コメディ・ライト小説(新)
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- マーメイドウィッチ
- 日時: 2016/07/30 19:31
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
世界が止まった。
手が震える。
数拍のちに気付く。
私は大切な人に裏切られたのだと。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.15 )
- 日時: 2016/11/22 19:40
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
フレヤがチノの手を引いてやがてたどり着いたのは、
しっかりとしたつくりの噴水のある大きく開けた広場だった。
人々の憩いの場となっているようで、女性同士で楽しそうにお話をしていたり
子供たちが元気に走り回ったりしていた。
しかしこんな和やかな光景が見られるのは、この王都だけだと
フレヤはわかっていた。
王都から離れた貧しい村では今日もごはんも満足に食べられていない民が
たくさんいるのだ。
その民へのわずかな救済さえも切り捨てて、メノウという人物に関する
情報を集めに来たのだ。
フレヤはチノの手を引いて、噴水の近くにあるベンチに向かった。
そこに腰かけながら、
どのようにメノウに関する情報を聞き出したらいいのか考える。
しかしこれは考えても答えがでないだろう。
きいたほうが早い。
「チノ」
顔をあげてチノのほうを見たら、彼はちょうどフレヤの隣に
座ろうとしているところだった。
ベンチが思っていたよりも狭く、
二人で座ると肩が触れ合ってしまいそうな距離だ。
チノがこちらを見る前に、フレヤは急いで前を向いた。
「こっ、こういうことは、私やったことがないから
どういうふうにメノウについて聞いたらいいのかわからないの。
簡単に王女だとばれるわけにはいかないし、どうすればうまくできるかしら?」
声が若干上ずってしまったが、なんとか表情を変えないで済んだ。
視線はなぜか、座ってもつながったままの手に吸い寄せられてしまう。
もう人ごみはないから、はぐれる心配もないのだし、離してもいいはずだ。
そう思った矢先、するりと手が離れた。
ぬくもりが消えて、胸になんともいえない寂しさが広がる。
なぜかチノはその場で立ち上がった。
「おれが手本を見せよう」
それだけ言うと、彼は無表情で、世間話に花を咲かせている
女性たちのほうへと歩いて行ってしまった。
ベンチには、呆然としたフレヤのみが残される。
なるほど。
たしか、チノはさすらいの民、アルハフ族の長だ。
交渉や駆け引きにも慣れて……
(あの無表情な人がそんなにうまく人から情報を引きだせるとは思えないわ……)
自分のことは棚に上げて、フレヤはチノの背中を視線だけで追った。
「お姉さんたち」
チノがおしゃべりをしている女性たちに話しかけた。
何事かと女性たちがチノのほうを見て固まった。
フレヤもチノの横画をを見て、生まれて初めて、驚きすぎて
口をあんぐりと開ける、という行為をしてしまった。
「楽しそうだから、おれも混ぜてほしいな」
女性たちの視線の先には、ちょっと危険な香りのする
笑顔の爽やかな好青年が立っていたのだから。
長めの前髪からのぞく緑の瞳といい、バランスの取れた長い手足といい、
ちょっと野性味あふれるその笑顔といい、
どこをとっても美青年といって過言のない姿だった。
いやまて。
おまえは誰だ。
チノか?
本当にあのチノなのか?
そう疑ってかかりたいほどの豹変ぶりだった。
いつもの無表情は欠片も見当たらない。
あんな砕けた口調、あんな笑顔、見たことも聞いたこともない!!
「実は、メノウっていう人を探しているんだ」
「あら、メノウ様?」
かかった。
チノの瞳が遠くからでもそう言っているのがわかった。
チノは何事もなかったかのように言葉をつづける。
「そうそう!メノウ様!
おれ、ぜひお会いしたいんだよー!!」
演技とはいえ、あまりの豹変ぶりに
聞かなければならない情報も遠くに飛んで行ってしまいそうだ。
もしかして。
もしかして、これが素のチノなのだろうか。
おそろしい仮説が立ちそうになった時だ。
「メノウ様は、王都にはめったにこないわー」
「いつも、王都から少し離れた町ばかり訪れるのよー」
「へぇ?
やっぱり有名なんだ、メノウ様」
「それはもう!
貧しき民を救う革命軍の長ですもの!!」
フレヤはすっと目を細めた。
予想は、当たった。
メノウという人物は、やはり革命軍の長ということで間違いないのだろう。
フレヤは何食わぬ顔で前を見つめ続け、
チノとは赤の他人のふりをする。
しかし、わずかにだがその顔は曇っていた。
やはりいるのだ。
この国をよく思わず、良い方向に変えようとする勢力は。
しかし、引っかかる点がある。
先ほど、王都にはメノウたちは滅多に来ないと聞いた。
王都から少し離れた場所ばかりを巡るのだという。
貧困が深刻な地域はかなり王都から離れた国の境や
津波の被害を受けた海沿いの村だ。
生活が非常に苦しいのはその地域のはずで、
王都から少し離れた町などは、貧しいとはいえ、
そこまで生活は厳しいものではないはずだ。
「メノウ様、ってどんな人なのかな?
