉に詰まった。

確かに、ステファンに恋していた時は盲目的に

周りが何も見えなくなった。

溺れるような恋をした。

だけど。


「それでも、求めないではいられないものよ。

 きっといつかあなたにもわかるわ」

「……理解に苦しむ」


フンっとシウは鼻を鳴らした。

結婚するしないの件は、いったん保留ということになったのだろう。


「あーあ……」


カルトの口から、つぶやきが漏れた。

その視線はあい変わらず窓の外に注がれている。


「窓の外に何かそんなに興味を引くものがあるの?」


少し皮肉を交えながらでフレヤも窓に近づく。

すると、ぱっと手で制された。


「来るな」


声に緊張が走っている。

その緊迫した様子に、フレヤも思わず足を止めた。


「何……?」

「……王都の兵どもだ」


部屋中の空気が張り詰めた。

カルトは壁に身を張り付けるようにしながら、窓の外を伺っている。

フレヤは、窓から己の姿が見えないところまで後退した。


「……兵の数がおかしい。

 いくらなんでも、こんなちっぽけな町に10人もいらねえだろ」


どうやら10数名の兵が、宿の傍を歩いているようだった。

カルトの表情は険しい。


「……ちっ。

 これじゃあ、見つかるのも時間の問題だな……」

「宿の者には、暗示をかけてあるが、

 どうせ王都の兵は、宿の中まで入ってくるだろうからな。

 まったく、煩わしいことこの上ない。

 ……宿を出るぞ」

「荷物まとめな、フレヤ」


動揺を隠せないフレヤに対して、二人はてきぱきと動く。

数分後、三人はひっそりと宿を出た。

Re: マーメイドウィッチ ( No.53 )
日時: 2017/04/29 16:14
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