絶世の美青年とか?」
「おやまあ、あなた、よそから来た人?
何にも知らないの?」
「おれは、あちこちの国を巡る行商人の一味だからね。
ここらへんのことには疎いのさ」
にしても、巧みな弁舌である。
女性たちもすっかり信じ切っている。
「メノウ様は、とてもとても美しい娘さんよ」
「そうそう!
うちの国の、第二王女ヘレナ様にそっくりなのよ!!」
予想外の名前をきき、フレヤは顔色を変えた。
どうしてここで、妹の名前が出てくるのだろう。
彼女はいま、ステファンの妻として隣国で暮らしているはず。
「あんなに若い娘さんなのに、民のために
国を変えようって一生懸命に駆け回っているのよ」
その言葉にフレヤは少なからず、動揺した。
自分は国そのものまでもを変えようと思ったことはない。
女の自分にできることは少ないから、と最初から諦めて
ただ、特に貧しい民が住む地域にささやかな支援を行っただけだ。
自分は、自分のやったことは、この国のなんのためにもならなかったのだろうか。
「さっきの口調が素なの?」
無表情で歩きながらフレヤは小さくつぶやいた。
二人は、噴水から離れて、王宮とは逆の方向に歩きだしていた。
あまりにも長い間同じ場所にとどまると怪しまれるからだ。
口調は質問の形式だが、フレヤはうわのそらだ。
頭の中は先ほど聞いたばかりの情報が埋め尽くしている。
「別に。
おれらはさすらいの一族だから、
あのような交渉術とかが生きるためには必要だっただけだ」
「そう」
それにしては、二重人格なのではないかと疑ってしまうほどの
豹変ぶりだった。
ちらりとチノの顔を見てはみるが、いつも通りの無表情さだった。
先ほどのは幻だったのだろうか。
チノの毛先が日光を浴びて金色に透けていた。
それがなんだかきれいで、
しばらく見つめた後フレヤはすっと視線を前に戻した。
「これからどうするつもりだ」
「……王都周辺の町を巡ってみようかしら」
「どうやって?」
フレヤはチノの手を引く。
ぐいぐいと引っ張って、あてもなく歩き続ける。
「しらみつぶしに一つ一つ町を回っていくしかないわ」
「非効率すぎやしないか?」
「仕方ないじゃない。
あなたって、意外と細かいこと気にするのね」
「おれは一国の王女たるものがそこまで無計画でもいいのかと
逆に不安で仕方がない。
驚きを禁じ得ないな」
そういいながらも、チノはちっとも驚いていない顔で
フレヤに手を引かれるがままに歩いている。
なんだか、それに少し腹が立って、ますます荒っぽく足を進める。
「次、私が行くわ」
「どこにだ」
「決まっているじゃない。
次は私が直接情報を聞き出すのよ」
ぐんっと思いっきり手を引かれて、フレヤはよろめいた。
いや。
引かれたのではない。
チノが立ち止まったのだ。
「おまえが情報を聞き出すなど、尋問のようにしかならないのが
目に見えている」
「……」
フレヤは無言になった。
無言でチノの顔を見つめる。
しかしチノもまた無言で首を横に振った。
また、フレヤがじっとチノの顔を見つめる。
「じゃあ、きく。
おれと同じ程度の情報の聞き出し方ができるのか」
「貴方と同じは無理よ。
あれはもはや人格が変わりかけているもの」
「……」
「でも、人並みになら出来るわ」
「やってみろ」
即座に言い返されて、フレヤは一瞬押し黙った。
少しの間考えて、フレヤはおもむろに口を開いた。
繋いでいるチノの手を胸元に掲げて、それをきゅっと握った。
緊張なんてしていない。
別に緊張なんてする必要ないのだ。
必死に自分に言い聞かせて、フレヤはまっすぐチノの目を見た。
「め、めめめメノウという人物について聞きたいのだけど、
なにか教えてくれないかしら」
声が思いっきり裏返った。
徐々に頬がカーッと熱くなり、我慢できずに
握っていた手を勢いよく離した。
「わ、悪かったわね、こんなことすらできなくて」
ぷいっと横を向いたが、チノからの返事がない。
いぶかしく思ってそちらに向きなおってみると、
チノが片手で顔を覆い横を向いて呻いていた。
「な、なにその反応」
「……おまえ、絶対に、聞き込みなどするな」
「な……」
「……いいか、今後一切二度と永遠にするな」
それ以来、なぜかチノの口数がめっきり減ってしまったが、
聞き込みだけは人が変わったかのような交渉術を駆使して
行ってくれた。
手は移動するときはずっとつながれたままだった。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.16 )
- 日時: 2016/11/23 17:18
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
「帰りましょう」
情報は集まった。
ほとんどのものが口をそろえて言うことには、
メノウは美しく若い娘で、革命軍という
野心に燃える王都から少し離れた町人達が
集まって形成された団体の長のようだ。
そのこともあって、活動範囲も
王都から少し離れた町ばかりを転々としているようだ。
(変……ね。おかしい)
フレヤだったら、町から遠く離れた村で反乱軍を作る。
本当に生活が苦しいのは村人たちで、
その苦しみを憎しみに変えやすいからだ。
憎しみをエネルギーにすれば、本当に革命をおかしかねない。
それをしないのは、革命という名の反乱を起こす先導者がいないのに加えて
彼らの生活が日々生きるか死ぬかの瀬戸際にあるからだ。
(どうして、王都に近い町ばかりを……?)
フレヤは、目を細めた。
しかし、その目はすぐに一組の寄り添う男女に吸い寄せられた。
寄り添う若い男女は幸せそうに屋台で買った揚げ物を手に歩いていた。
記憶がフラッシュバックする。
ステファンとの思い出が脳裏を駆け巡る。
私も、あんなふうに寄り添ってみたかった。
あんなふうに笑いあって、何気ないことを共有する。
普通の恋人同士に、なりたかった。
堰をきったかのように、感情が濁流のようにあふれだす。
どんなに思い出さないようにしても、
こんな風にふとした瞬間に思い出してしまう。
気付けば足は勝手に止まってしまっていた。
目をそらすこともできず、フレヤは食い入るように二人を見つめた。
心がちぎれてしまいそうだ。
笑う男性の横顔が、ステファンの微笑む顔と重なる。
でもそのほほえみは作り物のほほえみ。
本物の笑顔を自分では引き出すことができなかった。
ジリ、と心が焦げ付く音がした気がした。
まだこんなにも恋しい。
作り物の笑顔で良い。
もう一度、一目でいいから見たい。
記憶の中の彼の笑顔を色あせさせたくない。
離れたら忘れられるかもなんて、馬鹿なことを考えたものだ。
全然、忘れられていない。
心に刺さった棘は日に日に心の奥深くに刺さっていく。
ふわりと目を何かが優しく覆った。
ごつごつとしていて温かいことからチノの手が目元を覆ったのだと悟る。
「帰るのだろう」
不意にかけられた声にフレヤはびくっと肩を揺らした。
視界が黒に染まっていて、ひどくチノの声を意識してしまう。
この手は、フレヤが何を見ていたのか、何を思っていたのか
知っていて目元を静かに覆っているのだろう。
「ええ、帰るわ」
城に帰ると、場内は家臣たちがあわただしくあちこちを駆け回っていた。
空気には妙な緊張感がある。
病などでは倒れなかった王が伏せっているために
家臣たちも動転しているのだろう。
ためしに、その父王の様子を聞いてみたが、
いまだ意識は取り戻していないようだ。
落馬した際に頭と腰を強く打ったためらしい。
医師の診断では、高熱とまではいかないが熱が出ているため
腰を骨折している可能性がある、とのことだ。
意識を仮に取り戻したとしても、
最悪の場合、二度と歩けなくなるらしい。
二度と歩けなくなったら、狩りにはもう行かずに
もっと国のことを考えてくれる良き王に戻ってくれるだろうか
という愚かで甘くて不敬な考えを抱きすぐに打ち消した。
あまり人目につかないように静かに自室に戻った。
「明日も、行きましょう」
同じく部屋に入ってきたチノにそう声をかける。
「王都から少し離れた町を一日にいくつか巡るわ」
「効率が悪すぎやしないか。
近衛兵を使えばもっと」
「近衛兵を使えば、権力に物を言わせて不穏要素を潰すこととなる。
私はそのような真似をしたくはない。
できるだけ、血は流さずに、平和的な解決を望むわ」
「奴らはこれっぽちもそうは思っていないだろうがな」
痛烈な一言にフレヤは押し黙った。
事実、フレヤも殺されかけた。
「時間がないのはわかっている。
いつ革命が起こって、
より多くの血が流れるかもしれない日が迫っていることも。
それでも、私は近衛兵を使わない」
ぎゅうっとこぶしを握り締めた。
もうこぶしは強く握っても痛まない。
それでも、民にこの手を踏みつけられたあの時は忘れてはならない。
革命軍であってもこの国の民だ。
民は、傷つけない。
傷つけさせない。
そのためならば。
「……わかった」
チノはおとなしくうなずいた。
従順な獣のごとく。
フレヤはじっとチノを見つめた。
彼と出会って二ヶ月がたった。
あと四ヶ月。
この獣のごとく美しい青年はフレヤの元を離れて
野に帰っていくだろう。
自分のあるべき場所へ。
それをフレヤには止める権利はない。
でも今は、その美しい体に鋭い牙をもって彼はそこにいる。
フレヤのそばに。
しかし、獣は今は従順なだけで、静かにフレヤを観察している。
いつか。
いつか、一瞬でも自分が自分でなくなったら
この牙が自分に向けられる気がする、と
ぼんやりとフレヤは思った。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
メノウは目を細めた。
さまざまな年齢の男女とともにテーブルを囲み、
ささやかな夕食をとっていたときのことだった。
こんな下々の私たちとともにテーブルを共にしてくださるなんて、と
人々は一種の畏敬の念を込めてメノウを見つめた。
流れるような金髪は肩にそって流れ落ち、ランプの光に照らされてオレンジ色に輝いている。
「王都のおしゃべりな女たちがそう言っていたので、確かな情報筋とは言い難いのですが……」
「いいえ。
こうして私なんかのために情報を集めてくださってありがとうございます」
そう言って、にっこりとほほ笑むと、若き青年は顔を真っ赤にした。
彼女があまりにも美しすぎて直視をするのに恥じらいすら覚えるのに、
それでも見つめずにはいられない。
この青年が言うことには、今日の昼ごろ、
やたらと見目麗しい青年がメノウのことを聞いて回って王都を歩いていたという。
「われらが革命軍に入りたいということらしいのです。
……浮浪者風情が、われらが誇り高き革命軍に入りたいなど……!!」
そう、中年男性が我慢ならないように拳を震わせると、
同じような空気が皆からにじみ出た。
そうだ。
我々は国を変えたいがためにここにあるというのに、
突然現れたどこの馬の骨とも知らない男が、革命軍のことを嗅ぎまわっているなどと!