町に出ると、やはり近衛兵たちの影響か、

町の人たちは、不安げだった。

ひそひそと交わされる会話は、声が小さすぎて聞き取れない。

しかし、前を行くカルトの足が突然止まった。

突然のことだったので、

フレヤはしたたかに額をカルトの背中にぶつけてしまう。


「……カルト?」


フレヤは目の前の背中に、小さく声をかけた。

愕然とした表情をしているカルトに、フレヤは戸惑う。

また何かを聞いたのだろうか。

シウは、不機嫌そうな表情で戻ってくると、

せわしない口調でささやいた。


「おい、犬。

 何を聞いたのかは知らんが、目立ちたくはない。

 さっさと歩け」

「……悪い」


カルトが先ほどよりも、のろのろと歩き出した。

足に力が入っていないような歩き方だ。

カルトがこんな風になってしまうのは見たことがない。

余程、衝撃的な内容の噂話を耳にしたに違いない。

フレヤは不安な気持ちを抱えながらさらに歩き続けた。

兵に気を付けながら、歩くこと数分。

三人は、辻馬車の店までなんとかたどり着いた。

馬車を拾って、王都まで行く予定だ。

またも、シウの幻惑の瞳の力を使って、

なんの咎めもなく馬車を拾うことができた。

下手に情報が洩れてはまずいので、御者は雇わなかった。

かわりに、馬の扱いに慣れているカルトが、

御者代わりになるようだ。

水と食料を新たに買い込み、三人はイグニールの町を発った。

カルトは始終無言だった。

シウも何も言わない。

いったいどんな情報を耳にしたのか聞きたくてたまらないが

聞いてはいけないほどの重い内容かもしれない。

馬車の中で揺られること数分。


「……アルハフ族が、とらえられた」

「っ!?」


突然カルトがポツリと言った。

頭が真っ白になる。

真っ先に思い浮かんだのはチノの姿だった。

続いて、アルハフ族のみんなの顔が一気に脳裏をよぎる。

焦りと恐怖、そしてマグマのような怒りがふつふつと湧いてきた。


「まさか……兵たちが、マシューとエリッシュが裏切って……」

「それはない。

 あいつらは……裏切らない目をしてた。

 裏切らざるを得ない目に遭ったんだと思う」

「チノがいれば、きっと大丈夫よ」

「あいつ一人ならなんとかなる。

 でも、あそこには戦えない女子供もたくさんいる。

 あいつらをかばいながら近衛兵を全滅させるのは……無理だ」

「そんな……」


言葉を失う。

どう考えても、フレヤをかくまっていたから捕まったとしか考えられない。

自分のせいで、また関係のない人を巻き込んでしまった。

心がインクで塗りつぶされるような気持ちだった。


「メノウだよ。

 あいつらは、おれらのために嘘の情報を流したはずだ。

 でも、それを見破って、アルハフ族の所まで来た。

 ……こんな真似、あいつしかできない。

 おれらは、鼻がいい。

 匂いだけで……全部わかる」


カルトは決してこちらを振り返らなかったけど、

彼の声は怒りで震えていた。

とっさに謝罪の言葉が口を突いて出そうになったが、

今、カルトが求めているのは、そんな言葉じゃない。

では、代わりに何を言えばいいのか。


「ちょうどよいではないか」


ふいにシウが言葉を発した。

フレヤは力なくシウのほうを見た。

彼の目は全く悲観的ではなかった。


「ちょうど今から、王都に行くのだ。

 兵どもなど蹴散らして、救い出せばいい」

「……簡単に言ってくれるな」


無神経なほどに落ち着いているシウの声が

ぴりぴりしているカルトの神経を逆なでしたようだった。

声に殺気すら滲んでいる。

馬がおびえて、歩調が乱れ、馬車が大きく揺れた。


「たった三人で何ができるって?

 せいぜい情報収集が関の山でしょ」

「案ずるな。

 我が国からわが家臣をすでに呼んでいる」

「あなたの国は遠い東に位置する国よね?

 どうやって援軍なんて……」

「鷹を飛ばした」


馬車の中に気まずいまでの沈黙が満ちた。

た、か。

今、鷹と言ったのかこの男は。

一体どんなすごい文明機器を使うのかと思ったら、まさかの鳥。


「……ちなみに、いつ飛ばしたの?」

「昨夜だ」


頭痛がする。

フレヤは、頭を押さえた。

これでは、鷹がミン国にたどり着くまでだけに、数日はかかるだろう。

援軍が来るまでに数週間はかかるはずだ。


「ここから、王都まで一日もあれば着いてしまうわ」

「問題ない。

 数日もあれば、奴らは来るはずだ」


もはや言葉も出なかった。

重い沈黙に満ちた馬車は、ガタゴトと派手な音を立てながら、

王都への道を進んだ。

Re: マーメイドウィッチ ( No.54 )
日時: 2017/05/01 17:39
名前: いろはうた (ID: Sm0HUDdw)

時は数日前にさかのぼる。

彼はうめきながら目覚めた。

この容赦ない一撃。

姿は見えなかったがカルトのものだった。

気を失ったのは数刻ほどだろうか。

身体を動かそうとして、両手がぴくりとも動かないことに気付く。

目を開くと、呪術師のトンガの顔が真っ先に見えた。

手首に食い込む縄の感触。

縛られているのだと悟る。


「……トンガ。

 縄を外してくれ」

「悪く思うなチョルノ。

 これも我が一族のため。

 こうでもせんと、おまえはあの娘を死に物狂いで追うだろう。

 おまえも、わかっているだろう」


奥歯をかみしめる。

言われなくとも自分がすでにおかしくなっているのはわかっていた。

この焼けこげるような焦燥感が何よりの証拠。

もう、手遅れなのだろうか。


「……きたね、馬鹿孫が。

 チョルノの縄を解いておやり、お前たち」


傍で見守っていたアルハフ族の仲間たちに、

声かけながら、トンガは前を見つめている。

スッと目を細めた。

この気配。

かなり大きな隊が馬に乗ってやってくるかすかな振動を

耳がとらえたのだ。

行動を起こす間もなく、すぐに馬に乗った近衛兵たちの姿が見えだした。

その先頭にいるのは、トンガの孫娘、メノウだった。


「安心おし。

 女子供は既に逃がしてあるよ。

 予知であのこが来ることはわかっていた」


わたしらは囮だよ、と苦々しげにつぶやくトンガの声音には

わずかながら悲し気な響きが混じっていた。

いまだにメノウが一族に帰ってくるのを待っているのだと悟る。

表面では切り捨てても、心の奥底では、待ってしまう気持ちを

殺しきれていないのだ。

手首をさすりながら立ち上がる。

ちょうどメノウが馬を止め、ひらりと地面に降り立ったところだった。

身軽な動きは、一族にいたときとほとんど変わらない。


「ひさかたぶりね、ばばさま」


鈴のなるような人を魅了する声も何も変わらない。

少し首をかしげてほほ笑む癖も何も変わっていない。

さらりとした金髪が肩を流れ落ちる。

抜けるような白い肌。

誰が、メノウをアルハフ族の血をひくものだと気づけるだろう。

ただ、その緑の瞳だけが無機質に輝いていた。


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