「みなさん、どうかお心を鎮めてください」
メノウの穏やかな声に皆はわれに返った。
彼女は怒っていなかった。
どこか悲しそうに眉をひそめているだけだった。
「も、申し訳ありませんメノウ様」
中年の女性があわててそう言うのをやんわりと制す。
人々の心はひどく痛んだ。
メノウ様のお心を傷つけてしまったのだと。
「たとえ遊牧民でもこの国を変えたいと考えているのならば、私は手を差し伸べます
どんな姿かたちであれ、その人はこの国の民なのですから。
だから、どうか、みなさん、そのようなことをいうのはおやめになって」
人々の口から知らず知らずのうちに感嘆のため息が漏れていた。
なんて心の優しい娘なのだろう。
見ず知らずの男がこうして罵倒されるだけであわれに思い
かばってやっているのだ。
この慈悲深き心。
やはり彼女こそがこの国の頂点にふさわしい。
少女は微笑んだ。
真っ赤なランプの光が、メノウの瞳に映って、紅く踊った。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.17 )
- 日時: 2016/12/01 21:25
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
「フレヤ!!」
必死の形相のステファンがこちらに向かって駆け寄ってくる。
いつものようなよそよそしい呼び方じゃなかった。
強く腕をつかまれて、勢いよくその腕の中に引き寄せられる。
初めて包み込まれた腕の中は狭くて硬くて温かかった。
「すまなかった。
私が、私が悪かった」
耳元で聞こえる声は震えていた。
強く強くかき抱かれる。
もう決して離さないとでもいうように。
「私がどうかしていた。
やはり、私には君しかいない。
図々しいのはわかっている。
だが、どうか、どうかもう一度私に機会を与えてはくれまいか」
何が起こったのかわからなかった。
息ができない。
涙が目の端からこぼれる。
待っていた。
ずっとその言葉を待っていた。
無表情の仮面なんて一瞬で剥がれ落ちる。
なんでもいい。
どんな形であれ、彼に戻ってきてほしかった。
まだ好きだ。
どうしようもないくらいにこの人が好きだ。
震える手で、彼の顔の輪郭をなぞる。
激情が宿るこのアイスブルーの瞳も。
滑らかなあごの線も。
穏やかな匂いも。
優しい声も。
包み込んでくれる何もかもが、こんなにも愛おしくて、苦しい。
「あなたが、好きよ」
声が情けないほど震えた。
ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちて、前が見えなくなる。
このたった一人の愛しい人しか見えなくなる。
「あなたが、好きなの!!」
様々な感情が一度に押し寄せてくる。
好きだ。
好きなんだ。
どんな言葉で偽ろうとも、ごまかせなかったこの感情。
フレヤは嗚咽を止められなかった。
涙が止まらなかった。
こんなに。
こんなに幸せだというのに涙が止まらない。
心のどこかで気づいてしまった。
これが夢であることに。
絶対に夢だと思いたくなくて。
でも絶対にこの夢からさめたくなくて。
フレヤはステファンの胸に縋りついた。
ステファンはフレヤの望むだけ強く抱きしめ返してくれた。
だけど。
どれだけ願っても、彼は、愛しているとは言ってくれなかった。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
「フレヤ!!」
強くゆすられて、フレヤははっと目を覚ました。
その瞬間目じりから、涙が零れ落ちた。
後から次々とあふれてきて止まらない。
視界いっぱいにチノの顔が見える。
必死の形相だった。
それを見て、目覚めてしまったのだと悟る。
「とてもね、幸せな夢を見ていたのよ」
フレヤはかすれた声でそうつぶやいた。
涙まみれの顔で言っている時点で、
どんな夢を見ていたのか悟ったのだろう。
チノはただ一言、そうか、とだけ返した。
腕に触れていたチノの手が離れていく。
ちょうど朝日が窓から差し込む時間帯だった。
「早起き、してしまったみたいね」
フレヤは、もう一度眠る気にはなれなくて、身を起こした。
身支度を整えた後、フレヤは父王の部屋に向かった。
護衛の近衛兵がフレヤの姿を認識して敬礼をする。
三日目にしてやっと父王への見舞いの許可が医者からおりたのだ。
チノは部屋の外に残して、フレヤは扉に手をかけた。
重すぎる木の扉の向こうは薄暗かった。
豪奢なベッドには父、イルグが眠っていた。
その傍まで歩く途中、ふと父のベッドの脇に金属製の輝くものが
光っていることに気付いた。
よく見るとそれは、
亡き母の純金製の貝殻を模したペンダントだった。
フレヤは息をのんだ。
その輝きはフレヤが幼かったころからなにも変わっていない。
どれだけ大切に手入れをされているのか一目でわかった。
いまだなお、亡き母を深く愛しているのだと悟った。
後継ぎがいないため、フレヤの母が亡くなった後、
家臣たちは父に再婚を何度も勧めたが、
頑として受け入れなかったのはこのためだったのだ。
狩りに明け暮れるようになったのも、
最愛の妻を失った悲しみをごまかすためで。
青い髪に深紅の目という亡き母そっくりの人間離れした容姿の
フレヤをかわいがってくれたのもそのためだろう。
最愛の妻の忘れ形見だからだ。
フレヤは父の枕元にある椅子に腰かけて、彼の顔を見つめた。
この三日で十も年を重ねたように見える。
「私は、あなたに似てしまったのですね、お父様」
最愛の人を忘れられなくて。
何もかもから逃げてしまいたくて。
不器用だから、上手にごまかせなくて。
他の人なんて到底考えられなくて。
ふと、枕元の棚に豪奢な花束が飾ってあることに気付いた。
メッセージカードにはヘレナ、ステファンより、と書いている。
見舞いの花束が贈られてきたのだ。
その名前は、今のフレヤが一番目に入れたくないもので
フレヤは思わず立ち上がった。
「また、伺います、お父様」
くるりと向きを変えると一目散にドアを目指す。
涙が目の端ににじんだ。
うっそうとした森の中を馬で駆け抜けることができず、
馬を歩かせることでゆっくりと森の中を移動していた。
ツタがあたり一面に映えており、馬の脚に絡みつくのだ。
もう少しで、目的の村が見えてくるはずだ。
タイヤ―という、地方伯爵のタイヤ―伯が治めている土地だ。
王都からもそう離れておらず、海辺に位置する大きな町だった。
他の辺境の地にある村とは違い、日々の食べ物に困るほどの生活ではないが、
王都と比べるとその生活水準は低い。
それが、フレヤが一年ほど前にタイヤ―を訪れたときの感想だった。
何年もかけて、国中のほぼすべての町と村を回った
フレヤだからいえることだ。
少しずつ視界が明るくなってくる。
緑の向こうに見えるのは、大きな門だった。
レンガで作られた立派な作りをしている。
その門の前に、いつもはいないはずの見張りの兵のような
男が二人立っていて、フレヤは森の中で馬の足を止めた。
「チノ、止まって」
背後でチノが馬を止める気配がした。
相手はまだこちらに気付ていない。
どういうことだろう。
この村は、このようなうっそうとした森におおわれているせいで
あまり盗賊などの襲撃は受けないはずだったのだが……。
「あたり、のようだな」
馬を静かにフレヤの隣に並べたチノがポツリとつぶやく。
フレヤもうなづく。
ここも革命軍の息がかかっているのだろう。
おそらくあの見張りの兵も革命軍の者に違いない。
「どうするんだ?」
「チノならどうする?」
まさか問い返されるとは思わなかったらしいチノが
しばらくの間黙る。
数拍のちに彼は口を開いた。
「おれならば、正面から入る」
「どうして?
それだと咎められるのでは?」
チノは首を振った。
彼には何か策があるらしい。
「今回はおれがなんとかしてみよう。
めずらしく姫君が臣下を頼ってくれるからには……」
すこしからかうような調子を含んだ声音に
フレヤは思わずチノの顔を凝視してしまった。
視線に気付いたチノは押し黙る。
「あなたでも、冗談を言うのね」
「おまえ、おれを何だと」
「冗談よ」
それだけ言うと、フレヤは馬を進めた。
見張りの兵がこちらの姿を認識して顔を険しくした。
チノには後ろの森で待機してもらっている。
フードを深くかぶり、相手からは口元しか見えないようにする。
目と髪を見せなようにするためだ。
「止まれ!!」
すぐに反応した見張りの兵たちが槍を振り上げて声を上げる。
フレヤはすぐに馬の足を緩める。
「何者だ!!」
「私は、メノウ様にお目通りを願いに来たものです」
フレヤは目を閉じて、少しだけフードを上げる。
閉じた瞼を兵達に見せつける。
「私は目の見えぬ哀れな者。
ゆえに、メノウ様にお会いすることで
少しでも心の傷を癒そうと」
とんでもなく棒読みだった。
フレヤは唐突に歌いだした。
小さな声だが、兵達に聞こえるように。
突如歌いだしたフレヤを兵たちは怪訝な顔で見つめた。
しかし、兵たちは徐々に目の焦点が定まらなくなっていた。
ゆるやかに槍が下ろされる。
「これは失礼いたした。
どうぞ中へ」
「ええ、ありがとう。
あなたがたも、このことは忘れるように」
「かしこまりました」
馬に乗ったまま巨大な門をくぐりぬける。
後ろから蹄の音が聞こえる。
すぐに、チノが馬を寄せてきた。
「どういうことだ」
「歌よ」
フレヤは前を見たまま答えた。
先ほど歌ったのは忘却の歌。
何もかもを忘れてしまう歌。
眼前に広がるのは、レンガ造りの家が立ち並ぶ町だ。
あちこちの煙突から煙が上がっている。
たしか、鍛冶屋が多い町だったか。
「おれが言っているのはそういうことではない。
おれがやると言っただろう」
「いつまでもあなたに頼るわけにはいかないわ」
フレヤは決して振り返らなかった。
振り返れなかった。
この力は、チノにまで影響を及ぼしているに違いないのだから。
しばしの沈黙の末、ぽつりと声が落された。
「すまない。
おまえはその力を好ましく思っていないのに
使わせてしまった」
だから、そんな声で謝ってほしくなどなかった。
- Re: マーメイドウィッチ ( No.18 )
- 日時: 2016/12/02 21:14
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
町の中は、あたりから金属音が聞こえた。
鍛冶にいそしむ音だ。
この音がこの街を支えている音なのだと思うと、
なんとも不思議な感じがする。
なるべくきょろきょろとあたりを見渡さないように、
目の動きだけで周囲を観察する。
人々は忙しそうに歩き回り、フレヤには目もくれない。
「どうする気だ」
珍しく隣に並んで歩くチノがやや硬い声で言う。
この町にはおそらく間違いなくメノウがいる。
そのせいで気を張っているのだろう。
「メノウを探すわ」
沈黙は金属音にかき消されてしまう。
フレヤは会話を続けながらもメノウっぽい娘がいないか
視線だけであたりを観察する。
どの家もがっしりとしたレンガ造りの丈夫なものが多い。
道を行く人々の衣服も上等とまではいかないが、
清潔で簡素なものが多かった。
やはり、ひどく貧しいというわけではなさそうだ。
少なくともフレヤが今まで見て回った貧しい村とは違う。
「探すって、具体的には何をどうするんだ」
「地道に探すわ」
「探して、見つけたらどうする」
矢継ぎばやに質問がくる。
それだけ心配してくれているということだろうか。
ちらりとその横顔を見ると、チノもちょうどこちらを見た時だった。
真正面から視線がかち合ってどきりとする。
その瞳は真剣そのものだった。
「おまえの身を第一に考えて行動し……」
「わかっているわ」
フレヤはチノの言葉を遮るようにして言った。
もの言いたげなまなざしが己を射抜いているのがわかったが
気付かないふりをする。
何故かはわからないが、チノの顔を正面から見れなかった。
かたくなに前を向くフレヤの視線の先にふと一つの家があらわれた。
ごく一般的なレンガ造りの家に見える。
しかし、不自然に人がよりつかず、
その家の戸口には警備兵がいた。
フレヤは不信に思われぬよう、その家の前を通らないように
さりげない風を装って、右の角を曲がった。
脚が進む。
景色がゆっくりと後ろに流れていく。
道行く人々とすれ違う。
頭だけは異常な速さで動いていた。
思考が巡りに巡っていく。
「……か」
チノが何かを言ったことすらも気づかない程に。
我に返ってチノの横顔を正面から見つめてしまう。
「なんて言ったの?」
「やめないか」
チノの表情はいつもと変わらない。
その視線はまっすぐ前を向いている。
しかし、その言葉の端には焦りのようなものを
押し殺した気配があった。
「どうしたの」
「嫌な予感がする」
チノは目を細めて虚空を睨んでいた。
その姿がやけに獣じみていて、思わず見つめてしまう。
「具体的に何が、とはいえないが
今日は引き返した方がいい気がする」
その口調があまりにも重く真剣だったので
フレヤは足を止めた。
それに気づいてチノも歩みを止めて振り返る。
瞳にはやはり焦りが滲んでいた。
何か話したげな表情を見て、フレヤは細い路地にチノをいざなった。
「どういうこと?」
「今思えばあまりにもことが上手く進みすぎている」
低くせわしない調子で告げられた言葉にフレヤは目を見開いた。
思い返してみると確かに全てがあまりにも順調だった。
情報を集めて、すぐにメノウがどんな人物か特定できた挙句、
本人の拠点地であろう場所をすぐに見つけ出せるとは。
考えれば考えるほど順調だった。
順調すぎるのだ。
「おそらくおれたちは、情報収集の時に少々派手に動きすぎた」
これは、罠だ、チノの唇が言葉なく動くのを見て
背筋に冷たいものが走る。
相手はこちらの何枚も上手ということなのだろう。
メノウはここにいるのではない。
おそらくフレヤが来るのを待っているのだ。
「それでも、私は行くわ」
「っ、おまえ……!!」
「待っているのならばなおさら。
そうでもしなければ、きっと向こうから私の元にやってきたでしょう」
チノが押し黙る。
きっと同じことを考えていたのだろう。
フレヤは心の中で覚悟を決めた。
やはり行くしかないのだ。
たとえこれが罠だとしても。
見張りの兵たちは、ふとこちらに向かってまっすぐ歩いてくる
人影が二つあることに気付いた。
なんという無鉄砲な者たちだろう。
手に持っている槍を握る力を強くする。
止まれ、声をかける前に、背の高い人影の目を見つめた。
血のように真っ赤な瞳をもつひどく美しい男だった。
その目を見つめると同時にぞくりと背に悪寒が走った。
人間ならざる者の目。
はらりと額にかかっている髪は闇のように黒い。
この国の者ではないのは明らかだった。
王女が来るだろう、ということしか聞いていない。
こんな得体のしれない男が来るなど一言も聞いていない!!
「と、止まれ!!」
声が裏返ってしまう。
突き付けた槍の穂先は震えていた。
それだけ目の前の男に気圧されてしまっているのだと悟る。
「この館に住まうお方を知っての来訪か!?」
「そのようなこと、我が知らぬとでも?」
嘲笑を唇に浮かべつつ男が歩み寄ってくる。
兵たちはそれ以上動けない。
妖しく輝く赤い瞳がくすぶる熾火のように燃え輝いている。
黒髪の男の隣には付き従う娘がいた。
らんらんと輝く金色のつり目が勝気そうに兵たちを射ぬく。
「アンタたちの主人に伝えなよ!!
ミン国の皇子が会いに来たってさぁ!!」
一方、そのころ、後方で物陰に隠れつつ、
フレヤ達は一部始終を見ていた。
ミン国の皇子とその配下らしき者がなかば押し入るようにして
建物の中に入っていくのを見送った。
「どういうこと……?
なぜシウ皇子がいるの……?」
彼は自分の国に帰ったのではなかったのか。
一瞬そう思いかけて、フレヤは違うとすぐに気付いた。
あの皇子のことだ。
ただ結婚式に参列するためだけに
これほどまでに遠い地に足を運ばないだろう。
彼とそれほど親しい仲でもないがなぜかそう確信できた。
一瞬の邂逅でもはっきりとわかるほど、
かの皇子は頭の切れる者だったからだ。
「しばし、様子を見よう。
あの皇子とメノウのつながりが分からないうちに
行動を起こすのは危険すぎる」
チノの言うとおりだった。
たった今館に入っていったシウ達がいつ出てくるのかはわからない。
それまで地道に待たなければならないということだ。
フレヤは歯がゆい思いでメノウがいるであろう館を見つめ続けた。
ろうそくの炎がゆらりと揺れた。
カツンカツンと靴音を鳴らし薄暗い中を
闇よりもさらに濃い黒髪を持つシウが歩いていく。
対面するのは椅子に座っている娘。
閉じていた瞼を開き彼女は夢見るようなほほえみを浮かべた。
緑の瞳にろうそくの紅がゆらゆらと妖しく揺れる。
「……あら?」
シウの姿をとらえると、彼女はゆっくりと瞬きをした。
長いまつげが扇のように上下に揺れる。
かたりと首をかしげると彼女の華奢な肩から
つややかでまっすぐな金髪が流れ落ちた。
あまりにも美しくて、人形じみた容姿の整い方だった。
「私、あなたのような殿方がいらっしゃるとは思わなかったのだけれど」
鈴を転がすような声だった。
その美しさに聞き入ってしまってほとんどの者は気づかないだろうが、
その美しい声はひどく平坦で無機質だった。
「まさか皇子がいらしてくださるなんて。
それも伴の者も付けずに」
「伴の者は部屋の外に置いてきた」
「丸腰で私の部屋に入ってきたその勇気を褒めているのですよ」
娘、メノウの口調は村人たちに対するものとは
はっきりと異なっていた。
花開くようにメノウは笑った。
「私が今どの立場にいるかわかっていてのご来訪ですね?」
「この我が、わざわざここまで足を運んでやったのだ。
ひれふして感謝してもらってもかまわないぞ」
メノウは笑みを深めた。
否定しないということは肯定のあかしだ。
メノウがどういう人物かを知っていてあえてこの男は
ここまでやってきたのだと悟る。
「この私の傀儡になるかもしれないというのに?」
「先に言っておくが、なんじの力はほかの者に効いても我には効かない」
シウは獰猛に笑った。
その唇の端から犬歯がちらりとのぞく。
「我は闇の一族でな。
そこらの人間風情と同じにされてはこまるな、小娘」
「そんなあなたの要件は?」
その迫力に気おされることもなく、メノウは淡々と答えた。
その様子にシウは瞳を細めた。
「取引だ」
- Re: マーメイドウィッチ ( No.19 )
- 日時: 2016/12/05 00:35
- 名前: いろはうた (ID: b4ZHknAo)
なんだか屋敷が慌ただしい。
少し離れたところからもその様子がよくわかる。
フレヤはシウが入っていった建物を見つめた。
さっきまでたっていた門番の兵も建物内にはいってしまった。
今が好機だ。
「いくわ」
「……ああ」
フレヤは静かに立ち上がると、
隠れていた建物の陰から離れた。
徐々に近ずく建物に動機が止まらない。
もっと冷静にならねば。
冷静に。
もっと冷静に。
必死にそう自分の心に言い聞かせると、さらに足を進めた。
門の前に来たところで、ドアが開き中から人影が二つ現れた。
シウだ。
彼の後ろにはお付きの者らしきつり目の少女がいる。
「久しいな、人魚姫」
「……私はそんな名前じゃないわ」
フレヤは相手の存在感に気おされぬよう踏ん張った。
すっと顎をひいて前を見つめる。
「今日も番犬付きか」
「チノのことをそんな風に言わないで」
「アンタ、シウ様に口ごたえするとか何様なのさ!!」
噛みつくようにシウの背後にする少女が言った。
敵意をあらわにこちらを睨んでくる。
「よい、リン」
「ですが、シウ様!!」
「我がよいと言っている」
しぶしぶながらに、少女、リンは一歩後ろに下がった。
しかし、こちらを忌々しそうに睨みつけてくるのだけはやめなかった。
一方のフレヤは、リンの瞳を見ていた。
金色の瞳。
獣の瞳だ。
「そうだ。
リンは化け猫の末裔だ。
ミン国の隣のジパングという国出身の者だ。
血気盛んなのは大目に見てやってくれ」
シウがフレヤの考えていることを読み取ったように
そう答えた。
少なからずそれに動揺してしまうが、
それを見せないように驚きを押し殺す。
それよりも聞きたいことは別にある。
「シウ様」
「シウでいい」
「シウはなぜ我が国にいるのかしら」
やはり、彼が妹ヘレナの結婚式に参列したのは、
ほかにも目的があるからなのだ。
「我のことはどうでもよかろう?」
「どうでもよくないわ。
この国を統べる王女として見過ごせない」
「汝」
ふっとシウが表情を変えた。
愁いを帯びたような表情。
いや、ちがう。
あれは。
あの赤い瞳に宿っているのは哀れみだ。
「汝はいつか、汝の身を滅ぼすだろうよ。
おのが手で、おのが身を」
それだけ言うと、シウは歩き出した。
その後ろをリンが続く。
「なっ、待って――――――」
「汝、この館にいる者に用があったのではないのか?」
我と同じでな。
形の良い薄い唇が音もなくそう動いたのを最後に
シウは振り返ることなくフレヤの横を歩き去った。
「フレヤ王女殿下でいらっしゃいますか」
シウの背中を見送っていると、横から突然声をかけられた。
屋敷の中から中年の男が顔をのぞかせていいる。
この感じ、おそらくここの町人だろう。
「お待ちしておりました。
メノウ様が奥でお待ちでございます」
しばらくの間歩いていると、突然、扉の前で案内の者が足を止めた。
大きな扉だ。
中にメノウがいるのだろう。
「護衛の方は、ここでお待ちくださいませ」
「チノ」
メノウの配下に即座に反論しようとした彼の体を制する。
振り返ったチノの瞳は緑の瞳にろうそくの光が
キラキラと輝いて、金の粉を振りかけたみたいだった。
こんなときだというのに一瞬見とれる。
美しかった。
「おまえはまた、おれに何もするなというのか」
「違うわ」
「一瞬、一瞬でも心を預けてくれたと思ったのは
おれの気の迷いだというのか」
ひそめた声音に激情がにじむ。
彼が言っている、心を傾けた、が、はじめてチノの意見を求めたことだということに気付く。
彼は、ずっとフレヤが頼ってくるのを待っていたのだ。
「チノ、聞いて」
「今回ばかりは聞けない。
おまえの命がかかわっている」
「私の心配をしてくれているのね」
少し自意識過剰だろうかと思いながらそう口にすると、
チノは少し息をのんだ。
ようやく自分が口にした言葉の意味に気付いたらしい。
その一瞬の沈黙を逃さずフレヤはさらにいいつのった。
「あなたが私の心配をしてくれているように、
私もあなたが心配。
私のせいで傷を負ってしまうのではないかと」
「おれのことなどいい」
「よくない」
フレヤは一歩も引かなかった。
中にはメノウがいる。
何が起こってもおかしくない。
仮にフレヤがここで殺されるとしたら、
チノはフレヤをかばってしまうだろう。
足手まといにはなりたくなかった。
「わかって」
「わからないな」
これで引いてくれると思ったのに、チノはなおもくいさがった。
ここまで、チノが自分の意見を変えないのは初めてのことだった。
いつもだったら、フレヤの意見を最優先に行動してくれるのに。
どうしたらいいのかわからず、少し当惑する。
「チノ、お願い」
「おまえが意見を曲げないというのなら、
おれはおれで勝手にするまでだ」
押し殺した声ではき捨てるようにいうと
チノは思いっきりメノウの部屋へと続くドアを開いた。
止める間もなかった。
一瞬の出来事だった。
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